Song for Snow

#11 Snowy Field Promise

 数時間に一本しか走っていない特急列車が、ゆっくりとした速度で吹きさらしのプラットホームへと滑りこんでくる。
 停車した車両から吐き出される乗客はまばらで、誰もが寒さに無言になりながら跨線橋を渡り、いくぶん寒さの凌げるはずの駅舎内へと足を急がせていた。
 その乗客の中に、大学の冬季休暇を利用して帰省してきたリツとユキの姿もあった。
 二人は荷物を抱えたまま、駅のすぐ傍にあるバス停へと向かい時刻表を確認した。が、生憎と次のバスの時間まで五十分以上ある。一時間に一本の割合でしか走っていない田舎の路線バスでは、それも仕方のないことだった。
「どうする?」
「うーん」
 時間を潰す方法はあまり多くない。というよりも、ほぼ皆無に近かった。
 近くにアミューズメント的なものもないし、手頃なカフェや喫茶店などもほとんどない。
 ユキの問いにしばらく首をひねっていたリツだったが、ふと思いついたように満面の笑顔になった。
「ユキ! 学校行こう!」
「学校って、峰高?」
 二人の通った母校――白峰高校の略称を挙げると、リツは嬉しそうに大きく頷く。
 すれ違ってばかりだった高校時代だったが、それでも共に過ごした母校を懐かしく思う気持ちには変わりがないのだろう。
 それに、今はもう二人でいることができる。辛かった思い出も、今では思い出の一つとすることができるのだ。
 ユキは「わかった」と笑みで答え、二人は十分ほど離れた先にある母校へと向かって歩き出した。

 かつて二人の通った高校のグラウンドは、一面真っ白な雪に覆われていた。
 年末で部活動も行われていない所為か、踏み荒らされた痕跡もない。職員もいないらしく、辺りはしんと静まり返っていた。
「ユキ! 雪ー!」
 リツはその白銀の絨毯が気に入ったのか、蹴散らしながらグラウンドを駆け出した。その様子に、少し前にシュウに「仔犬のように駆けまわるリツ」を説明したことを思い出し、ユキは柔らかく目を細めた。
「それはどっち? 俺を呼んでるの? それとも雪積もってるのを主張したいの?」
「どっちも!」
 無邪気な笑顔が返るのに、思わずユキは小さく吹き出してしまった。
 二人が今大学の関係で一人暮らししている土地では、あまり雪が降らない。降ったとしても積もることなど皆無に等しいのだ。だからここまでの雪景色を目にするのは本当に久しぶりで、リツのテンションが上がるのも無理はないと思えたのだが、それにしてもわかりやすい。
 ユキの笑いに、バカにされたと思ったのかリツがムッとして頬を膨らませた。
「笑うなよ! 好きなんだから仕方ねぇじゃん!」
 そう反論するリツに、ユキはちょっと意地悪な気持ちを駆り立てられてしまった。
 性格が悪いと思いながら、似たような問いをまた返す。
「それもどっち? 『俺』? 『雪』?」
 一瞬でリツの顔が真っ赤に染まった。なかなか次の言葉が出てこずに、しばらく口をパクパクさせた後、ようやくリツは、
「ゆ、『雪』に決まってんだろ!」
 乱暴な口調で何とかそう返した。
 そんなに可愛い反応をされるとますます苛めたくなってしまうのがユキの性格である。
「そうか、『俺』か」
「違ぁう! ユキヒロじゃなくて『雪』! スノーの方!」
「いやぁ、愛されてるなぁ、俺」
「違うっつってんだろ!」
 必死に弁解するリツに、ユキは更なる意地悪を思いついてしまった。突如真面目な表情を作り、ぽつりと呟く。
「俺も好きだけど?」
「え?」
 咄嗟の反応ができないまま、リツの思考回路はフリーズしてしまった。
 ユキの言葉の意味はわかるけれど、何と答えればいいのかわからない。
 戸惑いと焦りと、そして喜びが生まれる。
 が、次の瞬間にユキがニヤリと人の悪い笑みを浮かべて付け加えた。「『雪』を」と。
 顔どころか全身の体温が一気に上昇するのを、リツは自覚した。視線を遠くの雪化粧した山に向け、恥ずかしさを誤魔化すように笑って取り繕おうとする。
「あ、ああ。『雪』、ね……」
「期待した?」
「してないっ!」
 からかわれたとわかったリツの怒鳴り声が雪のグラウンドに響く。
 ユキはリツの反応の全てを愛おしく思いながらも、声を殺しながら笑い続けた。
 反対にリツはムッとしているが、その表情はどこか安心しているようにも見える。
 それをわかっているからこそ、ユキは本気で気持ちを伝えようとは思わないのだ。ユキが想いを告げるとしたら、それはリツが自分に想いをぶつけてきた時だと決めている。それは、再会した時からずっと決めている自らへの誓いだった。
「そういやさ」
「何だよ!」
「リツの名前」
「名前?」
 ようやく笑いをおさめたと思ったユキが話し始めた話題が、あまりにも突拍子がなかった為にリツは一瞬怒りを忘れ、代わりに訝しげな表情を浮かべた。
 ユキにしてみればそれは予想通りの反応で、リツの上手い扱い方に内心満足しながら話を進める。
「『六花』って『雪』のことだって知ってた?」
「え? そうなの?」
「ほら、雪の結晶って六つ片のある花みたいでしょ。だから」
「へぇ、さすが雑学大好きっ子……」
 見事にからかわれたことを忘れて感心さえするリツに、ユキは優しげな笑みを浮かべながらも再びからかいモードへと移行した。
「リツはそんな儚げなキャラじゃないよな」
「るせぇっ!」
 またしてもユキの予想した通りに怒りの声を上げるリツ。そんな風に一挙一動を予測できるほど自分はリツを理解しているのだと思うと、可笑しくもあり嬉しくもあった。
 だからますます自然と笑みが零れるのだが、リツにとってはそんなユキの笑いがバカにされているようにしか思えないのだろう。ふてくされたように口をへの字に結んで、広がる雪景色を見つめていた。
 そんなリツの姿に、ユキは先ほど口にした言葉は本意ではないと伝えたいような気持ちになる。本当は純粋で真っ白なリツにぴったりな名前だと思っていると。
 けれど、それはまだ言わないでおこうと考え直した。いつかきっと、リツにそれを伝えるに相応しい時が来るだろうと思うから。
 そして、そんなリツの見つめていると、ふと頭に浮かぶ言葉があった。
「『Song for Snow』、ね」
 リツが、ユキの曲につけたタイトルだ。自分たちのバンドの、メジャーデビュー二枚目になる予定の曲でもある。
 奇しくも、ユキが『雪』をイメージした曲に、リツはそう名付けた。ユキは一度もそのイメージを伝えていないというのに、だ。
 いつもそうだった。ユキはリツに自分の曲のイメージをほとんど伝えたことがない。それなのにリツは、ユキが思い描いた景色を見事なほどに歌に乗せていく。
 だから、手離せない。どんなことがあったとしても、二度と離れるつもりはなかった。
「ユキ?」
 一言呟いたまま何も言わなくなったユキに、リツは疑問の表情を浮かべて振り返った。
 どこか不安げにも見えるその表情に、ユキは安心させるように微笑んでからまたしても意地の悪さを発揮する。
「俺とリツのための歌?」
「バっ……!」
 またからかわれたと思ったリツは、怒ったようにユキの胸を拳で叩いた。しかし、その痛みすらユキには心地よく、零れた笑みは温かく優しいものになった。
「いいんじゃない? そういうことで」
 思いもよらないユキの穏やかな笑みに、リツはこみ上げる想いを抑えきれなくなる。それを誤魔化すように、くるりとユキに背を向けた。
「……ま、いいけど、な」
 そっけなく答える。それだけしか言えなかった。
 それが、今のリツには精一杯なのだ。
 そんなリツに、ユキは心の中で小さく謝った。
(少しだけ、許してね)
 リツには聞こえない謝罪の後、そっと白銀の中に佇む小柄な身体を背中から抱き締める。一瞬、リツが驚きと緊張で身を震わせた。けれどすぐにその緊張を緩める。
「……早く書いてね、詞の続き」
「わかってる」
「できたら俺に一番に報告すること」
「わかってるって」
「で、その場で歌ってもらうから。俺のギターで」
「死んだってユキ以外のギターで歌うかよ……」
 ユキの腕の中、リツは涙声でそう笑った。
 そして、覚悟する。
 もう、無理だ。
 これ以上、ユキへの想いを抑えつけることなど、無理なのだと痛感した。
(歌おう。ユキに……)
 この『Song for Snow』はユキのための歌。そして、リツ自身のための歌だった。
 だから歌って伝えようと決めた。
 今まで降り積もってきた、根雪のような想いを。
 今なお降り続け、積もるばかりの想いを。
 そう固く決意して、背中に感じる愛しい温もりに身を委ね、リツは瞳を閉じた。
 ユキはただ、そんなリツを静かに見つめ、包み込むように優しく抱き締める。

 そんな二人を知るのは、静寂を象徴するような白銀だけだった。


 そして、その一週間後。
 出来上がったリツの詞は、誰にも聴かれることなく机のひきだし奥深くに眠ることとなる――。