はなひらかねど

クリスマスプレゼント

 クリスマスをちゃんと祝った記憶などあっただろうか。
 幼い頃から両親は飲食店を経営していたため、ごく一般的な家族の揃ったクリスマスを過ごした記憶はまったくない。去年は自分の仕事が残業続きで、帰ってきたらそのまま疲れて寝てしまっていた気がする。
 そんなことを考えながら、咲子は遅い夕食の準備を進めていた。とはいえ、凝った料理をしているわけではない。妹の妙子からおすそ分けでもらったケーキとチキンが冷蔵庫に入っているのだ。それに夜遅くてもあまり胃に負担のかからなそうなトマトリゾットと簡単なサラダを作ったくらいである。
 結婚して約一年半。
 相変わらず咲子も晴希も仕事が忙しい。一緒に過ごせる時間は、仕事が終わって日付が変わる少し前から翌朝家を出るまでの間くらい。もちろん休日は咲子が土日、晴希が月曜と重なることもない。
 それでも二人の関係は、多少の変化はあったものの良好だった。むしろ、一緒にい過ぎないからいいのかもしれないとすら咲子は思っていた。おそらく、それは晴希もだろう。
 その晴希から、少し前にメールが届いていた。もうじき帰宅するという短い一文だ。
 リゾットとチキンを温め直し、晴希が戻ってくるのに備える。そろそろかなと思っていると、玄関の開く音が聴こえた。ちょうどいいタイミングだったらしい。
「ただいま、咲子さん」
「おかえり。タイミングバッチリね」
 リゾットを二人分用意し、冷蔵庫からサラダを取り出す。レンジからチキンも取り出し並べると、それなりにクリスマスらしい食卓に見えた。
 ダウンジャケットを脱ぎ、荷物を置いた晴希は、そのまま椅子にはつかずに咲子の側へと歩み寄る。どうしたのかと思っていると、目の前に小さなブーケが差し出された。赤と白のガーベラに白のカスミソウ。それにグリーンのドラセナ。見事なクリスマスカラーだった。
「プレゼント、何がいいのか迷っちゃって」
「そんなのいいのに。でも、ありがと」
 あたたかな気持ちに包まれながら、咲子は席につくように晴希を促す。せっかく温めた夕食が冷めてしまわないうちにと言うと、晴希は素直に頷いた。咲子は受け取ったミニブーケをせっかくだからとテーブルに飾る。それだけでクリスマスらしさがぐっと増した。
 お互い席につき、いただきますと手を合わせてから食事を取り始める。クリスマスだからと変に格好をつけなくていいとお互いに思っているから、メニューがそれらしいだけで普段との違いは何もない。
「美味しそう。チキンは妙子さん作?」
「ご名答。さすがね」
「妙子さんからメールがあったから。心して食せって」
「タエったら何様よ。彼氏に作ってあげたついでの癖に」
「ついでとか言いながら、咲子さんに食べてもらいたくて作ってるんだよ。妙子さんのそういうところ可愛いよね。うん、美味い!」
 チキンを一口頬張りながら、満足げに顔を緩ませる晴希に、咲子もつられるように一口齧りつく。パリッと焼かれた皮が香ばしく、ハーブの香りと相まって大いに食欲をそそられた。食欲はあまりなかったのだが、思っていたより食べられそうだ。
 それにしても、さらりと妻以外の女性を褒める晴希に咲子は心の中で普通は嫁に叱られるところだろうと思いながらも、くすりと笑ってしまう。確かに妙子のそういう遠まわしな甘え方は可愛いと思うのだ。
「冷蔵庫の中にケーキもあるんだけど、今日食べられる?」
「少しなら」
「よかった。残った分は明日に回すわ」
「うん、リゾットも美味しい。前作ってくれたのより一段と美味しくなってるけど、もしかして妙子さんに教えてもらった?」
「少しだけね」
 結婚以来、咲子と晴希はほぼ半分の割合で食事を作っている。以前は自分の料理を口にするのは妙子くらいしかいなかった咲子だが、長年交代で食事を作っていたくらいだから人並み以上にはできる方だとは思っていた。
 しかし、晴希に食べさせるなら『人並み以上』程度ではいけないと、妙子にアドバイスをもらうようになったのだ。妙子は咲子に頼られるのが嬉しかったのか、喜んで引き受けるだけでなく、すぐに使える簡単なテクニックをまとめたテキストデータまで送ってくれた。おかげで人並み以上からそれなりに料理上手なレベルまで引き上げられたのは良かったのだろう。それでも、咲子にとっては妙子と晴希以上に美味しい料理を作ってくれる相手はいないのだが。
「咲子さんの美味しいご飯が食べられるのは嬉しいんだけど、それが妙子さんのおかげだと思うとちょっと癪だなぁ」
「何それ。弟子を取られたような気分?」
「……かもしれない」
 しばし考え込んだ後に冗談めかした笑みを含ませて晴希は答えた。
 その笑顔を見つめながら、咲子はしみじみと晴希と過ごせるこの時間を愛おしく思う。結婚してまだたったの一年半。これからともに過ごしていく時間はもっと長くなるはずだ。それでも、きっと晴希とならば自分を偽ることなく自然でいられるだろうとわかる。
「どうしたの、咲子さん。何か嬉しそうだけど」
「別に。晴希にプレゼント用意してる暇、私もなかったなと思ってただけ」
「それこそ気にしなくていいのに」
「その代わり、一つお知らせがあるの」
「お知らせ?」
「八週目だって」
「八週?」
 聴き慣れない言葉に、晴希はにわかには何のことか理解が及ばなかったようだ。だが、その表情がじわじわと驚きへと移り変わっていく。
「……って、えっと、それ、できたってこと?」
「それ以外に何かある?」
 どちらかと言えばいつも驚かされている側の咲子は、してやったりとばかりににんまりと笑みを浮かべた。直後、晴希が無言で席を立つ。咲子の側まで歩み寄ったかと思うと、背後から覆いかぶさるように抱き締められ、咲子も少々面食らった。
「晴希?」
「……びっくりした」
「でしょうね」
「咲子さん、大事なことなのにさらっと言いすぎ」
「深刻に言うことでもないでしょ?」
「そうだけど……」
 ぎゅっと抱き締められる力が強まり、晴希の小さな小さな呟きが鼓膜を震わせる。
 ――ありがとう。
 確かに晴希はそう口にした。そして、そのまま黙って咲子を抱き締めたまま動かない。
「晴希、ご飯冷めるわよ」
「……そうだね」
 咲子が促すと、少しだけ名残惜しそうに腕を解き、席に戻った。改めて食事を再開しながら、でも、と晴希が言葉を繋ぐ。
「咲子さん狡いな。プレゼント用意してる暇なかったなんて言っておいて、こんなとっておき出してくるんだから」
「私からすれば、晴希にプレゼントしたつもりなんてないもの。むしろされた方よ」
 受診した産婦人科で妊娠を告げられたとき、自分の中に生まれたのは喜びだった。かつては恋愛も結婚もすることはないと思っていて、こんな感情が生まれるだなんて思いもしなかったのに。
 今でも、晴希に対する想いは恋愛とは言えないと思っている。それでも、確かに必要で、不可欠で。恐らく一般的な恋人や夫婦に比べてかなり多くの時間がかかったものの、晴希に求められたときに自然に受け入れることもできた。
 そうして授かった新たな命がこの上なく愛おしい。晴希が喜んでくれるならばなおさらだ。
「じゃあ、俺たち夫婦にサンタがやってきたってことかな」
「サンタを信じるなんて、可愛らしい思春期の男の子以前の発想よそれ」
「ははは。懐かしいな、そのフレーズも」
 初めて出逢った時、一緒に定食屋で食事をして語った言葉。あの頃はこんな風に共に歩んでいく存在になるとは思いもしなかった。もうずいぶんと前のことなのに、それでもあの日の出逢いの記憶は今でも鮮明だ。
「友達になれそう、ね……」
 あの日、晴希が言った言葉を改めて繰り返す。そこに含まれた咲子の微妙に複雑な感情に、晴希は当然気づいたようだった。
「友達でもあるよ、これからも。同時に大切な奥さんだけどね」
「……そうね」
 きっと、世間一般の夫婦とは違うし、世間一般の言う友達とも違うだろう。けれど、それでいいのだ。二人で歩んでいくことを選んだのは、他でもない二人自身なのだから。咲子にとっての晴希はもっとも信頼できる友であり、同時に晴希以外の男性と結婚するなど考えられなかったのだから。
「これからもよろしくね」
「こちらこそ。とりあえず、明日はうちと咲子さんの家族にもプレゼント渡しに行こうか」
 きっとそれぞれの家族も喜んでくれるだろう。特に、双子の妹がどういう反応をするのかを考えて、咲子は軽く頭を抱えた。
「タエがいないことを切実に祈るわ」
「どうして? 妙子さん、きっと喜ぶよ?」
「喜びすぎてうるさいのが目に見えるからに決まってるじゃない」
「妙子さんも叔母さんになるんだねって言ったらきっと黙るよ」
「……確かに」
 お互い顔を見合わせ、ぷっと小さくふきだす。あまりにも容易に妙子の反応が想像できたからだ。
 しばらく二人でくすくすと笑い合い、ゆっくりと食事を楽しむ。
 穏やかで幸せに満ちた時間を過ごしたあと、二人は互いのぬくもりを感じながら微睡んでいった。