はなひらかねど

第一章 はな しらぬひと

 ――すっげぇ、つまんなそう。

 初対面の相手に対して失礼な感想だとは思ったけれど、それが晴希の率直に感じた印象だった。
 岡本咲子と自己紹介をした彼女は、明らかに他の女性メンバーと異なる雰囲気を持っていた。一言でいえば、クール。細かく説明をすれば、無口で媚びなくてマイペースで、それでも最低限周りの雰囲気を壊さない程度に気を遣っている。
 多分、この合コンに関しては、彼女の本意で参加しているのではないのだろう。晴希はそう読んでいた。
 だからこそ、興味が湧いたのだ。どんな人なのだろうと。
 しかし、それは彼女を『女』として――言い換えれば、恋愛対象として――ではなく、『一個人』として気になったという意味だ。
 何より晴希が一番気になったのは、コンパが始まって最初の方にあった質問に対しての答えだった。
 それぞれ一人ずつから質問を出し、それを順に答えていくという形式で、一人の女の子が発した質問が『初恋はいつ、どんな相手?』というものだった。ありきたりと言えばありきたりな質問だ。
 それに対して咲子の答えは、一瞬誰もが驚くようなものだった。
「初恋はしてないわ」
 短く素っ気ない答えに、質問を出した女の子は「まさかぁ」とか「何かちょっとくらいはあるでしょ」などと新たな答えを引き出そうとしていたが、咲子は曖昧に微笑むと「本当にないわよ。多分、この先もね」と付け加えただけだった。
 白けてしまいそうな空気になったが、そのまま咲子が「じゃあ、私が質問する番ね」と上手く話を切り替えたので、その後も場の雰囲気は保たれた。それでも、その咲子の一言はメンバー全員に、更に言うと、男性陣全員にかなり強いインパクトを与えた。良い意味でも、悪い意味でも。
 その後も、予想通りともいうべきか、咲子の存在は少し異質だった。
 積極的に話に加わらない。しかし、適度に相槌は打ったりして、話は聞いている様子。
 まるで空気のように存在して、彼女は彼女だけのペースで動き続けている。それでも妙に浮いてしまわないのは、絶妙なバランス感覚を備えているからなのだろうと思えた。
 しばらく離れて様子を窺っていた晴希だったが、他のメンバーの恋愛話や自慢話にも飽き、それ以上に咲子と話がしてみたいと思って、彼女の前へと移動した。
 話しかけられた咲子は驚き、多少冷たいとも思えるような言葉もあったが、あからさまに嫌がる態度はとらず、晴希の会話に付き合ってくれた。
 多分、こうして話しかけられるのも嫌いなんだろうとは思ってはいたものの、それでも晴希は咲子と色んな話をしてみたかったのだ。
 とはいえ、最初からあまり細かいことを訊いたりしても失礼だと思い、とりあえずは世間話程度の話題で間を繋ぐ。
 まだ二次会もあることだし。そう思っていたのだが、居酒屋を出た彼女が「用があるから先に帰る」と言い出したことは予想外だった。
 少し考えれば、無理やり付き合わされた咲子が一次会だけで帰ってしまうことも充分に考えられたのに、悠長に構えていた自分自身の浅はかさが恨めしい。
 二次会の会場に向かおうとしている幹事を慌てて呼び止め、晴希は手短に帰ることを伝えた。幹事を務める友人は顔を顰めて答える。
「晴希、岡本さんは美人かもしれないけど、辞めといた方がいいと思うぞ? なーんかお高くとまってるって感じじゃん。絶対男を見下してるタイプだって」
「そんなんじゃないって。女の子一人で帰したら危ないだろ? それにもともと、俺は人数合わせなんだしさ。岡本さん帰ったなら、俺がいなくなった方が数合うだろ」
「いや、まあ、そうだけどさ」
「んじゃ、またな。楽しんでこいよ」
 軽く肩を叩くと、晴希はくるりと身を翻し、咲子の消えた方角へと駆け出した。まだ居酒屋の前で別れてからそれほど時間は経っていない。
 さほど走らなくても、すぐに咲子の後ろ姿を見つけることができた。
「岡本さん!」
 あと数メートルというところで、声を掛ける。咲子の足が止まり、ゆっくりと振り返った。思わず笑みが零れると、咲子は少し訝しそうに「どうしたの?」と訊ねてきた。
「いや、女の子一人帰らせたら危ないと思ってさ」
「別に大丈夫よ。そんなに遠くもないし、まだ遅い時間でもないし」
 素っ気なくはあるが、冷たくは感じない程度の口調で、咲子は晴希の申し出を断ろうとしているようだった。しかし、実際は自分を鬱陶しく思っているのだろうということくらい、晴希は承知していた。
「てかさ、実はそれはただコンパを抜け出す口実で、ホントは岡本さんと話したかっただけ」
 晴希が正直に告げた途端、咲子の表情が目に見えて強張った。そのまま無言で踵を返し、歩き始める。
「あ、ちょっと! 誤解しないでほしいんだけど! 俺、別に岡本さんを口説こうとかそういうんじゃないから!」
 慌てて晴希は後を追い、咲子の隣に並ぶ。
「じゃあ、何? 私は彼氏とか恋愛に興味ないわよ」
「うん。むしろ、岡本さんのそういう部分に興味があんの」
 刺々しくなる咲子の態度に負けず、晴希は居酒屋では話せなかったことを語り始める。
「俺も今、彼女とかいらないって思ってるし、今日の合コンも数合わせだったわけ。で、今までにも『彼氏いらない』とか言ってる女の子には何人かあったことあるけど、岡本さんはその子たちとも何か違うなーって思って、ちょっと話をしたくなったんだ」
 そこまで話した瞬間、咲子の足がピタリと止まる。
 自分の熱意が通じたのかと思っていると、咲子は晴希を見上げて少し迷惑そうに言った。
「どうでもいいけど、どこまでついてくるつもり?」
「とりあえず、家までかな。送っていく間だけでも話し相手になってくれたらいいんだけど」
 さすがに面と向かって目障りだと言われるかもしれない。そう思って覚悟を決めた晴希に、咲子は呆れたような溜め息をついた。
「私、すぐそこの定食屋に寄るつもりなんだけど、渡辺君どうする?」
「え?」
「だから、さっき居酒屋で結構食べたんでしょ。定食屋はきついんじゃないかって訊いてるの」
 その言葉が、遠回しに話に付き合ってくれるという意味だと気付き、晴希は思わず声高に叫んでしまった。
「あ、問題ないない! 俺の胃袋のキャパは、居酒屋程度では埋まらないから!」
「そ、そう……」
 晴希のあまりの勢いに押され気味な咲子だったが、すぐに気を取り直すと、「こっちよ」と晴希を促した。
 案内された先は、家庭的な雰囲気の漂う店。なかなかの人気店らしく、店内はサラリーマンから家族連れ、大学生まで様々な客層で賑わっている。
 案内されたテーブルに向かい合って腰を下ろすと、咲子はすぐさまメニューを広げて晴希にも見せてくれた。
「ここ、何頼んでもハズレないわよ。さっきの居酒屋と違ってね」
 微かにのせられた嫌味が、合コンに対する咲子の不満の一部を覗かせた。
 咲子の言うとおり、あの居酒屋で出された料理は、お世辞にも美味しいとは言えなかった。
「確かにあれは微妙だったな。ま、安いから仕方ないと言えば仕方ないんだけど」
「安くても美味しいお店はあるわよ。あそこは完全に店の雰囲気で誤魔化してるだけ。お酒も全然美味しくないし」
「岡本さん、厳しいねー」
 色気より食い気、などと言っては失礼になるだろうが、咲子の発言はまさにその言葉が相応しい気がした。見た目のクールの印象とは、また違った側面に、晴希はつい顔を綻ばせてしまう。
「親が飲食店やってるからね。渡辺君、決まった?」
「うん。俺のどストライクなのがあったし」
 晴希の返事に頷くと、咲子は恥ずかしがるそぶりもなく、少し声を張って店員を呼んだ。
 すぐさま「お伺いいたします」と笑顔を湛えた女性店員が注文を受けにくる。
「『和風デミハンバーグ定食』を一つと……」
「あ」
 咲子の注文に思わず声を洩らしてしまった。まさに晴希が頼もうと思っていた品だったからだ。が、今更決め直す間もなく、咲子に悪い気がしながらも、「同じのをご飯大盛りで」と付け加えた。
 店員が注文を確認し戻っていった後、咲子が少し不思議そうに訊ね掛けてくる。
「何でそんなに申し訳なさそうに注文するわけ?」
「え? ああ、何となく、被ると嫌なんじゃないかなと思って」
「……まあ、確かに親しい人とだったら被らないようにするけど」
「うわー、はっきりと親しくない人宣言された」
「親しくはないでしょ。今日会ったばっかりなんだし」
 咲子の言葉は冷たく切り捨てるようにも取れるが、見事なまでに正論でいっそ清々しかった。
 本当に、晴希の今までの人生の中で、周りにはいなかったタイプだ。咲子に対する晴希の興味が、また一つ高まる。
「岡本さんさ、何で恋愛に興味ないの?」
「渡辺君だって、彼女要らないんでしょ? 似たような理由じゃない?」
 触れられたくはないのか、それとも単純に話すのが面倒なだけか、咲子はちゃんとした回答を寄越してはくれなかった。
 しかし、それではわざわざ追いかけてきた意味がないと思い、晴希は食い下がる。
「いや、俺とは違うでしょ。俺の場合は、一応色んな子と付き合ってきた結果、恋愛食傷気味になってるだけで、もともと恋愛に興味がないわけじゃないし。岡本さんの場合は、完全に人生の上で恋愛不要と思ってるんじゃないの?」
「不要、ってわけじゃないけど、ね……」
 億劫そうではあるが、咲子は話し始めた。
「恋愛って、他人のを見てるだけでも疲れるの。私、双子の妹がいるんだけど、その妹が私と正反対の超恋愛体質でね。あの子の一挙一動見てたら、それだけでもうお腹いっぱいって感じ」
 心底疲れると言いたげに、咲子は肩を竦める。そしてその疲れを癒そうとするかのように、水を一口含み、喉を潤した。
「でも、別にそんなに珍しくもないでしょ。私みたいに、『彼氏は要らない』『恋愛に興味はない』って言ってる子、結構いるわよ」
「確かにいることはいる。でも、その場合は、俺と同じように『痛い目を見た』だとか、『うんざりしてる』ってタイプか、そういうことを言って逆に男の気を引こうとする口だけタイプか、どっちかなんだよな」
 全ての女性がとは言わないまでも、今までに自分が関わった異性を思い返すと、ほとんどがこのパターンに当てはまっていた。
 しかも後者は意外に多く、常日頃から「男なんて興味ない」などと言っていた女子が、いわゆる『イケメン』から告白された途端にあっさりと付き合った、などという光景を晴希は何度も見ていた。
「それにさ、初恋してないってのが珍しい。『男要らない』タイプの女の子でも、大抵は初恋くらいしてるから」
「渡辺君の言い方だと、私は超異端児みたいね」
 多少失礼にも思える晴希の発言だったが、咲子はそれに不快さを滲ませることもなく、むしろ面白がるように声をたてて笑った。
 少しは警戒を解いてくれたようだと思うと、晴希の口からは自然と安堵の息が笑みとともに零れ落ちた。
「確かに異端児かも。勝手なこと言うけど、岡本さんとだったら、まともな異性の友達になれそうな気がするんだ」
「異性の友達、ね」
 小さな呟きを洩らすと、咲子はわずかに苦々しそうな表情を見せる。
 何か嫌なことを思い出させてしまったのかもしれない。せっかく友好的な雰囲気になり始めた途端の躓きに、晴希は心の中で自分に対して舌打ちをした。
「本当に、男女間での友情って成立するのかしら」
「岡本さんは、有り得ないと思ってるタイプ?」
「昔は信じてた。でも、途中から信じられなくなった、ってところかな」
 だから、男友達もいないのよ、と咲子は苦笑を重ねる。
 咲子の発言か考えると、過去に友人と思っていた異性と何かあったのだろう。
「まあ、難しいと言えば難しいのかもしれないけどさ」
「ちょっと、今言ってたことと違うじゃない」
「一般論としてってことだよ」
 咲子から軽い批難を受け、晴希はすかさず弁解に入った。
「中学とか高校の頃って、丁度お互い成長期だからさ、それまで異性として意識してなくても、急に気になったりもするもんだしさ」
 小学校からの同級生が、気付いたら体型も変わり、おしゃれなどにも気に掛け始め、一気に大人びてくる。
 かつては平気で手を繋いだりできた相手に、軽く触れることですら躊躇われてしまう。
 それは思春期特有の感覚だろう。
 そして、異性を意識し始めると同時に、自分の恋愛対象としての枠に入るのか入らないのかを、どこかで測っているように思える。
 咲子はさばさばとしているけれど、女らしさもちゃんと持ち合わせているし、気遣いもできる性格だ。客観的に見れば、外見的にも内面的にも、そういった思春期の男子の多くから恋愛対象として見られてしまうのも仕方がないだろう。
「岡本さんの場合、充分美人の部類に入ると思うんだよね。あ、これは俺の好み云々は抜きね。だから、友達として見ようと思っても、無理な部分はあると思うんだよ」
「でも、渡辺君はさっき、友達になれそうっていったじゃない」
「だって、今の俺は可愛らしい思春期の男の子じゃないし」
 そう言ってニッと口角を上げると、咲子は一瞬面食らったような表情になり、数瞬後小さく吹き出して押し殺した笑いを零した。
 そこに注文した定食のお盆を二つ持った店員がやってくる。
 笑いを堪えながら咲子はありがとうと料理を受け取ると、一口水を飲んだ。それでようやく落ち着いたのか、とりあえず食べようと晴希を促した。
「美味そー! めっちゃ腹減ってきた!」
 ふんわりとした淡い湯気を立てたハンバーグには、濃厚な褐色のソースがかけられ、肉の焼ける匂いとソースの焦げる匂いが混じり合って食欲をそそる。
 副食には野菜の炊き合わせとサラダが添えられていて、味噌汁も具沢山。
 六百円という値段から考えると、満足過ぎるボリュームだ。お金にあまり余裕のない晴希には、有り難過ぎる料金設定だった。
 頂きますと手を合わせると、さっそく箸をとり、メインのハンバーグを一口頬張る。
 見た目よりもあっさりとした風味のソースに、ジューシーな肉の旨みが絡み合って口中に拡がった。
「ウマっ! 岡本さん、この店ナイスチョイス!」
「お気に召してもらえて良かったわ」
 晴希が勢いよく食事をかきこむ姿に、咲子は多少呆れたような表情ではあったが、それでも嬉しそうな感情も見て取れた。
 そして咲子自身も料理を口に運ぶ度に、本当に美味しそうに表情が綻んでいる。
 まるで居酒屋にいた時とはまったく違う咲子の雰囲気に、晴希は興味深く観察していた。
「……それで、今は『可愛らしい思春期の男の子』じゃない渡辺君は、何で私と友達になろうと思ったの?」
 晴希の観察するような目に気付かないのか、それとも気にしていないのか、咲子は食事を堪能しながらも先程の会話に戻してきた。
 口に入れたばかりの炊き合わせのかぼちゃを急いで咀嚼し、お茶で流し込んでから晴希は口を開く。
「『女』ってさ、正直面倒なんだよな」
「女を目の前にしていう台詞?」
「岡本さんは女だけど異端児だから例外。じゃなくて、俺が今まで関わってきた女のこと」
 話しながら思い返してみると、思わず表情を顰めてしまう。
 が、そんな顔をしていては、美味しい料理とそれを紹介してくれた咲子に失礼だと思い、すぐに改め、笑顔を作った。
「俺さ、スポーツサークル入ってんの」
「スポーツって何の?」
「色々。フットサルしたり、3on3したり、テニスしたり。特定のスポーツばっかりするんじゃなくて、やりたいことは何でもするから『スポーツ』サークルなわけ」
「なるほどね」
 今まで話した咲子の印象から考えると、サークル活動などにはあまり興味がなさそうだった。そう思い、更に詳しく説明を続ける。
「まあ、運動は好きだけど、大きな大会目指して鍛錬するってのは大学に入ってまでしたくない、ってヤツが多いとこなんだ。俺もそうだしね。でもって同時に、運動できると女の子にちやほやしてもらえるって考えてるヤツも多いわけ」
「要するに、スポーツがメインのイベントサークルって感じ?」
「そう、まさにその通り!」
 皆まで説明しなくても、咲子がピタリと言いたいことを汲み取ってくれたので、晴希は思わず声を高くしてしまった。
 一瞬近くの席のサラリーマンがびっくりしたような視線を向けたので、恥ずかしくなってすぐさま声音を落とし、誤魔化すように箸を動かす。
「そ、それでさ、うちのサークルに入ってくる女の子も八割方男目当てなんだよ」
「まあ、イベントサークル紛いなら、それは仕方ないでしょうね。でも、それは男の子も嬉しいんじゃないの?」
「女目当てのヤツはね。俺はスポーツを楽しみたい派だし、やっぱり女の子いると気を遣うからさ。あんまり激しいスポーツには参加させられないし、かといって、いつも応援ばっかりさせてるのもなーって。俺以外にもそう思ってる奴は何人かいるよ」
 晴希の所属するサークル内では、はっきりとスポーツ派と出逢い派に分かれている。スポーツ派としては、あまり男女間の親交を深める為のイベントなどはしたくはないのだが、圧倒的多数を誇る出逢い派は、そういったイベントに意欲的だ。不満を感じて、スポーツ派ばかりで新たなサークルを作る話も出たのだが、人数が集まらずに断念した過去があった。
 それでも、他の同系統のサークルよりは、スポーツもちゃんとやっているということで、スポーツ派のメンバーたちは妥協をしたのだ。
「でもさ、女側からしたら、女目当てのヤツもスポーツしたいヤツも、みんな一緒に見えるわけ」
「そうなの?」
「そうなの。あからさまに、『彼女欲しいからココに入ったんでしょ?』とかいう女もいたし」
「つまり、それを言った女は『彼氏欲しいからココに入りました』ってことよね。何で他人も自分と同じ考えと思うのかしらね」
 咲子の溜め息まじりの返事に、その通り! と再び声を上げそうになったところを、際どいところで飲み込んだ。
 自分を落ち着かせようと、またお茶を一口すする。
「ホントにそう。で、押し付けがましく『付き合ってあげてもいいわよ』的な雰囲気漂わせてたりするんだよなー」
「別にそんな子なら付き合わなくてもいいじゃない」
 咲子に言われるまでもなく、実際晴希はそこまで我の強い相手とは付き合いはしなかった。けれど、付き合った後で、そういう本性を見せ始めた場合もあったのだ。
 それを言うと、あっさりと咲子は「それは渡辺君の見る目がなかったのね」と言い放つ。
「いや、まあ、そう言われたらおしまいなんだけどさー」
「もしかして渡辺君、そういうタイプの女の子とばっかり付き合ってたわけ? だったら真面目そうな子と付き合えば、恋愛も嫌じゃなくなるんじゃないの?」
「俺もそう思ってさ、すごく素朴で控え目で、健気に尽くしてくれる子と付き合ったわけよ」
 咲子と同じことを思い、付き合った彼女のことを思い出す。
 晴希にとって、それは一番最近まで付き合っていた彼女だった。
 特別顔立ちが整っているわけではないが愛嬌があり、いつもにこにこと笑顔を浮かべ、甲斐甲斐しく晴希の為に尽くしてくれた。
 良い子だったのだと今でも思う。
 けれど、だからこそと言ってもいいのかもしれない。
 晴希の恋愛嫌悪に決定打を与えたのは、その良い彼女だった。
「良い子過ぎた」
「は? 何それ?」
 良い子なら問題ないじゃないと、咲子は納得できない様子だ。
「だからさ、すっごく尽くしてくれるんだけど、それが重くなって……」
「ああ、そういうこと」
「ホント甲斐甲斐しく尽くしてくれてさ。風邪ひいた時なんか、特に助かったんだけど……。そのうち、それがしんどくなってきたんだよな」
 贅沢を言っていると自分でも思うのだが、それでも彼女の献身を重荷に感じてしまった瞬間、関係を続けられないと悟ってしまった。
 それはただの我がままだと批難されるかと思ったが、意外にも咲子は少しばかり表情を曇らせながらも、困ったように微笑んでいた。
「どうかした?」
「何かね、妹の話を聞いてるみたいだなと思って」
「妹さんって、さっき言ってた恋愛体質の?」
「そう。あの子も、本気で好きになったら、尽くして尽くして尽くしまくるタイプなの」
 つまり、晴希の話の彼女が自分の妹と被ってしまい、複雑な心境に陥ったのだという。
 妹の献身的な姿を知っている咲子にとって、晴希の発言は腹立たしく思えても仕方ないだろう。それなのに晴希を咎めようとはしない咲子が疑問だった。
「辞めればいいのにって思うくらいに一途でね。ほんっと、馬鹿正直。それで騙されたことだってあるのに、あの子全然懲りないんだもの」
「……ごめん。不愉快な話だったよな?」
「そんなことないわよ。尽くされ過ぎると嫌になるって言うか、重すぎると思うのも当然じゃない? 結婚するとかならまだしも、学生同士の恋愛なんて、そこまで発展する可能性だって低いんだから」
 冷めている、というよりも、極めて冷静というべき口調の咲子に、少し前の会話を思い出した。
『恋愛って、他人のを見てるだけでも疲れるの』
『あの子の一挙一動見てたら、それだけでもうお腹いっぱいって感じ』
 恋愛は疲れるものと考えている咲子には、それに一生懸命になり過ぎている人間――特に双子の妹などは、理解しがたいのだろう。
 同時に、そういう強い想いを向けられた場合、咲子自身も一歩引いてしまう性質のようだった。
「岡本さんって、やっぱいいわ」
「何よ、突然」
 前触れもなく呟いた晴希の一言に、咲子の表情が俄かに険しくなる。
 我に返り、自分の発言が誤解を招きかねないものだと気付いて、慌てて訂正した。
「変な意味じゃないって! 今までさ、こういう話を女にしたら、みんな揃って彼女の味方だったからさ。てか、男でも俺の味方してくれるヤツ少なかったし」
「別に渡辺君の味方をしてるわけでもないんだけどね。単に、渡辺君とその彼女の価値観や恋愛観が合わなかっただけでしょ」
 晴希の弁解を聞いた咲子は、元通りの冷静で淡々とした調子に戻り、止まりがちだった食事を再開する。
 それにホッと胸を撫で下ろし、晴希も話しっぱなしで進んでいなかった食事に箸をつけた。
「そうなんだけど、周りから言わせると俺はひどいヤツになるみたいだな。ま、俺もやっちゃいけないことをやったって自覚はあるけど」
「何したわけ?」
「作ってくれたご飯に、『もっとこうした方がいいよ』ってアドバイスしちゃった」
 晴希の口から乾いた笑いが零れる。
 咲子は「あー、それは可哀想ねー」と半分くらいしか気持ちの籠もっていない言葉を返した。
「いや、でもさ。俺、料理得意だからさ、正直なところ俺が作った方が美味かったわけ」
「でもそれは女の子の立場ないわね」
「だから、初めて作ってくれた時に思わず出ただけで、それ以降は言わなかったって」
 晴希は自分の非を認め、その後何度か出そうになった助言を、ことごとく飲み込んできた。彼女は何かを作る度に晴希の様子を気にしていたので、ずっと気に病んでいたのだろうと思うと、余計に不憫でならなかった。
「もしかして、それが別れた原因の一つになってたりもするの?」
「う……。まあ、ないこともない」
 『美味しい』以外の感想を述べようとしたら、ついつい余計なことまで言ってしまいそうになる。その所為で、晴希は彼女の作った料理を食べていても、言葉少なになることが多かった。
 けっして彼女の料理が不味いわけではないのだが、だからこそ、あと一歩足りない部分を教えたくなる。けれど、それを言うと、彼女のプライドが傷ついてしまう。周りの友達からは、『料理上手』の褒め声高い彼女だったので、なおさらその思いは強かった。
「そっか、それで私はタエを許せるのね」
「タエ?」
「あ、さっきから話に出てる妹よ。妙子って言うの。タエはね、不器用だし頭も悪いし考えも浅いし、良いところなんてほとんどないんだけど、昔から料理だけは上手いのよ。まあ、今は学校通ってるから、当然と言えば当然なんだけどね」
 それまで妹を語る際には微妙な表情を浮かべてばかりの咲子だったが、今は珍しく嬉しそうに、そしてどこか誇らしげに微笑んでいた。
 咲子にとって、妹の唯一自慢できる部分なのだろう。
「ほら、よく『旦那の胃袋』を掴めって言うじゃない。あれと似たようなもんよ。
 タエはホントろくなことしないんだけど、いくら腹が立ってても、美味しいご飯作るからって謝られたら、ついつい許しちゃうのよね」
 「胃袋掴まれてるの」と冗談めかして笑う咲子につられて、晴希も自然と頬が緩んでいた。
「じゃあ、俺も頑張って岡本さんの胃袋掴もうかなー。料理上手っての、友達としてポイント高くない?」
「本当に上手だったとしたら高評価ね。でも私、味には結構うるさいわよ」
「それは既にわかってるよ。でも、俺も結構研究してる方だからね」
 晴希自身、単なる料理好きではないと自負している。
 美味しいと言われるお店にはお金の許す範囲で食べに行くし、料理の基礎なども独学だが学んでいた。
 常日頃から自分でレシピを考えては、親しい男友達に試食してもらったりもしていたし、きっと咲子に美味しいと言わせられるだけのものができるだろうという自信があった。
「じゃあ、ご相伴に与れる機会を楽しみにしてるわ」
 そう言って笑うと、咲子は残っていた料理を綺麗に片付け、箸を置いてごちそうさまと手を合わせた。
 その様子からは、上辺だけの社交辞令でないように思える。
「それってさ、これからも友達として付き合ってくれるって取っていいんだよね?」
「いいわよ。今のところ害はなさそうだし、同じ学部の友達いると、色々助かることもあるしね」
 そこまで言ってから、咲子は「但し」と付け加える。
 瞬間的に真面目な表情になったので、晴希も思わず表情を引き締め、咲子の言葉を待った。
「渡辺君の料理が下手だったら、即縁は切れるかもね」
「え、そこ!?」
 晴希のツッコミに対し、咲子はにんまりと悪戯な笑みを浮かべたのだった。