七夜月奇譚

肆 紐帯の綻び 01

 宴を行っていた間の峰から、奥の院のある一の峰まで巡り、そしてまた別の参道を通って井隼は下山をしていた。
 その参道は、そのまま道なりに下りていくと『不断桜』のある場所に繋がっている。
 皆が桜から離れて随分と時間が経っていたが、ほぼ一周ぐるりと回ってきたような形だった。
 しかし、結局その間に絵梨香も郁も見つけることが出来ないでいた。片岡からの連絡もまだなく、尚志や中田もまだ見つけていないのだろうかという不安な気持ちが沸き起こる。
「でも、見つけててもすぐに連絡できるわけじゃないもんな」
 声の調子を努めて明るくし、井隼は自らを奮い立たせるように呟いた。中田を振り切って逃げた絵梨香ならば、見つかったとしてもまた逃げ出そうとするかもしれない。
 もちろん、中田が相手ならばの話だ。
 逆に、尚志ならばみんなの元に戻りたがらないかもしれない。絵梨香がもし本当に尚志を好きならば、二人きりになるなんて滅多にないチャンスだと考えるはずだろう。
「吉良さんなら後藤はともかく、城宮さんを速攻で発見するような気もするんだけどなぁ……」
 宴の最中にも話題に上がっていたけれど、郁と尚志の絆は、誰が見ても明らかなほどに強い。軽口を叩き合うのも、互いを信頼しているからだとよくわかるのだ。
 そして、尚志は実によく郁の行動パターンを把握している。いや、尚志だけでなく、郁も尚志のことをよくわかっているのだろう。
 普段の二人を見ていると、会話がなくても通じ合っているなと感じることがよくあった。
 だから、今のこの状況で郁から尚志への連絡がないことの方が不思議であり、同時に不安でもある。

 そんな考え事をしている井隼の視界の端に、一軒の建物が見えた。
 社務所だ。今は消灯され、誰もいなさそうな雰囲気である。
「もうすぐ桜につく、か……」
 見つからないだろうと思いながらも、周りを照らして人影を探し、小さく呟いた。
 このままだと、見つからなかったという報告の電話をすることになるだろう。
 下り坂を、ブレーキをかけつつも早足で下りながら、井隼はポケットから携帯電話を取り出した。
 木立が切れ、少し拓けた場所が見えてくる。その先が、不断桜のある場所だった。
 結局見つからなかったと判断し、片岡へと電話を掛ける。
 なかなか出ないなと思った瞬間に、プツと通話が繋がった。
「もしもし、井隼です」
『どうだった?』
 片岡の緊張した声が耳に届く。待っているだけというのも不安だったのだろう。
 落胆させる返事しか返せないのは申し訳ないと思ったが、嘘をついても始まらないので、井隼は素直にありのままを報告した。
「駄目っす。俺の方では見つかりませんでした」
 それを聞いて、電話の向こうで小さく吐息が洩れる。最悪の知らせを想定して、覚悟をしていたのだろう。それが一瞬緩んで、思わず息をついたといった感じだった。
「吉良さんや中田さんから連絡は? まだないんすか?」
『ああ。おまえが一番だよ。てか、ちゃんと探したのかー?』
「探しましたよー! 途中で社務所の前も通りましたけど、明かりもついてなかったっス。もし誰かいたら、訊いてみようかなと思ったんスけどねー」
 ホッとした所為か、片岡の言葉にいつものようなからかう色が見える。それにつられて、井隼の緊張も少し和らぐ気がした。疲れて重かった足取りも、自然と軽くなる。
『わかった。とりあえず帰ってこいよ。そのうち尚志や中田からも連絡あるだろうし』
「わかりま……え?」
 答えようとして、巡らせた視界の中に違和感を覚えた。
 辺りにないはずの色が見えた気がしたのだ。
『おい? どうした?』
「ちょっと、待って下さい。アレ……」
 井隼の様子を訝しむように、片岡が問いかける。その言葉は半ば耳に入っていない。
 違和感を覚えた方向に、もう一度視線を向ける。
 そこにあるのは、不断桜だ。
 堂々たる古木の幹の根元、ささやかな薄紅の花が風に揺れていて。
 そのすぐ側に、誰かが蹲るように、いた。
 肌の露出が多めのペールブルーのトップスと、惜しげもなく素肌の足を晒した白いショートパンツ姿。
「……後藤?」
 そう。その服装は、明らかに現在探している最中の後藤絵梨香の物だった。今日だけでなく、何度か目にしている服装だから、間違いないだろう。
 けれど、明らかに様子がおかしい。
 背中を樹の幹に預け、項垂れるような姿勢。両腕はだらりと身体の両脇に投げ出されている。
 眠っているのか? それとも――。
 恐る恐る井隼は絵梨香の元に近づく。
 それほど距離はないはずなのに、辿り着くまでの時間が妙に長く感じた。
 のろのろと絵梨香の前に跪くと、そろりとその肩に手を伸ばした。
「後藤、何して……」
 井隼の手が触れるか触れないかのところで、絵梨香の身体がずるりと横向けに滑り落ちた。
 その様子に、思わず息を飲む。

 虚ろに見開かれた瞳。血の気の失せた顔。そして、白い首筋に、赤く走る一筋。
 その筋からは夥しい量の血が流れ、薄青だった服が赤黒く染まっている。
「うわあああぁぁぁっ!!」
 反射的に飛びのき、その勢いのまま井隼は尻もちをついた。ガシャと少し離れた場所に携帯電話が飛んでいく。
『井隼! 何があった! おいっ!』
 電話から零れる片岡の怒鳴り声に、井隼は震える手で地面を探り、後ずさりながら携帯電話を探し当てた。
 目線だけは絵梨香に釘付けになったまま、通話口に口を近づける。
「ご……ごと……が」
 声帯が上手く働いてくれず、伝えたい言葉が出てこない。
 それでも片岡には伝わったのか、『後藤がどうしたんだ』と返答が返った。
「さく……血を……何で……っ」
『落ち着け井隼! 今どこだ!』
「あ……、不断、ざく……ら」
 井隼のか細い声に、片岡が力強く答え、通話が途切れた。
 無機質な電子音の響く携帯電話を握り締めたまま、井隼はその場からそれ以上動くことが出来なかった。

 『不断桜の祟り』

 頭の中に、その言葉が嫌でも思い浮かぶ。
 触ると祟りのある桜。
 それを触り、行方不明になった絵梨香。
 そして、今目の前にいる絵梨香は、不断桜の伝承で死んだ女と同じように、首を切られて死んでいる。
「お……れの、所為……」
 これが、祟りでなく何だと言うのだろうか。
 光を失った絵梨香の双眸が、自分を責めているようにすら感じる。
 井隼は、震える体を叱咤して無理矢理に動かすと、両手を、そして自らの額を地面に擦りつけるように押しつけた。
「……ごめん、後藤、ホントに……っ」
 叩頭し、繰り返すのは謝罪の言葉。そして――。
「許して……くれ……」
 虫がいいとも言えるような、許しを請う言葉だった。



 西城と別れた直後、片岡からの知らせを受けて、尚志は元来た道を大急ぎで駆け戻っていた。
 片岡の話によると、どうやらあの叫び声の主は井隼だったらしい。そして、一緒に後藤絵梨香も見つかったとのことだった。
 しかしそれは同時に、良かったと手放しで喜べる状況でないことも表していた。
「吉良君!」
 焦るその背後から、若い男の声。振り返ると、坂野とサトカが焦った様子でこちらに向かってきていた。井隼の声は、二人の耳にも届いていたのだろうと容易に想像がつく。
「さっき、叫び声みたいなのが聞こえたけど」
「はい。向こうに残っているメンバーから連絡がありました。後藤を見つけたらしいって。多分、声は後藤を探していた仲間の一人だと思います」
「……まさか」
 坂野の表情が一気に曇る。尚志も考えたように、最悪の結果を想像したのだろう。
「とりあえず、急ぎましょう」
「そうだね。サトカさん」
「いいわよ、先に行って。私もできるだけ急ぐわ」
 サトカのパンプスでは、二人と並んで走ることは到底できない。その事実は誰の目にも明白だからこそ、坂野は必要最低限の了承を求め、サトカもそれだけで理解を示した。
 この状況でサトカを一人にすることに不安を覚えなくもないが、叫び声の主の元に一刻も早く辿り着くべきであるのは確かだからだ。
 サトカは余裕のある笑みを見て、坂野は気をつけて下さいねと言い置く。
 尚志が目的の場所を短く告げ、先に走り出した。坂野も慌ててその後を追う。
 走りながら、尚志はこの場にいない人物への問いを、頭の中で繰り返していた。
(西城さん、何が「始まった」って言うんだ?)
 つい数分前に西城の残した言葉がどうしても気にかかって仕方がなかった。
 始まった。何が? ……『祟り』が?
 馬鹿な、と有り得ない想像に首を振り、もう一度、一から今までの出来事を組み立て直す。きっと、まだ見えてきていない、何かがあるはずだった。
 息を切らして不断桜に辿り着くと、井隼が桜から数メートル離れた位置で地面に這いつくばるように蹲っているのが見えた。
「井隼!」
 尚志が駆け寄るが、井隼はその声が聞こえていないのか、そのままの姿勢を崩さない。そして、ぶつぶつと小さく呟く声に、尚志は掛けるべき声を失った。
 「後藤、ごめん」と、井隼はそればかりを繰り返していたのだ。
 視線を井隼から桜の方へと移す。そちらには、既に坂野が向かっていた。
 尚志は井隼の側から離れ、坂野と、そして変わり果てた姿の絵梨香へと近づく。
 絵梨香の脈を確認し、坂野は絵梨香を見つめたままで訊ねた。
「……君達の友人で、間違いないかな?」
 確認を求められ、尚志は改めて絵梨香を見つめた。虚ろな瞳は既に焦点を結ばず、流れ出た鮮血の量が、彼女の時を止めてしまったことを如実に物語っている。
 が、その流血激しい首筋に僅かに別の種類の赤が混じっていることに気付いた。
(あれは……)
 内心、そういうことかと納得したが、それは一切表には出さずに尚志は坂野の問いに答えた。
「後藤絵梨香、本人です」
「残念ながら……」
「はい。さすがに言われなくてもわかります」
 苦しげに言おうとする坂野の言葉を遮り、尚志はもう一度井隼を振り返った。
 いつもはお調子者の井隼だが、この状況では自己嫌悪をはるかに超えた自責の念にかられているのだろう。蹲っているのではなく、土下座しているのだ。それでも足りなくて、延々と呪文のように謝罪の言葉を繰り返して。
 その井隼の呟きをかき消すように、足音が近づいてきた。今自分たちが来た参道の方から、息を切らした中田が姿を現す。
「……絵梨香?」
 ひどく頼りない、かすれた問い掛けだった。その声を聞いて、尚志達には何の反応も見せずに蹲っていた井隼の身体がピクリと反応する。
 中田が重い足取りでゆっくりと近づいてくるのを迎えるように、尚志も中田へと歩み寄った。それは中田の視界に直接絵梨香を入れないようにする配慮でもあった。
 しかし、中田は邪魔だと言うように尚志の身体を押しのけようとする。
「絵梨香? ……絵梨香っ!」
「中田! よせっ!」
 必死で抑えようとするものの、いつもの中田からは考えられないほどの力で跳ねのけられ、尚志は派手にバランスを崩した。その隙に中田は一気に絵梨香の側まで駆け寄る。慌てて坂野が制止はしたものの、もう遅かった。
 変わり果てた絵梨香の姿を目にした中田の身体からは、先ほどの力は抜け落ち、そのまま地面にへたりと膝をついた。
「ど……して、こんな……。何で、絵梨香が……」
 ポロポロと零れ落ちるのは疑問の言葉。しかし、誰一人その問いに答えることは適わず、ただ漂泊するように夜闇に溶けていくだけだった。
 そんな重苦しい雰囲気が支配する中、サトカが遅れて到着した。一目で状況を理解したのか、そのまま静かに絵梨香の側まで歩み寄り、腰を下ろす。
 坂野が短く「もう」とだけ告げると、無言で頷きしばらく絵梨香の遺体を検分している様子だ。
 そうしている間に、今度は片岡を先頭に、宴会の場に残っていた面々がようやく辿り着いた。全力で走ってきた所為で、全員が荒く息をついている。
「尚志、後藤は……」
 片岡の言葉に、尚志は口を開きかけてからそれを辞め、片岡達のいる方に向かって近づいていった。それ以上彼らが近づいてしまったら、全員に絵梨香の無残な姿を見せることとなる。女性には見せるべきではないだろうという判断からだった。
「桜には近づかない方がいい」
「吉良君? どういうこと?」
「……間に合わなかった」
 ただ、遠回しにそう告げる。
 尚志の沈みきった声音と表情から、それがどういう意味なのかを、誰もが理解してしまった。
「う……そ……。嘘、ですよね? 吉良先輩……」
 麻子が信じられない思いで確認するが、尚志は無言で首を振るのみ。思わず桜の方へと駆け出しそうになったが、尚志が伸ばした腕に阻まれた。
「亘理は、後藤とも仲良かっただろう。辞めておいた方がいい」
「そんな……」
「そうね。女の子が見るようなものじゃないわ」
 尚志の説得に被さるように、サトカが側までゆっくりと近づいてきた。
 面識のない他のメンバーは、一体誰だと一様に疑問の表情を浮かべる。
 しかし、サトカはそんな彼らに構わずに話を続けた。
「坂野クンが今所轄に連絡入れているところだし――」
「あのー、それなんですが……」
「何?」
 話の途中で坂野が割って入るのに、サトカは少々不機嫌そうに顔を顰める。
 が、それ以上に表情を曇らせ、坂野は自らの携帯電話を示して見せた。
「圏外になってるんです」
「え? まさか、そんなはずないわ」
 有り得ないとサトカは坂野の携帯を取り上げ、液晶画面を覗き込んだ。しかし、坂野の言うとおり、左上にあるアンテナマークの代わりに『圏外』の二文字が表示されている。
 坂野にそれを返すと、今度はバッグの中から自分の携帯を取り出した。
「嘘……、どうして?」
「ちょっと待って下さいよ。さっき井隼はここから俺たちに電話してきたんですよ? 圏外なはずないじゃないですか!」
 片岡は反論しながら、二人と同じく携帯を開く。が、そこにはやはり、『圏外』の二文字がしっかりと浮かび上がっていた。横からそれを覗きこんでいた貴子も息を呑むしかできない。
 言い様のない不気味さが、一気にのしかかってくるような気分だった。
「と、とりあえず、境内出てすぐに、公衆電話ありましたよね? そこから掛けてきますよ!」
 重い空気を振り払おうとするかのように、あえて明るい口調でそう言うと、坂野は三の峰方面へと向かう参道を駆け下りていった。
 しかし、気まずい雰囲気が和らぐことはなく、誰もが黙りこくってしまう。どうすればいいのかわからないという思いが何より強かった。
 そんな中、それまでほとんど動きを見せなかった井隼がむくりと立ち上がった。それに気付いた尚志は声を掛けようかと思うが、井隼の向かう先にいるのが中田だとわかると何も言えなくなってしまう。
 ノロノロと、引きずるような重い足取り。けれど、井隼はまっすぐに、物言わぬ絵梨香の側で項垂れている中田へと向かっていた。
「中田さん……スイマセン……。俺の……俺の所為で……」
 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔。それを更にくしゃりと顰めて、井隼は中田の側に跪く。そして、先ほどと同じように両手をつき、額を地面へと擦りつけるように詫びの姿勢を取った。
「俺が、桜に触れなんて言わなかったら……、今頃後藤も一緒に、みんなで楽しく騒いでられたのにっ……」
 井隼の謝罪は間違ってはいないが、だからと言って井隼一人が全て悪いわけではない。それを誰もがわかっているはずだった。
 しかし、ゆらりと顔を上げた中田の顔は、見たこともないほど無表情で冷やかな視線を投げかけていた。
「……そうだね。井隼があんなことを言い出さなければ、絵梨香はこんなことにはならなかった」
「中田……」
 あまりにも冷たい視線と声音に、尚志は思わず窘めるように口を挟む。が、中田はその冷酷な表情を尚志にも向けてさらに続けた。
「だって、そうでしょう? 絵梨香が死ななければいけない理由なんてどこにもないのに……。なのにどうして絵梨香は死んでるんですか? 桜の祟りですか? だったら、桜を触らせた井隼こそが祟られるべきじゃないですか!」
「中田、落ち着け!」
「いいんです、吉良さん! 中田さんが言ってることが正しいんですから! 後藤じゃなくて、俺が……俺が死ねばよかったのに!」
 血を吐くような叫びだった。いっそ、その方がどんなに楽だったかと井隼は本気で考えていた。けれど、次の瞬間、激しい痛みを頬に受け、一瞬思考が止まる。その勢いのまま後ろに尻もちをついてしまっていた。
 何が起こったのかわからずに呆然としていると、いつの間にか目の前には麻子が立っていた。
「ふざけたこと言わないでよ! 絵梨香ちゃんじゃなくて井隼君だったとしても、みんな悲しむんだよ!? 自分が死ねば良かっただなんて、たとえ冗談だったとしても言っちゃ駄目なんだから!」
「亘理……」
 両目いっぱいに涙を溜めた麻子は、歯を食いしばるようにそれを零すのを我慢している。一息入れて、呼吸を整えると、今度は中田に振り返った。
「中田先輩も、そんな風に言わないで下さい。井隼君が悪いのなら、止め切れなかった私たちにだって責任はあるじゃないですか……」
 麻子の声に、懇願するような響きが伴っていた。激情を露わにした中田だったが、麻子のその声に、僅かばかり落ち着きを取り戻す。しかし、それでも溢れてくるやり場のない怒りを持て余し、ただ唇を噛み締めていた。
「その子の言う通りね。それに、どういう経緯で彼女が単独行動を取ったのかはわからないけれど、彼女を殺した『犯人』が一番悪いに決まっているじゃない」
 第三者的立場から冷静な判断を下すサトカを、井隼も麻子も、虚を突かれたようにぽかんと見上げてしまった。
「はん……にん?」
「そうよ。これはどう見ても殺人事件でしょう? 見たところ辺りに凶器になりそうなものはないし、そうなれば彼女は自殺では有り得ないじゃない」
「『不断桜の祟り』じゃ……ないんですか?」
「は?」
 井隼の問い掛けに、今度はサトカが唖然とする番だった。先ほどから何度か少年たちの会話に『祟り』や『桜』と言ったフレーズが含まれているのには気付いていたが、まさか目の前の桜が絵梨香の死の原因だと思われているとは考えつきもしなかったのだ。
 更に言えば、サトカにとって、『不断桜の祟り』の話自体が初耳だった。神社の身内として、それは聞き捨てならないものがある。
「ちょっと訊いていいかしら。『不断桜の祟り』って何のこと?」
「えっと……不断桜に触ったら、死ぬって……。昔ここで恋人に裏切られた女が死んだから……」
 詰問するような口調のサトカに、井隼は気圧されながらもたどたどしい説明をする。が、それを聞いているサトカの表情はますます険しくなる一方だった。
 サトカは、不断桜にまつわる伝承を叔父から聞いたことがあったのだ。しかし、それは祟りなどと呼ばれるような内容ではまったくなかった。どこでどう話が捻じ曲げられたのか、随分と怪奇的な話になっていることに愕然とする。
「ちょっと待って。裏切られた女って――」
「え?」
 更に厳しくサトカが詰め寄ろうとした時、間の抜けた声が全員の耳に届いた。声は、この場から一の峰へと向かう参道の方からだ。
 そこに皆の視線が集中する。
 その視線を受けて、現れた人物――坂野は狐に抓まれたような表情をしていた。
「何で……」
「それはこっちの台詞よ。何で貴方がそっちから出てくるのよ」
「こっちだって訳がわからないですよ。末の社が見えて、ちゃんと鳥居をくぐったはずなんです」
 意味がわからないとしきりに首を傾げる坂野に苛立ちを覚えつつも、サトカは彼が嘘をついていないことも理解できた。
 坂野が出ていった参道から今しがた出てきた参道に行こうと思えば、どこかで必ず坂を上らなければいけない。しかし、真っ直ぐに末の社を目指していくと、下り道しかないのだ。いくら坂野が途中で道を間違えたとしても、上り下りの判断くらいはつくはずだった。
 それに、もしわざと上の参道から出てこようとしたならば、全力で走ってもほんの五分十分程度の時間では済まないほど迂回しなければならない。
 何よりも、この緊急事態に馬鹿がつくほど真面目な男が、そんな悪ふざけを実行する理由がなかった。
 サトカがそう結論付けている頃、他にも同じような結論に達している人物がいた。
 尚志、井隼、中田の三人だ。
 彼らはこの神社の構造を他のメンバーよりも知っている。坂野があの短時間で上の参道から出てくることが不可能なことには嫌でも気付かされた。
「……やっぱり、『祟り』だ……」
 沈黙が支配する中、震えた声が零れ落ち、波紋のように拡がった。