はなひらかねど

序章 はな ゑひもせず

 ――ああ、面倒臭い。

 目の前に広がる光景に、咲子はうんざりしきっていた。さすがにそれを表に出すことはしないが、ただただ、この愛想笑いと媚のセール会場――いわゆる合コンという状況から離れたい思いでいっぱいだった。
 本来、咲子は合コンなど好きではない。それどころか、むしろ嫌いだ。
 けれど、その咲子がこの場所に来なくてはならなくなったのは、ひとえに双子の妹である妙子の所為だった。

 数日前、どうしてもあと一人足りないのだと、高校時代の友人が、妙子に電話を掛けてきた。だが妙子には、どうしても外せない用事があったらしい。いつもならば、嬉々として参加するのだろうが、残念そうな声を上げていたのを覚えている。
 しかし、そのすぐ後にとんでもないことをその友人に言ってのけたのだった。
「ごめんねぇ。行きたいけど無理そうだから、代わりにサキを行かせるわ」
 何を勝手なことを、と反論する前に、妙子はさっさと話を終わらせ、電話を切っていた。
「アンタ、何やってくれてんの?」
「どうせ暇でしょ? 家にいたって本読んでるかレポート書いてるくらいじゃなぁい」
「合コンなんかより、そっちの方がよっぽど有意義だわ」
 あまりにもこちらの都合を考えない妙子の行動に、怒りを通り越して呆れてしまう。そもそも、怒っても無駄に体力を消耗するだけだと咲子は知っていた。妙子は昔から他人を振りまわすことが得意なのだ。しかも、本人には悪意がないから余計に性質が悪い。
 咲子にとって妙子という存在は、身内でなければあまり関わり合いになりたくないタイプの人間だった。
「でもさぁ、キョウちゃん本っ当に困ってたのよぉ? 友達が困ってたら、助けるのが友情ってもんじゃなぁい?」
 こんな台詞も端から聞いていると、ただ都合良く言い訳しているように聞こえるのだが、妙子の場合は本当にそう思って言っている。目の前の困っている人を助けたいという、実に純粋な親切心なのだ。が、その際に犠牲になるのは妙子自身ではなく、周りにいる近しい人間であり、特に咲子はその対象になることが多かった。
 妙子がもう少し思慮深く、自分自身の慈悲深い行動によって周りにもたらす影響などが考えられたならば、そうはならなかっただろう。しかし、幸か不幸か――咲子にとっては確実に不幸なのだが――妙子には目の前の問題を処理することで精一杯、という能力しか備えていなかった。
 そして更に不運なのは、そういった迷惑を被る状況になったとしても、咲子にはそれを切り抜けられるには充分な判断力や思考力、実行力などがあったことだろう。
 今までにも妙子の安請け合いで、本来やるはずではなかった仕事を手伝わされたり、足りない人員の補充要員にされたりもしたのだが、咲子はもともと何事も器用にこなす為にさほど困難な事態に陥ったことがない。反対に安請け合いした張本人である妙子は、不器用で鈍臭いので、手伝う分だけ邪魔になったりもする。
 結果、妙子は大した仕事もせず、簡単で誰にでもできる仕事を回され、咲子の方には難解で手間のかかる作業が回ってくるのだった。
 しかし、そういった仕事をやらされる破目になるならまだいい。事務的な仕事はけして嫌いではないし、終わった後に達成感もあり、時にはそれなりの見返りさえある。
 だが、合コンなど異性に興味のない咲子には何の得もない。『ゴウコン』じゃなくて、『ゴウモン』よ、と心の中で毒づいた。
「そんな嫌そうな顔しなくたっていいじゃなぁい。サキ、彼氏いないんだし、問題ないでしょ?」
「彼氏がいないとか関係ないの。合コン自体が嫌いなんだから」
「それは知ってるけどぉ。ほらほら、キョウちゃん達と久しぶりに遊ぶって考えたらいいのよぉ。男の子たちはそのオプション程度って考えて、ね?」
 小首を傾げて屈託なく笑う妙子。その仕草はいかにも可愛らしく、男受けもいいのだろう。同じ顔をしていても、自分には到底できない表情だと思いながら、咲子は大きな溜め息をついた。
「あ、明日の晩ご飯はサキの好物ばっかにするからぁ! 何がいい? 生姜焼き? 唐揚げ? お豆腐のハンバーグ? 最近寒いし、豚汁も作ろうかぁ?」
 咲子の機嫌を取ろうと、妙子は途切れる間もなくまくしたてる。
 そんな必死な姿を見ると、やはり咲子は妙子を憎めなかった。これも身内の情なのか、それとも慣れからくるものなのか。
 「それなら、ブリ大根と蓮根のきんぴらも作ってよ」と結局許してしまうのだった。

 そんな数日前の甘い自分を怒鳴りつけてやりたい。
 そう思いながら、目の前に並んでいた揚げ物を一つ口に運ぶ。ギトギトの油と濃過ぎる味付けの所為で、すぐに箸を置いてしまった。口直しに含んだカクテルは水っぽく、不味さが口中に拡がっただけで、気分は下降線をたどる一方だ。
 それにひきかえ、合コンは現在、比較的和やかに進行していて、お互いの学校や仕事の話で盛り上がっていた。
 咲子は時々相槌を打つ程度に反応はしていたが、途中からそれも疲れて辞めてしまっていた。どうやら周りもさほど咲子を気にしていないようだ。特に男性陣は、自己紹介や質問をし合った段階で咲子にあまり興味が持てなかったらしい。高校時代のクラスメートたちも、咲子の性格は熟知しているし、むしろ大人しくしてくれている方が自分の気になる相手と親密になりやすいと思っているのだろう。無理やり咲子を話に加えるような真似はしなかった。
 そのまま合コンは、咲子を空気ようにした状態で終えるのだろうと思っていた時、目の前に移動してきた男がいた。
「岡本さんって、無口なんだな」
「え?」
 まさか話しかけられると思っていなかった咲子は、咄嗟に何も返せなかった。
 改めて声の主に視線を向けると、自己紹介で渡辺晴希と名乗った男だと思い出す。
「えっと、渡辺君、だったかしら?」
「あ、覚えてくれてたんだ」
「顔と名前を覚えることは得意だから」
 勘違いされては困ると思い、遠回しに特別な意味はないことを伝える。大抵の場合、咲子のこういった態度で相手の男は気分を害するのだが、晴希は変わらず笑顔で話を続けてきた。
「そっかー、それ羨ましいな。俺結構苦手でさ。接客業やってるのに駄目だよな」
「そうね。致命的じゃない?」
「はっきり言うなー。ま、自分でも自覚してるから、返す言葉もないけどさ」
 明らかに冷たいと思われるような咲子の態度だったが、晴希はそれでも気にする素振りもなく話しかけてくる。
 これ以上に冷たい態度をとり続けてしまっては、周りの雰囲気も悪くなると思い、咲子は渋々晴希の話し相手になってやることにした。
「さっき聞いたんだけど、岡本さん、A大なんだろ? 何学部?」
「経営学部だけど」
「マジで? 俺も経営なんだけど」
「渡辺君もA大なの?」
 偶然にも同輩がいたらしい。しかし同じ学部とはいえ、一学部の人数は何百人といる。晴希の存在を知らずにいたのも、無理はなかった。
「すっげぇ偶然だなー。でも、全然岡本さんのこと知らなかったわ」
「そうね。でも、『お』と『わ』だったら学籍番号も離れてるし、そんなもんじゃない? 基礎演や第二外語は、絶対に同じクラスにはならないじゃない」
「そりゃそうだ」
 何が面白いのかわからないが、晴希は咲子の淡々とした説明にも楽しそうに頷いていた。
 咲子は、こういう人見知りなく、誰にでも親しげに話しかけるタイプは苦手だ。まるで、自分の双子の妹が男になったのではないかというような、錯覚を感じてしまうからだ。
 ますます早く終われと念じる想いが強くなるが、飲み放題の終了時間まで、あと三十分はある。
 時計の針の進む速度が速まるはずもなく、咲子はただ、面白味の感じられない晴希の世間話を淡々と聞き流し、適当な相槌を打つだけの人形のようにならざるを得なかった。


「じゃあ、そろそろ二次会のカラオケに突入しようか?」
 男性側の幹事の声掛けに、咲子はようやく解放されると安堵の息をついた。
 最初から、二次会には参加しない約束だったのだ。それに、自分が参加しない方が盛り上がるだろうことは易々と想像できた。
 幹事が清算を済ませている間に、他のメンバーは店の外へと歩き出す。最後尾に連なりながら、咲子はこの後の予定を少し考えた。
 両親は飲食店を経営しているので、定休日以外は帰りが遅く、普段から咲子と妙子は交代で夕食を作っている。
 今日は丁度妙子の当番であったが、彼女も出掛けているはずだ。当然家に真っ直ぐ帰ったとしても誰もいないし、食事の準備などもされていない。
 居酒屋の料理があまりにも不味すぎて、ほとんど口にしていない咲子は空腹感をどうにか鎮めたかった。そういえばと、この辺りに自分好みの定食屋があったことを思い出し、そこに寄ってから帰ることに決定する。
 幹事の二人が店から出てくるのを見計らって、先に帰ることを告げた。
 女性陣はもともと咲子が二次会不参加ということを知っていたので、気をつけてねと声を掛ける。
 逆に男性陣は、表面上は残念そうな声を上げて、咲子の暇を惜しむ様子を見せていた。
 それに咲子も「ごめんなさい。また誘って下さいね」と我ながら嘘くさい愛想を返し、手を振ってその場を後にする。
 しばらく歩いて人混みに紛れた頃、咲子は特大の溜め息をついた。
「あー、疲れた! まったく、この疲労分はタエに返してもらわないとね」
 家に帰ったら妙子に嫌味を言ってやると心に決め、目的とする定食屋へと足取りも軽やかに向かおうとする。
 しかし、数歩歩いたところで、誰かに呼ばれたような気がして、反射的に足を止めた。
 何となく嫌な予感を感じながら、ゆっくりと振り返る。
 妙子から数メートル後方、笑顔を湛えて駆け寄ってくる渡辺晴希の姿が見えた。