ゲムニの鏡改稿前SS2/ジューンブライド/サクヤ視点続きを読む 甘い花の香りがする。何の花だろうか? 詳しくはないから、全然わからない。けれど、その甘さはおしつけがましくなくて、とても心地いい。 そんなことを思いながら、何だかいつもより紗がかかったような視線を巡らせると、目の前には大きな扉。木目の美しい、アンティーク調の両開きの扉だ。その扉が音もなくなめらかに開くと同時に、弦楽器の奏でるハーモニーが溢れ出した。 ――あれ? 私はここで何してるんだっけ? そんな疑問が頭を過ぎる。 その答えが出る前に、一歩前に進むように隣から促された。そこで初めてすぐ隣に立つ存在に気づく。そっと見上げると、黒い燕尾服に身を包んだ叔父の姿があった。 緊張してるな。まあ、でも当然か。だって、私も思った以上に鼓動が速いし、体の動きもぎくしゃくしている。最初に出すのは右足だっけ? 左足だったっけ? そこまでごく自然に考えて、先ほどの疑問を自分はとっくに解消していることに気づいた。 今、私がいるのは小さなチャペル。目の前には真っ白なヴァージンロードがのび、縁取るように淡い色合いの花々が、薄いブルーのサテンリボンで繋がれたガラスのポールに飾られている。 そして、身に纏うのは純白のウェディングドレス。視界がはっきりしないのは、ヴェールのせいだった。 そう、私は花嫁なのだ。 人生で一度きりの大舞台で、いつになく緊張している。といっても、お芝居とはまた違う緊張感だった。 ――そういえば、私誰と結婚するんだろう? 何だかさっきから自分の思考が二重構造な感じだ。状況を全て理解している自分と、まったくわかっていない自分。 全部わかっている方の自分が身体を動かしていて、そうじゃない方がどこか離れた場所から見ているような、そんな不思議な感覚だった。 少しずつ前に進みながら、ヴァージンロードの先で待つ新郎の姿を確認する。けれど、聖壇の後ろの壁は見事なガラス張りで外光が燦々と注ぎこんでいた。完全な逆光で、肝心の新郎の顔が見えない。 ――もっと近づければ、その顔が見えるのに。 もどかしい思いが募るけれど、叔父を引っ張って駆け出すわけにもいかない。ヴァージンロードって意外に距離があるもんなんだなと、どうでもいいことを考えながらも一歩一歩前へと進んだ。 ――ああ、でも、あともうちょっとで……。 あとほんの少しで、顔が判別できる程度の距離になる。 そう思った時、不意に誰かに名を呼ばれた。「サクヤ、そろそろ起きないと、リーヴ様が来られるわよ」 そっと肩を揺すられ、慌てて飛び起きた。最近寝不足がちだったから、登城してすぐに、少しだけ仮眠を取らせてもらっていたのだ。「はい。眠気覚ましにお茶をでもどうぞ」「……ありがと、リィナ。あれ、その花は?」 ふと顔を上げると、執務机の片隅に見たことのない花が飾られていた。百合のような形で、全体的に白いのに、花びらの根元だけがほんのり蒼く染まっている。そして、柔らかな甘さの香りを漂わせていた。淹れたてのお茶の香りと混じって、何だか妙に安らいだ気分になる。「綺麗でしょう? 『ゲムニの鏡』という、とても珍しいお花なの」「『ゲムニの鏡』?」「そうよ。この花を枕元に飾って眠ると、未来の旦那様が見えるっていう言い伝えがあるの」「え?」 未来の、旦那様? ってことは、さっきまで見てた夢は、正夢? いやいや、あくまでも言い伝えに過ぎないじゃないの。「サクヤも誰か夢に出てきたんじゃない?」「あ、いや、えっと……」 うん、確かに出てきたといえば出てきたんだけど、肝心の顔は見えなかった。何となく、背格好が誰かに似てるような気はするんだけど、それが誰かはわからない。はっきりとわかるのは、当たり前だけど鏡吾ではないことくらいだ。「あら、本当に出てきたの? どんな人だったのかしら」「あはは……。出てきたんだけど、全然顔が見えなかったんだよねー」「それは残念。でも、出てきたってことは、サクヤは幸せな結婚ができるということね」「そうなの?」「夢に出てきた相手とは、幸福の絆で結ばれてるそうよ」「ふぅん、そうなんだー」「ふぅんって、何だか随分他人事のようね。サクヤは結婚に憧れたりはしないの?」 真面目な顔で質問されたけれど、正直今の状況で結婚なんて考えられるはずがない。そんなことより何より、元の世界に帰る方法を探す方が重要なんだから。「結婚よりも、今は目の前の問題を片付けないと駄目だしねー」 そう言いながら、もうすぐ始まるであろう朝の授業の準備を整える。 そういえば、あの夢。叔父さんもいたし、明らかに元の世界の光景だった。ということは、私は無事元の世界に帰って、あちらでまた誰かと恋に落ちるのだろうか? 何だか、それこそ夢物語のようだ。元の世界に帰るのはいいとして、もう一度誰かを好きになることができる気がしない。今の自分では、とてもそんなことが考えられなかった。 コンコンと、私の思考を中断させる音が聞こえる。時間的にリーヴが来たのだろう。どうぞと声をかけると、リィナが手早くも優雅に扉まで移動し、そっと開けた。 と、そこにいたのは確かにリーヴだったけれど、珍しくキースも立っていた。「どうしたの? キースまで」「ちょっとサクヤに署名を貰いたい書類がいくつかあってな」 そう言いながら、数枚の紙束をひらひらと振って見せる。が、それくらいついでにリーヴに頼めばいいだけだ。多分、それを口実に私の様子を見に来ただけだろう。今朝は登城する前から誤魔化せないほど疲れ切っていた。目敏いキースがそれに気づかないわけがない。「わかった。すぐ終わる量なら、今ちゃちゃっと書いちゃうよ」「じゃあ、頼む。ほんの五枚ほどだから」 そう言って手渡された書類に、さらさらと署名する。こちらでの綴りはわからないからローマ字表記だけど、どうやらそれで問題はないらしい。「はい、できた」「……うん、抜けはないな。手間を取らせたな」 私の署名個所を確認して頷くキースに、手間というほどの手間じゃないよ、と笑顔で返す。そこに、大丈夫だという意味も込めて。 それが伝わったのかどうかはわからないけれど、キースはいくぶん安心したような表情になった気がした。「じゃあ、適当に頑張れよ」「適当とか、教えてる本人の目の前で言わないでください」「悪い悪い」 キースの言い様にリーヴが小さく抗議する。それに本気で悪く思っていない軽さでキースが返し、そのまま踵を返した。 キースには騎士団長としての仕事が毎日山積みだろう。本当はこんな風に私を気遣っている暇などないだろうに。「ああ、そうだ」 部屋の扉を開け、今にも回廊へ出ようという時になって、キースが思い出したように振り返る。逆光に照らされたキースのシルエットに、一瞬のデジャヴ。「今日はマミヤが来られないらしいから、外に食事に行くから、そのつもりでいろよ」「……え、ああ、うん」 すぐに返事しなかった私に、キースが不思議そうな表情になる。けれど、すぐに何でもないと首を振ると、訝しみながらも自分の執務室へと戻っていった。 ――いくら何でも、有り得ない。 自分の中に湧き上がってきたのは、そんな感情。 夢で見た相手が、キースなわけがない。だって、向こうの世界に戻ったら、キースはいないのだから。 いや、それ以前にキースと私はそんな関係じゃないし。そりゃあ、好きか嫌いかと訊かれれば、間違いなく好きなんだろうけど、それは男女の好きとはちょっと違って……。 ああ、もう! 何でこんなに動揺してるの、私! たかが夢だし、たかが言い伝えじゃないか!「サクヤ、どうかした?」「え? ……あ、いやいや。うん」 すっかり存在を忘れていたリーヴに作り笑顔で誤魔化す。リーヴもリィナも不思議そうに首を傾げていた。「さぁて、勉強勉強! リーヴ、今日は何からするんだっけ!」 何か訊かれても困るので、さっさと授業の開始を促す。リーヴは気を取り直したようにそうですね、と今日の課題を提示し始めた。リィナも、いそいそと他の仕事のために退室していく。どうにか、これ以上詮索されずには済みそうだ。 ――気の所為、気の所為。 自分に言い聞かせながら、私は目の前の課題に集中しようとする。 たまたま背格好が似てただけ。しかも、キースの服装が服装だから、新郎のフロックコートとシルエットが被っただけ。 思い出すと赤面しそうな夢の記憶を何とか頭の隅に追いやって、私はその日も課題に悪戦苦闘するのだった。畳む#番外編 2023.11.10 (Fri) 夢のあとさきそめし朝
改稿前SS2/ジューンブライド/サクヤ視点
甘い花の香りがする。何の花だろうか? 詳しくはないから、全然わからない。けれど、その甘さはおしつけがましくなくて、とても心地いい。
そんなことを思いながら、何だかいつもより紗がかかったような視線を巡らせると、目の前には大きな扉。木目の美しい、アンティーク調の両開きの扉だ。その扉が音もなくなめらかに開くと同時に、弦楽器の奏でるハーモニーが溢れ出した。
――あれ? 私はここで何してるんだっけ?
そんな疑問が頭を過ぎる。
その答えが出る前に、一歩前に進むように隣から促された。そこで初めてすぐ隣に立つ存在に気づく。そっと見上げると、黒い燕尾服に身を包んだ叔父の姿があった。
緊張してるな。まあ、でも当然か。だって、私も思った以上に鼓動が速いし、体の動きもぎくしゃくしている。最初に出すのは右足だっけ? 左足だったっけ?
そこまでごく自然に考えて、先ほどの疑問を自分はとっくに解消していることに気づいた。
今、私がいるのは小さなチャペル。目の前には真っ白なヴァージンロードがのび、縁取るように淡い色合いの花々が、薄いブルーのサテンリボンで繋がれたガラスのポールに飾られている。
そして、身に纏うのは純白のウェディングドレス。視界がはっきりしないのは、ヴェールのせいだった。
そう、私は花嫁なのだ。
人生で一度きりの大舞台で、いつになく緊張している。といっても、お芝居とはまた違う緊張感だった。
――そういえば、私誰と結婚するんだろう?
何だかさっきから自分の思考が二重構造な感じだ。状況を全て理解している自分と、まったくわかっていない自分。
全部わかっている方の自分が身体を動かしていて、そうじゃない方がどこか離れた場所から見ているような、そんな不思議な感覚だった。
少しずつ前に進みながら、ヴァージンロードの先で待つ新郎の姿を確認する。けれど、聖壇の後ろの壁は見事なガラス張りで外光が燦々と注ぎこんでいた。完全な逆光で、肝心の新郎の顔が見えない。
――もっと近づければ、その顔が見えるのに。
もどかしい思いが募るけれど、叔父を引っ張って駆け出すわけにもいかない。ヴァージンロードって意外に距離があるもんなんだなと、どうでもいいことを考えながらも一歩一歩前へと進んだ。
――ああ、でも、あともうちょっとで……。
あとほんの少しで、顔が判別できる程度の距離になる。
そう思った時、不意に誰かに名を呼ばれた。
「サクヤ、そろそろ起きないと、リーヴ様が来られるわよ」
そっと肩を揺すられ、慌てて飛び起きた。最近寝不足がちだったから、登城してすぐに、少しだけ仮眠を取らせてもらっていたのだ。
「はい。眠気覚ましにお茶をでもどうぞ」
「……ありがと、リィナ。あれ、その花は?」
ふと顔を上げると、執務机の片隅に見たことのない花が飾られていた。百合のような形で、全体的に白いのに、花びらの根元だけがほんのり蒼く染まっている。そして、柔らかな甘さの香りを漂わせていた。淹れたてのお茶の香りと混じって、何だか妙に安らいだ気分になる。
「綺麗でしょう? 『ゲムニの鏡』という、とても珍しいお花なの」
「『ゲムニの鏡』?」
「そうよ。この花を枕元に飾って眠ると、未来の旦那様が見えるっていう言い伝えがあるの」
「え?」
未来の、旦那様? ってことは、さっきまで見てた夢は、正夢? いやいや、あくまでも言い伝えに過ぎないじゃないの。
「サクヤも誰か夢に出てきたんじゃない?」
「あ、いや、えっと……」
うん、確かに出てきたといえば出てきたんだけど、肝心の顔は見えなかった。何となく、背格好が誰かに似てるような気はするんだけど、それが誰かはわからない。はっきりとわかるのは、当たり前だけど鏡吾ではないことくらいだ。
「あら、本当に出てきたの? どんな人だったのかしら」
「あはは……。出てきたんだけど、全然顔が見えなかったんだよねー」
「それは残念。でも、出てきたってことは、サクヤは幸せな結婚ができるということね」
「そうなの?」
「夢に出てきた相手とは、幸福の絆で結ばれてるそうよ」
「ふぅん、そうなんだー」
「ふぅんって、何だか随分他人事のようね。サクヤは結婚に憧れたりはしないの?」
真面目な顔で質問されたけれど、正直今の状況で結婚なんて考えられるはずがない。そんなことより何より、元の世界に帰る方法を探す方が重要なんだから。
「結婚よりも、今は目の前の問題を片付けないと駄目だしねー」
そう言いながら、もうすぐ始まるであろう朝の授業の準備を整える。
そういえば、あの夢。叔父さんもいたし、明らかに元の世界の光景だった。ということは、私は無事元の世界に帰って、あちらでまた誰かと恋に落ちるのだろうか?
何だか、それこそ夢物語のようだ。元の世界に帰るのはいいとして、もう一度誰かを好きになることができる気がしない。今の自分では、とてもそんなことが考えられなかった。
コンコンと、私の思考を中断させる音が聞こえる。時間的にリーヴが来たのだろう。どうぞと声をかけると、リィナが手早くも優雅に扉まで移動し、そっと開けた。
と、そこにいたのは確かにリーヴだったけれど、珍しくキースも立っていた。
「どうしたの? キースまで」
「ちょっとサクヤに署名を貰いたい書類がいくつかあってな」
そう言いながら、数枚の紙束をひらひらと振って見せる。が、それくらいついでにリーヴに頼めばいいだけだ。多分、それを口実に私の様子を見に来ただけだろう。今朝は登城する前から誤魔化せないほど疲れ切っていた。目敏いキースがそれに気づかないわけがない。
「わかった。すぐ終わる量なら、今ちゃちゃっと書いちゃうよ」
「じゃあ、頼む。ほんの五枚ほどだから」
そう言って手渡された書類に、さらさらと署名する。こちらでの綴りはわからないからローマ字表記だけど、どうやらそれで問題はないらしい。
「はい、できた」
「……うん、抜けはないな。手間を取らせたな」
私の署名個所を確認して頷くキースに、手間というほどの手間じゃないよ、と笑顔で返す。そこに、大丈夫だという意味も込めて。
それが伝わったのかどうかはわからないけれど、キースはいくぶん安心したような表情になった気がした。
「じゃあ、適当に頑張れよ」
「適当とか、教えてる本人の目の前で言わないでください」
「悪い悪い」
キースの言い様にリーヴが小さく抗議する。それに本気で悪く思っていない軽さでキースが返し、そのまま踵を返した。
キースには騎士団長としての仕事が毎日山積みだろう。本当はこんな風に私を気遣っている暇などないだろうに。
「ああ、そうだ」
部屋の扉を開け、今にも回廊へ出ようという時になって、キースが思い出したように振り返る。逆光に照らされたキースのシルエットに、一瞬のデジャヴ。
「今日はマミヤが来られないらしいから、外に食事に行くから、そのつもりでいろよ」
「……え、ああ、うん」
すぐに返事しなかった私に、キースが不思議そうな表情になる。けれど、すぐに何でもないと首を振ると、訝しみながらも自分の執務室へと戻っていった。
――いくら何でも、有り得ない。
自分の中に湧き上がってきたのは、そんな感情。
夢で見た相手が、キースなわけがない。だって、向こうの世界に戻ったら、キースはいないのだから。
いや、それ以前にキースと私はそんな関係じゃないし。そりゃあ、好きか嫌いかと訊かれれば、間違いなく好きなんだろうけど、それは男女の好きとはちょっと違って……。
ああ、もう! 何でこんなに動揺してるの、私! たかが夢だし、たかが言い伝えじゃないか!
「サクヤ、どうかした?」
「え? ……あ、いやいや。うん」
すっかり存在を忘れていたリーヴに作り笑顔で誤魔化す。リーヴもリィナも不思議そうに首を傾げていた。
「さぁて、勉強勉強! リーヴ、今日は何からするんだっけ!」
何か訊かれても困るので、さっさと授業の開始を促す。リーヴは気を取り直したようにそうですね、と今日の課題を提示し始めた。リィナも、いそいそと他の仕事のために退室していく。どうにか、これ以上詮索されずには済みそうだ。
――気の所為、気の所為。
自分に言い聞かせながら、私は目の前の課題に集中しようとする。
たまたま背格好が似てただけ。しかも、キースの服装が服装だから、新郎のフロックコートとシルエットが被っただけ。
思い出すと赤面しそうな夢の記憶を何とか頭の隅に追いやって、私はその日も課題に悪戦苦闘するのだった。畳む
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