はなひらかねど

第二章 はな わづらはし

 合コンの日以来、咲子は晴希と顔を合わせる機会が増えていた。
 今まで互いを知らなかった為に気付きようもなかったのだが、幾つか同じ講義もとっていたからだ。その流れで、そのまま昼食を共にすることも多かった。
 それに加え、晴希と電話番号やメールアドレスも交換していた。咲子から連絡をとることはあまりなかったが、しつこくない程度に晴希から食事の誘いがあったのだ。
 いつもならば、異性からの誘いは煩わしく思うのだが、晴希の場合はそんな感情が湧かなかった。
 晴希は、本当に『友達』として接している。そんな風に自然に信じてしまうのも、晴希と普段交わす会話のほとんどが、食べ物に絡んでいたからだ。
 その会話の数々を思い出し、咲子は小さく笑いを零す。
 晴希に誘われて出掛ける時は、大抵「○○にあるお店が美味しいから付き合って」という誘い文句だった。
 どうやら、晴希は美味しいと評判のある店を、暇があれば回っているらしい。
 注文した料理をじっくりと観察し、時にはスタッフに調理法などを聞いているので、
グルメを気取っているわけでも、ただ食べ歩くだけが目的というわけでもなさそうだった。
 不思議に思って、ある日昼食を一緒に取っている時に訊いてみると、意外な、けれど納得できる答えが返ってきた。
「俺、将来お店出したいんだ」
 少し照れながらも、晴希は自信をのぞかせてそう言い切った。
 料理を食べて幸せそうな笑顔になる瞬間が好きなのだと、晴希自身が眩しいばかりの笑顔を見せた。
 その笑みに、出先でも咲子が食事をとる様子を嬉しそうに眺めていたなと思い出す。
「でも、それだったら何で普通の大学入ったの? 調理師学校とかもあるじゃない。それとも、大学入ってからお店出したいって思いだしたわけ?」
「いや、高校の時から思ってたよ。でもさ、お店持つのって料理できるだけじゃ駄目だろ? だから経営の勉強もしようと思ってね」
 それから晴希は生き生きと瞳を輝かせながら、将来の夢について語り出した。
 高校時代から、学校に禁止されているにもかかわらず、知り合いのお店で働かせてもらっていたこと。
 その店の味と雰囲気が好きで、自分の目標としていること。
 夢の為に、色んな店の味を知り、勉強し、自ら試行錯誤を繰り返しているということ。
 晴希が料理に対して自信を持っていたのは、それらの積み重ねがあったからなのだとようやく咲子は合点がいった。
 だが、一つだけ晴希の話に納得できない部分があった。
 それは、晴希が持ちたいという店の種類だ。
「でも、どうして居酒屋? それだけ頑張ってるなら、小料理屋とか洋食屋でもいいじゃない」
 咲子の疑問に、晴希は笑みを更に深めた。
「咲子さんさ、居酒屋の率直な印象って何?」
「そうね……。学生やサラリーマンが多い、比較的安い、但し料理やお酒はイマイチなことも多い。こんなところかしら」
 指折り数えながら咲子が一つ一つ挙げていくと、晴希はそれにうんうんと頷いている。
 同意を示すのなら何故、とますます疑問の色が濃くなった。
「じゃあさ、美味しくて、でもリーズナブルな居酒屋とかあったら嬉しいよね?」
「そりゃ嬉しいわよ。友達と呑みに行くことだってあるんだし、値段が変わらないなら、絶対に美味しい方がいいじゃない」
「うん、俺はそういう店を作りたいわけ」
 変わらぬ笑顔で答える晴希だったが、それでも咲子はまだ納得しきれなかった。
 それならば別に、他の飲食店でも問題がない気がしたのだ。
 そんな咲子に気付いたのか、晴希は更に言葉を繋げた。
「大学時代の出逢いって貴重だしさ、社会人になった時の付き合いだとかってのも大事だろ? で、そういう時に一番頻繁に使われるのって居酒屋だと思うんだよな。その居酒屋がさ、美味しい料理と落ち着く雰囲気を提供できたら、たとえばコンパや飲み会が盛り上がるのに一役買えると思うし、まだ打ち解けてない会社の上司とも話が弾むんじゃないかなーって。やっぱり、美味しいもの食べてる時って、人間幸せだろ?」
 そこで、ようやく咲子はそこまで考えがあったのだと腑に落ちた。
 同時に、晴希が思っていた以上にしっかりと将来を考えていることに感心してしまった。
「渡辺って、意外に計画性あるのね」
「意外にって……、俺そんなに行き当たりばったりに見える?」
「あ、ごめん。見える」
「咲子さーん!」
 口ではそう言ってからかいながらも、心の中では尊敬する気持ちが生まれていたのは確かだった。
 そして、同時に羨ましくもある。
 咲子はこれといって将来を決めているわけではなかった。
 経営学部を選んだのも、両親の営む飲食店の助けになればいい程度の考えで、あとは就職時に大卒であったほうが幾らかマシなはずだと考えたからだ。
 晴希のような明確なビジョンがあるわけでない自分が、少し恥ずかしくなった。
 けれど、それを表に出しても仕方がなく、これから自分自身で見つけていけばいいと前向きに考える。切り替えが早いのも、咲子の長所の一つだ。
 妬みにも似た微かな感情はさっさと頭の隅に追いやって、素直に晴希を応援することを決めたのだった。


 そんな風に咲子と晴希の友好的な関係が続いている中、妹の妙子が咲子の行動の変化に気付いたようだった。
 以前に比べて出かける回数が増えたので、それも仕方がないだろう。
 その日は晴希ではなく、高校時代の友達との約束で出掛けようとしていたのだが、玄関先まで妙子は見送りに出てきたかと思うと、ニヤニヤしながら咲子の服の裾を引っ張った。
「何よ、気持ち悪いわね」
「サキさぁ、もしかしてデートぉ?」
「はぁ? 今日はマリに会うって言ったじゃない」
「でもぉ、最近よく出掛けるでしょお? もしかして、この間の合コンで彼氏できちゃったのかなぁって……」
 合コンでの出逢いで付き合いが増えたことは確かだが、晴希は友達でしかない。
 下手に嘘をつけば、うるさく追及されるだろうと思い、咲子は「友達ができただけよ」
と素っ気なく返した。ところが、『友達』というフレーズに、妙子が思った以上の反応をした。
「友達ぃ? そんなこと言ってても、絶対サキに気があるってぇ!」
「アンタの価値観で測らないでくれる? 渡辺はそういうんじゃないわよ」
「へぇ、渡辺君っていうんだぁ。ね、ね、かっこいいの?」
 明らかに話を聞いていない妙子に、咲子の苛立ちは増すばかり。
 けれど、そんな空気も読んでくれないのが、妙子が妙子たる所以だ。背は? 車は? などと、咲子にとってはどうでもいいような質問を幾つも重ねていく。
 不機嫌が頂点に達した咲子は、いまだに服を掴んでいた妙子の手を乱暴に振り払い、玄関のドアを開けた。
「タエ、うざい。これ以上そういうこと言うなら、二度とタエの頼みごと聞かないから」
 早口でそう言い残すと、振り切るように外へ出た。背後からは、縋るような妙子の謝罪の声が聞こえる。それを無視して足早に駅へと向かい、目的地へと繋がる電車に乗り込んだ。
 待ち合わせの場所は、最寄り駅から二駅目にあるターミナル側の喫茶店。咲子が辿り着いた時にはすでに友人の姿があった。
「早いね、マリ。私も早めに来たつもりだったのに」
「いつもサキを待たせちゃうからねー。今日は勝った」
 小さくガッツポーズを作るマリこと真田万里江に、咲子は先程までの苛々を忘れて笑みを零した。
 万里江の座る席の正面に腰を下ろし、空いている椅子にバッグを置く。
 店員が注文を取りに来たのでホットコーヒーを頼んだ後、つい大きな溜め息をついてしまった。
「何? 既に疲れてない?」
「うん、まあ。出がけにタエがね」
 思い出すと自然と眉間に皺が寄る。
 咲子のうんざりとした表情に、万里江はくすくすと笑い出した。
「タエちゃん、相変わらずなんだ?」
「相変わらず過ぎよ。少しは成長ってモンをしてくれないかしら」
「とか言いつつ、サキはタエちゃんに甘いもんね」
「そんなことないって。結構厳しく言ってるわよ?」
 万里江が言うほど、妙子を甘やかした記憶はなかった。
 むしろ、何かやらかす度に、きつい言葉で叱責したことの方が多いと思う。
 しかし万里江は、不満そうな咲子に頭を振った。
「口で言ってても、結局タエちゃんを突き放せないでしょ? 最終的には、絶対助けてるんだもん。そりゃあ、タエちゃんもサキ離れできないと思うよ」
 二人のことをよく知る万里江に言われてしまっては、返す言葉もなかった。
 確かに、咲子はいつも妙子を見放すことができない。それは身内の情もあるだろうし、妙子自身に切り抜けるだけの力がないからだと理解しているからだ。
 けれど、第三者から見た場合、それは妙子を甘やかしているとしか見えないらしい。
「そっか、私、甘いのか」
「ま、サキに彼氏でもできれば変わるんじゃない?」
「何で?」
「彼氏ができたら、必然的にタエちゃんと一緒の時間減るでしょ? 時には、タエちゃんより彼氏優先することだってあるはずだしさ、タエちゃんが甘える機会が無くなるんじゃないかな」
 万里江の言い分はわからなくもなかったが、それはかなり現実的ではないと思わずにはいられなかった。
 咲子は彼氏など必要としていない。作るつもりもない。それは、長い付き合いの万里江だって、充分に承知しているはずだった。
「まーた難しい顔してー。どうせ『彼氏なんて作らないから、そんなのは空論だ』とか思ってるんでしょ」
「わかってるんじゃない」
「タエちゃんもだけど、サキも相変わらずだねー」
 久しぶりに会っても変わらぬ咲子の頑なさに、呆れるというよりは感心したといった様子で万里江は吐息を洩らした。
 そんな万里江の態度を不服としたのか、話の途中で運ばれてきていたコーヒーにミルクだけを加え、少し怒ったようにしつこいくらいかき混ぜる。
「そういうマリはどうなのよ」
「私? 私も相変わらずよ。子供と旦那の世話で、手一杯」
 面倒臭そうな口振りとは正反対に、万里江の表情は幸せに満ちていた。
 万里江は高校を卒業してすぐに、以前から付き合っていた二つ上の先輩と結婚をした。
 いわゆる『できちゃった婚』ではあったのだが、もともと二人とも結婚も視野に入れていたらしく、二年ほど経った今でも円満に過ごしているようだ。
 恋愛に興味のない咲子ではあったが、万里江のような人生も悪いものではないと理解している。
 自分には到底できないとは思うが、家事や子育てに追われつつも充実感を伴った表情の万里江は、とても輝いて見えた。
「でもね、子供は良いよー。サキも早いうちに結婚して、さっさと産みなよ」
「あのね……。恋愛しないって言ってる人間に、『早く結婚して子供産め』はないでしょ」
「何言ってんの。恋愛と結婚は違うんだから」
 その言葉は、一般的によく耳にするものではある。
 けれど、まさか完全な恋愛結婚の万里江の口から出てくるとは、思いもしなかった。
「でも、真田先輩のこと、好きで結婚したわけでしょ?」
「そうだよ。でも、ただ好きなだけだったら、結婚しなかったと思うもん。まだ若いんだしさ」
「そうなの?」
 疑問だらけの咲子の問い掛けに、万里江はゆっくりと頷いた。
 それでも、お見合いなどでもない限り、結婚は恋愛を経て辿り着くものだと思っていた咲子には、俄かには理解できない話だ。
「理解不能?」
「そうね。まあ、結婚する気ないから、私には関係ないとも思うわ」
 苦笑混じりに、素直に答えると、万里江は「サキらしいね」と一緒になって笑った。
 それから、しばらく互いの近況などを語り合った後、夕食をとる為に店を移動することにした。万里江が、お気に入りのお店があるのと案内してくれたのは、日本的な外観の小料理屋だった。
「いいお値段しそうね」
「そう思うでしょ? でも、そうでもないんだよ。コースの金額も幅広いし」
 大体、うちの旦那の稼ぎじゃ、そんなに高級なお店には行けないわよ、と冗談めかして笑う万里江に、失礼ながら咲子も納得してしまった。
 笑みを交わし合いながら、入口を開け暖簾をくぐると、木目の温かさを感じる、落ち着いた雰囲気の内装が目に入ってきた。
 カウンター席が五席と、四人ほど座れる座敷が三つで、人数が多ければ、テーブルを繋いで対応できそうな様子だ。
 全体的にこぢんまりとまとまっている店内は、まだ開店時間から間もないためか、他の客の姿はない。
 いらっしゃい、とカウンターの中から大将らしい男性が低く渋い声音で発すると、追いかけるように若い男の声で同じ言葉が続く。
「二人なんですけど、お座敷でも大丈夫ですか?」
 万里江がそう訊く間に、奥の座敷を整えていたらしい若い店員が小走りに近寄ってきた。
「大丈夫ですよ」
「咲子さん?」
 大将が答えるのとほぼ同時に、咲子のよく知った声が被さった。
「え? 渡辺の働いてるお店って、ここだったの?」
「サキ、知り合い?」
「何だ、ハル坊の友達か?」
 咲子は晴希を、万里江は咲子を、大将は晴希を、それぞれ驚いた表情で見つめていた。
「大学の友達なんです。真田さんの奥さん、咲子さんのお友達だったんですね」
「そうなんだ。でもバイト君がサキの友達だなんて、すごい偶然だね」
「俺もびっくりしました。あ、すいません。お座敷ですね」
 世間話になりそうなところで、晴希が我に返って二人を座敷へと案内する。
 予想外のところで会ってしまい、何だか奇妙な気持ちを抱えながら、咲子は座敷に上がり、腰を下ろした。
 晴希は慣れた手つきでお茶やおしぼり、お品書きなどを用意し、「お決まりになったらお呼び下さい」と言い残してその場を離れていく。
「てことは、ここが目標のお店ってことか」
「え? 何?」
「ううん、何でもない。注文は万里江に任すわ。結構来てるんでしょ?」
 晴希が万里江の苗字を知っていたことからも、この店にはそれなりの回数訪れているとわかる。ならば、何が美味しいのかもある程度知っているだろうと思い、咲子は万里江に任すことにした。
 お品書きに目を落とす万里江を余所に、咲子は改めて店の中を見回す。
 白木に貼られた、『本日のおすすめ料理』の達筆な文字。品良く飾られた、書と季節の花。座敷席の灯りは控え目で、補うような形で間接照明が置かれている。
 よくある居酒屋の雑然とした雰囲気とは似ても似つかない。
 けれど、もしここを手本とした居酒屋を作るのなら、咲子にとっては非常に好ましい空間が出来あがるのではないかと思えた。
「この『椿』のコースでいい? 値段も量も丁度良さそうだし」
「いいわよ」
「じゃあ、呼ぶね。すいませーん」
 呼び声に、晴希が元気の良い返事を返し、早足でやってくる。
 万里江が注文を告げると、伝票にすばやく書き留め、しっかりと確認してから戻っていった。
 万里江は晴希が厨房の方へと入ることを見届けると、少し声を潜めて咲子を見遣る。
「それにしても、珍しいね。サキに男友達って」
「うん、まあ、私もそう思うわ」
 大学では、サークル活動などもしていない咲子は、男友達を作る機会などほとんどなかった。当然顔見知りの男子はいるけれど、話しかけられれば答える程度で、それ以上親しくなる必要性も感じていない。試験や講義に関する情報を交換できる女友達が数人いれば、何の不自由もなかった。
 高校時代にも、ほとんど男友達がいなかった咲子を知っている万里江には、不思議に思えたのだろう。
「仲、良さそうじゃない」
「食べ物の好みは合うのよね。よく食べ歩きに付き合わされたりするし」
「……ねえ、付き合ってるってわけじゃないよね?」
 更に声を低くし、窺う様子の万里江に、咲子は反射的に顔を顰めてしまった。
「マリまでそういうこと言う?」
「ってことは、他にも言われたんだ」
「タエよ。来る前にウンザリすることがあったって言ったでしょ」
 おしぼりの端を苛々といじりながら、咲子は盛大な溜め息をつく。
 それになるほどと思ったのか、マリはすぐさま謝罪し、言葉を続けた。
「タエちゃんにしつこく訊かれたんだ。でも、普段のサキを知ってると、それも無理ないかもね」
「友達だって言ってんのに、しつこ過ぎるのよ、タエは。あの何でもかんでも恋愛に結び付ける思考回路はどうにかしてほしいもんだわ」
 憤慨する咲子を、興味津々の眼差しで万里江が見つめる。
 万里江も僅かながら、咲子と晴希の関係を疑っているようだった。
「言っとくけど、本当に何もないわよ。渡辺も、今は恋愛嫌悪気味だし」
「そうなの? 結構モテそうなのに」
「だからなんじゃない? 話聞く限りでは、かなり辟易してるみたい」
「あー、モテるが故の苦悩かー」
 羨ましい限りねと茶化すような万里江に、そんなもんかしらと咲子は常と変わらず淡々とした口調。
「でも、そう考えたらちょっと似てるよね、サキと渡辺君」
「どこが?」
「モテるのに、恋愛したがらないところ」
 自信満々に言う万里江に、咲子はまたも眉間に皺を寄せた。
 今までの人生で、モテた記憶などない。それに、もし万里江の言うとおりだったとしても、咲子にとっては迷惑以外の何ものでもなかった。
 咲子の表情から、何を考えているのか悟ったのか、万里江は苦笑を零す。
 しかし、ふと真面目な顔に戻り、
「でもさ、もし渡辺君に彼女できたらどうするの?」
 そんな質問を投げかけてきた。
 言われてみれば、それはさほど可能性が低くないことに気付く。
 咲子とは違い、もともと晴希には過去に付き合った女性が何人かいる。
 今は恋愛する気がなくても、そのうち今までとは違って、晴希が心を許せるような相手が出てくることも有り得るのだ。
 そんな状況を少し想像してから、咲子は徐に口を開いた。
「どうもしない、かな」
「どうもしない?」
 咲子の答えに、万里江は意外さを隠せないようだった。
 補足するように、咲子は続ける。
「別に、恋愛は渡辺の自由だし、彼女出来たらそれはそれでおめでとうって話じゃない。ただ、やっぱり彼女に申し訳なくなるから、今みたいに一緒にご飯食べに行ったりってのは出来なくなるでしょ。それは少し惜しいかな」
「惜しい? 寂しい、じゃなくて?」
「うん。惜しいっていう方が適切な気がする。渡辺って、色々と楽なのよね。気を遣わなくていいし、妙に女扱いしないし。何か『男』って感じないのよ」
 恋愛対象として相手を見る時、やはりそれが態度や行動に現れると咲子は思っている。
 自分をよく見せようとしたり、共通点を見つけ出そうとしたり、言い方は悪いが、媚を売るような発言や行為が見えるだろう。
 しかし、晴希は咲子を対等に扱う。自分を下げるわけでも、咲子を持ち上げるわけでもなく、同じ目線で話し、行動するのだ。
 それが咲子にはとても心地良かった。
「ふーん、本当に友達なんだー」
「だから、そう言ってるじゃない」
「じゃあさ、もう一個質問。怒らないで答えてね」
 そう前置きすると、万里江は少し顔を近付け、咲子にだけ聞こえる声で囁いた。
 「渡辺君に付き合ってくれって言われたら、どうするの?」と。
「失礼します」
 タイミングがいいのか悪いのか、晴希がお盆に数品の料理を乗せて運んできた。
 すぐさま万里江は身体を引き、愛想笑いのようなものを浮かべる。
 素朴な味わいのある器にセンス良く盛られた料理を、丁寧な手つきで並べると、晴希は簡単に料理の説明をした。
「あれ? このカブのみぞれあんって、コースに入ってなかった気が……」
 お品書きになかった一品に気付き、万里江が晴希に確認をとる。
 すると、晴希は砕けた表情で笑った。
「それは、俺からのサービス。美味しいと思うから、食べてみて」
 言葉の後半は、咲子に向けられていた。
 多分、「咲子の好みの味だから、食べてみて」なのだと判断する。
「よし、食べよう! あー、どれも美味しそう! いただきます!」
 嬉しそうに声を上げる万里江に、咲子も同じ思いを抱きながら、箸を手に取った。
 手を合わせて小さくいただきますと呟くと、早速晴希の好意であるカブから箸をつける。
 一切れ口に入れると、しっかりと出汁が染み込み、優しい甘さを持ったカブの旨みが拡がった。
「ホントだ。美味しい」
 食事に行く機会が多いだけあって、咲子の好みをしっかりと理解しているらしい。
 思わず笑みが零れそうな美味しさに、咲子の箸は進んだ。
「で、さっきの答えは?」
 横目でチラチラと晴希の動きを確かめながら、万里江が答えを促す。
 食事の満足さに、一瞬何の話だったかと忘れかけていた咲子は、ああと小さく声を上げると、眉尻を下げた。
「それは困るわ」
「え? 困るの?」
「だって、そういうのがないから、渡辺とは一緒にいられるんだし。そんなことを言われたら、一瞬で渡辺を嫌いになりそう」
 それは、咲子の本心からの言葉だった。
 恋愛感情が差し挟まれた瞬間、晴希と過ごす居心地の良い時間はなくなってしまう。
 そう思うと、晴希に彼女ができてしまう以上に、避けたい状況に思えた。
「でも、気は合うんでしょ?」
「だから、友達だからこそ、なんじゃない? 恋愛になったら、男の態度って変わるもんだと思うし」
 本当に、恋愛など煩わしい。改めて咲子はそう感じる。
 どうして、男女が一緒にいるだけで、真っ先に恋愛関係を疑われるのか。
 今後も晴希との関係を、こんな風に勘繰られるのかと考えるだけで憂鬱になり、ますます恋愛に対してプラスの感情を持てなくなるのだった。