No.18

Doesn't Fool catch cold?
過去のリレー小説『二重織』のログ
馬鹿は風邪を引くか引かないかという話

 『バカ』は風邪をひかない。
 それを否定して。
 風邪は『バカ』がひくもんだ。
 そう、君は笑った――。

 *

「やばい、な……」
 散らかり放題の部屋の中、怜はベッドに寝転がったまま見慣れた天井を見つめた。
 とはいっても、実際には天井を見つめているわけではなく、ただぼんやりとした視線がその方向を向いているというだけだ。
 ガンガンと響くように痛む頭。不愉快な悪寒が背中にはりつき、喉の奥がいがいがとした違和感を持っている。
 明らかに、『風邪の諸症状』と思われるそれらに、思わず眉間に皺が寄った。
 今受けているテープライターの仕事は締め切りが近い。
 集中しないと出来ない仕事にも関わらず、こうも頭が痛いと集中など出来るはずもなかった。当然、仕事は遅れるだろう。
 そしてそれよりも顔を顰めてしまう原因は。
「……斎に馬鹿にされる」
 怜の痛む頭の中に、傍若無人な友人が腹を抱え、自分を指差し、爆笑する姿が思い浮かんだ。
 何故なら、つい先日斎とかわしたやりとりがあったからだ。
「バカは風邪ひかんゆーけど、健康管理もちゃんと出来んようなヤツの方が、よっぽどバカやと思わん?」
 斎が怜と一緒にご飯を食べながら発した一言だった。
 たまたまつけていたテレビが、健康に関する情報番組で、その時の特集が風邪だったことに端は発している。
 珍しく斎がまともなことを言うと同意すると、その瞬間にニタリと笑って斎は高らかに宣言した。
「ほな、ウチよか怜ちゃんの方がバカやな。はい、怜ちゃんバカ決定ー!」
 あまりにも突然決めつけられ、怜は当然ムッとしてすぐさま反論に転じた。
「……何でそうなるんさ? 斎だっていっとき風邪ひきまくってただろうに」
「今はあんましひかんやん? 怜ちゃんなんか、毎月ひいてるやんか」
「今月はまだひいてない」
「ほな、今月風邪ひいたらバカやって認めるん?」
「いいけど、逆に斎が風邪ひいたら、そっちがバカ決定だからな」
「よっしゃ! 勝負や、怜ちゃん!」
 斎のペースにはめられてしまった自分は、風邪をひかなくてもバカだと今さらながらに怜は自覚した。
 よく考えなくても、怜と斎では圧倒的に斎の方が健康優良児――というよりもむしろ野性児だ。
 一時斎がよく風邪をひいていたというのも、バイトの掛けもちと学校での課題に追われていて、極度に睡眠や食事を削った結果であり、バイトの一本化と課題の終了以降は風邪どころか体調不良の欠片も見えない。
 それに引き換え、怜は体調をよく崩す。
 家に引き籠っているから体力自体も衰えているだろうし、仕事でのストレスも多い。ストレスが素直に体調に反映されやすいのも大きいだろう。
「健全な魂は健全な肉体に宿る、とか言うよなぁ……」
 ということは、自分は健全じゃないのか、と苦笑すると同時に。
 「あったり前やん! 怜ちゃんみたいな腹黒が健全なわけないやろ?」とツッコむ斎の声が聞こえてくるような気がして、プッと小さく噴き出してしまった。
「……怜ちゃん、何一人で笑っとるん?」
「…………は?」
 幻聴でも何でもなく、確かに聞こえてきた斎の声に怜は驚いて身を起こす。その瞬間頭痛がひどくなったのだが、それよりも声の正体を確かめる方が重要だった。
 いつの間に現れたのやら、部屋の入口に斎が立っている。その手には、二十四時間営業のスーパーの袋を提げていた。
「斎、いつ来たの?」
「さっき。ピンポン鳴らしたけど出てこんから勝手に上がったわ」
「鳴らした?」
「鳴らんかった?」
「……聞いてない」
 頭が痛すぎてわからなかったのか、それとも意識がぼーっとしていて気付かなかったのか、はたまたその両方か。どちらにしろ怜の記憶には玄関チャイムが鳴った記憶がなかった。
「ほなアレやな。チャイムさんの機嫌が悪かってん。ウチ、機械と相性悪いし」
 妙な納得をしながら、斎は一人うんうんと頷く。
 いつもより大人しい斎を珍しいなと思っていると、斎は徐にスーパーの袋を漁りだし、中から小さなカップを取り出した。
 見るとそれは、フルーツ入りのヨーグルトだ。
「ま、食っとき」
「は? 相変わらず突発的な……」
「どうせ何も食べてへんのやろ? そんなんやったら薬も飲まれへんやん」
 斎の言葉に、思わず怜は目が点になった。
(……斎に何か言ったっけ?)
 疑問に思い、今日一日の自分の行動を振り返ってみる。
 昨夜は斎と二人でオールナイトカラオケだった。
 斎が名倉も誘ったのだが、仕事を理由に断りと謝罪を寄越したので、結局二人だけで行くことになったのだ。
 散々二人で飲み、食い、歌った後、空も明るくなった頃にそれぞれの家へと帰宅した。
 疲れていた怜は、そのままベッドに倒れこみ、一瞬で意識を失った。
 目が覚めたのは、もう昼もだいぶ過ぎた頃。
 その時には既に気だるく、やたらと乾く喉を潤す為にミネラルウォーターをがぶ飲みした。
 それから、残っている仕事をしようとパソコンを立ち上げたのだが、どうにも頭がぼーっとして集中出来ない。
 眠気覚ましに淹れたコーヒーもひどく不味く感じて、結局流しに捨ててしまった。
 その時点で、自分の体調の悪さに拙いと思い始めたのだ。
 仕事が進まないのを気にしつつも、またベッドに戻り横になったのは、そのすぐ後。
 そのまま気付かぬうちにウトウトと微睡み、次に目が覚め時には、もう外は真っ暗になっていた。
 それから体を動かすのも億劫で、ベッドでボンヤリ過ごしているうちに斎が来てしまったわけである。
 つまり、どう考えても斎が怜の体調不良を知るはずもないのだ。けれど、現実として、斎は目の前にいて、怜の体調が悪いことを見越してきたような印象がある。
「怜ちゃん、食欲あるー?」
「……ないこともない」
「ほな、斎ちゃん特製の激ウマ雑炊を作ってしんぜよう」
 何だかやたらと楽しそうに、斎は買い物袋を持って台所へと向かっていく。
 よろめきながらも、怜はその後を追った。
「斎」
「何やぁ? 雑炊よりもうどん派か? やっぱり名古屋は味噌煮込みうどんか!? あかんでー、あんな濃いもん具合悪い時に食ったらー」
「食うか! ……ったぁ……」
 能天気に全く違う方向へ話を持っていく斎に、思わずいつも通りのツッコミを入れた瞬間、怜は頭を抱えてしゃがみこんだ。
 その様子に斎は呆れたような、けれどそれでもどこか嬉しそうな意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほらほら、『おバカ』な怜ちゃん、ちゃんと横になっとらなアカンで?」
「……誰の所為だ……」
 力のない悪態を残し、怜はベッドへと戻り、体を横にした。
 それだけで強く痛む頭痛が少しだけ和らぐ。
 斎はというと、昨日さんざん歌ったにも関わらず、気分良さそうに歌を歌いながら野菜を刻んでいた。
「……なあ、斎」
「何やぁ?」
「何で自分が具合悪いのわかったんさー」
「昨日から怜ちゃんの声おかしかったやーん」
「おかしかった、っけ……?」
 確かに、歌っている途中から声が涸れ始めたのは自覚があった。しかし、二人でオールナイトカラオケなどという無謀なことをしたのならば、当然の結末だと怜は思っていたのだ。
 しかし、斎はそうは思わなかったらしい。当の斎本人が喉を潰していないからかもしれない。
「それに、昨日いきなり寒なったやろ? んでもって、喉を痛め、仕事で疲れ切った上にオールまでした『おバカさん』は元々の虚弱体質も手伝って、絶対風邪ひいてるやろうなぁと思ってなー」
 わざと斎は『おバカさん』の部分だけ強調してそう説明した。
 ついこの間の勝負のことを覚えていて、わざと連呼しているのだ。
 怜の体調の悪い今この時こそが、日頃の怜の仕打ちに対して報復できる唯一のチャンスといってもいいからだ。
 だから、思わず歌ってしまうほど機嫌がいい。
 反対に、怜の方が斎の機嫌の良さに腹が立つばかりである。
「名推理やろ? さすが斎ちゃんはミステリー好きやなぁ」
「どこが推理だ」
「当たっとるやろ。怜ちゃん、ほっといたら絶対まともなもん食べんと無理に仕事して悪化させるに決まっとるんやから!」
 怜の不機嫌な反論に、斎は更に力強い反論で返した。その言葉の後半には心配の色も滲んでいて、怜は口を噤んだ。
 確かに、ただでさえダルい体で食事を作る気なんて起きるはずもないし、かといって外で食事をするのも億劫だろう。
 そうなった自分の行動としては、適当に家の中にあるもので食い繋ぎ、とりあえず締切まで持ちこたえる。そうするだろう、間違いなく。
 そんな怜の行動の予測して、斎はわざわざ食事を作りに来たのだ。
 ベッドに寝転がりながら、楽しげな斎の背中を見つめ、
「ちゃんと食べられるもの所望」
 少しばかり悔しさを覚えつつそう投げかける怜に、
「何言うとんねん。バイト先の女の子には『嫁にしたいスタッフNo.1』って言われとるんやで?」
 ケタケタと笑いながら答える斎。
「女の子にかい、斎ちゃん」
「せやでー。女の子にモッテモテやねん。妬けるぅ?」
「妬く意味がわからんでしょ」
 呆れて冷たく言うものの、怜の口元には笑みが浮かんでいた。
 病気の時に誰かがいてくれるということは、本当にありがたい。それは一人暮らしをしている人間には尚更身に染みるのだ。
 会話の間にも斎は手際よく調理を終え、湯気とともに良い香りを漂わせている鍋をコタツの上へと持ってきた。
 それから食器を用意し、茶碗にたっぷりと雑炊をよそうとそれを怜の方へと差し出す。
 怜は頭に響かないようにゆっくりと上体を起こし、落とさないように注意深く茶碗を受け取った。
「斎は風邪ひいたらちゃんと怜さん呼びなさいよ」
「えー? 呼ばんでも来てやー」
「それはどうやって知るのかな、斎ちゃん」
「んーと、黒電波?」
 斎らしからぬ可愛らしい仕草で小首を傾げる。
 と、二人同時にプッとふき出し、声を上げて笑い出した。
 しばらく笑い続けた後、せっかくの出来たて雑炊が冷めてしまうのも勿体ないので、ありがたく頂くことにする。
 ダシがしっかりと利いていて、ネギや鶏、卵の入った栄養満点の雑炊を頬張りながら、怜はぼんやりと考える。
(『病は気から』か……)
 その言葉通り、心なしか体が楽になった気がする。
 それは気の所為でしかないのかもしれないけれど、斎がいることで気が紛れるのは確かだった。
(ま、斎自体がある意味病原体だし?)
 毒を以て毒を制するようなものだと思い、くすりと小さく笑みを零す。斎がそれに訝しげに首を傾げるのに、怜は何でもないと誤魔化したのだった。


 その、数日後。
「いやぁ、本当にバカは風邪ひかないってのは大嘘だよねー、斎ちゃん」
「……るさいで、怜ちゃん……」
 ベッドに横になった斎が、ガラガラに荒れた声で反論する。
 その声に力はないが、目だけは恨めしそうに怜を睨んでいた。
「ひどいなぁ。『おバカ』な斎ちゃんをわざわざ看病する為に来てあげた優しい怜さんに、感謝の言葉はないのかい?」
「……怜ちゃん、何でウチが風邪やってわかったん?」
「んー? 黒電波?」
 数日前に斎がやったのと全く同じ仕草で怜は返す。
 けれど、本当は単純な理由。
 風邪ひきの怜とあれだけ一緒にいて、更には怜の食べ残した雑炊を「ならウチが食う」と綺麗に平らげた。この時点で空気感染と経口感染である。
 それから斎はバイトが八連勤なのだと言っていた。その間、当然学校もあるわけで、睡眠時間も十分でなく疲労も溜まっているはず。
 そんな状態で体調を崩さないわけがないだろうと怜は思ったのだ。
「だから風邪感染るぞーって言ったのに……」
「大丈夫やって思ってんもん」
「バーカバーカ」
「怜ちゃんに感染して治しちゃる!」
「そしたらまた怜さんの看病だってわかってる?」
「う……、エンドレスや……」
 がっくりと息絶えるふりをする斎。そしてまたも二人で笑い出す。
 これでは結局二人してバカ決定だ。
 けれど、それでもいいかと、バカ二人はしばらくそのまま笑い続けた。

 *
 風邪は『バカ』がひくもんだ。
 しかも交代でひいてりゃ世話はない。
 けれど、君が温かさを分けてくれるのなら、  『バカ』もたまには、いいもんかもな――。畳む

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