No.19

We are.
テーマ楽曲:We are./Do As Infinity

 今月の頭から街角にはクリスマスソングが流れ始めた。
 並び立つどの店のショーウィンドウも、ディスプレイがクリスマスモード。ツリーやリースやサンタクロースが、溢れかえっている。街路樹などにも、イルミネーションが飾り付けられ、ゆるやかに暮れ始めた聖夜のムードを盛り上げていた。
 そんな、繁華街の人混みの中。

 ブーツの靴音高らかに、急ぎ足で雑踏をすり抜ける、小柄な人影。僅かに息を切らせ、時々時計を確認しながら、待ち合わせの場所へと彼女は向かっていた。
 そして、数分後、辿りついたのは、こぢんまりとした佇まいのカフェ。賑やかな通りからは少し奥まった場所にある、落ち着いた雰囲気のお店だった。
 急ぎつつも、入り口のドアを開ける前に、走って乱れた髪を軽く整える。一呼吸ついてから、そのドアをゆっくりと開けた。
「ゴメン、遅くなって……!」
「ホント、おっそーい!」
「寒かったでしょ? とりあえずコーヒーでも飲んだら?」
「すぐに淹れるね、特製カフェオレ」
 出迎えた友人たちに、彼女はニコッと笑みを浮かべた。
 女ばかり四人のクリスマスパーティー。
 高校の時からずっと仲の良い四人組だった。
 せっかくのクリスマスイブに、女四人というのも寂しいと思われるだろう。
 けれど、皆それぞれ、恋人や家庭がないわけではないのだ。
「もう、あんまり佳奈が遅いから、先に食べちゃおうかと思ったじゃない」
 そう文句を言いつつも、本当はまったく怒る気などないのは詠子。
 OLをしながら趣味でバンドのヴォーカリストをしている。
 彼氏は同じ会社の同僚で、不運にもイブ当日から二日間出張になったらしい。
「思ったじゃなくって、つまみ食いしてたじゃない。ねぇ、優里」
 詠子の言葉にすかさずツッコミを入れたのは、美帆だった。
 結婚三年目、旦那とは今でも新婚並みにラブラブで、一児の母。
 家族でのクリスマスパーティーは、毎年二十五日と決まっている為、本日は子供を夫に任せて出てきたらしい。
「うん。思いっきり食べてたね。鶏の唐揚げ」
 笑いながら美帆に続いた優里は、このカフェの経営者。
 結婚はしていないが、同棲中の彼氏がいて、結婚秒読み状態。その彼氏は、本日仕事が夜勤で、明朝にならないと帰ってこないらしい。
「だってー、めちゃくちゃ美味しそうだったんだもんー!!」
「はいはい、ゴメンネ、詠子。優里の料理、本当に美味しいもんね」
 彼女――佳奈は、言い訳する詠子に笑い混じりに謝り、優里の淹れてくれたカフェオレを一口含む。
「ん、おいし……」
 甘さを抑えた自分好みのカフェオレに、ほっと一息つく。冷え固まった体が、解れるようだった。
「さて、みんな揃ったところで、始めましょうか」
 佳奈がコーヒーカップを置くのを見計らって、美帆が声をかける。それと同時に、優里が店内の照明を落とした。
 店の中央近くに据えられたテーブルには、優里が腕をふるって作った料理の数々と見事なデコレーションケーキ。
 空いたテーブルやカウンター、飾り棚などの上には、幾つものキャンドルが淡い炎を揺らめかせていた。
 流れる音楽は、あえてクリスマスソングでなく、静かな洋楽のバラードソングばかり。
 その空間は、日常から遠く離れ、幻想的な雰囲気で満たされていた。
 優里が、乾杯用のシャンパンをそれぞれのグラスに注ぐと、席に着く。
 各々、グラスを挙げ、
「メリークリスマス!」
「メリークリスマス」
「メリークリスマース!!」
「メリークリスマス……」
 カチン……と、澄んだ音を響かせ、グラスを軽く合わせた。
 そして、始まるのは賑やかな宴。気心の知れた女友達だけの。

 こんな風に四人でクリスマスを過ごすのは、今年が初めてではない。もう五年も前からずっと続いているのだ。
 普通なら、恋人や家族と過ごすであろう、クリスマスイブ。
 それをこの五年間、毎年この四人で過ごしているのには訳があった。

 それは、六年前のクリスマスのこと。
「んじゃ、気をつけてね」
 佳奈は玄関先で自分より二十センチ高い位置にある顔を見つめた。
 その日は、クリスマスイブ。
 あと数時間で日付は二十五日に変わるその時間に、佳奈のマンションを後にしようとしていたのは、恋人の敬だった。
 つい先ほどまで、二人はイブの夜を満喫していた。しかし、急なトラブルで、翌日朝早くから会社に出勤を命じられた敬は、自分のマンションに戻り明日の用意をしなければならなくなった。
 佳奈としては、二人でゆっくり過ごしたかったのだが、仕事ならわがままを言うわけにもいかない。そう諦め、素直に敬を送り出すことにした。
「佳奈、明日は絶対何が何でも一緒に過ごそうな!」
「うん!」
 帰らなくてはならなくなったことを申し訳なく思っているのか、敬が翌日の約束をしてくれる。
 それが嬉しくて、佳奈は満面の笑みで彼の後ろ姿を見送り、気の早いことに翌日の晩ご飯のメニューを既に考え始めていた。

 敬は、佳奈が大学時代に知り合った。
 佳奈の入ったサークルの、二つ上の先輩だったのだ。
 入部してすぐに佳奈から一目惚れし、一年間想い続けた末の両想いだった。
 大学を出てからも付き合いは続き、そろそろ結婚なんかも考え出した佳奈の二十四回目の誕生日。
 祝ってくれた敬から、突然ある一言を言われた。
「そろそろ苗字変える気、ない?」
 その意味を理解するのに、佳奈は数十秒を要した。
 そして理解した途端、真っ赤になって頷き、ついには泣き出してしまったのだ。
 ずっと一緒にいたいと思った人からの、プロポーズ。どんな高価なモノよりも嬉しい言葉を、プレゼントされた。
 幸せすぎる、日々だった。年が明け、春を待って式を挙げることが決まっていた。
 なのに――。

 翌十二月二十五日。
 佳奈は仕事を手早く終わらせ、早々と帰宅して晩ご飯の準備に取りかかっていた。キッチンで鼻歌混じりに野菜を刻む。
 その歌声を遮るように、携帯の着信音が鳴り響いた。
 敬からだ。
 そう思い、いそいそと手を拭いて携帯を取った。
「もしもし」
『あ、佳奈ちゃん……?』
「え?」
 着信は間違いなく敬の携帯からだったのに、聞こえてきた声は別人のものだった。
 その声には聞き覚えがある。敬の同僚で、一番仲がいい神田という人物だ。佳奈も何度か会ったことがあり、気さくでユーモアの溢れた人柄だと覚えていた。
「神田さん? どうしたんですか?」
 問い返しながらも、佳奈の胸中は嫌な予感にジワジワと支配されていた。
 神田が個人的に佳奈に電話をしてくるなんて有り得ないのだ。しかも、敬の携帯電話から掛けてくるなど余計におかしい。
『佳奈ちゃんさ、今から出られる?』
「え? あの私、敬さんを待ってないと……」
『えっと……佳奈ちゃん、落ち着いて聞いてくれる? 敬が……』
 神妙な口調の神田にいつもの明るい彼らしさはなかった。
 神田の言おうとする言葉の先を、聞きたくないと、心の底から思った。
 けれど、意に反して体はまったく動かない。耳を塞ぐことも、携帯の終話ボタンを押すことも出来なかった。
『敬が、事故に巻き込まれた』
 苦渋に満ちた神田の電話越しの声が、耳を刺した。
 その後、何をどうやって、敬の運ばれた病院に辿り着いたのかは覚えていない。
 そして、必死の想いで辿りついた佳奈を待っていたのは、更に残酷で絶望に染まった報せだった。

 佳奈は永遠に、敬と過ごす時間を失ってしまった――。

 その次の年のクリスマスイブ。
 引きこもりがちになっていた佳奈のマンションに、突然美帆、詠子、優里の三人が訪れた。本当に突然、前触れも何もなくだ。
 呆気に取られている佳奈を三人は強引に酒宴に引きずり込み、お陰で佳奈は昨年の思い出に引きずられる暇も、悲しみに暮れる暇もなくなってしまった。
「んじゃ、また来年ー!」
 三人は帰り際にそう言い置き、その予告通り、次の年のクリスマスには今度はちゃんと事前に連絡を寄越してパーティーに誘ったのだった。
 以来、その聖夜の宴は毎年行われてきた。

「もう、五年も経つのかぁ……」
 乾杯をしたグラスを空け、佳奈はシミジミと呟いた。
 三人が揃って佳奈に視線を集中させる。
「敬さんいなくなってからは、六年だね……」
 この毎年の恒例行事に、敬を亡くした痛みは少しずつ癒されていた。
 そう、敬のことを、話題に出せるほどに。
「佳奈、敬さんのこと……」
 優里が何かを問い掛けようとして、先の言葉を途切れさせる。何をどう言えばいいのか、迷ったのだ。
「大丈夫だよ、優里。私ね、もう大丈夫」
「佳奈……」
 穏やかな笑みを浮かべ、佳奈が親友たちに視線を巡らせた。
 ゆっくりと手にしていたナイフとフォークを置き、そのまま両手を膝の上で重ねる。
「……みんなに心配ばっかりかけて、ゴメンね。毎年こんな風にみんながいてくれたから、私かなり救われた」
「佳奈」
「正直最初は、そっとしといてよって、少し思っちゃったんだけど……」
 申し訳なさそうに佳奈は苦笑を浮かべ、けれどすぐにまた、凪いだ海のような表情に戻る。
「あのね、敬さんのこと、私これからもずっと好きだと思うわ。敬さんが聞いたら、『さっさと俺を忘れて他にいい男見つけろ』って言うと思うけど、ね」
 目を瞑ると、まだ思い出せる愛しい人の笑顔。どんな風にどんな言葉をくれるのかすら、思い描くことが出来る。
 けれど、いつかそれも時間とともに薄れ、色褪せていくのだろうと佳奈にはわかっていた。
「結婚しないとか、誰も好きにならないとか、そんなコトは考えてない。確かに、一時はそれくらいネガティブになってたけど」
 本当にそれくらい後ろ向きだった。それくらいに無我夢中で、敬のことが好きだった。
「だけど、それでも今はもう少しだけ、敬さんを想う気持ちを大切にしたいと思うの」
 穏やかな表情のまま、佳奈はもう一度皆を見回す。そして、確かな意志を以て続けた。「自然に誰かを好きになれるまで」と。
「……そ、ならいいわ」
 しばしの沈黙の後、あっさりそう言い放ったのは美帆だった。
「佳奈がそう思うならそれでいいんじゃない?」
 優里も、静かに頷く。
「まぁ、佳奈のマイペースは今に始まったことじゃないしねぇ?」
 呆れたように言いつつ、詠子は食事を再開する。
 言葉だけ聞くと、ひどく突き放したように聞こえる。
 けれど、三人が三人とも口で言うよりもずっと表情が優しい。
 そんな風に押し付けすぎもせず、だからと言って放り出しているわけでもない女友達の存在が有り難かった。
「ありがとう……」
 自然と浮かぶのは、感謝と、微かな雫。
「あー、詠子が泣かせたぁー!」
「えぇ!? 何でそこで私の所為になるわけ!?」
「日頃の行いでしょ?」
「ちょっとぉ、どういう意味よ、優里ー!」
 涙ぐむ佳奈を余所に、三人がわいわいと盛り上がる。
 その様子に佳奈は、泣きながらも微笑った。

 賑やかなパーティーを終え、佳奈が自分のマンションに戻る頃には、日付はもう一日加算されていた。
 荷物を置き、寝室に飾られた敬とともに映った写真を見つめる。
「……敬さん」
 写真の中の敬は、六年前の姿のまま。
 もう、年を重ねることはないのだけれど。
「誕生日、おめでとう」
 それでも、呟く。
 永遠に止まった愛しい人の生まれた日を、祝福して。
 敬の命日としてより、敬がこの世に生を受けた日として、覚えていたいと思うから。
「敬さんが生まれてきてくれたこと、本当に良かった。敬さんと出逢えて、本当に良かったよ……」
 たとえ、これから先、誰かを好きになっても。
 たとえ、これから先、貴方が傍にいてくれなくても。
 貴方と出逢えたことは、自分にとってかけがえのないものだから。

 窓を開け、微かに煌く星たちを見上げて静かに願いをかける。

 きっと、いつか、と――。畳む

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