二重織3件]

Doesn't Fool catch cold?
過去のリレー小説『二重織』のログ
馬鹿は風邪を引くか引かないかという話

 『バカ』は風邪をひかない。
 それを否定して。
 風邪は『バカ』がひくもんだ。
 そう、君は笑った――。

 *

「やばい、な……」
 散らかり放題の部屋の中、怜はベッドに寝転がったまま見慣れた天井を見つめた。
 とはいっても、実際には天井を見つめているわけではなく、ただぼんやりとした視線がその方向を向いているというだけだ。
 ガンガンと響くように痛む頭。不愉快な悪寒が背中にはりつき、喉の奥がいがいがとした違和感を持っている。
 明らかに、『風邪の諸症状』と思われるそれらに、思わず眉間に皺が寄った。
 今受けているテープライターの仕事は締め切りが近い。
 集中しないと出来ない仕事にも関わらず、こうも頭が痛いと集中など出来るはずもなかった。当然、仕事は遅れるだろう。
 そしてそれよりも顔を顰めてしまう原因は。
「……斎に馬鹿にされる」
 怜の痛む頭の中に、傍若無人な友人が腹を抱え、自分を指差し、爆笑する姿が思い浮かんだ。
 何故なら、つい先日斎とかわしたやりとりがあったからだ。
「バカは風邪ひかんゆーけど、健康管理もちゃんと出来んようなヤツの方が、よっぽどバカやと思わん?」
 斎が怜と一緒にご飯を食べながら発した一言だった。
 たまたまつけていたテレビが、健康に関する情報番組で、その時の特集が風邪だったことに端は発している。
 珍しく斎がまともなことを言うと同意すると、その瞬間にニタリと笑って斎は高らかに宣言した。
「ほな、ウチよか怜ちゃんの方がバカやな。はい、怜ちゃんバカ決定ー!」
 あまりにも突然決めつけられ、怜は当然ムッとしてすぐさま反論に転じた。
「……何でそうなるんさ? 斎だっていっとき風邪ひきまくってただろうに」
「今はあんましひかんやん? 怜ちゃんなんか、毎月ひいてるやんか」
「今月はまだひいてない」
「ほな、今月風邪ひいたらバカやって認めるん?」
「いいけど、逆に斎が風邪ひいたら、そっちがバカ決定だからな」
「よっしゃ! 勝負や、怜ちゃん!」
 斎のペースにはめられてしまった自分は、風邪をひかなくてもバカだと今さらながらに怜は自覚した。
 よく考えなくても、怜と斎では圧倒的に斎の方が健康優良児――というよりもむしろ野性児だ。
 一時斎がよく風邪をひいていたというのも、バイトの掛けもちと学校での課題に追われていて、極度に睡眠や食事を削った結果であり、バイトの一本化と課題の終了以降は風邪どころか体調不良の欠片も見えない。
 それに引き換え、怜は体調をよく崩す。
 家に引き籠っているから体力自体も衰えているだろうし、仕事でのストレスも多い。ストレスが素直に体調に反映されやすいのも大きいだろう。
「健全な魂は健全な肉体に宿る、とか言うよなぁ……」
 ということは、自分は健全じゃないのか、と苦笑すると同時に。
 「あったり前やん! 怜ちゃんみたいな腹黒が健全なわけないやろ?」とツッコむ斎の声が聞こえてくるような気がして、プッと小さく噴き出してしまった。
「……怜ちゃん、何一人で笑っとるん?」
「…………は?」
 幻聴でも何でもなく、確かに聞こえてきた斎の声に怜は驚いて身を起こす。その瞬間頭痛がひどくなったのだが、それよりも声の正体を確かめる方が重要だった。
 いつの間に現れたのやら、部屋の入口に斎が立っている。その手には、二十四時間営業のスーパーの袋を提げていた。
「斎、いつ来たの?」
「さっき。ピンポン鳴らしたけど出てこんから勝手に上がったわ」
「鳴らした?」
「鳴らんかった?」
「……聞いてない」
 頭が痛すぎてわからなかったのか、それとも意識がぼーっとしていて気付かなかったのか、はたまたその両方か。どちらにしろ怜の記憶には玄関チャイムが鳴った記憶がなかった。
「ほなアレやな。チャイムさんの機嫌が悪かってん。ウチ、機械と相性悪いし」
 妙な納得をしながら、斎は一人うんうんと頷く。
 いつもより大人しい斎を珍しいなと思っていると、斎は徐にスーパーの袋を漁りだし、中から小さなカップを取り出した。
 見るとそれは、フルーツ入りのヨーグルトだ。
「ま、食っとき」
「は? 相変わらず突発的な……」
「どうせ何も食べてへんのやろ? そんなんやったら薬も飲まれへんやん」
 斎の言葉に、思わず怜は目が点になった。
(……斎に何か言ったっけ?)
 疑問に思い、今日一日の自分の行動を振り返ってみる。
 昨夜は斎と二人でオールナイトカラオケだった。
 斎が名倉も誘ったのだが、仕事を理由に断りと謝罪を寄越したので、結局二人だけで行くことになったのだ。
 散々二人で飲み、食い、歌った後、空も明るくなった頃にそれぞれの家へと帰宅した。
 疲れていた怜は、そのままベッドに倒れこみ、一瞬で意識を失った。
 目が覚めたのは、もう昼もだいぶ過ぎた頃。
 その時には既に気だるく、やたらと乾く喉を潤す為にミネラルウォーターをがぶ飲みした。
 それから、残っている仕事をしようとパソコンを立ち上げたのだが、どうにも頭がぼーっとして集中出来ない。
 眠気覚ましに淹れたコーヒーもひどく不味く感じて、結局流しに捨ててしまった。
 その時点で、自分の体調の悪さに拙いと思い始めたのだ。
 仕事が進まないのを気にしつつも、またベッドに戻り横になったのは、そのすぐ後。
 そのまま気付かぬうちにウトウトと微睡み、次に目が覚め時には、もう外は真っ暗になっていた。
 それから体を動かすのも億劫で、ベッドでボンヤリ過ごしているうちに斎が来てしまったわけである。
 つまり、どう考えても斎が怜の体調不良を知るはずもないのだ。けれど、現実として、斎は目の前にいて、怜の体調が悪いことを見越してきたような印象がある。
「怜ちゃん、食欲あるー?」
「……ないこともない」
「ほな、斎ちゃん特製の激ウマ雑炊を作ってしんぜよう」
 何だかやたらと楽しそうに、斎は買い物袋を持って台所へと向かっていく。
 よろめきながらも、怜はその後を追った。
「斎」
「何やぁ? 雑炊よりもうどん派か? やっぱり名古屋は味噌煮込みうどんか!? あかんでー、あんな濃いもん具合悪い時に食ったらー」
「食うか! ……ったぁ……」
 能天気に全く違う方向へ話を持っていく斎に、思わずいつも通りのツッコミを入れた瞬間、怜は頭を抱えてしゃがみこんだ。
 その様子に斎は呆れたような、けれどそれでもどこか嬉しそうな意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほらほら、『おバカ』な怜ちゃん、ちゃんと横になっとらなアカンで?」
「……誰の所為だ……」
 力のない悪態を残し、怜はベッドへと戻り、体を横にした。
 それだけで強く痛む頭痛が少しだけ和らぐ。
 斎はというと、昨日さんざん歌ったにも関わらず、気分良さそうに歌を歌いながら野菜を刻んでいた。
「……なあ、斎」
「何やぁ?」
「何で自分が具合悪いのわかったんさー」
「昨日から怜ちゃんの声おかしかったやーん」
「おかしかった、っけ……?」
 確かに、歌っている途中から声が涸れ始めたのは自覚があった。しかし、二人でオールナイトカラオケなどという無謀なことをしたのならば、当然の結末だと怜は思っていたのだ。
 しかし、斎はそうは思わなかったらしい。当の斎本人が喉を潰していないからかもしれない。
「それに、昨日いきなり寒なったやろ? んでもって、喉を痛め、仕事で疲れ切った上にオールまでした『おバカさん』は元々の虚弱体質も手伝って、絶対風邪ひいてるやろうなぁと思ってなー」
 わざと斎は『おバカさん』の部分だけ強調してそう説明した。
 ついこの間の勝負のことを覚えていて、わざと連呼しているのだ。
 怜の体調の悪い今この時こそが、日頃の怜の仕打ちに対して報復できる唯一のチャンスといってもいいからだ。
 だから、思わず歌ってしまうほど機嫌がいい。
 反対に、怜の方が斎の機嫌の良さに腹が立つばかりである。
「名推理やろ? さすが斎ちゃんはミステリー好きやなぁ」
「どこが推理だ」
「当たっとるやろ。怜ちゃん、ほっといたら絶対まともなもん食べんと無理に仕事して悪化させるに決まっとるんやから!」
 怜の不機嫌な反論に、斎は更に力強い反論で返した。その言葉の後半には心配の色も滲んでいて、怜は口を噤んだ。
 確かに、ただでさえダルい体で食事を作る気なんて起きるはずもないし、かといって外で食事をするのも億劫だろう。
 そうなった自分の行動としては、適当に家の中にあるもので食い繋ぎ、とりあえず締切まで持ちこたえる。そうするだろう、間違いなく。
 そんな怜の行動の予測して、斎はわざわざ食事を作りに来たのだ。
 ベッドに寝転がりながら、楽しげな斎の背中を見つめ、
「ちゃんと食べられるもの所望」
 少しばかり悔しさを覚えつつそう投げかける怜に、
「何言うとんねん。バイト先の女の子には『嫁にしたいスタッフNo.1』って言われとるんやで?」
 ケタケタと笑いながら答える斎。
「女の子にかい、斎ちゃん」
「せやでー。女の子にモッテモテやねん。妬けるぅ?」
「妬く意味がわからんでしょ」
 呆れて冷たく言うものの、怜の口元には笑みが浮かんでいた。
 病気の時に誰かがいてくれるということは、本当にありがたい。それは一人暮らしをしている人間には尚更身に染みるのだ。
 会話の間にも斎は手際よく調理を終え、湯気とともに良い香りを漂わせている鍋をコタツの上へと持ってきた。
 それから食器を用意し、茶碗にたっぷりと雑炊をよそうとそれを怜の方へと差し出す。
 怜は頭に響かないようにゆっくりと上体を起こし、落とさないように注意深く茶碗を受け取った。
「斎は風邪ひいたらちゃんと怜さん呼びなさいよ」
「えー? 呼ばんでも来てやー」
「それはどうやって知るのかな、斎ちゃん」
「んーと、黒電波?」
 斎らしからぬ可愛らしい仕草で小首を傾げる。
 と、二人同時にプッとふき出し、声を上げて笑い出した。
 しばらく笑い続けた後、せっかくの出来たて雑炊が冷めてしまうのも勿体ないので、ありがたく頂くことにする。
 ダシがしっかりと利いていて、ネギや鶏、卵の入った栄養満点の雑炊を頬張りながら、怜はぼんやりと考える。
(『病は気から』か……)
 その言葉通り、心なしか体が楽になった気がする。
 それは気の所為でしかないのかもしれないけれど、斎がいることで気が紛れるのは確かだった。
(ま、斎自体がある意味病原体だし?)
 毒を以て毒を制するようなものだと思い、くすりと小さく笑みを零す。斎がそれに訝しげに首を傾げるのに、怜は何でもないと誤魔化したのだった。


 その、数日後。
「いやぁ、本当にバカは風邪ひかないってのは大嘘だよねー、斎ちゃん」
「……るさいで、怜ちゃん……」
 ベッドに横になった斎が、ガラガラに荒れた声で反論する。
 その声に力はないが、目だけは恨めしそうに怜を睨んでいた。
「ひどいなぁ。『おバカ』な斎ちゃんをわざわざ看病する為に来てあげた優しい怜さんに、感謝の言葉はないのかい?」
「……怜ちゃん、何でウチが風邪やってわかったん?」
「んー? 黒電波?」
 数日前に斎がやったのと全く同じ仕草で怜は返す。
 けれど、本当は単純な理由。
 風邪ひきの怜とあれだけ一緒にいて、更には怜の食べ残した雑炊を「ならウチが食う」と綺麗に平らげた。この時点で空気感染と経口感染である。
 それから斎はバイトが八連勤なのだと言っていた。その間、当然学校もあるわけで、睡眠時間も十分でなく疲労も溜まっているはず。
 そんな状態で体調を崩さないわけがないだろうと怜は思ったのだ。
「だから風邪感染るぞーって言ったのに……」
「大丈夫やって思ってんもん」
「バーカバーカ」
「怜ちゃんに感染して治しちゃる!」
「そしたらまた怜さんの看病だってわかってる?」
「う……、エンドレスや……」
 がっくりと息絶えるふりをする斎。そしてまたも二人で笑い出す。
 これでは結局二人してバカ決定だ。
 けれど、それでもいいかと、バカ二人はしばらくそのまま笑い続けた。

 *
 風邪は『バカ』がひくもんだ。
 しかも交代でひいてりゃ世話はない。
 けれど、君が温かさを分けてくれるのなら、  『バカ』もたまには、いいもんかもな――。畳む

#二重織 #過去ログ

その他

Be listened to your song
過去のリレー小説『二重織』のログ
怜と斎がカラオケに行こうという話

 頭の中で、ノイズが響く。
 かきむしるように渦巻くソレに、苛まれては瞳を閉じる。
 『音』など、無くなってしまえ――。

 *

「本当に鬱陶しいです」
 怜の家に来るなり、開口一番に放った斎の台詞がそれだった。
 いつもの方言はどこへいったのやら、何故か標準語である斎。
 『不機嫌』  柴田斎科 バイト終了後属
 特徴――毒性が通常時の二倍増
 斎事典作ったならば、きっとこんな感じだろうとくだらないことを考えながら、怜は苦笑を浮かべて斎を出迎えた。
「今日は何があったんだぁ? 客か?」
「客もバイトも社員も! ホンマ、使えへんヤツばっかりやし……!」
 愚痴りながら斎は勝手に怜のベッドへと倒れ込んだ。
 怜はそんな斎の横たわるベッドにもたれかかって腰を下ろし、新しい煙草に火をつける。
 斎のバイト終了後の襲撃は、もはや日常化している。更に言えば、こんな風に不機嫌全開で来ることも怜にとっては慣れたものだった。
 すでにベテランと呼ばれる立場の斎は、バイトで過密なシフトを押し付けられることもしばしばある。そのおかげでいくら無駄に元気な斎とはいえ疲れは溜まるもので、それと比例して不機嫌メーターも上昇していくのだ。
 それがもとで怜に八つ当たりをすることも何度かあった。
「うっさいわ、ホンマ……」
 心底鬱陶しそうに斎が呟く。そう愚痴を零しはするのだが、仕事で何があったのかを斎はあまり怜には話さなかった。
 互いの仕事の分野が違い過ぎるからという配慮なのだろうと怜は納得している。
 だから怜は無理に聞き出そうとはせずに、別の話題で気を紛らわせてやる方法をいつも採るのだった。
「なぁ、斎。前にカラオケ行ってからどれくらい経つ?」
「カラオケぇ? あーっと、三週間くらい、ちゃうかな」
「んじゃそろそろアレだろう。禁断症状」
「……せやなぁ」
 苦笑まじりの同意が返る。
 歌うことは斎にとってストレス解消の重要な手段で、多い時には三日に一度くらいカラオケに行っていた。もちろん、カラオケに行かなくても常日 頃からよく歌っている。台所で食事を作ったり洗い物をしたりしながら歌っている斎を見て、本当に歌が好きなんだなとつくづく感心したことが怜には何度も あったのだ。
 そんな斎が最近カラオケに行っていないことは間違いなくストレスを溜める原因にもなっているのだろうと推測した。いくら日常で歌っているからとはいえ、やはりマイクを持っての熱唱とはわけが違うからだ。
「しかもあれやん。そのカラオケ、バイトの面子で行ったし」
「余計ストレス溜まるって?」
「聴くに耐えへんヤツおるからな」
 顔を顰めて斎は失礼な発言を躊躇いなく吐いた。
 基本的に斎は歌の下手な相手とカラオケに行くのを嫌う。音が外れているのが、気になって仕方ないからだ。
 自分で歌っていても、たまに音を外すと舌打ちするくらいだから、必要以上に完璧主義なのだろうと怜は分析する。
 更に言うと、斎の父親は歌を教える立場にあると怜は聞いていた。だから余計に耳がいい。
「音外してたらただの雑音やん」
「ま、そりゃそうだ」
「だぁーっ! 怜ちゃんがカラオケとか言うから歌いたなってきたやんか!」
「こんな時間に声張りあげないように」
 ただでさえ斎の声は通るから、と怜が穏やかに黒い笑みで釘を刺す。
(そう言う怜ちゃんもこんな時間に音楽流しとるやん)
 そう思ったのだが、それを口にしたら後の報復が怖いと思い、斎は何も言わずにおくことにする。
 一瞬訪れた静寂に、静かなイントロの曲が流れ始めた。エレキギターとアコースティックギターの重なり合った旋律が美しい曲だ。
「あー、この曲好き」
 曲に気が付いた斎が、部屋に流れる静かなメロディーを口ずさんだ。
 歌うというよりも、呟くように。
 たった、1フレーズだけ。
 切なげな声で歌い上げる女性ボーカルに、斎の歌声が重なる。
「……これに近いこと思っとった時期もあったなぁ」
 天井を仰いで、斎はもう一度、そのフレーズを呟く。
 歌好きな斎がどんな想いでその歌詞を聴いたのか。
 ふと浮かんだ思いを口にしかけて、怜はすぐに飲み込む。
 代わりに、別の質問を投げかけた。
「斎ちゃんはそんな歌バカだったんですかー?」
「え? ウチ、ケン様やったん?」
「そんなボケはいらん!」
 茶化しつつも真面目さも残して訊いた怜は、ツッコミつつも自分の浅はかさを呪った。
 斎はどんなときでもボケる精神を忘れない。更に言うと、自分の気持ちを他者に知られまいとする時には意図してボケるのだ。
 他人と、自分を誤魔化すために。
 溜め息とともに紫煙を吐き出す怜に、くくっと斎は喉の奥で笑った。
 妙に自嘲的な笑い方に気づいた怜は、煙草をもみ消し、斎に振り返る。
「おまえ、大丈夫?」
「何が? 頭?」
「ん、まぁ、それも」
「それもかいっ!」
 お約束なボケとツッコミに一通り笑った後、怜が真上から斎を見下ろす。
 笑顔のまま。
 目だけが、笑わないまま。
「つーか、マジで。ストレス、溜めすぎじゃない?」
「……貯蓄は大事やん?」
 放り投げるように答えて、斎は瞳を閉じる。
 怜はまた溜め息をつきつつ、本日何本目かも忘れた煙草に火をつけた。
「貯めるのは金だけにしといてね。んで、保険金の受取人は怜さんで」
「いやーん、怜ちゃん、鬼畜ぅ」
「鬼畜好きな鬼畜には言われたくないなぁ、斎ちゃん」
 視覚が閉ざされていても、斎には声音だけでわかる。
 銜え煙草のまま、にっこりと非の打ち所のない笑みを浮かべているだろう怜が。
 そしてそれは、目にしていたらきっと恐ろしいと感じる類のものであることも。
 こういうときの怜に逆らってもろくなことはないと、斎は身をもって理解している。
 だから、採るべき行動は限られていて。
「……なぁ、怜ちゃん」
「何だい、斎ちゃん」
「明日、カラオケ行こか」
 あまりにも突然な話の流れに、思わず怜の口から煙草が零れそうになり、慌てて銜え直す。
 カラオケの話をしていたことは確かだが、それにしても唐突だった。
 何も返せずにいる怜に、斎は更に続ける。
「んで、歌って」
 短く、簡潔に。
 そう言って、微笑った。
 目を、閉じたままで。
「は? 斎が歌いたいんだろうに」
「当然歌うけど、怜ちゃんの歌が聴きたいなぁと」
「何で?」
「いっつもあんまり歌わんやん」
「まぁ、そうだけど」
 確かに、いつも怜はあまり歌わない。
 それは斎が次々に自分の歌う曲を入れる所為もあるのだが、それだけではなかった。
 そんな考えに耽る怜の耳に、
「雑音聴くより、怜の声のがええわ……」
 そんな斎の笑み声が届いた。
 ベッドを覗くと、いつものような、悪戯っぽい顔で笑う斎がまっすぐな視線を寄越す。
「……口説き文句?」
「愛が溢れてるやろ?」
「返品お願いします」
「生憎、クーリングオフ期間が過ぎておりますので……」
 コテコテに作り上げた、営業用の声とスマイルで返す斎に、思わず怜は噴き出しそうになる。
 いつもの斎らしさが戻ったことに安心しつつ、けれどそれは表情には出さずに。
「悪徳押し売り業者か、おまえは」
 呆れたような声を出した。
「こんなゼンリョウな人間捕まえて何言うねん」
「『善良』の意味を知ってますか、柴田斎さん」
「当たり前やん。怜ちゃんのことちゃういうんは確かやな」
「ああ、確かに」
「認めるんかい!?」
 いつも通りのバカなやりとりが始まる。
 そこにある、互いの声に、ほっとする。
「なぁ」
「ん?」
「音はあったほうがええなぁ」
 斎が何を言いたいのか、なんとなくで察して怜は苦笑する。
 どうして、この唯我独尊な友人は、こう言葉を省略するのかとは思いつつ。
 けれど、それでも自分にはわかるのだから問題ないかと思い直した。
「今のうちに、明日歌う歌考えといてなぁ。ナクちゃんには連絡しとくしぃ」
 そう言ってさっさと寝る態勢に入る斎に、またも斎の強引な誘いを受けるだろうもう一人の友人に内心同情する。わかったとだけ答え、怜は短くなった煙草を揉み消し、いつの間にか止まっていた音楽プレーヤーの電源を落とした。
 仕事と学校で疲れていた斎が、早くも寝息を立て始める。
 それをBGM代りに、怜はそっと部屋の照明を落とし、
「怜さんも、斎ちゃんの声聴いてる方がいいんだけどね……」
 聞こえていないとわかっているからこそ言える言葉を、小さく零した。
 日常の鬱陶しい雑音よりも。
 耳に心地いい、歌声が。
 心に響く、歌声が。
 何よりも、救いになるから。

 *
 頭の中で、響くノイズ。
 ソレをかき消す、君の声。
 どんな『音』より 鮮明で 透明で 瞳を閉じて、耳を澄ます。
 『音』も君も あるから私は私でいられる――。 畳む

#二重織 #過去ログ

その他

Happy Birthday!
過去のリレー小説『二重織』のログ
怜の誕生日を祝う話

 誕生日って、何を祝うの?  ……今更だけど。

  *

 時計の針が真上で一つに重なる。時を示す数字はリセットされ、また新たに生まれ変わった日付へと移行した。
 そんな時間帯。
 ピンポーンとどこか間の抜けたインターホンの音がとあるマンションの一室に響いた。そして少し間隔を開けてから、今度はピンポンピンポン……と連打される。
 こんな時間にこんな訪問の仕方をする相手に、青柳怜はたった一人しか心当たりがなかった。溜息まじりに、冷えた空気に満たされた玄関へと向かう。
 サムターンをカタンと回すと、その音を耳聡く聴きとった玄関外の人物は、怜がドアノブを握るよりも先に、ドアを開けていた。
「寒いっちゅーねん! もっとはよ開けてーや!」
 開口一番そう言い放ったその人物――柴田斎に対し、怜は無言で、そしてかなりの勢いでドアを本来あるべき位置に戻した。もちろん再度鍵をかけて。
 途端に、ドアを壊しかねない勢いでドンドンと叩く音が聞こえてくる。もう既にノックなんて可愛らしい域ではなく、近所迷惑も甚だしい。
「ちょっ……! 怜ちゃん!? 何すんねん! 開けろー!」
「斎ちゃん、人にモノを頼む時は何て言うのかなー?」
 ドア一枚隔てた場所で怜がそう訊ねる。
 その口調はまるで小さな子供に話しかけるように優しげで、表情も笑みの形をとってはいた。しかし、斎にはその背後に黒々としたオーラが陽炎のように揺らめいているのが見えた。本人の姿は見えないのだが、しっかりと脳裏には思い浮かんだのだ。
 拙いと本能的に察した斎は、すぐさまノックするのを辞める。
「……スミマセン。開けてください、お願いします」
「はい。よくできました」
 そう言って満面の笑みで怜が斎を出迎えると、斎は感嘆するほどの素早さで部屋の中に滑り込み、真っ直ぐに奥の部屋にあるコタツへと潜り込んだ。
 今は十二月。京都の冬は厳しいことでも有名だ。
 寒い中歩いて怜の家まで来たことが、寒がりの斎には堪えたのだろう。
 コタツ布団を肩まで持ち上げて暖を取ろうとする斎が、恨めしげな視線を怜へと送る。
「わざわざ寒い中来たった友達にする仕打ちがそれですか、怜ちゃん」
「別に怜さんは斎ちゃんに来てほしいなーとか言ってないけど?」
 逆に言えば、普通は何の前触れもなく突然に押しかけられても迷惑極まりない。
 相手が斎だから怜は許しているだけなのだ。
「怜ちゃんのことやから、忘れとるんやろ」
「は? 何を?」
 忘れていると言われ、怜はここ数日の斎とのやりとりを思い返す。しかし、今日遊ぶ約束をした覚えはまったくなかった。思い当たる節を見つけられない様子の怜に、斎はアゴでコタツの上を示した。どうやら手を出すことすら嫌らしい。
 示した先には、真っ白い、ケーキなどを入れるような持ち手のついた箱。
「何ソレ」
「ケーキ」
「ケーキ? こんな時間に食べたら太るだろうに」
「おいっ! 今日は誕生日やんか!」
 斎がツッコミながら発したワンフレーズに、怜はしばしの間考え込み、ようやく状況を理解した。
「ああ、もう二十日だっけ」
 指摘されるまで完全に忘れていた。
 先ほど突入したばかりの『今日』は、十二月二十日。怜の二十三回目の誕生日だったのだ。
 斎は怜の誕生日を祝うために訪ねてきたのだろう。
「コレ、買ってきたん? よくこんな時間にケーキ屋さんが開いてたなぁ」
「いや、作った」
「作った? 誰が?」
「可愛い可愛い斎ちゃんが」
「って、斎が!?」
「可愛いにツッコミできんくらい驚かんでもええやろ」
 唖然として、怜はコタツにへばりつく斎を見つめ返した。
 もともと斎は器用で料理などは得意としている。だから驚くことではないのかもしれないが、まさかケーキまで作れるとは思っていなかったのだ。
「お皿とフォークとグラス出してー」
「何で? お祝いしてくれんなら、準備もしてくれるもんでしょ、フツー」
「怜ちゃん家やんか」
「その怜さんの誕生日でしょうが」
 祝ってくれる気がある人間の台詞とは到底思えなくてそう言うと、斎の目が点になった。
「何言うとるん?」
「いや、だから、本日は青柳怜さんのお誕生日でしょう? ってことは、接待されるのはこっちじゃないの? って言ってんの」
 そこまで丁寧に説明をしなくてもわかりそうなものを、あえて怜は嫌味なくらい丁寧に答える。
 しかし、斎には全く納得する様子がない。
「あんなぁ、怜ちゃん」
「何さぁ、斎ちゃん」
「誕生日ってもんは、誰の為にあると思っとるん?」
「当然、自分の誕生日は自分自身の為でしょうが」
「あぁっ、何と嘆かわしい……」
 怜が答えた途端に、斎は芝居がかった口調と仕草で頭を抱えた。
 一体いつの時代の人間だとツッコミを入れたくなるのを我慢して、怜は大きくため息をつく。
「斎、意味がまったくわからんのだけど」
「そんなん、怜ちゃんの誕生日はウチの為にあるに決まっとるやん」
 さも当たり前のように、それが唯一の正解であるかのように、斎はそう言い放つ。
 さすがの怜も、呆れてしばらく言葉が返せなかった。
 どこをどう考えればそういった思考に辿り着くのか、全く見当がつかない。見当がつかないので、怜は斎の思考回路を理解しようとする行為を放棄した。
「まさか、このケーキも自分で食べたいからとか?」
「レシピ見て美味しそうやったしなー。あ、お酒はちゃんと『とっておき』持ってきたし」
 自分の真横に置いていた紙袋を、斎は目線だけで示す。怜がちらりと中を覗くと、【国士無双】と銀色で書かれたラベルが見えた。
 二人が共通して気に入っている銘柄である。しかも今回は地方限定発売のものらしかった。斎なりに気を遣った結果のセレクトなのだろう。
「ほら、はよ皿とフォークとグラス! あと包丁は、お湯で温めてな」
「はいはい、わかった、わかりましたよ」
 斎の傍若無人さは今に始まったことではないので、怜は諦めて食器と包丁を用意する。
 ケーキの箱を開けると、予想していたよりもずっと見事なケーキが入っていた。デコレーションはほとんどなく見た目は至ってシンプルなのだが、買ってきたものだと言われても信じてしまいそうなほどの出来映え。
 せっかくだから、包丁を入れるのはもう少し後にしようと思い、先に酒の封を開けた。
 それぞれのグラスに、透明な液体が注がれる。
「かんぱーい!」
「……乾杯」
「何やテンション低いなぁ」
「斎が無駄に高いだけ」
 普通は「誕生日おめでとう」とか「ハッピーバースデー」とか言うもんじゃないか? と怜は心中で考えつつ、けれど実際斎にそんなことを言われても恥ずかしいだけだと思い直した。
 しかし、そんなことを考えていたのが顔に出ていたのか、怜の考えを見透かすようにニヤリと斎が笑う。
「しゃあないなぁ。ほな、『誕生日』――」
「うわっ! 斎! サムイからやめんか!」
 グラスを掲げて声高に叫ぼうとする斎を、怜は慌てて制した。
 そんな怜に、斎は悪戯な笑みを浮かべる。
「ええやん、別に」
「この年で『誕生日おめでとう』もないと思わん?」
「ちゃうって」
「は?」
 ひらひらと手を横に振って否定する斎に、怜は疑問全開の表情。
 何が違うというのかがわからない。
「『誕生日おめでとう』とちゃうよ」
「じゃあ、何さ?」
 まだわからないままの怜に、斎はニッと悪戯っぽい笑みを深める。
「さっき言うたやん? 誕生日は自分の為のものとちゃうって」
「あぁ」
「だから――」
 斎がグラスを持ち上げ、怜にも倣うようにと促す。
 訳のわからぬまま怜もグラスを手に取った。
 それに斎はカチンと軽く触れ合わせ、
「『誕生日ありがとう』や」
「……『ありがとう』?」
 その感謝を向ける相手が怜には分からない。斎はそれを察し、グイと国士無双をあおると、今度は柔らかく微笑んだ。
「年数える為に誕生日はあるんとちゃうやん? その人が生まれてきたことを、そんでもって今まで生きてきて出逢えたことを感謝する為にあるんとちゃうんかな?」
「斎……」
「ウチえぇこと言うたわー」
「それは自分で言わない方がいいと思うけどな」
 ツッコミながらも、怜の頬は自然と緩む。
 冗談ぽく茶化した言い方をする斎ではあったが、そこにはちゃんと本心が垣間見えているからだ。
 そして、怜も心の中で小さく感謝する。
 そんな友人と出逢えたことに。
「ちゅうことで、ウチの誕生日にはウチに感謝せなあかんで、怜ちゃん。あ、お酒はアレでええわ、【雪中梅】」
 押しつけがましく斎の指定したのは、新潟県の有名な銘柄。そして斎のお気に入りベストスリーに入るものだった。
「……おまえ、自分の誕生日は自分の為か」
「当たり前やん」
 即答する斎に、怜は反射的に黒い笑顔を浮かべていた。先ほどまで胸の内にあった感謝の気持ちを返してほしい気分になったのだ。
「こらこらー。さっき自分で何て言ったのか覚えているかいー?」
「んー。もう忘れたー」
「都合のいい脳味噌なのねー、斎ちゃん」
「そうそう、ホンマに忘れとった。もうそろそろナクちゃん来るしー」
「ナク?」
 ナクとは二人の共通の友人・名倉優のことだ。斎ほど怜の家に入り浸ってはいないが、遊びに来る頻度は非常に高い。といってもその半分近くが斎に強引に拉致されたり、呼び出されたりした結果であった。どうやら今回もそうなのだろうと怜は見当をつける。
「来る前にメール入れといてん。『怜ちゃん家集合!』って」
「……本人に了承取ってからにしようね、斎」
「えー? そんなん面倒臭いやん」
「面倒臭いじゃなくて、ここの部屋の主は誰ですか」
「怜とウチとナク」
「連名にすんな!」
 思わず怜がツッコミを入れた瞬間に、ピンポーンとインターホンが鳴り響いた。
 ドアの外にいるのは、おそらく斎の予告通り、無理やり呼び出された友人なのだろう。
「ほら、怜ちゃんはナクちゃんのお出迎え。ウチはナクちゃんの分の食器用意しとくし」
「いつも思うが、自分とナクの扱い違わないか?」
「だってナクちゃん見とったらオカンな気分にならへん?」
「……まあ、わからんでもない」
「やろ? ほら、行った行った」
 怜を玄関へと促して、斎は台所へと姿を消した。
 一息ついて、怜は玄関へと向かいながらこれから始まるだろう宴にそっと笑みを浮かべる。  多分、今夜は夜通し飲み続けることになるのだろう。
 好物の酒と、特製のビターチョコケーキと、そして居心地のいい友人たち。
 そんな誕生日もいいと、またも怜の口元から笑みが零れる。  斎を出迎えた時とは違う柔和な笑みを伴って、怜はゆっくりと玄関のドアを開けた。

 *

 誰にともなく、感謝を向けて――。
 生まれてきてくれて、ありがとう。
 出逢ってくれて、ありがとう。
 Happy Birthday!  I’m thankful to your birth for my fate.畳む

#二重織 #過去ログ

その他