No.20, No.19, No.18, No.17, No.16, No.15, No.14[7件]
We are.
テーマ楽曲:We are./Do As Infinity
今月の頭から街角にはクリスマスソングが流れ始めた。
並び立つどの店のショーウィンドウも、ディスプレイがクリスマスモード。ツリーやリースやサンタクロースが、溢れかえっている。街路樹などにも、イルミネーションが飾り付けられ、ゆるやかに暮れ始めた聖夜のムードを盛り上げていた。
そんな、繁華街の人混みの中。
ブーツの靴音高らかに、急ぎ足で雑踏をすり抜ける、小柄な人影。僅かに息を切らせ、時々時計を確認しながら、待ち合わせの場所へと彼女は向かっていた。
そして、数分後、辿りついたのは、こぢんまりとした佇まいのカフェ。賑やかな通りからは少し奥まった場所にある、落ち着いた雰囲気のお店だった。
急ぎつつも、入り口のドアを開ける前に、走って乱れた髪を軽く整える。一呼吸ついてから、そのドアをゆっくりと開けた。
「ゴメン、遅くなって……!」
「ホント、おっそーい!」
「寒かったでしょ? とりあえずコーヒーでも飲んだら?」
「すぐに淹れるね、特製カフェオレ」
出迎えた友人たちに、彼女はニコッと笑みを浮かべた。
女ばかり四人のクリスマスパーティー。
高校の時からずっと仲の良い四人組だった。
せっかくのクリスマスイブに、女四人というのも寂しいと思われるだろう。
けれど、皆それぞれ、恋人や家庭がないわけではないのだ。
「もう、あんまり佳奈が遅いから、先に食べちゃおうかと思ったじゃない」
そう文句を言いつつも、本当はまったく怒る気などないのは詠子。
OLをしながら趣味でバンドのヴォーカリストをしている。
彼氏は同じ会社の同僚で、不運にもイブ当日から二日間出張になったらしい。
「思ったじゃなくって、つまみ食いしてたじゃない。ねぇ、優里」
詠子の言葉にすかさずツッコミを入れたのは、美帆だった。
結婚三年目、旦那とは今でも新婚並みにラブラブで、一児の母。
家族でのクリスマスパーティーは、毎年二十五日と決まっている為、本日は子供を夫に任せて出てきたらしい。
「うん。思いっきり食べてたね。鶏の唐揚げ」
笑いながら美帆に続いた優里は、このカフェの経営者。
結婚はしていないが、同棲中の彼氏がいて、結婚秒読み状態。その彼氏は、本日仕事が夜勤で、明朝にならないと帰ってこないらしい。
「だってー、めちゃくちゃ美味しそうだったんだもんー!!」
「はいはい、ゴメンネ、詠子。優里の料理、本当に美味しいもんね」
彼女――佳奈は、言い訳する詠子に笑い混じりに謝り、優里の淹れてくれたカフェオレを一口含む。
「ん、おいし……」
甘さを抑えた自分好みのカフェオレに、ほっと一息つく。冷え固まった体が、解れるようだった。
「さて、みんな揃ったところで、始めましょうか」
佳奈がコーヒーカップを置くのを見計らって、美帆が声をかける。それと同時に、優里が店内の照明を落とした。
店の中央近くに据えられたテーブルには、優里が腕をふるって作った料理の数々と見事なデコレーションケーキ。
空いたテーブルやカウンター、飾り棚などの上には、幾つものキャンドルが淡い炎を揺らめかせていた。
流れる音楽は、あえてクリスマスソングでなく、静かな洋楽のバラードソングばかり。
その空間は、日常から遠く離れ、幻想的な雰囲気で満たされていた。
優里が、乾杯用のシャンパンをそれぞれのグラスに注ぐと、席に着く。
各々、グラスを挙げ、
「メリークリスマス!」
「メリークリスマス」
「メリークリスマース!!」
「メリークリスマス……」
カチン……と、澄んだ音を響かせ、グラスを軽く合わせた。
そして、始まるのは賑やかな宴。気心の知れた女友達だけの。
こんな風に四人でクリスマスを過ごすのは、今年が初めてではない。もう五年も前からずっと続いているのだ。
普通なら、恋人や家族と過ごすであろう、クリスマスイブ。
それをこの五年間、毎年この四人で過ごしているのには訳があった。
それは、六年前のクリスマスのこと。
「んじゃ、気をつけてね」
佳奈は玄関先で自分より二十センチ高い位置にある顔を見つめた。
その日は、クリスマスイブ。
あと数時間で日付は二十五日に変わるその時間に、佳奈のマンションを後にしようとしていたのは、恋人の敬だった。
つい先ほどまで、二人はイブの夜を満喫していた。しかし、急なトラブルで、翌日朝早くから会社に出勤を命じられた敬は、自分のマンションに戻り明日の用意をしなければならなくなった。
佳奈としては、二人でゆっくり過ごしたかったのだが、仕事ならわがままを言うわけにもいかない。そう諦め、素直に敬を送り出すことにした。
「佳奈、明日は絶対何が何でも一緒に過ごそうな!」
「うん!」
帰らなくてはならなくなったことを申し訳なく思っているのか、敬が翌日の約束をしてくれる。
それが嬉しくて、佳奈は満面の笑みで彼の後ろ姿を見送り、気の早いことに翌日の晩ご飯のメニューを既に考え始めていた。
敬は、佳奈が大学時代に知り合った。
佳奈の入ったサークルの、二つ上の先輩だったのだ。
入部してすぐに佳奈から一目惚れし、一年間想い続けた末の両想いだった。
大学を出てからも付き合いは続き、そろそろ結婚なんかも考え出した佳奈の二十四回目の誕生日。
祝ってくれた敬から、突然ある一言を言われた。
「そろそろ苗字変える気、ない?」
その意味を理解するのに、佳奈は数十秒を要した。
そして理解した途端、真っ赤になって頷き、ついには泣き出してしまったのだ。
ずっと一緒にいたいと思った人からの、プロポーズ。どんな高価なモノよりも嬉しい言葉を、プレゼントされた。
幸せすぎる、日々だった。年が明け、春を待って式を挙げることが決まっていた。
なのに――。
翌十二月二十五日。
佳奈は仕事を手早く終わらせ、早々と帰宅して晩ご飯の準備に取りかかっていた。キッチンで鼻歌混じりに野菜を刻む。
その歌声を遮るように、携帯の着信音が鳴り響いた。
敬からだ。
そう思い、いそいそと手を拭いて携帯を取った。
「もしもし」
『あ、佳奈ちゃん……?』
「え?」
着信は間違いなく敬の携帯からだったのに、聞こえてきた声は別人のものだった。
その声には聞き覚えがある。敬の同僚で、一番仲がいい神田という人物だ。佳奈も何度か会ったことがあり、気さくでユーモアの溢れた人柄だと覚えていた。
「神田さん? どうしたんですか?」
問い返しながらも、佳奈の胸中は嫌な予感にジワジワと支配されていた。
神田が個人的に佳奈に電話をしてくるなんて有り得ないのだ。しかも、敬の携帯電話から掛けてくるなど余計におかしい。
『佳奈ちゃんさ、今から出られる?』
「え? あの私、敬さんを待ってないと……」
『えっと……佳奈ちゃん、落ち着いて聞いてくれる? 敬が……』
神妙な口調の神田にいつもの明るい彼らしさはなかった。
神田の言おうとする言葉の先を、聞きたくないと、心の底から思った。
けれど、意に反して体はまったく動かない。耳を塞ぐことも、携帯の終話ボタンを押すことも出来なかった。
『敬が、事故に巻き込まれた』
苦渋に満ちた神田の電話越しの声が、耳を刺した。
その後、何をどうやって、敬の運ばれた病院に辿り着いたのかは覚えていない。
そして、必死の想いで辿りついた佳奈を待っていたのは、更に残酷で絶望に染まった報せだった。
佳奈は永遠に、敬と過ごす時間を失ってしまった――。
その次の年のクリスマスイブ。
引きこもりがちになっていた佳奈のマンションに、突然美帆、詠子、優里の三人が訪れた。本当に突然、前触れも何もなくだ。
呆気に取られている佳奈を三人は強引に酒宴に引きずり込み、お陰で佳奈は昨年の思い出に引きずられる暇も、悲しみに暮れる暇もなくなってしまった。
「んじゃ、また来年ー!」
三人は帰り際にそう言い置き、その予告通り、次の年のクリスマスには今度はちゃんと事前に連絡を寄越してパーティーに誘ったのだった。
以来、その聖夜の宴は毎年行われてきた。
「もう、五年も経つのかぁ……」
乾杯をしたグラスを空け、佳奈はシミジミと呟いた。
三人が揃って佳奈に視線を集中させる。
「敬さんいなくなってからは、六年だね……」
この毎年の恒例行事に、敬を亡くした痛みは少しずつ癒されていた。
そう、敬のことを、話題に出せるほどに。
「佳奈、敬さんのこと……」
優里が何かを問い掛けようとして、先の言葉を途切れさせる。何をどう言えばいいのか、迷ったのだ。
「大丈夫だよ、優里。私ね、もう大丈夫」
「佳奈……」
穏やかな笑みを浮かべ、佳奈が親友たちに視線を巡らせた。
ゆっくりと手にしていたナイフとフォークを置き、そのまま両手を膝の上で重ねる。
「……みんなに心配ばっかりかけて、ゴメンね。毎年こんな風にみんながいてくれたから、私かなり救われた」
「佳奈」
「正直最初は、そっとしといてよって、少し思っちゃったんだけど……」
申し訳なさそうに佳奈は苦笑を浮かべ、けれどすぐにまた、凪いだ海のような表情に戻る。
「あのね、敬さんのこと、私これからもずっと好きだと思うわ。敬さんが聞いたら、『さっさと俺を忘れて他にいい男見つけろ』って言うと思うけど、ね」
目を瞑ると、まだ思い出せる愛しい人の笑顔。どんな風にどんな言葉をくれるのかすら、思い描くことが出来る。
けれど、いつかそれも時間とともに薄れ、色褪せていくのだろうと佳奈にはわかっていた。
「結婚しないとか、誰も好きにならないとか、そんなコトは考えてない。確かに、一時はそれくらいネガティブになってたけど」
本当にそれくらい後ろ向きだった。それくらいに無我夢中で、敬のことが好きだった。
「だけど、それでも今はもう少しだけ、敬さんを想う気持ちを大切にしたいと思うの」
穏やかな表情のまま、佳奈はもう一度皆を見回す。そして、確かな意志を以て続けた。「自然に誰かを好きになれるまで」と。
「……そ、ならいいわ」
しばしの沈黙の後、あっさりそう言い放ったのは美帆だった。
「佳奈がそう思うならそれでいいんじゃない?」
優里も、静かに頷く。
「まぁ、佳奈のマイペースは今に始まったことじゃないしねぇ?」
呆れたように言いつつ、詠子は食事を再開する。
言葉だけ聞くと、ひどく突き放したように聞こえる。
けれど、三人が三人とも口で言うよりもずっと表情が優しい。
そんな風に押し付けすぎもせず、だからと言って放り出しているわけでもない女友達の存在が有り難かった。
「ありがとう……」
自然と浮かぶのは、感謝と、微かな雫。
「あー、詠子が泣かせたぁー!」
「えぇ!? 何でそこで私の所為になるわけ!?」
「日頃の行いでしょ?」
「ちょっとぉ、どういう意味よ、優里ー!」
涙ぐむ佳奈を余所に、三人がわいわいと盛り上がる。
その様子に佳奈は、泣きながらも微笑った。
賑やかなパーティーを終え、佳奈が自分のマンションに戻る頃には、日付はもう一日加算されていた。
荷物を置き、寝室に飾られた敬とともに映った写真を見つめる。
「……敬さん」
写真の中の敬は、六年前の姿のまま。
もう、年を重ねることはないのだけれど。
「誕生日、おめでとう」
それでも、呟く。
永遠に止まった愛しい人の生まれた日を、祝福して。
敬の命日としてより、敬がこの世に生を受けた日として、覚えていたいと思うから。
「敬さんが生まれてきてくれたこと、本当に良かった。敬さんと出逢えて、本当に良かったよ……」
たとえ、これから先、誰かを好きになっても。
たとえ、これから先、貴方が傍にいてくれなくても。
貴方と出逢えたことは、自分にとってかけがえのないものだから。
窓を開け、微かに煌く星たちを見上げて静かに願いをかける。
きっと、いつか、と――。畳む
#楽曲テーマ #過去ログ
テーマ楽曲:We are./Do As Infinity
今月の頭から街角にはクリスマスソングが流れ始めた。
並び立つどの店のショーウィンドウも、ディスプレイがクリスマスモード。ツリーやリースやサンタクロースが、溢れかえっている。街路樹などにも、イルミネーションが飾り付けられ、ゆるやかに暮れ始めた聖夜のムードを盛り上げていた。
そんな、繁華街の人混みの中。
ブーツの靴音高らかに、急ぎ足で雑踏をすり抜ける、小柄な人影。僅かに息を切らせ、時々時計を確認しながら、待ち合わせの場所へと彼女は向かっていた。
そして、数分後、辿りついたのは、こぢんまりとした佇まいのカフェ。賑やかな通りからは少し奥まった場所にある、落ち着いた雰囲気のお店だった。
急ぎつつも、入り口のドアを開ける前に、走って乱れた髪を軽く整える。一呼吸ついてから、そのドアをゆっくりと開けた。
「ゴメン、遅くなって……!」
「ホント、おっそーい!」
「寒かったでしょ? とりあえずコーヒーでも飲んだら?」
「すぐに淹れるね、特製カフェオレ」
出迎えた友人たちに、彼女はニコッと笑みを浮かべた。
女ばかり四人のクリスマスパーティー。
高校の時からずっと仲の良い四人組だった。
せっかくのクリスマスイブに、女四人というのも寂しいと思われるだろう。
けれど、皆それぞれ、恋人や家庭がないわけではないのだ。
「もう、あんまり佳奈が遅いから、先に食べちゃおうかと思ったじゃない」
そう文句を言いつつも、本当はまったく怒る気などないのは詠子。
OLをしながら趣味でバンドのヴォーカリストをしている。
彼氏は同じ会社の同僚で、不運にもイブ当日から二日間出張になったらしい。
「思ったじゃなくって、つまみ食いしてたじゃない。ねぇ、優里」
詠子の言葉にすかさずツッコミを入れたのは、美帆だった。
結婚三年目、旦那とは今でも新婚並みにラブラブで、一児の母。
家族でのクリスマスパーティーは、毎年二十五日と決まっている為、本日は子供を夫に任せて出てきたらしい。
「うん。思いっきり食べてたね。鶏の唐揚げ」
笑いながら美帆に続いた優里は、このカフェの経営者。
結婚はしていないが、同棲中の彼氏がいて、結婚秒読み状態。その彼氏は、本日仕事が夜勤で、明朝にならないと帰ってこないらしい。
「だってー、めちゃくちゃ美味しそうだったんだもんー!!」
「はいはい、ゴメンネ、詠子。優里の料理、本当に美味しいもんね」
彼女――佳奈は、言い訳する詠子に笑い混じりに謝り、優里の淹れてくれたカフェオレを一口含む。
「ん、おいし……」
甘さを抑えた自分好みのカフェオレに、ほっと一息つく。冷え固まった体が、解れるようだった。
「さて、みんな揃ったところで、始めましょうか」
佳奈がコーヒーカップを置くのを見計らって、美帆が声をかける。それと同時に、優里が店内の照明を落とした。
店の中央近くに据えられたテーブルには、優里が腕をふるって作った料理の数々と見事なデコレーションケーキ。
空いたテーブルやカウンター、飾り棚などの上には、幾つものキャンドルが淡い炎を揺らめかせていた。
流れる音楽は、あえてクリスマスソングでなく、静かな洋楽のバラードソングばかり。
その空間は、日常から遠く離れ、幻想的な雰囲気で満たされていた。
優里が、乾杯用のシャンパンをそれぞれのグラスに注ぐと、席に着く。
各々、グラスを挙げ、
「メリークリスマス!」
「メリークリスマス」
「メリークリスマース!!」
「メリークリスマス……」
カチン……と、澄んだ音を響かせ、グラスを軽く合わせた。
そして、始まるのは賑やかな宴。気心の知れた女友達だけの。
こんな風に四人でクリスマスを過ごすのは、今年が初めてではない。もう五年も前からずっと続いているのだ。
普通なら、恋人や家族と過ごすであろう、クリスマスイブ。
それをこの五年間、毎年この四人で過ごしているのには訳があった。
それは、六年前のクリスマスのこと。
「んじゃ、気をつけてね」
佳奈は玄関先で自分より二十センチ高い位置にある顔を見つめた。
その日は、クリスマスイブ。
あと数時間で日付は二十五日に変わるその時間に、佳奈のマンションを後にしようとしていたのは、恋人の敬だった。
つい先ほどまで、二人はイブの夜を満喫していた。しかし、急なトラブルで、翌日朝早くから会社に出勤を命じられた敬は、自分のマンションに戻り明日の用意をしなければならなくなった。
佳奈としては、二人でゆっくり過ごしたかったのだが、仕事ならわがままを言うわけにもいかない。そう諦め、素直に敬を送り出すことにした。
「佳奈、明日は絶対何が何でも一緒に過ごそうな!」
「うん!」
帰らなくてはならなくなったことを申し訳なく思っているのか、敬が翌日の約束をしてくれる。
それが嬉しくて、佳奈は満面の笑みで彼の後ろ姿を見送り、気の早いことに翌日の晩ご飯のメニューを既に考え始めていた。
敬は、佳奈が大学時代に知り合った。
佳奈の入ったサークルの、二つ上の先輩だったのだ。
入部してすぐに佳奈から一目惚れし、一年間想い続けた末の両想いだった。
大学を出てからも付き合いは続き、そろそろ結婚なんかも考え出した佳奈の二十四回目の誕生日。
祝ってくれた敬から、突然ある一言を言われた。
「そろそろ苗字変える気、ない?」
その意味を理解するのに、佳奈は数十秒を要した。
そして理解した途端、真っ赤になって頷き、ついには泣き出してしまったのだ。
ずっと一緒にいたいと思った人からの、プロポーズ。どんな高価なモノよりも嬉しい言葉を、プレゼントされた。
幸せすぎる、日々だった。年が明け、春を待って式を挙げることが決まっていた。
なのに――。
翌十二月二十五日。
佳奈は仕事を手早く終わらせ、早々と帰宅して晩ご飯の準備に取りかかっていた。キッチンで鼻歌混じりに野菜を刻む。
その歌声を遮るように、携帯の着信音が鳴り響いた。
敬からだ。
そう思い、いそいそと手を拭いて携帯を取った。
「もしもし」
『あ、佳奈ちゃん……?』
「え?」
着信は間違いなく敬の携帯からだったのに、聞こえてきた声は別人のものだった。
その声には聞き覚えがある。敬の同僚で、一番仲がいい神田という人物だ。佳奈も何度か会ったことがあり、気さくでユーモアの溢れた人柄だと覚えていた。
「神田さん? どうしたんですか?」
問い返しながらも、佳奈の胸中は嫌な予感にジワジワと支配されていた。
神田が個人的に佳奈に電話をしてくるなんて有り得ないのだ。しかも、敬の携帯電話から掛けてくるなど余計におかしい。
『佳奈ちゃんさ、今から出られる?』
「え? あの私、敬さんを待ってないと……」
『えっと……佳奈ちゃん、落ち着いて聞いてくれる? 敬が……』
神妙な口調の神田にいつもの明るい彼らしさはなかった。
神田の言おうとする言葉の先を、聞きたくないと、心の底から思った。
けれど、意に反して体はまったく動かない。耳を塞ぐことも、携帯の終話ボタンを押すことも出来なかった。
『敬が、事故に巻き込まれた』
苦渋に満ちた神田の電話越しの声が、耳を刺した。
その後、何をどうやって、敬の運ばれた病院に辿り着いたのかは覚えていない。
そして、必死の想いで辿りついた佳奈を待っていたのは、更に残酷で絶望に染まった報せだった。
佳奈は永遠に、敬と過ごす時間を失ってしまった――。
その次の年のクリスマスイブ。
引きこもりがちになっていた佳奈のマンションに、突然美帆、詠子、優里の三人が訪れた。本当に突然、前触れも何もなくだ。
呆気に取られている佳奈を三人は強引に酒宴に引きずり込み、お陰で佳奈は昨年の思い出に引きずられる暇も、悲しみに暮れる暇もなくなってしまった。
「んじゃ、また来年ー!」
三人は帰り際にそう言い置き、その予告通り、次の年のクリスマスには今度はちゃんと事前に連絡を寄越してパーティーに誘ったのだった。
以来、その聖夜の宴は毎年行われてきた。
「もう、五年も経つのかぁ……」
乾杯をしたグラスを空け、佳奈はシミジミと呟いた。
三人が揃って佳奈に視線を集中させる。
「敬さんいなくなってからは、六年だね……」
この毎年の恒例行事に、敬を亡くした痛みは少しずつ癒されていた。
そう、敬のことを、話題に出せるほどに。
「佳奈、敬さんのこと……」
優里が何かを問い掛けようとして、先の言葉を途切れさせる。何をどう言えばいいのか、迷ったのだ。
「大丈夫だよ、優里。私ね、もう大丈夫」
「佳奈……」
穏やかな笑みを浮かべ、佳奈が親友たちに視線を巡らせた。
ゆっくりと手にしていたナイフとフォークを置き、そのまま両手を膝の上で重ねる。
「……みんなに心配ばっかりかけて、ゴメンね。毎年こんな風にみんながいてくれたから、私かなり救われた」
「佳奈」
「正直最初は、そっとしといてよって、少し思っちゃったんだけど……」
申し訳なさそうに佳奈は苦笑を浮かべ、けれどすぐにまた、凪いだ海のような表情に戻る。
「あのね、敬さんのこと、私これからもずっと好きだと思うわ。敬さんが聞いたら、『さっさと俺を忘れて他にいい男見つけろ』って言うと思うけど、ね」
目を瞑ると、まだ思い出せる愛しい人の笑顔。どんな風にどんな言葉をくれるのかすら、思い描くことが出来る。
けれど、いつかそれも時間とともに薄れ、色褪せていくのだろうと佳奈にはわかっていた。
「結婚しないとか、誰も好きにならないとか、そんなコトは考えてない。確かに、一時はそれくらいネガティブになってたけど」
本当にそれくらい後ろ向きだった。それくらいに無我夢中で、敬のことが好きだった。
「だけど、それでも今はもう少しだけ、敬さんを想う気持ちを大切にしたいと思うの」
穏やかな表情のまま、佳奈はもう一度皆を見回す。そして、確かな意志を以て続けた。「自然に誰かを好きになれるまで」と。
「……そ、ならいいわ」
しばしの沈黙の後、あっさりそう言い放ったのは美帆だった。
「佳奈がそう思うならそれでいいんじゃない?」
優里も、静かに頷く。
「まぁ、佳奈のマイペースは今に始まったことじゃないしねぇ?」
呆れたように言いつつ、詠子は食事を再開する。
言葉だけ聞くと、ひどく突き放したように聞こえる。
けれど、三人が三人とも口で言うよりもずっと表情が優しい。
そんな風に押し付けすぎもせず、だからと言って放り出しているわけでもない女友達の存在が有り難かった。
「ありがとう……」
自然と浮かぶのは、感謝と、微かな雫。
「あー、詠子が泣かせたぁー!」
「えぇ!? 何でそこで私の所為になるわけ!?」
「日頃の行いでしょ?」
「ちょっとぉ、どういう意味よ、優里ー!」
涙ぐむ佳奈を余所に、三人がわいわいと盛り上がる。
その様子に佳奈は、泣きながらも微笑った。
賑やかなパーティーを終え、佳奈が自分のマンションに戻る頃には、日付はもう一日加算されていた。
荷物を置き、寝室に飾られた敬とともに映った写真を見つめる。
「……敬さん」
写真の中の敬は、六年前の姿のまま。
もう、年を重ねることはないのだけれど。
「誕生日、おめでとう」
それでも、呟く。
永遠に止まった愛しい人の生まれた日を、祝福して。
敬の命日としてより、敬がこの世に生を受けた日として、覚えていたいと思うから。
「敬さんが生まれてきてくれたこと、本当に良かった。敬さんと出逢えて、本当に良かったよ……」
たとえ、これから先、誰かを好きになっても。
たとえ、これから先、貴方が傍にいてくれなくても。
貴方と出逢えたことは、自分にとってかけがえのないものだから。
窓を開け、微かに煌く星たちを見上げて静かに願いをかける。
きっと、いつか、と――。畳む
#楽曲テーマ #過去ログ
Doesn't Fool catch cold?
過去のリレー小説『二重織』のログ
馬鹿は風邪を引くか引かないかという話
『バカ』は風邪をひかない。
それを否定して。
風邪は『バカ』がひくもんだ。
そう、君は笑った――。
*
「やばい、な……」
散らかり放題の部屋の中、怜はベッドに寝転がったまま見慣れた天井を見つめた。
とはいっても、実際には天井を見つめているわけではなく、ただぼんやりとした視線がその方向を向いているというだけだ。
ガンガンと響くように痛む頭。不愉快な悪寒が背中にはりつき、喉の奥がいがいがとした違和感を持っている。
明らかに、『風邪の諸症状』と思われるそれらに、思わず眉間に皺が寄った。
今受けているテープライターの仕事は締め切りが近い。
集中しないと出来ない仕事にも関わらず、こうも頭が痛いと集中など出来るはずもなかった。当然、仕事は遅れるだろう。
そしてそれよりも顔を顰めてしまう原因は。
「……斎に馬鹿にされる」
怜の痛む頭の中に、傍若無人な友人が腹を抱え、自分を指差し、爆笑する姿が思い浮かんだ。
何故なら、つい先日斎とかわしたやりとりがあったからだ。
「バカは風邪ひかんゆーけど、健康管理もちゃんと出来んようなヤツの方が、よっぽどバカやと思わん?」
斎が怜と一緒にご飯を食べながら発した一言だった。
たまたまつけていたテレビが、健康に関する情報番組で、その時の特集が風邪だったことに端は発している。
珍しく斎がまともなことを言うと同意すると、その瞬間にニタリと笑って斎は高らかに宣言した。
「ほな、ウチよか怜ちゃんの方がバカやな。はい、怜ちゃんバカ決定ー!」
あまりにも突然決めつけられ、怜は当然ムッとしてすぐさま反論に転じた。
「……何でそうなるんさ? 斎だっていっとき風邪ひきまくってただろうに」
「今はあんましひかんやん? 怜ちゃんなんか、毎月ひいてるやんか」
「今月はまだひいてない」
「ほな、今月風邪ひいたらバカやって認めるん?」
「いいけど、逆に斎が風邪ひいたら、そっちがバカ決定だからな」
「よっしゃ! 勝負や、怜ちゃん!」
斎のペースにはめられてしまった自分は、風邪をひかなくてもバカだと今さらながらに怜は自覚した。
よく考えなくても、怜と斎では圧倒的に斎の方が健康優良児――というよりもむしろ野性児だ。
一時斎がよく風邪をひいていたというのも、バイトの掛けもちと学校での課題に追われていて、極度に睡眠や食事を削った結果であり、バイトの一本化と課題の終了以降は風邪どころか体調不良の欠片も見えない。
それに引き換え、怜は体調をよく崩す。
家に引き籠っているから体力自体も衰えているだろうし、仕事でのストレスも多い。ストレスが素直に体調に反映されやすいのも大きいだろう。
「健全な魂は健全な肉体に宿る、とか言うよなぁ……」
ということは、自分は健全じゃないのか、と苦笑すると同時に。
「あったり前やん! 怜ちゃんみたいな腹黒が健全なわけないやろ?」とツッコむ斎の声が聞こえてくるような気がして、プッと小さく噴き出してしまった。
「……怜ちゃん、何一人で笑っとるん?」
「…………は?」
幻聴でも何でもなく、確かに聞こえてきた斎の声に怜は驚いて身を起こす。その瞬間頭痛がひどくなったのだが、それよりも声の正体を確かめる方が重要だった。
いつの間に現れたのやら、部屋の入口に斎が立っている。その手には、二十四時間営業のスーパーの袋を提げていた。
「斎、いつ来たの?」
「さっき。ピンポン鳴らしたけど出てこんから勝手に上がったわ」
「鳴らした?」
「鳴らんかった?」
「……聞いてない」
頭が痛すぎてわからなかったのか、それとも意識がぼーっとしていて気付かなかったのか、はたまたその両方か。どちらにしろ怜の記憶には玄関チャイムが鳴った記憶がなかった。
「ほなアレやな。チャイムさんの機嫌が悪かってん。ウチ、機械と相性悪いし」
妙な納得をしながら、斎は一人うんうんと頷く。
いつもより大人しい斎を珍しいなと思っていると、斎は徐にスーパーの袋を漁りだし、中から小さなカップを取り出した。
見るとそれは、フルーツ入りのヨーグルトだ。
「ま、食っとき」
「は? 相変わらず突発的な……」
「どうせ何も食べてへんのやろ? そんなんやったら薬も飲まれへんやん」
斎の言葉に、思わず怜は目が点になった。
(……斎に何か言ったっけ?)
疑問に思い、今日一日の自分の行動を振り返ってみる。
昨夜は斎と二人でオールナイトカラオケだった。
斎が名倉も誘ったのだが、仕事を理由に断りと謝罪を寄越したので、結局二人だけで行くことになったのだ。
散々二人で飲み、食い、歌った後、空も明るくなった頃にそれぞれの家へと帰宅した。
疲れていた怜は、そのままベッドに倒れこみ、一瞬で意識を失った。
目が覚めたのは、もう昼もだいぶ過ぎた頃。
その時には既に気だるく、やたらと乾く喉を潤す為にミネラルウォーターをがぶ飲みした。
それから、残っている仕事をしようとパソコンを立ち上げたのだが、どうにも頭がぼーっとして集中出来ない。
眠気覚ましに淹れたコーヒーもひどく不味く感じて、結局流しに捨ててしまった。
その時点で、自分の体調の悪さに拙いと思い始めたのだ。
仕事が進まないのを気にしつつも、またベッドに戻り横になったのは、そのすぐ後。
そのまま気付かぬうちにウトウトと微睡み、次に目が覚め時には、もう外は真っ暗になっていた。
それから体を動かすのも億劫で、ベッドでボンヤリ過ごしているうちに斎が来てしまったわけである。
つまり、どう考えても斎が怜の体調不良を知るはずもないのだ。けれど、現実として、斎は目の前にいて、怜の体調が悪いことを見越してきたような印象がある。
「怜ちゃん、食欲あるー?」
「……ないこともない」
「ほな、斎ちゃん特製の激ウマ雑炊を作ってしんぜよう」
何だかやたらと楽しそうに、斎は買い物袋を持って台所へと向かっていく。
よろめきながらも、怜はその後を追った。
「斎」
「何やぁ? 雑炊よりもうどん派か? やっぱり名古屋は味噌煮込みうどんか!? あかんでー、あんな濃いもん具合悪い時に食ったらー」
「食うか! ……ったぁ……」
能天気に全く違う方向へ話を持っていく斎に、思わずいつも通りのツッコミを入れた瞬間、怜は頭を抱えてしゃがみこんだ。
その様子に斎は呆れたような、けれどそれでもどこか嬉しそうな意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほらほら、『おバカ』な怜ちゃん、ちゃんと横になっとらなアカンで?」
「……誰の所為だ……」
力のない悪態を残し、怜はベッドへと戻り、体を横にした。
それだけで強く痛む頭痛が少しだけ和らぐ。
斎はというと、昨日さんざん歌ったにも関わらず、気分良さそうに歌を歌いながら野菜を刻んでいた。
「……なあ、斎」
「何やぁ?」
「何で自分が具合悪いのわかったんさー」
「昨日から怜ちゃんの声おかしかったやーん」
「おかしかった、っけ……?」
確かに、歌っている途中から声が涸れ始めたのは自覚があった。しかし、二人でオールナイトカラオケなどという無謀なことをしたのならば、当然の結末だと怜は思っていたのだ。
しかし、斎はそうは思わなかったらしい。当の斎本人が喉を潰していないからかもしれない。
「それに、昨日いきなり寒なったやろ? んでもって、喉を痛め、仕事で疲れ切った上にオールまでした『おバカさん』は元々の虚弱体質も手伝って、絶対風邪ひいてるやろうなぁと思ってなー」
わざと斎は『おバカさん』の部分だけ強調してそう説明した。
ついこの間の勝負のことを覚えていて、わざと連呼しているのだ。
怜の体調の悪い今この時こそが、日頃の怜の仕打ちに対して報復できる唯一のチャンスといってもいいからだ。
だから、思わず歌ってしまうほど機嫌がいい。
反対に、怜の方が斎の機嫌の良さに腹が立つばかりである。
「名推理やろ? さすが斎ちゃんはミステリー好きやなぁ」
「どこが推理だ」
「当たっとるやろ。怜ちゃん、ほっといたら絶対まともなもん食べんと無理に仕事して悪化させるに決まっとるんやから!」
怜の不機嫌な反論に、斎は更に力強い反論で返した。その言葉の後半には心配の色も滲んでいて、怜は口を噤んだ。
確かに、ただでさえダルい体で食事を作る気なんて起きるはずもないし、かといって外で食事をするのも億劫だろう。
そうなった自分の行動としては、適当に家の中にあるもので食い繋ぎ、とりあえず締切まで持ちこたえる。そうするだろう、間違いなく。
そんな怜の行動の予測して、斎はわざわざ食事を作りに来たのだ。
ベッドに寝転がりながら、楽しげな斎の背中を見つめ、
「ちゃんと食べられるもの所望」
少しばかり悔しさを覚えつつそう投げかける怜に、
「何言うとんねん。バイト先の女の子には『嫁にしたいスタッフNo.1』って言われとるんやで?」
ケタケタと笑いながら答える斎。
「女の子にかい、斎ちゃん」
「せやでー。女の子にモッテモテやねん。妬けるぅ?」
「妬く意味がわからんでしょ」
呆れて冷たく言うものの、怜の口元には笑みが浮かんでいた。
病気の時に誰かがいてくれるということは、本当にありがたい。それは一人暮らしをしている人間には尚更身に染みるのだ。
会話の間にも斎は手際よく調理を終え、湯気とともに良い香りを漂わせている鍋をコタツの上へと持ってきた。
それから食器を用意し、茶碗にたっぷりと雑炊をよそうとそれを怜の方へと差し出す。
怜は頭に響かないようにゆっくりと上体を起こし、落とさないように注意深く茶碗を受け取った。
「斎は風邪ひいたらちゃんと怜さん呼びなさいよ」
「えー? 呼ばんでも来てやー」
「それはどうやって知るのかな、斎ちゃん」
「んーと、黒電波?」
斎らしからぬ可愛らしい仕草で小首を傾げる。
と、二人同時にプッとふき出し、声を上げて笑い出した。
しばらく笑い続けた後、せっかくの出来たて雑炊が冷めてしまうのも勿体ないので、ありがたく頂くことにする。
ダシがしっかりと利いていて、ネギや鶏、卵の入った栄養満点の雑炊を頬張りながら、怜はぼんやりと考える。
(『病は気から』か……)
その言葉通り、心なしか体が楽になった気がする。
それは気の所為でしかないのかもしれないけれど、斎がいることで気が紛れるのは確かだった。
(ま、斎自体がある意味病原体だし?)
毒を以て毒を制するようなものだと思い、くすりと小さく笑みを零す。斎がそれに訝しげに首を傾げるのに、怜は何でもないと誤魔化したのだった。
その、数日後。
「いやぁ、本当にバカは風邪ひかないってのは大嘘だよねー、斎ちゃん」
「……るさいで、怜ちゃん……」
ベッドに横になった斎が、ガラガラに荒れた声で反論する。
その声に力はないが、目だけは恨めしそうに怜を睨んでいた。
「ひどいなぁ。『おバカ』な斎ちゃんをわざわざ看病する為に来てあげた優しい怜さんに、感謝の言葉はないのかい?」
「……怜ちゃん、何でウチが風邪やってわかったん?」
「んー? 黒電波?」
数日前に斎がやったのと全く同じ仕草で怜は返す。
けれど、本当は単純な理由。
風邪ひきの怜とあれだけ一緒にいて、更には怜の食べ残した雑炊を「ならウチが食う」と綺麗に平らげた。この時点で空気感染と経口感染である。
それから斎はバイトが八連勤なのだと言っていた。その間、当然学校もあるわけで、睡眠時間も十分でなく疲労も溜まっているはず。
そんな状態で体調を崩さないわけがないだろうと怜は思ったのだ。
「だから風邪感染るぞーって言ったのに……」
「大丈夫やって思ってんもん」
「バーカバーカ」
「怜ちゃんに感染して治しちゃる!」
「そしたらまた怜さんの看病だってわかってる?」
「う……、エンドレスや……」
がっくりと息絶えるふりをする斎。そしてまたも二人で笑い出す。
これでは結局二人してバカ決定だ。
けれど、それでもいいかと、バカ二人はしばらくそのまま笑い続けた。
*
風邪は『バカ』がひくもんだ。
しかも交代でひいてりゃ世話はない。
けれど、君が温かさを分けてくれるのなら、 『バカ』もたまには、いいもんかもな――。畳む
#二重織 #過去ログ
過去のリレー小説『二重織』のログ
馬鹿は風邪を引くか引かないかという話
『バカ』は風邪をひかない。
それを否定して。
風邪は『バカ』がひくもんだ。
そう、君は笑った――。
*
「やばい、な……」
散らかり放題の部屋の中、怜はベッドに寝転がったまま見慣れた天井を見つめた。
とはいっても、実際には天井を見つめているわけではなく、ただぼんやりとした視線がその方向を向いているというだけだ。
ガンガンと響くように痛む頭。不愉快な悪寒が背中にはりつき、喉の奥がいがいがとした違和感を持っている。
明らかに、『風邪の諸症状』と思われるそれらに、思わず眉間に皺が寄った。
今受けているテープライターの仕事は締め切りが近い。
集中しないと出来ない仕事にも関わらず、こうも頭が痛いと集中など出来るはずもなかった。当然、仕事は遅れるだろう。
そしてそれよりも顔を顰めてしまう原因は。
「……斎に馬鹿にされる」
怜の痛む頭の中に、傍若無人な友人が腹を抱え、自分を指差し、爆笑する姿が思い浮かんだ。
何故なら、つい先日斎とかわしたやりとりがあったからだ。
「バカは風邪ひかんゆーけど、健康管理もちゃんと出来んようなヤツの方が、よっぽどバカやと思わん?」
斎が怜と一緒にご飯を食べながら発した一言だった。
たまたまつけていたテレビが、健康に関する情報番組で、その時の特集が風邪だったことに端は発している。
珍しく斎がまともなことを言うと同意すると、その瞬間にニタリと笑って斎は高らかに宣言した。
「ほな、ウチよか怜ちゃんの方がバカやな。はい、怜ちゃんバカ決定ー!」
あまりにも突然決めつけられ、怜は当然ムッとしてすぐさま反論に転じた。
「……何でそうなるんさ? 斎だっていっとき風邪ひきまくってただろうに」
「今はあんましひかんやん? 怜ちゃんなんか、毎月ひいてるやんか」
「今月はまだひいてない」
「ほな、今月風邪ひいたらバカやって認めるん?」
「いいけど、逆に斎が風邪ひいたら、そっちがバカ決定だからな」
「よっしゃ! 勝負や、怜ちゃん!」
斎のペースにはめられてしまった自分は、風邪をひかなくてもバカだと今さらながらに怜は自覚した。
よく考えなくても、怜と斎では圧倒的に斎の方が健康優良児――というよりもむしろ野性児だ。
一時斎がよく風邪をひいていたというのも、バイトの掛けもちと学校での課題に追われていて、極度に睡眠や食事を削った結果であり、バイトの一本化と課題の終了以降は風邪どころか体調不良の欠片も見えない。
それに引き換え、怜は体調をよく崩す。
家に引き籠っているから体力自体も衰えているだろうし、仕事でのストレスも多い。ストレスが素直に体調に反映されやすいのも大きいだろう。
「健全な魂は健全な肉体に宿る、とか言うよなぁ……」
ということは、自分は健全じゃないのか、と苦笑すると同時に。
「あったり前やん! 怜ちゃんみたいな腹黒が健全なわけないやろ?」とツッコむ斎の声が聞こえてくるような気がして、プッと小さく噴き出してしまった。
「……怜ちゃん、何一人で笑っとるん?」
「…………は?」
幻聴でも何でもなく、確かに聞こえてきた斎の声に怜は驚いて身を起こす。その瞬間頭痛がひどくなったのだが、それよりも声の正体を確かめる方が重要だった。
いつの間に現れたのやら、部屋の入口に斎が立っている。その手には、二十四時間営業のスーパーの袋を提げていた。
「斎、いつ来たの?」
「さっき。ピンポン鳴らしたけど出てこんから勝手に上がったわ」
「鳴らした?」
「鳴らんかった?」
「……聞いてない」
頭が痛すぎてわからなかったのか、それとも意識がぼーっとしていて気付かなかったのか、はたまたその両方か。どちらにしろ怜の記憶には玄関チャイムが鳴った記憶がなかった。
「ほなアレやな。チャイムさんの機嫌が悪かってん。ウチ、機械と相性悪いし」
妙な納得をしながら、斎は一人うんうんと頷く。
いつもより大人しい斎を珍しいなと思っていると、斎は徐にスーパーの袋を漁りだし、中から小さなカップを取り出した。
見るとそれは、フルーツ入りのヨーグルトだ。
「ま、食っとき」
「は? 相変わらず突発的な……」
「どうせ何も食べてへんのやろ? そんなんやったら薬も飲まれへんやん」
斎の言葉に、思わず怜は目が点になった。
(……斎に何か言ったっけ?)
疑問に思い、今日一日の自分の行動を振り返ってみる。
昨夜は斎と二人でオールナイトカラオケだった。
斎が名倉も誘ったのだが、仕事を理由に断りと謝罪を寄越したので、結局二人だけで行くことになったのだ。
散々二人で飲み、食い、歌った後、空も明るくなった頃にそれぞれの家へと帰宅した。
疲れていた怜は、そのままベッドに倒れこみ、一瞬で意識を失った。
目が覚めたのは、もう昼もだいぶ過ぎた頃。
その時には既に気だるく、やたらと乾く喉を潤す為にミネラルウォーターをがぶ飲みした。
それから、残っている仕事をしようとパソコンを立ち上げたのだが、どうにも頭がぼーっとして集中出来ない。
眠気覚ましに淹れたコーヒーもひどく不味く感じて、結局流しに捨ててしまった。
その時点で、自分の体調の悪さに拙いと思い始めたのだ。
仕事が進まないのを気にしつつも、またベッドに戻り横になったのは、そのすぐ後。
そのまま気付かぬうちにウトウトと微睡み、次に目が覚め時には、もう外は真っ暗になっていた。
それから体を動かすのも億劫で、ベッドでボンヤリ過ごしているうちに斎が来てしまったわけである。
つまり、どう考えても斎が怜の体調不良を知るはずもないのだ。けれど、現実として、斎は目の前にいて、怜の体調が悪いことを見越してきたような印象がある。
「怜ちゃん、食欲あるー?」
「……ないこともない」
「ほな、斎ちゃん特製の激ウマ雑炊を作ってしんぜよう」
何だかやたらと楽しそうに、斎は買い物袋を持って台所へと向かっていく。
よろめきながらも、怜はその後を追った。
「斎」
「何やぁ? 雑炊よりもうどん派か? やっぱり名古屋は味噌煮込みうどんか!? あかんでー、あんな濃いもん具合悪い時に食ったらー」
「食うか! ……ったぁ……」
能天気に全く違う方向へ話を持っていく斎に、思わずいつも通りのツッコミを入れた瞬間、怜は頭を抱えてしゃがみこんだ。
その様子に斎は呆れたような、けれどそれでもどこか嬉しそうな意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほらほら、『おバカ』な怜ちゃん、ちゃんと横になっとらなアカンで?」
「……誰の所為だ……」
力のない悪態を残し、怜はベッドへと戻り、体を横にした。
それだけで強く痛む頭痛が少しだけ和らぐ。
斎はというと、昨日さんざん歌ったにも関わらず、気分良さそうに歌を歌いながら野菜を刻んでいた。
「……なあ、斎」
「何やぁ?」
「何で自分が具合悪いのわかったんさー」
「昨日から怜ちゃんの声おかしかったやーん」
「おかしかった、っけ……?」
確かに、歌っている途中から声が涸れ始めたのは自覚があった。しかし、二人でオールナイトカラオケなどという無謀なことをしたのならば、当然の結末だと怜は思っていたのだ。
しかし、斎はそうは思わなかったらしい。当の斎本人が喉を潰していないからかもしれない。
「それに、昨日いきなり寒なったやろ? んでもって、喉を痛め、仕事で疲れ切った上にオールまでした『おバカさん』は元々の虚弱体質も手伝って、絶対風邪ひいてるやろうなぁと思ってなー」
わざと斎は『おバカさん』の部分だけ強調してそう説明した。
ついこの間の勝負のことを覚えていて、わざと連呼しているのだ。
怜の体調の悪い今この時こそが、日頃の怜の仕打ちに対して報復できる唯一のチャンスといってもいいからだ。
だから、思わず歌ってしまうほど機嫌がいい。
反対に、怜の方が斎の機嫌の良さに腹が立つばかりである。
「名推理やろ? さすが斎ちゃんはミステリー好きやなぁ」
「どこが推理だ」
「当たっとるやろ。怜ちゃん、ほっといたら絶対まともなもん食べんと無理に仕事して悪化させるに決まっとるんやから!」
怜の不機嫌な反論に、斎は更に力強い反論で返した。その言葉の後半には心配の色も滲んでいて、怜は口を噤んだ。
確かに、ただでさえダルい体で食事を作る気なんて起きるはずもないし、かといって外で食事をするのも億劫だろう。
そうなった自分の行動としては、適当に家の中にあるもので食い繋ぎ、とりあえず締切まで持ちこたえる。そうするだろう、間違いなく。
そんな怜の行動の予測して、斎はわざわざ食事を作りに来たのだ。
ベッドに寝転がりながら、楽しげな斎の背中を見つめ、
「ちゃんと食べられるもの所望」
少しばかり悔しさを覚えつつそう投げかける怜に、
「何言うとんねん。バイト先の女の子には『嫁にしたいスタッフNo.1』って言われとるんやで?」
ケタケタと笑いながら答える斎。
「女の子にかい、斎ちゃん」
「せやでー。女の子にモッテモテやねん。妬けるぅ?」
「妬く意味がわからんでしょ」
呆れて冷たく言うものの、怜の口元には笑みが浮かんでいた。
病気の時に誰かがいてくれるということは、本当にありがたい。それは一人暮らしをしている人間には尚更身に染みるのだ。
会話の間にも斎は手際よく調理を終え、湯気とともに良い香りを漂わせている鍋をコタツの上へと持ってきた。
それから食器を用意し、茶碗にたっぷりと雑炊をよそうとそれを怜の方へと差し出す。
怜は頭に響かないようにゆっくりと上体を起こし、落とさないように注意深く茶碗を受け取った。
「斎は風邪ひいたらちゃんと怜さん呼びなさいよ」
「えー? 呼ばんでも来てやー」
「それはどうやって知るのかな、斎ちゃん」
「んーと、黒電波?」
斎らしからぬ可愛らしい仕草で小首を傾げる。
と、二人同時にプッとふき出し、声を上げて笑い出した。
しばらく笑い続けた後、せっかくの出来たて雑炊が冷めてしまうのも勿体ないので、ありがたく頂くことにする。
ダシがしっかりと利いていて、ネギや鶏、卵の入った栄養満点の雑炊を頬張りながら、怜はぼんやりと考える。
(『病は気から』か……)
その言葉通り、心なしか体が楽になった気がする。
それは気の所為でしかないのかもしれないけれど、斎がいることで気が紛れるのは確かだった。
(ま、斎自体がある意味病原体だし?)
毒を以て毒を制するようなものだと思い、くすりと小さく笑みを零す。斎がそれに訝しげに首を傾げるのに、怜は何でもないと誤魔化したのだった。
その、数日後。
「いやぁ、本当にバカは風邪ひかないってのは大嘘だよねー、斎ちゃん」
「……るさいで、怜ちゃん……」
ベッドに横になった斎が、ガラガラに荒れた声で反論する。
その声に力はないが、目だけは恨めしそうに怜を睨んでいた。
「ひどいなぁ。『おバカ』な斎ちゃんをわざわざ看病する為に来てあげた優しい怜さんに、感謝の言葉はないのかい?」
「……怜ちゃん、何でウチが風邪やってわかったん?」
「んー? 黒電波?」
数日前に斎がやったのと全く同じ仕草で怜は返す。
けれど、本当は単純な理由。
風邪ひきの怜とあれだけ一緒にいて、更には怜の食べ残した雑炊を「ならウチが食う」と綺麗に平らげた。この時点で空気感染と経口感染である。
それから斎はバイトが八連勤なのだと言っていた。その間、当然学校もあるわけで、睡眠時間も十分でなく疲労も溜まっているはず。
そんな状態で体調を崩さないわけがないだろうと怜は思ったのだ。
「だから風邪感染るぞーって言ったのに……」
「大丈夫やって思ってんもん」
「バーカバーカ」
「怜ちゃんに感染して治しちゃる!」
「そしたらまた怜さんの看病だってわかってる?」
「う……、エンドレスや……」
がっくりと息絶えるふりをする斎。そしてまたも二人で笑い出す。
これでは結局二人してバカ決定だ。
けれど、それでもいいかと、バカ二人はしばらくそのまま笑い続けた。
*
風邪は『バカ』がひくもんだ。
しかも交代でひいてりゃ世話はない。
けれど、君が温かさを分けてくれるのなら、 『バカ』もたまには、いいもんかもな――。畳む
#二重織 #過去ログ
Be listened to your song
過去のリレー小説『二重織』のログ
怜と斎がカラオケに行こうという話
頭の中で、ノイズが響く。
かきむしるように渦巻くソレに、苛まれては瞳を閉じる。
『音』など、無くなってしまえ――。
*
「本当に鬱陶しいです」
怜の家に来るなり、開口一番に放った斎の台詞がそれだった。
いつもの方言はどこへいったのやら、何故か標準語である斎。
『不機嫌』 柴田斎科 バイト終了後属
特徴――毒性が通常時の二倍増
斎事典作ったならば、きっとこんな感じだろうとくだらないことを考えながら、怜は苦笑を浮かべて斎を出迎えた。
「今日は何があったんだぁ? 客か?」
「客もバイトも社員も! ホンマ、使えへんヤツばっかりやし……!」
愚痴りながら斎は勝手に怜のベッドへと倒れ込んだ。
怜はそんな斎の横たわるベッドにもたれかかって腰を下ろし、新しい煙草に火をつける。
斎のバイト終了後の襲撃は、もはや日常化している。更に言えば、こんな風に不機嫌全開で来ることも怜にとっては慣れたものだった。
すでにベテランと呼ばれる立場の斎は、バイトで過密なシフトを押し付けられることもしばしばある。そのおかげでいくら無駄に元気な斎とはいえ疲れは溜まるもので、それと比例して不機嫌メーターも上昇していくのだ。
それがもとで怜に八つ当たりをすることも何度かあった。
「うっさいわ、ホンマ……」
心底鬱陶しそうに斎が呟く。そう愚痴を零しはするのだが、仕事で何があったのかを斎はあまり怜には話さなかった。
互いの仕事の分野が違い過ぎるからという配慮なのだろうと怜は納得している。
だから怜は無理に聞き出そうとはせずに、別の話題で気を紛らわせてやる方法をいつも採るのだった。
「なぁ、斎。前にカラオケ行ってからどれくらい経つ?」
「カラオケぇ? あーっと、三週間くらい、ちゃうかな」
「んじゃそろそろアレだろう。禁断症状」
「……せやなぁ」
苦笑まじりの同意が返る。
歌うことは斎にとってストレス解消の重要な手段で、多い時には三日に一度くらいカラオケに行っていた。もちろん、カラオケに行かなくても常日 頃からよく歌っている。台所で食事を作ったり洗い物をしたりしながら歌っている斎を見て、本当に歌が好きなんだなとつくづく感心したことが怜には何度も あったのだ。
そんな斎が最近カラオケに行っていないことは間違いなくストレスを溜める原因にもなっているのだろうと推測した。いくら日常で歌っているからとはいえ、やはりマイクを持っての熱唱とはわけが違うからだ。
「しかもあれやん。そのカラオケ、バイトの面子で行ったし」
「余計ストレス溜まるって?」
「聴くに耐えへんヤツおるからな」
顔を顰めて斎は失礼な発言を躊躇いなく吐いた。
基本的に斎は歌の下手な相手とカラオケに行くのを嫌う。音が外れているのが、気になって仕方ないからだ。
自分で歌っていても、たまに音を外すと舌打ちするくらいだから、必要以上に完璧主義なのだろうと怜は分析する。
更に言うと、斎の父親は歌を教える立場にあると怜は聞いていた。だから余計に耳がいい。
「音外してたらただの雑音やん」
「ま、そりゃそうだ」
「だぁーっ! 怜ちゃんがカラオケとか言うから歌いたなってきたやんか!」
「こんな時間に声張りあげないように」
ただでさえ斎の声は通るから、と怜が穏やかに黒い笑みで釘を刺す。
(そう言う怜ちゃんもこんな時間に音楽流しとるやん)
そう思ったのだが、それを口にしたら後の報復が怖いと思い、斎は何も言わずにおくことにする。
一瞬訪れた静寂に、静かなイントロの曲が流れ始めた。エレキギターとアコースティックギターの重なり合った旋律が美しい曲だ。
「あー、この曲好き」
曲に気が付いた斎が、部屋に流れる静かなメロディーを口ずさんだ。
歌うというよりも、呟くように。
たった、1フレーズだけ。
切なげな声で歌い上げる女性ボーカルに、斎の歌声が重なる。
「……これに近いこと思っとった時期もあったなぁ」
天井を仰いで、斎はもう一度、そのフレーズを呟く。
歌好きな斎がどんな想いでその歌詞を聴いたのか。
ふと浮かんだ思いを口にしかけて、怜はすぐに飲み込む。
代わりに、別の質問を投げかけた。
「斎ちゃんはそんな歌バカだったんですかー?」
「え? ウチ、ケン様やったん?」
「そんなボケはいらん!」
茶化しつつも真面目さも残して訊いた怜は、ツッコミつつも自分の浅はかさを呪った。
斎はどんなときでもボケる精神を忘れない。更に言うと、自分の気持ちを他者に知られまいとする時には意図してボケるのだ。
他人と、自分を誤魔化すために。
溜め息とともに紫煙を吐き出す怜に、くくっと斎は喉の奥で笑った。
妙に自嘲的な笑い方に気づいた怜は、煙草をもみ消し、斎に振り返る。
「おまえ、大丈夫?」
「何が? 頭?」
「ん、まぁ、それも」
「それもかいっ!」
お約束なボケとツッコミに一通り笑った後、怜が真上から斎を見下ろす。
笑顔のまま。
目だけが、笑わないまま。
「つーか、マジで。ストレス、溜めすぎじゃない?」
「……貯蓄は大事やん?」
放り投げるように答えて、斎は瞳を閉じる。
怜はまた溜め息をつきつつ、本日何本目かも忘れた煙草に火をつけた。
「貯めるのは金だけにしといてね。んで、保険金の受取人は怜さんで」
「いやーん、怜ちゃん、鬼畜ぅ」
「鬼畜好きな鬼畜には言われたくないなぁ、斎ちゃん」
視覚が閉ざされていても、斎には声音だけでわかる。
銜え煙草のまま、にっこりと非の打ち所のない笑みを浮かべているだろう怜が。
そしてそれは、目にしていたらきっと恐ろしいと感じる類のものであることも。
こういうときの怜に逆らってもろくなことはないと、斎は身をもって理解している。
だから、採るべき行動は限られていて。
「……なぁ、怜ちゃん」
「何だい、斎ちゃん」
「明日、カラオケ行こか」
あまりにも突然な話の流れに、思わず怜の口から煙草が零れそうになり、慌てて銜え直す。
カラオケの話をしていたことは確かだが、それにしても唐突だった。
何も返せずにいる怜に、斎は更に続ける。
「んで、歌って」
短く、簡潔に。
そう言って、微笑った。
目を、閉じたままで。
「は? 斎が歌いたいんだろうに」
「当然歌うけど、怜ちゃんの歌が聴きたいなぁと」
「何で?」
「いっつもあんまり歌わんやん」
「まぁ、そうだけど」
確かに、いつも怜はあまり歌わない。
それは斎が次々に自分の歌う曲を入れる所為もあるのだが、それだけではなかった。
そんな考えに耽る怜の耳に、
「雑音聴くより、怜の声のがええわ……」
そんな斎の笑み声が届いた。
ベッドを覗くと、いつものような、悪戯っぽい顔で笑う斎がまっすぐな視線を寄越す。
「……口説き文句?」
「愛が溢れてるやろ?」
「返品お願いします」
「生憎、クーリングオフ期間が過ぎておりますので……」
コテコテに作り上げた、営業用の声とスマイルで返す斎に、思わず怜は噴き出しそうになる。
いつもの斎らしさが戻ったことに安心しつつ、けれどそれは表情には出さずに。
「悪徳押し売り業者か、おまえは」
呆れたような声を出した。
「こんなゼンリョウな人間捕まえて何言うねん」
「『善良』の意味を知ってますか、柴田斎さん」
「当たり前やん。怜ちゃんのことちゃういうんは確かやな」
「ああ、確かに」
「認めるんかい!?」
いつも通りのバカなやりとりが始まる。
そこにある、互いの声に、ほっとする。
「なぁ」
「ん?」
「音はあったほうがええなぁ」
斎が何を言いたいのか、なんとなくで察して怜は苦笑する。
どうして、この唯我独尊な友人は、こう言葉を省略するのかとは思いつつ。
けれど、それでも自分にはわかるのだから問題ないかと思い直した。
「今のうちに、明日歌う歌考えといてなぁ。ナクちゃんには連絡しとくしぃ」
そう言ってさっさと寝る態勢に入る斎に、またも斎の強引な誘いを受けるだろうもう一人の友人に内心同情する。わかったとだけ答え、怜は短くなった煙草を揉み消し、いつの間にか止まっていた音楽プレーヤーの電源を落とした。
仕事と学校で疲れていた斎が、早くも寝息を立て始める。
それをBGM代りに、怜はそっと部屋の照明を落とし、
「怜さんも、斎ちゃんの声聴いてる方がいいんだけどね……」
聞こえていないとわかっているからこそ言える言葉を、小さく零した。
日常の鬱陶しい雑音よりも。
耳に心地いい、歌声が。
心に響く、歌声が。
何よりも、救いになるから。
*
頭の中で、響くノイズ。
ソレをかき消す、君の声。
どんな『音』より 鮮明で 透明で 瞳を閉じて、耳を澄ます。
『音』も君も あるから私は私でいられる――。 畳む
#二重織 #過去ログ
過去のリレー小説『二重織』のログ
怜と斎がカラオケに行こうという話
頭の中で、ノイズが響く。
かきむしるように渦巻くソレに、苛まれては瞳を閉じる。
『音』など、無くなってしまえ――。
*
「本当に鬱陶しいです」
怜の家に来るなり、開口一番に放った斎の台詞がそれだった。
いつもの方言はどこへいったのやら、何故か標準語である斎。
『不機嫌』 柴田斎科 バイト終了後属
特徴――毒性が通常時の二倍増
斎事典作ったならば、きっとこんな感じだろうとくだらないことを考えながら、怜は苦笑を浮かべて斎を出迎えた。
「今日は何があったんだぁ? 客か?」
「客もバイトも社員も! ホンマ、使えへんヤツばっかりやし……!」
愚痴りながら斎は勝手に怜のベッドへと倒れ込んだ。
怜はそんな斎の横たわるベッドにもたれかかって腰を下ろし、新しい煙草に火をつける。
斎のバイト終了後の襲撃は、もはや日常化している。更に言えば、こんな風に不機嫌全開で来ることも怜にとっては慣れたものだった。
すでにベテランと呼ばれる立場の斎は、バイトで過密なシフトを押し付けられることもしばしばある。そのおかげでいくら無駄に元気な斎とはいえ疲れは溜まるもので、それと比例して不機嫌メーターも上昇していくのだ。
それがもとで怜に八つ当たりをすることも何度かあった。
「うっさいわ、ホンマ……」
心底鬱陶しそうに斎が呟く。そう愚痴を零しはするのだが、仕事で何があったのかを斎はあまり怜には話さなかった。
互いの仕事の分野が違い過ぎるからという配慮なのだろうと怜は納得している。
だから怜は無理に聞き出そうとはせずに、別の話題で気を紛らわせてやる方法をいつも採るのだった。
「なぁ、斎。前にカラオケ行ってからどれくらい経つ?」
「カラオケぇ? あーっと、三週間くらい、ちゃうかな」
「んじゃそろそろアレだろう。禁断症状」
「……せやなぁ」
苦笑まじりの同意が返る。
歌うことは斎にとってストレス解消の重要な手段で、多い時には三日に一度くらいカラオケに行っていた。もちろん、カラオケに行かなくても常日 頃からよく歌っている。台所で食事を作ったり洗い物をしたりしながら歌っている斎を見て、本当に歌が好きなんだなとつくづく感心したことが怜には何度も あったのだ。
そんな斎が最近カラオケに行っていないことは間違いなくストレスを溜める原因にもなっているのだろうと推測した。いくら日常で歌っているからとはいえ、やはりマイクを持っての熱唱とはわけが違うからだ。
「しかもあれやん。そのカラオケ、バイトの面子で行ったし」
「余計ストレス溜まるって?」
「聴くに耐えへんヤツおるからな」
顔を顰めて斎は失礼な発言を躊躇いなく吐いた。
基本的に斎は歌の下手な相手とカラオケに行くのを嫌う。音が外れているのが、気になって仕方ないからだ。
自分で歌っていても、たまに音を外すと舌打ちするくらいだから、必要以上に完璧主義なのだろうと怜は分析する。
更に言うと、斎の父親は歌を教える立場にあると怜は聞いていた。だから余計に耳がいい。
「音外してたらただの雑音やん」
「ま、そりゃそうだ」
「だぁーっ! 怜ちゃんがカラオケとか言うから歌いたなってきたやんか!」
「こんな時間に声張りあげないように」
ただでさえ斎の声は通るから、と怜が穏やかに黒い笑みで釘を刺す。
(そう言う怜ちゃんもこんな時間に音楽流しとるやん)
そう思ったのだが、それを口にしたら後の報復が怖いと思い、斎は何も言わずにおくことにする。
一瞬訪れた静寂に、静かなイントロの曲が流れ始めた。エレキギターとアコースティックギターの重なり合った旋律が美しい曲だ。
「あー、この曲好き」
曲に気が付いた斎が、部屋に流れる静かなメロディーを口ずさんだ。
歌うというよりも、呟くように。
たった、1フレーズだけ。
切なげな声で歌い上げる女性ボーカルに、斎の歌声が重なる。
「……これに近いこと思っとった時期もあったなぁ」
天井を仰いで、斎はもう一度、そのフレーズを呟く。
歌好きな斎がどんな想いでその歌詞を聴いたのか。
ふと浮かんだ思いを口にしかけて、怜はすぐに飲み込む。
代わりに、別の質問を投げかけた。
「斎ちゃんはそんな歌バカだったんですかー?」
「え? ウチ、ケン様やったん?」
「そんなボケはいらん!」
茶化しつつも真面目さも残して訊いた怜は、ツッコミつつも自分の浅はかさを呪った。
斎はどんなときでもボケる精神を忘れない。更に言うと、自分の気持ちを他者に知られまいとする時には意図してボケるのだ。
他人と、自分を誤魔化すために。
溜め息とともに紫煙を吐き出す怜に、くくっと斎は喉の奥で笑った。
妙に自嘲的な笑い方に気づいた怜は、煙草をもみ消し、斎に振り返る。
「おまえ、大丈夫?」
「何が? 頭?」
「ん、まぁ、それも」
「それもかいっ!」
お約束なボケとツッコミに一通り笑った後、怜が真上から斎を見下ろす。
笑顔のまま。
目だけが、笑わないまま。
「つーか、マジで。ストレス、溜めすぎじゃない?」
「……貯蓄は大事やん?」
放り投げるように答えて、斎は瞳を閉じる。
怜はまた溜め息をつきつつ、本日何本目かも忘れた煙草に火をつけた。
「貯めるのは金だけにしといてね。んで、保険金の受取人は怜さんで」
「いやーん、怜ちゃん、鬼畜ぅ」
「鬼畜好きな鬼畜には言われたくないなぁ、斎ちゃん」
視覚が閉ざされていても、斎には声音だけでわかる。
銜え煙草のまま、にっこりと非の打ち所のない笑みを浮かべているだろう怜が。
そしてそれは、目にしていたらきっと恐ろしいと感じる類のものであることも。
こういうときの怜に逆らってもろくなことはないと、斎は身をもって理解している。
だから、採るべき行動は限られていて。
「……なぁ、怜ちゃん」
「何だい、斎ちゃん」
「明日、カラオケ行こか」
あまりにも突然な話の流れに、思わず怜の口から煙草が零れそうになり、慌てて銜え直す。
カラオケの話をしていたことは確かだが、それにしても唐突だった。
何も返せずにいる怜に、斎は更に続ける。
「んで、歌って」
短く、簡潔に。
そう言って、微笑った。
目を、閉じたままで。
「は? 斎が歌いたいんだろうに」
「当然歌うけど、怜ちゃんの歌が聴きたいなぁと」
「何で?」
「いっつもあんまり歌わんやん」
「まぁ、そうだけど」
確かに、いつも怜はあまり歌わない。
それは斎が次々に自分の歌う曲を入れる所為もあるのだが、それだけではなかった。
そんな考えに耽る怜の耳に、
「雑音聴くより、怜の声のがええわ……」
そんな斎の笑み声が届いた。
ベッドを覗くと、いつものような、悪戯っぽい顔で笑う斎がまっすぐな視線を寄越す。
「……口説き文句?」
「愛が溢れてるやろ?」
「返品お願いします」
「生憎、クーリングオフ期間が過ぎておりますので……」
コテコテに作り上げた、営業用の声とスマイルで返す斎に、思わず怜は噴き出しそうになる。
いつもの斎らしさが戻ったことに安心しつつ、けれどそれは表情には出さずに。
「悪徳押し売り業者か、おまえは」
呆れたような声を出した。
「こんなゼンリョウな人間捕まえて何言うねん」
「『善良』の意味を知ってますか、柴田斎さん」
「当たり前やん。怜ちゃんのことちゃういうんは確かやな」
「ああ、確かに」
「認めるんかい!?」
いつも通りのバカなやりとりが始まる。
そこにある、互いの声に、ほっとする。
「なぁ」
「ん?」
「音はあったほうがええなぁ」
斎が何を言いたいのか、なんとなくで察して怜は苦笑する。
どうして、この唯我独尊な友人は、こう言葉を省略するのかとは思いつつ。
けれど、それでも自分にはわかるのだから問題ないかと思い直した。
「今のうちに、明日歌う歌考えといてなぁ。ナクちゃんには連絡しとくしぃ」
そう言ってさっさと寝る態勢に入る斎に、またも斎の強引な誘いを受けるだろうもう一人の友人に内心同情する。わかったとだけ答え、怜は短くなった煙草を揉み消し、いつの間にか止まっていた音楽プレーヤーの電源を落とした。
仕事と学校で疲れていた斎が、早くも寝息を立て始める。
それをBGM代りに、怜はそっと部屋の照明を落とし、
「怜さんも、斎ちゃんの声聴いてる方がいいんだけどね……」
聞こえていないとわかっているからこそ言える言葉を、小さく零した。
日常の鬱陶しい雑音よりも。
耳に心地いい、歌声が。
心に響く、歌声が。
何よりも、救いになるから。
*
頭の中で、響くノイズ。
ソレをかき消す、君の声。
どんな『音』より 鮮明で 透明で 瞳を閉じて、耳を澄ます。
『音』も君も あるから私は私でいられる――。 畳む
#二重織 #過去ログ
Happy Birthday!
過去のリレー小説『二重織』のログ
怜の誕生日を祝う話
誕生日って、何を祝うの? ……今更だけど。
*
時計の針が真上で一つに重なる。時を示す数字はリセットされ、また新たに生まれ変わった日付へと移行した。
そんな時間帯。
ピンポーンとどこか間の抜けたインターホンの音がとあるマンションの一室に響いた。そして少し間隔を開けてから、今度はピンポンピンポン……と連打される。
こんな時間にこんな訪問の仕方をする相手に、青柳怜はたった一人しか心当たりがなかった。溜息まじりに、冷えた空気に満たされた玄関へと向かう。
サムターンをカタンと回すと、その音を耳聡く聴きとった玄関外の人物は、怜がドアノブを握るよりも先に、ドアを開けていた。
「寒いっちゅーねん! もっとはよ開けてーや!」
開口一番そう言い放ったその人物――柴田斎に対し、怜は無言で、そしてかなりの勢いでドアを本来あるべき位置に戻した。もちろん再度鍵をかけて。
途端に、ドアを壊しかねない勢いでドンドンと叩く音が聞こえてくる。もう既にノックなんて可愛らしい域ではなく、近所迷惑も甚だしい。
「ちょっ……! 怜ちゃん!? 何すんねん! 開けろー!」
「斎ちゃん、人にモノを頼む時は何て言うのかなー?」
ドア一枚隔てた場所で怜がそう訊ねる。
その口調はまるで小さな子供に話しかけるように優しげで、表情も笑みの形をとってはいた。しかし、斎にはその背後に黒々としたオーラが陽炎のように揺らめいているのが見えた。本人の姿は見えないのだが、しっかりと脳裏には思い浮かんだのだ。
拙いと本能的に察した斎は、すぐさまノックするのを辞める。
「……スミマセン。開けてください、お願いします」
「はい。よくできました」
そう言って満面の笑みで怜が斎を出迎えると、斎は感嘆するほどの素早さで部屋の中に滑り込み、真っ直ぐに奥の部屋にあるコタツへと潜り込んだ。
今は十二月。京都の冬は厳しいことでも有名だ。
寒い中歩いて怜の家まで来たことが、寒がりの斎には堪えたのだろう。
コタツ布団を肩まで持ち上げて暖を取ろうとする斎が、恨めしげな視線を怜へと送る。
「わざわざ寒い中来たった友達にする仕打ちがそれですか、怜ちゃん」
「別に怜さんは斎ちゃんに来てほしいなーとか言ってないけど?」
逆に言えば、普通は何の前触れもなく突然に押しかけられても迷惑極まりない。
相手が斎だから怜は許しているだけなのだ。
「怜ちゃんのことやから、忘れとるんやろ」
「は? 何を?」
忘れていると言われ、怜はここ数日の斎とのやりとりを思い返す。しかし、今日遊ぶ約束をした覚えはまったくなかった。思い当たる節を見つけられない様子の怜に、斎はアゴでコタツの上を示した。どうやら手を出すことすら嫌らしい。
示した先には、真っ白い、ケーキなどを入れるような持ち手のついた箱。
「何ソレ」
「ケーキ」
「ケーキ? こんな時間に食べたら太るだろうに」
「おいっ! 今日は誕生日やんか!」
斎がツッコミながら発したワンフレーズに、怜はしばしの間考え込み、ようやく状況を理解した。
「ああ、もう二十日だっけ」
指摘されるまで完全に忘れていた。
先ほど突入したばかりの『今日』は、十二月二十日。怜の二十三回目の誕生日だったのだ。
斎は怜の誕生日を祝うために訪ねてきたのだろう。
「コレ、買ってきたん? よくこんな時間にケーキ屋さんが開いてたなぁ」
「いや、作った」
「作った? 誰が?」
「可愛い可愛い斎ちゃんが」
「って、斎が!?」
「可愛いにツッコミできんくらい驚かんでもええやろ」
唖然として、怜はコタツにへばりつく斎を見つめ返した。
もともと斎は器用で料理などは得意としている。だから驚くことではないのかもしれないが、まさかケーキまで作れるとは思っていなかったのだ。
「お皿とフォークとグラス出してー」
「何で? お祝いしてくれんなら、準備もしてくれるもんでしょ、フツー」
「怜ちゃん家やんか」
「その怜さんの誕生日でしょうが」
祝ってくれる気がある人間の台詞とは到底思えなくてそう言うと、斎の目が点になった。
「何言うとるん?」
「いや、だから、本日は青柳怜さんのお誕生日でしょう? ってことは、接待されるのはこっちじゃないの? って言ってんの」
そこまで丁寧に説明をしなくてもわかりそうなものを、あえて怜は嫌味なくらい丁寧に答える。
しかし、斎には全く納得する様子がない。
「あんなぁ、怜ちゃん」
「何さぁ、斎ちゃん」
「誕生日ってもんは、誰の為にあると思っとるん?」
「当然、自分の誕生日は自分自身の為でしょうが」
「あぁっ、何と嘆かわしい……」
怜が答えた途端に、斎は芝居がかった口調と仕草で頭を抱えた。
一体いつの時代の人間だとツッコミを入れたくなるのを我慢して、怜は大きくため息をつく。
「斎、意味がまったくわからんのだけど」
「そんなん、怜ちゃんの誕生日はウチの為にあるに決まっとるやん」
さも当たり前のように、それが唯一の正解であるかのように、斎はそう言い放つ。
さすがの怜も、呆れてしばらく言葉が返せなかった。
どこをどう考えればそういった思考に辿り着くのか、全く見当がつかない。見当がつかないので、怜は斎の思考回路を理解しようとする行為を放棄した。
「まさか、このケーキも自分で食べたいからとか?」
「レシピ見て美味しそうやったしなー。あ、お酒はちゃんと『とっておき』持ってきたし」
自分の真横に置いていた紙袋を、斎は目線だけで示す。怜がちらりと中を覗くと、【国士無双】と銀色で書かれたラベルが見えた。
二人が共通して気に入っている銘柄である。しかも今回は地方限定発売のものらしかった。斎なりに気を遣った結果のセレクトなのだろう。
「ほら、はよ皿とフォークとグラス! あと包丁は、お湯で温めてな」
「はいはい、わかった、わかりましたよ」
斎の傍若無人さは今に始まったことではないので、怜は諦めて食器と包丁を用意する。
ケーキの箱を開けると、予想していたよりもずっと見事なケーキが入っていた。デコレーションはほとんどなく見た目は至ってシンプルなのだが、買ってきたものだと言われても信じてしまいそうなほどの出来映え。
せっかくだから、包丁を入れるのはもう少し後にしようと思い、先に酒の封を開けた。
それぞれのグラスに、透明な液体が注がれる。
「かんぱーい!」
「……乾杯」
「何やテンション低いなぁ」
「斎が無駄に高いだけ」
普通は「誕生日おめでとう」とか「ハッピーバースデー」とか言うもんじゃないか? と怜は心中で考えつつ、けれど実際斎にそんなことを言われても恥ずかしいだけだと思い直した。
しかし、そんなことを考えていたのが顔に出ていたのか、怜の考えを見透かすようにニヤリと斎が笑う。
「しゃあないなぁ。ほな、『誕生日』――」
「うわっ! 斎! サムイからやめんか!」
グラスを掲げて声高に叫ぼうとする斎を、怜は慌てて制した。
そんな怜に、斎は悪戯な笑みを浮かべる。
「ええやん、別に」
「この年で『誕生日おめでとう』もないと思わん?」
「ちゃうって」
「は?」
ひらひらと手を横に振って否定する斎に、怜は疑問全開の表情。
何が違うというのかがわからない。
「『誕生日おめでとう』とちゃうよ」
「じゃあ、何さ?」
まだわからないままの怜に、斎はニッと悪戯っぽい笑みを深める。
「さっき言うたやん? 誕生日は自分の為のものとちゃうって」
「あぁ」
「だから――」
斎がグラスを持ち上げ、怜にも倣うようにと促す。
訳のわからぬまま怜もグラスを手に取った。
それに斎はカチンと軽く触れ合わせ、
「『誕生日ありがとう』や」
「……『ありがとう』?」
その感謝を向ける相手が怜には分からない。斎はそれを察し、グイと国士無双をあおると、今度は柔らかく微笑んだ。
「年数える為に誕生日はあるんとちゃうやん? その人が生まれてきたことを、そんでもって今まで生きてきて出逢えたことを感謝する為にあるんとちゃうんかな?」
「斎……」
「ウチえぇこと言うたわー」
「それは自分で言わない方がいいと思うけどな」
ツッコミながらも、怜の頬は自然と緩む。
冗談ぽく茶化した言い方をする斎ではあったが、そこにはちゃんと本心が垣間見えているからだ。
そして、怜も心の中で小さく感謝する。
そんな友人と出逢えたことに。
「ちゅうことで、ウチの誕生日にはウチに感謝せなあかんで、怜ちゃん。あ、お酒はアレでええわ、【雪中梅】」
押しつけがましく斎の指定したのは、新潟県の有名な銘柄。そして斎のお気に入りベストスリーに入るものだった。
「……おまえ、自分の誕生日は自分の為か」
「当たり前やん」
即答する斎に、怜は反射的に黒い笑顔を浮かべていた。先ほどまで胸の内にあった感謝の気持ちを返してほしい気分になったのだ。
「こらこらー。さっき自分で何て言ったのか覚えているかいー?」
「んー。もう忘れたー」
「都合のいい脳味噌なのねー、斎ちゃん」
「そうそう、ホンマに忘れとった。もうそろそろナクちゃん来るしー」
「ナク?」
ナクとは二人の共通の友人・名倉優のことだ。斎ほど怜の家に入り浸ってはいないが、遊びに来る頻度は非常に高い。といってもその半分近くが斎に強引に拉致されたり、呼び出されたりした結果であった。どうやら今回もそうなのだろうと怜は見当をつける。
「来る前にメール入れといてん。『怜ちゃん家集合!』って」
「……本人に了承取ってからにしようね、斎」
「えー? そんなん面倒臭いやん」
「面倒臭いじゃなくて、ここの部屋の主は誰ですか」
「怜とウチとナク」
「連名にすんな!」
思わず怜がツッコミを入れた瞬間に、ピンポーンとインターホンが鳴り響いた。
ドアの外にいるのは、おそらく斎の予告通り、無理やり呼び出された友人なのだろう。
「ほら、怜ちゃんはナクちゃんのお出迎え。ウチはナクちゃんの分の食器用意しとくし」
「いつも思うが、自分とナクの扱い違わないか?」
「だってナクちゃん見とったらオカンな気分にならへん?」
「……まあ、わからんでもない」
「やろ? ほら、行った行った」
怜を玄関へと促して、斎は台所へと姿を消した。
一息ついて、怜は玄関へと向かいながらこれから始まるだろう宴にそっと笑みを浮かべる。 多分、今夜は夜通し飲み続けることになるのだろう。
好物の酒と、特製のビターチョコケーキと、そして居心地のいい友人たち。
そんな誕生日もいいと、またも怜の口元から笑みが零れる。 斎を出迎えた時とは違う柔和な笑みを伴って、怜はゆっくりと玄関のドアを開けた。
*
誰にともなく、感謝を向けて――。
生まれてきてくれて、ありがとう。
出逢ってくれて、ありがとう。
Happy Birthday! I’m thankful to your birth for my fate.畳む
#二重織 #過去ログ
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怜の誕生日を祝う話
誕生日って、何を祝うの? ……今更だけど。
*
時計の針が真上で一つに重なる。時を示す数字はリセットされ、また新たに生まれ変わった日付へと移行した。
そんな時間帯。
ピンポーンとどこか間の抜けたインターホンの音がとあるマンションの一室に響いた。そして少し間隔を開けてから、今度はピンポンピンポン……と連打される。
こんな時間にこんな訪問の仕方をする相手に、青柳怜はたった一人しか心当たりがなかった。溜息まじりに、冷えた空気に満たされた玄関へと向かう。
サムターンをカタンと回すと、その音を耳聡く聴きとった玄関外の人物は、怜がドアノブを握るよりも先に、ドアを開けていた。
「寒いっちゅーねん! もっとはよ開けてーや!」
開口一番そう言い放ったその人物――柴田斎に対し、怜は無言で、そしてかなりの勢いでドアを本来あるべき位置に戻した。もちろん再度鍵をかけて。
途端に、ドアを壊しかねない勢いでドンドンと叩く音が聞こえてくる。もう既にノックなんて可愛らしい域ではなく、近所迷惑も甚だしい。
「ちょっ……! 怜ちゃん!? 何すんねん! 開けろー!」
「斎ちゃん、人にモノを頼む時は何て言うのかなー?」
ドア一枚隔てた場所で怜がそう訊ねる。
その口調はまるで小さな子供に話しかけるように優しげで、表情も笑みの形をとってはいた。しかし、斎にはその背後に黒々としたオーラが陽炎のように揺らめいているのが見えた。本人の姿は見えないのだが、しっかりと脳裏には思い浮かんだのだ。
拙いと本能的に察した斎は、すぐさまノックするのを辞める。
「……スミマセン。開けてください、お願いします」
「はい。よくできました」
そう言って満面の笑みで怜が斎を出迎えると、斎は感嘆するほどの素早さで部屋の中に滑り込み、真っ直ぐに奥の部屋にあるコタツへと潜り込んだ。
今は十二月。京都の冬は厳しいことでも有名だ。
寒い中歩いて怜の家まで来たことが、寒がりの斎には堪えたのだろう。
コタツ布団を肩まで持ち上げて暖を取ろうとする斎が、恨めしげな視線を怜へと送る。
「わざわざ寒い中来たった友達にする仕打ちがそれですか、怜ちゃん」
「別に怜さんは斎ちゃんに来てほしいなーとか言ってないけど?」
逆に言えば、普通は何の前触れもなく突然に押しかけられても迷惑極まりない。
相手が斎だから怜は許しているだけなのだ。
「怜ちゃんのことやから、忘れとるんやろ」
「は? 何を?」
忘れていると言われ、怜はここ数日の斎とのやりとりを思い返す。しかし、今日遊ぶ約束をした覚えはまったくなかった。思い当たる節を見つけられない様子の怜に、斎はアゴでコタツの上を示した。どうやら手を出すことすら嫌らしい。
示した先には、真っ白い、ケーキなどを入れるような持ち手のついた箱。
「何ソレ」
「ケーキ」
「ケーキ? こんな時間に食べたら太るだろうに」
「おいっ! 今日は誕生日やんか!」
斎がツッコミながら発したワンフレーズに、怜はしばしの間考え込み、ようやく状況を理解した。
「ああ、もう二十日だっけ」
指摘されるまで完全に忘れていた。
先ほど突入したばかりの『今日』は、十二月二十日。怜の二十三回目の誕生日だったのだ。
斎は怜の誕生日を祝うために訪ねてきたのだろう。
「コレ、買ってきたん? よくこんな時間にケーキ屋さんが開いてたなぁ」
「いや、作った」
「作った? 誰が?」
「可愛い可愛い斎ちゃんが」
「って、斎が!?」
「可愛いにツッコミできんくらい驚かんでもええやろ」
唖然として、怜はコタツにへばりつく斎を見つめ返した。
もともと斎は器用で料理などは得意としている。だから驚くことではないのかもしれないが、まさかケーキまで作れるとは思っていなかったのだ。
「お皿とフォークとグラス出してー」
「何で? お祝いしてくれんなら、準備もしてくれるもんでしょ、フツー」
「怜ちゃん家やんか」
「その怜さんの誕生日でしょうが」
祝ってくれる気がある人間の台詞とは到底思えなくてそう言うと、斎の目が点になった。
「何言うとるん?」
「いや、だから、本日は青柳怜さんのお誕生日でしょう? ってことは、接待されるのはこっちじゃないの? って言ってんの」
そこまで丁寧に説明をしなくてもわかりそうなものを、あえて怜は嫌味なくらい丁寧に答える。
しかし、斎には全く納得する様子がない。
「あんなぁ、怜ちゃん」
「何さぁ、斎ちゃん」
「誕生日ってもんは、誰の為にあると思っとるん?」
「当然、自分の誕生日は自分自身の為でしょうが」
「あぁっ、何と嘆かわしい……」
怜が答えた途端に、斎は芝居がかった口調と仕草で頭を抱えた。
一体いつの時代の人間だとツッコミを入れたくなるのを我慢して、怜は大きくため息をつく。
「斎、意味がまったくわからんのだけど」
「そんなん、怜ちゃんの誕生日はウチの為にあるに決まっとるやん」
さも当たり前のように、それが唯一の正解であるかのように、斎はそう言い放つ。
さすがの怜も、呆れてしばらく言葉が返せなかった。
どこをどう考えればそういった思考に辿り着くのか、全く見当がつかない。見当がつかないので、怜は斎の思考回路を理解しようとする行為を放棄した。
「まさか、このケーキも自分で食べたいからとか?」
「レシピ見て美味しそうやったしなー。あ、お酒はちゃんと『とっておき』持ってきたし」
自分の真横に置いていた紙袋を、斎は目線だけで示す。怜がちらりと中を覗くと、【国士無双】と銀色で書かれたラベルが見えた。
二人が共通して気に入っている銘柄である。しかも今回は地方限定発売のものらしかった。斎なりに気を遣った結果のセレクトなのだろう。
「ほら、はよ皿とフォークとグラス! あと包丁は、お湯で温めてな」
「はいはい、わかった、わかりましたよ」
斎の傍若無人さは今に始まったことではないので、怜は諦めて食器と包丁を用意する。
ケーキの箱を開けると、予想していたよりもずっと見事なケーキが入っていた。デコレーションはほとんどなく見た目は至ってシンプルなのだが、買ってきたものだと言われても信じてしまいそうなほどの出来映え。
せっかくだから、包丁を入れるのはもう少し後にしようと思い、先に酒の封を開けた。
それぞれのグラスに、透明な液体が注がれる。
「かんぱーい!」
「……乾杯」
「何やテンション低いなぁ」
「斎が無駄に高いだけ」
普通は「誕生日おめでとう」とか「ハッピーバースデー」とか言うもんじゃないか? と怜は心中で考えつつ、けれど実際斎にそんなことを言われても恥ずかしいだけだと思い直した。
しかし、そんなことを考えていたのが顔に出ていたのか、怜の考えを見透かすようにニヤリと斎が笑う。
「しゃあないなぁ。ほな、『誕生日』――」
「うわっ! 斎! サムイからやめんか!」
グラスを掲げて声高に叫ぼうとする斎を、怜は慌てて制した。
そんな怜に、斎は悪戯な笑みを浮かべる。
「ええやん、別に」
「この年で『誕生日おめでとう』もないと思わん?」
「ちゃうって」
「は?」
ひらひらと手を横に振って否定する斎に、怜は疑問全開の表情。
何が違うというのかがわからない。
「『誕生日おめでとう』とちゃうよ」
「じゃあ、何さ?」
まだわからないままの怜に、斎はニッと悪戯っぽい笑みを深める。
「さっき言うたやん? 誕生日は自分の為のものとちゃうって」
「あぁ」
「だから――」
斎がグラスを持ち上げ、怜にも倣うようにと促す。
訳のわからぬまま怜もグラスを手に取った。
それに斎はカチンと軽く触れ合わせ、
「『誕生日ありがとう』や」
「……『ありがとう』?」
その感謝を向ける相手が怜には分からない。斎はそれを察し、グイと国士無双をあおると、今度は柔らかく微笑んだ。
「年数える為に誕生日はあるんとちゃうやん? その人が生まれてきたことを、そんでもって今まで生きてきて出逢えたことを感謝する為にあるんとちゃうんかな?」
「斎……」
「ウチえぇこと言うたわー」
「それは自分で言わない方がいいと思うけどな」
ツッコミながらも、怜の頬は自然と緩む。
冗談ぽく茶化した言い方をする斎ではあったが、そこにはちゃんと本心が垣間見えているからだ。
そして、怜も心の中で小さく感謝する。
そんな友人と出逢えたことに。
「ちゅうことで、ウチの誕生日にはウチに感謝せなあかんで、怜ちゃん。あ、お酒はアレでええわ、【雪中梅】」
押しつけがましく斎の指定したのは、新潟県の有名な銘柄。そして斎のお気に入りベストスリーに入るものだった。
「……おまえ、自分の誕生日は自分の為か」
「当たり前やん」
即答する斎に、怜は反射的に黒い笑顔を浮かべていた。先ほどまで胸の内にあった感謝の気持ちを返してほしい気分になったのだ。
「こらこらー。さっき自分で何て言ったのか覚えているかいー?」
「んー。もう忘れたー」
「都合のいい脳味噌なのねー、斎ちゃん」
「そうそう、ホンマに忘れとった。もうそろそろナクちゃん来るしー」
「ナク?」
ナクとは二人の共通の友人・名倉優のことだ。斎ほど怜の家に入り浸ってはいないが、遊びに来る頻度は非常に高い。といってもその半分近くが斎に強引に拉致されたり、呼び出されたりした結果であった。どうやら今回もそうなのだろうと怜は見当をつける。
「来る前にメール入れといてん。『怜ちゃん家集合!』って」
「……本人に了承取ってからにしようね、斎」
「えー? そんなん面倒臭いやん」
「面倒臭いじゃなくて、ここの部屋の主は誰ですか」
「怜とウチとナク」
「連名にすんな!」
思わず怜がツッコミを入れた瞬間に、ピンポーンとインターホンが鳴り響いた。
ドアの外にいるのは、おそらく斎の予告通り、無理やり呼び出された友人なのだろう。
「ほら、怜ちゃんはナクちゃんのお出迎え。ウチはナクちゃんの分の食器用意しとくし」
「いつも思うが、自分とナクの扱い違わないか?」
「だってナクちゃん見とったらオカンな気分にならへん?」
「……まあ、わからんでもない」
「やろ? ほら、行った行った」
怜を玄関へと促して、斎は台所へと姿を消した。
一息ついて、怜は玄関へと向かいながらこれから始まるだろう宴にそっと笑みを浮かべる。 多分、今夜は夜通し飲み続けることになるのだろう。
好物の酒と、特製のビターチョコケーキと、そして居心地のいい友人たち。
そんな誕生日もいいと、またも怜の口元から笑みが零れる。 斎を出迎えた時とは違う柔和な笑みを伴って、怜はゆっくりと玄関のドアを開けた。
*
誰にともなく、感謝を向けて――。
生まれてきてくれて、ありがとう。
出逢ってくれて、ありがとう。
Happy Birthday! I’m thankful to your birth for my fate.畳む
#二重織 #過去ログ
お揃いワンピース
Pixiv公式企画 ポッキー300文字SS参加作
夏の間にこんがりと焼けた娘たち。肌寒さを覚える最近では、色違いのお揃いワンピースがお気に入りのようだ。十歳の長女は、少し大人ぶりたいお年頃なのか落ち着いた茶色を、キラキラヒラヒラ可愛らしいものが大好きな七歳の次女は、案の定ピンクを選んでいた。
秋晴れの綺麗な日曜日。家族四人でお弁当とおやつを持って、ピクニックにいくことにした。娘たちは、今日もお気に入りのワンピースだ。追いかけっこをする 娘の後ろから夫とついていくと、何かを思いついた風に夫が小さく笑った。「どうしたの?」と問うと、夫は肩から掛けていたバッグをごそごそと漁る。取り出 したのはお菓子の箱二つ。「そっくり」と夫が笑みを零すのに、私は前を歩く二人をもう一度見つめた。
なるほど。日に焼けた肌に茶色とピンク。この瞬間、我が娘たちの新たなニックネームが決まった。夫から二つの箱を受け取り、大きく振る。
「おやつにするよ、ポッキー娘!」畳む
#企画
Pixiv公式企画 ポッキー300文字SS参加作
夏の間にこんがりと焼けた娘たち。肌寒さを覚える最近では、色違いのお揃いワンピースがお気に入りのようだ。十歳の長女は、少し大人ぶりたいお年頃なのか落ち着いた茶色を、キラキラヒラヒラ可愛らしいものが大好きな七歳の次女は、案の定ピンクを選んでいた。
秋晴れの綺麗な日曜日。家族四人でお弁当とおやつを持って、ピクニックにいくことにした。娘たちは、今日もお気に入りのワンピースだ。追いかけっこをする 娘の後ろから夫とついていくと、何かを思いついた風に夫が小さく笑った。「どうしたの?」と問うと、夫は肩から掛けていたバッグをごそごそと漁る。取り出 したのはお菓子の箱二つ。「そっくり」と夫が笑みを零すのに、私は前を歩く二人をもう一度見つめた。
なるほど。日に焼けた肌に茶色とピンク。この瞬間、我が娘たちの新たなニックネームが決まった。夫から二つの箱を受け取り、大きく振る。
「おやつにするよ、ポッキー娘!」畳む
#企画
人色50Title《泪》11 遅すぎた後悔
尚志・郁・片岡・井隼で麻雀するお話
歪花。様のお題から。
七夜、井隼片岡+郁&吉良兄妹の麻雀アホ話。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
井隼と片岡は、この場に足を運んだこと、軽い気持ちで彼らを誘ったこと、否、それ以前に彼らと友人関係を築いてしまったことを激しく後悔していた。
こんなはずではなかった。
何度その言葉が頭を過ぎっただろうか。
しかし、今更そんな後悔は何の役にも立たない。
井隼の震える指先を、片岡が固唾を飲んで見守る。
溢れ出しそうな涙を堪えながら、井隼は自らの命運を、十四分の一のそれに掛けた。
「ローン! 高めゲットぉ!」
死の宣告が井隼の希望を切り裂いた。
郁の手元にパタンと倒された十三枚の牌は、綺麗に筒子で染まっている。どこからどう見てもハネ満確定の面前清一色。
しかも、井隼の捨て牌は更に三役高くしてしまう、二盃口までつけてしまう物だった。これで倍満にまで点数は跳ね上がる。
「またかぁっ!」
「井隼、とぶなよっ! 俺も焼き鳥つくだろうが!」
「俺なんか焼きトビっすよぉ!?」
がっくりと麻雀卓の上に倒れ伏す井隼に、片岡が容赦のない罵声を浴びせた。
片岡自身も、この半荘で一回も上がっていない。井隼の提案で採用された焼き鳥ルールは、一回も上がれない状態を『焼き鳥』といい、その状態で一半荘を終えるとペナルティーが科せられるのだった。
「これまた高いなー」
すでに二回手早く上がり、点棒も浮いている尚志は涼しげな表情で郁の手牌を見つめる。
「綺麗やろー」とウキウキした様子で郁が裏ドラをめくると、見事に筒子の四が現れた。
「お、乗った! メンチンリャンペー、裏裏で三倍まーん!」
「城宮さぁん! どんだけ絞り取ったら気が済むわけ!?」
「えー? そんなん言うても、井隼君とテル君が麻雀やろて言い出したんやん?」
天使のような笑顔で答える郁だったが、今の井隼と片岡には悪魔にしか見えなかった。
思えば、何故初めに気付けなかったのだろうかと、今更ながらに自分達の観察眼のなさを呪いたくなる。
事の発端は、片岡の一言だった。
「久しぶりに打ちてぇなー」
サークルのボックス内で片岡は退屈そうにそう呟いた。それを聞いた井隼は、最近ネットゲームの麻雀にハマっていたこともあり、真っ先に賛成をしたのだ。
そして、その時ちょうどその場に現れた尚志と郁を誘った。
尚志や郁が麻雀をできるかどうかは知らなかったのだが、それならそれで好都合と二人は考えていたのだ。
尚志は少々渋っていたのだが、あっさりと郁が承諾した為に四人で打つことになった。
しかし、家に麻雀セットがあると尚志が言った時点で、疑いを持つべきだったのだ。
確かに、尚志の家に行って、全自動卓が置いてあることにも、慣れた仕草で卓の設定をする尚志にも、驚きはした。
けれど、尚志の「親戚が好きでね。よく使うんだよ」という言葉に、『親戚が使う』イコール『尚志が頻繁に打つわけではない』と勝手に思いこんでしまった。
考えてみれば、尚志の部屋なのだ。部屋の主が打たないのもおかしな話だ。しかも、『親戚』の一言。郁が尚志と親戚同士であることは、百も承知していたはずなのに。
ルールを決め、ゲームを始めた瞬間、郁の手捌きが半端なく慣れていることに気付いた。
華麗な小手返し、理牌する早さ、ツモ牌は完璧に盲牌し、見る前に河に捨てることもままあった。
「し、城宮さん、随分慣れてるんだね」
「んー? ウチ、家族麻雀するからなぁ。さすがに雀荘とかは行ったことないわ」
焦りを隠せずに井隼が話しかけると、郁はそうあっけらかんと答える。
何だ、家族麻雀か、と安心したのも束の間、郁に軽やかにリーチを宣言し、次巡には赤ドラをツモって上がりを決めた。
その瞬間から、井隼と片岡の悪夢は始まったのだ。
三半荘連続、井隼と片岡は焼き鳥。しかも毎回二人のうちのどちらかがラストになる。
尚志は郁との対局に慣れているのだろう。安めの上がりで毎回焼き鳥を回避し、最終的にはプラスにしていた。
郁の手は毎回高く、安いと思った場合でも裏ドラが三枚乗るなどして、簡単に満貫以上になってしまうのだ。
驚異のヒキの強さに、井隼と片岡には為す術がなかった。
そんな二人を哀れに思ったのか、尚志が煙草を持って立ち上がる。
「ちょっと疲れたし、一服していいか?」
「お、おお! いいぞいいぞ! ってか、俺も煙草休憩したい!」
「俺もノド乾いたッス! ジュースでも買ってきましょうか?」
助かったとばかりに逃げ出そうとする片岡と井隼に、郁は苦笑するしかなかった。
さすがにやり過ぎたと思ったのだろう。
「ジュースは買わんでも冷蔵庫に何か入っとるやろ」
井隼を促しながら、勝手知ったるという風にキッチンへと向かい、冷蔵庫を開ける。
「井隼君、何がええ? 炭酸系はコーラしかないけど」
「あ、んじゃコーラで。っと、吉良さん、頂きまーす!」
あまりにも自然な郁の態度に、つい当たり前のように答えてしまったが、部屋の主が彼女でないことに気付いて慌てて付け加えた。
尚志は短く応え、片岡と並んで紫煙をくゆらせている。
「テル君はコーヒー?」
「お、サンキュー、郁ちゃん」
郁はグラスを人数分出し、井隼にはコーラを、片岡と尚志にはアイスコーヒーを手渡す。それから自分の分のフルーツジュースを準備した。
と、その途中で携帯電話が麻雀卓の上で鳴っているのに気づく。
グラス片手で携帯を手に取ると、メールだったらしく、手早くキーを操作してまた携帯を置いた。
「尚志ー、茉莉がもうすぐ来るって」
「マツリ? 誰?」
聞き覚えのない名前に、片岡が反応する。井隼も不思議顔で尚志に視線を向けた。
「俺の妹だよ」
「ちなみに茉莉は、逍女に通う女子高生よん」
郁が悪戯な笑みを浮かべてそう付け足すと、あからさまに井隼の表情が明るくなった。
逍遥女学院――通称・逍女は、久遠学院の姉妹校であり、この辺りでは有名なお嬢様学校なのだ。学園祭のチケットが高額で取引されていたりもするほど、周囲からは高嶺の花と目されている名門女子高だった。
「逍女!? すっげぇっ!」
「待て、井隼! 確かに逍女は魅力的だが、兄貴はコイツだぞ! 性格がまともなわけないだろ!」
「どういう意味だ、晃己」
「テルくーん、心配せんでも茉莉はええ子やでー」
三人のやりとりを眺めながら、郁は小さく笑いを零した。そして、小さく「性格は、な」と付け加える。その声は、騒ぎ立てる井隼と片岡の声にかき消され、届きはしなかったが。
そうこうしている間に、インターホンが軽やかに響いた。
郁が当たり前のようにそれに出ると、数秒後に玄関のドアが開いた。
「おかえりー、茉莉」
「ただいま帰りました、兄様、姉様。あら、お友達がいらしていたのですか?」
ポニーテールを揺らして小首を傾げる茉莉の姿に、井隼と片岡が一瞬で締まりのない顔になった。
清楚、可憐と言った言葉がぴったりの茉莉に、憧れの逍遥女学院のセーラー服がよく似合っている。言葉遣いや物腰も淑やかな茉莉は、まさにお嬢様といった雰囲気を漂わせていた。
「サークルの友達だよ。片岡は俺と同回で、井隼は郁と一緒」
「片岡さんと井隼さんですね。初めまして、茉莉と申します。兄がいつもお世話になっております」
丁寧に頭を下げる茉莉に、井隼と片岡はでれでれとしながら、「いや、お世話なんて」「こちらの方が」などと返していた。
その茉莉の視線の端に、リビングに据えられた牌が乱雑にばらまかれている麻雀卓が入った。
「兄様達、麻雀なさっていたんですか?」
「え? ああ。この二人がやりたいって言い出したからな」
「丁度えぇわ。茉莉も混ざらへん?」
にっこりと笑って誘いをかける郁に、片岡と井隼は驚いたように視線を行き来させた。
二人には、茉莉と麻雀が繋がらなかったのだろう。
「でも、私なんかが入ってしまいましたら、片岡さんと井隼さんはつまらないのでは……」
「ええっ!? そんなことないっス!」
「うんうん! むしろ、美少女と卓を囲める方が、俺たちは嬉しいから!」
柳眉を顰めて申し訳なさそうにする茉莉に、すぐさま二人は否定をして、茉莉の参加を歓迎した。
それを面白そうに眺める郁と、呆れた溜め息をつく尚志には一切気付いていない。
「ほら、二人もそう言うとるし。ウチの勝ち分、茉莉に引き継がせてウチ抜けるわ」
「何だ、俺は面子確定なのか?」
「え? 尚志も抜けたい? そんなら三打ちにする?」
「おおっ! 三人打ち! 実は俺、最近三人打ちにハマってるんスよねー」
郁の提案するまま、ノリノリの片岡と井隼は茉莉と三人で、卓を囲むということになった。
それが、二人の更なる悲劇の始まりだとは知らずに――。
後に二人は語る。
「吉良家親戚一同とは、何があっても麻雀を打つな」と……。
遅過ぎた後悔は、彼らを破滅へと導いたのだった。畳む
#番外編
尚志・郁・片岡・井隼で麻雀するお話
歪花。様のお題から。
七夜、井隼片岡+郁&吉良兄妹の麻雀アホ話。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
井隼と片岡は、この場に足を運んだこと、軽い気持ちで彼らを誘ったこと、否、それ以前に彼らと友人関係を築いてしまったことを激しく後悔していた。
こんなはずではなかった。
何度その言葉が頭を過ぎっただろうか。
しかし、今更そんな後悔は何の役にも立たない。
井隼の震える指先を、片岡が固唾を飲んで見守る。
溢れ出しそうな涙を堪えながら、井隼は自らの命運を、十四分の一のそれに掛けた。
「ローン! 高めゲットぉ!」
死の宣告が井隼の希望を切り裂いた。
郁の手元にパタンと倒された十三枚の牌は、綺麗に筒子で染まっている。どこからどう見てもハネ満確定の面前清一色。
しかも、井隼の捨て牌は更に三役高くしてしまう、二盃口までつけてしまう物だった。これで倍満にまで点数は跳ね上がる。
「またかぁっ!」
「井隼、とぶなよっ! 俺も焼き鳥つくだろうが!」
「俺なんか焼きトビっすよぉ!?」
がっくりと麻雀卓の上に倒れ伏す井隼に、片岡が容赦のない罵声を浴びせた。
片岡自身も、この半荘で一回も上がっていない。井隼の提案で採用された焼き鳥ルールは、一回も上がれない状態を『焼き鳥』といい、その状態で一半荘を終えるとペナルティーが科せられるのだった。
「これまた高いなー」
すでに二回手早く上がり、点棒も浮いている尚志は涼しげな表情で郁の手牌を見つめる。
「綺麗やろー」とウキウキした様子で郁が裏ドラをめくると、見事に筒子の四が現れた。
「お、乗った! メンチンリャンペー、裏裏で三倍まーん!」
「城宮さぁん! どんだけ絞り取ったら気が済むわけ!?」
「えー? そんなん言うても、井隼君とテル君が麻雀やろて言い出したんやん?」
天使のような笑顔で答える郁だったが、今の井隼と片岡には悪魔にしか見えなかった。
思えば、何故初めに気付けなかったのだろうかと、今更ながらに自分達の観察眼のなさを呪いたくなる。
事の発端は、片岡の一言だった。
「久しぶりに打ちてぇなー」
サークルのボックス内で片岡は退屈そうにそう呟いた。それを聞いた井隼は、最近ネットゲームの麻雀にハマっていたこともあり、真っ先に賛成をしたのだ。
そして、その時ちょうどその場に現れた尚志と郁を誘った。
尚志や郁が麻雀をできるかどうかは知らなかったのだが、それならそれで好都合と二人は考えていたのだ。
尚志は少々渋っていたのだが、あっさりと郁が承諾した為に四人で打つことになった。
しかし、家に麻雀セットがあると尚志が言った時点で、疑いを持つべきだったのだ。
確かに、尚志の家に行って、全自動卓が置いてあることにも、慣れた仕草で卓の設定をする尚志にも、驚きはした。
けれど、尚志の「親戚が好きでね。よく使うんだよ」という言葉に、『親戚が使う』イコール『尚志が頻繁に打つわけではない』と勝手に思いこんでしまった。
考えてみれば、尚志の部屋なのだ。部屋の主が打たないのもおかしな話だ。しかも、『親戚』の一言。郁が尚志と親戚同士であることは、百も承知していたはずなのに。
ルールを決め、ゲームを始めた瞬間、郁の手捌きが半端なく慣れていることに気付いた。
華麗な小手返し、理牌する早さ、ツモ牌は完璧に盲牌し、見る前に河に捨てることもままあった。
「し、城宮さん、随分慣れてるんだね」
「んー? ウチ、家族麻雀するからなぁ。さすがに雀荘とかは行ったことないわ」
焦りを隠せずに井隼が話しかけると、郁はそうあっけらかんと答える。
何だ、家族麻雀か、と安心したのも束の間、郁に軽やかにリーチを宣言し、次巡には赤ドラをツモって上がりを決めた。
その瞬間から、井隼と片岡の悪夢は始まったのだ。
三半荘連続、井隼と片岡は焼き鳥。しかも毎回二人のうちのどちらかがラストになる。
尚志は郁との対局に慣れているのだろう。安めの上がりで毎回焼き鳥を回避し、最終的にはプラスにしていた。
郁の手は毎回高く、安いと思った場合でも裏ドラが三枚乗るなどして、簡単に満貫以上になってしまうのだ。
驚異のヒキの強さに、井隼と片岡には為す術がなかった。
そんな二人を哀れに思ったのか、尚志が煙草を持って立ち上がる。
「ちょっと疲れたし、一服していいか?」
「お、おお! いいぞいいぞ! ってか、俺も煙草休憩したい!」
「俺もノド乾いたッス! ジュースでも買ってきましょうか?」
助かったとばかりに逃げ出そうとする片岡と井隼に、郁は苦笑するしかなかった。
さすがにやり過ぎたと思ったのだろう。
「ジュースは買わんでも冷蔵庫に何か入っとるやろ」
井隼を促しながら、勝手知ったるという風にキッチンへと向かい、冷蔵庫を開ける。
「井隼君、何がええ? 炭酸系はコーラしかないけど」
「あ、んじゃコーラで。っと、吉良さん、頂きまーす!」
あまりにも自然な郁の態度に、つい当たり前のように答えてしまったが、部屋の主が彼女でないことに気付いて慌てて付け加えた。
尚志は短く応え、片岡と並んで紫煙をくゆらせている。
「テル君はコーヒー?」
「お、サンキュー、郁ちゃん」
郁はグラスを人数分出し、井隼にはコーラを、片岡と尚志にはアイスコーヒーを手渡す。それから自分の分のフルーツジュースを準備した。
と、その途中で携帯電話が麻雀卓の上で鳴っているのに気づく。
グラス片手で携帯を手に取ると、メールだったらしく、手早くキーを操作してまた携帯を置いた。
「尚志ー、茉莉がもうすぐ来るって」
「マツリ? 誰?」
聞き覚えのない名前に、片岡が反応する。井隼も不思議顔で尚志に視線を向けた。
「俺の妹だよ」
「ちなみに茉莉は、逍女に通う女子高生よん」
郁が悪戯な笑みを浮かべてそう付け足すと、あからさまに井隼の表情が明るくなった。
逍遥女学院――通称・逍女は、久遠学院の姉妹校であり、この辺りでは有名なお嬢様学校なのだ。学園祭のチケットが高額で取引されていたりもするほど、周囲からは高嶺の花と目されている名門女子高だった。
「逍女!? すっげぇっ!」
「待て、井隼! 確かに逍女は魅力的だが、兄貴はコイツだぞ! 性格がまともなわけないだろ!」
「どういう意味だ、晃己」
「テルくーん、心配せんでも茉莉はええ子やでー」
三人のやりとりを眺めながら、郁は小さく笑いを零した。そして、小さく「性格は、な」と付け加える。その声は、騒ぎ立てる井隼と片岡の声にかき消され、届きはしなかったが。
そうこうしている間に、インターホンが軽やかに響いた。
郁が当たり前のようにそれに出ると、数秒後に玄関のドアが開いた。
「おかえりー、茉莉」
「ただいま帰りました、兄様、姉様。あら、お友達がいらしていたのですか?」
ポニーテールを揺らして小首を傾げる茉莉の姿に、井隼と片岡が一瞬で締まりのない顔になった。
清楚、可憐と言った言葉がぴったりの茉莉に、憧れの逍遥女学院のセーラー服がよく似合っている。言葉遣いや物腰も淑やかな茉莉は、まさにお嬢様といった雰囲気を漂わせていた。
「サークルの友達だよ。片岡は俺と同回で、井隼は郁と一緒」
「片岡さんと井隼さんですね。初めまして、茉莉と申します。兄がいつもお世話になっております」
丁寧に頭を下げる茉莉に、井隼と片岡はでれでれとしながら、「いや、お世話なんて」「こちらの方が」などと返していた。
その茉莉の視線の端に、リビングに据えられた牌が乱雑にばらまかれている麻雀卓が入った。
「兄様達、麻雀なさっていたんですか?」
「え? ああ。この二人がやりたいって言い出したからな」
「丁度えぇわ。茉莉も混ざらへん?」
にっこりと笑って誘いをかける郁に、片岡と井隼は驚いたように視線を行き来させた。
二人には、茉莉と麻雀が繋がらなかったのだろう。
「でも、私なんかが入ってしまいましたら、片岡さんと井隼さんはつまらないのでは……」
「ええっ!? そんなことないっス!」
「うんうん! むしろ、美少女と卓を囲める方が、俺たちは嬉しいから!」
柳眉を顰めて申し訳なさそうにする茉莉に、すぐさま二人は否定をして、茉莉の参加を歓迎した。
それを面白そうに眺める郁と、呆れた溜め息をつく尚志には一切気付いていない。
「ほら、二人もそう言うとるし。ウチの勝ち分、茉莉に引き継がせてウチ抜けるわ」
「何だ、俺は面子確定なのか?」
「え? 尚志も抜けたい? そんなら三打ちにする?」
「おおっ! 三人打ち! 実は俺、最近三人打ちにハマってるんスよねー」
郁の提案するまま、ノリノリの片岡と井隼は茉莉と三人で、卓を囲むということになった。
それが、二人の更なる悲劇の始まりだとは知らずに――。
後に二人は語る。
「吉良家親戚一同とは、何があっても麻雀を打つな」と……。
遅過ぎた後悔は、彼らを破滅へと導いたのだった。畳む
#番外編
テーマ楽曲:涙/HY
彼は、いつも決まった時にふらりと現れ、
ただ、流れる歌声に、静かに耳を傾けていた。
チリン、と、小さく軽やかな音が、静かに流れる音楽の合い間に聞こえた。
私は入り口のドアに、ささやかな微笑みとともに目線を向ける。
「いらっしゃいませ」
彼は軽く会釈をし、慣れたようにカウンター席の右から三番目に座る。
それもいつものことだった。
その位置は、決して私と完全に向かい合わせにはならない。
尚且つ、グランドピアノ脇で歌う、私の店の看板シンガーの声が、一番聞き取りやすい位置。
この店に常連として来る者たちにとって、そこは常に『予約席』状態。
その場所を空けておくことが、暗黙の了解のようになっていた。
「……いつもの」
「はい」
短く告げる彼に、私も短く答える。
今目の前にいる彼は必要以上に話しはしない。
だから私も、滅多に話しかけはしない。
「……珍しいな」
「え?」
ポツリと呟かれた言葉に、そちらの方が珍しいと思って言葉が繋がらなかった。
彼の視線は、少しだけ私のほうを向いている。
「何が、珍しいんですか?」
「あんなポップな曲歌ってる」
「あぁ」
彼の言っている意味を理解して、私はふいとピアノの側に佇む彼女に目を向けた。
いつもはほとんどJポップなど歌わない彼女が、今日はそれを歌っているのだ。
「あちらのテーブルのお客様からのリクエストですよ。女性の方がお誕生日らしくてね、そのお祝いにと……」
目線だけでテーブル席を示すと、彼は納得したような表情を浮かべ、
「誕生日、か。たまにはこういうのもいいな」
そう、わずかに笑みらしきものを見せた。
私は彼を随分前から知っている。
そして、今の彼が、こんな風な表情を見せることが、ごく稀であることも。
(少しは、癒えたのか?)
心の中で問い掛けながら、私は視線を巡らせる。
辿り着く先は、メニューなどが貼られたコルクボードの片隅。
そこにあるのは、ポップなイラストの絵葉書一枚。
どこか店の雰囲気にはそぐわないソレは、もう何年も剥がされることなくそこにある。
(……『ゆり』)
流れる歌声に誘われるように、私の記憶は六年半前へと引き戻された。
九月。
日本の暦の上ではもうとっくに秋だというのに、日中はいまだ日差しが強く、暑さが緩む気配も見えない。
季節柄、立て続けに上陸する台風が各地で猛威を揮っているが、その所為で幾らか涼を得られるかと言えば、そうでもなかった。
鬱々と続く雨の所為で、今日は客足も遠のき、店内は私とカウンター席に客が一人、そして看板シンガーのナオの三人だけだった。
ナオも、今は私と客の好意によって、客と同じくしてカウンター席に座って食事をとっている。
かわりに店内に流れているのは、小さなテレビから流れるニュースの、ささやかな音だった。早々と店は『Close』の札を掲げていたのだ。
「そうそう、ゆりからエアメールが届いてたよ」
そう言って屈託のない笑みを浮かべながら、スーツ姿の恒(ひさし)は私の目の前に一枚の絵葉書を差し出した。
「え!? ……アイツっ、俺には何の連絡も寄越さないくせにっ」
「匠(たくみ)さんより、俺に対する愛の方が深いってことだな」
「ひぃさぁしぃ、いくら本当のことでも、言ってはならんことを……」
恨みがましい視線を送る私に、恒は声をあげて楽しそうに笑う。
そんな私たちを見て、ナオもくすくすと笑っていた。
ゆりは、私の三つ下の妹だ。
明るく奔放で、冒険心が強く、突然一人旅に出ることもしばしば。『ゆり』なんておしとやかそうに思える名前とは、まったく正反対なじゃじゃ馬娘だった。
そして恒は、私の店の常連客であり、ゆりとは二年ほど付き合っている恋人同士。
最初ゆりに彼を紹介された時は、お互いに、客と店のマスターとして知っていたので、驚いたものだった。
しかし、それ以来、以前よりも足繁く店に通ってくれるようになり、個人的にも友人と呼べるような存在になっていた。
奔放なゆりに、自由気儘な恒。
よく似たところを持つ二人は、ベタベタと甘えあうだけの恋人同士でなく、互いを尊重しあえる絶妙な距離を保って付き合っているように思えた。
独り身の私としてはそんな二人が羨ましくもあり、けれど幸せそうなゆりを見るたびに私まで幸せな気分にさせられていた。
だから、二人がこのまま上手くいって、結婚してくれれば兄として安心できるとも思っていた。
「ははは、冗談だって。単純に匠さんの住所をメモし忘れたらしいよ」
「……おまえのはきっちりメモしてるのにな」
「匠さん、ほらほら、ちゃんとココに匠さんへのメッセージもあるから」
完璧に拗ねる私に、恒は苦笑しつつ宥めに入る。
もう一度差し出された絵葉書を私は手に取った。
『お兄ちゃんへ ゆりは元気だよん。帰ったらまたご飯作ってね~』
短い、三行だけのメッセージ。
それがいかにもゆりらしくて、思わず笑みが零れる。
「てか、『ご飯作ってね』って、俺は家政婦か?」
「仕方ないでしょ、ゆりは匠さんのご飯が大好物だから」
言葉の割に私が嬉しそうにしているのをわかっていて、恒が続ける。更にそこに、「俺も大好物だし」と付け加えるものだから、ますます私は嬉しくなってしまうのだ。
「私もマスターの作るご飯、大好きですよ」
「おいおい、ナオちゃんまで」
「匠さんの飯、美味いもんなー、ナオさん」
「はい!」
二人して持ち上げるのに、私は照れ臭くなりながらも、顔がにやけてしまう。
仕方ないから、ゆりが帰ってきたら、その日は店を閉めて好きなものを作ってやろうと画策するのだった。
「で、今回はいつ帰ってくるんだっけ?」
「えっと、十五日には帰国するって言ってたかな? 今日、ボストンからロスに向かって、二日過ごして、その後……」
恒には旅行の日程を詳しく教えていたらしい。
何故私には知らせてないのか、理由は簡単にわかった。
知らせても、どうせ私はすぐに忘れてしまうと思われているのだ。そして、それはまったく間違っていないのだから、何も言えない。
「ゆりさんって、いつも思いますけど行動力ありますよね。私、一人で海外旅行なんて、さすがに怖いです」
「あー、確かにナオさんだったら危なっかしくてしょうがないなぁ」
「あ、どういう意味ですか? 恒さん!」
歌っている時のナオは大人びて落ち着いて見えるのだが、こうやって話していると、妙に可愛らしい。
私からしたら、もう一人妹がいるような気分だった。
いや、むしろ私だけでなく、恒やゆりからも、妹のように可愛がられていた。
特にゆりは、休みの日にナオと二人で買い物に出かけたり、互いの家に泊まりに行ったりと、本当に姉妹のように仲良くしていたのだ。
「まあまあ、ナオちゃん。で、恒はいつが暇なんだ?」
「暇、か……。今はちょっと手が放せないからなー」
「ああ、プロジェクトの責任者だっけ?」
一月ほど前に、恒は会社の社運を賭けたプロジェクトの責任者に任命され、毎日残業続きの生活を送っているらしい。それまではほぼ毎日来店してくれていたのに、最近はめっきり少なくなっていた。
今日は久しぶりに早く終えられたのだと言う。
「ゆりが帰ってきた次の日曜くらい、休みがもらえるといいんだけど……」
「休めなくても、せめて残業せずに切り上げてこいよ。最近疲れ溜まってるだろ? 無理して倒れたりしたら、プロジェクトどころじゃなくなるだろうが」
「そうですよ。恒さん、少し痩せたんじゃないですか?」
私とナオに揃って心配され、恒は観念したように頷いた。
「そうだな……。匠さんの飯、久しぶりにがっつり食べたいし」
「よし。んじゃ特製の滋養強壮ばっちりなメニューにしてやる」
「山盛りでよろしく。そしたらその勢いでプロジェクト成功して、昇進するから」
「お、デカイこと言ったな?」
「プロジェクト成功しても、昇進しなかったら罰ゲームですよー」
「罰ゲームー? ナオさん、それはないでしょー」
顔を見合わせ、声を上げて三人で笑い合う。
と、その時。
不自然に割り込んできたレポーターの声が、耳についた。
自然と三つの視線がテレビに集中する。
何やら緊急の事件があり、速報が入ったようだった。
画面に映し出されていたのは、炎上するビル。レポーターの言葉は、即座に理解するのが困難だった。
簡単に言えば、『旅客機』が『ビル』に『激突』した、のだった。
「な、んですか、これ……」
呆然と、ナオが呟く。
恒も、食い入るように、画面を見つめたまま、静止している。
尚も続くその臨時ニュースに、それまで盛り上がっていた空気は、一気に冷却されてしまった。
「え、これ、事故?」
「いや、事故でこういうのは……、ありえるのか?」
「あの、全然、わけわかんないんですけど……」
ようやく出てきた言葉たちは、まったく目の前に映し出されている状況を理解できているものではなかった。
何よりまず、詳しい情報自体が、ニュースの中から発せられていない。
私たちが理解できたのは、『ニューヨーク』、『貿易センタービル』、『旅客機』。そんな断片的な名詞ばかり。
場の空気が冷えきってしまった状態の中、新たな情報が流れるまでと、どこか神妙な面持ちで私たちは画面を見つめていた。
どれほどそうしていたのだろう。
待った甲斐があったと、言ってしまっていいのだろうか。
いや、甲斐など、なかった。あったとすれば、それは、ただただ辛いばかりの、悪夢の始まりだった。
『あっ! 今、二機目の飛行機が突入したように見えましたが!?』
そんな声とともに、飛行機が高層ビルへと激突する映像が、流れた。
入り乱れる情報の中、ただの事故ではないことだけが私たちにはわかってきた。
「……マスター」
しんとした店内に不安そうなナオの呟きが響く。俯いたその肩が、小刻みに震えていた。
「ナオちゃん?」
「……ゆりさん、大丈夫だよね?」
確認するような言葉は、今にも消え入りそうなものだった。それとともに、一気に私の胸の内に、不安が押し寄せる。
そう。
ゆりは今、この悲惨な事件の起こっている、アメリカにいるのだ。
「なっ、何言ってんだよ、ナオちゃん! ゆりはね、めちゃめちゃ悪運強いんだから! なぁ、恒!」
「そ……うだ、ゆりは確かに悪運が強い! あいつはいつも、『私の乗った飛行機だけは落ちないから大丈夫よ』って言ってたし!」
後から後から湧きあがる不安を、必死に明るさで打ち消そうとした。
恒も同じだったらしく、泣きそうなナオを二人で必死に盛り上げた。
それは、端から見たら、ひどく滑稽に映ったかもしれない。
何故なら、私と恒の表情は、ナオに負けず劣らず、泣き出しそうなものだったから。
そして、その翌日。
眠れぬ夜を過ごした私に、朝一番に電話が入った。
恒、からだった。
内容は、短い一言に、集約されていた。
『ゆりが、乗ってた……』
視線を、絵葉書からグランドピアノの側へと移す。
シンプルな白いワンピースを纏ったナオは、今日も美しい歌声を響かせている。
事件直後は、ショックの為に店に出てこられなくなっていたナオだが、それでも辞めずに今も続けてくれていた。
今度は、ゆるりと視線を近場に戻す。
目の前に座る恒は、あの頃よりも更に痩せた。
それでも、職場では毅然とした態度で仕事をこなし、あの忌まわしい日に宣言した通りにプロジェクトを成功させ、昇進もしたらしい。
ただ、口数は減り、私も以前のような軽口を叩けなくなった。
私と恒とナオ、そしてゆりと、賑やかに笑い合っていた頃が幻のように思える。
私の視線に気付いたのか、それとも偶然か、恒が徐に立ち上がり、手洗いへと向かっていった。
知らず私の口から、溜め息が零れる。
「マスター」
声に驚いて目線を上げると、歌い終えたナオが、カウンターの側までやってきていた。
「どうしたの? ナオちゃん」
「今日、何の日か、覚えてますか?」
「あぁ、当然だよ」
今日は、ゆりの誕生日だった。
そして、ふと気付く。ナオが着ている白いワンピースが、ゆりが譲った物だったことに。
「恒さんが席に戻ってきたら、一曲だけ、私の歌いたい歌を歌ってもいいですか?」
「勿論」
「ありがとう」
うっすらと微笑んで、ナオはピアノの側へと戻り、ピアニストへと要望を伝えているようだった。
タイミングよく、恒が席へと戻ってくる。
程なくピアノの音色が聞こえ始め、ナオの澄んだ声が店内に広がった。
グラスを傾けていた恒の、手が止まる。
ゆっくりと、グラスがカウンターに戻されるのと同時進行で、恒の顔が俯いていった。グラスを置いた右手が、そのまま顔を覆うように持ち上げられる。
「……どうかしましたか?」
恒の様子に、今では少し慣れてしまった他人行儀な言葉遣いで、遠慮がちに声を掛けた。
具合でも悪くなったのかと思ったのだが、しかし、そうではなかった。
「匠さん」
いつの間にか呼ばれなくなっていた名前を、何年か振りに呼ばれた。
「……ゆりの、好きだった歌だ」
「恒……」
ナオが歌っていた歌は、私も聴き覚えがあった。
七年前に流行っていた歌。ゆりが気に入って、よく口ずさんでいた、少し切ないメロディーラインのラブソング。
ゆりの、恒への想いがこもっているとも言える――。
(ナオちゃん)
ゆりの誕生日。
ゆりの着ていたワンピース。
ゆりの好きだった歌。
ナオは、ゆりと恒の為に、歌っていた。
私は、ナオがゆりに憧れていたことを知っていた。
そして、もう一つ知っていたのは。
ナオの、恒への、想い。
ナオはずっと、恒に淡い想いを抱いていたのだ。
けれど、二人の仲を裂くようなことは絶対にしなかった。
『大好きな二人がずっと幸せでいてくれるのが嬉しいんです』と、笑ってさえいた。
あの日まで、ずっと。
そして、ゆりがいなくなった今でも、その想いは一度たりとて口にしていない。
もしかしたら、この先もずっと口にしないかもしれない。
ただ、今。
ゆりの好きだった歌には、ナオの想いものせられているように思えた。
一緒にいたい。
笑っていて欲しい。
そんな想い。
笑顔と明るさを失い、悲しみと憎しみを抱えた恒の傷が、少しでも癒えて欲しいという、ひたむきな想い。
「恒……」
「……ゴメン、匠さん、俺……」
「恒、もう、いいだろう?」
何が『もういい』のか、自分でもよくわからなかった。
ただ私には、ずっと恒が自ら重い鎖に繋がれ、ぶつけようもない怒りと憎しみを抑えつけようとしているように思えて仕方がなかった。
理不尽な、ゆりの死。
蓄積されていく、憎悪。
私もナオも恒も、誰もがそれらを抱え、うまく笑えない日々を過ごした。
けれど今、ナオは真っ直ぐに前を向いて立って、歌い続けている。
そして、未だに悪夢から抜け出せずにいる恒を、少しでも癒そうとしている。
その想いに、私は気付いてやって欲しかった。
「ナオさんは、強いな……」
ポツリと、零れる言葉。
同時に。
ポトリと、零れた涙。
顔を覆った指の隙間から、幾筋もの雫が流れていた。
あの日以来初めて見る、恒の涙だった。
「そうだな。俺たちも、見習わないと、な」
「……あぁ」
今まで封じ込めてきた想いの分だけ、恒は涙を流し続けた。
(泣けるだけ、泣けばいい)
そうして、怒りや憎しみを少しでも浄化して。
いつか、笑うことが出来ればいい。
また、いつか、ゆりがいた頃のように。
みんなで、笑い合って、暮らせるように――。畳む
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