No.21

Everlasting Lie
テーマ楽曲:Ever lasting lie/BUMP OF CHICKEN

「ずっと待っているわ」
 その言葉だけが、俺にとっての心の支えだった。
 俺にとって、唯一無二の存在である彼女。その彼女を傍に取り戻す為ならば、俺はどんな苦労だって厭わない。
 そう、あの日決めたのだ。

 それは突然降りかかってきた悪夢だった。
「これで、手を打って下さい」
 近代的なオフィスの応接室。
 上等そうな革張りの座り心地抜群のはずのソファーに座らされた俺は、かえってその感触に心を落ち着けることもできなかった。そして、目の前に置かれているのは厚みのある茶色の封筒。隅にはこの会社の社名が印刷されている。
 その封筒を差し出したのは、これまた質の良さそうなブランド物のスーツを身に纏った壮年の男だった。きっちりと整髪料で髪を撫でつけた男は、彼女の所属している芸能プロダクションの社長だと数分前に自己紹介をした。
「手を、打てって……」
「わからないですか? 別れて下さいと言っているのですよ」
「なっ!? どうして!」
 思わずソファーから立ち上がり、感情のままに目の前のローテーブルに拳を叩きつけた。
 突然用件も告げられぬままに呼びつけられ、別れてくれと言われても、「はい、そうですか」とはいかない。いくわけがない。
「どうして? わからないですか?」
 社長である男は、こちらを小馬鹿にしたような目つきで口元を歪める。そして至極当然の提案だという表情で続けた。
「今彼女は飛ぶ鳥を落とす勢いで売れている。先月から公開されている映画も大ヒット。次の出演のオファーも山のようにある。そんな彼女に、『恋人』などという存在は邪魔でしかない」
「た、確かにそうかもしれないけれど……。でも! ちゃんとバレないように……!」
 この男の言うとおり、彼女は人気急上昇中の女優だった。
 主演映画のヒットのお蔭で、今では引く手数多。雑誌やテレビの取材、ドラマや映画の撮影など、分刻みでスケジュールが決まっている。
 そんな中、こっそりと二人で会う時間を見つけては、愛を育んできたというのに。
「バレないようにしたって、いずれバレるんですよ。マスコミはそんなに甘くはない。パパラッチだって人気と比例して増えていく。それなら、バレた時に少しでもメリットがある方がいい」
「……どういう、意味だ?」
「貴方の様な貧乏画家では、彼女の価値が下がると言っているんです。どうせスキャンダルになるのなら、大物俳優や超一流のアスリートの方がいい」
「ふざけるな!」
 飽くまでも損得勘定でしか考えない男に、俺の怒りは抑え切れなかった。
 けれど、俺が激しい怒りをぶつけても、男は涼しい顔を崩さない。
「ふざけてなどないですよ。だから貴方に手切れ金をご用意したのです」
「誰が金なんかいるか!」
「おや。じゃあ、無償で別れて下さるんですか?」
「別れるわけないだろう! 俺とアイツは結婚の約束までしてるんだ!」
 俺の怒鳴り声に、男は僅かばかり顔を顰める。
 その後わざとらしく大仰にため息をつくと、近くにあった電卓に手を伸ばした。
「……わかりました。では貴方にはコレだけ用意して頂きましょう」
 男は悪趣味な指輪をつけた指で軽やかに電卓を叩く。
 そして表示された数字を見せるように、俺の前にそれを差し出した。
「……コレだけって」
 そこに刻まれていた数字は、1の後に0が七つ。一千万だ。
 つまり、一千万ドル、俺に用意しろと言うのだ。
「こ、こんな金額……!」
「彼女が生み出す利益を考えれば、コレくらい安いものでしょう?」
 端から男は俺には無理な金額だとわかって、ふんと鼻を鳴らして嗤う。
 確かに彼女がもたらす様々な利益を考えたら、それくらい当然なのかもしれない。けれど一般人が用意するには法外な金額だった。
「まあ、貴方のような貧乏人には、石油でも掘り当てるか宝くじでも当てるしか無理でしょうけどね」
「くっ……」
「では、お引き取り頂きましょうか。おい、お客様がお帰りだ」
「ちょっと待てよ!」
 わかっている。これは俺に彼女を諦めさせるための作戦だ。
 こんな大金は確かに用意できない。けれど、俺には彼女と別れることの方がもっと無理なのだ。
「わかった。絶対に用意してやるさ」
 挑むように男を睨みつけ、俺は低くそう言い放った。男は一瞬片眉をあげたが、すぐにまた口元に嘲笑うような笑みを浮かべる。
「ほう? では期限は……そうですね。無期限でいいですよ」
「無期限?」
 どんなに無茶苦茶な条件を突きつけられるかと思ったが、意外にも男は甘い条件を設定した。とはいえ、金額が金額なだけに、その条件でもけっして楽ではない。
 けれど、幾分ホッとしたと言えばそうだった。しかし――。
「ただし、貴方がお金を用意できるまで、彼女には会わないでください」
「彼女に会うなだと!?」
「当然でしょう? こちらの提示した金額も用意できないうちに、彼女とのスキャンダルがバレたらどうするんです? それができないのなら、さっさとそこの封筒を懐にしまって帰ってくださって結構です」
 憐れみにも似た笑顔を浮かべ、男は先ほどの封筒を指差す。
 中には多分、一万ドルほどは入っているだろう。
「言っておきますが、勿論その金を受け取るのならば、今後一切彼女には接触できません。電話も、メールも、半径五百メートル以内に入ることも禁じます。警察に貴方の写真や身元を提出して、ストーカーとして扱って頂きますから」
「くっ……」
 男はあまりにも酷い二択を迫っていた。
 一万ドルを持って帰り、二度と彼女に会わないことか。
 それとも一千万ドルを払い切れるまで、彼女には会わないことか。
 どちらにしろ、俺はしばらくの間は彼女とはともに過ごせないのだ。
 けれど、俺の気持ちはそんなことでは揺らぐはずもなかった。
「わかった、金の支払いが終わるまで、彼女には会わない! だが、俺が全額用意できたなら、俺たちは自由だ!」
「結構ですよ。では、こちらで契約書を書いて頂きましょうか」
 そうして俺は無茶な契約を結ばされた。
 自分でも愚かだと思う。とんでもなく無謀なのだとわかっている。
 それでも俺は、彼女を失うことができないのだ。
 怒りにまかせた乱暴な字で、契約書にサインをし、ペンを放るように置いた。
「絶対、アンタの思い通りになんかさせないからな!」
「せいぜい頑張ってください。あぁ、最後に一度くらい彼女と会ってもいいですよ。ほんの数分でしたらね」
「……最後になんか、ならない!」
「そうなるといいですねぇ。彼女は三階の会議室にいます。案内させましょう」
 男の言葉とともに、秘書らしきスーツの男が俺を応接室の外へと促した。
 俺は案内されるまま、湧き上がる怒りとともに応接室を後にした。

 会議室はただ事務的で、シンプルで、全く温かさが感じられない。
 私はどこか不安と寂しさを感じながら、ブラインドから差し込む日の光をただ見つめていた。
 つい数分前、私は社長に呼び出された。
 大切な話があるとのことだったけれど、その声が必要以上に優しげな雰囲気を漂わせていて、かえって不安を覚えたのだ。
 漠然とした不安を抱えながら、私は会議室の椅子に深く身を沈めていた。
 コンコンと、硬質なノックの音が耳に届いた。
 短く返事を返すと、そこには社長の秘書の一人と何故か私の恋人である青年がいた。
「どうして貴方がここに? これはどういうことなの?」
 事態が飲み込めない私に、彼はひどく追い詰められたような表情で傍まで歩み寄る。
 そしてそのまま私の体を強く引き寄せた。私の体は、すっぽりと彼の腕の中へと包み込まれてしまう。
「ごめん」
「どうしたの? 何を謝っているの?」
 突然の抱擁と謝罪に、私の胸の内の不安は一気に大きく膨れ上がった。
 焦ったように問い続けても、彼はただ抱き締める腕を強めるだけ。
「しばらく、君とは会えない」
「会えないって、どうして? ねぇ、何があったの!?」
「大丈夫だから、絶対に俺は君を諦めたりはしないから!」
 その彼の言葉と視界の端にかすめた秘書の嘲るような表情で、彼と会社の間で何があったのかはおおよそ予測がついた。
 彼は大金を積まれて私と別れるように言われたのだ。
 今までにも他の女優や俳優たちの恋人がそんな取引の結果に別れさせられたことは知っていた。そして今度は、私たちの番だった。
「絶対、君を迎えに来るよ。何年掛ったって、絶対に……」
 まるでうわ言のように、彼は何度も何度も繰り返す。
 絶対に、どんなことをしてでも、と。
 無理よ。
 そう思った。
 私は社長の性格をよく知っている。
 彼はスター性のある役者や歌手を、絶対に手放したりはしない。
 徹底的にトップに上り詰めるための技術を教え込み、叩き上げ、そして宣伝力なども駆使して稼げるだけ稼ぐ。
 そして稼げるうちはどんなことがあろうとも、手綱は握って離さない。
 きっと彼も相当な無理難題をふっかけられたはずなのだ。
 多分、半端でない金額を提示されただろう。彼が到底払い切れるはずがないような金額を。
 けれど私は彼の性格も熟知しているのだ。
 彼は、言葉の通りに絶対に私を諦めたりなどしない。本当に、心の底から深く私を愛してくれているのだ。
 そして、そんな彼を、私もまた誰よりも愛している。
「……わかったわ。ずっと待ってる」
 だから、私にはそう返事することしかできない。
「ずっと、待っているわ。何年でも、何十年でも……」
 今の私にできることは、彼の言葉を信じること。ただそれだけしかなかった。
「貴方を、ずっと……」
 まるで不安を消す呪文のように、何度も何度も繰り返す。
 きつく抱き締めあった腕は、やがて秘書の促す言葉によって解けた。

 きっと迎えにくる。
 ずっと待っている。

 互いに、交わした約束を胸に刻んで一時の、そして永遠の別れを私たちは告げたのだった。

 とある小さな街の小さな一軒家。
 そこには年老いた女性が一人寂しく住んでいた。
 質素な室内には粗末なベッドとロッキングチェア。
 申し訳程度に備え付けられた暖炉の上には、美しい女性の描かれた油絵が飾られている。
 もうほぼ寝たきりと言っていい彼女には、近所の中年女性が時々様子を見に訪れるくらいで、来客など皆無に等しかった。
 そんな彼女が、古びたベッドの上で何度目かもわからない朝を迎えた。
 あの別れの日からどれだけの年月が過ぎたのかももうわからないほどだ。
 眩しい朝日を目蓋に感じながら、彼女は目覚めるたびに暖炉の上の若かりし頃の自分の肖像画を見つめる。
 そして、彼との約束を思い出し、毎日決まった言葉をおまじないのように小さく呟いた。

  さぁ、今日が約束の日。
  きっと彼は今日こそ迎えに来てくれる。

 そうして始まる彼女の一日。
 しかし太陽は天頂を越え、傾き、やがて山の端に埋もれていく。
 彼の訪れないまま、何も変わらないまま。
 それでも彼女はがっかりしたりはしなかった。

  大丈夫。私は信じている。
  彼は今も私を迎えに来るために、この場所に向かっているはず。
  だからきっと、明日には――。

 そして彼女はまた約束を胸に眠りにつく。
 毎日同じ思いを繰り返し浮かべ、そして祈り、叶えられるはずのない約束を信じ続けていた。
 もう彼女の体は年老いて、あの頃のような美しさはない。
 けれど、その瞳の奥には、あの頃と変わらぬままの穢れのない純粋な想いが溢れていた。
 眠りに就こうとする彼女の脳裏に、愛しい人の変わらぬ姿が思い浮かぶ。
 変わらぬ姿の恋人は、老いた彼女を抱きしめるとこう言った。
「待たせてごめん。会いたかったよ」と。
 そんな幻想とともに、ゆるやかに彼女の意識が沈んでいく。
 いつまでも変わらない、最愛の人の笑顔。
 再会の日を信じ、ゆっくりとじんわりと、彼女は深い眠りの淵へと落ちていった。

 そして、彼女の目覚めは、二度と訪れはしなかった。
 けれどその眠るような表情は、どこまでも穏やかで、どこまでも幸せそうで。
 まるで彼の描いた肖像画のように、美しかった。

 彼女が永遠の眠りについた頃。
 男は荒れ果てた部屋の片隅にいた。
 男は画家だった。
 とは言っても、全く売れていない、商業画家としての名などないようなものだった。
 イーゼルには未だ描きかけのキャンバスが立てられ、床には絵の具や油絵用の溶き油、パレット、様々なサイズの筆やペインティングナイフやパレットナイフが散乱している。
 何年も窓が開けられていないようで、室内の空気は埃っぽく淀んでいた。
 その中で彼はただひたすらに絵筆を振っている。
 ブツブツと、何か呟きながら。

 もう何十年も前に、彼は莫大な金額を負債とも言える形で背負った。
 しかし、彼にはそれを支払う術などなかった。
 知り合い中頭を下げまくったとしても、彼の知人にはそんなに金持ちなどいない。
 焼け石に水といった程度の金額しか手に入れることは出来ないと彼は考えた。
「石油でも掘り当てるか宝くじでも当てるしか無理でしょうけどね」
 そんな言葉を投げつけてきた憎たらしい男の顔が頭を過ぎる。
 しかし、実際にそんなに簡単に石油など掘り当てられないし、宝くじだって当たるはずがない。
 そう思った男は自分にできることは何かとひたすら考えた。
 そして思い至ったのだ。

  自分は画家だ。
  だったら、絵が売れればいい。

 有名な絵画コンクールでも、賞金の額など知れている。
 しかし、入賞すればそれだけで箔が付く。
 その影響でパトロンがつき、絵が売れれば、目標とする金額に手が届くかもしれない。
 何より、これと言って自分自身に取り柄がないことを男は理解していた。
 商売をしたって、ギャンブルをしたって、うまく行きはしない。
 一番の近道は、自分の得意分野しかないと思いついた。

 そして男は毎日毎日描き続けた。
 何枚も何枚も作品を描き上げ、次々とコンクールへと応募していった。
「今に見てろよ! あのニヤけた社長にひと泡吹かせてやる!」
 そんなことを呟きながら、キャンバスに絵の具を塗りつけていく日々。
 悔しさ、憤り、やるせなさ。そんなものが幾重にも塗り固められて出来上がった作品たちが、日が経つにつれ部屋に溢れていった。

 そうして過ぎ去った年月は、いつしか彼をひたすらに絵を描く妄執へと変化させた。
 今日も彼は呟く。
「コイツは傑作だ! 今度こそ、この作品こそ、最高傑作だ! これで次のコンクールで……」
 深く刻まれた皺の合間に見える眼光は、ギラギラとした光を放っている。
 しかしそれは、力強いというよりも鬼気迫るものであった。
 手にした筆は、すでに柄が折れ、パレットに乗っている絵の具も半分ほどが乾いている。
 キャンバスに描かれているのは、作者の男と同じように目をぎらつかせ、親の敵のように砂を掘り続けている若い男だった。
 男はすでにすべてを見失っていた。
 何故、自分がこれほど必死になって絵を描いているのかも。
 何のために、コンクールに入賞しようとしているのかも。
 ただ、狂ったように絵筆を振い、描き続け――。

 ある日の午後、その男の元を、一人の青年が訪れた。
 青年は近くの画廊に勤めていて、以前からこの画家と交流があった。
 ノックをしても返事がないことを不審に思い、青年は声を掛けながら部屋に入る。
 部屋の真ん中には描きかけの絵がイーゼルに掛けられたまま、散らかった部屋の隅に一枚の小さなキャンバスを抱え、蹲るように男は眠っていた。
 青年はそっと男に歩み寄る。
 静かにその手首を取ると、半ば予想していたとおり、生命の拍動は感じられなかった。
「……ようやく、解放されたんですね」
 青年はそう呟くと、切なさと安堵の混じった笑みを浮かべた。
 彼は、この画家の男が何かに取りつかれるように絵を描き続けていることに、憐れみを感じていたのだ。
 ふと、男が大事そうに抱きしめているキャンバスが気になり、そっと覗きこんだ。
 しっかりと抱き込んでいるその隙間から見えたのは、

 淡い色合いで描かれた、可憐な花を思わせるような女性の、優しく慈愛に満ちた笑顔だった――。畳む

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