はなひらかねど

終章 はな ひらかねど

「それで、結婚を前提にしたお付き合いってのに変わったわけ?」
「そうなのよぉ。結婚なんかする気ないって言ってたくせにねぇ」
「うるさいわね。タエだって、『渡辺君なら大歓迎ー!』とかって喜んでたじゃない」
 昼下がりのカフェテラスで、万里江が感嘆の声を上げた。それに咲子が答える前に、妙子が不満顔で続ける。咲子は反論しながらも、妙子の言い分も仕方がないと諦めていた。
 久しぶりに咲子は妙子とともに万里江と会っていた。
 というのも、咲子が晴希と正式に付き合うことになったことを知った妙子が、万里江にメールを送ったのだ。
 それを見た万里江は、詳しい話を聞かせなさいと、半ば脅しのような電話を咲子に掛けてきたのだった。
「でも、どういう心境の変化? あれだけ渡辺君は友達だって言い切ってたじゃない」
「渡辺は今でも友達だと思ってるわよ」
「えぇ? そうなのぉ? てっきり友情が恋に発展したんだと思ってたんだけどぉ」
 妙子が目を丸くしてそう言うと、咲子はまた鬱陶しそうに顔を顰める。それをまあまあと宥めながら、万里江が話の続きを催促した。
「じゃあ、男女の好きっていうんじゃないんだね」
「そうだと思うわよ。恋愛感情ってもんを、未だによくわかってないから何とも言えないけどね」
 咲子の返答が理解できないのだろう。妙子は眉間に皺を寄せて、何度も首を捻っていた。
 恋愛体質の妙子が理解できないのも無理はないと思う。何より、咲子自身が一番自分の言動を信じられなかった。以前の自分ならば、間違いなくふざけたことを言わないでと怒りをあらわにし、即座に縁を切っていたと思うのだ。
 けれど、茶化して言った咲子の言葉を晴希が肯定した時、咲子はあまりにも自然過ぎる晴希にただ驚くばかりだった。
 咲子はどうなのかと訊ね返されても、素直に二人でいる将来を想像してしまっていた。
 そこで晴希が口にした未来図が、自分にとっても不愉快ではないことに気付いたのだ。
 恋愛ではなくても、お互いに居心地がよく、かけがえがないと思う気持ちがある。それだけでも、充分に一緒にいる理由になるのではないか。
 そう思い至ったら、ごく自然に晴希の言葉を受け入れている自分がいた。
「うーん、でもさ、それってやっぱり恋愛なんじゃないのぉ? サキの今いるポジションを誰かに取られちゃったら、嫌でしょう?」
「……嫌、ってほどじゃないけど、面白くはないかもね」
「ほらぁ! だったらそれは恋よ、恋! サキの初恋ね!」
 理解できない事象を無理やり理解しようとしているのか、妙子は強引に結論づける。その様子に万里江は肩を震わせて笑い出し、咲子は憮然とした表情で小さく息をついた。
「何が初恋よ。嫌よ、そんなの」
「じゃあ、何よぉ」
「至上の友情、ってところかしらね」
 そう笑う咲子に、今度は妙子が眉根を寄せる。
 咲子が笑えば妙子が顔を顰め、妙子が笑えば咲子が顔を顰めるという繰り返しに、本当に正反対な双子で面白いと万里江は小さくふき出した。
「何がおかしいのよぉ」
「ごめんごめん。顔が同じだけに、余計にねー」
 なおも笑い声を堪え切れない万里江に、二人は揃って渋い表情に変わった。
 そのタイミングがぴったり過ぎて、万里江はとうとう腹を抱えて笑い出す。
 これはしばらく治まりそうにないと呆れた咲子だったが、ちょうど鳴り出した携帯電話の着信音に救われた。
 ディスプレイに表示された文字は、渡辺晴希の四文字。
「渡辺だわ。ちょっとごめん」
 謝辞を残して席を立つと、咲子は一旦店の外に出てから電話に出る。
 なおもしかめっ面をしている妙子と、ようやく笑いが治まり始めた万里江が店内に残された。
「どー見ても、前より余裕があるじゃなぁい。あれのどこが恋じゃないわけぇ?」
「本当に友情だと思ってるってのもあるけど、サキは恋にしたくないんだよ」
「へ? どういう意味?」
 疑問に疑問を重ねた表情の妙子に、万里江はにっこりと笑みを向けてから、再度電話中の咲子に視線を戻す。
 窓ガラスの向こうに見える咲子の表情は、妙子の言うとおり、以前よりも張り詰めた空気が薄れていた。それは、晴希という拠り所が、以前よりも明確な位置付けに変化したからだろう。
「渡辺君への感情が恋だったら、タエちゃんの言うとおり『初恋』になっちゃうでしょ? 『初恋は実らない』ってよく言うじゃない」
「サキって、変なところはジンクス信じるのね。でも、それならやっぱり結局のところは『恋』なわけね!」
「それもどうかなー」
 やっと納得できると言わんばかりに身を乗り出す妙子に、万里江は意地悪く笑ってみせた。どっちなのよぉと、妙子は口唇を尖らせ、頭を抱えてしまう。
 店の外に立つ咲子の元に、駆け寄ってくる晴希の姿が見えた。
 互いに見合わせる表情からは、確かに愛しあう恋人達というよりも、気の許せる友達同士という方が相応しい雰囲気を醸し出している。
 恋じゃない、と咲子が言い切るように、そこにあるのは友情なのかもしれない。
 恋愛と結婚は別物とかつて自分が言い放った言葉を思い返して、万里江は妙に納得した気持ちになっていた。
「ま、恋愛だけが結婚への道ってわけじゃないからね」
「そんなもんなのぉ?」
「そんなもんなんだよ、きっと」
 悟ったような万里江の言葉に、妙子はしばらく難しい表情になる。
 けれど、肩を並べて店内に入ってくる最上級の友達同士に、やがて頬を緩ませた。


 花開くばかりが、人生ではない。
 花開いても、実らず朽ちるものもある。
 それを繰り返し繰り返し、ようやく実をつける。

 ――そして時には、花開かねど、結ぶ実もある。

はなひらかねど [fin] Conclusion:2010.12.21