器用貧乏の恋愛事情

出発準備OKです!

『南口店の深町です。出発準備OKです』

 そんな簡潔で事務的な、何の面白味もないメールが、私の一日の遅い始まりを伝える。
 派遣アルバイトとして駅前のパチンコ屋で働く私こと深町(みつる)は、出勤前に必ず出発確認のメールを派遣元へと送らなければならないのだ。最初は面倒臭く感じたものだったが、さすがに二年も働けば目を瞑っていても、送信履歴から前回のメールを呼び出して再送できてしまう。最近では惰性で送っているものだから、自分でも送信したのを忘れてしまうくらいだ。
 用件を果たした携帯をカバンに放りこむとマンションを出る。職場までは自転車で十分弱。冷たい北風を全身に受けながら、我が愛車・レッドスター号――と言っても、ただの赤い自転車――を漕ぎ、途中のコンビニで晩ご飯を調達する。レジで精算をしていると、大学生らしき可愛い店員さんに小さなチラシを手渡された。
「二十四、二十五とケーキの店頭販売するんで、是非買ってくださいね!」
 眩しいばかりの笑顔に、苦笑いが零れそうになったのを、何とか営業スマイルに切り替える。はいはーいと適当な相槌を返すと、そのチラシをレジ袋の中に押し込んで、コンビニを出た。
「『買ってくださいねー!』とか言われてもなー」
 思わずぼやくような口ぶりになってしまう。が、それも仕方がない。出勤すればわかることだが、どうせその日は仕事なのだ。そんなことは考えなくたってわかる。他のバイトの多くが、クリスマスやイブには休みが欲しいのだから。
 職場に辿り着いて、事務所前に貼り出された十二月後半のシフト表を見ると、予想通りの結果だった。私の段には、『17~24』の文字がずらりと並び、二か所だけしか空白はない。
「えーっと、休みは十七と二十三か」 
 パチンコ業界は、はっきり言って入れ替わりが激しい。特に私が働いている遅番は、学生も多いから余計にだ。一年も過ぎた頃には、先輩のほとんどが抜け、気づけば遅番では二番目にベテランになってしまっていた。しかも、唯一の先輩も少し前までは早番だった。早番と遅番では微妙に業務内容が違うので、実質的な遅番の最古株は私になってしまっていた。
 遅番では閉店作業があり、その中でもカウンターを担当する女子アルバイトは精算作業を任せられる。お金を扱うだけあって、その作業ができるバイトは人数が少なく、私を含めて二人だけだ。そうなると、必然的に私の出勤日数は増える。ひと月の休みは、五日あればいい方だった。もちろん、それはいつもシフト希望を「おまかせで」の一言で済ませている自分の所為でもあるから、何の文句もない。文句はないのだが――。
「たまには『クリスマスは彼氏と過ごすんで、お休みくださぁい』とか言ってみたいもんだねー」
 ぽつりと、本音が漏れた。とは言っても、そこまで切実に願っているわけでもない。
 私にはクリスマスを一緒に過ごすような相手もいないし、そういう相手が欲しいわけでもない。ただ何となく、そんな風な浮かれた気分になることが、たまにはあってもいいじゃないか。
「クリスマスなんて、ここ数年仕事しかしてないですよお姉さんは」
 去年はこのお店で働いていたし、それ以前は先ほどのコンビニのお姉さんと一緒で、三年連続店頭販売をしていた。声が通るので、貴重な戦力とみなされ、休みの『や』の字も言う隙はなく、メンバーに組み込まれてしまっていた。
 まあ、仕事は嫌いではないし、ダラダラ過ごすくらいなら働いている方がずっといい。そう思いながら、更衣室に向かって歩き出した瞬間だった。
「ふかちゃぁん!」
 嘆くような甘えるような声が背後から近づいてきた。声の主は同僚の元木舞子、通称まあこさん。私の一個年下の二十六歳。一応先輩のはずなんだが、私が年上な所為か妙に懐かれていた。
「ふかちゃん、約束守ってね!」
 私にずずいっと詰め寄ると両手をがっちりと掴む。いつもはどこか眠たげな瞳をうるうると潤ませながら、まあこさんはそう言った。
「え? あー、はいはい。約束、ね……」
 一瞬何のことかわかりかねたが、すぐに思い出して相槌を打つ。三か月ほど前、酔った勢いで彼女とある約束をしていたのだ。
『クリスマスまでにお互い彼氏ができなかったら、一緒に過ごそうね!』
 そうまあこさんにお願いされていた。女同士でクリスマスを過ごすなんて淋しいことこの上ないが、一人で過ごすよりはよっぽどマシだろう。
 わかってるよ、と宥めながら、更衣室へと促す。
「でも良かったー。ふかちゃんに彼氏できなくて!」
 心の底からそう思っているだろう言い方に、呆れて何も返せなかった。いや、悪気はないのだと思う。まあこさんは天然入ってるし、基本的に空気の読める子じゃないし。
 しかし、私だからいいものの他の人だったらケンカ売ってるぞそれ、などと思いながら、お返しとして私も嫌味をプレゼントすることにしておいた。
「まあこさんは残念だったねー。彼氏できなくて」
「確かにそれは残念だけどー、でもふかちゃんと過ごせるから全然いいよ!」
「え」
 嫌味はほとんど通じてない上に、少々困る返事だ。悪いが私は、そういう趣味はない。いや、あったとしてもこんなめんどくさそうな彼女はお断りだ。
「やだ! 変な意味じゃないってば!」
 私の目線に気づいたまあこさんが、慌てて弁解を始めた。うん、それなら良かった。男相手ならきっぱり断るのもできるけど、女の子泣かすのは後味悪いもんね。
「でも、ふかちゃんなら絶対に彼氏できると思ったんだけどなー」
「その根拠は?」
「だって、可愛いしー、気も利くしー、お料理も得意だしー。選り好みしなきゃ、とっくにできてると思うんだけど!」
 やたらと褒めちぎるので、それはどうも、と気のない返事を返すと、まあこさんは私の態度がお気に召さなかったらしい。風船みたいに頬を膨らませて、てしてしと背中を叩いてきた。
「そ、れ、に! 最近例の方とも仲良いんじゃないのー?」
 その台詞は私が更衣室のドアを開いたのとほぼ同時で、すでに中で着替え始めていた後輩の紗奈ちゃんの耳にもしっかり届いていたようだった。おはようございます、と小悪魔的な笑顔で挨拶を寄越した後、ずいずいと寄ってくる。こらこら、ちゃんと服着てないのにドアに近づいたら、廊下から見えるでしょうが。本人よりも私の方が焦りながら、急いでドアを閉める。
「ミツルさん、何か進展あったんですかー?」
「あるわけないっしょ。てか、まあこさんもその男苦手フィールド全開をもう少しどうにかしたら、彼氏の一人や二人簡単にできると思うよ」
 適当にかわしながら、まっすぐに自分のロッカーへと向かった。さっさと着替え始めた私の後を追うように、まあこさんは私の二つ右隣のロッカーを開けながら、
「そんなことないよー。あたしは無理だよー。ふかちゃんみたいに女子力高くないも―ん」
 などとのたまっていた。
 いや待て。私の一体どこが女子力高いんだ? 化粧は苦手だし、麻雀やパチスロ好きだし、競馬新聞とスポーツ新聞を愛読してるようなヤツだぞ? どう考えても女子力高くはないだろ。
 そんなことを思いはしたものの、そこでつっこむとあとあと面倒臭い。というか、全体的にまあこさんの相手は疲れるのだ。かといって、このまましょうもない愚痴を聞かされるのもごめんだった。
「あ、ミツルさん、そのピアス可愛いー」
 そんな私の心情を見透かしたのか、紗奈ちゃんが上手い具合に別の話題を振ってくれた。本当にこの子は気が利くなー。こういう子を嫁さんにしたいもんだわ。
「可愛いっしょー。誕生日にもらったんだー」
「え? 誰に誰に? まさか、『殿』?」
「んなわけあるか。友達だっつーの」
 勝手に妄想を膨らませるまあこさんには本当のことを言うわけにもいかず、適当にあしらってさくさくと話と着替えを終わらせる。おろしていた髪をまとめ上げてヘアクリップで止めたら、準備完了。一応申し訳程度に化粧も直した。
 時間は午後四時五〇分。事務所で朝礼――夕方でも何故か朝礼という――を済ませると、お店に降りて早番と引き継ぎをする。カウンターに置いてあるタイムテーブルを確認すると、最初はスロットコーナーの担当だった。
 島端に立っている早番の女の子と挨拶を交わしながら、インカムと鍵とリモコンを受け取る。鍵をベルト通しにつけてリモコンとともにポケットにつっこむと、インカムをセットし、マイクボタンを押した。
「スロット、深町入ります」
 決まり文句を一言告げれば、『了解です』という社員さんの声が返る。それを聞きながら、いつものように三コースあるスロットコーナーを巡回し始めた。
 メダル貸出機の補充具合、台間のゴミやおしぼりの回収、箱の埋まり具合。そんなものをチェックすると同時に、今日は誰が来ているのかな、なんて常連さんも確認していく。
 すると、途中で一人のお客さんがくるりとこちらを向き、手を出した。早足で側により、両手を差し出す。無言のまま、チャリチャリと手のひらの上に落されたのは、十数枚のメダルだった。枚数を確認すると、少々お待ち下さいと言い置いてジェットカウンター――メダルや玉を数える機械――へと向かい、レシートに交換する。メダルの枚数とバーコードの印刷されたそれを持って、今度はカウンターに向かった。カウンターに入っていたのは、まあこさんだ。
「セッタ」
「もしかして、緒方さん?」
「そう」
 私が肯定した瞬間、まあこさんがにやにやとした笑みに変わる。こういう表情の時に言う台詞なんて決まっている。どうせ「よかったね」などとのたまうのだろう。
「よかったね、ふかちゃん」
 ほらやっぱり。まあこさんは満面の笑みで、セブンスターを差し出した。
 緒方一也さん――先ほど私に煙草を頼んだお客さんは、近くのホテルでフロントをしている人だ。性格はちょっと変なところがあるけれど、見た目だけなら文句なくかっこいい。私の好みのどストライクだ。あくまでも、見た目だけなら、だけど。
 出勤した時にまあこさんが言っていた『例の方』とか『殿』とかいうのはこの人のこと。でも、誤解しないで頂きたい。別に私は緒方さんを好きなわけではないのだ。
 それが何故、こんな風にまあこさんに言われてしまうかと言うと、理由は簡単。前に女子のバイト同士で、『常連さんで誰が一番かっこいいか』と言う話題になった時に、私が緒方さんの名前をあげてしまったが為だった。今思い返しても、あれは痛恨のミスだ。
 まあこさんは、とにかく何でも恋愛に繋げたがる。『かっこいいと思っている』は、そのまま『好き』にされてしまうし、挙句の果てに「応援するから!」とか言われる始末。応援なんかされても困るだけだというに。
 いや、まあ、全然気にならないと言ったら嘘になる。でも、緒方さんを気になる理由ってのは自分でもわかっているから、これは恋じゃないと思っているのだ。
 とはいえ、こんなことを考えていると伝えたって、まあこさんに通じるわけはない。そして、彼女の口を封じるのにもっとも適切な台詞を私は知っていた。
「まあこさんこそ良かったね。先輩も来てるよ」
「ふかちゃんっ!」
 まあこさんが寄越したものと似た台詞を返してやると、途端にまあこさんは茹でダコみたいに真っ赤になった。少しだけ清々した気分で、私は煙草を持って緒方さんの元へと戻る。
 お待たせしました、と差し出すと、緒方さんはすぐさまそれを開けて一本口にくわえた。当たり前のように差し出されるフィルムや銀紙の屑を、いつものように受け取る。
「コレ、どう思う?」
 疲れの色濃い顔で、台の上方につけられているデータ機を緒方さんは指差した。男の人にしては細く整った指先が綺麗だ。手の綺麗な男の人って好きなんだよなー。チクショー。見た目だけなら本当に好み過ぎるなこの人。
 そんなことを考えながら示された先を見ると、回転数が八百を超えていた。これはひどい。思わず笑ってしまうくらいひどい。
「また見事にハマってますねー」
「シバくぞ」
「せんぱーい、殿が怖いですー」
 ドスを効かせた声とともに睨みつけられ、慌てて私は視線を外す。そして、隣の席にいた別の常連さんに笑いながら助けを求めた。
「こらこら、緒方クン。女の子には優しくしないと駄目じゃないかー」
 私が先輩と呼ぶ常連さんが、細い目をより細めてそう言う。が、かなりの棒読みだ。
 この見えているのかどうなのかよくわからない人は、阿波野孝介さん。スロットで生計を立てているいわゆるスロプロなのだ。
 先輩と呼んではいるが、たまたま出身大学が一緒なだけで、直接的な先輩後輩の間柄ではない。仲良くなり始めた頃に冗談で先輩と呼んだら、ご本人がいたく気に入ったのと、私自身が呼びやすいからそのまま定着してしまっただけだ。
 『先輩』は私しか使わないけれど、店員の多くが使うあだ名もあって、それは『王子』だったりする。いや、外見的とかキャラ的なものでは断じてない。先輩がカエルがキャラクターのスロットをよく打っていたから、『カエル王子』と呼ばれるようになり、それが更に省略されて『王子』のみになったわけだ。緒方さんが『殿』と呼ばれているのも似たような理由だし、他の常連さんにもこんな感じのあだ名があったりする。
 そうそう、言い忘れていた。もうお分かりだとは思うが、この先輩こと阿波野さんに、まあこさんはちょっと好意を寄せている様子。だから、まあこさんが緒方さんをネタに私をからかうときは、先輩ネタでやり返すのが常套手段だった。
「あ、そうだ。ふかちゃーん」
「何すか、先輩」
 先輩においでおいでと手招きされて、側まで近寄る。先輩は私の耳元に口を寄せると、「今日の閉店後、暇?」と聞いてきた。それだけでぴんときた私は、ニッコリ笑顔で「大丈夫っす」と返す。
「んじゃ、閉店後」
「了解っす」
 短い言葉で話を終えると、私はまた自分の仕事へと戻っていった。
 私と先輩のやりとりは、傍から聞いていればかなり怪しい。もちろん、他のお客さんには聞こえないようにしているけれど。店員と常連客が必要以上に仲良くしていては大問題だしね。
 閉店後、私が仕事を終えるのは日付が変わってからだ。そんな遅い時間に成人した男性が女性を誘う。どう考えてもアダルティーな想像しか出てこない。が、実際はそんなことは全くない。今のも、実はセット麻雀のお誘いだったりする。こんななのにどうしてまあこさんに女子力が高いとか言われてしまうのか、本当に理解不能だった。
 そんなことを考えながらもランプの対応に追われていると、時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。気づけばあと十分もすれば、最初の休憩が回される時間になっていた。確か、休憩明けはカウンターだったなと、タイムテーブルを思い出しながらホールをもう一回り。その途中、またも緒方さんに声を掛けられた。今度はメダルを一枚だけ差し出している。
「ブラックですね。少々お待ち下さい」
 丁寧に承って、メダルを受け取る。うちの店では、メダル一枚、玉五玉でコーヒー一杯のサービスをしているのだ。常連さんはよく頼んでくれるので砂糖やミルクの量は言われなくてもわかっていた。
 カウンターの脇にあるコーヒーワゴンに向かい、作り置きしてあるコーヒーをポットから紙コップへと注ぐ。受け取ったメダルは、置いてある専用のカップの中に放り込んだ。
 零さないように慎重な足取りで戻ると、「置いておけ」と言わんばかりに緒方さんが台の横を指差した。だから、ここぞとばかりに指が綺麗なのを主張するなと言いたいのを、ぐっと我慢する。
「失礼します」
 控え目に声を掛けて、置いてあった煙草を少しよけ、狭い台間にコップを置いた。そのままもう一度失礼しますと声をかけて立ち去ろうとしたら、
「ピアス」
 ぽつりと緒方さんがそう呟いた。
「はい?」
「そんなピアス、してた?」
「え? ああ、これですか? 先月、先輩からプレゼントしてもらったんですよー」
 私と先輩の仲がいいことは、緒方さんも知っている。今更隠す必要もないので素直に答えると、少し声のトーンを落とし、耳元で囁くように問われた。
「阿波野と付き合ってんの?」
「は? そんな風に見えます?」
「だって、いつも一緒にいるだろ?」
「いや、まあ、よく遊んでもらってはいますけどね」
 さっきみたいな麻雀のお誘いだけでなく、普段から一緒にご飯を食べに行ったり、カラオケに行ったり、映画観に行ったり。確かに普通に考えたら、付き合っているように見えるかもしれない。
 けれど、そんな色っぽい関係なら、なんというかこう、先輩に対してもっと可愛らしく振舞う気がする。せめて化粧くらいは気合いを入れてちゃんとするだろうし、言葉遣いも多少は女らしくなると思う。まかり間違っても、「起きてますか?」なんて細目をネタにすることはないだろう。
「残念ながら、深町はクリスマスを過ごす相手もいない可哀想な子なんですよ」
「そっかー。かわいそーだねー」
 何とも小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、棒読みで返す緒方さん。男前だから余計に嫌味度が増している。
「うわー、腹立つー。本気で腹立つー」
 本当にこの人、黙ってればかっこいいのに。服のセンスもお洒落だし、声だって耳元で囁かれた時には思わずドキッとしてしまうくらいいい声なのに。せっかくツボ要素がたくさんあるのに、発言自体が残念過ぎだ。
「てか、そういう緒方さんはどうなんですか? 去年のクリスマス、うちの店で打ってたでしょ」
 反撃の意味も込めてそう返す。去年のクリスマスも私は仕事だったが、緒方さんも職場の男の子を連れて打ちにきていた。あれだけかっこいいのに、彼女いないのかなーなんて、他のバイトの子と話題にしていたのを覚えている。
「今年はちゃんと仕事も休み取ってますー」
「はいはい。それは失礼しました」
 引き続き腹の立つ口調で言われ、苦笑いでそれに答えるしかなかった。まったく、とても年上の男の人の発言だとは思えない。
 ふと気づくと別のコースのランプが点灯していた。私は丁度いいと言わんばかりに、子どもっぽい絡み方をする緒方さんを置いてランプに向かって走り出す。
 やっぱり、彼女いるよね。一瞬、そんな考えが過ぎったけれど、すぐに忙しさに紛れてしまった。



 師走は他の月以上に日数の消費が早い気がする。それは思い込みでしかないのかもしれないけれど、気づけばクリスマスイブになっていた。
 慣れた手つきで出発確認のメールをし、家を出る。いつも寄るコンビニでは、宣言通りクリスマスケーキの店頭販売を行っていた。あの笑顔の可愛いお姉さんも、サンタ姿で大きな声を張り上げて頑張っている。それでも私はいつもと変わらず晩ご飯を調達し、レッドスター号を疾走させて職場へと向かった。
 特に確認することもないので、更衣室に直行する。まあこさんはまだ来ていないようだ。ロッカーからクリスマス用のサンタ衣装を出し着替え始めると、その直後に小さなノックが聞こえた。
「どうぞー」
 着替えを続けながら短く返事すると、そろそろとドアが開く。あれ? おかしいな。今日のシフトはまあこさんと私だけ。まあこさんなら、こうばぁんっという感じで入ってるくはずなのに。 
 不思議に思って振り返ると、入口で少々思い悩むような風情のまあこさんが、ぎゅっとバッグを抱き締めて立ち尽くしていた。
「まあこさん? どしたの?」
「ふかちゃん、ゴメン!」
「は? 何謝ってんの?」
「今日ね……、駄目になっちゃった」
 上目遣いなまあこさんの頬が、ほんのり赤く染まっている。これは多分、外が寒かったからってだけではない。多分。
「駄目になったって、何で?」
「えっと、その、ね……」
 もじもじいじいじ、バッグの肩紐をいじりながら、まあこさんはもったいぶったように言う。それは、どこからどう見ても恥じらう乙女の姿だ。
「誘われちゃった。クリスマス、一緒に過ごそうって……阿波野さんに」
「……はぁっ!?」
 ちょっと待て。いや、確かにまあこさんがお誘い受けてOKする相手なんて限られてるけど! でも、まさかよりによって先輩だなんて!
 何故なら、先輩は私がまあこさんと一緒にクリスマスを過ごすことを知っていたのだ。つい先日に一緒に麻雀を打った際、その話を出したんだから間違いない。なのに、この仕打ち! まあこさんが先輩と過ごすなら、必然的に私は一人じゃないか!
 し・か・も! 間が悪いことに、私は二十三日の休みを二十五日と交換していた。紗奈ちゃんが彼氏の都合で二十五日と変わってほしいと言ってきたのだ。もちろん断る理由はないし、まあこさんと深夜に飲むなら、翌日休みの方がむしろありがたい。そう思って快く引き受けたのに、これでは完全に寂しいシングルベルではないか!
「んの……クソカエル王子ーっ!」
 ドスが効いた怒りの雄叫びが響く更衣室の隅っこで、まあこさんが肩を竦めて小さくなった。

 朝礼を終え、ホールに降りる。華やかに飾り立てられたクリスマスツリーにサンタの人形。モールやオーナメントで、店内もクリスマスモード一色だ。
 早番の女の子達は、どうせこの後みんな彼氏とラブラブなクリスマスを過ごすのだろう。早く時間がこいと言わんばかりに浮足立っている。
 こういうときの女の子のそわそわとした様子はすごく可愛い。殺気を漂わせんばかりの私とは違って。くやしいから、リア充爆発しろとかは絶対に言わないけどな!
「深町さん、何か今日、笑顔が怖いです」
「え? そう? 気の所為、気の所為」
 極上の営業スマイルを貼り付けながら引き継ぎを済ませたけれど、早番の子には私の怒りオーラが見えていたらしい。レインボーオーラだわ、などと呟きながら、そそくさと去って行かれた。
「レインボーとか失礼な。継続率そんな高くないぞ」
「なになに? ふかちゃん、バトルボーナスゲットしてんの?」
 私の独り言に反応して、細長い人影が寄ってくる。その気楽な口調は、間違いなく私が倒すべき世紀末覇者、もとい諸悪の根源・先輩だった。
「だぁれの所為だと思ってんですかぁ?」
 唸るような低い声で下から睨み上げたが、それでも先輩はヘラヘラした笑顔を改めようとはしない。ますますイラっとしてしまう。
「まあまあふかちゃん、そんなに怒ったら、可愛い顔が台無しよ?」
「あぁん? どの口がそんな台詞吐くんでしょうねぇ?」
「ごめんってー。悪いと思ったから、ふかちゃんにプレゼントを用意してあるのよん」
「別にいいっす。この間もらったばっかですし」
「そんなこと言わずにー。可愛いふかちゃんの為に先輩、素敵なプレゼント選んだのよー」
「カマな先輩を持った覚えはないっす」
「まあ、ひどい!」
 どっちが酷いよ。確かに、どうしてもまあこさんとクリスマスが過ごしたいとかそういうわけじゃなかったけれど、一人で過ごす寂しさと比べたら雲泥の差だ。
 それに私は、まあこさんとの約束を果たすために、大学時代からの友人の誘いを断っていた。せっかく誘ってくれた友人たちにめちゃくちゃ謝り倒しながら、まあこさんの約束を優先したわけなのに。
 この恨み、晴らさでおくべきか! 断じて先輩を許すわけにはいかなかった。
「って、冗談は置いといて、閉店後マジで残っとけよ」
 おちゃらけて機嫌を取ろうとしていた先輩だったが、突然真面目な顔に戻ると、そう言い置いて去っていく。あまりにも颯爽と去っていくもんだから、反論する隙も何もなかった。
 閉店後、残っとけ? 何で? プレゼントを渡すだけなら、まあこさんに頼めば済むだけの話だ。ということは、私自身が必要ということか?
 そう思った瞬間、何とも怖気の走る想像が頭の中を過ぎった。
 まあこさんはものすごく天然だ。だが、一応私に懐いているわけで、今回のドタキャンを心底申し訳なさそうに謝っていた。つまり、現在彼女の胸の内は罪悪感でいっぱいなのである。
 そのまあこさんなら、もしよかったらふかちゃんも一緒に……なんて言い出してもおかしくはない。いや、絶対に言っている! ほぼ間違いない! 普通なら、できたてカップルの中に第三者を介入させようなどと思うはずがないのだが、そんな常識が通用しないのがまあこさんなのだ。
 これはもう、仕方がない。仕事終わったら速攻で逃げ出そう。こういう時、昔バトミントンで鍛えた脚が役に立つはずだ。
 決意を新たにし、ホールの見回りを始める。今日のスロットコーナーは、クリスマスにもかかわらず多くのお客さんが席を埋めていた。
 けれど、その中には緒方さんの姿はない。当たり前だ。今頃彼女とデートのはずなのだから。
「あーあ、独り者は私だけ、かー」
 空しく零れたため息交じりの声は、店内に流れるクリスマスソングとともに、スロットから発せられる無駄に派手でキラキラした騒音にかき消された。

 営業時間が終わり、閉店作業も怒涛の早さで終わらせる。今日の締めは私の担当で、まあこさんはおしぼりの回収や補充を任せられていた。
 その間、何故か私の仕事を手伝おうとして特殊景品の払出し機のエラーを出すまあこさん。恋路が上手くいっても、仕事がさっぱりなのは通常運行過ぎて呆れるばかりだ。まあ、私みたいに仕事ばかり得意になっても仕方ないのかもしれないけど。どうせエラー出すなら、直せるようになってから出してくれ、とエラーを直しながらまた溜め息が零れた。
 主任に締めの結果を伝え、他の子たちの作業も終わる。簡単な注意や報告だけの終礼を済ませると、私は急いで更衣室に戻った。まあこさんにバレる前に着替えと帰り支度を整え、退店しなければならない。こういう時は、私の尊敬する盗塁王の如き素早さで、愛車までダッシュするのみ。いざ愛しのレッドスター号の元へ!
「あ、ふかちゃん」
 更衣室を出ようとした瞬間、先にドアが開いてまあこさんが顔を出した。しまった、見つかった。だが、ここで怯んでしまうと後に待つのは地獄だ。ここは持ち前のスチール技術で走り抜けるしかない。
 と、思ったが、残念ながら私の左腕はがっちりとまあこさんに掴まれていた。いつもとろいくせに、どうしてこんな時だけ俊敏なんだよ。
「どこ、行くの?」
「え、あの、うん。よい子は早くおうちに帰っておやすみなさぁい……?」
 ひきつりながらそう笑うと、まあこさんは妙に気迫のこもった表情で顔をぐっと寄せてくる。
「阿波野さんから聞いてるはずよね? 閉店後、残っててって」
「えー? いやー、何のことかなー?」
「すっとぼけないで! あたしが着替え終わるまでちゃんと待っててね! あ、言っとくけど、廊下で男の子たちに見張ってもらってるから、逃げても無駄だから!」
 ……どうしたまあこ。いつもこんな計画的に物事を進められるような性格じゃなかっただろう。悪いが、成長したわねホロリ、とかって素直に喜んでやらんぞ。この件に関してだけは。というか、その計画的かつ迅速な対応を、是非とも今後の仕事に活かしてくれ。
 もはや現実を直視する勇気のない私は、ぶつぶつとそんなことを呟きながらも観念し、更衣室の片隅に座り込んだ。これから訪れる針の筵のような時間のことは、もう考えないでおこう。無心だ。無我の境地だ。もうそれしかない。
「はい、準備OK! ふかちゃん、お待たせぇ」
 絶望に打ちひしがれ、必死に心を無にしようとする私とは正反対に、まあこさんの声は弾みまくっている。
 そういえば、いつもはトレーナーにジーンズという色気もそっけもない服装なのに、今日はグレーにシルバーのラメの入ったニットワンピース。裾がギャザードレープになっていて、大人っぽい中にもキュートさが見える一品で、服のセンスに自信がないとかいうまあこさんに、私が選んであげた物だった。それがまたお膳立てを手伝ってしまった気分にさせ、ますます憂鬱になる。
 るんるんとスキップを踏み出しそうなまあこさんに手を引かれ、重い足取りで更衣室を出た。すると、なんということだろう。廊下には誰もいなかった。
 謀られたのだ、この私があのまあこさんに! いや、これは本気でおかしい! こんな立ち回り、絶対にまあこさんらしくない!
 ということは黒幕は間違いなく先輩だ。あの人、あんなに目が細いのに頭いいし。いや、目が細いから頭がいいのか? 漫画でも結構細目キャラってキレ者多いもんね。うん、納得。
 じゃない! 納得している場合ではない! やっぱりここで諦めてはいけないのだ! どうにかして、こののっぴきならない状況を打開しなければ、私に明日はない!
 とりあえず、まあこさん一人相手なら、振り切れないこともない。けれど、先輩が加わればさすがにそれは無理だ。二対一では分が悪いし、いくら細いとはいえ先輩は男。力では敵うはずがない。ということは、先輩に合流する前、店を出た瞬間がチャンスだ。一瞬の隙を突く。それ以外に道はない!
 もうすぐ問題の扉が現れる。このドアをくぐれば猛ダッシュ。ドアをくぐれば猛ダッシュ! さあ、開いた!
「ふかちゃん、無駄だからね」
 私が行動を起こすより早く、まあこさんは自らの腕を絡めて、私の腕を完璧にホールドしていた。これが恋に成功した女のパワーなのか。恋の勝ち組は、あっさりと覚醒モードに移行してしまうものなのか!
 にっこりと笑うまあこさんにまったく邪気はない。まるで某ボーナス確定キャラの微笑みのようだ。ああ、いいですね。貴女は天国ループで、私は完全に地獄モードですか、そうですか。ならこの台は捨てて、さっさと設定の高そうな台に移動させてくれ! 我が家という設定六に向かわせて!
 かくして、私の祈りと嘆きは聞き届けられ……たらよかったなー。神様はそうそう平等に愛を施してはくれないのだ。
 まあこさんに捕まえられたまま、私はもうなるようになれと言わんばかりの気持ちで無気力に歩いていた。有頂天まあこは店の表側に周り、目指す人影の方にずんずん進んでいく。路上駐車している白のセダンにもたれかかっていた先輩の姿が見えると、勢いよく手を振って走り出した。
「すみません、お待たせしました!」
「いいよいいよ。まあこさん、ありがとねー」
「いえいえ、阿波野さんのお願いですから!」
 和やかに言葉を交わし合う二人を、最大級の恨めしさをもってじとと睨みつける。そんな私に、先輩は苦笑しながら宥めるように頭を撫でた。だが、そんなことでは誤魔化されんぞ。
 そう警戒していたのに、次の瞬間、ぐいと腕を引かれて体勢を思い切り崩した。わけのわからぬまま超スピードで助手席に放り込まれ、ドアを閉められる。ガタンと絶妙なタイミングでドアのロック音が響いた。
「ちょい待て、コラァ!」
 下りたままだったパワーウィンドウから顔を出し、外に向かって罵声を飛ばす。だが、先輩は全く意に介す素振りもない。それどころか大変楽しそうで、正直むかつきます。それはもう、ハンパないくらいに。
「こらこら、ふかちゃん。そんなに怖い顔してたら、男前のサンタさんに逃げられるぞー?」
「は?」
 先輩の一言で、私はようやく少しだけ冷静さを取り戻した。
 先輩はペーパードライバーで、車なんか持っていない。更に、先輩もまあこさんも外にいるのに、ドアロックは勝手に閉まった。と、言うことは、運転席にはもう一人の『誰か』がいるということだ。
 そういえばこの車、何か見たことある気がするのは気の所為だろうか。いや、気の所為だな。そうだ、そういうことにしよう。
「いつまで外見てんだ。シートベルトしろ」
 うわぁ、聞き覚えのある声が聞こえるんだけど。幻聴聴こえるとか、私そんなにあの人のこと好きだった記憶ないんですけど。
「おい、聞いてんのか? シートベルトつけろって」
「あ、はい、すみません」
 謝罪を返しながら、恐る恐るシートベルトに手をかける。車外に向けたままの視線の先には、にこにこ笑顔の先輩とまあこさんが仲良く手を振っていた。
「じゃあ、二人とも気をつけてなー」
「ふかちゃん、頑張ってね!」
 見送る二人の声がゆっくりと後ろに流れ始める。同時にウィンドウがすいーっと静かに上がっていった。
 しばらく運転席のお方は無言。私も今の状況に何と言ってよいのやらわからぬまま黙っていた。
 けれど、いつまでもこうしていても仕方ない。覚悟を決めて、そっと運転席に目を向ける。やっぱり、そこでステアリングを握っていたのは、緒方さんだった。運転する横顔もかっこいいんだな、コノヤロー。卑怯だぞ。
「あのー」
「何?」
「現在私がどうしてここに座っていなければならないのか、ご説明をお願いしてもよろしいでしょうか?」
 馬鹿丁寧な口調でそう言うと、緒方さんは少々不機嫌そうに溜息をついた。
 よくよく考えれば、この人と二人っきりで話したこととかない。いつもお店の中だったり、もしくは先輩や他の常連さんがいたりしたからだ。もともとそんなに口数の多い人ではないから――余計な一言は多いけど――改めて一対一になると必要以上に緊張する。
 そんな私の考えを知ってか知らずか、緒方さんはいつもと変わらぬマイペースな調子だった。
「クリスマス、一緒に過ごす相手もいない可哀想な子だとか言ってたのは、どこのどいつだよ」
「あー……。はい、ワタシデスネ」
 うん、確かに言った。かわいそーだねーって棒読みで返されましたよ、私は。だが待て。それとこの状況の何が関係ある?
 そもそもこの人、本来なら今頃彼女とデートじゃないのか? その為に休みも取ったんでしょうが。もしや、フラれたからその腹いせを私に――。
「そう言ってたくせに、そのすぐ後には元木さんと過ごすとか言い出すし」
 ああ、そういやあの日の麻雀の時に言ったっけ。先輩と緒方さん、そしてもう一人の麻雀仲間の岡崎君とクリスマスの過ごし方について話してた時にポロっと洩らした記憶がある。岡崎君には寂しい過ごし方だーって憐れみの視線を向けられたもんだ。
「まあ、ずっと約束してましたしねー」
「じゃあ、過ごす相手いるだろうが」
 ここでまた何故か緒方さんの声のトーンが落ちた。何だろう。何で私怒られてるんだろう。解せぬ。
「いや、だから、お互い彼氏ができなかったらって条件だったんで……」
「それ聞いたから、阿波野にあの子誘わせたんだよ! そしたら、その予定も潰れるだろ!」
「うわ、ひど! そうやって、私を一人にして嘲笑うつもりだったんですね!」
 反射的にそう叫んでから、何だかおかしいことに気づいた。
 そもそも普通に考えたら、この人が私の予定潰したって何のメリットもない。というか、彼女とデートするんだったら、他人の予定なんざどうでもいいことだろう。
 それが今現在、私を隣に乗せてて、何だか怒っているということは――
「あの、もしかして、勘違いでしたら大変申し訳ないのですが、私と過ごしたい為、でしょうか?」
「……他に何があるんだよ?」
 拗ねた口調に、少しだけ赤くなった頬。ナニこの人。何でいきなり可愛いところ見せてんの。そういうのはズルイぞ。こっちに勝ち目なんかあるわけないじゃないか。
 気を抜くと緩んでしまいそうになる頬を必死で引き締め、きわめて冷静に見えるように確認する。
「……あの、それって、普通に誘ってくれてたら、私が緒方さんを優先する可能性が高いってのはわかってます?」
「高くないだろ。嫌われてるかもしれないとか思ってんのに」
「あら、嫌われるようなことしてる自覚あったんですね」
「うるさい。それくらいわかるに決まってんだろうが。いつも目線逸らすし、阿波野といる方が楽しそうだし」
 そういえば、先輩と付き合ってるのかとも訊かれたっけ。今回先輩が協力してたってことは、もしかしたら同じことを先輩にも訊いたのかもしれない。
「まあ、先輩といるのは楽しいですねー。趣味も合いますし。でも、それはそれですし、緒方さん嫌う理由なんか特にないですよ」
「じゃあなんで目合わせないんだよ」
 ああ、バレてたんだ。私が緒方さんと極力目を合わせないようにしてたこと。
 接客業はお客様の目を見て話すことが基本だし、私もできる限りそれは実践している。けれど、緒方さんに関しては意図してそれを避けていた。
 だがしかし、それを説明するのはちょっと難しい。私の気持ち的に。
「あー、それはですねー……、あれですわ」
「何だよ」
「まあ、いいじゃないですか」
「よくない」
「気にするとハゲますよ」
「俺は禿げない家系だから問題ない。で?」
 どうあっても緒方さんは引きそうにない。こういう時、走行中の車内とか、逃げ場がなさ過ぎて困ったもんだ。
「あーいやーそのー」
「さっさと言え」
「うわぁ、命令形ですかー」
「そうやって誤魔化す暇があるなら白状しろ」
 何だろう、この人。さっきまで拗ねてたかと思いきや、今度は呆れるくらい上から目線だ。いや、まあ、こっちの方がこの人らしいんだけど。
「あのですねー……、ぶっちゃけ、照れるからです」
「は?」
「緒方さんの顔がめっちゃ好みで、なおかつ要所要所で私のツボなので直視できないんです。これでいいですか!?」
 後半は半ば自棄になって叫んでいた。まさに、言わせんな恥ずかしいってヤツをリアルでやる羽目になるとは思わなかった。が、当の本人は私の恥ずかしさなんて微塵も理解していなかった。
「はぁっ!? そんな理由かよ!?」
「無理やり言わせといて、その言い方はないでしょ」
「その所為で俺がどれだけ悩んだと思ってんだ!」
「いや、知りませんよ、そんなこと」
 勝手に勘違いして、勝手に悩んで、勝手に怒って、いやはや忙しい人だ。いい歳なんだし、もう少し落ち着いてもいいんじゃなかろうか。
 話が一段落して落ち着いた所為か、私はようやく重要なことを訊き忘れていることに気づいた。
「てか、つかぬことをお聞きしますが、今どこに向かってるんですか?」
 店の前を出発した車は、国道を東に向かっていた。その方向には、深夜でも開いている居酒屋やバーなどがたくさんある。もともと私を誘うつもりがあったのなら、どこか予約を入れていたのかもしれなかった。
「どこって、おまえ次第だけど。俺と過ごすのが嫌だったら、家まで送るし……」
 言葉の途中から、先ほどまでの傍若無人さが消える。自信なさげな返事とともに、車は道路脇に寄せられ、ハザードがつけられた。
 本当に嫌だ、この人。何でこういう表情見せるんだろう。計算してやってるとしたら、性質が悪過ぎるじゃないか。
「じゃ、とりあえずご飯ですね。お腹すきました」
 言い終わるか終らないかの速さで、緒方さんが顔をはね上げた。その表情は、捨てられた仔犬が突然抱きあげられて驚いているみたいな感じだった。
「まぁこさんにフラれた責任とって、美味しい物おごってくださいね」
「それって……」
「ほらほら。出発準備OKですよー」
 照れ臭さを誤魔化すために、ちょっと茶化した感じでそう促す。すると、ようやく緒方さんの顔に笑みが浮かんだ。
 ああ、ムカつく。ホントムカつく。そんな顔は卑劣極まりない最終兵器だ。私が今までに頑張って作り上げてきた防御壁なんて、あっさりと突き崩してしまう。
 けれど、まあいいか。ちょっとばかり面倒臭い手順は踏んだけど、どうやら私は一人寂しいクリスマスを過ごさずに済むのだから。
 時刻は深夜零時過ぎ。隣には、黙っていれば文句なしのイケメンホテルマン。ちょっと性格に難はあるけれど、悪いシチュエーションではない。
 相手が頑張ってプランを練ってくれたのなら、私は素直にそれに乗ってあげよう。どうせなら、それなりの格好をしてきたかったけれど、今更それも無理なのでそこだけは目を瞑る。代わりに、気持ちだけはしっかりと切り替え、出発準備はOKだ。
 ハザードの代わりに、右のウィンカーが点滅する。後方から流れてくる車の列がようやく途切れると、ゆるやかに白のセダンは走り出した。

出発準備OKです! [fin.]