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過去のリレー小説『二重織』のログ
怜と斎がカラオケに行こうという話

 頭の中で、ノイズが響く。
 かきむしるように渦巻くソレに、苛まれては瞳を閉じる。
 『音』など、無くなってしまえ――。

 *

「本当に鬱陶しいです」
 怜の家に来るなり、開口一番に放った斎の台詞がそれだった。
 いつもの方言はどこへいったのやら、何故か標準語である斎。
 『不機嫌』  柴田斎科 バイト終了後属
 特徴――毒性が通常時の二倍増
 斎事典作ったならば、きっとこんな感じだろうとくだらないことを考えながら、怜は苦笑を浮かべて斎を出迎えた。
「今日は何があったんだぁ? 客か?」
「客もバイトも社員も! ホンマ、使えへんヤツばっかりやし……!」
 愚痴りながら斎は勝手に怜のベッドへと倒れ込んだ。
 怜はそんな斎の横たわるベッドにもたれかかって腰を下ろし、新しい煙草に火をつける。
 斎のバイト終了後の襲撃は、もはや日常化している。更に言えば、こんな風に不機嫌全開で来ることも怜にとっては慣れたものだった。
 すでにベテランと呼ばれる立場の斎は、バイトで過密なシフトを押し付けられることもしばしばある。そのおかげでいくら無駄に元気な斎とはいえ疲れは溜まるもので、それと比例して不機嫌メーターも上昇していくのだ。
 それがもとで怜に八つ当たりをすることも何度かあった。
「うっさいわ、ホンマ……」
 心底鬱陶しそうに斎が呟く。そう愚痴を零しはするのだが、仕事で何があったのかを斎はあまり怜には話さなかった。
 互いの仕事の分野が違い過ぎるからという配慮なのだろうと怜は納得している。
 だから怜は無理に聞き出そうとはせずに、別の話題で気を紛らわせてやる方法をいつも採るのだった。
「なぁ、斎。前にカラオケ行ってからどれくらい経つ?」
「カラオケぇ? あーっと、三週間くらい、ちゃうかな」
「んじゃそろそろアレだろう。禁断症状」
「……せやなぁ」
 苦笑まじりの同意が返る。
 歌うことは斎にとってストレス解消の重要な手段で、多い時には三日に一度くらいカラオケに行っていた。もちろん、カラオケに行かなくても常日 頃からよく歌っている。台所で食事を作ったり洗い物をしたりしながら歌っている斎を見て、本当に歌が好きなんだなとつくづく感心したことが怜には何度も あったのだ。
 そんな斎が最近カラオケに行っていないことは間違いなくストレスを溜める原因にもなっているのだろうと推測した。いくら日常で歌っているからとはいえ、やはりマイクを持っての熱唱とはわけが違うからだ。
「しかもあれやん。そのカラオケ、バイトの面子で行ったし」
「余計ストレス溜まるって?」
「聴くに耐えへんヤツおるからな」
 顔を顰めて斎は失礼な発言を躊躇いなく吐いた。
 基本的に斎は歌の下手な相手とカラオケに行くのを嫌う。音が外れているのが、気になって仕方ないからだ。
 自分で歌っていても、たまに音を外すと舌打ちするくらいだから、必要以上に完璧主義なのだろうと怜は分析する。
 更に言うと、斎の父親は歌を教える立場にあると怜は聞いていた。だから余計に耳がいい。
「音外してたらただの雑音やん」
「ま、そりゃそうだ」
「だぁーっ! 怜ちゃんがカラオケとか言うから歌いたなってきたやんか!」
「こんな時間に声張りあげないように」
 ただでさえ斎の声は通るから、と怜が穏やかに黒い笑みで釘を刺す。
(そう言う怜ちゃんもこんな時間に音楽流しとるやん)
 そう思ったのだが、それを口にしたら後の報復が怖いと思い、斎は何も言わずにおくことにする。
 一瞬訪れた静寂に、静かなイントロの曲が流れ始めた。エレキギターとアコースティックギターの重なり合った旋律が美しい曲だ。
「あー、この曲好き」
 曲に気が付いた斎が、部屋に流れる静かなメロディーを口ずさんだ。
 歌うというよりも、呟くように。
 たった、1フレーズだけ。
 切なげな声で歌い上げる女性ボーカルに、斎の歌声が重なる。
「……これに近いこと思っとった時期もあったなぁ」
 天井を仰いで、斎はもう一度、そのフレーズを呟く。
 歌好きな斎がどんな想いでその歌詞を聴いたのか。
 ふと浮かんだ思いを口にしかけて、怜はすぐに飲み込む。
 代わりに、別の質問を投げかけた。
「斎ちゃんはそんな歌バカだったんですかー?」
「え? ウチ、ケン様やったん?」
「そんなボケはいらん!」
 茶化しつつも真面目さも残して訊いた怜は、ツッコミつつも自分の浅はかさを呪った。
 斎はどんなときでもボケる精神を忘れない。更に言うと、自分の気持ちを他者に知られまいとする時には意図してボケるのだ。
 他人と、自分を誤魔化すために。
 溜め息とともに紫煙を吐き出す怜に、くくっと斎は喉の奥で笑った。
 妙に自嘲的な笑い方に気づいた怜は、煙草をもみ消し、斎に振り返る。
「おまえ、大丈夫?」
「何が? 頭?」
「ん、まぁ、それも」
「それもかいっ!」
 お約束なボケとツッコミに一通り笑った後、怜が真上から斎を見下ろす。
 笑顔のまま。
 目だけが、笑わないまま。
「つーか、マジで。ストレス、溜めすぎじゃない?」
「……貯蓄は大事やん?」
 放り投げるように答えて、斎は瞳を閉じる。
 怜はまた溜め息をつきつつ、本日何本目かも忘れた煙草に火をつけた。
「貯めるのは金だけにしといてね。んで、保険金の受取人は怜さんで」
「いやーん、怜ちゃん、鬼畜ぅ」
「鬼畜好きな鬼畜には言われたくないなぁ、斎ちゃん」
 視覚が閉ざされていても、斎には声音だけでわかる。
 銜え煙草のまま、にっこりと非の打ち所のない笑みを浮かべているだろう怜が。
 そしてそれは、目にしていたらきっと恐ろしいと感じる類のものであることも。
 こういうときの怜に逆らってもろくなことはないと、斎は身をもって理解している。
 だから、採るべき行動は限られていて。
「……なぁ、怜ちゃん」
「何だい、斎ちゃん」
「明日、カラオケ行こか」
 あまりにも突然な話の流れに、思わず怜の口から煙草が零れそうになり、慌てて銜え直す。
 カラオケの話をしていたことは確かだが、それにしても唐突だった。
 何も返せずにいる怜に、斎は更に続ける。
「んで、歌って」
 短く、簡潔に。
 そう言って、微笑った。
 目を、閉じたままで。
「は? 斎が歌いたいんだろうに」
「当然歌うけど、怜ちゃんの歌が聴きたいなぁと」
「何で?」
「いっつもあんまり歌わんやん」
「まぁ、そうだけど」
 確かに、いつも怜はあまり歌わない。
 それは斎が次々に自分の歌う曲を入れる所為もあるのだが、それだけではなかった。
 そんな考えに耽る怜の耳に、
「雑音聴くより、怜の声のがええわ……」
 そんな斎の笑み声が届いた。
 ベッドを覗くと、いつものような、悪戯っぽい顔で笑う斎がまっすぐな視線を寄越す。
「……口説き文句?」
「愛が溢れてるやろ?」
「返品お願いします」
「生憎、クーリングオフ期間が過ぎておりますので……」
 コテコテに作り上げた、営業用の声とスマイルで返す斎に、思わず怜は噴き出しそうになる。
 いつもの斎らしさが戻ったことに安心しつつ、けれどそれは表情には出さずに。
「悪徳押し売り業者か、おまえは」
 呆れたような声を出した。
「こんなゼンリョウな人間捕まえて何言うねん」
「『善良』の意味を知ってますか、柴田斎さん」
「当たり前やん。怜ちゃんのことちゃういうんは確かやな」
「ああ、確かに」
「認めるんかい!?」
 いつも通りのバカなやりとりが始まる。
 そこにある、互いの声に、ほっとする。
「なぁ」
「ん?」
「音はあったほうがええなぁ」
 斎が何を言いたいのか、なんとなくで察して怜は苦笑する。
 どうして、この唯我独尊な友人は、こう言葉を省略するのかとは思いつつ。
 けれど、それでも自分にはわかるのだから問題ないかと思い直した。
「今のうちに、明日歌う歌考えといてなぁ。ナクちゃんには連絡しとくしぃ」
 そう言ってさっさと寝る態勢に入る斎に、またも斎の強引な誘いを受けるだろうもう一人の友人に内心同情する。わかったとだけ答え、怜は短くなった煙草を揉み消し、いつの間にか止まっていた音楽プレーヤーの電源を落とした。
 仕事と学校で疲れていた斎が、早くも寝息を立て始める。
 それをBGM代りに、怜はそっと部屋の照明を落とし、
「怜さんも、斎ちゃんの声聴いてる方がいいんだけどね……」
 聞こえていないとわかっているからこそ言える言葉を、小さく零した。
 日常の鬱陶しい雑音よりも。
 耳に心地いい、歌声が。
 心に響く、歌声が。
 何よりも、救いになるから。

 *
 頭の中で、響くノイズ。
 ソレをかき消す、君の声。
 どんな『音』より 鮮明で 透明で 瞳を閉じて、耳を澄ます。
 『音』も君も あるから私は私でいられる――。 畳む

#二重織 #過去ログ

その他

Happy Birthday!
過去のリレー小説『二重織』のログ
怜の誕生日を祝う話

 誕生日って、何を祝うの?  ……今更だけど。

  *

 時計の針が真上で一つに重なる。時を示す数字はリセットされ、また新たに生まれ変わった日付へと移行した。
 そんな時間帯。
 ピンポーンとどこか間の抜けたインターホンの音がとあるマンションの一室に響いた。そして少し間隔を開けてから、今度はピンポンピンポン……と連打される。
 こんな時間にこんな訪問の仕方をする相手に、青柳怜はたった一人しか心当たりがなかった。溜息まじりに、冷えた空気に満たされた玄関へと向かう。
 サムターンをカタンと回すと、その音を耳聡く聴きとった玄関外の人物は、怜がドアノブを握るよりも先に、ドアを開けていた。
「寒いっちゅーねん! もっとはよ開けてーや!」
 開口一番そう言い放ったその人物――柴田斎に対し、怜は無言で、そしてかなりの勢いでドアを本来あるべき位置に戻した。もちろん再度鍵をかけて。
 途端に、ドアを壊しかねない勢いでドンドンと叩く音が聞こえてくる。もう既にノックなんて可愛らしい域ではなく、近所迷惑も甚だしい。
「ちょっ……! 怜ちゃん!? 何すんねん! 開けろー!」
「斎ちゃん、人にモノを頼む時は何て言うのかなー?」
 ドア一枚隔てた場所で怜がそう訊ねる。
 その口調はまるで小さな子供に話しかけるように優しげで、表情も笑みの形をとってはいた。しかし、斎にはその背後に黒々としたオーラが陽炎のように揺らめいているのが見えた。本人の姿は見えないのだが、しっかりと脳裏には思い浮かんだのだ。
 拙いと本能的に察した斎は、すぐさまノックするのを辞める。
「……スミマセン。開けてください、お願いします」
「はい。よくできました」
 そう言って満面の笑みで怜が斎を出迎えると、斎は感嘆するほどの素早さで部屋の中に滑り込み、真っ直ぐに奥の部屋にあるコタツへと潜り込んだ。
 今は十二月。京都の冬は厳しいことでも有名だ。
 寒い中歩いて怜の家まで来たことが、寒がりの斎には堪えたのだろう。
 コタツ布団を肩まで持ち上げて暖を取ろうとする斎が、恨めしげな視線を怜へと送る。
「わざわざ寒い中来たった友達にする仕打ちがそれですか、怜ちゃん」
「別に怜さんは斎ちゃんに来てほしいなーとか言ってないけど?」
 逆に言えば、普通は何の前触れもなく突然に押しかけられても迷惑極まりない。
 相手が斎だから怜は許しているだけなのだ。
「怜ちゃんのことやから、忘れとるんやろ」
「は? 何を?」
 忘れていると言われ、怜はここ数日の斎とのやりとりを思い返す。しかし、今日遊ぶ約束をした覚えはまったくなかった。思い当たる節を見つけられない様子の怜に、斎はアゴでコタツの上を示した。どうやら手を出すことすら嫌らしい。
 示した先には、真っ白い、ケーキなどを入れるような持ち手のついた箱。
「何ソレ」
「ケーキ」
「ケーキ? こんな時間に食べたら太るだろうに」
「おいっ! 今日は誕生日やんか!」
 斎がツッコミながら発したワンフレーズに、怜はしばしの間考え込み、ようやく状況を理解した。
「ああ、もう二十日だっけ」
 指摘されるまで完全に忘れていた。
 先ほど突入したばかりの『今日』は、十二月二十日。怜の二十三回目の誕生日だったのだ。
 斎は怜の誕生日を祝うために訪ねてきたのだろう。
「コレ、買ってきたん? よくこんな時間にケーキ屋さんが開いてたなぁ」
「いや、作った」
「作った? 誰が?」
「可愛い可愛い斎ちゃんが」
「って、斎が!?」
「可愛いにツッコミできんくらい驚かんでもええやろ」
 唖然として、怜はコタツにへばりつく斎を見つめ返した。
 もともと斎は器用で料理などは得意としている。だから驚くことではないのかもしれないが、まさかケーキまで作れるとは思っていなかったのだ。
「お皿とフォークとグラス出してー」
「何で? お祝いしてくれんなら、準備もしてくれるもんでしょ、フツー」
「怜ちゃん家やんか」
「その怜さんの誕生日でしょうが」
 祝ってくれる気がある人間の台詞とは到底思えなくてそう言うと、斎の目が点になった。
「何言うとるん?」
「いや、だから、本日は青柳怜さんのお誕生日でしょう? ってことは、接待されるのはこっちじゃないの? って言ってんの」
 そこまで丁寧に説明をしなくてもわかりそうなものを、あえて怜は嫌味なくらい丁寧に答える。
 しかし、斎には全く納得する様子がない。
「あんなぁ、怜ちゃん」
「何さぁ、斎ちゃん」
「誕生日ってもんは、誰の為にあると思っとるん?」
「当然、自分の誕生日は自分自身の為でしょうが」
「あぁっ、何と嘆かわしい……」
 怜が答えた途端に、斎は芝居がかった口調と仕草で頭を抱えた。
 一体いつの時代の人間だとツッコミを入れたくなるのを我慢して、怜は大きくため息をつく。
「斎、意味がまったくわからんのだけど」
「そんなん、怜ちゃんの誕生日はウチの為にあるに決まっとるやん」
 さも当たり前のように、それが唯一の正解であるかのように、斎はそう言い放つ。
 さすがの怜も、呆れてしばらく言葉が返せなかった。
 どこをどう考えればそういった思考に辿り着くのか、全く見当がつかない。見当がつかないので、怜は斎の思考回路を理解しようとする行為を放棄した。
「まさか、このケーキも自分で食べたいからとか?」
「レシピ見て美味しそうやったしなー。あ、お酒はちゃんと『とっておき』持ってきたし」
 自分の真横に置いていた紙袋を、斎は目線だけで示す。怜がちらりと中を覗くと、【国士無双】と銀色で書かれたラベルが見えた。
 二人が共通して気に入っている銘柄である。しかも今回は地方限定発売のものらしかった。斎なりに気を遣った結果のセレクトなのだろう。
「ほら、はよ皿とフォークとグラス! あと包丁は、お湯で温めてな」
「はいはい、わかった、わかりましたよ」
 斎の傍若無人さは今に始まったことではないので、怜は諦めて食器と包丁を用意する。
 ケーキの箱を開けると、予想していたよりもずっと見事なケーキが入っていた。デコレーションはほとんどなく見た目は至ってシンプルなのだが、買ってきたものだと言われても信じてしまいそうなほどの出来映え。
 せっかくだから、包丁を入れるのはもう少し後にしようと思い、先に酒の封を開けた。
 それぞれのグラスに、透明な液体が注がれる。
「かんぱーい!」
「……乾杯」
「何やテンション低いなぁ」
「斎が無駄に高いだけ」
 普通は「誕生日おめでとう」とか「ハッピーバースデー」とか言うもんじゃないか? と怜は心中で考えつつ、けれど実際斎にそんなことを言われても恥ずかしいだけだと思い直した。
 しかし、そんなことを考えていたのが顔に出ていたのか、怜の考えを見透かすようにニヤリと斎が笑う。
「しゃあないなぁ。ほな、『誕生日』――」
「うわっ! 斎! サムイからやめんか!」
 グラスを掲げて声高に叫ぼうとする斎を、怜は慌てて制した。
 そんな怜に、斎は悪戯な笑みを浮かべる。
「ええやん、別に」
「この年で『誕生日おめでとう』もないと思わん?」
「ちゃうって」
「は?」
 ひらひらと手を横に振って否定する斎に、怜は疑問全開の表情。
 何が違うというのかがわからない。
「『誕生日おめでとう』とちゃうよ」
「じゃあ、何さ?」
 まだわからないままの怜に、斎はニッと悪戯っぽい笑みを深める。
「さっき言うたやん? 誕生日は自分の為のものとちゃうって」
「あぁ」
「だから――」
 斎がグラスを持ち上げ、怜にも倣うようにと促す。
 訳のわからぬまま怜もグラスを手に取った。
 それに斎はカチンと軽く触れ合わせ、
「『誕生日ありがとう』や」
「……『ありがとう』?」
 その感謝を向ける相手が怜には分からない。斎はそれを察し、グイと国士無双をあおると、今度は柔らかく微笑んだ。
「年数える為に誕生日はあるんとちゃうやん? その人が生まれてきたことを、そんでもって今まで生きてきて出逢えたことを感謝する為にあるんとちゃうんかな?」
「斎……」
「ウチえぇこと言うたわー」
「それは自分で言わない方がいいと思うけどな」
 ツッコミながらも、怜の頬は自然と緩む。
 冗談ぽく茶化した言い方をする斎ではあったが、そこにはちゃんと本心が垣間見えているからだ。
 そして、怜も心の中で小さく感謝する。
 そんな友人と出逢えたことに。
「ちゅうことで、ウチの誕生日にはウチに感謝せなあかんで、怜ちゃん。あ、お酒はアレでええわ、【雪中梅】」
 押しつけがましく斎の指定したのは、新潟県の有名な銘柄。そして斎のお気に入りベストスリーに入るものだった。
「……おまえ、自分の誕生日は自分の為か」
「当たり前やん」
 即答する斎に、怜は反射的に黒い笑顔を浮かべていた。先ほどまで胸の内にあった感謝の気持ちを返してほしい気分になったのだ。
「こらこらー。さっき自分で何て言ったのか覚えているかいー?」
「んー。もう忘れたー」
「都合のいい脳味噌なのねー、斎ちゃん」
「そうそう、ホンマに忘れとった。もうそろそろナクちゃん来るしー」
「ナク?」
 ナクとは二人の共通の友人・名倉優のことだ。斎ほど怜の家に入り浸ってはいないが、遊びに来る頻度は非常に高い。といってもその半分近くが斎に強引に拉致されたり、呼び出されたりした結果であった。どうやら今回もそうなのだろうと怜は見当をつける。
「来る前にメール入れといてん。『怜ちゃん家集合!』って」
「……本人に了承取ってからにしようね、斎」
「えー? そんなん面倒臭いやん」
「面倒臭いじゃなくて、ここの部屋の主は誰ですか」
「怜とウチとナク」
「連名にすんな!」
 思わず怜がツッコミを入れた瞬間に、ピンポーンとインターホンが鳴り響いた。
 ドアの外にいるのは、おそらく斎の予告通り、無理やり呼び出された友人なのだろう。
「ほら、怜ちゃんはナクちゃんのお出迎え。ウチはナクちゃんの分の食器用意しとくし」
「いつも思うが、自分とナクの扱い違わないか?」
「だってナクちゃん見とったらオカンな気分にならへん?」
「……まあ、わからんでもない」
「やろ? ほら、行った行った」
 怜を玄関へと促して、斎は台所へと姿を消した。
 一息ついて、怜は玄関へと向かいながらこれから始まるだろう宴にそっと笑みを浮かべる。  多分、今夜は夜通し飲み続けることになるのだろう。
 好物の酒と、特製のビターチョコケーキと、そして居心地のいい友人たち。
 そんな誕生日もいいと、またも怜の口元から笑みが零れる。  斎を出迎えた時とは違う柔和な笑みを伴って、怜はゆっくりと玄関のドアを開けた。

 *

 誰にともなく、感謝を向けて――。
 生まれてきてくれて、ありがとう。
 出逢ってくれて、ありがとう。
 Happy Birthday!  I’m thankful to your birth for my fate.畳む

#二重織 #過去ログ

その他

お揃いワンピース
Pixiv公式企画 ポッキー300文字SS参加作

 夏の間にこんがりと焼けた娘たち。肌寒さを覚える最近では、色違いのお揃いワンピースがお気に入りのようだ。十歳の長女は、少し大人ぶりたいお年頃なのか落ち着いた茶色を、キラキラヒラヒラ可愛らしいものが大好きな七歳の次女は、案の定ピンクを選んでいた。

  秋晴れの綺麗な日曜日。家族四人でお弁当とおやつを持って、ピクニックにいくことにした。娘たちは、今日もお気に入りのワンピースだ。追いかけっこをする 娘の後ろから夫とついていくと、何かを思いついた風に夫が小さく笑った。「どうしたの?」と問うと、夫は肩から掛けていたバッグをごそごそと漁る。取り出 したのはお菓子の箱二つ。「そっくり」と夫が笑みを零すのに、私は前を歩く二人をもう一度見つめた。
 なるほど。日に焼けた肌に茶色とピンク。この瞬間、我が娘たちの新たなニックネームが決まった。夫から二つの箱を受け取り、大きく振る。

「おやつにするよ、ポッキー娘!」畳む

#企画

その他

人色50Title《泪》11 遅すぎた後悔
尚志・郁・片岡・井隼で麻雀するお話

 歪花。様のお題から。
 七夜、井隼片岡+郁&吉良兄妹の麻雀アホ話。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 井隼と片岡は、この場に足を運んだこと、軽い気持ちで彼らを誘ったこと、否、それ以前に彼らと友人関係を築いてしまったことを激しく後悔していた。
 こんなはずではなかった。
 何度その言葉が頭を過ぎっただろうか。
 しかし、今更そんな後悔は何の役にも立たない。
 井隼の震える指先を、片岡が固唾を飲んで見守る。
 溢れ出しそうな涙を堪えながら、井隼は自らの命運を、十四分の一のそれに掛けた。


「ローン! 高めゲットぉ!」
 死の宣告が井隼の希望を切り裂いた。
 郁の手元にパタンと倒された十三枚の牌は、綺麗に筒子(ピンズ)で染まっている。どこからどう見てもハネ満確定の面前清一色(メンゼンチンイーソウ)
 しかも、井隼の捨て牌は更に三役高くしてしまう、二盃口(リャンペイコー)までつけてしまう物だった。これで倍満にまで点数は跳ね上がる。
「またかぁっ!」
「井隼、とぶなよっ! 俺も焼き鳥つくだろうが!」
「俺なんか焼きトビっすよぉ!?」
 がっくりと麻雀卓の上に倒れ伏す井隼に、片岡が容赦のない罵声を浴びせた。
 片岡自身も、この半荘で一回も上がっていない。井隼の提案で採用された焼き鳥ルールは、一回も上がれない状態を『焼き鳥』といい、その状態で一半荘を終えるとペナルティーが科せられるのだった。
「これまた高いなー」
 すでに二回手早く上がり、点棒も浮いている尚志は涼しげな表情で郁の手牌を見つめる。
 「綺麗やろー」とウキウキした様子で郁が裏ドラをめくると、見事に筒子の四が現れた。
「お、乗った! メンチンリャンペー、裏裏で三倍まーん!」
「城宮さぁん! どんだけ絞り取ったら気が済むわけ!?」
「えー? そんなん言うても、井隼君とテル君が麻雀やろて言い出したんやん?」
 天使のような笑顔で答える郁だったが、今の井隼と片岡には悪魔にしか見えなかった。
 思えば、何故初めに気付けなかったのだろうかと、今更ながらに自分達の観察眼のなさを呪いたくなる。

 事の発端は、片岡の一言だった。
「久しぶりに打ちてぇなー」
 サークルのボックス内で片岡は退屈そうにそう呟いた。それを聞いた井隼は、最近ネットゲームの麻雀にハマっていたこともあり、真っ先に賛成をしたのだ。
 そして、その時ちょうどその場に現れた尚志と郁を誘った。
 尚志や郁が麻雀をできるかどうかは知らなかったのだが、それならそれで好都合と二人は考えていたのだ。
 尚志は少々渋っていたのだが、あっさりと郁が承諾した為に四人で打つことになった。
 しかし、家に麻雀セットがあると尚志が言った時点で、疑いを持つべきだったのだ。
 確かに、尚志の家に行って、全自動卓が置いてあることにも、慣れた仕草で卓の設定をする尚志にも、驚きはした。
 けれど、尚志の「親戚が好きでね。よく使うんだよ」という言葉に、『親戚が使う』イコール『尚志が頻繁に打つわけではない』と勝手に思いこんでしまった。
 考えてみれば、尚志の部屋なのだ。部屋の主が打たないのもおかしな話だ。しかも、『親戚』の一言。郁が尚志と親戚同士であることは、百も承知していたはずなのに。
 ルールを決め、ゲームを始めた瞬間、郁の手捌きが半端なく慣れていることに気付いた。
 華麗な小手返し、理牌(リーパイ)する早さ、ツモ牌は完璧に盲牌(モウパイ)し、見る前に河に捨てることもままあった。
「し、城宮さん、随分慣れてるんだね」
「んー? ウチ、家族麻雀するからなぁ。さすがに雀荘とかは行ったことないわ」
 焦りを隠せずに井隼が話しかけると、郁はそうあっけらかんと答える。
 何だ、家族麻雀か、と安心したのも束の間、郁に軽やかにリーチを宣言し、次巡には赤ドラをツモって上がりを決めた。
 その瞬間から、井隼と片岡の悪夢は始まったのだ。
 三半荘連続、井隼と片岡は焼き鳥。しかも毎回二人のうちのどちらかがラストになる。
 尚志は郁との対局に慣れているのだろう。安めの上がりで毎回焼き鳥を回避し、最終的にはプラスにしていた。
 郁の手は毎回高く、安いと思った場合でも裏ドラが三枚乗るなどして、簡単に満貫以上になってしまうのだ。
 驚異のヒキの強さに、井隼と片岡には為す術がなかった。
 そんな二人を哀れに思ったのか、尚志が煙草を持って立ち上がる。
「ちょっと疲れたし、一服していいか?」
「お、おお! いいぞいいぞ! ってか、俺も煙草休憩したい!」
「俺もノド乾いたッス! ジュースでも買ってきましょうか?」
 助かったとばかりに逃げ出そうとする片岡と井隼に、郁は苦笑するしかなかった。
 さすがにやり過ぎたと思ったのだろう。
「ジュースは買わんでも冷蔵庫に何か入っとるやろ」
 井隼を促しながら、勝手知ったるという風にキッチンへと向かい、冷蔵庫を開ける。
「井隼君、何がええ? 炭酸系はコーラしかないけど」
「あ、んじゃコーラで。っと、吉良さん、頂きまーす!」
 あまりにも自然な郁の態度に、つい当たり前のように答えてしまったが、部屋の主が彼女でないことに気付いて慌てて付け加えた。
 尚志は短く応え、片岡と並んで紫煙をくゆらせている。
「テル君はコーヒー?」
「お、サンキュー、郁ちゃん」
 郁はグラスを人数分出し、井隼にはコーラを、片岡と尚志にはアイスコーヒーを手渡す。それから自分の分のフルーツジュースを準備した。
 と、その途中で携帯電話が麻雀卓の上で鳴っているのに気づく。
 グラス片手で携帯を手に取ると、メールだったらしく、手早くキーを操作してまた携帯を置いた。
「尚志ー、茉莉がもうすぐ来るって」
「マツリ? 誰?」
 聞き覚えのない名前に、片岡が反応する。井隼も不思議顔で尚志に視線を向けた。
「俺の妹だよ」
「ちなみに茉莉は、逍女に通う女子高生よん」
 郁が悪戯な笑みを浮かべてそう付け足すと、あからさまに井隼の表情が明るくなった。
 逍遥女学院――通称・逍女は、久遠学院の姉妹校であり、この辺りでは有名なお嬢様学校なのだ。学園祭のチケットが高額で取引されていたりもするほど、周囲からは高嶺の花と目されている名門女子高だった。
「逍女!? すっげぇっ!」
「待て、井隼! 確かに逍女は魅力的だが、兄貴はコイツだぞ! 性格がまともなわけないだろ!」
「どういう意味だ、晃己」
「テルくーん、心配せんでも茉莉はええ子やでー」
 三人のやりとりを眺めながら、郁は小さく笑いを零した。そして、小さく「性格は、な」と付け加える。その声は、騒ぎ立てる井隼と片岡の声にかき消され、届きはしなかったが。
 そうこうしている間に、インターホンが軽やかに響いた。
 郁が当たり前のようにそれに出ると、数秒後に玄関のドアが開いた。
「おかえりー、茉莉」
「ただいま帰りました、兄様、姉様。あら、お友達がいらしていたのですか?」
 ポニーテールを揺らして小首を傾げる茉莉の姿に、井隼と片岡が一瞬で締まりのない顔になった。
 清楚、可憐と言った言葉がぴったりの茉莉に、憧れの逍遥女学院のセーラー服がよく似合っている。言葉遣いや物腰も淑やかな茉莉は、まさにお嬢様といった雰囲気を漂わせていた。
「サークルの友達だよ。片岡は俺と同回で、井隼は郁と一緒」
「片岡さんと井隼さんですね。初めまして、茉莉と申します。兄がいつもお世話になっております」
 丁寧に頭を下げる茉莉に、井隼と片岡はでれでれとしながら、「いや、お世話なんて」「こちらの方が」などと返していた。
 その茉莉の視線の端に、リビングに据えられた牌が乱雑にばらまかれている麻雀卓が入った。
「兄様達、麻雀なさっていたんですか?」
「え? ああ。この二人がやりたいって言い出したからな」
「丁度えぇわ。茉莉も混ざらへん?」
 にっこりと笑って誘いをかける郁に、片岡と井隼は驚いたように視線を行き来させた。
 二人には、茉莉と麻雀が繋がらなかったのだろう。
「でも、私なんかが入ってしまいましたら、片岡さんと井隼さんはつまらないのでは……」
「ええっ!? そんなことないっス!」
「うんうん! むしろ、美少女と卓を囲める方が、俺たちは嬉しいから!」
 柳眉を顰めて申し訳なさそうにする茉莉に、すぐさま二人は否定をして、茉莉の参加を歓迎した。
 それを面白そうに眺める郁と、呆れた溜め息をつく尚志には一切気付いていない。
「ほら、二人もそう言うとるし。ウチの勝ち分、茉莉に引き継がせてウチ抜けるわ」
「何だ、俺は面子確定なのか?」
「え? 尚志も抜けたい? そんなら三打ちにする?」
「おおっ! 三人打ち! 実は俺、最近三人打ちにハマってるんスよねー」
 郁の提案するまま、ノリノリの片岡と井隼は茉莉と三人で、卓を囲むということになった。
 それが、二人の更なる悲劇の始まりだとは知らずに――。

 後に二人は語る。
「吉良家親戚一同とは、何があっても麻雀を打つな」と……。
 遅過ぎた後悔は、彼らを破滅へと導いたのだった。畳む

#番外編

七夜月奇譚

人色50Title《月》27 初めから有り得ない
織月視点/輝行と織月

 歪花。様のお題から。
 織月視点。
 まがさや 章之壱 肆 逆賊 の05の後のお話。

 自室に入った瞬間、織月はこみ上げる疲労を溜め息に乗せて吐き出した。ノロノロとした動作で机の上にバッグを置くと、力なくベッドに腰を下ろす。脳裏には、つい数分前に別れた相手とのやりとりが再生されていた。
 基に車で駅まで送られてから、自宅までの数十分間。二人きりで交わす会話は、ほとんどなかった。そして、その数少ない会話の内容は――。
「……人の気も知らないで」
 パタンと仰向けにベッドに倒れ、織月は微かな苛立ちを吐露した。
『各務綺麗なのに』
 褒められて、嫌な気分になる人間はいないだろう。それが、自分が好意を持っている相手なら尚更だ。
 けれど、それも時と場合による。
 相手は――横木輝行は、織月の想いを知っている、はずなのだ。知っていなければおかしい。織月は、面と向かって想いを告げたことがあるのだから。
 しかも、織月の告白からまだひと月足らず。その事実を忘れたというならば、どれだけ物忘れが激しいのだと罵りたい気持ちにすらなった。
 とにかく、何事もなかったかのように、全て忘れてしまったかのように、あんな風に言わないで欲しい。些細な一言でも、心の奥に押し込めている気持ちは、簡単に揺らいでしまうのだから。
「どうせ、深く考えないで口にしたんだろうけど」
 単純で、明快で、思ったことはそのまますぐに言葉にしてしまう。輝行はそんな性格なのだと、知っている。それが、彼の長所であり、短所でもあるのだ。だからこそ、輝行に惹かれたのだと自分自身でもわかっていた。
 上手く整理しきれない己の感情に、苦笑いが浮かんだ。
「綺麗、か……」
 言われ慣れていない言葉だった。織月にしてみれば、『綺麗』というのは郁のような人にこそ相応しいと思う。実際、自分が綺麗だなどと思ったことはないし、誰かにそんな風に言われたこともない。
 なのに輝行は、ごく真面目な顔で言ってのけた。その表情からは、からかうような様子は見えなかったし、お世辞を言ったようにも思えなかった。第一、輝行が織月にお世辞を言うメリットもないし、そんな器用な性格もしていない。
 だから、素直にそう思ってくれているのだろうとは思う。
 嬉しいのだ。純粋に。嬉しいからこそ、不要な期待を抱いてしまう自分が、愚かな気がして堪らなくなった。
「未練がましい女になんて、なりたくないのに」
 なのに、ほんの小さなことにも、過剰に反応してしまう。
 きっと輝行は、あの後の自分の態度に戸惑っただろう。それに追い討ちをかけるように凪沙に「彼氏」発言されて、さらに気まずくなってしまった。
「凪沙のバカ。絶対に、有り得ないのに」
 自身と輝行が、恋人同士などという甘い関係になるはずがない。すでにフラれているという、厳然たる事実があるのだから。そもそも織月には、告白する気なんて全くなかったのだから。
 それでも口にしてしまったのは、本当にその場の勢いと、そして、遠くないうちに会えなくなるとあの時は思ってしまったからだった。
 その予定が今は保留になってしまっている。思いがけずに輝行にも戻士の血が流れていることが判明した今では、予定は延期となる可能性も充分にあった。
 こんなことになるならば、言わなければ良かったと思う。後悔しても、過去を変えることなどできないけれど、それでも思わずにいられない。
 同時に、思わずにはいられないけれど、嘆いている暇はないのだ。そう、自分に言い聞かせる。
「初めから、有り得ないんだから」
 消え入りそうな声で、言い聞かせる。
 今の織月には、自らの最大の望みを叶える為に、そう言い聞かせるしかなかった。 畳む

#番外編

禍つ月映え 清明き日影

人色50Title《月》25 無意味な力
響視点

 歪花。様のお題から。
 まがさや 章之壱 肆 逆賊 の05の後くらい。
 ほぼほぼ響の回想。
 響の本編には出てこない捻じ曲がった部分をクローズアップした奴。
 後半部分は昔本編にも載せてた。

 ――いいか、響。おまえの能力は希少なものだ。
 幼い頃から繰り返された言葉が、成人した今でも脳裏にこびりついている。
 ――今の乾坤(けんこん)四家には、月姫様に見合うような男子がいない。だから、これはチャンスなのだ。わかるな? おまえは自分の能力を磨き、月姫様に相応しい男となれ。
 今思えばずいぶんと無茶なことを望むものだと思いもする。だが、小学生にもならない響は父の言葉を素直に受け止め、律義に自分の能力を伸ばすための努力を重ねていた。
 ――月姫様に相応しい人間に……。
 その言葉を、半ば呪文のように繰り返しながら。
 しかし、その一方で、当時その『月姫様』――つまり嫦宮は不在だった。六条院宗家が総力を注ぎこんで探し回ってはいたのだが、嫦宮不在の期間は実に十年を越えようとしていた。十年も経てば、当然心身ともに成長する。中学生になった頃には、同世代の中で早熟だった響が、大きな疑問と反発を抱くのも当然の流れだった。
 何故、いもしない嫦宮のために自分は努力をしているのだろう。そもそも、本当に嫦宮などという存在がいるのだろうか? 宗家方の話すような、神のごとき存在が、本当に……。
 嫦宮に対する盲信と妄執が垣間見える父。そして一族の特殊性を理解すると同時に、嫦宮というまだ見ぬ存在に不信感が生まれた。
 それでも、表面上はそれを露わにすることもなく過ごしていたが、内心ではもう嫦宮などどうでもよい存在となっていた。
 そんな中、ようやく当代の嫦宮が見つかったと父から聞かされた。その盛大なお披露目が近々行われると知り、響は複雑な心境に陥った。
 本当に嫦宮は存在したのか、という驚き。
 今更現れたと言われても、という苛立ち。
 そして、そこまで必死になる嫦宮というものが如何程のものなのか、という好奇心。
 相変わらず嫦宮を崇め奉る父から、響もそのお披露目の会に出なさいと言われたときには、面倒臭さよりも好奇心が勝った。

 当代嫦宮のお披露目は、古都にある六条院宗家本邸で行われた。本邸を訪れるのは初めてで、ただただその規模に響は圧倒されながら、宗家のお偉方に父とともに挨拶をして回った。
 そうしていよいよ当代の嫦宮が登場する段になる。百人以上も入れる広い大座敷で、綺麗に並んで正座する一族の者たち。その末席で、響も大人たちに倣って正座し、頭を垂れていた。
 静かに障子の開く音。衣擦れ。ふわりと漂う極上品(ごくじょうぼん)の伽羅の香り。
 自ずと緊張が高まる中、上段の間に座する気配が伝わる。宗主の声掛けと共に周りと合わせて顔を上げた瞬間、響は息を呑んだ。
 白衣(びゃくえ)に緋袴、その上に菊重(きくがさね)千早(ちはや)をまとい、腰よりも長い射干玉(ぬばたま)の髪を惜しげもなく背に流すのは、自分とさほど歳の変わらない少女。だが、その少女の放つ空気は、とても同じ世界に住む人のものとは思えないほど神々しい。どこを見つめているのかわからない深淵のような黒耀の瞳が、更に神秘性を高めていた。
 美しい、などという言葉では足りない。人にして人に非ず。父があれほど心酔する理由が、初めてわかった。
 嫦宮は――生き神は、確かに存在する。

 この瞬間から、響は自分の手にした力全てを嫦宮に捧げようと決めた。誰の命令でもなく、自分自身の意思を以て。
 かつて父が飽きるほど繰り返した言葉は、自らの想いへと生まれ変わり、響の存在意義となったのだった。
 六年前の、あの時までは――。



「兄貴、帰らねぇの?」
 訝かる声に、響は思考の淵から浮上した。声の方へと顔を向ければ、弟が立ち上がろうとしている体勢のままだ。
 六条院家別邸の座敷の一間。開け放たれた障子の向こうからは、蝉が忙しなく鳴き続けていた。
 数十分前まで十人以上もの人数が集っていた場所には、すでに響、亨、帆香の三人だけとなっている。ほんの少し前までこの場に残っていた郁と尚志は、呼びに戻った輝行とともに奥座敷へと移動していた。
 もう必要な話は済んでいる。帰っても構わないはずだ。しかし、それでも響はなかなか腰を上げる気分にはなれなかった。
 どうして宗家の人間は横木輝行に肩入れするのだろうか。それが、納得できない。その想いがずっと頭の片隅から離れなかったからだ。
「兄貴?」
 何も答えない響に、亨の声が気遣わしげな色を強めた。それに響は落ち着きはらって笑みを作る。
「先に帰っていて構わないよ。俺は少し、訊きたいことがあるし」
 柔らかな声音だったものの、どこか突き放すような口調になってしまったのは、緊張があったからだろうか。常との微妙な対応の違いに、亨がひっそりと溜め息を洩らしたことに気づいた。呆れているのかもしれない。弟は自分とは違い、嫦宮や宗家に対してさほど思い入れがないようだから。
「亨」
 すでに濡れ縁まで出ていた帆香が控え目に促した。帆香も響の嫦宮崇拝を知っている。きっと、今も自分の気持ちを慮ってのことなのだと響にはわかった。
 亨が帆香に応え、先に帰るからと寄越す。気をつけてと返すと、二人は仲良く揃ってその場を後にした。
 人の声の無くなると、蝉時雨が耳に痛い。
 あの日も、こんな風に蝉の音が喧しかった。



 六年前の七月七日。
 それは当代嫦宮である郁が、十六の誕生日を迎える日だった。
 嫦宮が十六歳になる日というのは、特別な意味を持つ日でもある。とりわけ、響にとってはその日は重要であった。
 それは、『姫紲(きせつ)』が選ばれる日。父の言った、『月姫様に見合う者』が決められる日だった。
 この日が、響は待ち遠しくて仕方がなかった。姫紲は代々乾坤四家から選ばれることになっていたが、今の四家には年齢的に当代と釣り合う男子がいない。唯一の例外が吉良家の長男である尚志であったが、彼は吉良家血縁ならば本来受け継ぐはずである風精術使(ふうせいじゅつし)の力を微塵も有していなかった。
 姫紲は嫦宮の配偶者であると同時に、最も身近に仕える守護者でもある。何の能力も持たない者に務まる役目ではなく、当代の姫紲は例外的に他家から選ばれるのではないかともっぱらの噂だった。
 それが本当ならば、響が選ばれる可能性は限りなく高い。乾坤四家に次ぐ位置にあるのは、常磐家と守屋家。常磐家には累がいたが、彼はそれほど体が丈夫な方ではなかった。そうなれば、亨か響という選択肢しか残っておらず、当時それほど門の能力を開花させていなかった亨よりは、熱心に修行を積み着実に紋の戻士として成長していた響に決まることは火を見るよりも明らかだった。
 そんな夢を胸に抱きながら、一族の集いに響は向かった。父も長年の想いが実るかもしれない期待に、どこか落ち着かない様子だった。
 お披露目の時と同じ大座敷。外では蝉の声が、そして内には高鳴る鼓動が間断なく続いていた。
 末席に座し、当代の現れる瞬間を待つ。宗家身内の合図に全員が頭を垂れると、静かに障子が開いた。いつも通りの嫦宮の登場だ。そう思った。
 だが、本来次に声を発するはずの宗主の代わりに、凛とした少女の声で「面を上げよ」と聞こえた瞬間、ざわめきが拡がった。
 おずおずと顔を上げる一族の者たち。響も他の者たちと大差ない様子で上段の間に目を向けた。
 そこにいたのは、嫦宮の御装束(みしょうぞく)をまとった、ショートカットの快活そうな少女。神々しさも美しさも相変わらずで、それが当代嫦宮本人であることに間違いはない。けれど、その瞳に宿る力強い光が、以前とは別人かと思わせるほどだった。
「つ、月姫様……、その御髪(おぐし)は……」
「暑いから切った。別に問題はないだろう? それから、姫紲のことだが手短に言おう。吉良家の長子である尚志に決まった」
 何の前置きもなく、郁の口からさらりと滑り出た言葉が、響の思考を真っ白にする。しばらく放心の後、その白を塗り潰す勢いで疑問が溢れ出した。
 何故、尚志なのか。何の力もないのに。強いて挙げれば、彼にあるのは家筋だけ。
 自分は嫦宮のために力を身につけてきたのに。他の誰もが、自分ならば相応しいと言っている声を何度も聞いてきたのに。
 何の為に、今まで努力をしてきたのだろう。これでは、まったく無意味ではないか。
 次々に不満と落胆と失望が押し寄せ、響の積年の想いが踏み荒らされていく。父親が何か発したようにも思えたが、まったく耳に入ってこなかった。
「異論は認めない。これは、長老方も納得した決定だ。以上」
 そんな状況でも、郁の声だけは妙に頭に響く。項垂れていた顔を上げると、これ以上話すことはないと言わんばかりに、郁が颯爽と上段の間から降りていくところだった。そうしてふと障子の一歩手前で立ち止まり、振り返る。視線を向けたのは、ちょうど座敷の対角線上だ。
 そこにいたのは、響と同じ年の容貌麗しい少年――先ほど姫紲に任じられたばかりの吉良尚志。尚志がその視線を受け取ると、郁は無言で座敷を後にし、宗家の家人もそれに続いた。それに倣うように、尚志もその場を辞する。
 後にはただ、状況を飲み込み切れずにいる一族たちと、存在意義を見失った響が残されていた。



 不意に、床板を踏みしめる音で我に返った。
「あら、お帰りにならないのですか?」
 濡れ縁から鈴を転がすような可憐な声が零れる。そこに立っていたのは、両手で何かを抱え持っている茉莉だ。多分、その手に持つものは郁と尚志に指示されて持ってきたものだろう。向かう先はもちろん、その二人と基、織月、そして横木輝行が待つであろう奥座敷だ。
「茉莉さん、尚志さんに伝えて頂けませんか? あとでお時間を頂けないかと」
「……それは、結構ですけど」
 少し言い淀んでから、茉莉は微かに苦笑を浮かべて続けた。
「何を訊いたところで、兄様は結局重要なことは教えて下さらないと思いますわよ? もちろん、知る必要があると判断されたならば別ですが」
「では、茉莉さんは尚志さんの意図もわからないままに従っていると?」
「わからないわけではありません。一応、これでもあの人の妹を二十年近くやっているのですから。けれど、兄様は私などでは考えも及ばないくらい、先のことを見通しておられます。だからこそ姉様も絶対の信頼を置かれているわけですし、私如きが『こういう意図があるであろう』と推測したところで、それは兄様のお考えのほんの一部分でしかないのです。そしてそれは、私に限ったことではないと思っております」
 言外に、貴方にも理解が及ばないだろうと告げられ、響は膝の上に置いていた両の手を握り締めた
 しかし同時に、茉莉の言い分が正しいことを、痛いくらいに知っている。自分ではどう足掻いても敵わないほど、尚志は優れている。たとえ精術使としての能力は一切持たなくても、その頭脳が補って余りあるほどなのだ。そんな事実など知りたくもなかったのに。
「それに、私は兄様の意図を全て理解はできなくても、兄様のなさることに間違いはないと信じておりますから」
「……そう、ですね。確かに尚志さんならば、宗家や郁様に益のないことなどされないでしょう。しかし――」
 そこまで言って、響は言葉を途切れさせる。次の一言を言うには、相当の覚悟が必要だった。いくら年下といえども、響にとって茉莉は宗家中枢の人間に他ならない。大きく息を吸い込み、思いきるように口を開いた。
「しかし、織月にとってはどうなのでしょうか? 織月は今、かなり不安定な状態です。宗家の方々からはそうは見えなくても、かなり無理をしているのです。そんな状況では、織月に負担を強いるようなことになるのではないですか?」
 表面的には感情を抑えはしたけれど、内心では言葉よりももっと激しい焦燥感が襲っていた。その焦燥感の正体が何なのか、響は理解をしている。そして、そんな気持ちを持つことが馬鹿馬鹿しいことだと言うことも。
 それでも、その感情を消し去ることはどうしてもできなかった。そんな響の心の内の葛藤など全く気付かぬまま、茉莉はふわりとした笑みを浮かべた。
「本当に織月さんが大切なのですね」
 率直過ぎる茉莉の感想に響は気恥ずかしい思いを感じたものの、表には出さずに曖昧な表情を作るのみ。茉莉がそれをどうとったのはわからなかったが、視線を濡れ縁の遠く先へと向け直したことに安堵した。
「兄様には伝えておきます。ただ、今のお話を終えられるのにどの程度のお時間がかかるのかはわからないですが……」
「大丈夫です。お願いします」
「わかりました。それでは、ここでお待ちになっていて下さい」
「はい」
 茉莉がゆるりとその場から離れていく。
 微かな足音が遠ざかるに従い、辺りが静寂に占められていった。つい数分前まで騒がし鳴き声を響かせていた蝉達も、示し合わせたかのように黙りこくっている。
「よりによって……」
 響の呟きが静かな空気を震わせ、波紋となって拡がった。それに触発されたのか、一斉に夏の風物詩の大合唱が始まる。続く響の言葉は蝉時雨にかき消され、溶け去った。
 響はただ一人座敷で佇み、一族の最も無能にして有能な参謀役を待ち続けたのだった。畳む

#番外編

禍つ月映え 清明き日影

人色50Title《月》16 引き摺り続ける過去
尚志視点/尚志×郁

 歪花。( http://www.usamimi.info/~miuta/magari/ )様のお題から。
 恐らく大学時代の尚志×郁。
 二人は大学近くのマンションに同棲中です。
 微エロです。R-15にもならない?

 窓を叩く雨音が、一層激しさを増した。視線を目の前のディスプレイから半分だけカーテンの引かれた窓へと移すと、大粒の雨滴が数え切れないほど花開いては散っていく。
 夜半の深雨は、嫌いではない。だが、彼女にとっては思い出したくもない過去を無理やり引きずり出してつきつける、苦々しいものでしかないのだろう。
 それを知っているからこそ、彼は静かにその部屋をあとにし、隣の寝室へと続くドアをそっと開けた。
 彼女はまだ眠っていた。クイーンサイズのベッドの上で、ブランケットに埋もれるようにして身を縮めながら。
 その表情はとても穏やかと言えるものではない。苦悶に歪み、眦からは幾つもの雫が伝い落ちてはシーツを濡らしている。
 指先でそっと涙を拭ってやり、小さく名前を呼ぶ。呼応するように、彼女が大きく身を震わせて上体を起こした。かすれた声で、確認するように彼の名を口に乗せる。
 それを吸い取るかのように深く口づけると、強引に彼女の体を抱き寄せた。小柄な彼女は容易に彼の腕の中に囚われ、抗うことはない。
 常ならば、冗談めかしてその腕から逃れようとするだろう。否、こんなにあっさりと捕まること自体が有り得ない。
 けれど、今は違う。彼女は彼を絶対に拒まない。それどころか、そのぬくもりを欲するかのように強く縋りついてくる。
 纏わりつく、過去の悪夢から逃れたい一心で。
 はだけた胸元から滑らかな肌に手を這わせると、嗚咽にも似た悦楽を噛み殺した声が漏れる。
 甘い囁きなど必要はなく、繰り返し名を呼ぶだけ。二人の間には、「好き」も「愛している」も意味のない言葉だった。ただ、名を呼ぶ合い間に唯一彼が告げる言葉がある。
 ――俺は、どこにも行かない。
 その一言に、彼女が安堵することを知っていた。そうして言葉を与え、深く体を繋げることで、彼女の耳から激しい雨音を遠ざけてやる。
 そんなことくらいしかできないのだ。それほどに、彼女の背負う傷は大きい。十年ほどの年月が過ぎようとし、その傷の原因となったものを取り除いた今となっても、癒されることなく血と涙を流し続けるほどに。
 疲労と安堵で眠りについた彼女を腕の中に閉じ込めたまま、彼もまた眠る。
 翌朝にはきっと、いつも通りの太陽の如き笑顔で、彼女は彼を邪険に扱うだろう。鬱々しい雨など払いのけるほどの笑顔で。

 二人分の静かな寝息を、次第に弱まっていく夜半の雨音が優しく包み、やがて溶けるように消えていった。畳む

#番外編

禍つ月映え 清明き日影七夜月奇譚