Song for Snow

Ex.2 腹立たしい彼と、そんな冬の日

 いたるところでマライア・キャリーやワムや山下達郎やドリカムが聴こえてくる。そんな季節になったんだなぁと、きらきらしく飾り立てられた街並みを見回した。
その途中。ロータリーの向こう側から長身を少し屈めるようにして歩いてくる彼を見つける。大学時代から付き合っている彼だが、就職してからは忙しくてなかなか会えない。今日会うのも三週間ぶりで、イブもクリスマスももちろん仕事で会えないことが確定していた。だからこそ、何とか都合を合わせられた今日が久しぶりのデートなのだ。
彼もこちらの姿に気づいたのか、大股で歩み寄ってくる。一八〇以上もある長身だから、走らなくてもそれだけであっという間に目の前に辿り着いた。
「すまん、待ったか?」
「うん、待った」
「そこは嘘でも『ううん、今来たとこ』てハートマーク付きで言うとこやろ」
「目の前に見えてるのに? ていうか、それ言ったら『そんなガラちゃうやろ!』ってツッコミ入れるんでしょうが」
「……さすが、俺の嫁」
「まだ結婚しとらんわ!」
 つい彼につられて関西弁でツッコミを入れてから、我に返った。いけない、これでは彼のペースに嵌まってしまう。
「それはいいから。とりあえず移動しよ。ここ寒いし」
「せやな」
 寒いという言葉に同意しながら、何故か彼はマフラーを外した。グリーン系のチェックのそれは、次の瞬間には私の首に掛けられる。そして何事もなく手を繋いで歩き出した。
何というか、彼のこういうところはズルいと思う。本当にズルい。
「とりあえず、駅ビルの中で飯食うか?」
「そだね」
「ラーメン、パスタ、オムライス、定食系」
「オムライスは昨日食べたー」
 ゆるい感じでランチに何を食べるのか意見を出し合う。ここで小洒落たお店以外も出してくれるあたり、よくわかっていらっしゃる。
新しいお店が入っているという情報もあり、一旦その店がどんなものか確認しようと飲食店のある辺りに足を向けたときだった。
驚いたように、彼が足を止めた。
「どしたの?」
「この曲……」
「ああ、Weißer schneeの『Bright tone』だね」
「『Bright tone』」
「知らない? 一部では結構話題になったんだよ。六年前にデビューしてたバンドなんだけどね、事故でリーダーの子が植物状態になってたの。その後、意識が戻ってリハビリ頑張って、この曲でバンド再デビューしたっていう漫画か小説みたいなお話」
 実はこのバンドが路上ライブをしていた時から応援していた身としては、こうやって蘊蓄――というほどでもないけれど――を語れることが嬉しい。
あれ、でも、彼はこういう系のバンドとかさほど興味なさそうだったと思うんだけど。
「この曲が、どうかした?」
 珍しい反応についつい気になって訊かずにはいられなかった。
すると、彼は滅多にないほど優しく微笑む。本当に、今までこんな表情見たことないってくらい。いつもの裏がある感じが一切ない、素直な笑みだ。
「如何にもアイツがやりそうなこっちゃなぁ思てな」
「アイツ? え、何、そのメンバー知り合いですみたいな言い草」
「まあ、一時おんなじ店で働いとったしな」
「は? 初耳ですけど? え、マジ? 嘘?」
「どっちやろな?」
 ニヤリと、今度はいつもと同じ人を食ったような笑いに戻る。本当にこういうところだけはこの男は腹が立つのだ。
問い詰めて白状させたい。白状させて、未公開エピソード的なものを聞いてみたい。
そうは思ったけれど、一瞬見せたあの素直な笑みが脳裏をよぎった。
きっと、彼にあんな優しい顔をさせてしまうようなことがあったのだ。そしてそれは、彼女だからって簡単に踏み込んでいい領域ではない気がした。
「腹が立ったので、お昼ごはんは奢ってください」
 浮かんだ腹立たしさの分、背中に軽く拳を叩き込みながら要求する。はいはい、と彼は快く承ってくれる。そして、
「心配せんでも、ちゃんと嫁さんになったら話したるわ」
 がしがしと、私の頭を撫でた。
「髪が乱れる! そして嫁になるかどうかもわからないでしょうが!」
「へ? なるやろ?」
 もう一度、今度は無邪気な笑顔。ぽんっと頭の上に何かを載せられる。
「落としたらアカンで」
「え、ちょ、離したら落ちる!」
 頭の上の物からあっさりと手を離した彼に、私は慌てて頭の上からコロンと落ちたそれを両手でキャッチした。ブランドロゴの入った、小さめの紙袋だった。
「クリスマス無理やし、先渡しとくわ」
「……これ」
「何や? 花束持って夜景の見えるレストランとかで渡された方が良かったんか?」
「え、無理。そもそもその関西弁じゃ様にならないし」
 そう、様にならない。彼がそんなことをしたら、それこそ新喜劇のネタなんじゃないかと思ってしまう。第一、そんなプロポーズなんて、私は好みじゃない。
「せやろ」
「でも、何か拒否権ない感じが釈然としないんだけど」
「ん~? でも俺、おまえ以外と結婚する気ないしなぁ」
 またこういうことを言うし。腹の虫が治まらないのと同じくらい、むず痒くて、恥ずかしくて――嬉しい、のがまた腹立たしい。
「……私もないけど。腹立つ……。ご飯奢ってください」
「奢る言うたやん」
 恐らく顔が真っ赤になっているだろう私に構いもせず、彼はしれっと答えて先を歩き始める。この恥ずかしさの責任を取りやがれ。
「晩ご飯も」
「ええけど、その分見返りもらうで?」
「スケベ」
「あらやだ、何を想像したのかしらこの子~」
「キモい」
 どすんと、先ほどよりも強めの拳を彼の広い背中に叩き込んだ。けれど、当然の如くその背中はびくともしない。いつもならそれがムカつくはずなのに、今は頼もしく思えてしまっていた。
「新くん」
「何や?」
「ちゃんと嫁の手を引いてください」
「おう、そりゃ失礼やったな」
 結局私は彼に勝てないのだ。惚れた弱みという奴で。
さっきまで凍えていたはずの手は、しっかりと繋がれて、うつった互いの熱でいつの間にか確かなぬくもりを宿していた。