七夜月奇譚

序 樹下の誓い

 桜が、舞う。
 はらはらと、ひらひらと。
 幾重にも広がる薄紅の雨。
 大きく枝を広げたその桜の樹は、満開の花を枝中に飾り、すぐ側に佇む二つの影を見守るように静かにそこに在った。
 優しい春風がその花枝を揺さぶり、またはらはらと花弁が舞う。
「……約束、して頂けませんか?」
 透明な声が、静寂を震わせる。
 それはどこか必死で、何かを決意したような毅さを持っていた。
「約束?」
「はい。必ず、必ず帰ってくると……」
 離れる辛さを押し隠し、ぎこちなく笑みを浮かべてそう約束を取り付ける彼女に、男は優しさと愛おしさを併せ持った微笑を浮かべた。
 彼女の彼に対する想いに、心から喜びを覚えたのだろう。
 不安を募らせているだろう彼女を安心させるように、まっすぐに視線を合わせ、頷く。
「ああ、わかった。必ず帰ってくる。……そうだ、またこの場所で逢おう。この大きなソメイヨシノの下で」
 男が、二人を見下ろす桜の巨樹を振り仰いだ。つられるように彼女も桜を見上げる。
 この桜は、二人にとっては大切な思い出の場所だった。何度もこの桜を訪れ、何度も二人で桜を愛でた。
 だから男には、この桜の下がもっとも相応しい再会の地に思えたのだ。
「この、桜の下で?」
「そうだな、七夕がいい。離れ離れになった男女がようやく再会できる日。僕たちにぴったりの日だ」
「七夕……」
 ごつごつとした幹に手を添え、遥か遠く先の逢瀬を待ちきれないかのように、彼は無邪気な笑顔を見せる。
 彼女は桜から彼へと視線を移し、男の提案をしっかりと噛み締めるように呟いた。
 彼の彼女に対する思いやりに満ちた言葉が本当に嬉しくて、零れそうになる涙をぐっと堪えながら。
「三年後の七夕の夜、もうすっかり葉桜になっているだろうけど、この樹の下で待っていてほしい」
「わかりました。ずっと……、ずっと、お待ちしております……」
 はらはらと、ひらひらと、桜が舞う。
 幾重にも舞う薄紅の雨が、一つに重なった男女の影を包み込む。
 優しく、見守るように。

 そうして結ばれた誓いは、年を経て――。