風にゆれる かなしの花

残念な兄と幼なじみ

「アル! アルヴィン・トレーノイト! いるのだろう! 大人しく出てこい!」
 騎士団生活初日を終え、寄宿舎の自室でベッドに転がりぐうたらしているところに、突然険しい声が飛び込んできた。
 扉を壊しそうな勢いで開けた――しかも出てこいと言いながらすでに思いっきり部屋に踏み込んでいる――金髪の美丈夫に、俺はあからさまにげっそりしそうになるのを何とか堪える。
 そうか、騎士団に入ったらこんな急な襲撃があってもおかしくはないのか。ドアの鍵は常にかけておこうと学習する。
 女児向けのおとぎ話に出てくる王子様のような容姿を持つ彼はレイフォード・エスクァーヴという。現青騎士団長を父に持ち、彼自身も二十歳という若さながら青騎士団ですでに小隊長の任に就いている。来年には団長補佐になるのではないかと言われていて、いわゆるエリートという奴だ。
 そんなエリートと入団したばかりの新人騎士が何故知り合いなのかという疑問が生じるだろうが、簡単な話だ。彼と俺は幼なじみ同士で、「アル」「レイ兄」と愛称で呼び合う程度には仲がいい。
 そのレイ兄がわざわざ俺のところに来る用事など考えなくても知れていた。彼は、溺愛する妹が関わると本当に豹変と言っていいほど人が変わるのだ。それはもう、残念なほどに。
「いきなり何ですか」
「なんなんだ、あのジェラルド様のご子息は!」
「なんなんだって、レオンが何か気に障ることでも?」
 レオン・アクアス。レイ兄と同じように父親が白騎士団長で、年は俺よりも一つ下だ。本日俺と同じく白騎士団へと配属された同期でもある。
 そして、レイ兄が目の中に入れても痛くないほど、いやむしろ自分の懐に抱え込んで周りから隠してしまいたいほど愛してやまない彼の妹・セラフィーナの婚約者だった。セラが可愛すぎて堪らないレイ兄にとっては非常に面白くない存在だろう。
 しかし、レオンははっきり言ってしまえば、非の打ち所がない。
 まず顔立ちがとんでもなく美形だ。同世代の女に見せたら、十人中十一人が美形だと認定するだろう。非常に羨ましい……あ、いや、美形すぎて近寄りがたいと思う女も多いから、かえって不便か。
 それはまあいいとして、騎士としての才覚も充分にある。座学も武術や馬術も天才的で士官学校は今までに類を見ないほど好成績で首席卒業だった。既に次期騎士団長候補として名が上がっているほどなのである。
 性格も非常に真面目で礼儀正しいし、年齢や出自などで人を差別することもない。潔癖なところがあるが、それはつまり女遊びなんて全くできないということだ。冗談は通じないが、浮気なんかはありえないし、女側からすればなかなか理想の夫なんじゃないかと思う。
 そんなレオンがレイ兄を怒らせるような何かをしたとは思えなかった。
「何であんなに……!」
「あんなに?」
「欠点がなさそうなんだ!?」
 ……つまりはあれですか。可愛い妹の婚約者にケチを付けたかったのに、そのケチが見つからなかったということですか……。本当にこの人大丈夫か? というか、この人に小隊任せて大丈夫なんですか、メレディス様。
「まあ、レオンはそうそう目立った欠点なんてないと思いますけど?」
「なら、目立たない欠点ならあるのか!?」
「あー……っと、友達が少なそう?」
 少なそうというか、はっきり言ってしまえば一人しかいない。とはいえ、それはレオン自身の問題というよりもアクアス家の問題だ。元々家格の低かったジェラルド様が、皇女であるラティ様を娶られた所為で一部の貴族から反感を買ってしまったのだ。ジェラルド様は充分な戦功を上げておられたし、そもそもラティ様の方がかなり惚れこんで押して押して押しまくった結果なのでまったく理不尽な話だ。
 理不尽だが、プライドばかりやたらと高いお貴族様には我慢ならなかったのだろう。その所為で今でもアクアス家を侮っている上流貴族は多い。レオンの性格的に、そういう腐った貴族連中は我慢ならなかったのだろう。士官学校は貴族の子弟も多いから、自然と交友を深めることを避けたのだと思う。
 だから、友達が少ないというのも仕方がないというか、欠点とは言えないと思っていたのだが、レイ兄の勢いに押されてついそう答えてしまった。
 が、それで目を輝かせるかと思ったら、レイ兄は面白くなさそうに呟く。
「……それは彼の境遇上仕方ないだろう」
「何だ、レイ兄もわかってるんですか」
「馬鹿にするな。ジェラルド様が未だに苦労されていることくらい知っている。他にないのか? こう……おまえみたいに女遊びが酷いとか。あの容姿ならいくらでも女は引っかかるだろう」
 レオンの容姿を完全に褒めている上に、それとなく俺が貶されているのが解せない。何で相談に乗っているはずの俺がやり玉に上げられているんだ。
 とはいえ、レイ兄に悪気はないわけだし、実際に俺の女癖は悪いからそこを非難することはできなかった。かといって解せない気持ちはどうにかしたいから、仕返し代わりにレオンの非の打ち所のなさを強調してやろう。
「レオンは女遊びなんてしませんよ。そもそも、ジェラルド様の血を引いているんですよ? 女を食い物にしたりするわけないじゃないですか」
「冷淡なところがあると噂では聴いたぞ?」
「それは相手がレオンを見下している場合じゃないですか? 対等に接してくる相手には普通です。俺みたいな遊び人相手でも、無視とかは絶対にしませんしね。レオンを慕ってる後輩も多かったですよ」
 実際、レオンは人と関わるのは苦手なタイプだが、案外下の者からは好かれている。そのことにレオン自身は気づいていないようだが、貴族全員が腐っているわけではないのだ。彼の真面目な人となりに触れる機会があれば、それに惹かれる者もいて当然だろう。
 何より、騎士を目指す者の多くは剣技に長けた人物に憧れる。騎士団長や筆頭近衛騎士はもちろんだが、士官学校などではより身近な先輩を目標にする者も多かった。
 レオンの剣技はジェラルド様譲りで、士官学校時代から群を抜いていた。他の新人騎士はもちろん、二年目、三年目の先輩騎士の中にもレオンに敵う相手はいないだろう。もしかすると、隊長クラスでも負かしてしまうかもしれない。
「……アルはどっちの味方なんだい?」
 つらつらと士官学校時代のレオンについての評価を述べていると、レイ兄がじとと据わった目を俺に向けていた。これは……褒めすぎたかもしれない。
「どっちって……」
「さっきからやけにご子息の肩ばかり持つじゃないか! 幼なじみである僕よりも!」
「子供みたいなこと言わないでくださいよ、まったく。だからレオンに欠点らしいものはないって言ったでしょーが。それにですね」
 大きく溜息をついてから、改めて問いかける。
「セラの将来の夫が、どうしようもないクズの方がいいんですか?」
「う……、そ、それは……」
「騎士としても大したことなくて顔も不細工で女癖も最低な男と、将来性豊かで誠実な性格のレオン、どっちがセラに相応しいと思ってるんですか?」
 徐々に項垂れていくレイ兄が、最後にはがっくりと頭を垂れて「ご子息だ」と力ない呟きを洩らした。
 まあ、レイ兄もわかっていて駄々を捏ねたかったのだろう。可愛い妹をとられたくなくて足掻いているだけなのだ。本当に見た目が王子様然としているだけあって残念な人だ。
「だったら、大人しく見守っていればいいじゃないですか。それに、もしセラに他に好きな男ができたら、この婚約はなくなるんでしょ?」
 そう口にした途端、ものすごい勢いでレイ兄は顔を上げる。現れた表情には鬼気迫るものがあった。
「フィーナに、好きな男、だと……?」
 しまったと思ったがもう遅い。がしっと両肩を捕まえられ、逃げるに逃げられなくなっていた。
「まさか、フィーナにそんな相手がいるのか……!? あれだけ陰で見張っていろと言っていたのに、つまらない虫を僕のフィーナに近づけたのか!?」
「たとえ話ですってば! 今のところセラにそういう相手はいませんよ!」
「本当か!?」
「本当ですってば……!」
 何とか納得させてレイ兄の手を離させることに成功する。
 こんな風にレイ兄に付き合わされることには慣れているが、いい加減こんな役目とはおさらばしたい。というか、セラが実はレイ兄の極度のシスコンにうんざりしていることにそろそろ気づいてほしい。……無理か。無理だな。この人、変なところで前向きで、セラに嫌われたりしないと妙な自信を持っているからな。
 これは何とかレオンに頑張ってもらって、セラと上手くいってもらうしかないだろう。そうすれば俺もお役御免になるし、面倒臭いレイ兄の相手はレオンに回るはずだ。うん、完璧な計画。レオン、頑張れ。応援しているぞ。
 適当な理由をつけてレイ兄を部屋から追い――もとい、送り出しながら、俺はそんな風に気持ちの籠らない声援を心の中でレオンに飛ばしていた。

 その一年後、俺は計画を遂行しようとしたのだが、それが大きく裏目に出るとはこの時は微塵も思っていなかった。