風にゆれる かなしの花

第二幕 きみに捧ぐ かなしの花 [08]

 滅多に踏み入れることのない青騎士団長の執務室。白騎士団長である父の執務室と造りは同じはずなのだが、主の人柄が反映されているのか厳格さよりも華やかさがやや勝っている。
 落ち着かない気持ちのまま、優雅に執務机にもたれかかり紅茶を口に運ぶメレディス様の前で、俺は静かに頭を垂れていた。
 父に頼んだ翌日の夜、執務終了後に時間を取っていただけることになったのだ。
 既に父から話は伝わっている所為か、今のメレディス様には常に浮かべられている笑みが今はない。俺はメレディス様に幼い頃から目を掛けていただいていたから、仕方がないことなのだろう。
 けれど、今さら気持ちを変えることなどできないし、セラへの気持ちを残したままフィーナ嬢を妻に迎えても不幸にするだけにしか思えなかった。
「話は聞いてるよ。フィーナの何が気に入らないのかな?」
「それは――」
「と言うのは冗談で」
「え?」
 俺が答えるより早く、メレディス様から人の悪い笑みが返る。その声音に怒りや責めるような色はなくて、どんな風に受け止めればいいのかがわからなかった。
「目の前であんな啖呵を切られたんじゃ嫌でもわかるよ。さすがのレイも面食らってたからね」
「……あの時は、申し訳ありませんでした。いくら焦っていたとはいえ、レイフォード様に対しても礼を欠いた態度を取ってしまいました」
「あれはレイが悪いから気にしなくていい。それより、それくらいレオンがあの子を大切に想っているのはよくわかった。だから、一つお願いがあるんだけどいいかな?」
「お願い、ですか?」
 元々騎士団長という役職の割に柔和な面立ちを、いつも以上に和らげてメレディス様が問う。だが、その優しげな視線の奥には、有無を言わせぬ力があった。思わず身構えてしまうほどに、強い。
「フィーナは君のことをかなり気に入っていてね。その上結構な頑固者だから私が言い含めたところで納得するかどうかわからない。だから、レオン。君が直接フィーナに会って断ってきてくれないか?」
 メレディス様の申し出に、ますます身を固くし息を呑む。
 直接婚約破棄を言いつけるなど、フィーナ嬢にとっては屈辱でしかないだろう。しかもフィーナ嬢には何も非がない。
 メレディス様ですら納得させることができないような性格で、その上俺のことを気に入ってくれていたのならば、素直に申し出を受け入れてもらえないかもしれない。たとえ受け入れてもらえたとしても、ひどく罵倒されて当然だろう。それとも、静かに嫌味を言われ続けられるのだろうか。どちらにしろ、俺はその状況の全てを受け止め、ひたすら真摯に謝罪してフィーナ嬢に許しを請わねばならないことは明白だ。
 これはお願いなどではなく命令なのだと悟った。穏やかな態度とは裏腹に、メレディス様は俺に対してやはり良い感情は持たなかったのだろう。
 メレディス様はのレイフォード様以上にフィーナ嬢を溺愛しているとも聴いている。そんなメレディス様からすれば、この程度の仕打ちは生ぬるいくらいで、俺にそれを断るなどという選択肢はあるはずがなかった。
「わかりました。いつならば、お会いすることができるのでしょうか」
「フィーナは今少し体調を崩していてね。また都合のいい日は追って知らせるよ」
「了解です。ご連絡をお待ちしております。それでは、失礼いたします」
 思いもしない条件を突きつけられてしまったけれど、とにもかくにも必要な手順を踏むことはできた。ホッとして退室しようとした瞬間、メレディス様に名を呼ばれる。
「何でしょうか?」
「上手くいくといいね」
「え? それは……」
 どちらのことを指していっているのだろう。フィーナ嬢へ断りを入れることなのだろうか? それとも、セラとの関係のことなのだろうか?
 けれど、そんな問いをメレディス様にぶつけることはあまりにも無神経だった。無理やり疑問を飲み込んで、俺はもう一度深く頭を下げると青騎士団長の執務室を辞した。
 執務室前の回廊で一旦大きく息を吐くと、次の目的地まで足を踏み出す。
 これでアルヴィンに言われた通りに筋は通した。まだ婚約の解消には至ってはいないけれど、話は通したしフィーナ嬢からは意地でも了承を取るつもりでいる。ようやく、セラに気持ちを伝えることができるのだ。
 明日には彼女は実家に戻りしばらく療養すると聞いている。ならば、今の時間はもう寄宿舎の部屋に戻り、帰る支度を整えていることだろう。
 彼女が目覚めた日以来、ろくな空き時間もなく一度も彼女の顔を見ていない。いや、ほんの少しくらいはあったのだが、あの日彼女を強引に抱き締めてしまったことが頭を掠め、合わせる顔がなかった所為もあった。
 だから何よりも、彼女の回復した姿が見たい。
 そして改めて先日の謝罪をしよう。それから体調を確認し、それに応じてゆっくりと話ができる時間をとってもらわなければいけない。まだ病み上がりなのだ。無理をさせては元も子もない。具合が悪そうならば、気持ちを伝えるのはできるだけ簡潔に済ませなければ……。
 あれこれと思案しながら歩いていると、あっという間にセラの自室にまで辿り着いてしまった。
 一呼吸おいて軽くドアをノックする。上手く話せるか不安だった所為か、ノックの音は自分でも呆れるほど力ないものになった。
「アル、小言なら――」
 返事の代わりにそんな声とともにドアが開く。部屋を訪れる相手など、アルヴィン以外いないと思い込んでいたのか。その事実に、胸の奥が軋む。
「アルヴィンじゃなくて悪かったな」
「……レオンさん」
 思わず返してしまった嫌味混じりの言葉に、彼女は気まずそうに視線をそらした。早速失敗してしまったと思うがもう遅い。
「何の用ですか?」
 目をそらしたまま、けれど穏やかながらも非難するような声音で彼女が問う。そこにある明らかな拒絶に、落ち込むなと言うのは無理な話だろう。
「俺の顔など見たくないとでも言いたげだな」
 それでも必死で平静を保ち、沈んだ声音にならないように言葉を繋いだ。けれど、かえって彼女を責めるような口調になってしまう。どこまでも不器用な自分が恨めしい。
「そう思われるようなことをした自覚はないんですか?」
 俺の態度を反映したかのように、セラが冷たく問いを重ねた。
 やはり、あの行為は彼女の癇に障ったのだろう。自覚なんて、ありすぎるほどあった。
 彼女の態度に傷ついている場合ではない。まず何よりも謝るべきなのだ。本来やるべきことを思い出し、気持ちを切り替えて彼女を真っ直ぐ見つめる。相変わらず視線は交わらないけれど、構わず言葉を紡いだ。
「この間のことなら謝る。本当にすまなかった。頭に血が上っていたとはいえ、あんなことをされれば誰だって腹を立てることくらいわかる」
「もういいです。終わったことですから。お話がそれだけなら失礼します」
 取り付く島もない態度で、セラは扉を閉めようとする。咄嗟にその手に自らの手を重ねて制した。
「セラ、待ってくれ」
 まだ肝心な話ができていない。体調はどうなのか。そして、俺が彼女をどう思っているのか。けれど――。
「馴れ馴れしく呼ばないでください。レオン様と私は、そんな風に呼ばれるような間柄ではないですから」
 心底煩わしそうに、手を振り払われ、再度掴まえるどころか声をかける間もないほど素早くドアが閉まった。直後に鍵のかかる音が無情に響く。
「セラ……」
 つい数分前まで『レオンさん』と呼んでくれていたのに、また『様』付けに戻っていた。今までの先輩後輩としての関係すら否定したいということなのだろう。
 それほどまでに、俺が触れたことは彼女には許しがたいことだったのだ。
 閉ざされた扉を見つめたまま、一歩下がる。このままここにいても話を聞いてもらえるわけでもないし、何より体調が万全でない彼女に不愉快な思いをさせてしまうだけだ。そう自分に言い聞かせ、床に貼りついたような足を引き剥がすように踵を返す。
 ふらふらと自室へと戻るまでの間、頭の中はずっとセラの拒絶の言葉と冷たい視線に占められていた。
 部屋に戻り鍵をかけると、制服の上着を脱いで適当に机の上に放る。着替える気力すら湧かず、そのままベッドへと身を投げた。
「そんな風に呼ばれる間柄じゃない、か……」
 そう言われてしまうほど嫌われてしまっても、セラへの想いを絶とうとはどうしても思えなかった。
 彼女でないと駄目なのだ。彼女以外の誰も要らない。たとえどれほど俺を愛し欲してくれる人がいたとしても、俺が傍にいてほしいのはセラ・アステートただ一人だ。
 けれど、これ以上気持ちを押し付けることもできない。そうなると残された道は、見返りを求めることなく、ただ彼女を密やかに想い、見守ることだけ。
 それで、いいのかもしれない。彼女が幸せそうに笑ってくれさえすれば、たとえその笑顔を向ける先が自分でなくても。
 溢れ出そうな醜い欲望に綺麗ごとで蓋をする。そうやって押し込めてしまわないと、無理やりにでも彼女を手に入れようとしてしまいそうな自分が怖かった。
 服越しに胸のクワドラートを辿って握り締める。あの日彼女が渡してくれたチェーンは、体温に馴染んで冷ややかさなど欠片もない。
 そんな風に、彼女と自分の関係も当たり前のぬくもりを持っていられたらよかったのにと、詮無いことを思って瞳を閉じた。

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