器用貧乏の恋愛事情

朝チュンなんてきいてない! 03

 ミツルさんが授けてくれた最良の策。
 それは、翌日の朝、岡崎くんと待ち合わせて一緒に大学に行けというものだった。
 ……これのどこが一体最良の策なんだろう? え? 何? 岡崎くんと一緒にいたら、聖澤が付き合ってると勘違いして納得し、追ってこなくなるとか? いやいや、そんな馬鹿な。一緒にいたからって付き合ってると思う方がおかしい。岡崎くんだって聖澤とタイプは違えどイケメンなのだ。私じゃ釣り合いが取れないし、せいぜい仲のいい友達としか思われないだろう。
「ってか、何で岡崎くんはこんな意味の分からないことに巻き込まれて、素直に私と一緒にいるのさ」
「そりゃ、深町さんに頼まれたからに決まってんでしょ」
 いや、ミツルさんと仲いいのは知ってるけど! だからって、何のメリットもないのにこんなこと……ん? メリット?
「……もしや、釣られるような餌をミツルさんにちらつかされた?」
「むしろ、俺が何の見返りもないのに引き受けると思ったわけ?」
「ですよねー。知ってた!」
 やっぱりそうか。うん、そうだよな。そうでなきゃ岡崎くんが動いてくれるはずなかったわ。
「で、その見返りって?」
「二岡さんと飯食いに行く約束取り付けてくれるって」
「え? でも、紗奈さん彼氏……」
「んー、何か深町さん曰くちょっと前に別れてたらしい」
「マジで!? んじゃ岡崎くんチャンスじゃん! 頑張って!」
 思わず岡崎くんに詰め寄って全力のエールを送ってしまう。と、その直後何かに気づいた岡崎くんが表情を強張らせた。
「間柴さん、お客さん」
「お客さん?」
 あ、嫌な予感。めちゃくちゃ嫌な予感。振り向かなくてもいいかな。
「間柴!」
 聞き覚えのある声には、切羽詰まったような、そしてどこか苛立ったような色が滲んでいる。間違えようもない、今一番会いたくない人の声。
「間柴さん、はい、回れ右」
 ぐいっと私の両肩を持って、岡崎くんが強制的に私を振り向かせる。いやちょっと待て! 君は私に協力するためにここにいるんじゃなかったのか!?
「岡崎くんっ!」
「いや、だって、呼ばれてんのに無視するのは良くないでしょ」
「今はそういう正論要らないから!」
「間柴、ちゃんと話聞いて!」
 岡崎くんと言い争っている間に、聖澤は目の前まで迫ってきていてがっちりと私の手首を捕まえてしまった。これはもう、完全に逃げようがない。仕方がないと覚悟を決めようとしたときだった。
「ちょっと浬! 置いていかないでよ!」
 聖澤の背後から、可愛らしくも拗ねたような声が重なる。
 え、何この状況。修羅場? え、これは修羅場ですか? いや、痴話喧嘩なら二人きりの場所でゆっくりやってください。てか、彼女来てるのに私追いかけてくるとか何やってんの聖澤浬!
「あ、この子が例の間柴芙美さん?」
 私の姿を見つけた途端、彼女さんが破顔した。うっ……眩しい。可愛い。キラキラすぎて直視できない。
海沙(みさ)はしゃしゃり出てくるなって!」
 へえ、ミサさんっていうのか。お名前も可愛いですね。てか、聖澤がこんな風に乱暴な口調で話すとか珍しいな。それだけ親密な関係ってことだよな。
 ところでミサさんは何で私のフルネームを知ってんだ? 仲のいい友達だって話してたんだろうか? いやいや聖澤浬くん、友達とはいえ彼女に他の女と仲いいとか言っちゃ駄目だよ? てか、そろそろ私逃げてもいいですかね?
「いいじゃない。今まで私が何回芙美ちゃんに会わせてって言ったと思ってるの?」
「ふ、ふみちゃん?」
 いきなりの名前呼び!? 何で!? てか、聖澤氏よ、私のことを一体どういう風に説明したんですか!?
「あ、ごめんね。いつも浬からお話聞いてて、趣味が合いそうだなって勝手に親近感持っちゃってたの」
「は、はぁ……。それは、どうも……」
 それはどうもって返事もどうかと思ったけれども、どう返せばいいんだこういう場合。
「ほら、間柴が困ってるだろ。いいから海沙はあっちで待ってろって。話ついたら、ちゃんと紹介してやるから」
「しょーがないなー。じゃあさっさと終わらせてね。じゃあ芙美ちゃん、また後でねー」
 聖澤の説得に、ミサさんが渋々ながらも応じる。私はと言えば、ひらひらと真っ白で綺麗な手を振ってその場を去っていくミサさんを、呆気にとられたまま見送るしかなかった。
 まあ、聖澤としては彼女がいたら朝チュンに言及はできないよね、うん。てか、今気づいたけど、岡崎くんがいても話しにくいのでは? そう思って岡崎くんを振り返る。
「あの、おかざ――」
「岡崎だっけ? 間柴と話あるから、外してくれない?」
 私より先に、聖澤がそう低く投げかけた。低いというか、地を這うような超低音だ。聖澤がこんな声出すのも、初めて聴いた。
「外すのは別にいいんだけど、気を付けないと間柴さん逃亡すると思うよ?」
 岡崎くん! せっかく隙を見て逃げようとしてたのに、どうしてそういうことを言うかな!?
「そんな簡単に逃がす気ないから。それより、いつまで間柴に触ってんの?」
「怖い怖い。んじゃ、間柴さん頑張って。逃亡したら俺が深町さんにシバかれるから、くれぐれも逃げないように。俺はちょっと離れたところで見張ってるんで」
 強制回れ右させられたときのままずっと両肩に置かれていた岡崎くんの手が離れる。代わりに私の手首を捕まえる聖澤の手に、少し力が込められたように感じた。
「あ、あの、聖澤? 逃げないから、手離してくれないかな?」
「このままでも話はできるだろ?」
「そうだけど……」
 その通りではあるんだけど、この状態は心臓によろしくない。いくら聖澤にそんな気がないとわかっていても。いくら私には何の望みもないとわかっていても。好きな人に触れられていると思うだけで嬉しさが生まれてしまう。どうしようもない切なさと一緒に。
「この間のこと、ほんとごめん」
 聖澤の声が、ぐっと優しくなった。途端に、涙腺が緩みそうになって、誤魔化すように下を向く。
「……うん」
 気にしてないよとか言いたかったけれど、声を出すと泣きそうになっていることに気づかれそうで、それだけしか答えられなかった。
「あの、俺、何もしてないから」
「……何も?」
「いや、何もっていうと語弊があるかもしれないけど、でも、うん、その……寝てる間柴に犯罪的なことは何もしてない、はず……」
 はず? はずって何だ? もしかして――、
「聖澤も、酔っててあんまり覚えてないの?」
「覚えて――」
「かーいりー!」
 聖澤が答えようとするのに、テンション高めの声が被さった。にゅっと聖澤の両脇から腕が二本生えて、そのまま体に絡みつく。少し遅れてさらに二本の腕が聖澤の首の両サイドに生えて、同じく絡みついた。同時に、少しきつめのフローラルな香りが漂う。
「やーっと見つけた!」
「あらぁ、もしかして大事なお話の最中だったぁ?」
 以前から何度か見かけていた派手なお姉さん方だ。からかうような笑みを向けられ、居心地が悪くなって思わず聖澤の手を振り払う。急なお姉さん方の襲来に驚いて手の力が緩んでいたのか、あっさりと抜け出すことができた。
「間柴!」
 二人の派手系美人に抱きつかれたまま、聖澤の声だけが追いかけてくる。どこか必死なそれを振り切ってその場から離れようとすると、いつの間にか岡崎くんが通せんぼするように目の前に立っていた。
「ほらまたそうやって逃げる」
「だって、あの人達も聖澤に用があるんでしょ? 私との話なんて、後回しでいいと思うよ」
「いや、あのお姉さんたちも、用事があるのは間柴さんだと思うよ?」
「……は?」
 あのお姉さん方が、私に用がある? いや、そんなわけないでしょ。何を意味の分からないことを岡崎くんは言って――。
「もう、(なぎさ)姉さん! 深汐(みしお)姉さん! せっかく浬がちゃんと話しようとしてるのに、ややこしくしない!」
 ……姉さん?
 聞こえてきた声は、また後でと手を振って去っていったミサさんのものだった。どういうことだと振り返ると、聖澤に絡みついていた美女二人を引き剥がしながら、ミサさんが美女二人にお説教している光景が目に入る。
 え、あの派手美女二人は、ミサさんのお姉さん? いや、確かに言われてみれば口元とか似てる気がするけども。
 茫然としていると、美女二人の腕から脱出した聖澤が猛ダッシュして私の手を再度捕まえた。
「頼むから、ちゃんと話させて」
「えっと……あの……」
「ふみちゃーん、いきなり驚かせてごめんねぇ」
「つい浬のお気に入りのふみちゃんに会えると思ったらテンション上がっちゃってね」
 ふみちゃん再び!? しかも、何故かお二人とも聖澤との間に割り込むような感じで距離がめちゃくちゃ近いんですけど!? いや、ミサさん姉妹はフレンドリーが過ぎませんか!?
「だから、姉さんたちは勝手に話に入ってくるなって!」
「……え?」
 今、聖澤も姉さんって言った? ってことは、このお姉さん二人も、ミサさんも、みんなきょうだい!? 恐るべし美形遺伝子!
 いや違うそうじゃない! 何!? 何なのこのカオス状態! 誰でもいいからこのよくわからない聖澤きょうだい勢揃いの理由を説明してくれませんかね!?
「だって、ねえ?」
「そうそう。みっちゃんとさなちゃんが、誤解の大元は私たちだって怒るんだもん」
「だから、直接誤解を解きにきたのぉ」
 ……今、何か聞き慣れた名前が出てきた気がするんですが。待って。いやほんと待って。何故だかすごーく嫌な予感がする。色々と思い返すと、その嫌な予感が確信にとてつもなく近い気しかしない。
「ふみちゃん、いつもうちの浬がお世話になってますぅ」
「ほんっとヘタレで奥手なチェリーくんだけど、これからもよろしくね?」
「余計なことを言うなー!」
 真っ赤になって怒鳴る聖澤を、思わずポカンと見つめてしまった。
 ヘタレ? 奥手? チェリーって……ええっ!?
「ほらほら渚姉さん、浬に後でちゃんと紹介してもらえるって言質とってあるから。深汐姉さんも、ふみちゃんから離れて離れて」
 まるで混雑整理するイベントスタッフみたいに、ミサさんがお姉さん二人を宥めたり窘めたりしながら遠ざけてくれる。その様子を、私は未だ茫然自失状態で眺めていた。
「さて、さすがにもう逃げる気は失くしてそうだな」
 背後から聴こえてきた岡崎くんの声で我に返った。聖澤のお姉さんズの登場ですっかり忘れてたんだけど、岡崎くんもまだいたんだった。そうだ。岡崎くんもミツルさんの協力者だ。ということは、
「岡崎くん、ミツルさんの策って……」
「策? そんな大層なもんがあの適当な人にあるわけないじゃん」
「なんですと?」
 少々こちらを馬鹿にするような、呆れ切った表情で岡崎くんが言い切った。
 いやいや、でも、今ここに岡崎くんがいるのはその策の一端では?
「俺はとにかく、話の途中で間柴さんが逃げ出そうとしたらとっつかまえて逃げないようする安全装置だって言われてたし」
「安全、装置?」
「間柴さん、笑えるくらい深町さんの言ったとおりの行動するんだもんなー」
「ミツルさんの言ったとおりって……」
「聖澤に遭遇したら、まず十中八九逃げようとする。そこでしっかりと捕縛しておくこと。んで、その後清楚系美人が来たら逃げ出そうとする第二弾。んでもって、その後に派手系美人なお姉さんも来るだろうから、そのとき第三弾が発動、だそうだ。ほら、見事にそのとおりでしょ?」
 つまり、ミツルさんは全部知ってたってこと? ミサさんやお姉さん二人と聖澤の関係も? この三人が来ることも? でも、何で? 
「あ、ちなみに、渚さんって人が深町さんの友達で、深汐さんって人は二岡さんの友達だって。聖澤とも面識あるって言ってたな」
「聖澤とも!?」
 さすがにびっくりしすぎて、がばっと聖澤に振り返る。聖澤はちょっときまり悪そうに視線を逸らしていた。
「ま、その辺は聖澤本人から聞けば? んじゃ、深町さんにミッション完遂したってよろしく伝えといて」
「う、うん……」
 ひらっと軽く手を振って岡崎くんはキャンパスの奥に向かって歩き出す。聖澤の横を通り過ぎるとき、ふと思い付いたように足を止めてこそこそっと何かを耳打ちした。何を言われたのか、聖澤は「うるさいっ」とまたらしくない大声を上げる。何を言ったんだ岡崎くん。ご機嫌斜めな聖澤と一緒にこの場に残される私の身にもなってくれ。
 そんな私の悲痛な想いなど露知らず、岡崎くんの足取りはかなり軽快で上機嫌なようだった。そりゃそうか。片想い相手とデート確定だもんな。浮かれるよな。羨ましい。
「間柴」
「は、はいっ!」
 改めて名前を呼ばれて、現在の状況を思い出した。てか、手! 手ぇっ! 捕まえられているというか、繋いでるみたいになってる!
「ちょっと、そこ座ろうか」
 空いている中庭のベンチを指さされて、こくこくと頷く。今の状況は恥ずかしすぎて、とても声が出なかった。促されるままベンチに座ると、隣に聖澤も腰を落ち着ける。手を繋いだままで。
「あの、聖澤、手、離して」
「嫌?」
「い、い、嫌とかそういうんじゃなくって……! もう、本当に逃げる気ないから!」
 何でちょっと悲しそうな表情で訊くんですか! ほんともう、こっちはいっぱいいっぱいなんだから、ちょっとは容赦して!
 私の必死の訴えを理解してくれたのか、聖澤の手がそっと離れた。ありがたい。これでやっと気持ちが少し落ち着く。……少しだけ、ぬくもりがなくなったのが寂しいけれど。
「それで本題だけど……。ちょっと確認したいんだけど、間柴はあの日の記憶どこまである?」
「えっと……二次会でカラオケ行って、二、三曲歌ったのは覚えてる」
「そっか」
 私の返答に、聖澤は少し安心したような表情になる。
「間柴、トイレ行くって出て行ったきり戻ってこなくて、様子見に行ったら廊下で知らない男たちに絡まれてお持ち帰りされそうになっててさ」
「は? マジで!?」
 思いもしない事実に、一気に血の気が引く。下手したら朝チュン相手が聖澤じゃなかったかもってことだ。それこそ、ミツルさんが言っていた警察沙汰だ。
「俺が声かけたら、間柴が『聖澤だ~』って嬉しそうに抱きついてくれたから、そいつらもすぐに諦めてどっかいったけどな」
 引いた血の気が一転。今度は全身の血が沸騰しそうになった。抱きついた!? 抱きついただと!? 何やってるの私! てか聖澤! 助けてくれたのは本当に感謝しているけども! その記憶は封印したままにしてほしかった!
「それで、このまま置いとくのは危険だなって思って、ゼミのみんなに言って間柴を送っていくことにしたんだけど」
 う……これ以上は聞きたくない気がする。私絶対になんかやらかしてる。だから、聖澤は何だかちょっと言いにくそうにしてたんだ。きっとそうだ。
「家の場所訊いても全然要領得ないし、ゼミの他の奴らも『いいじゃん、そのまま連れ帰っちゃえー』とかって真面目に答える気ないし。仕方ないから俺の部屋連れてくしかなくって」
 いや、そこ! ゼミのみんなもう少し親身になろう!? 普通に考えて男の家に女連れ帰っちゃえはおかしいでしょ!? 酔っぱらって記憶失くしてる私が言うのもなんだけど、酒癖悪いなみんな!
 ひとしきり心の中でツッコミを入れてから、ふと朝チュン状態に陥っていた自分の状況を思い出す。聖澤から聞いた経緯から行くと、聖澤宅にお世話にならねばならなかったのはまあ仕方ないとして。
服! 服ですよ服! 何で着てなかったの私! 何もなかったって聖澤は言ってたけど! だったら何で脱いでたの!?
「聖澤、あの……」
「何?」
「……私、服、着てなかったの、何で……?」
 直球で訊くのは躊躇われて、けれども遠回しな訊き方も思い付かなくて、まるでカタコトの外国人みたいになってしまう。聖澤の顔をまともに見ることもできなかったから、俯きがちにちらちら様子を窺っていると、聖澤も聖澤で落ち着きなく視線を彷徨わせ始めた。
「その、それは……部屋ついて水用意してる間に間柴が『暑いー』とか言いながら脱ぎだしちゃって……」
 痴女じゃないですか私ーっ!
「み、見てないから! いや、ちょっとは見えたけど! できる限り見ないよう努力はした!」
 それならよかった……いや良くない! 全然良くない! 男の部屋で服脱ぐとか! お母さんそんな子に育てた覚えはありません!
「それで、その……本当ならその後書き置きでも残して俺は姉さんに迎えに来てもらって実家に帰ろうと思ってたんだけど」
 ……え、まだ何かあるの? これ以上の何があるの!? ねえ! 聞くの怖すぎるんですけど!
「間柴が、俺の服握り締めて離してくれなくて、『一人にされたら寂しいでしょー』とか言うし、挙句の果てには『聖澤も暑いでしょー? 脱いじゃえー』とかって服脱がしてくるし」
 紛うことなき痴女じゃないですかー! 聖澤に手を出されたかもなんて勘違いも甚だしい! むしろこちらが慰謝料払うくらいの所業をしてしまっているじゃないの!
「結局そのまま間柴がひっついたまま寝落ちして、だから、その、状況的にかなりアレな感じだったけど、いかがわしいことは一切してない……です」
 聖澤は言い終えると、はぁーっと大きく息を吐き出した。その時の状況を思い出したからなのか、その顔は真っ赤に染まっている。
「聖澤……、その、多大なるご迷惑を、お掛けいたしました……! ほんとごめん! 慰謝料請求してくれていいから!」
 どこの世界に酔っぱらって片想い相手の服引ん剥くやつがいるんだよもう! 穴があったら入りたいくらいだけど、そんな都合よく穴なんてないから掘るためのスコップください!
「い、慰謝料とかそんなのはいいけど!」
「良くない! 友達だからって痴女行為に至った私を許しちゃ駄目だよ!」
 慰謝料の一言に聖澤が焦るけれども、慰謝料というか迷惑料は請求してしかるべきだと思う。そうでないと私の気が済まない。私が一方的に迷惑を掛けただけなのに、あの日テンパった私は頭の中で散々聖澤のことを詰っていたのだから。
「……てか、ごめん。一個だけ、嘘ついた」
「嘘?」
「何もしてないっての」
 言われた瞬間、ぼんっと顔面が瞬間沸騰する。いやでも、今までの流れだと聖澤の『何もしてないのが嘘』と言われても、大したことことをされたわけじゃない気しかしなかった。
「じゃあ、何、したの?」
 恐る恐る訊ねると、ぽつりと「キス」と返ってきた。
 ……きす? ……キス!?
 理解した瞬間、思いっきり身を引いてしまった。無意識に庇うように、自分の唇を手で覆う。
「違う! その! お、おでこに……!」
 おでこと言われて、今度は両手で自分の額をがばっと押さえた。けれども、そこに知らぬうちに聖澤の唇が触れたのかと思うと恥ずかしくなって、またすぐに離してしまう。行き場のなくなった両手は、恥ずかしすぎて自分の顔を覆い隠すことに落ち着いた。
「間柴の寝顔があまりにも可愛くて……。その、かなり、我慢はしたんだけど、やっぱり目の前に好きな子が無防備に寝てるってのは無理があって……」
 必死に言い訳する聖澤の言葉を、私も必死に頭を働かせて消化しようとする。が、言語処理能力が正常に機能しなくなっていた。
 今、聖澤は何て言った? 可愛い? 何が? 寝顔? 誰の? ……好きな子って? 好きって、誰が、誰を? え、……ええっ!?
「ひ、ひ、ひじり、ざわ……?」
「何?」
「今の話……誰と、誰のこと……?」
「……それ、現実逃避したくなるほど、俺にキスされたのが嫌だったってことか?」
 今まで見たことがないほど切なそうに、聖澤が力なく微笑む。ああ、ダメだ。何でこんなに一挙一動が絵になるんだろう。私なんかじゃ到底釣り合わないくらいかっこいいのに。
「ち、違う」
「じゃあ、何でそんなこと確認すんの?」
「信じられない、から」
 そうだ。そんな簡単に信じられるわけがない。ごくごく平凡な自分が、こんなにかっこよくて気遣いもできるイケメンに好きになってもらえるだなんて。
「俺、そんなに信用ない? ……まあ、間柴は俺が色んな女と遊んでると思ってたみたいだけど」
「ぐっ……、そ、それは、いつもあのお姉さんとかが迎えに来てたりしてたから」
 少し拗ねたような、凹んだような物言いをする聖澤に、慌てて言い訳をする。そもそも聖澤だって、あのお二人がお姉さんだなんて全く教えてくれなかったじゃないか。
「聖澤がお姉さんだって教えてくれてたら、そんな誤解しなかったよ」
「……姉二人にいいようにこき使われてるなんて、かっこ悪くて言えるわけないだろ」
「こき使われてる?」
「買い物の荷物持ちさせられたり、彼氏いないときに見たい映画付き合わされたり。映画くらい一人で見ろって言っても、そんなの私のプライドが許さないとかわけわからない理屈で無理やり連れてかれてた」
 まあ、映画は間柴誘う参考にはなったけど、だなんてぼそっと付け加えられる。
「それに、さっき会ってわかっただろ? 間柴を直接紹介しようもんなら、絶対ろくなこと言わないに決まってる」
「あ、そ、そうだね……」
 そういえば、衝撃的な事実も聞いてしまっていたのだった。うん、確かに身内だと色々と大変そうなのはわかる。
「あの、聖澤が遊んだりしてないのはわかったけど! でも、その……さっきの、ほんとにほんと?」
「間柴、何でゼミの奴らが間柴送っていくのにそのまま連れて帰れとか無責任なこと言ったかわかってる?」
 質問に質問で返さないでほしいところだったけれど、聖澤が真剣な表情で訊ねるので素直に考える。昨日までの私なら考えもしなかった可能性に、今なら辿り着くことができた。
「みんな、聖澤が私を好きだって、知ってた……?」
「そういうこと。俺は、好きでもない子の趣味や好みになんて興味ないし、必要以上に優しくしたりなんてしない」
 きっぱりはっきりと、聖澤が言い切った。
 なら、今までずっと私が聖澤の隣で居心地よく過ごせたのは、それだけ聖澤が私のために心を砕いてくれていたからだったんだ。
「ただ、間柴が俺のこと友達としか思ってないみたいな態度とるから……、それなら、間柴が望む限り友達でいようって思ってた」
 先ほどまでのしっかりとした口調が、徐々に弱まっていく。
 聖澤に女として見られていないと思って張っていた虚勢。それがかえって聖澤との距離を友達のままで固定させてしまっていたというわけだ。
「あの、聖澤、ごめんね。私、ずっと聖澤の優しさに甘えてたんだなってわかった」
「それは……その、そんなことないと思う。どっちかって言うと、俺が臆病で卑怯だっただけだし」
「臆病で卑怯だったのは私の方だよ。友達としてなら、聖澤の隣にいられると思ってたもん。自分は聖澤の好みとは違うだろうって勝手に思い込んでたし、もし告白なんかしようもんなら聖澤優しいから困るだろうなって……」
「…………え?」
 聖澤が、とんでもなく間の抜けた表情で固まった。それでもイケメンはイケメンなんだ。顔がいいって本当にすごいな。呆気にとられた顔でも見事にドラマのワンカットみたいだ。
 いやいや、そんなことを考えている場合ではない。
「聖澤?」
「俺、フラれるんじゃないの?」
「ええっ!? 何で!? 今の会話でお断りしたような要素あった!?」
「だって、『ごめんね』とか言うから。てっきり『友達以上に思えない』ってパターンかと思って、死ぬほど覚悟決めてた……」
 そう言うと、聖澤はホッとしたような表情になって、そのあと今度は耳まで真っ赤になった。え、やだ、可愛い。何この恥じらってる顔! 私より乙女じゃない!?
「あー、ちょっと待って。ほんと俺めちゃくちゃかっこ悪い……」
 真っ赤になった顔を両手で覆い隠して、聖澤が天を仰ぐ。
「くっそ……何でこうビシッと決まらないかなぁ。もっとちゃんと男らしく、付き合ってほしいって言いたかったのに……」
 ああ、どうしよう。どうしようもなく、私は馬鹿だ。大馬鹿者だ。
 自分に自信がないからって、聖澤のことちゃんと知ろうとしてなかった。並んでも釣り合わないとかそんなことばっかり考えて、綺麗なお姉さんたちのことも勝手にそういう関係なんだと解釈して。
 すごく自分勝手に傷ついて、それ以上に聖澤を傷つけていたんだ。なのに、それでも聖澤は優しいままで隣にいてくれた。 
「聖澤は、かっこ悪くなんてないよ」
「間柴……?」
「かっこ悪くなんてない。いつでも優しくてかっこよくて、私が隣にいるのが申し訳なくなるくらいイケメンすぎるよ」
 語彙力皆無すぎて上手く伝えられない。大学生なんだからもう少し適切な表現で伝えなさいよ私! とか思うけれど、本当にちゃんと言葉が出てこない。代わりに、ぽろぽろと涙が零れ落ちて、余計に何を言っているのかわからなくなってきた。
「ま、間柴!? え、何でそこで泣くんだ!?」
「ごめんね、聖澤。勝手に女好きのチャラ男扱いして……」
「……うん、まあ、それは確かに本気でショックだったけど」
「だってかっこいいんだもん。私なんか顔も普通だしスタイルもいいわけじゃないし頭も運動神経も並の並で、何かが特別できないわけじゃないけども、特別できるようなものもなくて、自慢出来るところないもん。なのに聖澤はそんなイケメンな上に紳士的だし誰にでも優しくて人気者だし、そんな人に好きになってもらえるなんて思うわけないじゃん!」
 何だか後半は逆ギレみたいになってしまったけれども、それでもやっぱり聖澤は聖澤で。よしよしって慰めるように頭を撫でてくれた。やっぱりやることがいちいちイケメンで、ますます涙腺が緩む。
「間柴は自慢できるところがないなんて言ってたけど、そんなことないよ。いつも明るくてちゃんと周りも気遣えて。好きなものを語るときの笑顔も可愛いし、一緒にいて楽しい。だからゼミの奴らも間柴が飲み会くるってだけで喜んでたんだし」
「……そう、なの……?」
「そうだよ。本当はもっと飲み会とか誘いたいけど、間柴がバイト頑張ってるのも知ってるから、無理は言えないって言ってた」
「そうだったんだ……」
「あと、この間の飲み会で俺たちが帰る前に、間柴に酒飲ますのはほどほどにしておこうって意見が一致した」
「……大変申し訳ないでございます」
 冗談めかして付け加えられた言葉に、ようやく涙が止まってきた。代わりに、思わぬ事実を知って気恥ずかしさが顔を出してくる。
 めちゃくちゃ恥ずかしい。知らない間にゼミのみんなから聖澤との仲を応援されてたとか、次にみんなと会うときどんな顔すればいいんだろう。何食わぬ顔で、なんてできる気がしない。
「間柴」
「は、はい!」
 気持ちを切り替えたように、聖澤が真剣な表情で私を呼んだ。まっすぐすぎる視線が痛いくらいで、けれどもそこから目を逸らすことはできない。
「同じゼミになったときからずっと好きでした。俺と付き合ってください」
 ちょっとばかり堅苦しい言葉で、聖澤から告白の言葉が向けられる。真面目な顔をしているけれども、頬はまだやっぱりちょっと赤くて、普段のかっこよさよりも可愛さの方が気持ち勝っていた。そんな聖澤に、私は今更ながらにもう一度、恋に落ちた、気がする。
「私も、ずっと聖澤のことが好きでした。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
 聖澤の真摯な告白にちゃんと応えようと、何とか言葉を絞り出してぺこりと頭を下げた。
 が、そのまま顔を上げられなくなってしまった。だって、告白って死ぬほど恥ずかしい。しかも何なんだ、不束者ですがって! まるで嫁に行くみたいじゃないか!
「……もう、本当にそういうところだよ、間柴……」
「え?」
 困ったような、呆れたような声を不思議に思い、顔をそろそろと上げる。聖澤がまたしても真っ赤になった顔を押さえて天を仰いでいた。
「な、何か変なこと……言った?」
 訊き返しながらも、すぐに自分でも心の中でツッコミを入れていたじゃないかと気づく。うん。言ってる。言いました。すみません。
「よ、ね……」
「自覚があるならよろしい。まあ、その……俺はそれでも全然問題ないというかむしろ大歓迎だし」
「へ!? いや、まだ学生ですけど!?」
「今すぐとは言ってないから!」
 お互いに叫んでしまってから、プッと顔を見合わせて噴き出した。朝チュン事件の前は聖澤とこんな風なやりとりは日常茶飯事だった。きっと、関係が友達から彼氏彼女に変わったとしても、こんな感じなのは変わらないと思える。
「そろそろ、講義室行こうか」
「うん」
 以前と同じような声音で、聖澤が私を促した。違うといえば、少しだけ声に甘さが加わったことと、手が差しのべられているということだ。
 まだちょっと慣れなくて恥ずかしいけれど、差し出された手に自分の手をそっと重ねる。
「ゼ、ゼミのみんなに報告、するの……?」
「報告しなくても、きっとこれ見たらすぐにわかると思うよ」
「確かに……」
 今からある講義は、必修だからほぼ全員ゼミのメンバーが揃っているのだ。そんな中に二人で手を繋いで入っていったら、一目瞭然で。きっと、講義が終わったら質問攻めに遭うんだろうなと脳内再生余裕だった。ヤバいな、ちょっと怖い……。
「心配しなくても、みんなお祝いしてくれると思うよ」
 私の心を読んだかのように聖澤がにこりと笑う。くっ……いつも以上に笑顔が眩しい。
 こんなイケメンが本当に私なんかの彼氏でいいのか、なんて思ってしまうほどの最上級のキラキラスマイルだ。けれども、すぐにその自分の卑下するような考えを振り払った。
 卑屈になっていたから、聖澤の気持ちにも気づかなかったし、しなくていいすれ違い――というにはかなり一方的に逃げていただけだけど――をしてしまったのだ。だから、そういうのはもうやめよう。聖澤は、私がいいって言ってくれたんだから。
 ぎゅっと握っていた手に力を籠める。少し驚いた顔をする聖澤に、精一杯の笑顔を返す。
「これからもよろしくね、か、浬くん」
 あらん限りの勇気を振り絞って、名前で呼んだ。
 が、直後、二人揃って茹でダコのようになってしまった。
 まだまだ、世間一般の恋人同士のようになるには、修行が足りないようです。