七夜月奇譚

参 凶事の訪れ 02

 視界の悪い道にも拘わらず、不安な様子は微塵も感じさせない足取りで尚志は神社の入り口方面である三の峰に向かっていた。
 懐中電灯もなく、外灯の明かりも僅かなものだったが、尚志は夜目が利く方だと自負している。それに、中田や井隼が探しに行った方面に比べれば、外灯の数も多い。
 探すには十分な明かりだと思いながら、慎重に辺りを意識しつつ走っていた。
(それにしても、あの馬鹿は何をやってるんだか……)
 心の中で毒づきながら、この騒動の中いなくなった少女の一人を思う。
 郁が不断桜から宴の場に戻らず、引き返していった理由に尚志は心当たりがあった。
 だからこそ郁の心配はしていないし、郁に限ってしょうもないヘマはしないと言い切れる。それだけ、尚志にとって郁への信頼は厚いのだ。
 けれど、さすがに連絡が全くないとは思いもしなかった。
 これはよほど不測の事態が発生したとみて間違いないだろう。

 ふと思い立ち、携帯を取り出す。
 中田が戻ってきたことで忘れていたが、ちょうど郁に連絡を取ろうとしていたところだったのだ。
 ディスプレイを見ても、相変わらず新着メールもなければ着信もない。
 走る速度を早歩き程度にまで緩め、リダイヤルをかけた。
 数度のコール音の後、プツと通話が繋がる音がする。
『……この電話は、現在使用されておりません』
「馬鹿なネタはいい。どこにいるんだ? 今後藤が行方不明で――」
『んじゃ、ウチもしばらく行方不明になるわ』
「おまえな……」
 端からまともな会話を成り立たせようという気持ちのなさそうな郁の態度に、尚志は呆れかえって大仰に溜め息をつく。
 せめて、もう少し説明くらい寄越せと思うのだが、それを求める相手が間違っていることもわかっていた。
 郁が尚志に懇切丁寧な説明を寄越したことなど、今までに一度もないのだ。どうも郁には、そんなことをしなくても尚志はわかるだろう、と思っている節がある。
 そして実際に多少のことならわかってしまうので、余計にその考えを助長しているのだった。
『それから、もうすぐ携帯も使えんようになるし、連絡はまた別の方法でするわ』
「ちょっと待て。それは」
『ほなまた』
 尚志の制止の声も、無意味だった。携帯からは無機質な電子音が繰り返されるだけになる。
 尚志は軽く舌打ちをして携帯をポケットへとしまいこむと、当初の予定通り神社の入り口方向へともう一度走り出した。
 とりあえず、今の自分にできることは絵梨香の消息を探ることだと理解している。同時に郁との会話から推測できる事柄も幾つかあった。それを頭の中で整理し組み立てながら、目線だけは辺りを探るように巡らせ走る。

 そうして三の峰まで下りた尚志は、前を歩く二つの人影に気づいた。
 若い――といっても、自分たちよりは十歳近く年上だろう――男女だ。この人気のない神社で初めて見た、自分の仲間たち以外の姿だった。
 向かっている方向から、彼らが自分と同じく上から下りてきたのだと判断し、声を掛ける。
「すみません。ちょっとお聞きしたいんですけど」
 尚志の声に、男女が揃って振り返る。男の方はごく平凡だったが、女の方は華やかな雰囲気を持った美人だった。
 晃己がいたら騒ぐだろうな、とどうでもいいことが頭に浮かぶ。それを押しのけて、本題を率直に尋ねた。二人は怪訝そうな表情を浮かべてはいるが、話を聞いてくれそうな様子なのは助かった。
「俺達の連れが神社の中でいなくなったんですけど、心当たりはありませんか? 二十歳くらいの女の子なんです」
「女の子?」
 尚志の問いに、二人はしばし首を傾げる。ハズレかと思い、礼だけ言って立ち去ろうと考えた瞬間、女の方が「ああ」と呟いた。
「もしかしてあの時の子かしら?」
「あ、桜見てた時のですか?」
「桜?」
 思い出したように続ける男の言葉に、今度は尚志が首を傾げる番になった。
 桜と言うからには不断桜のことだろう。だとしたら、この二人はほんの今さっきまで不断桜を見ていたのだろうか。
 そうなると、絵梨香も不断桜の側にいたことになる。
「ここに来た時の話よ。六時半……いえ、もう少し後だったかしら?」
「確か七時くらいじゃないですか?」
「七時……もしそれが後藤なら、俺たちと合流する前の話ですね。でも、そんなに前じゃなくてつい二、三十分前の話なんです」
「そうねえ……。私たちが社務所を出たのが丁度二十分くらい前だけれど、ここまで下りてくるまでには誰にも出会わなかったわよ。ねえ?」
「そうですね。女の子じゃなくても人影はまったく見てませんし。いなくなったのって一人?」
「いえ、一応二人いるんですけど、別々にいなくなったんです。それに一人はさっき電話で少し話したので、無事はわかるんですけど」
 電話と口にしてから、ふと気付いた。
 どうして中田は絵梨香に電話をかけなかったのか。
 否、もしかしたらかけたのかもしれないと思い直す。かけたけれど、怒りにまかせて中田の制止を振り切ったくらいなのだ。電話になど出ないだろうし、下手をすれば電源を切っている可能性だってある。
 深く考え込む尚志に、男が控えめな提案を口にした。
「あの、僕も探すのを手伝おうか?」
「え? ……確かにそれは助かりますけど、さすがに申し訳ないです」
 第三者を巻き込むわけにはいかないと断りかけた尚志に、今度は女の方が続ける。
「気にしなくてもいいわよ。彼、こう見えても警察官なの。女の子が行方不明とか聞いたら、ほっとけない性分なのよ」
「警察官、ですか」
「それに、この神社の宮司は私の叔父なの。境内で何か事件でもあったら私の肩身も狭くなるわ」
 軽く肩を竦めて笑う女に、男も笑顔を浮かべて頷いた。
 どうやら二人とも、尚志が断ろうとしても首を突っ込んでくる気満々のようだ。
 警察官という存在は、本来ならば非常にありがたいのだが、それが今後幸と出るか不幸と出るのかを尚志は測りかねる。しかし、少しの思考の後、とりあえずは大丈夫だろうと判断し、彼らの好意を受けることにした。
「では、申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。俺は吉良と言います」
「僕は坂野です。彼女は中院サトカさん。とりあえず、また奥へ戻ろうか」
 簡単に自己紹介をし合い、尚志がつい先ほど下りてきた参道へと並んで戻っていく。
 数歩も歩かぬうちに、サトカが思い出したようにああ、と声を上げた。
「そういえば、君達は変な黒スーツの男とは遭遇したの?」
「黒スーツの男?」
 サトカの質問に尚志は首を傾げるしかなかった。
 黒スーツどころか、自分達のサークルメンバー以外には一人として会っていないのだ。
「そうそう。僕達がその女の子を見た時、あからさまに怪しい男に付きまとわれてたんだよ。ただの霊感商法かと思っていたんだけど、もしかしたらその男が何か知っているかもしれないね」
「霊感商法……」
 坂野が説明する当時の状況に、尚志はそこはかとなく嫌な予感を覚える。
 というよりも、その怪しい黒スーツの男に心当たりがあったのだ。そして、もしそれが当たっていれば、郁の不可解な言動も納得がいくのだった。
「それで、その女の子がいなくなった時の詳しい状況は?」
 思わず眉間に皺を寄せて考え込んでいた尚志だったが、坂野の声で我に返った。
 中田に聞いた話を頭の中で組み立てて、説明し始める。
「ちょっと正確な状況は俺ではわからないです。いなくなる直前まで一緒にいたのは、その子の彼氏だけだったので。ただ、いなくなったのは『不断桜』のある場所から、二の峰へ向かう参道のようです」
 はっきりと聞いたわけではなかったが、井隼に腹を立てた絵梨香は上に向かう参道ではなく、下りる方の参道へと消えていった。その参道から行ける場所は、宴をしていた間の峰、今三人のいる三の峰、そして二の峰の三か所だ。
 当然全員が戻る予定の間の峰に向かうはずはないだろうし、帰るとは言わなかったので三の峰へ向かったわけではないだろう。それに、帰ろうとしたら、さすがに中田が止めたはずだった。
 そうなれば自ずと絵梨香の向かった先は限定される。
 しかも、二の峰方面は外灯も少なく道も悪いので、中田が姿を見失ってもおかしくはなかった。
「じゃあ、その彼氏に話を聞きたいね。できる限り探す方向は限定したいし」
「そうですね。やみくもに探すより一旦合流した方がいいかもしれません」
 とりあえず戻りましょうと、尚志が促すと、坂野とサトカも頷き歩き出した。
 歩きながら、今も探し回っているであろう中田と井隼に連絡を取ろうと携帯を取り出す。
 まずは中田にかけたのだが、コール音はするものの出る気配は全くなかった。不携帯のはずはないので、走っていて気付いていないだけだろう。
 仕方なく井隼にかけ直すのだが、こちらは話し中のようだった。
「出ないの?」
 諦めて携帯をしまう尚志に、坂野が心配そうに訊ねる。電話先の相手を案じているのだろう。
「多分、気付いていないだけだと思います。一人は話し中でしたし」
「そうか。それならいいんだけど……あ」
 突然、坂野が足を止める。何事かと思っていると、参道の前方を指差した。
 そこには、ダークスーツを身に付けた若い男が一人。
「あいつだよ! あの女の子を追いかけまわしていたのは!」
 坂野の叫び声に、男はこちらを振り向くと、次の瞬間には脱兎の如く逃げ出していた。
 尚志は反射的にその後を追いかける。並んで坂野も走り出していたので、咄嗟に言い訳を考えて遠ざけることにした。
 坂野に、その男を追って欲しくない理由があるのだ。
「アイツは俺が追うんで、間の峰にいるみんなを見てきてもらえませんか?」
「けど、ヤツは凶器を持っているかもしれないだろう! 素人の君が――」
「だったら尚更です! 向こうには女の子ばかりが残っているんです! それに中院さん一人を置いていくわけにもいかないでしょう?」
 サトカの名前を出すと、坂野は返す言葉を失った。尚志の予想通り、坂野にとってサトカはネックとなる人物なのだろう。
「俺は有段者です。心配しないで下さい」
 駄目押しのようにそう告げると、坂野はどうにか納得したようだった。無茶はしないようにと念押ししてからサトカのいる方へと戻っていく。
 内心ホッとして、尚志は改めて前方を疾走する男に目を向けた。
 そして少し考えた後、方向転換してほとんど獣道と言っていいような樹々の隙間へと身を滑り込ませたのだった。

 一方、尚志達に見つかった黒スーツの男――西城章吾は、必死に逃げつつも自分に割り振られた『仕事』を着実にこなしていた。
 気付けば後ろから追ってきていた尚志の姿も見えない。
 ようやく撒いたかと、駆ける速度を緩めた。
 が、その直後、近くの茂みが激しく騒いだ。警戒する間もなく、ぬっと突き出された手に腕を掴まれる。
「ぬわっ!」
「容疑者、無事捕捉」
 無感情で事務的な声音に反して意地の悪い笑みを浮かべながら、茂みから尚志が姿を現した。
 西城はあからさまに引き攣った表情だ。
「だーれが容疑者だ、誰が!」
「貴方の他に誰がいるんですか? 西城さん」
「……相っ変わらず可愛くねー」
 苦虫を噛み潰したような表情でぼやく西城に、尚志は笑みを収めて厳しい視線を向けた。
「別に可愛いと思ってもらわなくても結構ですよ。それより、何でここにいるんですか? それから、郁はどこです?」
「あー、郁さんね。……どこでしょう?」
 へらへらとした軽薄な笑みで西城が誤魔化そうとするのに、尚志の表情が一瞬凍りつく。が、次の瞬間には、果てしなく爽やかな微笑が浮かべられていた。
「本気で殴りますよ」
「だぁーっ! わかったからヤメロ!」
 表情とは正反対の言葉、そして、それと同時に腕を掴む力が強くなった為、西城はあっさりと白旗を上げた。長年の付き合いから、ここで逆らってはろくな結果にならないとわかるからだ。
 逃げる気配がないと判断し、尚志は捕まえていた西城の手を放した。
「それで、郁は?」
「……郁さんから連絡いったでしょ?」
「まあ、一応は。けど、アイツは『行方不明になるわ』とかほざいてましたけど」
「んー、じゃあ今はおまえに言う気ないんだねー」
「でしょうね」
「だったら言えない」
 わかったと言ったくせに、結局居場所を教えようとしない西城を、尚志は思わず睨みつける。が、西城も西城で、全く動じる様子はなかった。
「郁さんのことだから、おまえに知らせた方がいいと思ったらちゃんと言うでしょ。反対に言わないってことは、知らせるべきでないと判断したから。じゃない?」
 西城が淡々とした説明に、尚志の眉間の皺が深くなる。
 しかし、しばしの沈黙の後、諦めたように溜め息をついた。
「わかりました。そこは譲歩しますよ。でも、何で貴方がここにいるんですか? まさか、郁がわざわざ呼んだわけじゃないでしょう? それに後藤を追いかけ回してたって……」
「それは、本当に偶然。まさかあの女の子がおまえらのお連れさんだとは思ってなかったし」
「後藤自身に何か……?」
「うん、まあそれもおいおいわかると思うんだが――」
 はっきりとしない西城の物言いに、苛立ちを覚えた尚志が口を挟もうとした時だった。
 木立のざわめく音に混じって、遠くから叫ぶような声が聞こえた気がした。
 はっきりとは聞こえなかったけれど、男の声のようだ。
「今のは……」
「始まったか」
「始まった? どういうことですか?」
 意味ありげに呟いた西城に尚志は眉を顰めて訊き返す。
「尚志、とにかく桜へ行け。俺にはまだやることが残ってんだ」
「ちょっと待って下さい!」
 言うが早いかその場から走り去ろうとする西城を、慌てて引き止めた。
「桜って不断桜ですか? 一体、何を……」
「行けばわかる。それから、先に謝っとくぞ。スマンな」
「西城さん!」
 言いたいことだけ言って、西城は不断桜とは反対に向かって走り出した。後を追いたい気持ちを抑え、尚志は不断桜に向けて駆け出した。



 ざわざわと風が樹々を揺らすたびに、不安な気持ちが重みを増していくようだった。
 それは麻子だけが感じているのではなく、貴子や聖、普段はお気楽な片岡でさえも同様だったのだろう。最初はくだらない雑談で誤魔化していた四人も、いつしか口数が減り、沈黙が続くようになっていた。
「連絡、遅いわね」
 ぽつりと貴子が零した一言が、やけに辺りに響く。
 より一層心細さが増したようで、麻子は知らず隣に座る聖の手を握っていた。
 聖も同じ心持ちなのか、握られた手が僅かに握り返される。大丈夫と麻子を、そして自分自身を励ますように。
「そろそろ誰かから連絡があってもいい頃なんだけどな」
 貴子の言葉を受け、片岡は連絡が届くはずである自分の携帯電話を開いた。と、それを待っていたかのように、軽快な音楽が流れ出す。
「……井隼からだ」
 一瞬、その場の全員に緊張が走った。
 二人が見つかったという連絡ならばいい。騒動は解決。あとは井隼と絵梨香が仲直りして万々歳だ。
 しかし、見つからないという連絡ならば――。
 否。
 見つからないだけならばまだいい。尚志か中田が見つける可能性だってまだ残されている。
 それよりも、もし絵梨香や郁が取り返しのつかないような事態で発見されたならば……。
 片岡がゴクリと生唾を飲み込む。覚悟を決めて、通話ボタンを押した。
「どうだった?」
 短い問いに、三人が息を殺して見守る。
『駄目っす。俺の方では見つかりませんでした』
 聞こえてきた井隼の簡潔な答えは電話口から離れていた麻子達の耳にもしっかりと届いた。全員がそれを聞いて、とりあえずは安堵の息をつく。
『吉良さんや中田さんから連絡は? まだないんスか?』
「ああ。おまえが一番だよ。てか、ちゃんと探したのかー?」
『探しましたよー! 途中で社務所の前も通りましたけど、明かりもついてなかったっス。もし誰かいたら、訊いてみようかなと思ったんスけどねー』
「わかった。とりあえず帰ってこいよ。そのうち尚志や中田からも連絡あるだろうし」
『わかりま……え?』
 井隼の言葉が、途中で疑問の呟きに取って代わられた。電話の向こうで、何かあったらしい。
「おい? どうした?」
『ちょっと、待って下さい。アレ……』
 井隼の声に、怯えともとれるような不安な色が滲む。その緊張が移ったかのように、片岡は固唾を飲んで続く言葉を待った。
『……後藤?』
 問いかける井隼の声が硬い。
『後藤、何して……うわあああぁぁぁっ!!』
 言い切る前に、その声は悲鳴となって響いた。直後重なったのは不自然な衝撃音とノイズ。
「井隼! 何があった! おいっ!」
 血相を変えて呼び掛ける片岡に、見守る三人の顔色も徐々に失せていく。
 何かがあった。井隼に? それとも、絵梨香に?
 返事のない井隼に、片岡は何度も呼び掛け続けた。やがて、ガサガサと擦れるような音の後、震えた声が届いた。
『ご……ごと……が』
「後藤がどうしたんだ!」
『さく……血を……何で……っ』
「落ち着け井隼! 今どこだ!」
 パニック状態になっているのか、要領を得ない説明をする井隼を、片岡は鋭い一喝で叱りつける。それで少しは落ち着きを取り戻したのか、井隼からは弱々しく『不断桜』の側にいる旨が告げられた。
「わかった! すぐ行くから待ってろ!」
 通話を切ると、片岡は焦燥の色濃い表情で三人の方へと振り返った。
「『不断桜』まで急ぐぞ! 貴子、中田に連絡してくれ! 俺は尚志にかける」
 早口で指示を出すと、急ぎ足で参道に向かいながら、片岡は携帯のメモリーから尚志の番号を呼び出しコールする。貴子も言われた通りに中田へと連絡をつけた。
 通話が繋がるのを待たずに片岡が駆け出すと、あとの三人もそれを追って走り始める。
「尚志、井隼が後藤を見つけた!」
「中田君、後藤さんが見つかったの!」
「『不断桜』だ!」
「『不断桜』らしいわ!」
「そっちの方が近いだろ!」
「井隼がいるの。急いで!」
 走っている為に怒鳴るようになりながらも、片岡と貴子が簡潔に説明すると、それぞれ電話先では了承の言葉が返った。頷き合ってそれを確認すると、二人はそれぞれ携帯をしまう。
 そのまま四人は無言で暗い参道を走り続けた。
 断片的に聞こえてきた井隼の声が、今まで必死で抑えてきた悪い考えを嫌でも思い起こさせる。
 井隼が見つけた絵梨香は、どんな状態だったのか。
 想像したくはないのだが、誰もが無残な姿に変わり果てた絵梨香の姿を脳裏に思い浮かべてしまった。
 それを口にしてはいけないと思うからか、それとも声を発することすら恐ろしく感じてしまうのか、ただ参道を駆け抜ける音だけが周囲に響いてゆく。
(『血が』って、言ってた……)
 井隼の言葉を思い出しながら、麻子はこみ上げる不吉な考えを飲み込むかのように、唇を噛み締めた。
(大丈夫。きっと井隼君のことだから、ちょっと大袈裟になっちゃっただけ。ああ、でも、ただの怪我であそこまで叫んだりは……ううん! 井隼君なら早とちりしてってこともあるし……!)
 無理矢理にでも楽観的に考えようとして、その考えの説得力のなさに涙腺が緩む。今にも溢れてしまいそうな涙を、ぐいと手の甲で拭って押し止めた。
 泣いている場合ではないのだ。そして、まだ最悪の結果と決まったわけではない。
 視線を少しずらせば、やはり悲壮な表情の聖が目に入る。
 元はといえば、麻子が宴会に誘わなければ、聖はこんな状況に巻き込まれずに済んだはずだった。そう思うとますます申し訳ない気分が積み重なっていく。
(ごめん、聖ちゃん。ごめんね)
 ただ、麻子には言葉にできない謝罪を心の中で繰り返すしかできなかった。
 鬱蒼と茂る樹々の枝葉で、空はほとんど望めない。微かに覗く夜空も、未だに厚い雲が切れることなく横たわり、星月の明かりを覆い隠していた。
 闇は、深まる一方だ。
 まるで自分達の行く末を暗示するかのように。

 そして、麻子達が四人辿り着いた先には、信じがたい悲劇が待ち受けているのだった。