風にゆれる かなしの花

第二幕 きみに捧ぐ かなしの花 [06]

 空気がわずかに湿度を帯びた気がして、空を見あげた。つい先ほどまで澄み渡っていたはずの空に、低く厚い雲が垂れ込み始めている。今の時期はこんな風に突然天気が崩れることはよくあるのだ。さほど待たないうちに雨が降り出すだろう。
 視線を巡らせれば、カノン様に随従している彼女も天候の変化に気づいたらしい。カノン様を促し、宮城へと続く大通りを後戻りし始めていた。
 今日の任務は私服に身を包み、二人一組で城下を巡るカノン様を陰から警護すること。俺は小隊長と組んで常に彼女たちから一定の距離を保ちながら移動していた。当然今も帰城しようとしている彼女たちの後を追おうとしかけて、違和感を覚える。
 周りにいるはずの白騎士団員の姿が妙に少ない。安易に持ち場を離れたりするわけはないので、何らかの事情があるのだろう。今日は私服で市井の者に紛れているのだから、そういう事態になることも想定はされている。だが、配置されている白騎士団員の半数近くが『何らかの事情』で持ち場を離れることはさすがに異常だった。
「小隊長、カノン様たちと合流しましょう」
「そうだな。もう充分城下を堪能されただろう。何より、嫌な予感がする」
 小隊長の言葉を最後まで聴くまでもなく、足を速める。人波に揉まれてなかなか距離が縮まらないのがもどかしい。
 そうこうしているうちに大粒の雨が地面を激しく叩き始めた。市場にいた人たちも、慌てて手近にある軒下に逃げ込んでいる。露店を広げていた商人たちは、突然の雨にも慣れたものなのか、手早く店じまいをしていた。
 一気に人気がまばらになった大通りを、水溜りを蹴散らしながら駆け抜ける。
「レオン、上!」
 背後から投げつけられた小隊長の鋭い声。顔を跳ね上げると、頭上から数人の男が剣を振りかざして飛び降りてきていた。すぐさま自分の剣を抜いて振りかかる刃を弾く。剣を押し返された男は、崩れた体勢をすぐに立て直し、他の男たちとともに再度斬りかかってきた。その動きは明らかに訓練を受けた者のそれで、容易にここを通してくれなさそうだ。
「……邪魔だ!」
 次々と押し寄せる男たちの剣閃を全てぎりぎりでかわし、容赦なく斬り伏せる。この男たちの目的は、間違いなく俺たちの足止めだ。悠長なことをしていては先に宮城へと向かった二人が危ない。
 そう思うのに、どこに隠れていたのかまた新たな刺客が現れ、苛立ちと焦りばかりが増していく。歯噛みしたい気分でいると、視界の端に身を潜めてこの騒動をやり過ごそうとしていた露店の店主の姿が映った。その傍らには、荷物を運ぶための馬がいる。
「小隊長! 申し訳ありませんがここは任せます!」
「おい! 任せるっておまえどうやってここを――!」
「すみません、借ります!」
 近くにいた数人をまとめて薙ぎ払い、腰を抜かす店主に駆け寄る。その手から手綱を奪うと、馬に跨りその腹を蹴った。
 軍馬ではないが、なかなか賢いらしいその馬は邪魔な賊たちの頭を軽く飛び越え、一気に市場を駆け抜けてくれる。
 激しい雨で視界が狭められる中、一心に宮城裏手の門へと向かった。
 ――間に合ってくれ。
 俺の他に宮城へと向かう白騎士団員の姿はない。同じように賊に襲われ足止めを食らっているのだろう。
 同時に彼女たちの元にも多くの刺客が送りこまれているに違いない。彼女の実力ならばそう簡単にやられることはないだろうが、カノン様を守りながらでは限界がある。
 はやく、はやく。じりじりを背を灼くような焦燥感に追われながら馬を走らせていると、突如前方から激しい熱風が押し寄せた。怯んだ馬が暴れるのを手綱を繰って何とか落ち着かせる。
「今のは……」
 火傷しそうなほどの熱を孕んだその風には、明らかな魔術の波動が含まれていた。彼女が、魔術を使ったに違いない。しかも、これほど離れた場所にまで影響を及ぼすほど強力なものを。
「セラ!」
 再び馬を走らせ、彼女の元へと急ぐ。魔術が使えなくても、知識ならばある。
 炎と風。合成魔術。導き出される答えは、最悪な事態ばかりを想起させた。
 炎の嵐に焼かれた賊と思しき輩たちが幾人も倒れているのが見え始める。そして、裏門の少し手前には、力なく地面に伏している赤い髪の人物とそれを見下ろす大柄の男。男の手が、持っていた剣を勢いよく振り上げた。
 最後の力を振り絞ってくれと、馬の腹を思い切り蹴る。加速した馬は男との距離を一気に詰めた。鐙から片足を外し、飛び降りた勢いで男の右肩に体重を乗せた剣を振り下ろす。
「ぐっ!?」
「……騎士団長ともあろう方が、何故このような愚かしいことを……」
 振りかざしていた剣を取り落とし、中ほどまでも斬られた肩を反対の手で押さえ、けれどそれでもその男――赤騎士団長ヒューイ・オーリスは膝をついたりはせずにこちらを睨みつけてきた。
 だがその憎々しげな視線よりも、背後に見えた彼女の姿に息を呑む。身動ぎ一つしないその体は、赤く染め上げられた水溜りの中。いや、そもそもそれは水溜りなどではないのかもしれない。それほど夥しい量の深紅が拡がっている。
「この生意気な小娘がそんなに大切か? ジェラルドの息子」
 嘲笑とともに、男の靴先が彼女の傷口あたりを踏みつけた。
 理性が飛ぶ。生まれた衝動のままに太い首元へと刃を閃かせた。
「やめなさい、レオン!」
 鋭い一喝に、我に返る。首の皮一枚を斬ったところで剣を止め、俺は声の方へと顔を向けた。
「メレディス……様……」
 裏門のすぐ傍には大勢の弓兵を従えた青騎士団長の姿。気づけば城壁の狭間(さま)からも多くの弓が赤騎士団長を狙っていた。
「剣を引きなさい、レオン。ヒューイ殿にはまだ訊かねばならないことが山ほどあるのだよ」
 メレディス様の言葉と同時に、数人の青騎士団員たちがヒューイ様を拘束するためにやってくる。
 剣を引く以外の選択肢などあるはずもなく、怒りを振り切るように剣を鞘に収めた。満足するようにメレディス様は頷かれ、青騎士団員たちにヒューイ様を連行させる。
 その様子を見送る間もなく、倒れている彼女の傍らに駆け寄った。
「セラ」
 傷に障らないように、そっと抱き起こす。降りしきる雨と失血の所為で彼女の体は冷え切っていた。顔からは血の気が失せ、唇は紫に変色している。呼吸は浅く、今にも止まってしまいそうだった。
「セラ、……セラ!」
 何度呼んでも何の反応も示さない。指一本、睫毛一つすら動かない。
 ――このまま二度と彼女の目が覚めなければ……。
「レオン!」
 頭をよぎった最悪の考えは、悲痛な呼びかけの声に消し飛ばされる。青騎士団員に保護されていたカノン様がこちらに向かってきていた。その姿は多少服が汚れ、足を引き摺ってはいるものの、目立った傷はない。
 当然だ。彼女が、守ったのだから。それが、彼女自身の騎士としての誇りなのだから。
 それでも、どうしてカノン様は無事で、彼女だけがこんなにも無残な姿になっているのかと詰りたくなってしまう。
「ごめんなさい! 私の所為で……セラが、こんな……!」
「……っ……カノン様の所為では……」
 泣き崩れるカノン様に何とか不条理な怒りを向けないように押し留めた。カノン様を責めることなど、きっと彼女は望まない。何より、そんなことをしている暇があれば、一刻も早く彼女に適切な治療を施さねばならなかった。
「早く医者に――」
 彼女を医務室へ運ぶために抱え上げようとした瞬間、待ちたまえと聞き覚えがある声が制止した。彼女を挟んで向かい側に跪いたのはこの場に似つかわしくないほどきらきらしい、婚約者の兄。
「僕が医務室に運ぼう。君は白騎士団長に報告を――」
 彼女を引き受けようと伸ばされた手を、乱暴に振り払う。
「なっ……!」
「彼女は私の後輩であり大切な女性です。他の人間には任せられません。団長へは後ほど報告しますのでお気遣いなく」
 驚きに瞠目するレイフォード様を真っ向から見据え、すぐさま彼女を抱き上げた。
 どういう意図があってレイフォード様が彼女の身を請け負おうとしたのかはわからない。けれど、今の俺には彼の意図を探るような余裕はないのだ。例え目の前の相手が妹を溺愛している婚約者の兄であろうと、すぐ近くにその父親がいようと、どうだっていい。一秒でも早く、彼女を医者に見せなければならなかった。
「レオン、待って! 私も行く!」
「カノン様は足の治療が――」
「捻挫くらいで死なないわよ!」
「それにあの傷ではもう……」
「馬鹿なこと言わないで! 私はセラが目を覚ますまで傍を離れないんだから!」
 怪我を案じる青騎士団員たちを一喝して振り切り、カノン様は意地でもついていくと意思表示するかのように彼女の脱力した手を強く握った。正直、早く医務室に向かいたいから邪魔をしないでほしいと思ったその瞬間――。
「な、何っ!?」
 突如閃光が生まれた。予想もしていない出来事に、咄嗟に庇うように彼女を抱き締める。
 光は、ほんの刹那で消え失せた。代わりに、それまで激しく地面を叩きつけていた雨滴の勢いが緩み、雲の切れ間から陽が差し込む。陽光に彩られたいくつもの雫が、慈しむかのように彼女に降り注いでいた。
「今のは……一体……」
「レオン! セラが……!」
 カノン様の声に促されて腕の中の彼女に目を落とす。相変わらず血の気は失せているが、微かに開いた瞼の隙間から、ヘイゼルの瞳が覗いていた。心なしか、冷え切っていた体に微かな熱が灯っているようにも思える。
「セラ!」
 呼びかけると、微かに唇が動くが音にはならない。薄く開いていた瞼も、すぐに閉じてしまった。思い出したように医務室へと駆け出す。後から足を引き摺りながらカノン様がついてくるけれど、申し訳ないが気にかけてなどいられなかった。できるだけ彼女の体に響かないように気遣いながら回廊を抜けて医務室へと飛び込む。
「失礼します! 先生、彼女を――!」
「医務室で大声を出すな。そんなに焦らなくとも……」
 奥から億劫そうに出てきた中年の医師・クレールが、腕の中の彼女を見た途端に厳しい顔つきへと変わった。
「随分と衰弱している。何があった?」
「詳しいことはわかりません。ですが恐らく負傷した状態で合成魔術を使ったのだと……」
 ベッドに彼女を下ろしながら、自分の予想を告げる。後で追いついてくるカノン様から話を聴けば、もう少し何かわかるだろう。
 横たえられた彼女の姿を改めて見つめる。爽やかな若草色だったワンピースはあちらこちらが斬り裂かれ、赤黒く変色していた。中でも左肩と腹部はひどく、傷の深さを物語っている。
 だが、彼女の傷口を確認しようとしたクレール先生は低く唸るように驚きの声を上げ、その手を止めてしまった。
「先生? 早く彼女の傷を……」
「傷は塞がっているぞ? 誰か治癒魔術でも使ったのか?」
「え?」
「完全に、ではないがな」
「いえ、あの場には誰も魔術が使える者など……」
「レオン、セラの容体は?」
 ようやく追いついたカノン様の声で、一気に思考が繋がる。
 あの時、閃光はカノン様が彼女に触れるとともに訪れた。そして、その直後にわずかとはいえ彼女は目を開けたのだ。意識が戻ったわけではないけれど、その前の状態からは考えられないほどの奇跡的な反応だった。
 つまり、あの光はカノン様の御使いとしての力? それによって重傷だったはずの彼女の傷が塞がったのか?
「……なるほど。御使い様のお力か」
 カノン様に応えず黙り込んだままになっていた俺に、クレール先生は何か察したのだろう。一人で納得する医師に、カノン様は不思議そうに首を傾げた。
「しかし、出血が多すぎて危険な状態には変わりない。リュンヌ、魔術院まで出向いてルイスを呼んできてくれ」
「はい!」
 クレール先生の声かけに応じて、補佐として働いている彼の娘が奥から姿を現し、小走りに医務室を出ていく。その間も彼女の容体が気になって目を離せないでいると、肩を軽く叩かれた。
「心配せんでもこのお嬢さんは意地でも助ける。終わったら娘に呼びに行かせるから、まずは自分の仕事を済ませろ。ああ、御使い様はこのまま残って足の治療だ。こっちも治療が終わったら使いを向かわせる」
「……わかりました。よろしくお願いします」
 少々鬱陶しげに手を振られ、この場は大人しく引き下がるしかない。そもそも、今自分が傍にいても、何の役にも立たないのは明白で、それどころか邪魔にすらなってしまうのだ。
「カノン様、申し訳ありませんが報告などもございますので」
「わかってるわ。気にしないで」
「ありがとうございます。失礼いたします」
 カノン様にも頭を下げ、医務室を後にする。
 彼女の容体は気がかりだが、クレール先生は助けると断言された。今はそれを信じるしかない。
 そうして報告のために騎士団長執務室へと向かいながら、徐々に行き場のない怒りが蘇り始めた。
 白騎士団長は、ヒューイ様の叛意を知っていたに違いない。知っていてあえてカノン様に城下を見せる計画を立てたのだ。ヒューイ様を、おびき寄せるために。
「失礼します」
 執務室のドアをノックし、返事も待たずに中へと踏み込む。中には騎士団長と補佐が一人いるだけ。ほとんどのものが事件の後処理に追われているのだろう。
 俺の姿を確認すると、騎士団長は残っていた補佐に軽く視線を送る。彼がそれを受けて退室していくのを見届けると、神妙な顔で口を開いた。
「レオン、セラは」
「意識は戻ってはいませんが、傷は塞がったそうです」
「傷が塞がった?」
「恐らく、カノン様のお力かと。クレール先生も絶対に助けると言ってくださいました」
「そうか……」
 報告を聴いて、騎士団長は安堵するように深い息をつく。けれど今はそれがひどく空々しく見えた。
「……ヒューイ様のことは、ご存知だったんですね」
「ああ」
「カノン様を、囮にした。そういうことですね」
「……そうだな」
「なら何故、カノン様の護衛をセラ一人だけにしたのですか!」
 せめてもう一人いれば、あそこまで彼女が傷つけられることなどなかったはず。せめて自分も護衛に回してくれていれば……。
「ヒューイ殿は大胆ではあるが用心深くもある。もう一人護衛を付けていたら動かなかった可能性が高い。それがレオン、おまえだったならなおさらだ」
 思わず唇を噛み締める。
 騎士団長の――父の言葉は俺の実力を認めてくれていることの裏付だった。ずっと、父は俺の目標だった。父のようになりたいとその背を追いかけてきた。
 なのに、認められたことが今はただただ忌々しい。
 力があるが故に、本当に守りたい人を守れないだなんて本末転倒ではないか。
「ヒューイ殿は女性騎士を侮る傾向がある。それに剣技はともかくセラの魔術の才は公にはされていない。だからこそ、セラを護衛に選んだ。現に、あの子はカノン様を守り切ってみせた」
「その代償でセラが命を落としても構わなかったと?」
「そうでは――」
「俺が間に合わなければそうなっていた! 違いますか!?」
 強く遮った俺の言葉に、父が一瞬言葉を失くす。だが、すぐさま宥めるように、けれど厳しさを持った声音で呼びかけられた。
「おまえの怒りはわかる。だが、それでもなさねばならぬのが長の務めだ。それに、セラ自身も騎士となった時点で覚悟があったはず。あの子の矜持を軽んじるな」
「……それは、わかっています……」
 言われるまでもなく、どれほど彼女が騎士としての自分に誇りを持っていたのかなんて知っている。彼女の性格ならば、どんな窮地に陥ったとしても諦めたりはしないだろう。
「とにかく、セラが無事でよかった。おまえも他の者が足止めを食らって動けない中、よくあの場を切り抜けセラを守ってくれた」
 守った? あれが守ったなどと言えるのか?
 俺はただぎりぎりに駆けつけてヒューイ様を止めただけだ。何もしていない。何も、間に合ってなんかない。
 自分の無力さを、ただ痛感させられただけだ。
「……報告は以上です。戻ります」
 これ以上この場にいて父に恨み言ばかりぶつけてしまうのも嫌で、早々に執務室を後にする。
「レオン、報告は終わったのか?」
「クラウス……。今終えたところだ」
 小隊長の部屋に向かう為に階段をおりているところで、クラウスに出くわした。どうやら俺を待っていたようだ。
「小隊長たちは今手分けして赤騎士団員一人一人に尋問をしている。俺たちは城下の被害確認その他諸々の後処理だ。私服警備をしていた者は一旦部屋に戻って着替えてを済ませて厩舎前に集合だとさ」
「ああ」
 裏門前で起こった出来事を既に知っているらしく、クラウスは気遣わしげな表情を見せる。だが、そのことに触れようとはしないのが助かった。
 やるべき仕事は山積みだ。それに没頭していれば、どうしようもない怒りにまた駆られてしまうこともないだろう。
 寄宿舎に入る一歩手前で騎士団棟の医務室の方へと振り返る。
 胸元を探り母の形見のクワドラートを握り締めながら、彼女の無事を切に願った。

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