Song for Snow

Ex.1 Bright tone

 ほんの少し前まで、世間はハロウィン一色だった。目につく色はオレンジに黒に紫。カボチャのお化けや魔女やコウモリの装飾が踊り、様々なコスプレ衣装が並べられていた。
 かと思えば、十一月に入った途端に色彩は赤と緑と白へ、装飾はきらきらしいツリーやリースへと取って代わられる。ケーキやオードブルなどのパンフレットが並べられ、予約受付中の文字があちらこちらに散らばっていた。一緒におせち料理のものまで並ぶのだから、何とも忙しないことだ。
 けれど、以前と比べると年末特有の騒々しさが嫌いではなくなった。それは間違いなく、今手を引いて歩いている我が子のおかげだ。当の本人は、賑やかすぎる街並みにあちらこちらのと視線を振り回し、スキップでも踏みだしそうなほど浮かれている。
「ママー、ケーキはチョコのがいいなー」
「はいはい。本当にあかねはチョコレート好きね。誰に似たのかしら?」
 言わずもがな夫に似たのだとわかっていたけれど、そう言うと必ず娘は嬉しそうに「パパだよ」と返すのだ。その眩しいばかりの笑顔が見たくて、ついつい何度も繰り返してしまう。
「あ、ママの歌!」
「え?」
 多くの人が行き交うショッピングモールの中、娘が不思議なことを口にした。そうしてすぐさま、モール内に流れている音楽に合わせて歌い始める。それは我が家に一週間ほど前に届けられたとあるバンドの新譜だった。
 繰り返し聴いていたし、家事の最中に口遊んだりもしていた。そのせいで娘も覚えてしまっていたのだろう。
 それにしても、この煩雑に音が溢れ返った中でよく聴こえたものだと感心する。耳の良さは私に似たのかと思うとまた頬が緩んだ。
「あかね、この歌は別にママの歌じゃないわよ」
「でも、ママの声この歌にとってもピッタリなんだもん」
 屈託のない笑みでそう言われてしまうと、恥ずかしながらも嬉しさの方が勝る。
 ずっと『彼』の作る歌を歌いたかった。けれど、『彼』の作る歌は『彼女』のためのものでしかなかった。そんな『彼』の歌に声が合うと言われて嬉しくないわけがない。
「ありがとう。でも、ママはこの歌ってる女の子の声が大好きなのよ」
 そう、好きなのだ。『彼』の曲以上に、『彼女』の歌と声が。――いや、『彼ら』の音楽が。
「それにね」
 喧騒に埋もれながらも確かに聴こえる彼らの曲は、ちょうどサビに差し掛かったところだ。優しく慈しむような声で、一つのフレーズがリフレインしている。
「この歌はママの歌じゃなくて、あかねの歌なのよ」
「わたしの歌? 何で?」
「ひみつ」
「ええー!? 教えてよー! ママの意地悪!」
「あかねがもう少し大きくなったらわかるわよ」
「もう少しって、いつ?」
「中学生くらいかな」
 私の返答に「全然もう少しじゃないー!」と娘は不貞腐れた。その様子に目を細めながらも、流れる旋律に合わせてタイトルにもなっているフレーズを口遊む。

『Bright tone』

 事故で長らく意識を失っていたギタリストが、六年の時を経てようやく再始動した。その復活の証としてつい二日前に公式発表された曲。そのタイトルが『Bright tone』だった。
 我が家に届けられた包みを夫と二人で開封したとき、不覚にも涙が零れた。「俺もあの子の歌、聴くことできると思うか?」と問うた夫に「当然じゃない」と答えたのは他でもない自分だったのに、この曲が届けられるまで信じきれていなかったから。信じるというよりも、祈りに近い想いでしかなかったのだ。
 そうして曲のタイトルを見て、今度は夫婦揃って笑みを零した。
 子供が生まれたとき、『彼』にも『彼女』にも知らせていない。けれど、『彼ら』のメンバーの一人とは一度だけやりとりを交わしていた。『彼』が目覚めたと。それに対して「そう」とだけ返した。その時に私も娘を産んだことをついでのように告げた。その時に名前も告げたような気がする。
 だから、そういうことなのだろう。
 『彼』も『彼女』も、歌に想いを託す人だから。

 きらきらと、けれど柔らかく。ダイヤモンドダストのような繊細さを伴った歌声が耳に心地よく溶ける。

 そうしてこれからも、『彼ら』はあらゆる想いをギターで、声で、そのすべてで、奏で続けるのだろう。