禍つ月映え 清明き日影
肆 逆賊 01
重厚な門構えの日本家屋を前にして、輝行は今、緊張の色を隠せずにいた。
合宿も終わり、無事自宅へと戻った翌日のことである。約束通り、話を聞く為に六条院宗家へと招かれたのだが、基の運転で辿り着いたその場所が予想していた以上に立派過ぎた所為だった。
「なーに呆けてんだよ」
「あ、いえ。基先輩、こんな家に住んでるんですか?」
「んなわけないだろ。ここは宗家の別邸。普段は誰も住んでないし、オレはもっと大学に近いマンションに住んでるよ」
「そ、そうです、よね。ここだと学校まで遠いですもんね……」
きっとそのマンションも、大学生にはそぐわないほど立派なんじゃないだろうかと、輝行はこっそりと溜め息をつく。世の中、あるところにはあるものだとつくづく実感しながら、先に立って歩く基に続いた。
門をくぐると飛び石が並び、真っ白な玉砂利が敷き詰められていた。庭木は丁寧に手入れされているようで、普段人が住んでいないとは思えないほど整えられている。
玄関の引き戸を開けると、そこには真っ白な着物と袴を纏った若い女性が待っていた。女性は基の姿を確認すると、深々と頭を下げる。
「お帰りなさいませ、基様」
「ただいま。みんなは?」
「もうお揃いでございます」
「そうか。ありがとう」
まるでこの家の主であるかのように振る舞う基に、輝行はいまだに違和感を覚えずにはいられなかった。
確かに、基は六条院宗家の人間で、この女性からみれば主の一人なのだろう。けれど輝行の知っている基は、足が速いことと容貌が整っていることを除けば、ごく普通の先輩だった。そう簡単にその印象は変えられない。
「騙されたって顔だな」
「え!? べ、別にそんなこと……」
心の内を読んだような基の言葉に、輝行は慌てて否定を口にする。しかし、基はそんな輝行の様子を見て笑った。
「いや、いいんだよ。実際そうだし」
「基先輩」
「オレたちは、基本的に嘘つきだから」
どこか自嘲的に呟く基に、輝行は言うべき言葉も見つけられないままに押し黙る。基もそれ以上は何も言わずに、皆が待つであろう奥の座敷へと向かった。
見事な日本庭園を横目に濡れ縁を通り、目的の部屋へと辿り着く。障子越しには幾人かの人の気配を感じた。しかし真面目な話を聞きにきた割には、随分と楽しそうな雰囲気で、笑い声も聞こえる。そして時折、硬いものを台に置くような物音が混じっていた。
基が声も掛けずに障子を開くと、
「基おかえりー! 横木君いらっしゃーい」
真っ先にそう明るく答えたのは郁だった。だが、目の前に現れた光景に、輝行は一瞬来る場所を間違えたのではないかという思いに駆られた。
十畳の日本間のやや上座中央に据えられた、正方形のローテーブル。それを囲んでいるのは、郁、茉莉、亨、どこかで見覚えのある和装の男性の四人だ。
尚志が少し離れた場所で壁にもたれてそれを眺め、その隣には響と累、そして織月と帆香が並んで座っていた。
それだけなら別に何も思わないのだが、中央のテーブルの四人組の手元には、白と茶色のツートンカラーをした四角い物体が幾つも並んでいる。
そう。彼女たちは麻雀をしていたのだ。しかもその手つきは妙に慣れており、この場が初めてといった雰囲気ではない。
麻雀と言えば男子大学生やサラリーマンのやるものというイメージを持っていた輝行にとっては異様な信じがたい光景だった。何より、如何にも清楚なお嬢様といった印象だった茉莉までが卓を囲んでいるのが衝撃的だ。
「ロン」
「ロンです」
ほどよく空調の効いた室内に、郁と茉莉の声が同時に響く。それに対して、牌を切ったばかりの亨が引き攣った表情を露わにした。
「メンチン一通、親倍で二万四千な」
「私はタンピンイーペードラ二で満貫ですね」
パタンと自分の目の前にある牌を倒し、郁と茉莉が順に点数申告をする。それを聞きながら、和装の男性がくすくすと柔らかな笑みを零した。
その時になって、輝行はようやくその人物が合宿所のオーナーを務めていた人だと気付く。つまり、六条院家の宗主である六条院要その人だ。
「あー、やっぱりそれが当たりだったねー。危ない危ない」
「とーるちゃん、弱すぎるわー」
「弱くねぇっ! 姫さんたちのヒキが異常なだけだろ!」
「あら。ヒキだけでは麻雀はできませんわよ?」
からかう郁に咬みつくように反論する亨。それに茉莉が口調だけはおっとりと皮肉った。
その様子はひどく気安げで、今までにも何度かこういう場があったかのようだ。
「ま、ええやん。ちょうど横木君も来たし、とーるちゃんがトビラスで終わりー。清算はあとでな」
郁はそう締めるとすくと立ち上がり、ヨイショと声を掛けて麻雀卓代わりのローテーブルを部屋の端へと寄せる。
「横木? どうした?」
「あ、いえ、ちょっとびっくりして……」
「ああ、女の子はあんまりやんないよな」
そう笑いながら続ける基に、そういう問題でもない気はしたが輝行は曖昧に頷くしかなかった。
(宗家の人達って、ちょっと変わってんのか?)
輝行の中にあった宗家の面々のイメージは厳格で古風な、そして神秘性も孕んだ如何にも昔からの名家といったものだった。
しかし、今目の前にいる彼ら、彼女らは、予想外に俗っぽい。お陰で、必要以上に張っていた緊張の糸が途切れたのは確かだった。
「さてと、みんな揃ったようやし始めよか?」
郁の声と同時に、壁際にいた織月達も座敷の中央へと寄ってくる。
郁が最も上座に座り、その左隣に基、右隣には尚志、更にそのそれぞれの隣には要と茉莉が腰を下ろした。まるで最初からその席次が決まっているかのようだ。反対に累を代表とする常磐事務所の面々は、適当に半円になるように座っている。
輝行は一瞬どこに座るべきか迷ったのだが、一番近くにいた亨の隣に腰を下ろした。
全員が座る頃合いを見計らったかのように、失礼いたします、と濡れ縁から声がかかる。先ほど玄関で出迎えてくれた女性と、彼女と全く同じ衣装をまとった女性の二人が、お盆にお茶を載せて運んできた。
それぞれにお茶の器が行き渡ると、二人の女性は恭しく頭を下げ、短い挨拶を残してからその場を去る。それを見届けると、郁はニッと笑みを浮かべ、輝行へと視線を投げかけた。
「まずは、何から訊きたい?」
「あ、えっと……」
何からと問われても、輝行にはすぐには答えられない。あまりにも謎なことが多すぎて、どういう順序で訊けばいいのかがわからないのだ。
輝行の戸惑いに気付いた郁は、優しく微笑むとその視線をぐるりとその場にいる全員に巡らせた。
「まず最初に言うとくわ。もうみんなも予想はついとるやろうけど、横木君を狙っとるんは、『嫦宮裂』」
静かで穏やかな声音にも関わらず、ほんの一瞬でその場の空気が張り詰める。
輝行だけが、聞き慣れない言葉に眉を顰めていた。けれども郁はそんな輝行に一瞥だけくれると、構わずに続けた。
「そして、横木君が狙われる理由は、彼自身の家筋の所為」
「家筋? オレの家系に、何か問題でもあるんですか?」
「問題と言うほどでもない、かな。もともと横木家は木へんに岡と書いて『棡』と書く。そしてその棡家は、かつて『嫦宮裂』だった」
累を除く、常磐事務所の面々の視線が一斉に集中する。その誰もが驚愕に彩られた表情だった。
自分に注目が集まっていることと、理解の及ばない状況。輝行は居心地の悪さを覚え、思わず発言元である郁に恨みがましい視線を送ってしまった。
しかしその冷たい視線をどうにも面白いと言わんばかりに、郁は小さく笑みを零していた。
「まあまあ、そんな恐い顔せんとって」
「え? あ、いえ……」
自分の無意識の内の行動に気付き、輝行は慌てて視線を自分が座っている目の前の畳へと落とす。そのまま小さく「すみません」と謝罪した。
「謝らんでええよ。横木君には何の話かわからんもんな。『嫦宮裂』いうんはな、送魂師の中でも、特に力を持った一族のことや」
「送魂師の中でも……」
郁に言われた言葉を繰り返し、輝行はもう一度頭の中の整理を始める。
送魂師とは、戻士と近い存在且つ決して相容れないもの。そして、嫦宮裂とは送魂師の中の有力な一族で、横木家はその血筋で……。
「……ちょっと、待って下さい。じゃあ、オレは、送魂師の血を引いてるってことですか?」
辿り着いた結論を震えた声で確認すると、その通りと無情且つ簡潔な基の返事が返る。一瞬にして、輝行の全身から血の気が引いた。
ここは戻士の長たる六条院家。そして、この場にいる誰もがその血筋の人間で、自分ただ一人がそれに敵対する一族の血を持っている。戻士宗家の敵である、送魂師の。その事実に打ちのめされると同時に、身の内からじわりじわりと恐怖心に侵食されていった。
敵の一族の血をひく自分は、これからどうなるのだろうと。今まで守ってくれていた織月でさえ、すでに味方ではないのだと。涼しいはずの室内なのに、じっとりと衣服が汗で背中にへばりつく。息苦しさを覚えるけれども、呼吸の仕方すら忘れてしまったかのように輝行の体は強張っていた。
「そんなビビらんでも、取って食ったりせんから」
「あの、でも……」
妙に気楽な郁の口調が、かえって恐ろしい。これからの自分の処遇を考えると、とても平静ではいられなかった。
言葉をそれ以上続けられずにいると、郁が小さくふき出す。それと同時に基も軽快に声をたてて笑い出した。
突然のことに、輝行はぽかんと二人の顔を見つめるばかりだ。
「横木君、自分なー、人の話はちゃんと聞かなあかんで?」
「え?」
「姉さんは言っただろ? 嫦宮裂『だった』って」
「だった……?」
そういえば、確かに郁は過去形で言った。ということは、横木家は現在、嫦宮裂とは何の関係もない、ということだ。
「な? 姉さん、オレの言った通りの反応だったろー?」
「ホンマやなー。横木君オモロすぎるわー!」
笑いながら隣にいる尚志の膝をバシバシと叩く郁。そんな姉弟二人を呆れたように見つめて、尚志が溜め息をついた。
「おまえら、本当に性格悪いな」
「尚志に言われたないわー」
「そうそう。尚志さんよりマシだもんなー」
ねー、と二人揃って顔を見合わせる郁と基。
場の雰囲気にそぐわないほど楽しそうな二人に、輝行はようやくからかわれたのだと気付いた。
「基先輩!」
「あー、悪い悪い」
謝罪を口にしてはいるが、明らかにその言葉には心が籠っていないことに、輝行はますます憮然とする。
基はそれに気付いてふざけた態度を正すと、それでもどこか好奇心を覗かせた笑みで輝行を見つめた。
「でも、今の話は全部本当だから。おまえには戻士の素質があるし、だからこそ嫦宮裂に狙われてる」
「でも、本当にオレに素質なんてあるんですか? オレだけじゃなく、家族全員至って普通ですよ」
「家族全員、ね。ホンマにそう思う?」
「と、当然です」
そう答えたものの、改めて問われると、自分の確信はあっさりと揺らいでしまう。何より、自分自身の血筋についてまったく知らなかったのだから、家族についても知らない事実があったとしても不思議ではなかった。
「まあ、それはええとして。自分が累から渡された物が何か覚えとるか?」
戸惑う輝行に、郁が相変わらず必要以上に楽しそうに問い掛けを寄越した。
輝行は一瞬何の話をしているのかがわからなかったが、すぐに常磐事務所で累から渡された短刀のことを思い出す。
そういえば、あれ――『揺光』は、不思議な物だった。触れただけで姿が消え、累に聞いた話では銘を呼べば召喚できるという。実際に輝行はまだ召喚したことはないけれど、触れただけで目の前から消えたのは確かだった。
「あの揺光っていう短刀のことです、よね?」
「そうそう。あれは『晄具』って言うてな、簡単に言えば特殊な能力を持った人間にしか使えへんねん」
「俺はまだ使ってないですよ」
「使てへんくても、触ったら『消えた』んやろ? ほなそれは『揺光』が君を認めたちゅーことや」
「認めた?」
郁の説明にいまいち納得はしきれないけれど、否定できるほどの要素もない。結局輝行はそういうものなのだと言われるがまま受け入れるしかないようだった。
黙ってしまった輝行を見て、基が横道に逸れた話を本筋へと戻す。
「それで、だ。横木には自分の身を守る為にも、晄具を使えるようになってもらわないといけないわけだ」
「それはわかるけどよ、一体誰が横木の面倒見るんだ? おれや兄貴じゃ役に立たねぇだろうし、織月は接近戦向きじゃないだろうよ」
「心配せんでも宗家で面倒見るよ」
「宗家方自らですか?」
郁の一言で、それまで黙って話を聞いていた響が、静かだが明らかな不満を含んだ声を上げた。
「そうや。ウチも含め、尚志も基も茉莉もおる。適当に分担してやったら、大して労力も要らんやろ」
「おまえら三人だけで充分だろ」
「たまには尚志も体動かさな、老化進むで?」
「脳味噌を常に使ってるから問題ない」
郁と尚志の能天気な会話に、響は更に苦々しそうに眉間の皺を深めた。郁は馬鹿げた会話を中断し、視線を響へと向ける。
「……私の決定が不服か?」
柔和な笑みと、凛とした声。それを聞いてハッとしたのは、言葉を向けられた響だけではなかった。
絶対的な『力』を帯びた郁の一言に、一瞬にして空気が引き締まる。聞いていただけの輝行も、思わずピンと背筋を伸ばしてしまうほどだった。
言葉を掛けられた当人の響は、すぐさまいえと短く答え、詫びるように面を伏せる。その様子を、輝行は信じられない思いで見つめた。
響は初めて会ったときから、尊大で見下すような態度を輝行に取り続けてきた。それは勿論、輝行だからなのかもしれないのだが、年下の少女にこうも簡単に服するというのが意外だったのだ。
それと同時に、郁が『戻士』達にとって絶対的な存在なのだと実感させられる。どれだけふざけていても、どれほど茶化していても、ほんの一言で響を黙らせた郁には、一族の頂点である者の威圧感が十分すぎるほど備わっていた。
「さて、話がよう逸れるけど……」
溜め息まじりに郁がそう呟くと、張り詰めていた空気が霧散する。郁の言葉と視線を受け取って、基がまた話し始めた。
「とにかく、もうすぐ総体があるから、本格的な修行はその後だな。織月ももちろん参加すること。亨と響にはそれぞれ調べてほしい件があるから、後で資料を渡す。ああ、帆香も一応修行に付き合ってくれ。多少怪我することもあるだろうし」
次々と基が指示を出し、出された側は頷きながらそれに応える。一通り指示が終わると、隣の郁に確認するように視線を合わせた。郁が頷くと、それまで以上に真剣な表情で言葉を繋ぐ。
「それで、今回の件に関係ありそうな嫦宮裂の一族を幾つか挙げておく。堀川家、倉橋家、大江家、荒木田家、宮崎家――」
「……え?」
一瞬、我が耳を疑う。基の列挙する家名の中に、非常に馴染んだ名があったからだ。
基は輝行の様子に気付かないのか、それとも気付いていて無視しているのか、そのまま続けて家名を挙げていく。しかし、輝行の耳にはその続きの言葉は全く入ってこなかった。
(『宮崎家』って……、隼人は関係ないよな?)
いつも能天気で、可愛い女の子には目がない隼人。輝行と織月の仲を疑ってはからかう隼人。どこからどう見ても、年相応のごく普通の高校生でしかない少年だ。
そう思うと同時に、合宿中に亨から聞いた言葉を今になって思い出す。
『いくら信用できると思っている人物でも、気を許すな』
あの時は基の存在を疑った。偶然のように基が合宿所にいたからだ。尊敬している先輩だったからこそ、余計に基に疑念を抱き、他に怪しい人物が身の回りにいないかなどと気をまわす余裕もなかった。
けれど、もしかしたらあの累からの忠告は、隼人を指してのことだったのかという考えまで浮かんでくる。
(違う! そんなわけないだろうが! アイツはちょっと女好きなどこにでもいる普通のヤツだ!)
強く否定はしてみても、一度浮かんだ嫌な考えはなかなか消えてはくれない。青ざめた顔で黙りこんだ輝行を案じるように織月が窺っていたが、それにも全く気付かなかった。
「全部で十余り。亨と響の調査結果によってはもっと絞れるだろう。あとはそれぞれ個人的に話したいことがあるから、この場はひとまず解散」
基の言葉をきっかけに、まずは累と要が立ち上がり、示し合わせたように二人揃って部屋を出ていく。
郁と尚志は茉莉に指示を出し部屋から送り出すと、守屋兄弟と帆香を側に呼びつけ何事か話し始めていた。
基が織月を側に呼び、そして輝行にも声を掛ける。しかし、輝行はいまだ考え込んだまま微動だにしない。
「横木」
「あ……、すいません」
肩を揺さぶられようやく我に返るが、それでも輝行の表情は冴えなかった。基は引きずるように輝行を立ち上がらせると、二人についてこいと濡れ縁を屋敷の奥に向かって歩き出した。
俯きがちに基の後をついて歩く輝行の耳に、蝉の声が煩わしく響く。それがますます今の不安な気持ちをかきたてていった。
皆の集まる座敷から十分に離れると、基は足を止め二人を振り返る。いまだに途方に暮れたような表情の輝行に織月は気遣うような視線を向けるが、輝行は気付きもしないまま、ただつられて足を止めるだけ。
そんな輝行に、基は一度深く息をついてから口を開いた。
「横木、宮崎を信用するな」
ストレートに自分の憂いの原因に触れられ、輝行は落としていた視線を跳ね上げた。冗談であってほしいと強く願うが、向けられる基の瞳に戯れは一切ない。どこまでも冷徹で、威厳さえ感じさせる双眸だった。
「織月も、アイツの動向には注意してほしい」
「わかりました」
「待って下さい! アイツが、隼人が『送魂師』だって証拠があるんですか!? 宮崎なんて苗字、どこにでもあるじゃないですか! 他の苗字だってよくあるものだったし――!」
「証拠はないが、可能性はある」
必死に否定をしたい輝行に、基はにべもなく言い捨てた。その視線は、今の輝行にとっては無情に思えるほど冷たい。そう、合宿所で郁の為ならどんなことだってすると言い切った時と同様の冷淡さだ。
「可能性って……」
それでも、輝行には基の言葉は容易には受け入れられなかった。
輝行にとって、隼人は高校生活の大半を共に過ごしてきたかけがえのない親友なのだ。今までだってずっと一緒にいたし、これからもそれは変わらないと信じている。その存在を信用するなとは、切り捨てろと言われているのと同意だ。
「……可能性って、もし隼人が本当に『送魂師』の一族なら、どうするんですか?」
「どうするって、それは相手次第だな」
「相手次第? じゃ、じゃあ、別に隼人が俺や宗家の人たちに危害を加えたりとか敵対しなければ、何もしないってことですか?」
「そういうことになるな」
基の短い返答に、輝行の瞬時に明るさを取り戻した。
「な、なんだ。じゃあアイツは大丈夫ですよ! そんな大層なことが出来るヤツじゃないですから!」
そう言って笑みさえ浮かべる輝行に、織月はこっそりと嘆息した。輝行の言っていることには何の根拠もない。完全に個人的感情のみだ。
それを基もわかっていて、呆れたように苦笑を洩らす。
「おまえは本当に楽観的だな」
「俺はアイツがどういう奴か知ってます。基先輩よりも、陸上部やクラスの他の誰よりもずっと……」
だから、と自信に満ちた表情で、輝行はまっすぐに基を見据えた。
「俺は隼人を信じます」
「もし、宮崎が『嫦宮裂』だったらどうするんだ?」
「だから、それはありませんって」
「あのな、俺は可能性の話をしているんであって……」
「だからその可能性自体がないんです。隼人はただの高校生です」
何を言っても自分の主張を曲げない輝行に、とうとう基は大仰に溜め息をついた。これ以上何を言っても埒が明かないと観念したのだろう。
「あー、もうわかったわかった。じゃあおまえはそれでいいよ」
「基先輩、じゃあ……」
「はいはい。宮崎は対象から外すから。んで、そろそろあっちの話も終わってるだろうし、姉さん呼んできてくれ。俺と織月はこっちの部屋いるから」
疲れた表情ですぐ近くの和室を示し、基は輝行に使いを頼む。
基とは対照的に、輝行は心の内の重石が取れた所為か晴れ晴れとした笑顔で返事を返すと、もとの和室へと戻っていった。
「織月は、どう思っている?」
輝行の姿が見えなくなると、徐に基が口を開いた。先ほどの表情はすっかり改められ、再び厳しさを湛えている。
織月は頭の中で自分の考えをゆっくりと整理してから答えた。
「宮崎家についてはあまり知りませんが、嫦宮裂は送魂師の中でも力の強い家筋がほとんど、なんですよね? それならば、宮崎先輩がそうであるかどうかは別にしておいて、注意するに越したことはないと思います」
「そうだな。織月ならそう言うと思ったよ。というか、普通はそうだよな。まったく、横木はバカ正直だから……」
「それが横木先輩のいいところでもあるんですけどね」
「……へぇ」
基の含みのある相槌を聞いて、織月は慌てて顔を伏せた。織月自身それほど意識して発した言葉ではなかったのだが、どうやら基はそこから織月の輝行に対する好意を微かに感じ取ったらしい。
「織月はああいうタイプが好みなのかー」
「ち、違います! 別に私は……」
「いや、俺も横木はいいヤツだと思うよ。ただ、ちょっとバカだけどな」
頬を赤らめて否定する織月に基は優しく微笑むと、輝行の戻っていった濡れ縁の先をもう一度見つめる。
あと数分もしないうちに、輝行は郁を連れて戻ってくるだろう。その前に、織月に伝えておかなければならないことがある基は、先ほど輝行に示した部屋へと織月を促した。
「織月、横木のことだけじゃなく、おまえにとっても重要な話がある。宮崎家は――」
輝行が基や織月とともに濡れ縁を歩いているちょうどその頃、先に席を立っていた要と累は別邸の最奥に位置する部屋で向かい合って座っていた。
襖や障子で仕切られていることがほとんどのこの屋敷内で、数少ない板戸のはめ込まれた一室である。更には窓も照明もない為に室内は他の部屋よりもずっと薄暗い。
室内に装飾の類は一切なく、あるのは漆塗りの燭台が一本だけ。そこには朝顔が描かれた和蝋燭立てられ、その炎が揺らめく度に二人の影がゆらゆらと青畳の上に踊る。
「随分と、お久しぶりですね。最後にお会いしたのはもう三年以上も前でしょうか」
問いかけるというよりも、確認を取るといった風な口調で要が口を開いた。それに累はすいと目を細め、懐かしむような微笑を浮かべる。
「もうそんなに経つんだね。姫が、『姫』であることを捨ててから」
「今更言うのもおかしな話ですが、私は本当に貴方に感謝をしているのです。郁が今、私たちとともにあるのは、貴方のお力が大きいのですから」
本当にありがとうございます、と畏まった態度で要が深々と頭を下げた。それに累は軽く頭を振り、困ったように笑んだ。
「僕よりも、『妹』想いの『兄』の力の方が偉大だよ。『彼』がいなければ、いくら僕がいようとどうしようもなかった」
「その逆も然り、でしょう?」
要にそう切り返されることもわかっていたのか、累は、確かにそれはそうだけどね、と苦笑混じりに答える。そしてゆったりと、それにしても、と話を切り替えた。
「どうして今頃『ヤツら』が動き出したのかな」
「それは……わかりません。もしかしたら、郁が最後の嫦宮だと、どこかで知ったのかもしれません」
「目障りな嫦宮と宗家一族を滅ぼす格好の機会だと? 身の程を知らないヤツらだ」
目の前にいない相手に、累は口角を上げて妖しく嘲う。要もそれに倣うように穏やかながらも挑戦的な光を瞳に宿して続けた。
「横木輝行は――」
含みを持たせるようにそこで止め、要は累の表情を窺う。意を得て累はゆっくりと頷いた。それに合わせて、畳に映る影も揺蕩う。
「棡の血は有り難いね。いい駒になると思うよ」
「郁が後ほど照一朗殿に話を通しておくと言っていました。こればかりは先々代の甘さに感謝すべきですね」
意味深に笑みが交される。揺れる炎の明かりがますます彼らの表情を妖しく見せた。
「昔の姫では有り得なかっただろうからね」
「そうなのですか? 私は先代までしか存じませんので」
先代もお優しい方だったと、要は少し感傷に浸るような風情。
それに微かに笑んでから、累は艶やかな漆黒の燭台の上に揺らぐ紅蓮へと双眸を向けた。その眼差しは、どこか愛おしげにさえ見える。
「優美にして、苛烈。艶麗にして、無慈悲。それが僕の知る本当の姫だよ」
累の語る言葉は確かなのだろう。そうは思うのだが、それでも要は強い違和感を覚え、継げるべき言葉が浮かばなかった。
それを理解したのか、累は表情を改めると、昔話はこの辺りでと話を打ち切る。その代わりと、新たな話題を提供した。
「それで、静生の件だが」
「そのことなのですが、やはり沙織さんには伏せておいた方がいいのでしょうか?」
眉間に深く皺を刻み、要が深く案じるような表情を見せる。累はしばしの間黙して考え込み、諦めたように溜め息をついた。
「その方がいいだろうね。姫もそう言っていたのだろう?」
「ええ、そうなのですが……」
「彼女は、織月が我々と関わることを未だに厭っている」
「ですが」
「宗主殿」
なおも言い募ろうとする要に、累は穏やかではあるが有無を言わせぬ声音で呼び掛けた。
要は累の言わんとすることを悟り、口を噤む。
「君は誰にでも優しすぎるのだよ」
「そんなことは……。しかし、上に立つ器ではないのでしょうね」
自らの言動を恥じるように、要は自嘲の笑みを浮かべた。累はそれに柔らかく目を細め、頭を振って否定する。
「いや、君のような宗主だから、姫は解放されたのだよ。そのお陰で救われた人間も数多くいるはずだ。君は六条院家では稀に見る良き宗主だと思うよ」
六条院嫌いの僕が言うのだから間違いない、と累はほんの少しの皮肉を交えてにこやかに笑った。それに要は返す言葉もなく、曖昧に苦笑するだけ。
もう話は済んだとばかりに、累はその場から立ち上がり濡れ縁へと続く引き戸へと向かう。辞去の意を汲み、要は去ろうとしている累の背中へ、深々と頭を下げた。
「宗主殿」
「はい」
背中越し、振り返りもせずに累が要に語りかける。要は少し顔を上げ、累の背中を見つめた。
「今の宗家諸筋において妖の戻士は君だけだ。横木輝行のこと、頼んだよ」
「はい。心得ております」
再度要が礼を取ると、累はそのまま薄暗い部屋から外光眩しい濡れ縁へと消えていった。
要はゆっくりと身を起こすと、先ほどまで累が座していた場所へと視線を巡らせ、溜まっていた何かを吐き出すように大きな息をつく。
その憂いの混じる横顔を、仄々とした頼りない小さな炎が、ただ静かに照らしていた。