No.23, No.22, No.21, No.20, No.4件]

ふぁぼの早い5人に140字SS投げつける見た人も強制でやる
書下ろし三作、風にゆれる かなしの花のキャラクターで頂いたリクエスト二作

タイトル通りのタグで投げつけたSS

朔さんへ
 無防備に眠る顔は、普段の毅然とした表情よりも幾分あどけなさが勝る。いつからだろう。かつては無邪気だった笑みが、腕のいい彫刻家が作り上げた女神像のような微笑みに変わったのは。その表情を崩してしまいたい、でも変えたくない気持ちもある。矛盾を抱えながら、白い頬のまろみを指先でなぞった。

 朔さんへ投げつけた奴。ヘタレ男子友の会の会長様なので、やはりヘタレ男子を書きました(笑
 設定としては、幼なじみ主従。護衛とか側近的立場なヘタレ男子と、長じてからは人の上に立つ存在になった表向きは完璧女子。多分、幼なじみであるヘタレ男子の前でのみ気を緩められるんだろう。


ハルさんへ
 「いいものあげる」そう言って彼が放り投げたのは、赤地に手毬柄の布が巻かれた二十センチほどの長さの筒。いわゆる万華鏡という奴だ。「何で?」と返すと、「今夜は曇りだから」とドヤ顔だ。「これを望遠鏡にすれば、天気関係なく星が見えるだろう?」あまりの馬鹿馬鹿しい発想に涙が出るほど笑った。

 ハルさんに投げつけた奴。
 天気悪くても万華鏡なら星見られるって子供みたいな発想が嫌いではないですええ。この二人は、友達以上恋人未満みたいな関係だったらいいなーって思いましたまる。


悠さんへ
 雨が上がれば、虹を見に行こう。おろしたてのスニーカーを履いて、あの丘の上まで。街を見下ろす高台で、天に掛かった七色の橋を見上げて。きっと、虹の袂が見つかるはず。見つかったならこっちのもので、あとはその場に駆けるだけ。そこになくしたものが、待っているのだろう。

 悠さんに投げつけた奴。癒し系(?)を狙ってみました。
 最初最後の一文の「待っているのだろう」は「待っているはずだから」でした。何となく「はず」って断定するよりも「だろう」みたいな期待した感じの方がいいかなと。
 虹の袂には亡くした人がいるってお話もあるよね。みたいなね。見つけられる、そこに辿り着けるってことは、もしやこの主人公は……って勝手に深読みしてもらえても楽しいかなと思った(私の脳みそが不穏な方に行きたがるだけ)


りつかさんへ
 言動は軽い、やる気はない、信用できない。三拍子揃った上、女遊びは騎士団で随一。そんな男がどうして真面目で模範的な彼女の幼なじみなのかとずっと気に入らなかった。けれど最近、そこまで悪い奴ではないと思い始め――「お? セラの薄っぺらい胸でも見てんのか?」前言撤回。やはり気に入らない。

 りつかさんに投げつけた奴。風花のアルとレオンのお話でとリクエストを頂いたので。
 この二人好きなので書くの楽しいんですけど、いつも文字数に悩まされる。
 アルとレオンはきっと、何年経っても似たような感じの関係です。レオンがアルを見直しては前言撤回を繰り返す、みたいな。
 でも気づけば信頼できる友人の一人にはなってそうで、結局アルのお兄ちゃん属性の勝ちな気がする。


なのかさんへ
 フラワーシャワーを投げつけながら、友人である新婦の幸せそうな微笑みに自然と口元が綻ぶ。そういえば、あの二人も無事に式を挙げられたのだろうか。揃って不器用で、ついお節介を焼いてしまいたくなる大好きな二人。末永く幸せに。届くはずない祈りを、もう失われたはずの力にのせて。共に幸せに。

 なのかさんに投げつけた奴。リクエストは風花のカノンでした。
 これはカノンが元の世界に戻った後、友人の結婚式の最中にレオセラ思い出している感じです。
 二人の結婚式、見たかったんだろうな~。もし見てたらきっと号泣してたんだろうな~とか思いながら書いてました。



 と、こんな感じで書いたこれらのSSは初めての140字SSでした。
 短いの難しいね!畳む

#番外編 #140SS

風にゆれる かなしの花その他

Kissの日 2018年
はなひらかねど、風にゆれる かなしの花、夢のあとさきそめし朝、Song for Snow、Reciprocal EclipseシリーズのそれぞれのCPで。

『手の上なら尊敬のキス』 メレディス&アレクシア

 差し出された書類を右手で受け取り、もう片方の手で引き戻されようとしている手を捕まえる。訝る彼女のその手の甲に、そっと唇を押し当てた。途端に「何のつもりだ」と非難の声。だがその頬がわずかに赤く染まっていることは見逃さない。
「麗しの補佐官殿への愛情表現です」
「仕事してからにしなさい」

『額の上なら友情のキス』 晴希&咲子

 他愛無い話をしていたはずなのに、気づけば彼女はうとうとと微睡んでいた。最近仕事が忙しい所為もあるのだろう。終電までにはまだ時間はある。仮眠程度に休ませてあげる方がいいのかもしれない。
「まったく、無防備すぎるよ、咲子さん」
 苦笑と悪戯心を交えながら、こっそり額に掠るようなキスをした。

『頬の上なら満足感のキス』 ユキ&リツ

 隣から聴こえるギターの音が心地いい。その人柄を表したような音色に浸っていたくて瞳を閉じる。ふと旋律が途切れた。どうしたのかと目を開いた瞬間、頬に柔らかなぬくもりが触れる。
「な、何?」
「歌って。リツだけ満足そうなのズルいから」
 狡いとか言いながらも、その眼差しは柔らかで温かかった。

『唇の上なら愛情のキス』 レオン&セラ

 騎士団の礼装に身を包んだ彼は、いつも以上に凛々しくて眩しい。傍から見ると完璧としか言いようのない彼に手を引かれ、赤い毛氈の上をゆるりと歩んだ。神官に促されて宣誓を終え、互いに向き合う。目が合うと、翡翠の瞳が優しい弧を描いた。静かに瞼を伏せる。そして、私たちのこれからが重なりあった。

『閉じた目の上なら憧憬のキス』 ジェラルド&ラティ

 恋仲、と言っていい関係になったと思う。けれど彼は私よりもずっと大人で、未だに子供扱いされているような気がしてならない。キスをしてほしいとねだってみても、いつも寄越されるのは瞼の上に軽く触れるだけのもの。それでも拗ねた私に他の誰にも見せない笑みを見せてくれるから、許してしまうのです。

『掌の上なら懇願のキス』 キース&サクヤ

 重い使命を小さな肩に背負わされ、蹲るように眠るあなたの掌にそっと唇を押し当てる。
 あなたがもう二度と泣かないで済むように。大切な人を喪わなくて済むように。幸せに笑っていられるように。
 いつかこの手が離れ、届かなくなったとしても。あなただけはどうか、その輝きを曇らせないでいてほしい。

『腕と首なら欲望のキス』 サミー&ソフィア

 すれ違いざまに手首を掴まえられ、袖を捲り上げられた。
「あ、やっぱり怪我してる」
 隠していたのによりによってこの男に気づかれるだなんて。思うと同時に傷口に痛みが走る。
「何を!」
「傷が早く治るおまじない」
 ふざけた言葉が吐息と共に首筋にかかった。強引に振り払う。傷口は、熱く疼いていた。

『さてそのほかは、みな狂気の沙汰』 尚志&郁

 煩わしいほどのキスに埋もれて、呼吸すらままならない。否、初めは息の仕方を教えるための口づけだったような気がする。ただ、いつの間にかそれは別のものにすり替わった。
 息の仕方から生き方へ。共に生きろと傲慢に押しつけられた。
 その奢った態度すら心地いいのだから、疾うに私の気は触れている。


 元ネタはこちらです⇒グリルパルツァー名言集『接吻』 http://kakugen.aikotoba.jp/Grillparzer.h...

 ではでは、せっかくなのでこのSSの設定とか裏話とかを下記に。
 ネタバレ嫌な方は見ない方が良きです。





『手の上なら尊敬のキス』 メレディス&アレクシア
 アレクシアはメレディスの先輩で、見た目は可憐なのに性格はセラとめっちゃ似てます。チャラ男だったメレディスは軽い気持ちでアレクシアを口説くけども、全く相手にされず。躍起になって口説き続けてるうちに本気になって、でも最初のチャラい印象がぬぐえないので本気と受け取ってもらえない。
 「自分よりも弱い男になど興味はない」とか言われて、「じゃあ貴女に勝てるようになったら、結婚してもらえますか?」って返したら、アレクシアは鼻で嗤って「結婚? それなら騎士団長になったら考えてあげてもいいけど?」と。アレクシアはメレディスの性格じゃ絶対無理だと思っていたので、こう言えば引きさがるだろうと思っていたわけで。
 けれど元々剣や軍略の才があったメレディスは、みるみる頭角を現して騎士団長までのぼりつめてしまった。そして団長補佐になってしまったアレクシアは、観念してメレディスの求婚を受けるわけだけども、この話はその直後くらいかな。
 結局絆されてしまったアレクシアと、チャラ男から一転して超一途男になったメレディスのお話。

『額の上なら友情のキス』 晴希&咲子
 友情で額にキスするなんて、この二人しか思いつかなかった(笑 あと、前のキスの日SSでほっぺにちゅーさせてたので。
 時間軸的には、完結よりも前のまだ本当に友人同士の頃。晴希的には軽い悪戯と警告みたいな感じ。年頃の男の前で、そんなに気を許しちゃ駄目だよーみたいな。同時に、咲子がそんな風に気を許してくれているのが自分だけだとわかってるから、それはまた嬉しい。咲子が気づいて目が覚めたら目が覚めたで面白いからいいか、みたいなノリでもある(笑

『頬の上なら満足感のキス』 ユキ&リツ
 本編完結後。製本版のオマケペーパーに載せてたSSよりはまだ前かな。
 ユキのリハビリが終わって、少しずつまたギター弾けるようになった頃の二人のお話。きっと同棲とかしてると思う。リツはユキのギターをすぐ隣で聴けるだけで幸せで、そんな幸せそうなリツを見ているのがまた幸せなユキというどこまでもバカップル(笑

『唇の上なら愛情のキス』 レオン&セラ
 本編完結直後。よく考えたら結婚式のシーンはレオン視点でしか書いてないなって思ったので。しかし、レオンは両想いになったら結構キス魔なんじゃないかなと思うんだけどどうだろう?

『閉じた目の上なら憧憬のキス』 ジェラルド&ラティ
 ジェラルドにとってのラティは、やっぱり皇女様で自分にとっては手の届かない高嶺の花的なイメージがきっと長い間あったんじゃないかなと思ってます。ラティとの年齢差がそれを助長してて、自分が気持ちを伝えるまでにも相当葛藤があったはず。それをぶっ飛ばしていくほどラティが情熱的だったからくっついたけども、もし大人しい性格だったらこの二人は成立してなかったんだろうなと思う。
 このSSの時期は、ジェラルドが数々の戦功を立てて騎士団長になるだけでなく上の爵位をもらったりして、ようやく皇家からラティの婚約者と認められたくらいの頃。ジェラルドはラティを子供扱いしているわけじゃなくて、ただただ大切で、宝物みたいに扱っていただけと言う話。

『掌の上なら懇願のキス』 キースとサクヤ
 これは結構本編が進んだ後。はよ書け私(笑
 きっとキースは、こんな願いをずっと抱えながらサクヤを守り続けていたんだろうなってお話。たとえ掌だろうと、キースにとってこのキスは禁忌に近い行為だったりする。それでも見えないところで抑えきれなかった想いがあるんだよってお話。

『腕と首なら欲望のキス』 サミー&ソフィア
 二人が士官学校時代。この二人は同期入学同期卒業。ソフィアは常にトップの成績の優等生。サミーは逆にサボり魔だし女に手を出しまくるし問題児、なのに試験の成績なんかは普通にいいから、ソフィアはイライラしっぱなし。
 実はこの二人の実家同士はかなりの犬猿の仲。かなり小さい頃に何かの集まりの席で二人は他に人のいない庭の隅っこで出会って、家のことを知らずに仲良くなってたりする。お互い初恋だったりね! けれどそれっきり会うことはなくて、士官学校で再会する。ソフィアはすぐサミーだとわかったけども、サミーはしばらく思い出せずにいた。士官学校でのはサミーのあまりの軽さに愕然とし、幼い頃出逢ったのは別人だと思い込もうとするソフィア。家自体も仲が悪いとわかったので、関わらないようにしようとするのに、ようやくソフィアを思い出したサミーがちょっかいかけてくる。
 みたいな感じで、こう、人のいないときにちょいちょいこうやってソフィア口説いてたんだろうなって。ちなみに、他の女の子口説くときは、比較的人目を気にしません。ソフィアを影で口説くのは、家同士のわだかまりがあるから、表立って近づいたらいろいろ面倒だしソフィアにも迷惑かかるだろうからというサミーなりの気遣いが半分あります。
 まあ、もう半分は、他の女の子の場合だと口先だけだけど、ソフィアの場合はついついスキンシップ取っちゃいたくなるからという理由だったりもする(笑

『さてそのほかは、みな狂気の沙汰』 尚志&郁
 最初はこれは書くつもりなかったんだけど、何かないとおさまり悪いなと思って(笑 その他で表されているので、どこまでキスさせるかとか考えたけど、最終的にそこらじゅうキスというアダルトな展開しか思いつかなかった(笑
 となると、我が家で一番のアダルト要員はこのカプしかなくてですね。
 まあ、一番執着とか依存度とかが強いカプなので、こうなるのも仕方ないって感じです(笑


 ってことで、こんな長々失礼しやした!
 読んでくださった方、ありがとうございます♪畳む

#140SS

夢のあとさきそめし朝風にゆれる かなしの花禍つ月映え 清明き日影七夜月奇譚はなひらかねどSong for Snow

Everlasting Lie
テーマ楽曲:Ever lasting lie/BUMP OF CHICKEN

「ずっと待っているわ」
 その言葉だけが、俺にとっての心の支えだった。
 俺にとって、唯一無二の存在である彼女。その彼女を傍に取り戻す為ならば、俺はどんな苦労だって厭わない。
 そう、あの日決めたのだ。

 それは突然降りかかってきた悪夢だった。
「これで、手を打って下さい」
 近代的なオフィスの応接室。
 上等そうな革張りの座り心地抜群のはずのソファーに座らされた俺は、かえってその感触に心を落ち着けることもできなかった。そして、目の前に置かれているのは厚みのある茶色の封筒。隅にはこの会社の社名が印刷されている。
 その封筒を差し出したのは、これまた質の良さそうなブランド物のスーツを身に纏った壮年の男だった。きっちりと整髪料で髪を撫でつけた男は、彼女の所属している芸能プロダクションの社長だと数分前に自己紹介をした。
「手を、打てって……」
「わからないですか? 別れて下さいと言っているのですよ」
「なっ!? どうして!」
 思わずソファーから立ち上がり、感情のままに目の前のローテーブルに拳を叩きつけた。
 突然用件も告げられぬままに呼びつけられ、別れてくれと言われても、「はい、そうですか」とはいかない。いくわけがない。
「どうして? わからないですか?」
 社長である男は、こちらを小馬鹿にしたような目つきで口元を歪める。そして至極当然の提案だという表情で続けた。
「今彼女は飛ぶ鳥を落とす勢いで売れている。先月から公開されている映画も大ヒット。次の出演のオファーも山のようにある。そんな彼女に、『恋人』などという存在は邪魔でしかない」
「た、確かにそうかもしれないけれど……。でも! ちゃんとバレないように……!」
 この男の言うとおり、彼女は人気急上昇中の女優だった。
 主演映画のヒットのお蔭で、今では引く手数多。雑誌やテレビの取材、ドラマや映画の撮影など、分刻みでスケジュールが決まっている。
 そんな中、こっそりと二人で会う時間を見つけては、愛を育んできたというのに。
「バレないようにしたって、いずれバレるんですよ。マスコミはそんなに甘くはない。パパラッチだって人気と比例して増えていく。それなら、バレた時に少しでもメリットがある方がいい」
「……どういう、意味だ?」
「貴方の様な貧乏画家では、彼女の価値が下がると言っているんです。どうせスキャンダルになるのなら、大物俳優や超一流のアスリートの方がいい」
「ふざけるな!」
 飽くまでも損得勘定でしか考えない男に、俺の怒りは抑え切れなかった。
 けれど、俺が激しい怒りをぶつけても、男は涼しい顔を崩さない。
「ふざけてなどないですよ。だから貴方に手切れ金をご用意したのです」
「誰が金なんかいるか!」
「おや。じゃあ、無償で別れて下さるんですか?」
「別れるわけないだろう! 俺とアイツは結婚の約束までしてるんだ!」
 俺の怒鳴り声に、男は僅かばかり顔を顰める。
 その後わざとらしく大仰にため息をつくと、近くにあった電卓に手を伸ばした。
「……わかりました。では貴方にはコレだけ用意して頂きましょう」
 男は悪趣味な指輪をつけた指で軽やかに電卓を叩く。
 そして表示された数字を見せるように、俺の前にそれを差し出した。
「……コレだけって」
 そこに刻まれていた数字は、1の後に0が七つ。一千万だ。
 つまり、一千万ドル、俺に用意しろと言うのだ。
「こ、こんな金額……!」
「彼女が生み出す利益を考えれば、コレくらい安いものでしょう?」
 端から男は俺には無理な金額だとわかって、ふんと鼻を鳴らして嗤う。
 確かに彼女がもたらす様々な利益を考えたら、それくらい当然なのかもしれない。けれど一般人が用意するには法外な金額だった。
「まあ、貴方のような貧乏人には、石油でも掘り当てるか宝くじでも当てるしか無理でしょうけどね」
「くっ……」
「では、お引き取り頂きましょうか。おい、お客様がお帰りだ」
「ちょっと待てよ!」
 わかっている。これは俺に彼女を諦めさせるための作戦だ。
 こんな大金は確かに用意できない。けれど、俺には彼女と別れることの方がもっと無理なのだ。
「わかった。絶対に用意してやるさ」
 挑むように男を睨みつけ、俺は低くそう言い放った。男は一瞬片眉をあげたが、すぐにまた口元に嘲笑うような笑みを浮かべる。
「ほう? では期限は……そうですね。無期限でいいですよ」
「無期限?」
 どんなに無茶苦茶な条件を突きつけられるかと思ったが、意外にも男は甘い条件を設定した。とはいえ、金額が金額なだけに、その条件でもけっして楽ではない。
 けれど、幾分ホッとしたと言えばそうだった。しかし――。
「ただし、貴方がお金を用意できるまで、彼女には会わないでください」
「彼女に会うなだと!?」
「当然でしょう? こちらの提示した金額も用意できないうちに、彼女とのスキャンダルがバレたらどうするんです? それができないのなら、さっさとそこの封筒を懐にしまって帰ってくださって結構です」
 憐れみにも似た笑顔を浮かべ、男は先ほどの封筒を指差す。
 中には多分、一万ドルほどは入っているだろう。
「言っておきますが、勿論その金を受け取るのならば、今後一切彼女には接触できません。電話も、メールも、半径五百メートル以内に入ることも禁じます。警察に貴方の写真や身元を提出して、ストーカーとして扱って頂きますから」
「くっ……」
 男はあまりにも酷い二択を迫っていた。
 一万ドルを持って帰り、二度と彼女に会わないことか。
 それとも一千万ドルを払い切れるまで、彼女には会わないことか。
 どちらにしろ、俺はしばらくの間は彼女とはともに過ごせないのだ。
 けれど、俺の気持ちはそんなことでは揺らぐはずもなかった。
「わかった、金の支払いが終わるまで、彼女には会わない! だが、俺が全額用意できたなら、俺たちは自由だ!」
「結構ですよ。では、こちらで契約書を書いて頂きましょうか」
 そうして俺は無茶な契約を結ばされた。
 自分でも愚かだと思う。とんでもなく無謀なのだとわかっている。
 それでも俺は、彼女を失うことができないのだ。
 怒りにまかせた乱暴な字で、契約書にサインをし、ペンを放るように置いた。
「絶対、アンタの思い通りになんかさせないからな!」
「せいぜい頑張ってください。あぁ、最後に一度くらい彼女と会ってもいいですよ。ほんの数分でしたらね」
「……最後になんか、ならない!」
「そうなるといいですねぇ。彼女は三階の会議室にいます。案内させましょう」
 男の言葉とともに、秘書らしきスーツの男が俺を応接室の外へと促した。
 俺は案内されるまま、湧き上がる怒りとともに応接室を後にした。

 会議室はただ事務的で、シンプルで、全く温かさが感じられない。
 私はどこか不安と寂しさを感じながら、ブラインドから差し込む日の光をただ見つめていた。
 つい数分前、私は社長に呼び出された。
 大切な話があるとのことだったけれど、その声が必要以上に優しげな雰囲気を漂わせていて、かえって不安を覚えたのだ。
 漠然とした不安を抱えながら、私は会議室の椅子に深く身を沈めていた。
 コンコンと、硬質なノックの音が耳に届いた。
 短く返事を返すと、そこには社長の秘書の一人と何故か私の恋人である青年がいた。
「どうして貴方がここに? これはどういうことなの?」
 事態が飲み込めない私に、彼はひどく追い詰められたような表情で傍まで歩み寄る。
 そしてそのまま私の体を強く引き寄せた。私の体は、すっぽりと彼の腕の中へと包み込まれてしまう。
「ごめん」
「どうしたの? 何を謝っているの?」
 突然の抱擁と謝罪に、私の胸の内の不安は一気に大きく膨れ上がった。
 焦ったように問い続けても、彼はただ抱き締める腕を強めるだけ。
「しばらく、君とは会えない」
「会えないって、どうして? ねぇ、何があったの!?」
「大丈夫だから、絶対に俺は君を諦めたりはしないから!」
 その彼の言葉と視界の端にかすめた秘書の嘲るような表情で、彼と会社の間で何があったのかはおおよそ予測がついた。
 彼は大金を積まれて私と別れるように言われたのだ。
 今までにも他の女優や俳優たちの恋人がそんな取引の結果に別れさせられたことは知っていた。そして今度は、私たちの番だった。
「絶対、君を迎えに来るよ。何年掛ったって、絶対に……」
 まるでうわ言のように、彼は何度も何度も繰り返す。
 絶対に、どんなことをしてでも、と。
 無理よ。
 そう思った。
 私は社長の性格をよく知っている。
 彼はスター性のある役者や歌手を、絶対に手放したりはしない。
 徹底的にトップに上り詰めるための技術を教え込み、叩き上げ、そして宣伝力なども駆使して稼げるだけ稼ぐ。
 そして稼げるうちはどんなことがあろうとも、手綱は握って離さない。
 きっと彼も相当な無理難題をふっかけられたはずなのだ。
 多分、半端でない金額を提示されただろう。彼が到底払い切れるはずがないような金額を。
 けれど私は彼の性格も熟知しているのだ。
 彼は、言葉の通りに絶対に私を諦めたりなどしない。本当に、心の底から深く私を愛してくれているのだ。
 そして、そんな彼を、私もまた誰よりも愛している。
「……わかったわ。ずっと待ってる」
 だから、私にはそう返事することしかできない。
「ずっと、待っているわ。何年でも、何十年でも……」
 今の私にできることは、彼の言葉を信じること。ただそれだけしかなかった。
「貴方を、ずっと……」
 まるで不安を消す呪文のように、何度も何度も繰り返す。
 きつく抱き締めあった腕は、やがて秘書の促す言葉によって解けた。

 きっと迎えにくる。
 ずっと待っている。

 互いに、交わした約束を胸に刻んで一時の、そして永遠の別れを私たちは告げたのだった。

 とある小さな街の小さな一軒家。
 そこには年老いた女性が一人寂しく住んでいた。
 質素な室内には粗末なベッドとロッキングチェア。
 申し訳程度に備え付けられた暖炉の上には、美しい女性の描かれた油絵が飾られている。
 もうほぼ寝たきりと言っていい彼女には、近所の中年女性が時々様子を見に訪れるくらいで、来客など皆無に等しかった。
 そんな彼女が、古びたベッドの上で何度目かもわからない朝を迎えた。
 あの別れの日からどれだけの年月が過ぎたのかももうわからないほどだ。
 眩しい朝日を目蓋に感じながら、彼女は目覚めるたびに暖炉の上の若かりし頃の自分の肖像画を見つめる。
 そして、彼との約束を思い出し、毎日決まった言葉をおまじないのように小さく呟いた。

  さぁ、今日が約束の日。
  きっと彼は今日こそ迎えに来てくれる。

 そうして始まる彼女の一日。
 しかし太陽は天頂を越え、傾き、やがて山の端に埋もれていく。
 彼の訪れないまま、何も変わらないまま。
 それでも彼女はがっかりしたりはしなかった。

  大丈夫。私は信じている。
  彼は今も私を迎えに来るために、この場所に向かっているはず。
  だからきっと、明日には――。

 そして彼女はまた約束を胸に眠りにつく。
 毎日同じ思いを繰り返し浮かべ、そして祈り、叶えられるはずのない約束を信じ続けていた。
 もう彼女の体は年老いて、あの頃のような美しさはない。
 けれど、その瞳の奥には、あの頃と変わらぬままの穢れのない純粋な想いが溢れていた。
 眠りに就こうとする彼女の脳裏に、愛しい人の変わらぬ姿が思い浮かぶ。
 変わらぬ姿の恋人は、老いた彼女を抱きしめるとこう言った。
「待たせてごめん。会いたかったよ」と。
 そんな幻想とともに、ゆるやかに彼女の意識が沈んでいく。
 いつまでも変わらない、最愛の人の笑顔。
 再会の日を信じ、ゆっくりとじんわりと、彼女は深い眠りの淵へと落ちていった。

 そして、彼女の目覚めは、二度と訪れはしなかった。
 けれどその眠るような表情は、どこまでも穏やかで、どこまでも幸せそうで。
 まるで彼の描いた肖像画のように、美しかった。

 彼女が永遠の眠りについた頃。
 男は荒れ果てた部屋の片隅にいた。
 男は画家だった。
 とは言っても、全く売れていない、商業画家としての名などないようなものだった。
 イーゼルには未だ描きかけのキャンバスが立てられ、床には絵の具や油絵用の溶き油、パレット、様々なサイズの筆やペインティングナイフやパレットナイフが散乱している。
 何年も窓が開けられていないようで、室内の空気は埃っぽく淀んでいた。
 その中で彼はただひたすらに絵筆を振っている。
 ブツブツと、何か呟きながら。

 もう何十年も前に、彼は莫大な金額を負債とも言える形で背負った。
 しかし、彼にはそれを支払う術などなかった。
 知り合い中頭を下げまくったとしても、彼の知人にはそんなに金持ちなどいない。
 焼け石に水といった程度の金額しか手に入れることは出来ないと彼は考えた。
「石油でも掘り当てるか宝くじでも当てるしか無理でしょうけどね」
 そんな言葉を投げつけてきた憎たらしい男の顔が頭を過ぎる。
 しかし、実際にそんなに簡単に石油など掘り当てられないし、宝くじだって当たるはずがない。
 そう思った男は自分にできることは何かとひたすら考えた。
 そして思い至ったのだ。

  自分は画家だ。
  だったら、絵が売れればいい。

 有名な絵画コンクールでも、賞金の額など知れている。
 しかし、入賞すればそれだけで箔が付く。
 その影響でパトロンがつき、絵が売れれば、目標とする金額に手が届くかもしれない。
 何より、これと言って自分自身に取り柄がないことを男は理解していた。
 商売をしたって、ギャンブルをしたって、うまく行きはしない。
 一番の近道は、自分の得意分野しかないと思いついた。

 そして男は毎日毎日描き続けた。
 何枚も何枚も作品を描き上げ、次々とコンクールへと応募していった。
「今に見てろよ! あのニヤけた社長にひと泡吹かせてやる!」
 そんなことを呟きながら、キャンバスに絵の具を塗りつけていく日々。
 悔しさ、憤り、やるせなさ。そんなものが幾重にも塗り固められて出来上がった作品たちが、日が経つにつれ部屋に溢れていった。

 そうして過ぎ去った年月は、いつしか彼をひたすらに絵を描く妄執へと変化させた。
 今日も彼は呟く。
「コイツは傑作だ! 今度こそ、この作品こそ、最高傑作だ! これで次のコンクールで……」
 深く刻まれた皺の合間に見える眼光は、ギラギラとした光を放っている。
 しかしそれは、力強いというよりも鬼気迫るものであった。
 手にした筆は、すでに柄が折れ、パレットに乗っている絵の具も半分ほどが乾いている。
 キャンバスに描かれているのは、作者の男と同じように目をぎらつかせ、親の敵のように砂を掘り続けている若い男だった。
 男はすでにすべてを見失っていた。
 何故、自分がこれほど必死になって絵を描いているのかも。
 何のために、コンクールに入賞しようとしているのかも。
 ただ、狂ったように絵筆を振い、描き続け――。

 ある日の午後、その男の元を、一人の青年が訪れた。
 青年は近くの画廊に勤めていて、以前からこの画家と交流があった。
 ノックをしても返事がないことを不審に思い、青年は声を掛けながら部屋に入る。
 部屋の真ん中には描きかけの絵がイーゼルに掛けられたまま、散らかった部屋の隅に一枚の小さなキャンバスを抱え、蹲るように男は眠っていた。
 青年はそっと男に歩み寄る。
 静かにその手首を取ると、半ば予想していたとおり、生命の拍動は感じられなかった。
「……ようやく、解放されたんですね」
 青年はそう呟くと、切なさと安堵の混じった笑みを浮かべた。
 彼は、この画家の男が何かに取りつかれるように絵を描き続けていることに、憐れみを感じていたのだ。
 ふと、男が大事そうに抱きしめているキャンバスが気になり、そっと覗きこんだ。
 しっかりと抱き込んでいるその隙間から見えたのは、

 淡い色合いで描かれた、可憐な花を思わせるような女性の、優しく慈愛に満ちた笑顔だった――。畳む

#楽曲テーマ #過去ログ

その他


テーマ楽曲:涙/HY

 彼は、いつも決まった時にふらりと現れ、
 ただ、流れる歌声に、静かに耳を傾けていた。

 チリン、と、小さく軽やかな音が、静かに流れる音楽の合い間に聞こえた。
 私は入り口のドアに、ささやかな微笑みとともに目線を向ける。
「いらっしゃいませ」
 彼は軽く会釈をし、慣れたようにカウンター席の右から三番目に座る。
 それもいつものことだった。
 その位置は、決して私と完全に向かい合わせにはならない。
 尚且つ、グランドピアノ脇で歌う、私の店の看板シンガーの声が、一番聞き取りやすい位置。
 この店に常連として来る者たちにとって、そこは常に『予約席』状態。
 その場所を空けておくことが、暗黙の了解のようになっていた。
「……いつもの」
「はい」
 短く告げる彼に、私も短く答える。
 今目の前にいる彼は必要以上に話しはしない。
 だから私も、滅多に話しかけはしない。
「……珍しいな」
「え?」
 ポツリと呟かれた言葉に、そちらの方が珍しいと思って言葉が繋がらなかった。
 彼の視線は、少しだけ私のほうを向いている。
「何が、珍しいんですか?」
「あんなポップな曲歌ってる」
「あぁ」
 彼の言っている意味を理解して、私はふいとピアノの側に佇む彼女に目を向けた。
 いつもはほとんどJポップなど歌わない彼女が、今日はそれを歌っているのだ。
「あちらのテーブルのお客様からのリクエストですよ。女性の方がお誕生日らしくてね、そのお祝いにと……」
 目線だけでテーブル席を示すと、彼は納得したような表情を浮かべ、
「誕生日、か。たまにはこういうのもいいな」
 そう、わずかに笑みらしきものを見せた。

 私は彼を随分前から知っている。
 そして、今の彼が、こんな風な表情を見せることが、ごく稀であることも。
(少しは、癒えたのか?)
 心の中で問い掛けながら、私は視線を巡らせる。
 辿り着く先は、メニューなどが貼られたコルクボードの片隅。
 そこにあるのは、ポップなイラストの絵葉書一枚。
 どこか店の雰囲気にはそぐわないソレは、もう何年も剥がされることなくそこにある。
(……『ゆり』)
 流れる歌声に誘われるように、私の記憶は六年半前へと引き戻された。

 九月。
 日本の暦の上ではもうとっくに秋だというのに、日中はいまだ日差しが強く、暑さが緩む気配も見えない。
 季節柄、立て続けに上陸する台風が各地で猛威を揮っているが、その所為で幾らか涼を得られるかと言えば、そうでもなかった。
 鬱々と続く雨の所為で、今日は客足も遠のき、店内は私とカウンター席に客が一人、そして看板シンガーのナオの三人だけだった。
 ナオも、今は私と客の好意によって、客と同じくしてカウンター席に座って食事をとっている。
 かわりに店内に流れているのは、小さなテレビから流れるニュースの、ささやかな音だった。早々と店は『Close』の札を掲げていたのだ。
「そうそう、ゆりからエアメールが届いてたよ」
 そう言って屈託のない笑みを浮かべながら、スーツ姿の恒(ひさし)は私の目の前に一枚の絵葉書を差し出した。
「え!? ……アイツっ、俺には何の連絡も寄越さないくせにっ」
「匠(たくみ)さんより、俺に対する愛の方が深いってことだな」
「ひぃさぁしぃ、いくら本当のことでも、言ってはならんことを……」
 恨みがましい視線を送る私に、恒は声をあげて楽しそうに笑う。
 そんな私たちを見て、ナオもくすくすと笑っていた。
 ゆりは、私の三つ下の妹だ。
 明るく奔放で、冒険心が強く、突然一人旅に出ることもしばしば。『ゆり』なんておしとやかそうに思える名前とは、まったく正反対なじゃじゃ馬娘だった。
 そして恒は、私の店の常連客であり、ゆりとは二年ほど付き合っている恋人同士。
 最初ゆりに彼を紹介された時は、お互いに、客と店のマスターとして知っていたので、驚いたものだった。
 しかし、それ以来、以前よりも足繁く店に通ってくれるようになり、個人的にも友人と呼べるような存在になっていた。
 奔放なゆりに、自由気儘な恒。
 よく似たところを持つ二人は、ベタベタと甘えあうだけの恋人同士でなく、互いを尊重しあえる絶妙な距離を保って付き合っているように思えた。
 独り身の私としてはそんな二人が羨ましくもあり、けれど幸せそうなゆりを見るたびに私まで幸せな気分にさせられていた。
 だから、二人がこのまま上手くいって、結婚してくれれば兄として安心できるとも思っていた。
「ははは、冗談だって。単純に匠さんの住所をメモし忘れたらしいよ」
「……おまえのはきっちりメモしてるのにな」
「匠さん、ほらほら、ちゃんとココに匠さんへのメッセージもあるから」
 完璧に拗ねる私に、恒は苦笑しつつ宥めに入る。
 もう一度差し出された絵葉書を私は手に取った。
 『お兄ちゃんへ ゆりは元気だよん。帰ったらまたご飯作ってね~』
 短い、三行だけのメッセージ。
 それがいかにもゆりらしくて、思わず笑みが零れる。
「てか、『ご飯作ってね』って、俺は家政婦か?」
「仕方ないでしょ、ゆりは匠さんのご飯が大好物だから」
 言葉の割に私が嬉しそうにしているのをわかっていて、恒が続ける。更にそこに、「俺も大好物だし」と付け加えるものだから、ますます私は嬉しくなってしまうのだ。
「私もマスターの作るご飯、大好きですよ」
「おいおい、ナオちゃんまで」
「匠さんの飯、美味いもんなー、ナオさん」
「はい!」
 二人して持ち上げるのに、私は照れ臭くなりながらも、顔がにやけてしまう。
 仕方ないから、ゆりが帰ってきたら、その日は店を閉めて好きなものを作ってやろうと画策するのだった。
「で、今回はいつ帰ってくるんだっけ?」
「えっと、十五日には帰国するって言ってたかな? 今日、ボストンからロスに向かって、二日過ごして、その後……」
 恒には旅行の日程を詳しく教えていたらしい。
 何故私には知らせてないのか、理由は簡単にわかった。
 知らせても、どうせ私はすぐに忘れてしまうと思われているのだ。そして、それはまったく間違っていないのだから、何も言えない。
「ゆりさんって、いつも思いますけど行動力ありますよね。私、一人で海外旅行なんて、さすがに怖いです」
「あー、確かにナオさんだったら危なっかしくてしょうがないなぁ」
「あ、どういう意味ですか? 恒さん!」
 歌っている時のナオは大人びて落ち着いて見えるのだが、こうやって話していると、妙に可愛らしい。
 私からしたら、もう一人妹がいるような気分だった。
 いや、むしろ私だけでなく、恒やゆりからも、妹のように可愛がられていた。
 特にゆりは、休みの日にナオと二人で買い物に出かけたり、互いの家に泊まりに行ったりと、本当に姉妹のように仲良くしていたのだ。
「まあまあ、ナオちゃん。で、恒はいつが暇なんだ?」
「暇、か……。今はちょっと手が放せないからなー」
「ああ、プロジェクトの責任者だっけ?」
 一月ほど前に、恒は会社の社運を賭けたプロジェクトの責任者に任命され、毎日残業続きの生活を送っているらしい。それまではほぼ毎日来店してくれていたのに、最近はめっきり少なくなっていた。
 今日は久しぶりに早く終えられたのだと言う。
「ゆりが帰ってきた次の日曜くらい、休みがもらえるといいんだけど……」
「休めなくても、せめて残業せずに切り上げてこいよ。最近疲れ溜まってるだろ? 無理して倒れたりしたら、プロジェクトどころじゃなくなるだろうが」
「そうですよ。恒さん、少し痩せたんじゃないですか?」
 私とナオに揃って心配され、恒は観念したように頷いた。
「そうだな……。匠さんの飯、久しぶりにがっつり食べたいし」
「よし。んじゃ特製の滋養強壮ばっちりなメニューにしてやる」
「山盛りでよろしく。そしたらその勢いでプロジェクト成功して、昇進するから」
「お、デカイこと言ったな?」
「プロジェクト成功しても、昇進しなかったら罰ゲームですよー」
「罰ゲームー? ナオさん、それはないでしょー」
 顔を見合わせ、声を上げて三人で笑い合う。
 と、その時。
 不自然に割り込んできたレポーターの声が、耳についた。
 自然と三つの視線がテレビに集中する。
 何やら緊急の事件があり、速報が入ったようだった。
 画面に映し出されていたのは、炎上するビル。レポーターの言葉は、即座に理解するのが困難だった。
 簡単に言えば、『旅客機』が『ビル』に『激突』した、のだった。
「な、んですか、これ……」
 呆然と、ナオが呟く。
 恒も、食い入るように、画面を見つめたまま、静止している。
 尚も続くその臨時ニュースに、それまで盛り上がっていた空気は、一気に冷却されてしまった。
「え、これ、事故?」
「いや、事故でこういうのは……、ありえるのか?」
「あの、全然、わけわかんないんですけど……」
 ようやく出てきた言葉たちは、まったく目の前に映し出されている状況を理解できているものではなかった。
 何よりまず、詳しい情報自体が、ニュースの中から発せられていない。
 私たちが理解できたのは、『ニューヨーク』、『貿易センタービル』、『旅客機』。そんな断片的な名詞ばかり。
 場の空気が冷えきってしまった状態の中、新たな情報が流れるまでと、どこか神妙な面持ちで私たちは画面を見つめていた。

 どれほどそうしていたのだろう。
 待った甲斐があったと、言ってしまっていいのだろうか。
 いや、甲斐など、なかった。あったとすれば、それは、ただただ辛いばかりの、悪夢の始まりだった。
『あっ! 今、二機目の飛行機が突入したように見えましたが!?』
 そんな声とともに、飛行機が高層ビルへと激突する映像が、流れた。
 入り乱れる情報の中、ただの事故ではないことだけが私たちにはわかってきた。
「……マスター」
 しんとした店内に不安そうなナオの呟きが響く。俯いたその肩が、小刻みに震えていた。
「ナオちゃん?」
「……ゆりさん、大丈夫だよね?」
 確認するような言葉は、今にも消え入りそうなものだった。それとともに、一気に私の胸の内に、不安が押し寄せる。
 そう。
 ゆりは今、この悲惨な事件の起こっている、アメリカにいるのだ。
「なっ、何言ってんだよ、ナオちゃん! ゆりはね、めちゃめちゃ悪運強いんだから! なぁ、恒!」
「そ……うだ、ゆりは確かに悪運が強い! あいつはいつも、『私の乗った飛行機だけは落ちないから大丈夫よ』って言ってたし!」
 後から後から湧きあがる不安を、必死に明るさで打ち消そうとした。
 恒も同じだったらしく、泣きそうなナオを二人で必死に盛り上げた。
 それは、端から見たら、ひどく滑稽に映ったかもしれない。
 何故なら、私と恒の表情は、ナオに負けず劣らず、泣き出しそうなものだったから。

 そして、その翌日。
 眠れぬ夜を過ごした私に、朝一番に電話が入った。
 恒、からだった。
 内容は、短い一言に、集約されていた。

『ゆりが、乗ってた……』

 視線を、絵葉書からグランドピアノの側へと移す。
 シンプルな白いワンピースを纏ったナオは、今日も美しい歌声を響かせている。
 事件直後は、ショックの為に店に出てこられなくなっていたナオだが、それでも辞めずに今も続けてくれていた。
 今度は、ゆるりと視線を近場に戻す。
 目の前に座る恒は、あの頃よりも更に痩せた。
 それでも、職場では毅然とした態度で仕事をこなし、あの忌まわしい日に宣言した通りにプロジェクトを成功させ、昇進もしたらしい。
 ただ、口数は減り、私も以前のような軽口を叩けなくなった。
 私と恒とナオ、そしてゆりと、賑やかに笑い合っていた頃が幻のように思える。
 私の視線に気付いたのか、それとも偶然か、恒が徐に立ち上がり、手洗いへと向かっていった。
 知らず私の口から、溜め息が零れる。
「マスター」
 声に驚いて目線を上げると、歌い終えたナオが、カウンターの側までやってきていた。
「どうしたの? ナオちゃん」
「今日、何の日か、覚えてますか?」
「あぁ、当然だよ」
 今日は、ゆりの誕生日だった。
 そして、ふと気付く。ナオが着ている白いワンピースが、ゆりが譲った物だったことに。
「恒さんが席に戻ってきたら、一曲だけ、私の歌いたい歌を歌ってもいいですか?」
「勿論」
「ありがとう」
 うっすらと微笑んで、ナオはピアノの側へと戻り、ピアニストへと要望を伝えているようだった。
 タイミングよく、恒が席へと戻ってくる。
 程なくピアノの音色が聞こえ始め、ナオの澄んだ声が店内に広がった。
 グラスを傾けていた恒の、手が止まる。
 ゆっくりと、グラスがカウンターに戻されるのと同時進行で、恒の顔が俯いていった。グラスを置いた右手が、そのまま顔を覆うように持ち上げられる。
「……どうかしましたか?」
 恒の様子に、今では少し慣れてしまった他人行儀な言葉遣いで、遠慮がちに声を掛けた。
 具合でも悪くなったのかと思ったのだが、しかし、そうではなかった。
「匠さん」
 いつの間にか呼ばれなくなっていた名前を、何年か振りに呼ばれた。
「……ゆりの、好きだった歌だ」
「恒……」
 ナオが歌っていた歌は、私も聴き覚えがあった。
 七年前に流行っていた歌。ゆりが気に入って、よく口ずさんでいた、少し切ないメロディーラインのラブソング。
 ゆりの、恒への想いがこもっているとも言える――。
(ナオちゃん)
 ゆりの誕生日。
 ゆりの着ていたワンピース。
 ゆりの好きだった歌。

 ナオは、ゆりと恒の為に、歌っていた。

 私は、ナオがゆりに憧れていたことを知っていた。
 そして、もう一つ知っていたのは。

 ナオの、恒への、想い。
 ナオはずっと、恒に淡い想いを抱いていたのだ。
 けれど、二人の仲を裂くようなことは絶対にしなかった。
 『大好きな二人がずっと幸せでいてくれるのが嬉しいんです』と、笑ってさえいた。
 あの日まで、ずっと。
 そして、ゆりがいなくなった今でも、その想いは一度たりとて口にしていない。
 もしかしたら、この先もずっと口にしないかもしれない。
 ただ、今。
 ゆりの好きだった歌には、ナオの想いものせられているように思えた。

 一緒にいたい。
 笑っていて欲しい。

 そんな想い。
 笑顔と明るさを失い、悲しみと憎しみを抱えた恒の傷が、少しでも癒えて欲しいという、ひたむきな想い。
「恒……」
「……ゴメン、匠さん、俺……」
「恒、もう、いいだろう?」
 何が『もういい』のか、自分でもよくわからなかった。
 ただ私には、ずっと恒が自ら重い鎖に繋がれ、ぶつけようもない怒りと憎しみを抑えつけようとしているように思えて仕方がなかった。

 理不尽な、ゆりの死。
 蓄積されていく、憎悪。

 私もナオも恒も、誰もがそれらを抱え、うまく笑えない日々を過ごした。
 けれど今、ナオは真っ直ぐに前を向いて立って、歌い続けている。
 そして、未だに悪夢から抜け出せずにいる恒を、少しでも癒そうとしている。
 その想いに、私は気付いてやって欲しかった。
「ナオさんは、強いな……」
 ポツリと、零れる言葉。
 同時に。
 ポトリと、零れた涙。
 顔を覆った指の隙間から、幾筋もの雫が流れていた。
 あの日以来初めて見る、恒の涙だった。
「そうだな。俺たちも、見習わないと、な」
「……あぁ」
 今まで封じ込めてきた想いの分だけ、恒は涙を流し続けた。
(泣けるだけ、泣けばいい)
 そうして、怒りや憎しみを少しでも浄化して。
 いつか、笑うことが出来ればいい。

 また、いつか、ゆりがいた頃のように。
 みんなで、笑い合って、暮らせるように――。畳む

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