No.17

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過去のリレー小説『二重織』のログ
怜と斎がカラオケに行こうという話

 頭の中で、ノイズが響く。
 かきむしるように渦巻くソレに、苛まれては瞳を閉じる。
 『音』など、無くなってしまえ――。

 *

「本当に鬱陶しいです」
 怜の家に来るなり、開口一番に放った斎の台詞がそれだった。
 いつもの方言はどこへいったのやら、何故か標準語である斎。
 『不機嫌』  柴田斎科 バイト終了後属
 特徴――毒性が通常時の二倍増
 斎事典作ったならば、きっとこんな感じだろうとくだらないことを考えながら、怜は苦笑を浮かべて斎を出迎えた。
「今日は何があったんだぁ? 客か?」
「客もバイトも社員も! ホンマ、使えへんヤツばっかりやし……!」
 愚痴りながら斎は勝手に怜のベッドへと倒れ込んだ。
 怜はそんな斎の横たわるベッドにもたれかかって腰を下ろし、新しい煙草に火をつける。
 斎のバイト終了後の襲撃は、もはや日常化している。更に言えば、こんな風に不機嫌全開で来ることも怜にとっては慣れたものだった。
 すでにベテランと呼ばれる立場の斎は、バイトで過密なシフトを押し付けられることもしばしばある。そのおかげでいくら無駄に元気な斎とはいえ疲れは溜まるもので、それと比例して不機嫌メーターも上昇していくのだ。
 それがもとで怜に八つ当たりをすることも何度かあった。
「うっさいわ、ホンマ……」
 心底鬱陶しそうに斎が呟く。そう愚痴を零しはするのだが、仕事で何があったのかを斎はあまり怜には話さなかった。
 互いの仕事の分野が違い過ぎるからという配慮なのだろうと怜は納得している。
 だから怜は無理に聞き出そうとはせずに、別の話題で気を紛らわせてやる方法をいつも採るのだった。
「なぁ、斎。前にカラオケ行ってからどれくらい経つ?」
「カラオケぇ? あーっと、三週間くらい、ちゃうかな」
「んじゃそろそろアレだろう。禁断症状」
「……せやなぁ」
 苦笑まじりの同意が返る。
 歌うことは斎にとってストレス解消の重要な手段で、多い時には三日に一度くらいカラオケに行っていた。もちろん、カラオケに行かなくても常日 頃からよく歌っている。台所で食事を作ったり洗い物をしたりしながら歌っている斎を見て、本当に歌が好きなんだなとつくづく感心したことが怜には何度も あったのだ。
 そんな斎が最近カラオケに行っていないことは間違いなくストレスを溜める原因にもなっているのだろうと推測した。いくら日常で歌っているからとはいえ、やはりマイクを持っての熱唱とはわけが違うからだ。
「しかもあれやん。そのカラオケ、バイトの面子で行ったし」
「余計ストレス溜まるって?」
「聴くに耐えへんヤツおるからな」
 顔を顰めて斎は失礼な発言を躊躇いなく吐いた。
 基本的に斎は歌の下手な相手とカラオケに行くのを嫌う。音が外れているのが、気になって仕方ないからだ。
 自分で歌っていても、たまに音を外すと舌打ちするくらいだから、必要以上に完璧主義なのだろうと怜は分析する。
 更に言うと、斎の父親は歌を教える立場にあると怜は聞いていた。だから余計に耳がいい。
「音外してたらただの雑音やん」
「ま、そりゃそうだ」
「だぁーっ! 怜ちゃんがカラオケとか言うから歌いたなってきたやんか!」
「こんな時間に声張りあげないように」
 ただでさえ斎の声は通るから、と怜が穏やかに黒い笑みで釘を刺す。
(そう言う怜ちゃんもこんな時間に音楽流しとるやん)
 そう思ったのだが、それを口にしたら後の報復が怖いと思い、斎は何も言わずにおくことにする。
 一瞬訪れた静寂に、静かなイントロの曲が流れ始めた。エレキギターとアコースティックギターの重なり合った旋律が美しい曲だ。
「あー、この曲好き」
 曲に気が付いた斎が、部屋に流れる静かなメロディーを口ずさんだ。
 歌うというよりも、呟くように。
 たった、1フレーズだけ。
 切なげな声で歌い上げる女性ボーカルに、斎の歌声が重なる。
「……これに近いこと思っとった時期もあったなぁ」
 天井を仰いで、斎はもう一度、そのフレーズを呟く。
 歌好きな斎がどんな想いでその歌詞を聴いたのか。
 ふと浮かんだ思いを口にしかけて、怜はすぐに飲み込む。
 代わりに、別の質問を投げかけた。
「斎ちゃんはそんな歌バカだったんですかー?」
「え? ウチ、ケン様やったん?」
「そんなボケはいらん!」
 茶化しつつも真面目さも残して訊いた怜は、ツッコミつつも自分の浅はかさを呪った。
 斎はどんなときでもボケる精神を忘れない。更に言うと、自分の気持ちを他者に知られまいとする時には意図してボケるのだ。
 他人と、自分を誤魔化すために。
 溜め息とともに紫煙を吐き出す怜に、くくっと斎は喉の奥で笑った。
 妙に自嘲的な笑い方に気づいた怜は、煙草をもみ消し、斎に振り返る。
「おまえ、大丈夫?」
「何が? 頭?」
「ん、まぁ、それも」
「それもかいっ!」
 お約束なボケとツッコミに一通り笑った後、怜が真上から斎を見下ろす。
 笑顔のまま。
 目だけが、笑わないまま。
「つーか、マジで。ストレス、溜めすぎじゃない?」
「……貯蓄は大事やん?」
 放り投げるように答えて、斎は瞳を閉じる。
 怜はまた溜め息をつきつつ、本日何本目かも忘れた煙草に火をつけた。
「貯めるのは金だけにしといてね。んで、保険金の受取人は怜さんで」
「いやーん、怜ちゃん、鬼畜ぅ」
「鬼畜好きな鬼畜には言われたくないなぁ、斎ちゃん」
 視覚が閉ざされていても、斎には声音だけでわかる。
 銜え煙草のまま、にっこりと非の打ち所のない笑みを浮かべているだろう怜が。
 そしてそれは、目にしていたらきっと恐ろしいと感じる類のものであることも。
 こういうときの怜に逆らってもろくなことはないと、斎は身をもって理解している。
 だから、採るべき行動は限られていて。
「……なぁ、怜ちゃん」
「何だい、斎ちゃん」
「明日、カラオケ行こか」
 あまりにも突然な話の流れに、思わず怜の口から煙草が零れそうになり、慌てて銜え直す。
 カラオケの話をしていたことは確かだが、それにしても唐突だった。
 何も返せずにいる怜に、斎は更に続ける。
「んで、歌って」
 短く、簡潔に。
 そう言って、微笑った。
 目を、閉じたままで。
「は? 斎が歌いたいんだろうに」
「当然歌うけど、怜ちゃんの歌が聴きたいなぁと」
「何で?」
「いっつもあんまり歌わんやん」
「まぁ、そうだけど」
 確かに、いつも怜はあまり歌わない。
 それは斎が次々に自分の歌う曲を入れる所為もあるのだが、それだけではなかった。
 そんな考えに耽る怜の耳に、
「雑音聴くより、怜の声のがええわ……」
 そんな斎の笑み声が届いた。
 ベッドを覗くと、いつものような、悪戯っぽい顔で笑う斎がまっすぐな視線を寄越す。
「……口説き文句?」
「愛が溢れてるやろ?」
「返品お願いします」
「生憎、クーリングオフ期間が過ぎておりますので……」
 コテコテに作り上げた、営業用の声とスマイルで返す斎に、思わず怜は噴き出しそうになる。
 いつもの斎らしさが戻ったことに安心しつつ、けれどそれは表情には出さずに。
「悪徳押し売り業者か、おまえは」
 呆れたような声を出した。
「こんなゼンリョウな人間捕まえて何言うねん」
「『善良』の意味を知ってますか、柴田斎さん」
「当たり前やん。怜ちゃんのことちゃういうんは確かやな」
「ああ、確かに」
「認めるんかい!?」
 いつも通りのバカなやりとりが始まる。
 そこにある、互いの声に、ほっとする。
「なぁ」
「ん?」
「音はあったほうがええなぁ」
 斎が何を言いたいのか、なんとなくで察して怜は苦笑する。
 どうして、この唯我独尊な友人は、こう言葉を省略するのかとは思いつつ。
 けれど、それでも自分にはわかるのだから問題ないかと思い直した。
「今のうちに、明日歌う歌考えといてなぁ。ナクちゃんには連絡しとくしぃ」
 そう言ってさっさと寝る態勢に入る斎に、またも斎の強引な誘いを受けるだろうもう一人の友人に内心同情する。わかったとだけ答え、怜は短くなった煙草を揉み消し、いつの間にか止まっていた音楽プレーヤーの電源を落とした。
 仕事と学校で疲れていた斎が、早くも寝息を立て始める。
 それをBGM代りに、怜はそっと部屋の照明を落とし、
「怜さんも、斎ちゃんの声聴いてる方がいいんだけどね……」
 聞こえていないとわかっているからこそ言える言葉を、小さく零した。
 日常の鬱陶しい雑音よりも。
 耳に心地いい、歌声が。
 心に響く、歌声が。
 何よりも、救いになるから。

 *
 頭の中で、響くノイズ。
 ソレをかき消す、君の声。
 どんな『音』より 鮮明で 透明で 瞳を閉じて、耳を澄ます。
 『音』も君も あるから私は私でいられる――。 畳む

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