Song for Snow

#15 Tail of Hope

 駅前にある小さな喫茶店。
 その窓際の一席で、シュウはぼんやりと道を行き交う人々の群れを眺めていた。
 しかし、その中には目当てとなる人はいない。否、すでに見つかるはずがないと、半分諦めが入った目線で見ていた。
 入口のドアベルが鳴り、一人の男性客が入ってくる。シュウはその存在に気づいてはいなかったが、男はシュウの姿を見つけると足早に近寄ってきた。
「シュウ君、ごめん! 待たせたね!」
 焦ったようにかけられた声で、シュウはようやくその存在――かつてのマネージャーである須藤――に気付いた。
「いや、須藤さんこそ忙しいのに、スイマセン」
「気にしない気にしない。俺の方が会いたいって言ったんだし」
 そういうと、須藤はシュウと向かい合わせに腰掛け、空いている隣の席に荷物を置いた。
 ウェイターが水を入れたグラスを持ってくると、そのままアイスコーヒーを注文する。
「それで、新しい情報は?」
「いえ、相変わらず何も……」
 シュウが無念さを露わに返すと、須藤もあからさまに気を落とした様子で相槌を打った。
「すいません、須藤さんが色々良くしてくれてるのに……」
「だから、それも気にしないの! 俺が好きでやってるんだから!」
 須藤はそう言って笑うのだが、シュウにはそれを簡単に受け入れてしまうことはできなかった。
 彼は今、他の新人アーティストのマネージャーをしている。
 ユキの事故以来、『Weiβer Schnee』は事実上解雇といっていい状況となったのだから当然だろう。
 しかし、それでも須藤が事務所社長に直訴し、籍だけ置いてもらっている状態なのだ。ユキが目覚め、リツが戻り、また活動が再開できるようにと。
 それだけ自分たちの音楽を大切にしてくれていることが嬉しい。けれど、同時に心苦しさも感じてしまう。
 ユキはまだ目覚めない。リツの行方は依然として知れない。須藤の頑張りにも、限界があるはずなのだ。
 忙しい合間を縫って、須藤は積極的にシュウと連絡を取り、自らも知人に協力してもらいながらリツの行方を追ってくれていた。
 ヨシノも、リツの実家に連絡を入れたり、大学の友人たちに訊いて回っている。心当たりをしらみつぶしに当たっているようだった。
 それでも、見つからない。
 リツが姿を消してから、もうすぐ一年が経とうとしている今、それぞれの心の内は、諦めの念が次第に色濃くなり始めていた。
「さすがに、そろそろ探す当てがなくなってきたって、ヨシノも言ってました」
「シュウ君……」
 今まで悲観的な言葉は避けてきたが、ここまで見つからないとどうしても零さずにはいられなかった。シュウの項垂れる姿に、須藤の表情も曇ってしまう。掛けるべき言葉も思い浮かばなかった。
 が、ふと須藤は微かな振動音に気付く。携帯電話のバイブレーション機能だ。自分の物ではないとわかり、シュウに声を掛ける。
「シュウ君、携帯鳴ってない?」
「え? あ、ホントだ」
 バッグの中に入れていた為に気付かなかったらしく、シュウは慌てて携帯電話を取り出した。その液晶画面に表示された名前を確認した途端、驚きを露わにする。
「出ないの?」
「あ、いや、出ます。ちょっとすいません」
 須藤に軽く断ってから通話ボタンを押す。電話口から聞こえてきた声は、もう何年も聞いていなかった懐かしい澄んだ声音だ。
『斎藤君?』
「お久しぶりです、理恵子先輩。いきなりどうしたんですか? びっくりしましたよ」
 理恵子はかつて、リツがメンバーに入るまでは一緒にバンドを組んでいた先輩。しかし、リツがメンバー入りしてからは少しずつ疎遠になっていた。もともと電話やメールなどもあまりしなかったので、どうして今頃、何の前触れもなく連絡が来るのか不思議でたまらない。
『あのね、ちょっと訊きたいことがあったの』
「訊きたいこと? 何ですか?」
『……律野君って、今何してるの?』
 その問いに、思わずなるほどと言いそうになってしまった。シュウには、理恵子がユキにかなりご執心だったようなイメージがある。もしかしたら、今でもユキに対して何らかの想いがあるのかもしれなかった。
 けれど、それにしてもどうして今になってという思いは薄れない。
『言いにくいなら質問を変えるわ。どうしてメジャーデビューまでしたのに、今のあの子は歌ってないの?』
 理恵子が痺れを切らしたように問う内容に、シュウは奇妙な違和感を覚えた。理恵子はどうもユキに対して何か思っているようではない。むしろ、気にしているのはあの子、つまりはリツの事のように思えたのだ。
 そして何より『今のリツ』が歌っていない状況を知っている。
 それから導き出される答えは、一つしかなかった。
「ちょっと待って下さい。もしかして、理恵子先輩はリツの居場所を知ってるんですか?」
「え?」
 大人しくシュウの電話を見守っていた須藤も、思わず声を上げ、腰を浮かす。
 思いもしないところから、手掛かりが得られるかもしれないことに、思わずシュウの携帯電話を握る手に力が籠った。
『居場所って……、何よ、それ。あの子、行方不明にでもなってるわけ?』
「詳しいことは後で話します! それよりも、リツがいる場所知ってるんですか!?」
 藁にも縋る思いとは、こういうものを言うのだろうと思う。
 シュウはただただ、理恵子が『否』と言わないことを願わずにはいられなかった。
 鼓動が早くなる。これで駄目ならもう立ち直れないほどに、今の自分が理恵子の言葉に期待しているのがわかった。
『……Anastasia』
「アナス、タシア?」
 その単語に聞き覚えがなく、シュウはどこか間の抜けた声で繰り返した。
『あの子が働いてるバーの名前よ』
「ありがとうございます!」
『お礼はいいから、あの子と律野君に何があったのか聞かせて。そうね、出来れば今からでも会える?』
 情報提供してくれた理恵子の要望を無下に断ることなどできなかった。そして、それ以上に、理恵子がただ単に興味本位で連絡し、ことの経緯を知りたがっているようには思えなかった。わかりましたと短く答え、今いる場所を伝えると、理恵子自身が出向いてくれるということで話が纏まった。
 電話を切ると、一部始終を見守っていた須藤が身を乗り出して状況を確認し始める。
「リッちゃん、見つかったの!? 今の人、何で知ってたの!?」
「須藤さん、落ち着いて……」
 呆れたようにシュウに宥められ、須藤は慌てて周りを見回した。幸いにも店内に客は少なかったが、やはり目立っていたようで幾つか怪訝そうな、もしくは迷惑そうな視線を向けられている。
 須藤が苦笑いで他の客たちに誤魔化し、座り直すのを見て、シュウは改めて口を開く。
「理恵子先輩が何で知ってるのかは聞いてないけど、どうやらリツの居場所については間違いなさそうだった。今から来てくれるって言ってる。須藤さん、仕事抜けてきてるんだろ? 後で連絡するから」
 指摘を受けて腕時計を確認すると、確かに次の予定までにギリギリの時間だった。須藤は名残り惜しいと思いながらも、席を立つしかないと観念する。
「じゃあ、絶対連絡してよ! それから、ヨシノちゃんにも、連絡してあげなきゃ駄目だからね!」
「わかってますって。ほら、早く行かないと間に合いませんよ? ここは俺がおごりますから、行っちゃって下さい」
 ただでさえ迷惑を掛けていると感じているのに、これ以上彼の立場を悪くするわけにはいかないと思いながら、シュウはわざと煩げに須藤を追い払った。渋々店を出た須藤は、それでも念を押すかのように振り返って手を振る。
 窓越しにそれに応えた後、シュウは誰よりもリツの行方を案じている人物へと電話を掛け、来るべき時に備えたのだった。