片恋水葬

自分勝手な夢を見よう

 いつからだろう。こんな風にコイツと面と向かって話すことを避けるようになったのは。そんなことを考えながら、隣でコーラを美味そうに飲んでいる姿を、横目で盗み見た。
 夏の夜、誰もいない海で、いい歳をした男が二人。酒でもあればまた違うだろうに、二人とも飲んでいるのがソフトドリンクというのが、妙に青臭い気分にさせる。
「で、話って何だ?」
 悟が、スナック菓子を差し出しながら促す。袋の中に無造作に手を突っ込み、中の菓子をがっつりとまとめて掴み出すと、強引に口の中に放り込んだ。しまった。入れ過ぎてちょっと歯茎に破片が刺さった。
「おまっ! そんな一気に食ったら俺の分が無くなるだろうが!」
「ふぁひぃふぁひぃ」
「飲み込んでから喋れよ、きったねぇな!」
 叱りつける声に頷きながら、何とか咀嚼してオレンジジュースで飲み下す。呆れたような溜め息が、悟の口から零れた。
「ったく……。なーんでこんな奴がモテるんだろうなー」
「誰がモテるんだよ」
「おまえだよおまえ。覚えがないとは言わせねぇからな」
「……うん、そうだな。すまん」
「うっわ! ムカつく! そこで謝んなよばーか!」
 心底嫌そうに顔を顰める悟だが、謝って然るべきことをしてきたのだ、俺は。
 俺の優柔不断と思いこみの所為で、大切な人たちを揃って傷つけてしまった。悟と、紗貴と、そして千夏。きっと、俺さえしっかりしていれば、誰も今ほど傷つかなかったはずなのに。
 突然、鮮烈な痛みが走り抜ける。沈み込む俺の思考を邪魔するに充分な威力の、悟の空手チョップだった。
「ってーな! いきなり何すんだよー」
「おまえが辛気臭いツラしてっからだろ。んな顔する前に、さっさと用件を話せ。俺も暇じゃねぇんだよ」
 悟はにこりともせずに言ってのける。けれど、怒っているわけではない。これがコイツのデフォなのだ。コイツが優しくするのは、仲間内では千夏にだけだった。だからこそ、俺は勘違いをしてしまったわけだが。
「あの、さ……。紗貴にフラれた」
「知ってる」
「そっか、知ってたか……って知ってた!? 何でだ!?」
「紗貴が、わざわざ俺に、『拓人のところに別れ話しに行ってくる』って教えてくれたから。ついでに、別れ話が終わった後にも会ったよ。それなりに清々しい顔ではあったな」
「何だよそれー。落ち込んでんのは俺だけかよー」
 何だか緊張していたのがバカバカしくなった。悟がこんな風に言うからには、紗貴自身はもうかなり吹っ切れているのだろう。
「おまえが落ち込む必要がどこにあんだよ。フラれたっつったけど、実質的にフッたのはおまえの方だろうが」
 追い打ちをかけるような悟の台詞が、ガツンと脳天に突き刺さる。もしやコイツ、俺に止めを刺しに来たのかもしれない。
「そう……なんだけど、さ……」
 いや、でも、これくらいで済むならば、全然いいのだと思う。むしろ、もっと罵倒されてもおかしくないことを、俺はやってしまったわけだし。そもそも、未だにこうして友人として隣に並んでいてくれるだけでありがたいのだ。
「……で、いつ行くんだ? さっさとしないと、千夏の方もどんどん話が進んじまって、取り返しつかないことになるんじゃないのか?」
「明日の朝一で行ってくる」
「そっか。あれ? そういや、千夏の実家の場所知ってんのか?」
「知ってるよ。何度か送ってったことあるし、一応千夏の親にも会ったことあるし」
 そう言うと、悟が呆れきった顔で天を仰いだ。見上げても、暗い空ばかりで、星などほとんど見えないだろうに。
「おまえ、本当にどうしようもない馬鹿だよなー」
「改めて心の底から思ってる風に言うなよ」
「改めて心の底から思ったから仕方ないだろ。普通、親にまで会ってんのに、何にも脈がないとか思うかー?」
「それはあれだ。恋は盲目ってヤツだ」
「適当な言い訳しやがって……」
 そう言うと、コーラをグッと飲み干し、新たなスナック菓子の袋を開けた。これはもう、やけ食いに入っている気がする。
「まあ、その馬鹿でどうしようもないおまえが、ようやくちゃんと行動しようって思い至ったことだけは評価してやるよ」
「サンキュー」
「九割以上は、紗貴の功績だけどな」
 ほとんど俺の部分はなかったが、それはもっともだと思ったので反論はできなかった。
 俺が決意できたのは、紗貴が背中を押してくれたからだ。でなければきっと、千夏が見知らぬ男のものになるのを、指をくわえて見ているだけだっただろう。
「結婚式には呼べよ」
「上手くいったらな」
「ちゃんと、紗貴もな」
「いや、それはさすがに……。紗貴も見たくなんかないだろ」
 いくら何でも、それは無神経な気がした。確かに、紗貴と千夏は付き合いも長いし、親友同士だけれど、俺は紗貴を捨てて千夏をとったと言えるわけだし。千夏も、俺と紗貴が付き合っていたことを知っているわけだから、呼ぶには抵抗があるだろう。だが、
「今すぐだったら無理だけど、実際に式挙げるとかなったらもっと時間あるだろ。その頃には平気になってるように、俺がどうにかするよ」
 そう言い切る悟の横顔に、その心配が無用なのだと気づいた。
 悟も、俺と同じく決意を固めたのだ。そして多分、俺よりも目標達成が困難だろう。それでも、きっとやり遂げるのだと思う。悟は俺よりもずっと、紗貴を理解し大切にできるだろうから。
「……おまえ、本当に自ら苦労を買って出るタイプだな」
「自ら不幸になろうとしてたやつには言われたくないぞ」
「それは確かに」
 ごもっとも、と笑うと、ようやく悟の顔にも笑みが見えた。その笑顔が、俺に更なる力をくれる。
「でも、もう俺も迷わないよ。勝手に思い込んで、勝手にへこんで、その所為で千夏を傷つけてたんだってわかったし」
 きっと俺は、ちゃんと千夏に伝えることができるだろう。今度こそ、自分を偽ることなく。
「わかってるならよろしい。ようやく俺も、千夏の相談役から卒業して、自分の恋愛に全力投球できるな」
「よく言うよ。おまえだって単に紗貴に告白する勇気がなかっただけの癖に」
「うるせ! ばーかばーか! 勘違い自滅野郎!」
「中学生か、おまえは」
 そう言い返したものの、俺自身は小学生並みな恋愛下手だとつくづく実感する今日この頃だ。そんな俺がこうやって一大決心をできたのも、この口が悪くも友情に厚い男がいたからこそ。
「さてと、そろそろ帰るか。俺は明日も仕事だし」
 手についたスナック菓子のかすを払い落しながら、悟が立ち上がる。ふと見ると、四袋はあったはずの菓子袋が、全て綺麗に空になっていた。
「おまえ……、俺ほとんど食ってないだろうが」
「ん? でも、話も終わったんだし、残したら勿体ないだろ?」
「残ったら残ったで、持って帰って非常食にする予定が!」
「そんなもん、これから必要なくなるだろ。千夏は料理も上手いんだし」
 ニヤリと笑う悟の笑顔が俺の成功を確信しているようで、何だかくすぐったい気分になる。呼び出したときは、縁が切れてしまうのではないかとびくびくしていたのが嘘のように、これからも長く付き合っていける親友なのだとわかった。
「……そうだな。気をつけて帰れよ」
「おう。おまえも、事故らねぇように行ってこいよ。結婚式じゃなくて葬式とか、冗談じゃねぇからな」
「わかってるよ」
 最後まで減らず口を叩いて去っていく悟の後ろ姿を見送りながら、ゆっくりと俺も立ち上がる。ゴミと化した菓子の残骸を、レジ袋にひとまとめにすると、自分の愛車へと向かった。
 その脳裏には、妄想と言っていいような夢物語が描かれる。
 真っ白なウェディングドレスに身を包んだ千夏。その手を引くのは、同じく白いタキシードをまとった自分だ。
 そして、そんな俺たちに向かって祝福のフラワーシャワーを乱暴に投げつける悟と、それを窘めながらも便乗する紗貴。その二人の手は、こっそりと握られている。
 都合のいい夢でしかないかもしれない。けれど、そうなる予感がある。悟なら、きっと紗貴を幸せに出来るだろうから。
「お互い、頑張ろうぜ」
 とっくに見えなくなっている親友に向かってそう呼び掛ける。もし本人が聴いていたなら、俺はとっくに頑張ってんだよ、と言われるところだ。
「たまには、自分勝手な夢見たっていいよな?」
 誰もいない助手席に向かって呟くと、いつもそこに座っていてくれたひとが、にっこりと微笑む幻想が見えた。