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つぼみにくちづけ

 魔術と知識の国・リブロマギアでは、バラの花が育たない。明確な原因はわからないが、それは一種の呪いだと言われていた。
 曰く、かつて魔女と呼ばれた王女が、恋人を喪った悲しみから呪ったとか。曰く、冤罪で処刑された宮廷魔術師が呪いのバラを生み出し、それを相殺するためにさらなる呪いでバラを封じ込めたとか。
 それらしい伝承はいくつもあるけれど、そのどれもがどこか決め手に欠ける。古い歴史書を開いてみても、原因を確定できるような記述は見つからなかった。
 ただ、事実としてバラは滅多に育たない。たとえ運良く育ち花をつけたとしても、それはその年のみで枯れてしまうのだ。

 けれども、彼の庭だけは違った。
 いつ訪れても色とりどりのバラが競うように咲き乱れ、その甘い香りにうっとりと酔いしれてしまう。
 蔓バラの絡みつく門をくぐり、花の香気に誘われるまま庭の奥へ進むと、陽光にきらめく金の髪が見えた。
 恋人を愛おしむかのようにバラたちを見つめる横顔に、確かな胸の高鳴りとささやかな嫉妬を覚える。
 深呼吸を一つ。大丈夫、ちゃんと笑える。
「ごきげんよう、レナート様」
 振り返った彼に、ワンピースの裾をつまんで精一杯淑女らしくお辞儀した。彼はにこりと微笑んで「いらっしゃい、ロレダーナ」と私を迎え入れてくれる。
 そうして庭先に用意された丸いテーブルで、ささやかなお茶会が開かれるのだ。
 それは私の至福のとき。およそ十年前から続くかけがえのない時間だった。



 六つになったばかりの頃、私は彼のお屋敷の隣に引っ越してきた。それまでは王都近くに住んでいたけれど、流行り病に罹って体調を崩してしまい、医師に空気と水の綺麗なこの地での静養を勧められたからだ。
 生まれてこの方王都を出たことがなかった私にとって、国境近くのフィオレノという小さな町には不安しかなかった。
王都から離れるにしたがってまばらになっていく民家。代わりに現れる見たことのない花々や自然の風景には確かに目新しさがあり、好奇心が刺激されなかったと言えば嘘になる。
けれども、聳え立つ急峻な山々は畏怖の念を抱かせたし、名所と言われる美しい湖は澄んだ水底に引き込まれてしまいそうで近づきがたかった。人の多い土地で生まれ育った私には、近すぎる自然は一種の恐怖になっていたのだ。
そんな不安を抱えながら到着したその先。馬車を降りた途端にそれまで自分の中に占められていた負の感情は一瞬ではじけて消えた。
 まず、隣の屋敷の庭に咲き乱れるバラの花に目を奪われた。絵本でしか見たことのなかったバラが、溢れんばかりに咲いているのだ。呆けたようにバラを見つめていた私の耳に、くすくすと笑い声が届く。驚いて視線を向けると、そこには天使がいた。
 いや、その時は本当にそう思ったのだ。美しいバラを背景に大人びた微笑みを浮かべる少年は、天使と称してもおかしくないほど麗しかった。
「本物のバラは初めて見る?」
 言葉を返すこともできず、ただただ何度も頷いた。すると彼は持っていた鋏で傍にあった薄紅色のバラを一本、ぱちりと切った。そしてそれを私に向かって差し出したのだ。
「じゃあ、これはお近づきの印に。もしもっと側で見たいのならば、今度庭でお茶会をしよう。もちろん、君のご両親に相談してからだけどね」
 バラの香りよりも甘い微笑みに、私は一瞬で心を奪われた。
 七つも年上の、誰よりもバラを愛する人への不毛な恋の始まりだった。


 私には幼い頃から大好きな絵本がある。内容は至ってありきたりな、今となっては幼稚とさえも思えるおとぎ話。王子様とお姫様が出逢い、恋をし、様々な苦難を乗り越えて結ばれる、使い古されたハッピーエンドの物語だ。
 けれど、そんな子供だましの物語で、格別に思い入れのあるシーンがあった。王子様がお姫様に愛を告げるラストの場面だ。
 悪い魔法使いが育てていた、この世に一つしかないルビーのように澄んだ赤い色を持つ魔法のバラ。その一輪をお姫様に捧げて、王子様は永遠の愛を誓うのだ。
 当時本物のバラなどまだ目にしたことのなかった私にとって、憧れるに充分なシーンだった。その赤いバラの花言葉が「あなたを愛してます」だと知ると、その憧れはより一層強まっていった。
 そんな私が恋に落ちてしまった相手は、そのシーンを現実にしてしまえる可能性を持っている。そう気づいた瞬間、手の届かない夢物語が現実味を帯びた夢へと変わった。
「赤いバラ、貰えないかなぁ」
 レナート様とのお茶会から帰ると、一人きりになった自室でそう呟いてしまうのも私の恒例行事。
 初めてレナート様と出逢ったあの日、私は早速両親にお茶会に誘われた旨を告げた。幸い、両親は彼のお庭でお茶会をすることを快く受け入れてくれた。
あとから知ったことだが、当時レナート様は事故と流行り病で立て続けにご両親を失ったばかりだったそうだ。同時に、叔父君の後見のもと、まだ十三歳にも拘わらずカルディナーレ家の家督を継いでいた。年齢に見合わない重責だっただろうと思う。レナート様の境遇に同情した両親は、少しでも気が紛らすことができるのならばと思ったらしい。レナート様を何かと気にかけていて、お茶会だけでなく我が家に招待することもあった。それから何度も交流を重ねるうちに、一年もすると私は一人でお隣まで赴くようになっていた。両親の仕事が忙しくなったこともあるが、それ以上にレナート様が信頼できる相手だと認められていたからだ。両親からすれば、私に兄のような存在ができたと思っていたのだろう。
 レナート様と二人きりで過ごせるほうが嬉しいなどと、年の割にませたことを考えていた私は、信頼してくれた両親に心の中で激しく感謝をしていた。

 そうして十三になる年のこと。私は勇気を振り絞ってあるお願いを口にした。
「ねえ、レナート様。学園の入学祝いにバラを一本くださらないかしら?」
 入学祝いという言い訳の手前、「赤いバラを」とは言えなかったけれど、そう告げた私の心臓は破裂しそうな勢いでどくどくと鳴り続けていた。
「もちろん。ならば、ロレダーナに一番相応しいバラを用意するよ」
 相変わらずの甘やかな微笑みに、期待が一気に上がった。
 私に一番似合うバラ。それが愛情を示す赤いバラだったなら、どんなに嬉しいだろう。
 出逢いから七年。どこから見ても子供でしかなかった私も、少しずつだが大人の女性らしくなってきた。淑女らしい礼儀作法だって身につけたし、彼と並んでも『大人と子供』には見えないだろうと思えるようになってきたのだ。
それに、彼は私が訪れるといつも穏やかに甘い笑みで迎え入れてくれる。きっと悪い印象ではないはずだ。もしかしたら、彼も――。
 そんな期待を抱いた私の目の前に、どうぞと差し出されたのは雪のように真っ白なバラだった。しかも、花が開く前の蕾の状態の。
 レナート様が大切に育てたバラだ。まだ蕾であっても清らかで美しいそれが、私に相応しいと言われたら嬉しくないわけがない。
 けれど、よりによって白いバラの蕾。その花言葉は、「恋をするには若すぎる」だった。
 当然といえば当然の結果だった。ようやく十三歳になったばかりの私と、二十歳のレナート様。リブロマギアでは十八になれば結婚もできる。レナート様はとっくに『大人』の仲間入りを果たしている人で、私など年の離れた妹のようなものでしかなかったのだ。
 もしかすると私の秘めた恋心を見透かして、ちくりと薔薇の棘のような警告を寄越したのかもしれない。「君にはまだ早いよ」と。
 その場から走って逃げ帰りたくなった。けれど、お礼もせずに立ち去ることは淑女として許されない。涙腺が緩みそうになるのを何とか堪え、笑顔で礼を述べると優雅に裾を翻してその場を去る。我が家の敷地へと入ると、そこからまだ庭に姿を残していた彼を盗み見るように窺った。
ひときわ赤く艶めくバラの傍らに彼は佇んでいた。そして、愛おしむようにその花弁を撫でたあと、まだ花開く前の蕾にそっと口づけたのだ。
 その姿に、ずきんと胸の奥が疼く。
 たかがバラだ。別に恋人同士のキスを見たわけでもない。それなのに、あまりにも愛情溢れる彼の眼差しに、私の想いなど入る隙など欠片も見出せなかった。


 失意の日から約三年。とっくに成人しているレナート様にいつ婚約の話が持ち上がるのかと、私は内心戦々恐々としながら毎日を過ごしていた。
 だが、そんな恐怖の宣告よりも先に、私自身に縁談が舞い込んだ。私も今年で十六だから、おかしな話ではない。けれど、私にとってレナート様以外の男性と結婚するなどありえない話で、父から『縁談』の二文字が出た瞬間に話をよく聞きもせず家を飛び出していた。
 向かう先は、もちろんお隣の庭。レナート様は少し驚いた様子で、けれどすぐにいつもの優しい笑みで私を迎えてくれた。途端に、はらはらと涙が零れ落ちる。
「レナート様、私……」
「ロレダーナ、まずは落ち着いて。紅茶を用意するから」
 そう言ってレナート様は私の髪を優しく撫でると、使用人に命じてお茶の準備をさせた。そうして泣きながら立ち尽くしていた私をガーデンチェアへと促す。しばらくして、ティーセットが運ばれてくると、レナート様手ずからカップにお茶を注いでくれた。それを私の目の前に置くと、私の向かい側の席に腰を下ろす。
 どうぞ、と目線で促され、カップにそっと口をつけた。ふわりと口中に広がった香気に、少しずつ気分が落ち着いてくる。そんな風に私の気持ちを簡単にコントロールできてしまうレナート様は、まるで魔法使いみたいだった。
「それで、突然訪ねてきて泣き出すほどに、嫌な出来事でもあったのかな?」
「それは……」
 冷静になってようやく自分の取った行動の恥ずかしさに気づく。『縁談』の申し込みがあったというだけで、拒絶反応を示して家を飛び出してきたのだ。いくら上流の家筋でないとはいえ、貴族の家の娘のやることではない。
それに、縁談が来たことを彼に知られるのが嫌だった。いや、より正確に言おう。縁談が来たことに「おめでとう」と祝福されるのが嫌だったのだ。
「……ごめんなさい。何でもありません。突然押しかけてしまって、申し訳ありませんでした」
 謝罪を残し、その場を後にしようと席を立つ。その瞬間、信じられない言葉が耳を打った。
「もしかして、お父上から話を聞いた?」
「どうして、レナート様が……」
「君のことだから、よく話を聞きもせずに飛び出してきたのだろう? 違うかい?」
 まるで私の行動を全て見ていたかのように告げられ、返す言葉を失ってしまった。その声音が、幼子をあやすような色を帯びていることに唇を噛む。
「まったく、本当に君はそそっかしいね」
 それ以上の言葉を聞きたくなくて踵を返そうとすると、それより一瞬早く大きな手に掴まえられた。
「レナート様?」
「おいで」
 穏やかだけれど、どこか有無を言わせぬ強い意思の籠った言葉に、大人しく手を引かれてついていく。そうして辿り着いた先には、以前にレナート様が蕾に口づけていた赤いバラの植えられている場所だった。その隣には、三年前にお祝いとしてもらった白バラも並んでいる。
何の為にこの場に連れてこられたのか疑問に思っていると、すいと繋がれていた手が離れた。そしてその手が今度は白バラを一本選んで鋏を入れる。
「このバラの名前はね、『レダ』というんだ」
 そう説明しながら、彼はその一輪をこちらに差し出した。
「『レダ』?」
「そう。君の愛称と同じだ」
 確かに、父や母からはレダと呼ばれている。以前にこの花を贈ってくれた理由が、それだったのだとようやく悟った。けれど、だからといって蕾を贈られた意味は変わらないだろう。私が欲しいのは、白いバラの蕾ではなく花開いた赤いバラなのだ。
 そんな想いが表情に出ていたのか、レナート様は苦笑いを浮かべる。
「そっちの赤いバラは、あと二年待ってくれるかな」
「二年?」
 二年経てば、あの赤いバラを贈ってくれるという意味なのだろうか? けれど、どうして? 二年経てば私は十八で――。
 そこまで考えて、ようやくその言葉の意図に気づいた。途端に顔に熱が上っていく。
「あ、あの、レナート様、えっと」
「とりあえずご両親が心配しているだろうから、一旦帰ってちゃんと縁談の話を聴いておいで」
 諭すように告げる彼の表情が、あの日蕾に口づけていたときと同じくらい愛情に溢れていたのはきっと気の所為ではないだろう。

 数日後、私は彼から赤いバラの蕾に口づけていたことの言い訳を聴かされた。
「さすがに、婚約もしていない女性にキスしたりはできないからね」
 そう甘く微笑んで、頬に口づけを落としながら。

つぼみにくちづけ [fin.]

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