禍つ月映え 清明き日影
伍 約束 02
約一週間にわたる総体も、全競技を終了し、無事に閉会式を迎えることができた。
輝行は優勝を逃したものの、見事に第三位を獲得し、その他にも多くの久遠陸上部の選手が入賞を果たしていた。喜びと悔しさを胸に抱きながら、それでも揚々とした気分で世話になったホテルを後にし、バスにて帰路につく。連日の疲れもあってか、車内ではほとんどの部員が眠りに落ち、解散場所である久遠学院内に着くまで静かなものであった。
バスを降りて整列し、今後の部活の予定や連絡事項をみどりが説明するのを寝惚け半分で聞き終わると、その場は解散となる。九時間弱もバスで移動をしていた為、青く澄み渡っていた空には既に茜色の雲がたなびいていた。
あとはもう、家に帰りゆっくりと休むだけである。輝行は移動と大会の疲れで重い身体を引きずるように歩き出した。さすがの隼人も今日は元気がないらしく、「じゃあ、またな」とだけ言い残して大人しく帰っていく。隼人の場合は、大会終盤まで競技が残っていたので尚更疲れが残っているのだろう。
一方織月はどうなのかと様子を窺ってみると、さほど疲れた様子がないように見えた。そういうところがいかにも彼女らしい。早い日程で競技が終わってしまったこともあるだろうが、それだけでなく織月はあまり他人に自分の弱っている姿を見せようとはしない。たとえ疲れていたとしても、それは表に出したりはしないだろう。常と変わらず、姿勢よく歩いていく背を見送りながら、言葉を交わした翌日の織月の走りを思い出す。
今までの胸のつかえが取れた所為か、織月は実に伸びやかな走りを見せてくれた。そのことが、自分が入賞したことよりもずっと嬉しかった。しかも、彼女の悩みを軽くしたのは他でもない自分自身だ。今まで一方的に世話になるばかりだった相手に、少し恩を返せたような、わずかな誇らしさが胸に拡がる。
先程までの疲労で重くなった足取りが、ささやかながら軽くなったような心地で、輝行は我が家へと向かったのだった。
輝行が家に帰り着くと、まずは四つ年下の妹・陽菜が満面の笑みで出迎えてくれた。
輝行と陽菜は比較的兄妹仲が良い。普段から一緒にゲームをしたりするので、輝行が家を空けている間は多少退屈をしていたのだろう。
「おかえり、お兄ちゃん。それからおめでとう」
大会の結果は既にメールで知らせていたため、陽菜から祝いの言葉が飛び出す。
「おめでとうって、三位だぞ」
「三位でも十分にすごいと思うよ! だって全国の高校生で三番目に速いってことでしょ? まず全国大会に出られる人が一握りなんだから、そういうこと言っちゃ駄目!」
照れ臭さから出た言葉だったが、妹に思わぬお説教をくらってしまい、輝行は苦笑混じりにスミマセンと謝った。すると陽菜はまたすぐに笑顔に戻り、輝行の腕を引く。
「ほら、荷物置いてさっさとお母さんにただいまって言ってこなきゃ」
「わかったわかった」
陽菜に引っ張られながら、廊下の端に荷物を一旦置くと、台所へと向かう。流しの前に立っていた母・亜紀子は、二人の声が聞こえたのか振り返って迎えてくれた。
「おかえり、輝行」
「ただいま」
「お腹空いてるでしょ。もうすぐご飯できるから」
「今日はねー、私も作るの手伝ったんだよー!」
横から自慢げに陽菜が口を挟むと、亜紀子はわずかに顔を顰めてコンロの前へと移動する。鍋の中身と火加減を確認しながらボソリとぼやいた。
「今日だけじゃなくて、いつも手伝ってくれたらいいんですけどねー」
「あ、あはは……」
笑って誤魔化す陽菜に肩を竦めた亜紀子だったが、ふと思い出したように輝行に振り返った。
「ああ、輝行。昨日お祖父ちゃんから電話があってね、近々旅行に行きたいんだけど、足腰が不安だから輝行についてきて欲しいって言われてね。ほら、貴方大会後はしばらく練習も休みでしょ? だからもし大丈夫ならばって話なんだけど」
祖父からの電話ということに、輝行はすぐに六条院家からの手回しだということに気付く。確かに、身内――しかも年老いた祖父――が一人旅では不安だと孫に同伴を頼むのならばそんなにおかしくはない。しかも、幼い頃から祖父は輝行を可愛がってくれていたこともあり、家族から不審がられることはないだろう。
とはいえ、二つ返事で了承するのも怪しまれるかもしれないので、詳しく話を聞くふりをすることにした。
「別に大丈夫と言えば大丈夫だけど、一体祖父ちゃんどこに行く気?」
「京都らしいわよ。そういえば、向こうにはお祖父ちゃんの兄弟のお墓もあるはずだったんじゃないかしら。時期も時期だし、お墓参りも兼ねてるんじゃない?」
「いいなー。私も行きたーい」
「陽菜は駄目よ。部活もあるし、お友達と夏祭り行く約束もしてるんじゃなかったの?」
「そうだけどー」
頬を膨らませながら「お兄ちゃんだけズルイー」と陽菜が拗ねた様子だ。
ずるいと言われても、輝行にしてみれば今回の大会遠征同様、遊びに行くわけではない。が、本当のことを言うわけにもいかないので、母が妹を窘めてくれることに期待した。
それに応えるように、亜紀子は料理片手に口を開く。
「それに、陽菜が行ったって楽しめるような場所はそんなにないわよー。京都なんてお寺と神社ばっかりなんだから」
「でも舞妓さんとかいるんでしょ?」
「舞妓さんてのはね、京都だったらどこでも歩いてるってわけじゃないの。大体、お祖父ちゃんが舞妓さんのいるような場所に行くわけないじゃない」
亜紀子の説明に納得しきれていないのか、陽菜はふくれっ面のままだった。
確かに遊びに行くわけではないが、輝行は大会などでも他府県に行くことが多い。横木家は家族旅行などにも滅多に行かないので、陽菜が羨ましがる気持ちもわからなくはなかった。仕方ないと言わんばかりに、輝行は妹の頭を撫でてやる。
「ちゃんと土産買ってきてやるから、そんな顔すんなよ」
「ホント? 絶対だよ!」
途端に破顔する現金な陽菜に「また甘やかすんだから」と亜紀子は呆れ顔。しかし、すぐにそれを収めると、陽菜に向かって食器を準備するように指示を出した。土産の約束が嬉しかったのか、陽菜も機嫌よく母の指示に従って動く。
「輝行、先に着替えてきなさい。それと、洗濯物はちゃんと出しておいてね」
「はーい」
間延びした返事を返し、輝行は台所を出て荷物を手に取った。そのまま洗面所に向かい、荷物の中から数日分の着替えを取り出す。それを洗濯籠に放り込むと、自分の部屋へと向かった。
部屋に入ると、見慣れた自分だけの空間に思わず大きな息をつく。やはり自宅が、そして自分の部屋の中が一番落ち着く場所だった。
「ま、また数日後には落ち着かない場所、なんだけどな」
ゆっくりする間もなく、また未知の場所――しかも六条院宗家の本邸に向かうことになるという事実が、重かった。それでも、それが自分の選んだ道であり、そこから逃げていては危険度が増すだけだということは痛いほどわかる。だから、立ち向かうしかないのだ。
覚悟を決めた瞳が、スチールラックに立て掛けられた天魁へと向かった。この晄具を、使いこなせるようにならないといけない。その事実が、またプレッシャーとなるが、それ以上にいまだ記憶から薄れない、織月の傷付いた姿が思い出される。
「あんな情けない思い、もうしたくないもんな」
天魁を握り締め、輝行は自らに言い聞かせるようにそう呟いた。
布の袋を解き、六条院別邸で渡された時と同じく天魁を手に取ってみる。けれど、予想通りというべきか、残念ながらというべきか、やはり天魁は手の中から姿を消すことはなかった。
「って、こんな簡単に消えるんだったら、最初っからできてるか」
諦めて袋の中に戻し、置いてあった場所に天魁を戻す。それとほぼ同時に、台所の方から陽菜の「ご飯ができたよー」と呼ぶ声が聞こえてきた。
輝行は声高に返事を返しながら、慌てて着替えに取り掛かる。ポケットに入っていた携帯電話をベッドの上に放り投げ、他に何も入っていないかを確認してから手早く部屋着に着替えると、今まで着ていた陸上部のジャージを持って部屋を出た。
再度洗面所に寄り、ジャージを籠へと放り投げると、台所から漂ってくる芳しい匂いに空腹感が刺激され、盛大に腹の虫が鳴り響いたのだった。
夕食のメニューは、輝行の入賞の祝いと、大会での疲れを癒すことを考えて作られた、亜紀子の愛情たっぷりの内容だった。
亜紀子は若い頃調理学校に通っていたことがあり、その時に栄養学なども学んだらしい。その経験は常日頃から活かされていて、輝行が大会前などで自分の身体作りに神経質になっている時も大いに助けられていた。
そんな気遣い満点の食事を目一杯堪能した輝行は、満腹の腹を抱えて自室へと戻った。倒れこむようにベッドに身を投げ出すと、身体の下に何か固いものが当たるのに気付く。
夕食前に放り出したままの携帯電話だった。折り畳み式のそれを引っ張り出し、仰向けに体勢を変えながら何気なく開く。すると、着信があったことを知らせるアイコンが表示されていた。
誰からだろうとそのアイコンをクリックしてみると、着信相手の番号が大きく表示された。しかし、それは自分の携帯に登録されているものではなく、ただ十一個の数字が羅列されているだけ。
誰かが番号を変えたのだろうか。いや、それならばメールで連絡してくるだろう、などと推測していると、手の中の携帯が振動し、着信を伝えた。しかも相手は、その謎の番号からだ。
輝行自身、自分の信用できると思っている人物にしか番号を教えていない。その為、深く怪しむ事もなく通話ボタンを押した。
「もしもし」
『横木、君?』
「え?」
聞こえてきたのは、予想もしていない女の声だった。しかし、名前を呼んでいるのだから、間違い電話ではないだろう。
気を取り直し、輝行は電話の相手に向かって問い掛けた。
「えっと、そうだけど……悪いけど、誰?」
『あ、ごめん。河野です。陸上部の』
名前を聞いた瞬間に、緊張が走る。隼人の言っていた言葉が脳裏に浮かび上がった。しかもつい数時間前まで同じ場所にいたのだから、普通に用事があるのならその時に済ませていたはずである。タイミング的にも、陸上部の用事で電話してきたというわけではないだろう。
それに、輝行は河野に電話番号を教えてはいない。どこでそれを知ったのかがまず気に掛かって仕方がなかった。
「河野が何でオレの携帯……」
『横木君、連絡網に載せてるじゃない』
言われてから、そういえばと納得する。
陸上部の連絡網では自宅の電話番号を載せている者もいるが、輝行は家族の手を煩わせたくないという思いもあり、自分の携帯番号を載せてもらっていた。部員の全員が携帯を持っているわけではなかったが、持っている場合はほとんどが輝行と同じような理由で携帯番号を登録していた為、特に抵抗もなかったのだ。
しかしまさか、連絡網以外の私的な用件で使われるとは思いもしなかった。
「そういやそうだった。で、何かあったのか? みどりちゃんの連絡忘れとか」
そんなわけがないとわかっていつつも、河野の目的が何なのか察したような態度はとることができなかった。
今までに告白をされたことはあることにはあるのだが、電話というのは初めてのパターンで、どういう態度をとっていいのかがわからない。内心焦りまくっている輝行ではあったが、幸い相手にそれは伝わっていないようだった。
『そうじゃなくて。……あのね、横木君に話したいことがあるの』
「お、おう。何?」
『電話じゃちょっと……。すぐ済むから、ちょっと出てこれないかな?』
「え、今から、か?」
輝行は窓から外の闇を眺めながら、思わず渋った声を出す。
陽の完全に落ち切った今は、輝行にとって出歩くことが命取りになりかねない時間帯だ。封咒が施されていても、真の闇の中ではその効果は気休め程度のものだと聞かされている。
輝行の態度に、電話の向こうの河野が声を震わせながら「駄目、かな?」と問い掛けた。
そんな声を出されてしまうと、輝行も無下に断ることもできなくなってしまう。短く了承の返事をすると、河野は明らかに安心した声音になり、近所の公園を待ち合わせ場所に指定してきた。その後、二言三言会話を交わし、電話を切る。
携帯電話を折り畳んだ瞬間、輝行の口からは盛大な溜め息が零れ落ちた。
「さてと、どうしたもんか……」
出掛けざるを得なくなったのは、仕方がないと割り切れるのだが、危険を承知で一人外出するわけにはいかない。織月からは、どうしてもそういった状況を回避できない場合には、あらかじめ連絡を寄越すようにと言われていた。今回の場合も、そうするのが一番良いのだろう。
しかし――。
「各務に、何て言えばいいんだよ」
「今から告白されに行くのでついてきてほしい」などとは口が裂けても言えない。かといって、適当な嘘をついたとしても、状況を見ればすぐにバレることだった。
もちろん、素直に言ったとしても織月は気にしない可能性だって充分にあるのだが、やはりかつて織月が輝行に告白をしたという事実がひっかかってしまう。
そう考えている間にも、待ち合わせの時間は刻々と迫ってきている。このままでは埒が明かないと思い、覚悟を決めて携帯電話をもう一度開いた。電話帳を呼び出し、『各務織月』の名前を選択しようとして、ふと思い出したようにそのまま画面を下方にスクロールする。
辿り着いたのは、『六条院基』の名前。基ならば、もしもの場合にも充分に対処してくれるだろうし、輝行の状況も理解してくれるかもしれない。からかわれる可能性も考えられるが、織月と気まずくなることに比べたら明らかにマシな選択と思えた。
何とか無難な方法が見つかったと安心しながら電話を掛ける。数回のコール音の後、『どうした?』と案じるような声が聞こえてきた。
小さく安堵の息を洩らすと、輝行は用件を切り出す。
「あの、ちょっと困ったことになりまして」
『何かあったのか?』
「さっき、電話で呼び出されて、今から出掛けないといけなくなったんです」
『織月には?』
予想通りの基の質問に、簡潔に「言ってません」とだけ伝えた。しかし、それだけで基は織月に連絡できないような理由があるのだと察してくれたらしい。ふーんと、何か含みのある笑み声が返った。
『織月には言いにくい用事か。ってことは、告白でもされるってところだな』
「うっ……。ま、まだ、そうと決まったわけじゃないですけど」
『でも、相手は女の子なんだろ? いやー、モテるなー、横木は』
「オレより明らかにモテる基先輩には言われたくないですよ」
楽しげに茶化す基に、輝行は不機嫌な声で答える。しかし、それでも手助けを頼むわけなのだから、あまり強くも言えなかった。
『オレはそんなにモテないって。それより場所は? それから、今からすぐなのか?』
「えーっと、まあ、すぐと言えばすぐですね。あと二十分ほどなんで。場所は近所の樫の木公園ってところなんですけど」
『わかった。十分後くらいにはそっち着けるだろうから、それくらいに家出ろよ。辺りに俺の姿なくても、影から尾行しとくから気にせず行け。相手には誰かと一緒だって知られない方がいいだろ?』
さすがに基も時間があまりないことを理解したのだろう。それ以上輝行をからかうこともなく、更に状況を考慮した計画を手早く提案した。
輝行は相槌を打ちながら、相談相手に基を選んだことは正解だったと、自分を褒めたい気分になる。
「ありがとうございます、基先輩。助かりました」
『気にすんな。今の横木に何かあったら、あとあと面倒なのはオレたちの方だし』
「じゃあ、また後で」
『おう。ま、頑張れよ』
基の応援が何に対するものか一瞬わかりかねるが、それが告白に対する対応についてだと気付き、遅ればせながら反論しようとする。が、既に通話は途切れており、無機質な電子音が繰り返されるだけになっていた。
「……ったく、ああいうところがなければ、申し分なくいい先輩なんだけどなー」
携帯を閉じると、一応部屋着を着替えることにする。いくら急な呼び出しとはいえ、流石に同級生の異性に会うのにくたびれた服装で行くのも気が引けた。あまりおしゃれに頓着しない輝行ではあるが、それでも年相応に身嗜みなどは気になるものなのだ。
タンスからTシャツとジーンズを取り出し身につけると、ポケットに財布と携帯だけを押し込んで部屋を出る。そのまま台所で夕飯の後片付けをしている母親に声を掛けた。
「ちょっと出てくるから」
「あら、こんな時間にどこ行くの?」
「さっき陸上部のヤツから電話があってさ。忘れ物してたみたいで、近くまで持ってきてくれるって言うから、取りに行ってくる」
半分は本当で半分は嘘だったが、それなりに説得力のある言い訳ができたと思っていた。
ところが、亜紀子は少し訝しむような視線を輝行に向けてくる。居間でテレビを見ていた妹もどこか好奇心に満ちた瞳を笑みの形に歪めていた。
「お兄ちゃん、もしかして彼女に会いに行くのー?」
「はぁ? 陸上部のヤツだって言っただろ?」
「じゃあ、なーんでいちいち着替えてるのー? 男友達だったら、気にせず部屋着で出てるよねー?」
思わぬ鋭い指摘に、輝行は一瞬言葉に詰まってしまった。確かに相手が男友達ならば、部屋着でも構わず外に出ていただろう。相手が異性だと思ったから着替えたわけだから、陽菜の指摘は的確過ぎたものだった。
「あー、やっぱり彼女に会うんだー!」
「違うって! 彼女なんかいねぇっての!」
「でも、女の子だよねー? 告白とかされちゃったりしてー」
「陽菜、いい加減にしときなさい」
キャッキャとはしゃぐ陽菜に辟易していると、意外にも怪訝な表情をしていた亜紀子が助け船を出してくれた。そのまま安堵する輝行に優しい笑みを浮かべる。
「輝行、会う子が本当に女の子だったら、ちゃんと家まで送ってあげなさいよ。こんな時間に一人で帰したら危ないんだから」
「……わかってるよ」
その言葉は相手が女であると肯定してしまうものだったが、もう既に隠すことは無理に等しいので素直に亜紀子の言葉に頷いた。
それに、送っていったことにすれば、もし何かあった場合――つまり魔や妖に襲撃された時に帰りが遅くなったとしても、誤魔化しがきく。陽菜にからかわれたのは少し余計だったが、結果オーライだった。
「じゃあ、行ってくる」と言い残して玄関に向かうと、まだからかい足りないのか陽菜が後についてくる。
「何だよ、陽菜」
「ね、ね、本当に彼女じゃないの?」
「違うって」
しつこい質問にうんざりとした口調で答えると、陽菜はあからさまにがっかりとした表情を見せた。
「なーんだ。なっちゃんが『お姉ちゃんに彼氏ができた』って言ってたから、私も『お兄ちゃんにも彼女できたよー』って言いたかったのに」
「……それ、何か自慢にでもなるのか?」
自分自身に彼氏彼女ができたと言うのなら自慢するのもわかるが、兄弟に彼氏彼女ができても何の自慢にもならない気がする。
しかし、どうやら陽菜にとってはそうではないらしく、何故か怒ったように頬を膨らませた。
「だって、なっちゃんのお姉さんの彼氏、すっごいかっこ良かったってなっちゃん言ってたんだもん。なっちゃんのお姉さんもモデルさんみたいでめちゃくちゃ美人だしさ。だからお兄ちゃんにも彼女がいて、その彼女がすっごく綺麗な人だったら対抗できるじゃない」
輝行にはかなり理解しづらい対抗意識が働いているらしく、説明する陽菜の表情は真剣そのものだった。内心、呆れ返ってはいたのだが、それを表に出すとまた陽菜が怒り出すのは目に見えているので、とりあえず宥めるように頭を撫でてやる。
「はいはい。残念ながらオレには彼女はいないし、今から会う子もごく普通の子だよ。ついでに言うと、ただの同級生で絶対に彼女とかにもならないし」
「むー。じゃあさ、もしお兄ちゃんに彼女出来たら、ちゃんと私にも教えてくれる?」
「別にいいよ。どうせオレに彼女なんてそうそうできないしな。んじゃ、いい加減出ないと間に合わないから行くぞ」
予定外に陽菜と話してしまった為、少し家を出る時間が遅れてしまっていた。適当に会話を切り上げると、輝行はスニーカーの踵を踏んだまま、陽菜に見送られて家を出る。
外は蒸し暑い空気に満たされ、風もどこか澱んでいるようだった。
辺りを窺うが、人影は見えない。それでも、基が約束してくれたからには、どこかから様子を見てくれているだろうと思うと自然と安心できた。そのまま、ゆっくりと公園に向けて歩き出す。
目的である樫の木公園には、途中急ぎ足にした所為か約束通りの時間に辿り着くことができた。
小さな児童公園で、さほど敷地面積の広くないこの公園は、昼間は近所の子供たちで賑わっているが、陽が暮れると途端に静けさを呼び寄せる。予想していた通り、今もまったく人気はなかった。古びた外灯が一本立っているだけなので、全体的に薄暗く淋しい雰囲気だ。
入口から右手には滑り台とジャングルジム、左手には砂場とブランコが設置されていて、ブランコの一つに腰掛ける人影が見えた。暗くて顔はよくわからないが、多分輝行を呼び出した張本人・河野だろう。
姿を確認すると、妙に緊張が増してきた。思わずゴクリと生唾を飲み込むと、輝行は慎重に一歩を踏み出す。近付いていくにつれ、その姿がはっきりとわかり、河野本人だと認識できるようになる。
少し俯きがちに待つ河野に、三メートルほど離れた位置から呼び掛けた。声に応じて、河野はゆるりと顔を上げる。
「横木君、来てくれてありがとう」
「いや、それで、話したいことって?」
できれば告白はされたくないのだが、本題が終わらないといつまで経っても家には帰れない。申し訳ないと思いながらも、輝行はさっさと話を終わらせてしまいたかった。
河野は、ブランコから立ち上がり、輝行の前へと移動する。恥ずかしさからか、一度は上げた顔をまた伏せてしまっていた。そのまま、なかなか話そうとはしない。
「河野?」
しばらく我慢強く待っていた輝行だったが、痺れを切らして呼び掛けた。その瞬間、河野の体が揺らぐように前のめりになる。思わず支えようと手を差し出すと、河野の腕がぐいと輝行の首に絡められた。
「え、ちょ、こ、河野!?」
予想外に思い切り抱きつかれる形になった輝行は、差し出した手をどうすればいいのか分からずにじたばたと上下させるしかできない。
「横木君のことが、ずっと前から好きなの」
告白の言葉が、吐息ととも首筋ににかかる。ここまで大胆な告白を受けたことのない輝行は、動揺を隠せなかった。
「あ、のさ……、その、オレは今、彼女とか恋愛とか考えられなくって……」
いつもと同じような断り文句を告げようとするが、なかなか言葉にならない。
「だから、えっと、河野のことは嫌いじゃないんだけど、付き合うとかできないし……」
それでも何とか自分の意思を伝えると、河野の両肩をぐいと押しやって強引に体を離した。
「だから、ゴメン!」
そのまま勢いよく頭を下げる。しばらく、沈黙が続いた。河野の反応がわからない輝行は、やがてそろそろと顔を上げて様子を窺う。
河野は俯いた姿勢で、怒っているのか泣いているのかさっぱりわからなかった。