風にゆれる かなしの花

第二幕 きみに捧ぐ かなしの花 05

 メレディス様からの連絡が届いたのは、セラが自宅療養へと戻った二日後だった。
 忙しさは相変わらずではあったが、騎士の仕事は体が資本であり、月に決められた回数の休日がちゃんと設けられている。その休日をメレディス様はフィーナ嬢への面会日にと設定してくれたらしい。
 連絡を受けた翌日という急な日程ではあったが、先延ばしにするべき話でもない。メレディス様に了承の返事をし、指定された日に俺はエスクァーヴ家へと赴いた。
 話はすでにメレディス様から通っていたのだろう。エスクァーヴ家で出迎えてくれたのはメレディス様の奥方であるアレクシア様だった。
「いらっしゃいませ、レオン。立派になったわね」
 俺が訪問した理由までは知らないのか、アレクシア様は満面の笑みを湛えている。気まずさを覚え、曖昧な笑みとともにありがとうございますと礼を返した。
「今フィーナは庭に出ているの。呼んでくるからここで待っていてくれる?」
「わかりました」
「すぐお茶も用意するから」
 アレクシア様自ら応接室へと案内をしてくださり、そのままいそいそと中庭へと向かっていくのに驚く。アレクシア様も元は騎士だったという話だから、使用人を使うよりも自分で行動してしまう性格なのかもしれないと結論付け、静かにフィーナ嬢が来るのを待った。
 これから出会う婚約者のことを考えながら、窓の外に視線を向ける。色とりどりの花が溢れた庭園は、美しく整えられていた。
 その中には、以前セラに似合うと思って選んだ赤いアネモネも揺れている。
 彼女は今、健やかに過ごしているのだろうか。婚約を破棄しに来たというのに、気づけば思考がセラへと移り変わってしまう。
 遠く馳せようとした想いを邪魔するように、応接室のドアがノックされた。我に返って応えようとする前に、「失礼いたします」と落ち着いた声が響く。
 その声に勢いよく振り返り、そして、時が止まった。
「お待たせしました。私にどういったご用件ですか?」
 どういうことだ。今目の前にいる女性は俺がよく知っている人物にしか見えない。いつもよりも華やかにまとめ上げられた髪の緋も、気の強そうな大きな瞳のヘイゼルも、愛おしくて堪らない色。纏っているのは騎士団の制服ではなく、落ち着いた深い翡翠色のドレスだったが、それでも見間違えようがない。
 誰よりも大切に想う唯一の女性――セラ・アステートだった。
「レオン様? 婚約の解消を言い渡しに来たのでしょう? それならお受けしますからもう帰っていただけますか?」
 婚約の解消? ならば、やはり彼女はセラではなくフィーナ嬢なのか?
「……セラ?」
 混乱が混乱を呼び、彼女の言葉に応えることもできない。かろうじて出てきたのは、確認するように呼んだ名前だけ。
「何ですか? いまさらまだ何かおっしゃりたいことでもございますか?」
 確かにセラと呼んだのに、彼女はそれに応えた。
 それはつまり、やはり彼女はセラ本人であり、同時にメレディス様の娘でもあるということだ。
「メレディス様の娘の名は、フィーナじゃないのか?」
 茫然と呟くと、彼女は一旦訝しげに首を傾げ、そしてすぐに思い至ったような表情へと変わる。
「ああ、呼び名のことですか? フィーナなんて恥ずかしい呼び方をするのは家族くらいで――っ!?」
 彼女が言い終えるのを待たずに、一気に距離を詰めて逃がさないようにその両腕を掴む。至近距離で彼女を見下ろすと、戸惑いながらも咎めるような視線とぶつかった。
 けれど、そんなことに今は構っていられない。それよりも、確かめなければならないことがあった。
「本当に、セラが俺の婚約者なのか?」
 セラがメレディス様の娘ならば、あれほど強いのも納得できる。レイフォード様が傷ついたセラを引き受けようと名乗り出たのも当然だと思えた。
 エスクァーヴを名乗っていないのは、きっと彼女が『青騎士団長の娘』というレッテルを貼られたくなかったからだろう。その気持ちは俺自身もよくわかるし、今まで疑問だった彼女の素性についてもようやく腑に落ちた。
 彼女が応えるまでもなく、俺の問いは間違っていないはずだ。
「……レオン様は、私が婚約者だとご存知なかったんですか?」
 答えの代わりにそんな問いを投げかけられ、途端に自分が如何に礼を欠いていたのかを思い知る。
 彼女はちゃんと俺のことを知ってくれていた。出会った当初こそ素っ気ない態度ではあったが、そのうちちゃんと歩み寄ろうとしてくれていた。もしかしたら、あの頃の彼女は俺をちゃんと婚約者として受け入れようとしてくれていたのかもしれない。
 それなのに俺は自分の婚約者のことをちゃんと知ろうとしていなかった。いずれ顔を合わせたときに知ればいいなどと、悪びれもせずに放置していた。
 ちゃんと知っていれば、婚約破棄どころかさっさと正式な婚約を結んでしまっていたのに。自分の至らなさばかりを痛感して、自分自身に失望ばかりを覚える。
「その……、親が決めた婚約者のことなど、知らなくていいとずっと思っていたんだ。だから、釣書きも肖像画も、渡されたときのまま開封もせずに実家に置きっぱなしで……」
「でも、それなら何故、初めて修練場で会ったときあんなに驚いていたんです? 深窓の令嬢だなんて噂ばかり出回っていた私がいたからじゃないんですか?」
 さらに問いを重ねるセラの声には、疑問はあれど先日のような険しさはなかった。純粋に俺が彼女を婚約者として認識していなかったことが不思議だったようだ。
 だが、今度はその質問に答えることが少々気恥ずかしい。
 本当に彼女が修練場にいることに驚いていただけだったならよかったのに。
「そ、それは……その……驚いていたんじゃなくて、だな……」
「何ですか? はっきり仰ってください」
 俺のあやふやな態度に、わずかに呆れと苛立ちの混じった声が返る。このままではまた彼女を怒らせてしまうと思い、慌てて口を開いた。
「だから! 君が綺麗で……見惚れていた、だけで……」
 この期に及んで誤魔化す意味などない。勢いに任せて本当のことを白状しようとした。
 が、彼女の曇りない視線と真正面からぶつかると、途端に言葉が萎んでいく。こんなときでもやはりセラは凛として美しく、そんな彼女に自分がどこまでも不釣り合いなのだと思い知らされるのだ。
 それでもやはり、どうしようもなくセラが好きだ。どれほど報われないとわかっていても、この想いを止めることなどできない。
 俺の態度に思うところがあったのか、掴まえている手から逃れようとセラが身を捩る。それを強引に引き寄せ、きつく抱き締めた。
「あの日、修練場で剣を振るう君に一瞬で心を奪われた。けれど、君が信頼するのも頼るのもいつもアルヴィンで、俺の入る隙などどこにも見つからなくて……。それでも、君を喪うかもしれないと思ったとき、もう誰にも譲りたくないと思ったんだ」
 閉じ込めた腕の中、セラは身動ぎもせずに俺の言葉を聴いてくれていた。彼女が抵抗しないのをいいことに、そのままずっと言えずにいた想いを口にする。
「セラが好きだ。そして、親の決めた婚約など関係なしにセラ自身に俺を望んでほしい。アルヴィンのことが忘れられないなら、いつまでだって待つから……」
「ちょ、ちょっと待ってください! アルを忘れられないならって何ですか!?」
 突然大きな声を上げてセラが俺の腕を強引に引きはがした。まさか俺が彼女のアルヴィンへの気持ちまで知っているとは思いもしなかったのだろう。
 少し離れた距離に淋しさを覚えながらも、何とか嫉妬で歪みそうな心を押し隠して笑みを浮かべる。
「『かなわぬ恋』とは、アルヴィンのことを言っていたのだろう?」
 ずっとセラを見ていた。だからこそ、彼女がどれほどアルヴィンを信頼し、強く想っているのかはわかっているつもりだ。そう続けようとした途端、
「冗っ談じゃないです! アルは確かにいい奴ですけど、男としては最低の部類に入りますからね!? あっちこっち声をかけてはとっかえひっかえ! 何度私がフラれて泣いている女性を慰めたことか……。それだけならまだしも、逆恨みされて嫌がらせされたことだってあるんですから!」
 俺の切ない想いを木っ端微塵に吹き飛ばす勢いで、セラはアルヴィンに対する不満を一気に迸らせた。その表情はいつになく激しく、心底アルヴィンの女癖の悪さに辟易しているのだとわかる。もちろん、それが嫉妬から発せられるものではないということもよくわかった。
 あまりの剣幕に、そうかと相槌を返すことしかできなかったが、今度は更なる疑問が頭をよぎる。
「なら、あれは誰のことを言っていたんだ?」
「それは……レオン様こそ、カノン様に赤いアネモネを渡されていたじゃないですか!」
 俺の問いに答えたくなかったのか、セラは焦りを含んだ声で逆に問い返してきた。
 まさかここでその話題に移るとは思ってもみなかった。脳裏には、あの赤いアネモネの花を選んだときのカノン様とのやりとりが思い浮かび、顔が火照るのを自覚する。
 ここまで話したのだから、アネモネを選んだ理由だけ隠す必要もなかった。恥ずかしいことこの上ないが、彼女に全て話してしまおうとたどたどしいながらも言葉を繋いだ。
「あれは、カノン様にセラに何か悩みごとがあって沈んでいるようだという話をしたら、花でも飾れば気分も変わるだろうと言われて……。何がいいかと訊かれた時、近くに咲いている赤いアネモネが目に入ったんだ。セラの緋い髪に似ていると思ったから、気に入っ
てくれるかもしれないと……」
「私の、髪?」
「それに母に昔言われたことを思い出した。赤いアネモネは想う相手に贈るものだと。本当は直接君に渡したかったが、そんな勇気はとても持てなかったから、セラが一日の大半を過ごすカノン様の部屋に飾ってもらえば、見てもらえると思って……」 
 今思い返せば、随分とわかりづらいし回りくどい。セラ自身が花言葉の意味を知っていたことも含めると、誤解されても仕方がない行動だ。
「クワドラートを渡した理由は何だったんですか?」
 俺の答えに対する感想は特になく、そのまま続けて別に質問が投げかけられる。けれどその意味はよくわからなかった。今までの話の流れで、いったいどこからクワドラートが出てきたのだろうか。
「クワドラート? それならここにあるが?」
「え?」
 質問の意図をわかりかねたまま、俺は胸元からクワドラートを取り出し彼女に見せた。
 驚いた表情のままの彼女の視線が、クワドラート自体ではなくチェーンに向かっていることに気づき、また恥ずかしさを重ねてしまう。
「すまない。ずっと返さなければと思っていたのだが、君が身に着けていたものだと思うと手離すのが惜しくて、つい返しそびれてしまった」
 とんでもない言い訳だがそれが事実だ。セラから非難されても甘んじて受け入れるつもりだった。けれど、セラは何か別のことに考えをとられているのか、俺を黙って見つめているだけだった。
 気を取り直し、一度そらされた本題へと戻る。
「それで、セラの想い人がアルヴィンでないなら誰なんだ? まさか……クラウスか?」
 彼女がアルヴィン以外で親しくしている男に心当たりなどほとんどない。
 カノン様付きという立場上、日常的に関わる騎士は俺とアルヴィン以外ならばクラウスしかいないのだ。そして、クラウスほどの男ならば彼女と並んでも釣り合いが取れる。
 彼女が俺を避け出した頃から、やたらとクラウスの仕事を手伝うようになっていたことを考えると、この推測は正しい気がしてならなかった。
 セラが、柔らかく微笑む。
 やはりクラウスなのかと胸が苦しくなり、視線が床へと落ちた。よりによって、俺の唯一の友が彼女の想い人だったなんて。
「レオン様は、まるで私みたいですね」
「セラみたい? どういう意味だ?」
 寄越されたのは、不思議な言葉だった。
 俺とセラに似ているところなどあっただろうか? あるとすれば、騎士としての職務に忠実で真面目であることくらいだ。
 疑問で頭がいっぱいの俺に、またセラが美しく慈しむような笑みを浮かべた。
「好きな人が、自分を好きでいてくれる可能性を考えたりしなかったんでしょう?」
「好きな人が、自分を……?」
 好きな人。つまりそれはセラのことで。
 セラが……、俺、を?
 そんな都合のいい話があるはずがないと思った瞬間、背中に回された両の腕。
「セ、セラ……?」
「貴方の婚約者のままでいさせてもらえますか?」
 婚約者のままで? 俺の婚約者でいたいと、そう言ってくれているのだろうか?
「……それは……、その、セラも俺と同じ気持ちでいてくれたと自惚れてもいいのか?」
 信じられない気持ちで、彼女に確かめる。
 そんな嘘などつく性格ではないと知っているはずなのに、素直に信じられなかった。もちろんそれはセラを信じられないということではなく、自分がセラに好かれるようなできた人物ではないと知っているからだ。
 どこまでも情けない俺の態度に、セラは抱きついたまま俺を見上げて睨みつける。
「無粋なこと訊かないでください。レオン様が婚約を破棄したがってると知って、……どれだけ泣いたと思ってるんですか」
 一瞬言葉を詰まらせた後、拗ねたような物言いで言い放ち、セラは唇を噛み締めた。その眦には、小さな涙の粒が浮かんでいる。それだけで、彼女がどれほど俺のことを想ってくれていたのかをようやく悟った。
 触れることを躊躇い彷徨っていた両手で、彼女の頬をそっと包み込み、零れそうな想いの雫に唇を寄せた。頬から髪を辿り、肩から背中へと手を滑らせ、優しく抱き寄せるとセラも素直に身を預けてくれる。
 その耳元に、誠心誠意を込めた誓いと希みを囁いた。
「もう泣かせない。絶対に。だから、傍にいさせてほしい」 
「……仕方ないので、いさせてあげます」
 尊大な言葉とは裏腹に、語尾がわずかに震えていた。そんな強がりがまた愛おしくて、抱き締める腕が自然と強くなる。
 セラに相応しい男になろう。セラと並んでも恥をかかせずに済むような男に。
 俺が彼女の婚約者なのだと、胸を張って言えるように。
 こんな情けない俺を選んでくれたセラが、俺を選んだことを後悔しないように。
 この世で一番愛おしい花を抱き締めたまま、俺は心の中で密やかに決意をした。



 大聖堂の鐘の音が、高く澄んだ青空に響き渡る。重なるように城下にあるこの小さな聖堂の鐘も鳴らされ、控えの間に置かれた椅子から立ち上がった。
「そろそろ行こうか」
「はい」
 手を差し伸べると、愛しい人がはにかんだように微笑み、そっと手を重ねる。剣だこのできた、お世辞にも女性らしいとは言えないその手。けれど、そこには誰よりも彼女を彼女たらしめている力が宿っている。そう思うと愛おしさが増して、ついそのまま指先に口づけを落とした。
 そして、俺が愛情を示す度に、彼女は恥じらい頬を染めるのだ。もう互いの想いを確認し合ってから二年もの歳月が経っているというのに。
 いつまでも初々しさを失わない婚約者は、今日ようやく俺の妻となる。
 繊細な刺繍の施された純白のドレスを纏い、花嫁らしく清楚に髪を結い上げ化粧を施された彼女は、いつも以上に美しい。
「誰にも見せたくないな」
「見せられないような花嫁ですか?」
 少し自嘲混じりの笑みを彼女が見せた。そんなはずがないとわかっているくせに。
 昔の、彼女に片想いしていた頃の自分なら、慌てて取り繕うように否定していただろう。さすがにこの程度の意地悪では動じなくなった。
「まさか。けれど、だからこそ独り占めしていたい」
「あら、私は見せびらかしたいですよ。私の夫はこんなにも素敵なんですって」
 ころりと表情を変え、くすくすと無邪気に笑う姿に自然と頬が緩む。
 自然と向けられる褒め言葉はくすぐったいが、こうやって常から彼女が言葉にしてくれたことで、俺は自分に自信を持てるようになった。今では彼女に相応しくないなどと卑屈になることもない。彼女が一番美しく笑ってくれるのは、自分を想ってくれているときなのだと、傍にいてわかりすぎるくらいにわからせてくれたのだから。
 極上の幸せに包まれながら、式の行われる祭室へ向かおうと彼女を促しかけ、しかし一つ忘れていることに気づいた。
「レオン?」
「少しだけ待ってくれ」
 首を傾げる彼女の手を一旦離し、こっそりと部屋の隅に潜ませていたものを取り出す。後ろ手に隠しながら彼女の元へと戻ると、それを彼女の髪に挿した。
「え、何?」
「うん、思った通りよく似合うな」
 彼女が部屋の奥に置かれた鏡へと振り返り、自分の髪に挿されたものを確認する。
「アネモネ? ……赤じゃなくて?」
「ああ。君の髪には白の方が映えるだろう?」
「そうですけど……」
 今までに何度も贈ったことのある赤いアネモネ。
 その花言葉は、『君を愛す』だ。
 彼女に花を堂々と贈れるようになって以来、俺は他の花言葉についても調べるようになった。そして、今日のこの特別な日には白いアネモネを彼女に添えたいとずっと思っていたのだ。
「白いアネモネの花言葉は知っているか?」
「えっと……確か『希望』、とかじゃなかった?」
 自信なさげ答える彼女に、安心させるように頷いてもう一度手を取る。
「そうだな。それも含めて三つある」
「なら、あとの二つは?」
「『真実』と『期待』」
「『希望』と『真実』と『期待』?」
 あまりぴんとこないらしく、彼女は正解を見つけようと考え込んでしまった。
 必死で思考を巡らせるその表情が可愛くて、ついつい答えを焦らしてしまう。自ずと零れてしまった笑みに、彼女が気づいて睨みつけられた。そんな拗ねた態度すら可愛いのだから困ったものだ。
「笑ってないでどういう意味か教えてください」
 わかったよと膨れる頬にキスをする。途端に恥じらって目線を逸らす彼女の髪を撫で、答え合わせを始めた。
「君は、俺にとって何よりの『希望』で、君への想いが俺の中では揺るぎない『真実』だから。君を愛していることはもう充分に伝わっていると思うしね」
 伝わっているからと言って、もう伝えなくなるわけではない。これからも何度でも伝えるだろう。けれどいつしか、『君を愛す』という花言葉に一方的な想いの強さを――悪く言えば独りよがりに気持ちを押し付けている自分の身勝手さを感じるようになっていた。だから、赤いアネモネもいいけれど、彼女の清らかさを表すような白いアネモネを贈りたくなったのだ。
「『期待』は、ないんですか?」
「え?」
「私に、『期待』はしてくれないんですか?」
 どこか残念そうな声音に、堪らず彼女を抱き締める。こんなに可愛いことを何の計算も
なしに言えてしまえる無自覚さが憎らしい。
「『期待』なら、ずっとしている。そして、ずっと応えてくれている」
「……なら、いいです」
「とりあえず、今一番期待しているのは今夜だな」
「今夜? ……レ、レオンっ!」
 きょとんとして少し考えてから、彼女は真っ赤になって体を離そうと腕を突っ張る。その初心な反応に満足して素直に解放し、改めて彼女に手を差し伸べた。
 祭室には親族や列席者が今か今かと待っているはず。つい話し込んでしまい、少し時間をとりすぎてしまったようだ。
「セラフィーナ、行こう」
「ちょっと待ってください」
 今度は俺の方が待ったをかけられる。彼女は一旦部屋の奥に戻ると、鏡の後ろに手を差し入れた。
 そこから出てきたのは、何と赤いアネモネだった。
 いつも俺が贈っていたものと同じ花を手にした彼女は、恥ずかしそうに目の前に戻ってくる。
「まさか、レオンも似たようなこと考えているなんて思ってなかったんですけど」
 ぼそぼそと呟きながら、俺の胸元にそれを挿す。
「いつも、私が贈られてばかりだったので今日くらいは私から贈りたくて……。そ、それに、白騎士団の礼装ならアネモネの赤も映えるでしょう?」
 後半は少し言い訳するように早口になる彼女に、満たされるのを通り越し、溢れ返って溺れてしまいそうだ。
 そして、微かに抱いていた赤いアネモネの花言葉に対する否定的な意識を改める。一方的でも独りよがりでもない。彼女からも、同じくらい強い想いが返されていたのだから。
「セラフィーナには、いつまで経っても敵わないな」
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
 はにかんだ笑みで、彼女は今度こそ差し出した手を取る。視線を合わせ、控室のドアをゆっくりと開いた。

 新たな一歩を二人並んで踏み出す。
 深い愛情を示す赤い花を自らの胸に。
 希望と真実と期待を示す白い花を花嫁の髪に飾って。

 そして俺は、これからも君にこの(かな)しの花を捧げ続けよう。

風にゆれる かなしの花 [fin] Conclusion:2017.06.25