2.11、見上げた空

 舞い上がる、白い息。
 それは、まるで、いまだ消えない『オモイ』のよう――。


 仕事を終え、店を出る頃。
 いつも日付は変わっていて、数分前の『今日』はもう『昨日』になってしまっている。
 そして、それは今日も同じこと。
「さむ」
 呟きとともに、吐き出される白い息。
 暗い駐輪場の闇に、拡散して消えてゆく。
 時計代わりの携帯で時間を確認して、日付を見て、くすっと小さく笑みを洩らした。
 それは少しの呆れと、少しの甘さと、少しの切なさの混じった『自嘲』。
 そんな笑みを微かに残したまま、私は帰路を歩き出す。
 明るい大通りに面した歩道を、靴音を響かせて。
 仕事終わりで疲れているはずなのに、軽快とも言えるほどに。

 しばらく歩いてふと足を止め、カバンからもう一度携帯を取り出し操作した。
 封筒の形の記されたボタンを押すと、メールのメニュー画面が起動する。
 新規作成画面を出すと、寒さに凍える指先で宛先と本文を入力した。
 ほんの短い文字列はすぐさま入力し終わった。けれど、送信はしない。
 しないというよりも、『できない』。
「……ばっかじゃねぇ?」
 くすくすと、そう、自嘲混じりのまま笑う。
 自分自身の、意味の無い行動を。
 もう、私の携帯に『あの人』のアドレスも電話番号もない。
 必要もない。
 電話やメールをしたいとも思わない。
 なのに、宛先もデタラメの、届くはずもないメッセージを作ってみたりしている自分がいる。

 忘れられない『あの人』の、今日は誕生日。
 2月になると、みんなバレンタインだ何だと言っている中、私はいつもあの人の誕生日を真っ先に思い出す。
 たとえ、『あの人に』彼女がいようとも。
 たとえ、とっくの昔にふられていようとも。
 私にとって特別であり続ける『あの人』の生まれた日は、私にとって特別な日であり続ける。
 きっと、これから先も、ずっと。

 届くはずのないメール。
 送信すらできないから、心の中で送信する。
「……誕生日、おめでとうございます」
 二月十一日、『あの人』の二十九回目の誕生日。
 見上げた夜空は、冬らしく冴え冴えとしていた。
 吐く息は白く頼りなく、すぐに淡く霞んでゆく。けれど、私が息づくたびに、また白く生まれる。
「元気に、してますか?」
「笑ってますか?」
「好きな人といますか?」
「今、幸せですか?」
 ここにはいない『あの人』へ訊ねたいことは山ほどあって、とりあえず思いつく限りをぽつりぽつりと言葉に変えて零してゆく。
 そして、伝えたいことも。
「私は元気です」
「笑ってます」
「幸せ、かどうかは謎ですけど」
「まだ貴方のコト、好きですけど」
 そこまで言って、少し苦笑し、
「……まだ、好きなんですけど」
 もう一度、同じ想いを紡ぐ。
 どうしようもなく変えられない想いを、紡ぐ。
「シツコイ、ですね」
 本当にそう思うけれど、でもそれはそれでいいか、なんて思っている自分もいるから始末におえない。
 好きなのだと、これほど好きだったのだと、ふられた後に実感した。
「幸せで、いてくださいね」
 見上げたまま、一番強く思う言葉を最後に、携帯をたたんでカバンに戻す。
 そして、暗い夜道を足取り軽く歩き出した。
 何が嬉しいわけじゃない。何が楽しいわけでもない。
 ただ、『あの人』が生まれてきた日だとういうだけ。
 それだけのことが、私の足取りを軽やかにする。

 二月十一日。
 私にとって特別であり続ける日。

 見上げた空は、冴え冴えと。
 吐く息は、白く。
 私の心は、透き通る――。

2.11、見上げた空 [fin.]


©Shinobu Kiyohisa