夢のあとさきそめし朝

第一幕 あるいは、絵空事

第二話 相方不在のエチュード  03

 宮城に足を踏み入れたのは、最初にこちらの世界に来た日以来だった。とはいえ、前回は医務室とキースの執務室、そしてその医務室や執務室があった棟の回廊と窓から飛び降りた先の聖廟前だけしか目にしていない。
 キースの話によると、執務室のある棟は騎士団棟と言われるもので、基本的に騎士団に所属しているものが使う場所だそうだ。
 堅牢な城門をくぐると、見覚えのある大きな扉、そしてピカピカの廊下。初日に通った騎士団棟だ。騎士団棟は中庭のある正方形の建物で、中庭の中央に小さな別棟みたいなものがある。そこに向かって渡り廊下みたいなものがあるから、きっと上空から見たら田んぼの田の字みたいに見えるだろう。
 その渡り廊下を通って騎士団棟を抜けると、一旦建物の外に出る。目の前に広がったのは、言ってはいけないだろうけれども無駄としか言い様のない規模の広大な庭だった。
 綺麗に剪定された庭木に、みずみずしい芝生。そして色とりどりの花が整然と並ぶ中を、十字に通路が走っている。その通路はモザイクみたいに綺麗な文様を描いて石が敷き詰められ、中ほどには噴水が清らかな水を振りまいていた。池の中央には女神を模ったと思われる像が立っていて、周りを囲む燭台で仄かにライトアップされている。蝋燭の炎が揺らめくたびに、噴水から零れる水がきらきらと反射して、額に入れて飾っておきたいと思うほど幻想的な光景を浮かび上がらせていた。
「足元、気をつけろよ」
 慣れないドレス姿にヒールのある靴を履いている私を気遣うように、キースはゆったりとした歩調で歩いてくれる。おかげで転ぶことなく庭を抜け、その先のパラスに辿り着くことができた。
 大広間に入ると、壁に大きな肖像画がいくつも描けられているのが目に入る。どうやら歴代の聖帝の肖像らしく、当代であるシヴァのものだけ他より少しサイズが大きい。絵師の腕がいいらしくその肖像画は本人によく似ている。が、私としては少々不服だった。
「もっと悪人面でしょ。目つきももっと悪いし」
 前にあった時のことを思い出しながら、ぼそっと呟く。その瞬間、キースの窘めるような視線と控えめに名を呼ぶ声が飛んできた。
「あ、聞こえてた?」
 笑って誤魔化すけれど、キースの厳しい視線は緩まない。
「大丈夫、もう言いません」
「ったく……。本当に気をつけろよ。どこで誰が聴いてるかもわからないんだから」
「はーい」
 明るく返事をするけれど、それでもキースは心配そうな表情のままだった。しかしそれ以上は何も言わずにこっちだと手を引く。
 大広間には既にたくさんの人がいて、ある程度グループになって固まっていた。綺麗に並んでいるわけではないから、思ったよりアバウトでいいらしい。
 しばらくすると、鐘の音が耳に届いた。
 庭を渡ってくる途中に、あれは大聖堂だと教えてくれた建物がある。おそらくそこの鐘の音だろう。その鐘が合図だったのか、広間にいた全員が跪く。私もキースに促され、それに倣った。
 正面中央にある玉座の両脇のドアが開かれる。顔は下げなくてもいいみたいだったのでそのまま注視していると、右側のドアからシヴァが現れた。黒に近い深紫色が基調の派手な衣装を纏い、尊大さを強調する臙脂のマントを翻しながら、豪奢な玉座に悠々と腰掛ける。その唯我独尊を具現化したような姿を思わず睨みつけた。
 ――せいぜい長生きしてみせろ。
 人を見下した、全部見透かしたような視線。いちいち癇に障る口調と言葉。思い出す全てが気に食わない。言われなくたって長生きしてやるわよと、心の中で啖呵を切る。
 そのまま睨みつけているわけにもいかないので、振り切るように玉座から視線を引き剥がし、もう一つ開いた方のドアへと向けた。
 そのドアからは、少し遅れて本日の主役たる妹姫だろう少女が登場したところだった。
 妹姫が席につくと、シヴァの傍に控えていたお偉いさんっぽい雰囲気のなかなかナイスグレーなおじさまが舞踏会の開会宣言みたいなものを始める。それを聞き流しながら、じっと妹姫――確か、レアという名前だった――を見つめていた。
 身に纏うのは、華やかなロイヤルブルーのドレス。艶やかな栗色の髪は綺麗に結い上げられティアラで飾られている。日に焼けることなど知らない肌理細やかな白磁の肌に、薄いブルーの瞳。
 歳はまだ十代半ばといった頃だろうか。シヴァの年齢はキースよりちょっと上だと聞いたから、十歳以上離れているかもしれない。
 先帝の肖像画を見るにシヴァの容姿は父親譲りのようだが、彼女は全く正反対な儚げな雰囲気の美少女だった。きっと、母親似なのだろう。
 それにしても、何だか作り物じみた姫君だ。絵に描いたように感情が窺えない。笑顔を浮かべてはいるけれども、心から笑っているようには見えなかった。
 皇女殿下が集まった皆に対して、感謝の言葉を述べ始める。その言葉も、どこか空々しい。
 誰にも向けられていないのだ。視線も、言葉も、笑顔も。
 視線はただ前方に向けられているだけ。言葉もあらかじめ誰かが考えたものをそのまま諳んじているだけ。笑顔はとりあえず微笑に見えるように表情を作っているだけ。
 シヴァはこれでもかというくらい自己主張している感じがするから、そういう意味でも全く似ていない兄妹だと思ってしまった。
「サクヤ?」
 隣から、囁くような問いかけが寄越される。そっと目を向けると、キースの気づかわしげな視線とぶつかった。
「やっぱり、気が乗らなかったんじゃないのか?」
 私が皇女殿下について色々と考えを巡らせていたのを、どうやら違う風に受け取ってしまったらしい。それほど難しい顔でもしていたのかと少し反省して、表情を緩めた。
「違うよ。ちょっと考え事してただけ」
「ならいいけど。そろそろ俺も行かないといけないから、少しの間だけここで待っていてくれるか?」
「うん。って、どこに?」
「俺の大嫌いな祝辞。じゃあ、行ってくる」
 そう言いおくと、キースはさっさと私の側を離れていってしまった。取り残された私は、呆然とその後ろ姿を見送る。
 祝辞、ということはお祝いの言葉だ。で、今日は皇女殿下のお祝いなんだから、祝辞を向ける相手はもちろん彼女だろう。
 でも何でキースが? と思っていたら、さきほどのナイスグレーの声が響いた。
「続いて、各騎士団長より祝辞がございます」
 その台詞に思わず声を上げそうになるのを、必死で抑える。私の驚きをよそに、キースを含む四人の騎士がレアの前に進み出て、横一列に並んだ。一分の乱れもない整った動きで、四人は恭しく跪く。
 次の瞬間、型通りと思われる口上が、キースの口から朗々と紡ぎ出された。大嫌いと言っていた割に、よどみなく堂々とした祝辞だ。さらには完璧な貴公子然とした微笑まで添えられている。
 初めて見るキースの姿に、まるでお芝居のワンシーンを観客席から見ているような気分だった。
 いや、確かにそこそこお偉いさんだろうとは思っていた。周りの人のキースに対する態度だとか、服装や家の様子だとか。けれど、私に接してくれるキースは本当にどこにでもいる普通のお兄さんで、まさか騎士団のトップだとまでは思ってもみなかったのだ。
 キツネにつままれたような、申し訳ないような、そしてどこか寂しいような複雑な気分に陥る。
 そんな私の気持ちに関係なく、他の騎士団長の口上が続いていく。その中にアルゼさんの姿も見つけた。うん。キースには悪いけど、アルゼさんは素直に納得できる。
 あとの二人は、キースと同じくらい若く見えた。長い銀髪を後ろ手一つに縛っている男の人は青い制服。もう一人、腰まである金髪を背に流している赤い制服を着ている人は、驚いたことに女性だった。女性の騎士団長とかかっこいいなぁなんて感心しながらも、頭の中はキースが騎士団長だったという事実でいっぱいだった。
 戻ってきたキースを、驚きを隠さないままで迎える。穴が開きそうな勢いで見つめる私を見て、居心地悪そうにキースは苦笑いした。
「何だよ、その顔は」
「……びっくりした。詐欺だわ」
「詐欺って、おまえね……。人を罪人みたいに言うなよ」
「だって、そういう堅苦しい役職、似合わなさそうなんだもん」
 正直な気持ちと拗ねた気持ちとが半々でそう言うと、何故かキースは破顔した。祝辞のときに見せた営業スマイルではなく、いつも通りの『どこにでもいるお兄さん』のような笑顔だ。
「それには同意だ。もっと気楽な生活の方が絶対に向いてるし」
「いや、それは本人が言ったら駄目なやつでしょ」
 あまりにもあっけらかんとぬかすキースに思わずツッコミを入れてしまう。
 途端にキースは小さくふき出し、声を殺して笑い出した。そのすぐ側に給仕がグラスを運んできて、とりあえずは何とか堪える。けれど、その給仕が離れていくとまた忍び笑いを零していた。
 そんな中、ナイスグレーおじ様の音頭とともに、盛大な乾杯の声が上がる。キースは笑いを堪えながらも一応口パクで乾杯と言っていたけれど、グラスに口をつけることもできずに笑い続けていた。幸いにも、楽団の演奏が始まり、ダンスや歓談の時間になったためにキースの声は響かずに済んだ。
「キース、笑いすぎじゃない?」
 いつもと立場が逆転して、私がキースを窘めることになってしまう。それでもキースはまだ笑いを残したまま、「サクヤが笑わせるからだろ」と責任転嫁だ。
「人の所為にしないでよ。ちゃんとしてないとアルゼさんに叱られるんじゃない?」
「何だよそれ。アルゼは俺の保護者かよ」
「アルゼさんは騎士団長って言われても納得できるよね」
「……サクヤの中の俺のイメージはどうなってんだ……」
 どっと疲れた様子で、キースが情けない声を洩らす。そんな姿を見ていると、余計に先程目の当たりにした騎士団長としての威厳に満ちた姿が嘘のようだった。
 でも、正直なところを言えば、私はこっちのキースの方がいい。騎士団長の顔をしたキースは、皇女殿下ほどじゃないけれども作り物じみていたから。
「ところで、この後はどうすればいいの?」
「特には。まあ、一応やらなきゃならないこともあるにはあるが、まだ始まったばかりだしそこまで急いで行動する必要はないからな」
「せっかくですので、サクヤ殿の練習の成果を見せていただきたいですね」
 キースの言葉に続けて、聞き覚えのある声が降って湧いた。アルゼさんだ。
「こんにちは、アルゼさん」
「ごきげんよう、サクヤ殿」
 相変わらず紳士的な振る舞いのアルゼさん。そして、そのやや後方には、薄いピンクのドレスを着た小柄な女性がほのかな笑みを湛えて佇んでいた。
 ラン族じゃなく、私たちと同じ、に見える。ただファンタジー世界のことだから、本当に同じかどうかは疑わしい。見た目の年齢は多分私より上だとは思うけれど、すごく少女っぽい雰囲気を残していた。一言で言うと、めちゃくちゃ可愛い。
「えっと、アルゼさん」
 アルゼさんの同伴者だろうと視線を向ける。アルゼさんは意を得たように頷いた。
「紹介しましょう」
 エスコートする仕草も優雅に、彼女を傍まで引き寄せる。ごく自然に二人は寄り添い合った。
「私の妻のエマです」
「初めまして、サクヤさん」
「は、初めまして」
 品よく会釈するエマさんに、私も慌ててぺこりとお辞儀をする。が、すぐさまがばっと上品とはほど遠い素早さで身を起こした。
「って、アルゼさんの奥さん!?」
「はい」
 穏やかに微笑むエマさんは、そのまま少し恥じらいながらもアルゼさんへと視線を向ける。その視線をアルゼさんはしっかりと受け止めていて、何というかもう、幸せオーラ全開で眩しいことこの上なかった。これは紛うことなきラブラブ夫婦だ。
 そんなことを考えながら、アルゼさん夫妻をまじまじと見つめる私に、キースは首を傾げる。
「何をそんなに驚いてるんだ?」
「ああ、うん。でも納得」
「だから何が?」
「アルゼさんとキースの落ち着きの違い」
「……おまえな」
 がっくりとキースが項垂れると、アルゼさん夫妻の笑い声が綺麗な二重奏になる。それにキースは「笑うな!」と無駄な抵抗をしてみせるけども、逆に二人の笑いをますます誘うだけだった。
「楽しそうだな。私も仲間に入れていただこうか」
 笑いの弾けるその場に、涼やかな声が届いた。その声には聴き覚えがある。つい数分前の、騎士団長の祝辞の時だ。視線を向けると、キースたちと並んで祝辞を述べていた金髪の女性騎士団長がいた。
「ソフィア……。これが楽しそうに見えるのか?」
「見えたからそう言ったのだが?」
 キースの恨みがましい視線を受けても、ソフィアと呼ばれた女性騎士団長さんは声と同様に涼しげな表情でそう返す。
「貴殿があんなに表情をするのは初めて見たよ」
「どういう意味だ?」
 ソフィアさんの言う「あんな表情」とはどんなものをさしているのか、私にはわからない。いや、私以上にキース自身も疑問に思ったようで、訝しげにソフィアさんを見つめ返していた。
「まあ気にするな。悪い意味ではない。それより――」
 キースの問いを適当に濁したソフィアさんは、そのまま視線を巡らせる。ぴたりと、それが私のところで止まった。
 エメラルドみたいな綺麗なグリーンの瞳。芯の強さを窺わせるその色に、思わず鼓動が速くなる。綺麗な人ってのは性別問わずに緊張させられてしまうものだ。
「こちらの彼女は?」
「訳あって、しばらく面倒を見ることになった。名前はサクヤだ」
 キースの紹介に合わせて、私は軽く頭を下げる。こういう場合、何て言ったらいいのかわからないけれど、とりあえず失礼のないように挨拶はしておくべきだろう。
「初めまして、サクヤと申します。いつもキースがお世話になっております」
「待て、サクヤ。何でそうなる?」
「あれ? 違った? キースよりソフィアさんの方が色々とちゃんとしてそうかなって」
「おまえの俺に対する認識はどうなってんだよ……」
 不服そうに零すキースに、アルゼさん夫妻とソフィアさんが揃って笑い出した。どうやら私とキースのやりとりがツボに入ったらしい。
「一度サクヤ殿から見たキース像というものを拝聴したいものだな」
「私から見たキース、ですか?」
 アルゼさんにしみじみと言われて、ほんの少しだけ考える。が、考えるまでもなく私の中のキース像というのは一つしかなかった。
「普通ですよ、普通。どこからどう見てもその辺にいるお兄さんで、騎士団長だなんてのがびっくりするくらいです。なので、特に笑ってもらえるような面白いネタは出てきませんよ?」
 キースのことは正直まだわからないことが多い。キースが騎士団長という身分であることだって、今日初めて知ったくらいだ。その事実は、それだけキースが高い能力を有しているのだということを示している。
 それでも、私の知るキースはやっぱりごく普通のその辺にいるお兄さんで、その評価はなかなか覆りそうになかった。
「その辺にいる普通のお兄さん、ね……」
 私の答えを、ソフィアさんが意味ありげに繰り返す。もしかして、騎士団長に対して失礼な物言いだとでも思われたのだろうかと少々不安になって、そっと窺うように視線を向けた。けれど、そこにあったのは不愉快だとか憤慨だとか、そういうマイナスの感情ではなかった。むしろ、穏やかに見守ってくれているようにすら見える。
 少々呆気にとられたように見つめていると、私の視線に気づいたソフィアさんがふっと微かな笑みを浮かべた。その笑みを、そのままキースに向ける。
「それにしても、まさかあの白騎士団長殿がパートナーを連れてくるとはな」
「え? だって、同伴必須って……」
 ソフィアさんの視線につられるようにキースを見上げると、決まりの悪そうな表情でキースは目線を遠くに逃がした。
 そういえば、ソフィアさんの側には同伴者らしき人の姿はない。もしかしたら離れた場所にいるのかもしれないけれど、同じ騎士団長同士の会話の場に連れ立って来ないのは不自然な気がする。となると、ソフィアさんには同伴者はいないと考えた方が辻褄は合うだろう。
 つまり、キースが私にした説明には嘘があったわけだ。
 スルーを決め込んだキースの代わりに、アルゼさんが答えてくれる。
「それは未婚の上位指揮官以外の話ですよ。地位が上がるとその分挨拶回りなどもありますからね」
「逆に、これを機に婚約者をお披露目する場合もあるのだがな」
 ――キース様のパートナーで出席しようだなんて十年早いのよ!
 ソフィアさんの補足に、例のディッパー家のお嬢様の発言が思い出される。
 なるほど、そういうことか。私がキースの同伴者として出席するということは、見る人によっては私が婚約者とみなされてしまうということなのだ。キースにそんなつもりがなくても、だ。
「変な意味はないからな。サクヤの気分転換に誘っただけだよ」
「わかっている。良かったな、今日はショーン様がご欠席で」
「それは本気で助かってる。あの方に知られたら、何を言われるやら……」
 ショーン様って誰だろうなどとぼんやり思いながらキースとアルゼさんの話を聴き流していると、ふと私はおかしなことに気づいた。
 私がこの舞踏会に誘われたことを知っているのは、アルゼさんくらいだ。同僚であるソフィアさんも知らなかった情報なのに、どうしてあのお嬢様は私のことを知ったのだろうか? 普通に考えて、お嬢様自身が直接キースから聴くような機会があるとは思えない。
「ねぇ、キース」
「おー! この子が噂のサクヤちゃんねー!」
 キースに問い質そうとした瞬間、明るいを通り越して軽薄とすら思える声が重なった。
 それを聞いて、キースはあからさまに呆れたようなため息をつき、アルゼさんも肩を竦め、ソフィアさんに至ってはブリザードが吹き荒れそうなほど冷たい視線を声の方に向けていた。
 私の位置からはキースで陰になっていて見えにくい。少しずれて覗き込むと、そこには青い制服を纏った銀髪の男性がいた。四人目の騎士団長さんだ。そして、その隣には見覚えのある女の子の顔。
 思わず声を上げそうになったのは、今日何度目だろう。突然現れた例のお嬢様に驚きつつ、何とか声は抑えた。
 そういえば、マミヤさんが言っていたんだった。あのお嬢様のお兄さんが、現役の騎士団長の一人だと。キースが騎士団長だなんて知らなかったから、そんな情報は全然関係のないものだと処理してしまっていた。
「サミー、サクヤに変な手出しをするなよ」
「しっつれいだなぁ。変なことなんて、ジェントルマンの俺がするわけないでしょお?」
「貴殿が紳士なら、世界中の男が一人残らず紳士になるな」
 キースの代わりに、ソフィアさんが冷ややかに返す。というか、いきなりソフィアさんがクールビューティーをすっとばして絶対零度になったと思うのは、おそらく気の所為ではないだろう。もしかしなくても、このサミーという騎士団長さんとソフィアさんは馬が合わないようだ。
「相変わらず手厳しいなぁ、ソフィアは。もうちょっと愛想よくしてくれたっていいんじゃない?」
「生憎、貴殿に振りまく愛想など持ち合わせてはいない」
 にべもなく言い捨てたかと思うと、ソフィアさんはこちらに向き直る。先ほどまでの冷淡さが嘘のように親しげな笑みを浮かべていた。
「私はこの辺りで失礼する。またな、サクヤ」
「え、は、はい」
 激しすぎるギャップに戸惑うばかりの私の横を、ソフィアさんは姿勢よく通り過ぎていった。その後姿は有名な歌劇団の男役みたいに凛としていてかっこいい。
 ソフィアさんの態度には慣れたものなのか、キースは仕方ないなと言わんばかりの表情で見送っている。当のサミーさん本人には、全く堪えた様子はなかった。
「あんなに邪険にしなくてもいいのになぁ」
「日頃の行いだ」
「あ、キースまでそういうこと言うわけぇ?」
 緊張感の欠片もないゆるい口調に、この人本当に騎士団長なんてお偉い人なんだろうかと疑問に思ってしまう。キースが騎士団長だというのも意外ではあったけれど、この人はキース以上にらしくない。というか、発言が軽すぎやしないだろうか。
 と、ふと自分に向けられている視線に気づいた。はい、睨んでますよ、お嬢様が。サミーの横で、じーっと私を。
 どう対応しようか迷うところだ。キースやアルゼさんもいるから、いきなり変に喧嘩をふっかけられることはないだろうけれど、油断していると足をすくわれることになりかねない。
「しかし珍しいな。サミーが妹君を連れてくるなど」
 アルゼさんの言葉を受けて、お嬢様がキースたちに向けて極上の笑みを浮かべた。思わず心の中で「おいおいっ!」とツッコミを入れてしまうほどの変わり身。実際にコロッて音が聞こえそうなくらいだった。
「ご機嫌麗しゅうございます、キース様、アルゼ様、エマ様」
 優雅にお辞儀をしつつ、もう一度会心の微笑み。半端じゃない猫被り方だ。道端で初対面の人の荷物を蹴り飛ばした人と同一人物には思えない。
「珍しくコイツが連れてけ連れてけってせがむからさぁ。ほんとはシェーラちゃんかタニアちゃん誘おうと思ってたのにぃ」
「サミー、いい加減その節操無しはやめておいた方がいいぞ」
「キース様の仰る通りですわ! お兄様ったらいつまで経ってもふらふらと落ち着きがないんですもの」
 発言が軽いと思ったら、どうやら女性関係的にも軽い人らしい。キースが手を出すななんて釘を刺したのも納得のナンパ騎士団長だったようだ。
 しかし、私が気を付けるべきなのは、このナンパ騎士団長さんよりもその妹君の方だろう。さすがに市場のときほど乱暴な真似はしないだろうけど、何とか私に恥をかかせたいんじゃなかろうか。私が二度とキースのパートナーとして公の場に出席したりしないように、だ。
 よし、といつ何時でも対応できるように気を引き締め直す。
「それにしても、噂に違わずなかなかの別嬪さんだねぇ」
「え?」
 お嬢様に警戒していて、咄嗟に反応ができなかった。知らぬ間に私の左手を取り、ナンパ騎士団長さんは跪いてにっこりと笑っている。その笑顔は、女性を魅了するのに充分な威力を持っているように感じた。
「どう? 一曲俺と踊ってくれない?」
 誘い文句とともに、私の手の甲に唇を落とそうとする。が、それより早くキースが私を引き寄せ、サミーの手を引き剥がした。
「だから、手を出すなって言ったところだろうが。サクヤ、危ないからコイツには一人で近づくんじゃないぞ」
「え、あ、うん」
 まるで過保護なお父さんみたいだ、なんて言ったらキースの歳的に失礼だろうか。けれど、キースの発言は完全に保護者のそれで、噴き出しそうになる。
「えぇー? キース、サクヤちゃんを独り占めする気かよぉ」
「うるさい。サクヤは今日一日俺専属でいいんだよ」
 和んでいたはずの気持ちが、一瞬にして息苦しいものへと変わる。
 ――ダーメ。サクヤはオレ専属。
 ――この独占欲のカタマリめ!
 ――まーた始まったー。鏡吾のサクちゃん独り占め行為ー。
 偶然重なった、過去の台詞と二人の会話。お嬢様への対抗心のおかげで束の間忘れていた切ない思い出が、胸の内を支配する。治りかけの傷のかさぶたを剥がした時のように、じくじくと鈍い痛みが疼き出した。
「サクヤ?」
 知らず自分の身を抱くようにしていた私に、キースが気づかわしげな視線を寄越す。
 また心配をかけてしまう。すぐに「大丈夫」と笑顔を作ったけれど、遅かった。
「大丈夫じゃないだろう。顔色も悪いし、少し休んだ方がいい」
「でも」
 反論するよりも前に、キースに手を引かれる。少し外すとアルゼさんに言い置くと、キースは有無を言わせず風の当たるテラスまで私を連れ出した。舞踏会が始まってすぐに中座するような人はいないせいか、テラスには人気がない。
「ごめん」
「気にすんな。元々俺は社交場ってのが好きじゃないしな」
 少しでも抜け出せるのはラッキーだとでも言わんばかりに、キースは軽く笑い飛ばして手すりに背を預けた。キースの隣で私も手すりに寄りかかり、小さく息をつく。
「また、何か嫌なことを思い出させたか?」
 案じるように窺うキースに、何とか笑みを浮かべた。
 キースは何も悪くはない。そして、別に嫌なことを思い出したわけでもない。むしろ、思い出としてはかけがえのない愛おしいものだった。
「ううん。ごめんね、心配かけて」
「いや、いい。……もしかして、何か余計なことでも言ったとか?」
「それも違うよ。ただ……」
 言葉にしようとするとどうしても涙がこみ上げてきて、隠すように俯く。ピカピカに磨かれた大理石に、ぽたりと一雫だけ落ちた。
「ただ、ね……キースが鏡吾と同じようなこと言ったから……」
 そうか、と静かに呟くと、キースがそっと私の体を引き寄せた。背中に回された腕の優しさとあたたかさに、涙が誘発されそうになるのを必死で押しとどめた。無理やりに嗚咽を飲み込み、締め付ける胸の痛みをぐっとこらえてやり過ごす。
 微かにまなじりに残っていた雫を化粧を崩さないようにそっと指で拭い、顔を上げた。
「無理せずに帰ってもいいんだぞ?」
 尚も心配そうなキースに、私はぎこちないながらも笑顔で首を振る。
「もう大丈夫。騎士団長の同伴者が早々に退席なんて、さすがに問題ありでしょ」
「だが」
「私、強くなろうって決めたから」
 キースの気遣いを遮って、私はきっぱりと言い切った。
「まだ、つらくないって言ったら嘘になるけども。それでも、今のままじゃ駄目だってわかってるから。私は、強い自分でありたい」
 強がりにしか聞こえなくても、あえて言葉にして告げる。そうすることで、自分自身に暗示をかけていると言ってもいい。けれど、ときにはこういうやり方も必要なのだ。簡単に這い上がれないくらい、どん底にいるときには。
「それに、せっかく特訓したんだもん。その成果はちゃんと披露しないとね」
 冗談っぽく付け加えると、キースはようやく案じるような表情を崩した。いつものように微笑みながら、私の髪をそっと撫でてくれる。
「そうだな。サクヤの優雅なワルツ、他の奴らにも見せてやるか」
「うん」
 しっかりと顔を見合わせ、にっと口角を上げた。鏡映しのようにキースも笑みを返し、目の前にすいと手が差し出される。
 その手に自分の手を重ねると、しっかりと背筋を伸ばして顎を引いた。
 キースにエスコートされて、再び宴の中へと舞い戻る。
 これからが本番。もう泣いてなんかいられない。
 幕はもう、とっくに上がってしまっているのだから。

 騎士団長に相応しい同伴者であるために、優美な淑女の役柄を身に纏う。姿勢を正し、品の良い微笑みを浮かべ、仕草は一つ一つたおやかに。
 広間に戻り、先ほどまでいた辺りに向かうと、アルゼさんとエマさんがこちらに気づいて近づいてきた。
「大丈夫ですか、サクヤさん」
 気遣わしげに声を掛けてくれたのはエマさんだ。アルゼさんとは一瞬目が合っただけ。そのままキースと何ごとか話し始めたけれど、私に向けられた視線は優しかったように見えた。
「はい、ご心配をお掛けして申し訳ありません。こういう場にあまり慣れていないので、緊張してしまって……」
「そうですよね。あまりご無理はなさらないでくださいね」
 ほっとした表情を見せるエマさんに、少しだけ気が楽になる。出会ったばかりでよく知りもしない相手のことをこんな風に心配してくれるだなんて、根っから優しい人なのだろう。さすがアルゼさん、女性を見る目があるぜ……などとくだらない親父ギャグを脳内で展開していると、キースに名を呼ばれた。
「どうしたの?」
「すまん、これから挨拶回りをしなきゃならないんだ」
 申し訳なさそうに告げられて、しばしの間思案した。
 アルゼさんはエマさんを連れて一緒に回るようだ。夫婦なんだし当然だ。
 キースの言葉から考えるに、一応私がキースについていくのかいかないのかの判断を任せてくれているのだろう。
 正直、ほぼ知り合いのいないこの状況に一人置いていかれるのは心細い。
 だが、ソフィアさんの話を思い出す。
 もし私がついていったりすれば、キースは私を紹介しないといけなくなるだろう。その場合、「事情があって預かっている」なんて説明じゃ誰も納得するはずがない。それだけでなく、その『事情』について根掘り葉掘り訊かれてしまっても困る。
 かといって、適当な嘘で誤魔化すのもよろしくない。
 ただでさえ、私が同伴していることに対して様々な憶測が飛び交ってそうなのに、それに追加要素を与えて決定的にしてしまうわけにはいかないのだ。だったら、曖昧なままにしておくのが正解だろう。
「じゃあ、あの辺で待ってるね」
 人の少なそうな壁際を目線で示してそう返事すると、キースは少しだけ安堵するように目を細めた。多分、同じようなことを懸念していたけれども、さっきのこともあって一人にするのは気が引けたのだろう。相変わらず、心配性な人だ。
「できるだけ、すぐに戻ってくるから。あ、くれぐれもサミーにはついていくなよ?」
「わかってます」
「それと、知らない奴にダンス申しこまれたりしても、苦手なのでとかって断っとけ」
「はいはい、わかってるってば」
 やっぱり側を離れることが心配なのか、念を押し過ぎるほどに押していくキースに苦笑しか生まれない。悪い気はしないけれど、まるで留守番を言いつけられている小学生の気分だ。さすがにもう成人してるんだし大丈夫だとツッコミを入れたくなった。
 そういえば、よく考えたら私の年齢の話とかはしていない。
 もしや、キースは私を未成年だと思っている可能性もあったりするのだろうか? 日本人は海外の人から見ると年齢よりも幼く見えるとよく言われるし、こちらの人達から見てもその可能性はあるのでは? だとすると、今度キースに年齢の話をして、そこまで子供扱いしなくていいと言っておくべきかもしれない。
 そんなことを考えながら、キースたちの背中を見送ったあと、壁際へと移動した。これぞ有名な壁の花ってやつだ。自分で花とか言うのもちょっとどうかと思うけれど、今日はマミヤさんが気合を入れて飾り立ててくれたから、あながち間違ってはいないだろう。
 広間の中央では、たくさんの紳士淑女が華やかな衣装を翻しながら踊っている。滅多に見られない光景だし、色々と観察したいところだ。とはいえ、あまりきょろきょろしていてもみっともないので、ゆるやかに視線を巡らせると――。
 しまった。目が合った。
 楽しそうに歓談しているナンパ青騎士団長さんのその隣から、妹君――確かビスティという名前だった――がこちらに視線を投げかけていた。もしかすると、今まで気づかなかっただけで広間に戻ってきた時からずっと見ていたのかもしれない。側にいた兄君や知人たちに軽く会釈をすると、不敵な笑みを浮かべながらこちらに向かって歩いてきた。
「あら、てっきり逃げ出したのかと思いましたわ」
 何とまあ、お決まりの台詞を吐いてくれるのだろう。いや、予想外の言動が飛んでくると困るんだけども、あまりにも想定の範囲内すぎるとついつい笑いが零れてしまう。すると、その笑みが彼女の癇に障ったらしい。途端に表情が険しくなった。
「何が可笑しいのかしら」
「失礼いたしました。何でもございませんよ。それで、本日のご用件は何でございましょう?」
 私の周りには人が少なかったし、楽団の演奏や人々の話し声で私たちの会話は他には聴こえていないだろう。とはいえ、どこで誰が聴き耳を立てているのかわかったもんじゃない。さっきまではキースもいた安心感から少し砕けすぎてしまっていたけれど、今は一人なのだ。助け舟はないものと思って、言葉をより一層慎重に選ばなくてはいけない。
 先日市場の側で出会ったときには普段の言葉遣いで話していた所為か、私の言葉遣いに一瞬ビスティは面食らったようだ。だが、すぐに表情を改めた。その辺はさすがお貴族様といったところだろうか
「随分余裕のようね。けれど、すぐに化けの皮を剥がして差し上げるわ」
「あら、それは無理ではないでしょうか。どこかのご令嬢とは違いまして、剥がせるほど厚い面の皮ではありませんので」
 慎重に言葉を選ばないと、なんて思っていたはずなのに、出てきた言葉は丁寧ではあったけれどもどう考えても煽り文句だった。
「どこかのご令嬢って、どなたのことを仰っているのかしら?」
 ビスティの方も素直に煽られてくれて、ますますムキになって突っかかってくるから面白い。見た目的に年下なのは確かだし、発言も行動もなかなかに子供っぽいから、一周回って可愛いと言えるだろう。そういうことを言うと、よく藤夜には性格が悪いと言われたけれども。でも、必死で背伸びしている子って、男女問わず基本的に可愛いものだと私は思うのだ。
「さあ? わたくしはビスティ様がご存知の通りの身分のものなので、貴族のご令嬢の知り合いなど皆無に等しいですから」
「ならば、みっともないワルツを踊って恥をかく前にお帰りになってはいかがかしら?」
 遠回しに、貴族の令嬢など貴女以外知らないと言ったことにちゃんと気がついたのだろう。ひくひくと表情を引きつらせながらも、怒鳴り散らしたりはしない辺り、場所をわきまえてはいるらしい。本当に上流貴族って大変だなぁと思う。私には縁遠いものだけど。
「生憎ですが、みっともないワルツを披露するつもりなど微塵もございません」
「あら、それではさぞ素晴らしいダンスを披露してくださるのですわね?」
「そうですね。パートナーが戻ってきてくだされば、ですけれど」
 恐らくビスティは私が誰かと踊ってミスればいいと思っているだろう。
 けれど、キースにはダンスを断れと言われているし、そもそも私をわざわざダンスに誘う男性がいるとも思えなかった。それこそビスティみたいな有力な貴族の令嬢を誘う方が男性側にもメリットがある。
 さあ、ビスティはどう出るのだろう。もしかして、自分を誘いに来た誰かに私と踊るよう勧めたりするのだろうか?
「ほう……パートナーにほったらかされているのか」
「え?」
 ビスティの出方を窺っていた所為で、すぐ側まで近づいてきている存在にまったく気づいていなかった。この尊大な口調。思い当たる人物は、一人しかいない。
 ベルティリア帝国第十五代聖帝シヴァ・ティファレト。
「ご機嫌麗しゅうございます、聖帝陛下」
 全力で罵詈雑言を投げつけたい衝動を抑え、優雅に礼をして最上級の笑みを陰険聖帝陛下に向けた。突然割って入ったシヴァにビスティは呆然としていたが、すぐに我に返って私と同じく礼を取る。
「化けたものだな」
「褒め言葉としていただいておきます」
「しばらく見ぬ間に図太さが増したか」
「陛下は変わらず壮健そうで何よりでございます」
 本当に腹が立つのを通り越して呆れるくらい上から目線なのは変わらんな! と言いたいのを、オブラート百枚くらいで包んで返した。傍から見たら、全然問題ない会話のはずだけれども、私の本性を知っているシヴァが素直に言葉通りに受け取ってくれるとは思ってはいない。どんな反応が返ってくるかなと思っていたが、シヴァはふっと笑っただけだった。
「それで、先ほどの言葉は真か?」
「先ほどの言葉、とは?」
「みっともないワルツを披露するつもりなどないと言っていたであろう」
 一体いつからコイツは私とビスティの話を聴いていたのだろう。お偉い聖帝陛下のくせに、盗み聞きとは悪趣味だ。
「そう、ですね。不得手ではございません。パートナーの足を引っ張らない程度には踊れるかと思っております」
「そうか。なら来い」
「は?」
 まともな返事をする間もなく、強引に手を引かれてたくさんの男女が踊っている広間の中央へと連行されてしまう。当然、聖帝陛下とそのお相手を務めさせていただくことになった私に、周囲の視線は集中した。踊りを楽しんでいた紳士淑女たちは、私たちに場所を譲るように少し遠巻きになり、ひそひそと囁き合っている。
 ちょうど曲が終わったところなのか、楽団の演奏もぴたりとやんだ。
「陛下!?」
「キース、少し借りるぞ」
 ざわめきに気づいて慌てて戻ってきたキースに、シヴァは短く告げる。そして、傲然と私に手を差し出した。
 ニヤリと口角を上げ、試すような目つきで。
 私はしばらくそのままシヴァを見つめ返す。何故こんなことをするのか、その真意が気になった。
「どうした。先ほどの言葉は出まかせか?」
「そういうわけではございません」
「では、衆目に晒されて怖気づいたか?」
 衆目に晒されて、怖気づく? そんなことありえない。何故なら私は――。
「陛下直々にダンスに誘っていただけるなど、光栄の極みにございます」
 一礼をして差し出されている男の手に自分の手を重ねる。まっすぐに目の前の最高権力者を見据えた。
 華やかな宮殿。艶やかに着飾った人々。この場にいる何百という人間全てが、観衆だ。
 小劇団の役者にとって、それは申し分ないどころかもったいないほどの大舞台。燃えない方がおかしいってもんでしょう。
 私だって伊達にヒロイン張ってたわけじゃない。聖帝陛下のお相手役、見事演じ切ってやろうじゃないの。
 そんな私の意気込みが伝わったのか、シヴァは満足そうに口元を笑みで歪めた。そのままの表情で楽団へと視線を向ける。意を得たように演奏がまた始まった。
 何の前置きもなく、シヴァが踊り始めた。一瞬、テンポに乗り遅れたものの、すぐに私はシヴァのリードについていく。俺様聖帝陛下らしく、そのリードは終始自分勝手だ。しかも、時々翻弄するように変則的なステップを踏む。それについていけたのは、かつての経験とキースとの特訓のおかげだった。
「おまえ、どこの生まれだ?」
 ようやく少し落ち着いたようにテンポを落としたと思ったら、唐突にそんな質問を寄越した。わざわざ緩やかに踊ってくれているのは、私が答えやすいようにらしい。お優しいことで、と心の中で毒づく。
「どこの生まれかと訊いている」
 すぐに答えない私に、焦れたシヴァが問いを重ねた。
「……ベルティリアより遥か遠くの国にございます」
「異国の民だと? その割に言葉に訛りがないな」
「この国に辿り着いたあと、フォープの村にある教会でしばらくお世話になっておりました。言葉はその際に教えていただきましたので」
 『アマビト』は特別な力を持つと言われている。だから、自分が『アマビト』だということは周りに知られるべきではない。キースとアルゼさんはそう結論づけて、用意してくれた言い訳がこれだった。
 中途半端な嘘をつくとすぐにバレてしまう。だから、ベルティリアの人間でないことは認めてしまった方がいい。この国では国教がそれなりに強い権力を持っているから、教会に世話になっていたと言えば、異国の民でもそこまで邪険には扱われないそうだ。
 ただ、これ以上つっこまれると間違いなくボロが出る。ここで何とか話の方向性を変えたいところだった。
「フォープか……。それで、その生まれ故郷の国の名は?」
「地図にも載らないような小さな島国ですのでご存知ないかと」
 これも嘘ではない。この世界の地図に載っているわけないし、実際に日本は小さな島国だ。それはいいとして、早くこの話題から離れたい。
「地図にも載らない島国、か。なるほど。ところでその髪の色だが」
「か、髪? で、ございます、か?」
 ありがたいことに陛下自ら話題を変えてくれたわけだが、これまたどうしてそっちの方向性に行ったのだと思うような内容だった。
「根元の色がわずかに違うようだが、染めているのか?」
 そうか、至近距離だからそんなところまで見えてしまうのか。とはいえ、見えてしまっているものを否定しても怪しまれるだけなので、素直に肯定するしかなかった。
「何故染めている?」
「……諸事情がありまして」
「元の色は、黒か?」
「……それが、何か?」
 何だか尋問みたいで気持ちが悪い。何でシヴァがこんな質問を重ねるのかわからないけれど、早く一曲終わってくれないだろうか。そうすれば、この状況から解放されるのに。
「なるほど、そういうことか」
 ぽつりと零れた含みのある言葉に、ぞくりと背筋に悪寒が走る。
 何だろう。嫌な予感がする。細心の注意を払ったつもりだったけれど、何か私はミスをしてしまったのだろうか。
 そのままシヴァの質問攻めはぴたりと止まってしまった。
 ダンスが終わる。一礼をすると、シヴァが私の横を通り過ぎていこうとする。
 そのすれ違いざまだった。
「サクヤ」
 思いがけず、名前を呼ばれた。私ごときの名前を覚えていただいていただなんて光栄でございますとでも述べて、笑顔を浮かべるべきだろう。が、できなかった。
「異国の民というだけで苦労も多かろう。だから、そなたには相応の地位を与えてやる」
「相応の、地位?」
「楽しみにしておけ」
 私の疑問に答えもせず、シヴァは意味深な笑みだけ残して玉座に向かって歩き出す。私はそのまま踊りの輪の中に取り残され、立ち尽くしていた。
「サクヤ」
 動けなくなっていた私の手に、あたたかいものが触れる。キースの手だ。凍り付いたように動けなくなっていた私を、キースは広間の壁際へと誘導する。手の平から伝わるぬくもりのおかげで、ようやく私も少しずつだけれども気持ちが落ち着いてきた。
「すまない。大丈夫だったか?」
「ごめん、キース」
「いや、謝るのは俺の――」
「多分、バレた」
「え?」
 言葉は大幅に省略したけれど、キースは正確に理解してくれたらしい。途端に顔色が変わった。
「相応の地位を与えてやるって言われた」
「それは……」
 キースが苦い表情で口籠る。
 キースのことだ。シヴァのやりそうなことくらい、ある程度予測できるのだろう。そしてそれは間違いなく、喜ばしくないことだということくらい私にだってわかる。
「でも、大丈夫だから」
「大丈夫なわけないだろう」
「大丈夫だよ。何とかする」
「何とかするって……」
 はっきり言ってしまえば、自信なんて欠片もない。結末の見えない即興劇なんて、気心の知れた仲間相手だって苦労するものなのだから。けれど、
「虎穴に入らずんば虎児を得ずって言葉があってね」
「サクヤ?」
「向こうが私を利用するつもりなら、私も利用させてもらう。何か知ってるみたいだったもの。もしかしたら、私たちより詳しいのかもしれない」
 キースとアルゼさんは『アマビト』に関する情報が少ない上に手に入れづらいと言っていた。そんな状況で、知っていそうな人間がいるのなら、多少の危険は覚悟で当たってみるしかないじゃない。
 キースに頼って、待っているだけでは何も変わらないから。
 強くなると決めたからには、自分自身で動ける部分は動くべきだ。さらには、私に地位を与えるとシヴァは言っている。つまり、利用価値のある間は不遇な状況に陥れられることもないだろう。だから、これは滅多にないチャンスなのだ。
 不安に押し潰されている暇などない。逆境を逆手にとれるくらい、私は強かにならなければいけないのだから。そのためなら、どんな状況も自分が強くなる糧にしてみせる。
 優雅に舞う人々のさらに奥。悠然と玉座に身を置く男を見据え、私はそう心に誓ったのだった。