風にゆれる かなしの花

第二幕 きみに捧ぐ かなしの花 [09]

 メレディス様からの連絡が届いたのは、セラが自宅療養へと戻った二日後だった。
 忙しさは相変わらずではあったが、騎士の仕事は体が資本であり、月に決められた回数の休日がちゃんと設けられている。その休日をメレディス様はフィーナ嬢への面会日にと設定してくれたらしい。
 連絡を受けた翌日という急な日程ではあったが、先延ばしにするべき話でもない。メレディス様に了承の返事をし、指定された日に俺はエスクァーヴ家へと赴いた。
 話はすでにメレディス様から通っていたのだろう。エスクァーヴ家で出迎えてくれたのはメレディス様の奥方であるアレクシア様だった。
「いらっしゃいませ、レオン。立派になったわね」
 俺が訪問した理由までは知らないのか、アレクシア様は満面の笑みを湛えている。気まずさを覚え、曖昧な笑みとともにありがとうございますと礼を返した。
「今フィーナは庭に出ているの。呼んでくるからここで待っていてくれる?」
「わかりました」
「すぐお茶も用意するから」
 アレクシア様自ら応接室へと案内をしてくださり、そのままいそいそと中庭へと向かっていくのに驚く。アレクシア様も元は騎士だったという話だから、使用人を使うよりも自分で行動してしまう性格なのかもしれないと結論付け、静かにフィーナ嬢が来るのを待った。
 これから出会う婚約者のことを考えながら、窓の外に視線を向ける。色とりどりの花が溢れた庭園は、美しく整えられていた。
 その中には、以前セラに似合うと思って選んだ赤いアネモネも揺れている。
 彼女は今、健やかに過ごしているのだろうか。婚約を破棄しに来たというのに、気づけば思考がセラへと移り変わってしまう。
 遠く馳せようとした想いを邪魔するように、応接室のドアがノックされた。我に返って応えようとする前に、「失礼いたします」と落ち着いた声が響く。
 その声に勢いよく振り返り、そして、時が止まった。
「お待たせしました。私にどういったご用件ですか?」
 どういうことだ。今目の前にいる女性は俺がよく知っている人物にしか見えない。いつもよりも華やかにまとめ上げられた髪の赤も、気の強そうな大きな瞳のヘイゼルも、愛おしくて堪らない色。纏っているのは騎士団の制服ではなく、落ち着いた深い翡翠の色のドレスだったが、それでも見間違えようがない。
 誰よりも大切に想う唯一の女性――セラ・アステートだった。
「レオン様? 婚約の解消を言い渡しに来たのでしょう? それならお受けしますからもう帰っていただけますか?」
 婚約の解消? ならば、やはり彼女はセラではなくフィーナ嬢なのか?
「……セラ?」
 混乱が混乱を呼び、彼女の言葉に応えることもできない。かろうじて出てきたのは、確認するように呼んだ名前だけ。
「何ですか? いまさらまだ何かおっしゃりたいことでもございますか?」
 確かにセラと呼んだのに、彼女はそれに応えた。それはつまり、やはり彼女はセラであり、同時にメレディス様の娘であるということだ。
「メレディス様の娘の名は、フィーナじゃないのか?」
 茫然と呟くと、彼女は一旦訝しげに首を傾げ、そしてすぐに思い至ったような表情へと変わる
「ああ、呼び名のことですか? フィーナなんて恥ずかしい呼び方をするのは家族くらいで――っ!?」
 彼女が言い終えるのを待たずに、一気に距離を詰めて逃がさないようにその両腕を掴む。至近距離で彼女を見下ろすと、戸惑いながらも咎めるような視線とぶつかった。
 けれど、そんなことに今は構っていられない。それよりも、確かめなければならないことがあった。
「本当に、セラが俺の婚約者なのか?」
 セラがメレディス様の娘ならば、あれほど強いのも納得できる。エスクァーヴを名乗っていないのも、きっと彼女が『青騎士団長の娘』というレッテルを貼られたくなかったからだろう。その気持ちは俺自身もよくわかるし、今まで疑問だった彼女の素性についてもようやく腑に落ちた。
 彼女が応えるまでもなく、俺の問いは間違っていないはずだ。
「……レオン様は、私が婚約者だとご存知なかったんですか?」
 答えの代わりにそんな問いを投げかけられ、途端に自分が如何に礼を欠いていたのかを思い知る。
 彼女はちゃんと俺のことを知ってくれていた。出会った当初こそ素っ気ない態度ではあったが、そのうちちゃんと歩み寄ろうとしてくれていた。もしかしたら、あの頃の彼女は俺をちゃんと婚約者として受け入れようとしてくれていたのかもしれない。
 それなのに俺は自分の婚約者のことをちゃんと知ろうとしていなかった。いずれ顔を合わせたときに知ればいいなどと、悪びれもせずに放置していた。
 ちゃんと知っていれば、婚約破棄どころかさっさと正式な婚約を結んでしまっていたのに。自分の至らなさばかりを痛感して、自分自身に失望してばかりだった。
「その……、親が決めた婚約者のことなど、知らなくていいとずっと思っていた。だから、釣書きも肖像画も、渡されたときのまま開封もせずに実家に置きっぱなしで……」
「でも、それなら何故、初めて修練場で会ったときあんなに驚いていたんです? 深窓の令嬢だなんて噂ばかり出回っていた私がいたからじゃないんですか?」
 さらに問いを重ねるセラの声には、疑問はあれど先日のような険しさはなかった。純粋に俺が彼女を婚約者として認識していなかったことが不思議だったようだ。
 だが、今度はその質問に答えることが少々気恥ずかしい。本当に彼女がいることに驚いていただけだったならよかったのに。
「そ、それは……その……驚いていたんじゃなくて、だな……」
「何ですか? はっきり仰ってください」
 俺のあやふやな態度に、わずかに呆れと苛立ちの混じった声が返った。彼女をまた怒らせてしまいたくはなくて、慌てて口を開く。
「だから! 君が綺麗で……見惚れていた、だけで……」
 勢いに任せて本当のことを言おうとしたが、彼女の曇りない視線と真正面からぶつかると、途端に言葉が萎んでいった。こんなときでもやはりセラは凛として美しく、そんな彼女に自分がどこまでも不釣り合いなのだと思い知る。
 けれどそれでも、やはりどうしようもなくセラが好きだ。どれほど報われないとわかっていても、この想いを止めることなどできない。
 俺の態度に思うところがあったのか、掴まえている手から逃れようとセラが身を捩る。それを強引に引き寄せ、きつく抱き締めた。
「あの日、修練場で剣を振るう君に一瞬で心を奪われた。けれど、君が信頼するのも頼るのもいつもアルヴィンで、俺の入る隙などどこにも見つからなくて……。それでも、君を喪うかもしれないと思ったとき、もう誰にも譲りたくないと思ったんだ」
 閉じ込めた腕の中、セラは身動ぎもせずに俺の言葉を聴いてくれていた。彼女が抵抗しないのをいいことに、そのままずっと言えずにいた想いを口にする。
「セラが好きだ。そして、親の決めた婚約など関係なしに、セラ自身に俺を望んでほしい。アルヴィンのことが忘れられないなら、いつまでだって待つから……」
「ちょ、ちょっと待ってください! アルを忘れられないならって何ですか!?」
 突然大きな声を上げてセラが俺の腕を強引に引き剥がす。まさか俺が彼女のアルヴィンへの気持ちまで知っているとは思いもしなかったのだろう。
 少し離れた距離に淋しさを覚えながらも、何とか嫉妬で歪みそうな心を押し隠して笑みを浮かべた。
「『かなわぬ恋』とは、アルヴィンのことを言っていたのだろう?」
 ずっとセラを見ていた。だからこそ、彼女がどれほどアルヴィンを信頼し、強く想っているのかはわかっているつもりだ。そう続けようとした途端、
「冗っ談じゃないです! アルは確かにいい奴ですけど、男としては最低の部類に入りますからね!? あっちこっち声をかけてはとっかえひっかえ……。何度私がフラれて泣いている女性を慰めたことか……。それだけならまだしも、逆恨みされて嫌がらせされたことだってあるんですから!」
 俺の切ない想いを木っ端微塵に吹き飛ばす勢いで、セラはアルヴィンに対する不満を一気に迸らせた。その表情はいつになく激しく、心底アルヴィンの女癖の悪さに辟易しているのだとわかる。そして、それは嫉妬から発せられるものではないということもわかった。
 あまりの剣幕に、そうかと相槌を返すことしかできなかったが、今度は更なる疑問が頭をよぎる。
「なら、あれは誰のことを言っていたんだ?」
「それは……レ、レオン様こそ、カノン様に赤いアネモネを渡されていたじゃないですか!」
 俺の問いに答えたくなかったのか、セラは焦りを含んだ声で逆に問い返してきた。
 まさかここでその話題に移るとは思ってもみなかった。脳裏には、あの赤いアネモネの花を選んだときのカノン様とのやりとりが思い浮かび、顔が火照るのを自覚する。
 だが、今さら偽る必要もない。恥ずかしいことに変わりはないが、彼女に全て話してしまおうとたどたどしいながらも言葉を繋いだ。
「あの時は、カノン様にセラが元気ないという話をしたら、花でも飾れば気分も変わるだろうと言われて……。何がいいかと訊かれた時、近くに咲いている赤いアネモネが目に入ったんだ。セラの赤い髪に似ていると思ったから、気に入ってくれるかもしれないと……」
「私の、髪?」
「それに母に昔言われたことを思い出した。赤いアネモネは想う相手に贈るものだと。本当は直接君に渡したかったが、そんな勇気はとても持てなかったから、セラが一日の大半を過ごすカノン様の部屋に飾ってもらえば、見てもらえると思って……」 
 今思い返せば、随分とわかりづらいし回りくどい。これではカノン様にヘタレと言われても仕方がないだろう。
「クワドラートを渡した理由は何だったんですか?」
 俺の答えに対する感想は特になく、そのまま続けて別に質問が投げかけられる。けれどその意味はよくわからなかった。今までの話の流れで、いったいどこからクワドラートが出てきたのだろうか。
「クワドラート? それならここにあるが?」
「え?」
 質問の意図をわかりかねたまま、俺は胸元からクワドラートを取り出し彼女に見せた。
 驚いた表情のままの彼女の視線が、クワドラート自体ではなくチェーンに向かっていることに気づき、また恥ずかしさを重ねてしまう。
「すまない。ずっとチェーンを返さなければと思っていたのだが、君が身に着けていたものだと思うと手離すのが惜しくて、つい返しそびれてしまった」
 とんでもない言い訳だがそれが事実だ。セラから非難されても甘んじて受け入れるつもりだった。けれど、セラは何か別のことに考えをとられているのか、俺を黙って見つめているだけだった。
 気を取り直し、一度そらされた本題へと戻る。
「それで、セラの想い人がアルヴィンでないなら誰なんだ? まさか……クラウスか?」
 彼女がアルヴィン以外で親しくしている男に心当たりなどほとんどない。
 カノン様付きという立場上、日常的に関わる騎士は俺とアルヴィン以外ならばクラウスしかいないのだ。そして、クラウスほどの男ならば彼女と並んでも釣り合いが取れる。
 彼女が俺を避け出した頃から、やたらとクラウスの仕事を手伝うようになっていたことを考えると、この推測は正しい気がしてならなかった。
 セラが、柔らかく微笑む。
 そうか、やはりクラウスなのかと胸が苦しくなり、視線が床へと落ちた。よりによって、俺の唯一の友が彼女の想い人だったなんて。
「レオン様は、まるで私みたいですね」
「セラみたい? どういう意味だ?」
 寄越されたのは、不思議な言葉だった。
 俺とセラに似ているところなどあっただろうか? あるとすれば、騎士としての職務に忠実で真面目であることくらいだ。
 疑問で頭がいっぱいの俺に、またセラが美しく慈しむような笑みを浮かべた。
「好きな人が、自分を好きでいてくれる可能性を考えたりしなかったんでしょう?」
「好きな人が、自分を……?」
 好きな人。つまりそれはセラのことで。
 セラが……、俺、を?
 そんな都合のいい話があるはずがないと思った瞬間、背中に回された両の腕。
「セ、セラ……?」
「貴方の婚約者のままでいさせてもらえますか?」
 婚約者のままで? 俺の婚約者でいたいと、そう言ってくれているのだろうか?
「……それは……、その、セラも俺と同じ気持ちでいてくれたと自惚れてもいいのか?」
 信じられない気持ちで、彼女に確かめる。
 そんな嘘などつく性格ではないと知っているはずなのに、素直に信じられなかった。もちろんそれはセラを信じられないということではなく、自分がセラに好かれるようなできた人物ではないと知っているからだ。
 どこまでも情けない俺の態度に、セラは抱きついたまま俺を見上げて睨みつける。
「無粋なこと訊かないでください。レオン様が婚約を破棄したがってると知って、……どれだけ泣いたと思ってるんですか」
 一瞬言葉を詰まらせた後、拗ねたような物言いで言い放ち、セラは唇を噛み締めた。その眦には、小さな涙の粒が浮かんでいる。それだけで、彼女がどれほど俺のことを想ってくれていたのかをようやく悟った。
 触れることを躊躇い彷徨っていた両手で、彼女の頬をそっと包み込み、零れそうな想いの雫に唇を寄せた。頬から髪を辿り、肩から背中へと手を滑らせ、優しく抱き寄せるとセラも素直に身を預けてくれる。
 その耳元に、誠心誠意を込めた誓いと希みを囁いた。
「もう泣かせない。絶対に。だから、傍にいさせてほしい」 
「……仕方ないので、いさせてあげます」
 尊大な言葉とは裏腹に、語尾がわずかに震えていた。そんな強がりな姿がまた愛おしくて、抱き締める腕が自然と強くなる。
 セラに相応しい男になろう。セラと並んでも恥をかかせずに済むような男に。
 俺が彼女の婚約者なのだと、胸を張って言えるように。
 こんな情けない俺を選んでくれたセラが、俺を選んだことを後悔しないように。
 この世で一番愛おしい花を抱き締めたまま、俺は心の中で密やかに決意をした。

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