クワドラートの祈り改稿前SS4/バレンタイン/キース視点→サクヤ視点続きを読む「はい、どうぞ!」 昼食をとろうとサクヤの執務室を訪れた途端、そう言って目の前に差し出されたのは、甘い香りの漂う小さな紙袋。どうやら中身は焼き菓子のようだった。 珍しい。菓子など今まで作ったことがなかったのに。 料理上手なサクヤのことだから、菓子を作ることくらい大した手間ではないとはわかるが、どうしてこのタイミングなのだろうか? そんな疑問は、次の台詞であっさりと氷解した。「アデーレに聞いたんだ。今日って聖リヴェ・メイヌの日って言うんでしょ?」「あ、ああ、そういえばそうだったな」 聖リヴェ・メイヌ。聖典にも記されている、コルモエール神教の聖人の一人だ。その生誕日が今日。現在では聖リヴェ・メイヌの日として広く知られている。 だが、この聖リヴェ・メイヌの日には、ちょっと変わった風習がある。 女性が意中の男性に菓子を贈るのだ。そう、『意中の相手』に、だ。 贈られた相手は、翌日返事の代わりに花か菓子を贈り返す。是なら花を、否なら菓子を。 その為、世間ではこの日には男女問わずそわそわしている。部下の中にも注意するほどではないにしろ、浮ついた態度の者が幾人か見られた。 しかし明らかに、サクヤにそんな意図はないだろう。 これはほぼ間違いなく、アデーレが真実を告げずに「日頃感謝している相手にお菓子を贈るのですよ」などと吹き込んだのだ。 素直なサクヤなら、簡単にその嘘を信じるだろうし、俺にあてて菓子を焼くくらいの手間は惜しまないとわかる。もしかすると、複数準備して、リィナやアデーレ、リーヴなどにもふるまっているかもしれない。 その場に残っていたアデーレにちらりと目を遣ると、案の定わざとらしく視線を外される。その口元が微かに緩んでいることから、俺の反応を楽しんでいるのは明白だった。「あ、キース甘いもの苦手だった?」 なかなか受け取ろうとしない俺を、サクヤが心配そうに覗き込む。「いや、平気だ。ありがたくいただくよ」 サクヤは真実を知らないのだし、その好意と手間を無駄にしたくはなかった。菓子を受け取ると、一瞬でサクヤの表情が明るくなる。「よかったー! 甘いものは疲れとれるから、仕事の合間にでも食べてね!」「ああ」「サクヤ様、お返しに期待しましょうね」 俺たちの様子を見守っていたアデーレが、こんな時だけしっかり口を挟んでくる。どうあっても俺に菓子か花かを贈り返させたいらしい。「別に見返り欲しくてあげるんじゃないから、お返しとかいいの! キースも気にしないでいいからね!」「でも、お返しするのが昔からの慣わしですから」 俺をおいてサクヤと盛り上がり始めるアデーレを軽く睨む。その視線に気づいたアデーレは、一瞬肩を竦めるが、それでも意味ありげな微笑を隠そうとはしなかった。 アデーレの悪戯は恨めしいが、無邪気に喜ぶサクヤの笑顔が見られたことには満足だ。そういえば、今までに何かサクヤに贈り物などしたことがないと気づく。お返しというわけではないが、何か贈るのもいいかもしれない。 だが、贈り物といっても何がいいのかすぐには思い浮かばなかった。 誰かに何かを贈るなんて滅多にしないことだし、更に言えば歳下の異性に贈る機会なんてなかったのだ。 そもそも、サクヤにあまり物欲がないようだ。衣類なども必要最低限で、しかも俺の着られなくなったものでいいとさえ言う。宝飾品なども嫌いではなさそうだが、無駄遣いをするなと叱られてしまいそうだ。 これはなかなか厄介な課題が出来てしまったと、心の中でだけ小さなため息をつく。 昼食の最中も、サクヤと会話しながらも頭の片隅ではずっと何を贈るのか考えていた。 こういうとき、きっとサミーならば容易に考え付くのだろう。だが、ここで奴に相談でもしようものなら、余計な勘繰りを入れられ、またあることないことサクヤや養父に吹き込まれるのは間違いない。 アルゼに相談しようかとも思ったが、サミーと同じ結果になることだろう。 これはどうあっても、何とか自力で解決するしかないようだった。 * * * キースに申し訳ないことをしたかもしれない。 いつも通り、諸々の執務や修練を終えて家に帰る道すがら、そんなことをずっと考えていた。 お菓子を焼くなんて、本当に久しぶりだった。それでも、昔とった杵柄というか、劇団への差し入れでよく作っていたから、そんなに悪い出来ではなかった、……と思う。 最近、以前にも増してお互い忙しい。特にキースは立場が立場だから、私なんかと比べ物にならないほど仕事を抱えているだろう。 もちろん、キースは疲れた素振りなんて一切見せない。もし、私が体の心配でもしようものなら、「このくらい平気だ」と笑って見せるに違いないのだ。 だから、心配を態度で表すんじゃなくて、少しでもキースの疲れが癒えたらいいなと、アデーレから聞いた聖リヴェ・メイヌの日の慣わしに乗っかってみたわけだ。 けれど、まさかお返しする習わしまであったのが誤算だった。 別に、お返しなんていらないし、そうキースにも伝えたけれど、真面目なキースがそれを蔑ろにするわけがない。現に、城を出てからずっと無言。昼食の時からずっと何かを考え込んでいるようだったのだ。 これでは、キースに無駄な悩みを増やしてしまっただけじゃないか。 ていうかキースさん、正直悩み過ぎですよー? そんな真面目に考えるほどのもんじゃないですよー? なんて心の声が届くはずもなく。 結局、ほとんど会話もないまま、家まで辿り着いてしまった。 先に立ってキースが扉を開け、家に入ってしまう。 その後に続きながら、あーあとこっそり溜息をつこうとした時だった。「サクヤ」「へ? 何?」 突然振り返ったキースが、両の手を自分の首の後ろへと回す。元に戻ってきた手には、ペンダントのチェーンが摘まれていた。円の中に正方形、正方形には対角線があり、その交差した中央には翡翠に似た緑の石が嵌まったトップが、ぶら下がっている。 その形はどこかで見たことがあった。そう、確か宮城内にある大聖堂の壁にも、同じ形のレリーフがあった。ということは、神教に関わりのあるものなんだろう。ロザリオみたいなものだろうか? そんな考察をしていると、チェーンの金具を持ったままのキースの両手がそのまま私の首へと回った。「キース、これは?」「クワドラート」「クワド、ラート?」「お守りみたいなもんだ。俺はサミーと違って気の利いた贈り物なんてできないからな。これをやる」「で、でも」「ああ、心配すんな。特別高価なものじゃないから」 そう言ってキースは軽く笑うが、私が気にかけていることはそんなことではない。 このペンダントは、今の今までキースの首にかけられていたものだ。そして、私はキースがこれをつけたり外したりするのを、これまでの一度たりとも見たことがない。つまり、ずっと肌身離さず持っていた、ということじゃないんだろうか? となると、高価かどうかの問題ではなく、キースにとって大切なものだという可能性が高い。例えば、ヤーマさんからもらったものだとか、ご両親の形見だとか。もしそうなのだとしたら、私が受け取っていいものではない気がする。「あの、これ、私なんかがもらっていいようなものなの?」「違う」「だったら――!」「俺がサクヤに持っていてほしいんだ」 慌てて外そうとしていたから、キースの表情を見逃してしまった。驚いて顔をあげた時には、既に背を向けて、奥へと歩き出していた。 キースの声音はいつも以上に優しくて、けれどどこか照れたような色が滲んでいた。「キー……」「あら、おかえりなさいまし。お食事の準備はできておりますよ」 呼び掛けようとしたが、ダイニングからのマミヤさんの嬉しげな声に遮られる。キースはマミヤさんに礼を言うと、着替えに行くのかまっすぐに自室へと向かっていった。 その背中をぼんやりと見送りながら、胸元に揺れるペンダントにそっと指を添わせる。滑らかな石と、微細な銀細工のでこぼことした感触。微かに移ったぬくもりが、私の体温だけではないと思うのは気のせいかもしれないけれど、それでも何だかキースが常に傍で守ってくれているような安心感が生まれた。 慎重な手つきでトップを摘まむと、襟元の隙間からするりと中に滑り込ませる。もう一度服の上から円い形を指でなぞると、無人の廊下で誰にも聞こえない祈りを囁いた。畳む#番外編 2023.11.10 (Fri) 夢のあとさきそめし朝
改稿前SS4/バレンタイン/キース視点→サクヤ視点
「はい、どうぞ!」
昼食をとろうとサクヤの執務室を訪れた途端、そう言って目の前に差し出されたのは、甘い香りの漂う小さな紙袋。どうやら中身は焼き菓子のようだった。
珍しい。菓子など今まで作ったことがなかったのに。
料理上手なサクヤのことだから、菓子を作ることくらい大した手間ではないとはわかるが、どうしてこのタイミングなのだろうか?
そんな疑問は、次の台詞であっさりと氷解した。
「アデーレに聞いたんだ。今日って聖リヴェ・メイヌの日って言うんでしょ?」
「あ、ああ、そういえばそうだったな」
聖リヴェ・メイヌ。聖典にも記されている、コルモエール神教の聖人の一人だ。その生誕日が今日。現在では聖リヴェ・メイヌの日として広く知られている。
だが、この聖リヴェ・メイヌの日には、ちょっと変わった風習がある。
女性が意中の男性に菓子を贈るのだ。そう、『意中の相手』に、だ。
贈られた相手は、翌日返事の代わりに花か菓子を贈り返す。是なら花を、否なら菓子を。
その為、世間ではこの日には男女問わずそわそわしている。部下の中にも注意するほどではないにしろ、浮ついた態度の者が幾人か見られた。
しかし明らかに、サクヤにそんな意図はないだろう。
これはほぼ間違いなく、アデーレが真実を告げずに「日頃感謝している相手にお菓子を贈るのですよ」などと吹き込んだのだ。
素直なサクヤなら、簡単にその嘘を信じるだろうし、俺にあてて菓子を焼くくらいの手間は惜しまないとわかる。もしかすると、複数準備して、リィナやアデーレ、リーヴなどにもふるまっているかもしれない。
その場に残っていたアデーレにちらりと目を遣ると、案の定わざとらしく視線を外される。その口元が微かに緩んでいることから、俺の反応を楽しんでいるのは明白だった。
「あ、キース甘いもの苦手だった?」
なかなか受け取ろうとしない俺を、サクヤが心配そうに覗き込む。
「いや、平気だ。ありがたくいただくよ」
サクヤは真実を知らないのだし、その好意と手間を無駄にしたくはなかった。菓子を受け取ると、一瞬でサクヤの表情が明るくなる。
「よかったー! 甘いものは疲れとれるから、仕事の合間にでも食べてね!」
「ああ」
「サクヤ様、お返しに期待しましょうね」
俺たちの様子を見守っていたアデーレが、こんな時だけしっかり口を挟んでくる。どうあっても俺に菓子か花かを贈り返させたいらしい。
「別に見返り欲しくてあげるんじゃないから、お返しとかいいの! キースも気にしないでいいからね!」
「でも、お返しするのが昔からの慣わしですから」
俺をおいてサクヤと盛り上がり始めるアデーレを軽く睨む。その視線に気づいたアデーレは、一瞬肩を竦めるが、それでも意味ありげな微笑を隠そうとはしなかった。
アデーレの悪戯は恨めしいが、無邪気に喜ぶサクヤの笑顔が見られたことには満足だ。そういえば、今までに何かサクヤに贈り物などしたことがないと気づく。お返しというわけではないが、何か贈るのもいいかもしれない。
だが、贈り物といっても何がいいのかすぐには思い浮かばなかった。
誰かに何かを贈るなんて滅多にしないことだし、更に言えば歳下の異性に贈る機会なんてなかったのだ。
そもそも、サクヤにあまり物欲がないようだ。衣類なども必要最低限で、しかも俺の着られなくなったものでいいとさえ言う。宝飾品なども嫌いではなさそうだが、無駄遣いをするなと叱られてしまいそうだ。
これはなかなか厄介な課題が出来てしまったと、心の中でだけ小さなため息をつく。
昼食の最中も、サクヤと会話しながらも頭の片隅ではずっと何を贈るのか考えていた。
こういうとき、きっとサミーならば容易に考え付くのだろう。だが、ここで奴に相談でもしようものなら、余計な勘繰りを入れられ、またあることないことサクヤや養父に吹き込まれるのは間違いない。
アルゼに相談しようかとも思ったが、サミーと同じ結果になることだろう。
これはどうあっても、何とか自力で解決するしかないようだった。
* * *
キースに申し訳ないことをしたかもしれない。
いつも通り、諸々の執務や修練を終えて家に帰る道すがら、そんなことをずっと考えていた。
お菓子を焼くなんて、本当に久しぶりだった。それでも、昔とった杵柄というか、劇団への差し入れでよく作っていたから、そんなに悪い出来ではなかった、……と思う。
最近、以前にも増してお互い忙しい。特にキースは立場が立場だから、私なんかと比べ物にならないほど仕事を抱えているだろう。
もちろん、キースは疲れた素振りなんて一切見せない。もし、私が体の心配でもしようものなら、「このくらい平気だ」と笑って見せるに違いないのだ。
だから、心配を態度で表すんじゃなくて、少しでもキースの疲れが癒えたらいいなと、アデーレから聞いた聖リヴェ・メイヌの日の慣わしに乗っかってみたわけだ。
けれど、まさかお返しする習わしまであったのが誤算だった。
別に、お返しなんていらないし、そうキースにも伝えたけれど、真面目なキースがそれを蔑ろにするわけがない。現に、城を出てからずっと無言。昼食の時からずっと何かを考え込んでいるようだったのだ。
これでは、キースに無駄な悩みを増やしてしまっただけじゃないか。
ていうかキースさん、正直悩み過ぎですよー? そんな真面目に考えるほどのもんじゃないですよー? なんて心の声が届くはずもなく。
結局、ほとんど会話もないまま、家まで辿り着いてしまった。
先に立ってキースが扉を開け、家に入ってしまう。
その後に続きながら、あーあとこっそり溜息をつこうとした時だった。
「サクヤ」
「へ? 何?」
突然振り返ったキースが、両の手を自分の首の後ろへと回す。元に戻ってきた手には、ペンダントのチェーンが摘まれていた。円の中に正方形、正方形には対角線があり、その交差した中央には翡翠に似た緑の石が嵌まったトップが、ぶら下がっている。
その形はどこかで見たことがあった。そう、確か宮城内にある大聖堂の壁にも、同じ形のレリーフがあった。ということは、神教に関わりのあるものなんだろう。ロザリオみたいなものだろうか?
そんな考察をしていると、チェーンの金具を持ったままのキースの両手がそのまま私の首へと回った。
「キース、これは?」
「クワドラート」
「クワド、ラート?」
「お守りみたいなもんだ。俺はサミーと違って気の利いた贈り物なんてできないからな。これをやる」
「で、でも」
「ああ、心配すんな。特別高価なものじゃないから」
そう言ってキースは軽く笑うが、私が気にかけていることはそんなことではない。
このペンダントは、今の今までキースの首にかけられていたものだ。そして、私はキースがこれをつけたり外したりするのを、これまでの一度たりとも見たことがない。つまり、ずっと肌身離さず持っていた、ということじゃないんだろうか?
となると、高価かどうかの問題ではなく、キースにとって大切なものだという可能性が高い。例えば、ヤーマさんからもらったものだとか、ご両親の形見だとか。もしそうなのだとしたら、私が受け取っていいものではない気がする。
「あの、これ、私なんかがもらっていいようなものなの?」
「違う」
「だったら――!」
「俺がサクヤに持っていてほしいんだ」
慌てて外そうとしていたから、キースの表情を見逃してしまった。驚いて顔をあげた時には、既に背を向けて、奥へと歩き出していた。
キースの声音はいつも以上に優しくて、けれどどこか照れたような色が滲んでいた。
「キー……」
「あら、おかえりなさいまし。お食事の準備はできておりますよ」
呼び掛けようとしたが、ダイニングからのマミヤさんの嬉しげな声に遮られる。キースはマミヤさんに礼を言うと、着替えに行くのかまっすぐに自室へと向かっていった。
その背中をぼんやりと見送りながら、胸元に揺れるペンダントにそっと指を添わせる。滑らかな石と、微細な銀細工のでこぼことした感触。微かに移ったぬくもりが、私の体温だけではないと思うのは気のせいかもしれないけれど、それでも何だかキースが常に傍で守ってくれているような安心感が生まれた。
慎重な手つきでトップを摘まむと、襟元の隙間からするりと中に滑り込ませる。もう一度服の上から円い形を指でなぞると、無人の廊下で誰にも聞こえない祈りを囁いた。畳む
#番外編