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ニセモノカサブランカ

 純白のドレスの長いトレーンが、秋風を受けてふわりと翻る。繊細なレースの施されたヴェールを片手で押さえながら、隣に並ぶ新郎に眩いばかりの微笑みを浮かべるその女性ひとは、今この瞬間、世界で一番綺麗だった。
 清々しい澄み渡った青空を背景に、チャペルの入口から広がるように下りていく半円系の階段の最上段で、その美しい人は私に向かって手を振る。結婚式の一大イベントとも言えるブーケトスの前に何をしてるんだろう。そう思った瞬間、予告ホームランみたいにバットならぬブーケをこちらに向けられた。え、いやいや、待って。おかしいですからそれ。ちょっと待って! スリークォーターからの真ん中ドストライクな感じで投げないで!
 バシン、と本来あるまじき音で、私の手の中には真っ白なカサブランカで作られた小振りなブーケが収まっていた。勢いで花弁がいくつか散っている。
「ナイスキャーッチ! 次はなっちゃんの番だからねー!」
 無邪気に手を振る花嫁の姿に、参列者達は拍手や指笛などではやし立てた。突然矢面に立たされた私はただただ恥ずかしくて赤面するばかりで。甘い花の香りを抱き締めながら、俯くしかなかった。
 きっと彼女からしてみれば、サプライズのつもりだったのだろう。けれども、目立つのが苦手な私にとっては針の筵でしかない。
「相変わらずだな亜寿美あすみは」
 隣から聞こえる呆れた声が、少しだけ前に移動する。目線をちらとあげると、壁になるように目の前に立つ広いスーツの背中。見慣れたそれは、六つ上の幼なじみ――弥紘やひろくんのものだった。
「まあ、でも、これがあっちゃんだしね」
 苦笑しながらそう返すと、相変わらず亜寿美に甘いなと弥紘くんがため息まじりに零す。
 これで挙式のプログラムは全て終わり、参列者は次々に披露宴の会場へと向かっていた。一時的にかなり注目を浴びて居心地が悪かったけれども、今ではもう誰も私のことなど気にしていない。ホッとしつつ、ちょいちょいと弥紘くんのスーツの袖を引っ張った。
「あの、ごめんね。ありがと」
「礼はいいとして、ごめんは要らねぇだろ」
 ぽんっと軽く頭に手を置いて、行くぞと弥紘くんは歩き出す。その後をついて披露宴会場に向かいながら、相変わらずぶっきらぼうな物言いをする弥紘くんに少しだけ笑みが零れた。
 私は人から注目されることがあまり得意じゃない。どちらかといえば、目立たないように過ごしていたいタイプだ。華やかで綺麗で、いつも堂々と自信を持って人前に立てるあっちゃんとは正反対。姉妹なのにこんなにも違うものかと自分でも思う。
 あっちゃんみたいになりたいとずっと思っていた。思うだけじゃなく、いろいろと努力もしたつもりだ。いつも笑顔を絶やさないとか、興味を持ったことには積極的に行動したりだとか。しかし、中身はやっぱり簡単には変わらなくて、結局服装だとか化粧だとかを真似したりして誤魔化していた。その度に、私はあっちゃんにはなれないという事実を突きつけられるだけだったけれど。
「ナツ」
 弥紘くんが振り返って私を呼ぶ。
「何?」
「終わったら家まで送っていくように頼まれてるから、ロビーで待ってろよ」
「へ? 弥紘くん、二次会行かないの?」
 弥紘くんはあっちゃんと同級生だ。中高と一緒だったし、ずっと仲がいい。今日だってあっちゃんの友人の一人として出席してくれている。だから当然二次会にも行くものだと思っていた。ちなみに、二次会の会場は私の家とは逆方向だ。
「行くわけねぇだろ。騒がしい奴ばっかりだし、酔っ払った新郎や穂高ほだかに絡まれるのもごめんだ」
「ごめんね、穂高くん酒癖悪くて。でも、知紘ちひろくんが何とかしてくれそうな気もするけど」
 穂高くんというのは私の三つ上の兄で、知紘くんは弥紘くんの弟であり穂高くんとは同級生だ。ついでに言うと、弥紘くんには真紘まひろくんという弟がもう一人いて、その真紘くんは私と同級生。つまり、弥紘くんとあっちゃん、知紘くんと穂高くん、真紘くんと私がそれぞれ同級生な幼なじみなのだった。
 新郎は穂高くんと知紘くんの友達で、家に遊びに来たときにあっちゃんに一目惚れして猛烈にアタックしまくった結果が今日という日になったわけである。なので、知紘くんも新郎側の友人として列席していた。兄弟で新郎新婦それぞれの側にわかれて列席するというのもなかなか珍しいんじゃないんだろうか。
「知紘もここぞとばかりに面白がって余計なこと言うに決まってんだろ。とにかく、一人でさっさと帰るなよ? いいな?」
「はーい」
「よし」
 私の返事に満足したのか、弥紘くんは軽く私の頭を撫でてさっさと新婦の友人たちの座るテーブルへと向かっていってしまった。
「……いつまで経っても子供扱いなんだな」
 弥紘くんが十分に離れた頃、ぽつりと愚痴が零れる。
 頭を撫でるなんて、子供にする仕草だ。大人の女性扱いでは断じてないと思う。家までだって、わざわざ送ってくれなくたって一人で帰れるのに。
 大体お父さんもお父さんだ。いくら気安い仲だからって弥紘くんに私を送っていってほしいなんて頼むのはおかしいじゃないか。誕生日がくれば私ももう二十歳になる。まだ大学生とはいえ、れっきとした成人になるのだ。それなのにこの過保護ぶりはいかがなものだろうか。
「何で、もっと早く生まれなかったかなぁ」
 あっちゃんの女友達と親しげに話している弥紘くんを見つめながら、そんなどうしようもないことを考えてしまう。あっちゃんの友達は、類友なのか大人っぽくて綺麗な人が多い。そんな人達と弥紘くんが並ぶととてもお似合いに見えた。
 振り切るように親族席に向かう。
 大好きな姉のハレの日だ。辛気臭い顔なんてしてられない。
 今はただ、精一杯あっちゃんを祝福することに専念しようと、何とかヘコんだ気持ちを笑顔の下へと押し込んだ。

   

 披露宴を無事に終えた後、弥紘くんと二人で帰る道すがら。当たり前のように車道側に立ってくれる弥紘くんの横顔をこっそりと盗み見しつつ、他愛もない話をしながら歩いていた。
「そういやナツ、ブーケはどうした?」
「ああ、あれ? 実はあっちゃんのパワーがすごすぎたのか、あの後バラバラになっちゃって」
「縁起悪っ。亜寿美の馬鹿力め」
 呆れ返る弥紘くんに、シスコンだと自覚のある私でもさすがにあっちゃんを庇う言葉は出てこなかった。いや、だって、普通ああいうのは簡単には崩れないようにしてあるわけで。そもそもどこの世界に、花嫁がスリークォーターで投げることを想定してブーケを作る人がいるだろうか。
「でも、ほら、カサブランカって私の柄じゃないしね」
 真っ白で気高くて凛とした百合の女王。その花は昔からあっちゃんにピッタリの花だった。
 私もそんな風になりたかったけれど、きっと私が持つとその高貴な美しさに負けてしまう。
「確かに白のカサブランカは亜寿美のイメージだな。で、おまえはあっちだろ」
 いつも通る商店街の中にある、昔馴染みの花屋さん。その店の中に生けられている花を弥紘くんは指差していた。さすがに遠目ではすぐにどれを指しているのかわからなくて、足を止めて目を凝らす。
「あっちって?」
「ほら。右手の方にある、ちょうど白いのの隣に並んでるピンクの」
 言われた辺りに目を向けると、カサブランカのすぐ隣に、同じような大輪の百合の花があった。それは、ほんのりとピンクに色づいていて、純白よりも可愛らしさが勝る。値札にはその名の通りに『ピンクカサブランカ』と書かれていた。
「えぇ? ピンク? そんなイメージぃ?」
「何だよ、不服なのか?」
「いや、うん、可愛いけどさ」
 別に、ピンクが嫌いなわけじゃない。むしろ、好きな色だとも言えるだろう。
 けれども、子供っぽい、よね。うん。弥紘くんと並ぶなら、もうちょっと落ち着いた色が似合うと言われたかった。
「今日のそれもピンクだろうが」
「これは私が選んだんじゃなくて、あっちゃんがこれが一番似合うって」
 結婚式に着る服がないとあっちゃんに相談したら、一緒に買いに行ってくれたワンピース。色はローズピンクだ。でもピンクと言っても落ち着きがある色味で、デザインもシックで私も気に入っていた。
「ああ、亜寿美の見立てだったのか」
 妙に納得した様子の弥紘くんに、ずきんと胸の奥が疼く。そういえば、昔から弥紘くんが褒めてくれるのはあっちゃんが選んだ服ばかりだった。
 もしかして、弥紘くんはあっちゃんのことが好きだったんだろうか。昔から仲が良かったし、高校では同じ野球部で選手とマネージャーの間柄だったし。
 私から見た弥紘くんとあっちゃんは、性別を超えた親友同士みたいな感じに見えていたけれど、もしかすると弥紘くんにとってはそうではなかったのかもしれない。だとすると、今日二次会に行かなかったのも、本当は――。
「ナツ」
「うわっ!?」
 突然引き寄せられて、心臓が止まりそうになった。腕に掛けられた手の平の大きさは、大人の男の人のものだ。
「ちゃんと前見て歩けよ。ぶつかんぞ」
「ハ、ハイ。スミマセン……」
 ぼんやりと考え込みすぎて、前から来ていた人にぶつかりそうだったらしい。気づけば商店街ももう抜ける頃で、家まではあと少しといったところだった。
「ところでナツ」
「何?」
「六日の夜、空けとけよ」
「六日?」
 何の日だ? と思ってしばらく考えてから気づく。私の誕生日だ。
「え? 嘘、お祝いしてくれるの!?」
「はぁ? 毎年毎年祝え祝えってうるさく言う奴が何言ってんだ」
「……あ、はい。そう、でしたね……」
 そう、去年までは弥紘くんに構ってほしくて、毎年誕生日前になるとうるさく主張をしていた。別に、本気で盛大に祝ってほしいわけじゃなくて、一言おめでとうって言ってくれるだけでも嬉しかったから。それなのに弥紘くんは毎年律儀にお祝いしてくれて、プレゼントもくれた。だから、少しくらいは期待をしてもいいかななんて思ったのが大間違いだったのだ。
 去年の誕生日の少し前、私はたまたま出くわした弥紘くんにそれまでの年と同様に誕生日をお祝いしてとねだった。何か欲しいものあるのかと訊き返され、私は思い切って言ったのだ。「指輪が欲しい」と。
 高校を卒業して、大学生になって。少しは大人の女性として見てくれるんじゃないかと思っていた。さすがに社会人と高校生ではいろいろと問題があるけれど、大学生なら少しは違うんじゃないかなんて。大学の友達には社会人の恋人がいる子だっていたし、私にも可能性がないわけじゃない。相談した友達の後押しも受けて、私は微かな期待を込めてお願いした。
 けれども、そんな考えすら子供だったのだ。私の期待は綺麗さっぱり打ち砕かれた。
「ナツにはまだ早いだろ」
 ぽつんと返ってきたのはそんなため息まじりの一言。
 そして、誕生日に渡されたのは、腕時計だった。シンプルなデザインで色も好みだったし、普段から使えて重宝しそうで、さすが弥紘くんはセンスがいいなと思った。もちろん弥紘くんからのプレゼントなのだから嬉しくないわけがない。けれども「大学生なんだし、時間の管理くらいちゃんとできるようになれよ」だなんて、子供扱いにもほどがある。
 そんな苦い思い出があったから、もう余計な期待はしないでいようと誓った。次からはもう、冗談でもお祝いしてほしいだなんて言わないでおこうと思ったのだ。だから、今年は完全に頭の中から誕生日のことを消していた。それなのに、まさか弥紘くんの方からお祝いすると言ってくれるなんて。
「何か欲しいものあるか?」
 去年と同じように弥紘くんが訊いてくれる。けれども、今までみたいに無邪気にあれが欲しい、これがいい、だなんて言えなかった。
「……特に思い付かない、かな」
「んじゃ、俺が勝手に選ぶぞ? いいのか?」
「いいよ。弥紘くん、センスいいもん」
 今まで弥紘くんにもらったもので、気に入らないものなんてなかった。
 腕時計はもちろん、万年筆とインクのセットも、ジンベエザメの大きなぬいぐるみも、アンティーク調のオルゴールも。どれもこれも私の好みにピッタリで、今でも一つ一つとても大切にしている。
 だから弥紘くんが今の私に一番似合うと思うものをくれたらそれだけでいい。
 それでもう、来年からは要らないって言おう。これ以上期待し続けたって、きっと子供扱いは変わらないだろうから。六年の歳の差は、そんなに簡単に埋まったりはしないのだ。
「じゃあ、送ってくれてありがとう」
「おう。六日の約束忘れて別の予定とか入れんなよ」
「大丈夫だってば」
 どこまでいっても子供扱いだなと苦笑しながら、弥紘くんに手を振って家に入る。玄関のドアを閉めると、はぁーっと特大のため息が零れた。
 以前は一緒にいるだけで嬉しくて楽しくてたまらなかった弥紘くんの隣が、今では苦しさばかりだ。
 とりあえず化粧を落として部屋着に着替えよう。それから、スケジュールに六日の予定を書きこんで。
 結婚式での疲れも押し寄せて、着替えを済ませるとベッドへとダイブした。このまま寝られそうではあったけれど、さすがに今寝てしまうとあとあと困る。寝るには早いし、そもそも晩ごはんにすら早いのだ。
 ベッドにだらっと寝ころびながら、スマホをいじる。そして、ふと思い出して「ピンクカサブランカ」を検索した。カサブランカは白のイメージが強くてピンクがあるとは知らなかったのだ。もしかしたら他の色もあるのかな、なんて思いながら並んだ検索結果を見ていると、ある一文に目が留まった。
『カサブランカには白しかありません』
 その一文のリンクへ飛ぶと、さらに詳しい説明があった。カサブランカはスペイン語で白い家の意味。だから白いものしかない。一般にピンクや赤、黄などでカサブランカと名を冠して売られているものは別品種である。そんなことがつらつらと書かれていた。
「……何だ。じゃああれは偽物じゃない」
 ぐっとこみ上げてくるものを無理やり飲み込む。綺麗な花だと思った。可愛いとも思った。けれども、あれはカサブランカじゃない。カサブランカの名を借りた、偽物でしかないのだ。
「弥紘くん、誰が巧いこと言えと……」
 わざと冗談めかしたツッコミを、ここにはいない人に向ける。もちろん、弥紘くんに他意があったわけじゃないと知っている。そんな陰険なことをする人じゃないし、素直に私にはピンクの方が似合うと思ったからだろう。
 それでも、どれだけ足掻いても私はあっちゃんのようにはなれない、真似事ばかりの偽物だと言われているようだった。
 
   

 誕生日の約束は、忘れてしまえればよかったのに、そうは問屋が卸さなかった。一週間前に弥紘くんから時間指定のメッセージが来て、前日にも確認のメッセージが来て。さらには朝からまた確認メッセージ。
 いや私、どれだけ信用がないんだろうか。
 それでも、やっぱり弥紘くんが気に掛けてくれることが嬉しい自分がいる。
 ああ、悔しいな。望みがないとわかってても、やっぱり弥紘くんのことが好きなのだ。
 いっそのこと、告白して綺麗さっぱり玉砕した方がすっきりするかもしれない。片想い歴十四年。拗らせに拗らせた初恋は、そうでもしないと終わらせられない気がした。
 よし、そうしよう。弥紘くんにプレゼントをもらったら、思い切って告白してフラれよう。それがいい。弥紘くんだってもう、いつまでも幼なじみのお守りなんてしてられないだろうから。
 決意を固めた直後、スマホが鳴る。この音はメッセージだ。
 通知を見ると弥紘くんからで、仕事が早く終わったから出て来いというものだった。
 ぱしんと頬を両手で張って気合を入れる。よし、覚悟完了。いざ出陣と勢いよく部屋を飛び出し、玄関を開ける。
 門にもたれるような格好の弥紘くんの背中が見えた。仕事帰りなのだろうスーツの上に黒のトレンチコート姿。それが無理なく似合ってしまう弥紘くんはやっぱり大人の男の人で、遠いなと思ってしまう。
「弥紘くん」
 私の声に振り向いた弥紘くんは、何だか妙に難しい顔をしていた。そして、その手に無造作に掴まれているのは花束だ。それをばさとこれまた少々乱暴に渡される。ふわっと独特の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「え? 花? ってか、百合?」
 反射的に受け取ってしまった私は、その花を見て思わず顔を顰めてしまった。
 ピンクの、カサブランカだ。本物の白じゃない、偽物のカサブランカ。
「……要らない」
 弥紘くんがくれるものなら、何だって喜べると思っていた。ぬいぐるみでも、お菓子でも、何なら日用品ですら嬉しく思えるだろう。
 けれど、これだけは嫌だ。本物になれない私に、偽物のカサブランカだなんて皮肉にもほどがある。
 はぁ? と弥紘くんが不機嫌そうに返した。そりゃあそうだろう。わざわざお祝いしてくれているのに、お礼も言わずにつき返そうとしているのだから。
 でも無理だ。受け取れない。受け取りたくない。受け取ってしまったら、私は偽物だと自分で認めているみたいだ。
「偽物のカサブランカなんか要らない」
「偽物? 何言ってんだ?」
 私の酷い言いがかりにも、弥紘くんは怒鳴ったりはしなかった。どちらかといえば困惑しているのかもしれない。それが大人の余裕に見えて、ますます自分の子供っぽさが浮き彫りになって。
 ああ嫌だ。本当に私は子供で、こんな私が好きになってもらえるわけないじゃない。自分の幼稚さに、苛々する。
「どうせ私はあっちゃんみたいになんかなれないもん。本物の真っ白なカサブランカなんて似合わない。弥紘くんだってほんとは私なんか相手にするのも面倒なんでしょ?」
 八つ当たりみたいに早口でまくし立てる。さすがにここまで言ってしまったらいくら寛大な弥紘くんでも嫌われたよな、なんて思うとまぶたがじわと熱くなってきた。
「……ナツ、ちょっとついて来い」
 弥紘くんの低い声に、体がびくりと震える。それでも動くと涙が零れ落ちそうで、その場に踏みとどまった。
「やだ」
「いいから来い!」
 大きな手の平に腕を掴まれ、突き返すこともできなかった花束を抱えたまま、強引に引っ張られながら歩く。辿り着いたのは近くの公園で、私は空いたベンチに押し付けられるように座らされた。 
「飲め」
 自販機で買ったらしい缶をつき出される。私が好きなミルク多めの温かいカフェオレ。そんなことまで覚えてるから、こっちは期待してしまうというのに。
 無言で花束をベンチに置き、缶を受け取ってプルタブを起こす。カフェオレは、秋風に強張る体をほぐすようなあたたかさだった。
 そうして少しずつ落ち着いてくると、自分の行動が恥ずかしくなる。弥紘くんの行動は完全に厚意からくるものなのに、勝手に傷ついて、当たり散らした。弥紘くんからすれば、憤慨していいところなのに、怒ることなく私に付き合ってくれている。本当に、こういうところが長男だよなとしみじみ思う。
「落ち着いたか?」
「……ごめん、なさい……」
 いつもより少し優しい声音で言われ、素直に謝罪が滑り出た。
「……鳥頭」
 今度はぼそっと不機嫌に言われ、私は思わず顔を跳ね上げる。
「なっ!? ちゃんと謝ってるのにそんな言い方なくない!?」
「鳥頭だから鳥頭ってんだ。おまえがあのピンクのカサブランカがいいって言ったんだろうが」
 呆れ切った表情で言われて、混乱する。私があの花がいいって言った? そんな記憶、まったくない。
「……いつ?」
「おまえが六歳のとき」
「ろく、さい?」
「やっぱり忘れてやがる」
 いや、待って。六歳? 十四年前? そんなこと覚えてないし、むしろなんで弥紘くんはそんなことを覚えているのか不思議で仕方がない。
「え、ほんとに私が言った?」
「言った。『大きくなったら、ナツにお花ちょうだい』って」
 『お花ちょうだい』というフレーズには、確かに覚えがあった。頭をフル回転させて、その記憶を手繰り寄せる。
「あ……」
 思い出した。確かに、私は言ったのだ。弥紘くんに向かって――。

 それは、私が六歳で弥紘くんが十二歳の頃。六年生だった弥紘くんは弟二人とまとめて、私や穂高くんともよく遊んでくれた。
 その日もみんなまとめて公園で遊んでもらっていて、その帰りに私は大好きな幼なじみのお兄ちゃんにお願いをしたのだ。
「ねえ、やひろくん」
「なんだ?」
「大きくなったら、ナツにお花ちょうだい」
 手を繋いでくれている弥紘くんを見上げてそう言うと、弥紘くんは不思議そうに首を傾げた。
「花? 別にいいけど何で?」
「それでね『おれとけっこんしてください』って言うの」
「……は? え? 俺がナツにプロポーズすんのか?」
 私のとんでもないお願いに、弥紘くんは完全に面食らっていた。そりゃあそうだ。お嫁さんにしてねってお願いするのならまだわかるが、プロポーズしろと迫っているのだから。
「そう! あのね、ナツはやひろくんのおよめさんになりたいの! そのためにはね、やひろくんから『けっこんしてください』って言われて、『よろこんで』っておへんじしないとダメなの!」
 多分、お母さんが見ていたドラマか何かに感化されたのだろう。確かに女の子なら好きな人からそんな風にプロポーズされたいと夢見ることはあると思う。しかしまさか、それを相手に要求するとは、自分のことながら幼女の発想って恐ろしい。
「ナツがそのときまで俺を好きだったらな」
「ぜったいすきだもん! かわるわけないもん!」
「わかったわかった。じゃあ、その時はナツの好きな花を用意してやるよ」
「やったー! やひろくんだいすき!」
 弥紘くんは困ったように笑いながら、無邪気に笑う私の頭を撫でてくれた。それは、間違いなく幼い妹みたいな存在を傷つけないための方便でしかなかっただろう。
「で、どんな花がいいんだ?」
「んーっとね……わかんない」
 たった六歳の私には、花の種類なんてとっさには全く思い付かなくて。悩み込む私に弥紘くんがじゃあ近所の花屋を覗いてみようと提案してくれた。
 そう。あっちゃんの結婚式の日に通った商店街の花屋さんだ。
 弥紘くんがお店のおばさんに声を掛けてくれて、店内で色んな花を見せてもらった。そうして私が気に入ったのが、あのピンクの百合だったのだ。
「これ、きれい……」
「ん? ピンクカサブランカ? 確かにナツに似合うな」
「あっちゃんはこっちだね」
 ピンクの隣に並んでいる本物のカサブランカを私が指差すと、弥紘くんもそうだなと納得してくれた。
 ピンクと白、仲良く並んでいるその様が、私とあっちゃんが仲良し姉妹だと言ってくれているようで、私は余計に嬉しくなって弥紘くんの手をくいくいと引っ張る。
「ナツ、これがいい!」
「わかった」
「やくそくだよ! ぜったいわすれちゃダメだからね!」
 そうして私は弥紘くんに強引に指切りまでさせたのだった。

「思い出したか?」
 じとと恨めしげに見下ろされ、私は何度も何度も頷いた。
「おまえがあれがいいって言うから用意したのに、要らないとか言うなよ。……ヘコむだろうが」
 がっくりと項垂れるように、弥紘くんが目の前にしゃがみ込む。滅多に見れない、私が弥紘くんを見下ろすという状況だ。
「ヘコむって、何で弥紘くんが?」
「おまえな」
 しゃがみこんだ姿勢のまま、弥紘くんがこちらを睨み上げる。え、ちょっとそれヤンキーみたいで怖いんですけど。
「何でそんな呆れた顔するの?」
「呆れもするわ! おまえわかってんのか!? 六つも歳違うんだぞ!? 下手すりゃ未成年に手を出したロリコン男扱いなんだぞ!? ただでさえ慎重になってる上に、穂高と亜寿美には成人するまで指一本触れるなとかって釘刺されるし! 俺が今までどんだけ我慢してきたと思ってんだ!」
 あれ? 何だか今、すごいこと聞いたような気がするんだが。聞き間違い、ではないよね?
「なのにおまえはこっちの気も知らずに去年は指輪が欲しいとか言うし! 大学入ってからは化粧とかしだすし、真紘と知紘に訊いたら変な男がたまに寄ってきてるとか言うし、こっちは気が気じゃないのにおまえは知らん顔して二人と仲良くしてるし!」
「そ、そんなこと言われても……」
 あの、何で私キレられてるんでしょうか。てかいつもの大人の余裕はどこにいったの弥紘くん。
「だいたいな! 何でナツはいつも亜寿美の服とか化粧とか真似してんだ! おまえとあいつじゃ全然タイプ違うんだから似合うわけないだろ!」
 まったく訳がわからないまま聞いていたけれど、さすがにこれはカチンときた。いくら弥紘くんでも、言っていいことと悪いことがある。
「うるさいなぁ! どうせ私はあっちゃんみたいに可愛くないもん!」
「ふざけんな! 亜寿美よりもナツの方が百万倍可愛いわ!」
 滅多にない怒り全開で怒鳴ったら、それ以上の勢いで怒鳴り返された。が、
「……はい?」
「あ……」
 今、弥紘くん何て言った? あっちゃんより私が可愛い? え、逆じゃない?
 でも、うっかり口走ってしまったと言わんばかりに気まずそうに視線を逸らす弥紘くんの頬が、暗い公園の中でもわかるくらいに赤い。 
「え、あの、弥紘くん視力大丈夫? あっちゃんの可愛さは全人類が認めるところだからね?」
「両目ともに二.〇だ馬鹿。亜寿美のあれは、外面がいいだけだからな」
「は? 何言ってんの? あっちゃんほど可愛くて綺麗で優しい人いないでしょ? 弥紘くん見る目ないんじゃない?」
「うるせぇ、シスコン! ここぞとばかりにナツと出掛けてるときの画像を逐一送ってきて『なっちゃん可愛いでしょー』とか『今新作の水着見てまーす。まあ、弥紘くんには見せられないんだけどねー』とか余計な一言付けてくるやつのどこが優しいんだよ!?」
「そんなこと、あっちゃんがするわけないじゃん」
「これ見ろこれ!」
 一体どこの次元のあっちゃんの話をしているんだろうと思っていると、弥紘くんはポケットからスマホを取り出して何事か操作する。そうして仁王立ちで突き出されたのは、あっちゃんとのメッセージのやりとりだった。確かに、さっき弥紘くんが言ったような内容が私とあっちゃんが一緒に写った画像と共に送られている。
「すごいねこれ。こんなうまく捏造できるんだ?」
「おーまーえーはー! 俺と亜寿美のどっちを信じるんだ!?」
「え? あっちゃん?」
「即答するな!」
 本当は、捏造だなんて思ってない。弥紘くんの言葉だって信じたい。けれどもそうなると弥紘くんの言葉を都合よく解釈して、勘違いして、勝手に期待して、また傷つくのが怖かった。
「でも、あっちゃんは誰からも好かれるし……」
「だからそれが外面いいだけだって言ってんだよ。それに、あいつはナツが思ってるよりずっと計算高いし強かだぞ? 自分の好きな相手にしか優しくしない。俺には完全に極悪だ。特に俺がナツのこと好きだって知ってからは余計に――」
「や、弥紘くん」
 思わず弥紘くんのお説教じみた言葉を遮ってしまう。いや、だって、今心臓が跳ね上がるようなことをさらっと言ったよね、この人!
「なんだよ」
「今、今のは……えっと、」
「今のって?」
「弥紘くんが……私のこと、好きって……」
 聞き間違えならば恥ずかしいことこの上ない。でも確認せずに流せる言葉ではなかった。
 それなのに、弥紘くんはまたとんでもなく呆れ切った表情になる。
「何だよ、今さらだろ」
「今さらじゃないし! そんなの初耳だし!」
「さっきから俺がずっと我慢してきたって話してただろうが! 鳥頭!」
「ずっとっていつからよ!」
「おまえが中三の頃だよ馬鹿!」
「……中三? 嘘、そんな、前……?」
 中三ってことは、五年前? 五年も?
 衝撃的過ぎる事実になかなかそれを受け止められない。それでも、じわじわと嬉しさが湧き上がってくるのがわかった。
「悪かったな、そんな前からで。つーか、大学生のくせに中学生の幼なじみ相手に本気で惚れるとかねぇだろホント……」
 くしゃと前髪をかき上げながら、決まり悪そうに呟く弥紘くんからは、嘘をついているような様子は一切ない。そもそもそんな嘘を弥紘くんがつく意味もないし、本当にそれだけの間ずっと待っていてくれたんだと胸がぎゅっとなった。しかも、私との約束は弥紘くんが私を好きになってくれたのよりもずっと前。好きでもない頃の、私ですら忘れていた約束を覚えてくれていたことにより胸が熱くなる。
 目の前に見えるコートの裾をぎゅっと握った。
「ねえ、訊いていい?」
「今度は何だよ」
「あの、約束のこと。花くれるってことは、その……」
 六歳の私は言ったのだ。お花をちょうだい。それでプロポーズをして、と。
 弥紘くんがその約束を覚えていてくれたということは――。
「ナツ」
 呼びかける声が、いつもより優しい。弥紘くんが私の目の前にしゃがみ込んで、ポケットから何かを取り出した。それをぽんと、私の膝の上に置く。
「ったく、ねだるのが一年早いんだよ馬鹿」
 置かれたものは、私が好きなアクセサリーのブランドのロゴの入った、手の中に収まるくらいの箱で。ぱたぱたと、その上に雫が零れ落ちた。
「さすがに学生にはまだ早いからな。それは予約だ。もうちょっと稼げるようになったら、もっといい奴買ってやるから今はそれで我慢しろ」
「もうこれでも充分だよぉ……」
「充分じゃねぇ。それじゃ俺が甲斐性なしみたいだろうが」
 涙が止まらなくなった私の頭がぐいと片腕で引き寄せられて、弥紘くんのがっしりとした肩に預けられる。コートを汚しちゃうよと思ったけれど、弥紘くんはそんなこと気にも留めていないみたいだった。
「そういやおまえ、偽物のカサブランカってどういう意味だ?」
 弥紘くんの優しさに甘えてしばらく泣き続けて。ようやく落ち着いてきた頃に弥紘くんがポツンと訊ねる。そうだった。弥紘くんからすれば、まったくもって意味不明の発言だっただろう。
「あ、あれは……カサブランカって、白以外ないんだって。他の色のは本当はカサブランカじゃないの」
「あぁ、だからピンクは偽物ってことか。でも、んなもん売る側が勝手に都合よくカサブランカの名前借りただけだろ?」
 その通りだ。カサブランカの名前の方が一般的に通りがいいから。それだけで値札に書かれた名前。本当はちゃんとした名前があのピンクの百合にもあって、偽物でも何でもない。
 それに、幼い頃の、まだあっちゃんと比べたりしてない頃の素直な私が選んだ花だ。あっちゃんと仲良く並んでいるように見えると気に入って、それを弥紘くんも似合うと言ってくれた特別な花。断じて偽物なんかじゃない。
 偽物扱いしてごめんね、とベンチに置いたままになっていた花束に心の中で謝り、指輪の箱と一緒にそっと抱き締めた。甘い香りが、優しく包み込むように広がる。
「行くぞ」
「うん」
 促され手を引かれて、家までの少しの間をゆっくりと歩いた。いつも通り、私の歩調に弥紘くんは合わせてくれる。
 ずっと、そうだった。弥紘くんはいつでも隣を歩いてくれていた。私が必死に追いつこうとしなくても、当たり前のように同じスピードで歩いてくれていたのだと今更気がついた。
 きっとこれからもそうだろう。私が無理に背伸びしようとしなくても、弥紘くんはそのままの私でもいいと言ってくれる。なのに私は、コンプレックスのせいで自分からあっちゃんの偽物になろうとしてたんだ。
 ちらと隣を歩く弥紘くんを見上げると、……え? 何でこのタイミングで歩きスマホ? ここはあれじゃないの? 晴れて両想いになったんだからもっとこうさぁ。
 ちょっとばかり恨めしげな視線を送っていると、気づいた弥紘くんが拗ねるなと言わんばかりに苦笑した。そして私の目の前に持っていたスマホを差し出す。
「ほら」
「何?」
 いくぶん素っ気ない返事になりながらも画面を見ると、そこにあったのは弥紘くんにもらった百合と同じ画像。そして、その説明が書かれていた。
 わざわざ私に見せるために調べてくれたのだ。

 品種名はル・レーブ。
 意味はフランス語で「夢」、そして花言葉は「貴重、希少な人」。

「やっぱりナツにぴったりだな」
 そう言って、ふわっと柔らかな笑みを見せられて、私はまた顔を伏せる。
 弥紘くんのそんな笑顔こそが、私にとってはル・レーブそのものだ。けれどもそれを口に出したらきっと照れた弥紘くんに怒鳴られる気がしたから、こっそりと思うだけにする。
 代わりに小さく呟いた。

「弥紘くん、大好き」
「……知ってるわ、馬鹿」

ニセモノカサブランカ [fin.]

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