風にゆれる かなしの花

第二幕 きみに捧ぐ かなしの花 [05]

 日に日に愁い顔の増える彼女に話を聴きたいと思いながらも叶わないまま数日が過ぎた。けれど、ようやく二人で話せる機会が訪れ、逸る気持ちを抑えながらも彼女に問いかけた。
「元気がないな」
 彼女は一瞬驚いてからそんなことないですよと素っ気なく返す。その声に覇気はなく、代わりに歴然とした壁があった。
「……まだ慣れないことの方が多いだろう。あまり無理はするな」
「無理なんてしていませんよ」
 久しぶりに浮かべられた笑顔。けれど、それはひどく薄っぺらで、上辺だけだということが嫌でもわかった。
 間違いなく彼女には思い煩うことがあるのに、それを決して俺には話してくれない。すぐ触れられるほどの距離にいるのに、一向に心は近づかなくてもどかしかった。
「君は――」
「セラ」
 もっと俺を頼ってくれと言おうとした瞬間、廊下の向こうから現れたアルヴィンが彼女の名を呼ぶ。途端に彼女の表情から愁いが薄れ、目に見えて安堵するのがわかった。
 そんなに、俺と一緒にいるのは苦痛なのだろうか。それほどアルヴィンと一緒にいると心が安らぐのだろうか。
「ジェラルド様が話があるらしい。代わるから行ってこい」
「わかりました。ジェラルド様は執務室ですか?」
 表向きはちゃんと先輩に対しての態度で、言葉遣いも丁寧だ。けれどひとたび二人きりになると砕けた口調で表情を綻ばせていることを知っている。
 アルヴィンには、今思い悩んでいることも話しているのだろう。これが幼なじみとただの先輩との違いで、きっと俺には一生越えられない壁なのだ。
「申し訳ありません。あとはよろしくお願いします」
「おい、セラ。そこはレオンじゃなくて俺に言うところだろう」
「……レオンさんの方が頼りになるので当然だと思いますが?」
 頼りになるだなんて思ってもいないくせに。
 言葉だけで肝心なところは頼ってくれたことなどないのに。
 口先だけの信頼に、腹立たしさすら生まれた。どうせ頼ってくれないのなら、そんな言葉を寄越さないでほしい。
 そんな恨み言にも似た感情を飲み込み、騎士団長の執務室へと向かう背中を見送る。
「なあ、レオン」
「何だ?」
「セラと何かあったのか?」
 正直今はアルヴィンとは話したくない気分で、適当に話を終わらせるつもりだった。だが、思いもよらない質問に疑問しか浮かばず逆に問い返す。
「……何故そんなことを訊く?」
「最近アイツの様子がおかしいからだよ。何か無理してんだろ」
「だから、何でそこで俺が彼女と揉めたと思うんだ」
 まさか、俺自身が彼女を悩ませている原因になっていたのだろうか。また気付かぬうちに彼女に不快な思いをさせていた? それならここ数日の悩みは簡単に解決する。原因を問い質して、ちゃんと謝罪すればいい。もちろん、謝って済む問題でない可能性もあるけれど、彼女が俺の行動に対して怒っていて、それで距離を置こうとしているなら誠心誠意謝って、彼女が許してくれるまでひたすら耐える覚悟だってある。
 けれど、そんな単純なものではないことは、彼女のまとう雰囲気から察していた。出会った頃に彼女が俺に対してとっていた態度とは、根本的な何かが違う。その『何か』がわからないから、こんなにも悩ましいのだ。
「揉めたってか、アイツが一緒にいる時間が一番長いのは、カノン様を除けばおまえだろ?」
「幼なじみのおまえの方が傍にいる時間は長いんじゃないのか?」
「ん? あれ? ナニナニ? もしかして嫉妬しちゃってんのー?」
 いつも通りに茶化し始めるアルヴィンが、いつも以上に腹立たしい。図星ではあったが、そこで激しく言い返すことも癪で沈黙でその意思を表すことにした。
 それにしても、彼女がアルヴィンにすら相談をしていないことが意外だった。もしや、アルヴィンにも言えないほど深刻な悩みなのだろうか。たとえ相談らしい相談はしていなくても、それとなくアルヴィンに何か悩みの断片のようなものを洩らしたりはしていないのだろうか。
「彼女がそれほど悩むということは、俺とどうこうよりも婚約者を何かあったと疑った方が可能性が高いんじゃないか?」
「……なるほどね」
 数日前から考えていたことで話の方向性を捻じ曲げ、同時に少し探りを入れる。するとアルヴィンは少々不満そうな溜息をついた。そこには苛立ちすら含まれているようだ。
「おまえさ、俺がせっかく忠告してやってんのに、無視してんだろ」
「忠告?」
「最低限の礼儀ってやつだよ。まずは自分の婚約者のことちゃんとしてこいよ」
「そんなこと、言われなくとも……!」
 いつになく強い口調のアルヴィンに、反射的に言い返そうとして途中で言葉に詰まる。
 アルヴィンの言う通りだ。今の俺の状態は、彼女に対してもフィーナ嬢に対しても誠実とは言えない。
 本来ならばまず、フィーナ嬢との関係をちゃんと切るべきなのだ。そうでなければ、彼女が婚約者と何かあったとしても、俺が口出しすることも慰めることもするべきではない。
「だーかーらー! レオンは考え込みすぎなんだよ! まずは行動しろ行動! そんな逃げ腰だからセラもあんなになるんだよ!」
「どういう意味だ? おまえ、本当は彼女が何に悩んでるのか知っているのか?」
「んなもんあの馬鹿の考えそうなことくらい察しが付くっつーの! それより、そもそもおまえら二人はな――!」
「どうしたの? ケンカ?」
 アルヴィンの声の大きさが気になったのか、それともタイミングよく話が終わったのか、部屋から戻られたカノン様の心配そうな声が聴こえた。
 アルヴィンは言葉を途中で飲み込み、驚くほど早い変わり身で満面に人好きのする笑みを浮かべる。
「嫌ですねー。ケンカなんてしてませんよ。ちょっと女の子の好みの話で意見が対立しちゃっただけで」
「あら、そう? というか、対立なんてするの? アルヴィンは女の子なら誰でもいいのかと思ってたわ」
 にこやかすぎる笑顔で返され、さすがのアルヴィンも一瞬言葉に詰まった。カノン様が厳しいのは俺だけでなく、男全般に対してかもしれない。
「さりげに毒吐きますね、カノン様」
「そういえばセラは?」
「そして華麗に流しますか。セラならジェラルド様に呼び出されました。だから代わりに俺が来たんですよ」
「そういうことね。なら、お部屋に……」
 アルヴィンの説明に納得したカノン様は、俺たち二人を促しかけて何か考え込むように口を噤んだ。しばらく何か思案に耽り、パッと表情を輝かせてこちらに視線を向ける。
「ねぇ、少しお庭をお散歩してもいいかしら?」
「構いませんが、お一人では無理ですよ」
「わかってます。レオン、ついてきて。アルヴィンは先に部屋に戻って待っててくれればいいから」
 どこかうきうきとした口調のカノン様に、アルヴィンと顔を見合わせた。宮城内のことだし、大した危険があるはずもない。護衛が俺一人でも問題はないだろう。
「アルヴィン、こちらは任せてもらっていい」
「了解。んじゃ俺は先に戻ってますよ」
「セラが戻ってきてたら、ゆっくりしててって伝えておいてね」
「わかりました」
 軽く請け負うとカノン様は中庭に向けて意気揚々と歩き出した。中で何を話されたのかはわからないけれど、たいそうご機嫌な様子だった。
「何か良いことをでもお聞きになったんですか?」
「まあね。それより、アルヴィンと何を話していたの? 女の子の好みなんてレオンが話すわけないし」
 訊かなくても誰の目にも明らかだものね、などと相変わらず俺が恥ずかしくなるようなことを涼しい顔で付け加える。
 口ではどうあっても敵う相手ではないので、歯向かおうという気すら起きずにセラの話を口にした。
「ここ数日、随分と沈んでいるようなので。元気がないと言うとそんなことはない、無理をするなと言えば、無理などしていないと返されて、原因すら推し量ることもできません」
「アルヴィンは何て?」
「逆に何かあったのかと俺が訊かれました」
「それは重症ね」
 カノン様は口元に手を当てて神妙な面持ちで考え込む。カノン様から見ても、彼女がアルヴィンにすら相談していないことが不思議だったのだろう。
「カノン様、ちゃんと前を見て歩いてください。足元、段差ですよ」
「ええ、ありがとう」
 中庭へと降りるテラスを歩きながら、カノン様は生返事だ。転ばないか気を配りながらも整えられた庭園に降りると、カノン様は目の前に広がった可憐な花々にふわりと笑みを浮かべた。いつものからかうような色のない純粋な微笑は、天の御使いだというのも納得できるほど慈愛に満ちて見える。きっと本当に花が好きなのだろう。それがありありとわかる表情だった。
 手入れをしていた庭師が、カノン様に気づいて手を止め、膝を折る。それを制するようにカノン様は微笑みかけた。
「そんなことしなくていいですよ。それより、少しお花を頂いてもよろしいですか?」
「勿論でございます。どんなお花がよろしいでしょうか」
 庭師とのやりとりを少々不思議に思って聴いていると、カノン様はくるりとこちらに振り返る。十も年上の女性なのに、こういう仕草が妙に子供っぽいなとつい思ってしまった。
「ねえレオン、セラに似合いそうなお花はどれかしら?」
「彼女に?」
「そうよ。お花でも飾れば、少しくらいは気分も晴れるんじゃないかしら」
 花が好きなカノン様らしい、単純といえば単純な考えだったが、悪い案ではない気がした。女性の多くは花が好きらしいし、男の俺でも花を愛でる気持ちくらいはある。
 セラに似合いそうな花と言われて見回すと、そう悩むこともなく視線が留まった。
 競うように風に揺れている色鮮やかなアネモネの花。儚げにも力強いようにも見えるその花の深い赤は、彼女の緋い髪とよく似ていた。
「アネモネは、どうですか」
「アネモネね。色はやっぱり赤かしら」
「……ええ」
 俺と同じことをカノン様も思ったのか、簡単に色まで当てられてしまう。カノン様は庭師に再び声をかけ、赤いアネモネを幾本か切ってもらい、礼を言ってその場を後にした。
 再びテラスから回廊へと戻り、カノン様のお部屋へと戻る。その最中、堪えきれないようにカノン様が忍び笑いを零し始めた。
「どうなさったんですか?」
「レオンって天然タラシよね」
「は? 意味がわかりませんが」
「赤いアネモネの花言葉、知ってる?」
「花言葉、ですか? そんなもの、私が知っていると思いますか?」
「そうよねー。知らずに選んじゃうあたりが天然タラシなのよ」
 そう言うと声を殺すことなくくすくすと笑い始める。そんな言われ方をされれば気になるのは道理で、もったいぶらずに教えてくださいと憮然と呟いた。それでもしばらく笑い続けたカノン様は、自室近くまで戻ってきてようやく笑いを収め、からかうような目線を向ける。
「セラに伝わるといいわね、『君を愛す』って」
 言葉とともにアネモネを手渡され、一瞬で顔に熱がのぼった。
 ――君を愛す? 赤いアネモネの花言葉が?
 そうして思い出したのは、幼い頃聴いた母の言葉だ。
『この赤い花はね、一番大好きな人に渡す花なのよ。レオンも大きくなったら、お嫁さんになってほしい人に贈るといいわ』
 はにかんだ笑みを浮かべ、愛おしむようにその花びらを撫でた母は、その後同じ瞳で父を見つめていた。それを見て、あの無骨な父が母にその花を贈ったのだと理解したのだ。
 そんな両親の甘い思い出まで思い出してしまった俺は、勢いで受け取ってしまった赤いアネモネを慌ててカノン様へと押し返す。
「あ、あの……! さ、さすがに、直接渡すことは……無理です!」
「ここまできて女々しいわね」
「何と言われようと、無理なものは無理です! それにまだ職務中です! 今渡しても彼女を困らせるだけですから!」
 そもそも彼女が花言葉の意味を知っているかどうかはわからないけれど、職務中に花など渡してはまた馬鹿にしているのかなどと怒られてしまうだろう。さすがにそこまで学習能力の低い馬鹿ではなかった。
「そのままカノン様のお部屋に飾ってください。彼女も職務中はほぼカノン様のお部屋にいるわけですし」
「……わかったわ。確かにセラなら職務中ですからって断りそうだものね。それはレオンが本気で告白するときまで取っておきましょう」
 もっと強引に押してくるかと思えば、意外にもカノン様はすんなりと引き下がってくれて胸を撫で下ろす。大体、カノン様の部屋にはアルヴィンも戻っているはずだ。そんな中で花など渡そうものなら、アルヴィンからも要らぬからかいを受けることになりそうだった。
「そういえば、部屋に花瓶ってあったかしら?」
「いえ、誰か女官に頼んで用意してもらわないといけませんね」
 他愛もないやりとりを交わしながら残りの道のりを歩く。部屋に辿り着くと、俺が扉を開けようとする前にカノン様がさっさとノブに手をかけていた。
 予想よりずっと勢いよく扉が開き、同時に引っ張り出されるような間抜けな格好でアルヴィンまで飛び出してきた。どうやら、部屋を出ようとしたアルヴィンと同時にドアを開けてしまったらしい。
「あ、ごめんなさい!」
「いえ、大丈夫ですよ」
 さすがにアルヴィンもすぐさま体勢を整え、カノン様を部屋に迎え入れる。その奥からお帰りなさいませといつ聴いても耳に心地よい声が響いた。
「その花は?」
 目敏く気づいた彼女が、不思議そうに訊ねた途端、自分が渡すわけでもないの鼓動が速くなる。少しくらい笑顔を見せてくれるだろうか。アネモネの美しさに癒されてくれたりしないだろうか。
「花を飾ると、それを見る人の気持ちも華やぐでしょう? だから、庭師の方にお願いして少し譲っていただいたの」
 カノン様の上手い言い訳を聴きながら、彼女の反応を窺った。けれど、予想の範囲内というべきか、花瓶を用意しないとなどと当たり障りのない言葉しか返ってこない。やはりこの程度のことでは彼女の愁いは晴れないのだ。
「なら、菓子を頼むついでに俺が頼んできますよ。花、貸してください」
「お願いします」
「では、私はお茶を準備いたしますね。カノン様はお疲れでしょうから、ごゆっくりなさっていてください」
 アネモネを受け取り部屋を出ていくアルヴィンを見送ると、彼女はカノン様を気遣いお茶を淹れる支度を整えに向かう。
「ほら、やっぱり直接渡した方が効果あったんじゃない?」
「さっき納得されたことをほじくり返さないでください」
 どうやら密かに落胆していることに気づかれていたらしく、いまさらながらのことを小声で言い出すカノン様にため息が零れた。自分で手渡すなど想像するだけでも全身の血が沸騰しそうだし、受け取りを直接拒否されたら立ち直れるわけがない。
 細やかな気遣いの得意な彼女は、きっと既に準備をしていたのだろう。さほど時間を取らずにティーセットを持って戻ってくるところで目が合いそうになり、慌てて視線をそらした。
 彼女は気にもしていないのか、慣れた手つきでカップを準備し、いつも通りの淡々とした口調でカノン様に話しかける。
「それにしても、どうして赤のアネモネばかり頂いてきたんですか? 確か白や紫も一緒に植えてあったかと思いますが」
「レオンが、赤は人を元気にする色だからって選んでくれたのよ」
 俺が選んだとわざわざ伝えるカノン様に、思わず声を上げそうになるのを何とか我慢した。『元気にする色』などと、本当の意図するところとは外して言ってくださっているのだ。そこで俺が否定の言葉を発してしまえば、深い意味があるのだととられかねない。
 けれどそんな心配は無用で、彼女は視線をカップとポットに向けたままだった。
「セラは、花は好き?」
「……そうですね。母が花好きなので、必然的に」
 楽しそうに話を続けるカノン様に、彼女も手は動かしながらもちゃんと答えを返す。彼女がこちらを気にしていないのをいいことに、じっと様子を窺っていて気づいた。
 彼女の目が、微かに充血している。目尻にもほんのわずかだが涙の痕のようなものが見えた。
 ――少し前まで泣いていた?
 そうと気づくと、一気に膨れ上がる疑問と嫉妬。
 自分たちがこの部屋に戻るまで、彼女はアルヴィンと二人きりだった。その間、二人で何を話していたのか、どうしてアルヴィンの前で泣いたのか、気にならないはずがない。
「どんな花が好きなのかしら?」
「どんな……ですか。そうですね……。コリウスとか好きですね」
「セラって若いのに好みが渋いのね」
「そうですか? コリウスだって花は控えめですけど可愛いですよ。それに、アネモネみたいな可愛らしい花は、カノン様のような方にしか似合いませんからね」
 俺の想いなど知るはずもない彼女は、当たり前のように俺の選んだ花を否定した。そうして選ばれたのは、控えめな薄い紫の小さな花。
「そんなことないわ。それにコリウスの花言葉って『かなわぬ恋』よ? そんな淋しい花はセラには不似合いじゃないかしら。ねえ?」
 唐突にカノン様に同意を求められたが、本人を目の前にして答えられるわけがない。どう誤魔化そうかと視線を泳がせていると、俺より早く彼女がなら、と言葉を繋いだ。
「なおさら私にはぴったりだと思いますよ」
 耳を疑いたくなる言葉に、淡雪のように消えてしまいそうな美しい微笑。
 その一言と表情で、悟らざるを得なかった。
 彼女には、特別に想う相手がいるのだ。そしてそれは彼女の婚約者ではない。婚約者ならば、『かなわぬ恋』ではないからだ。
 ならば誰なのか。答えは、もうとっくに出ていた。
 コリウスの花は、薄い紫――アルヴィンの瞳の色と同じだ。
 彼女はどうしようもなく苦しくて、アルヴィンに想いを告げたのかもしれない。けれど、アルヴィンに受け入れてもらえず、それで泣いていたのかもしれない。
「アルヴィンさん、遅いですね。ちょっと様子を見てきます。どうせまた女性を口説いているに違いありませんから」
 カノン様の前にお茶を置くと、彼女はそんな言い訳を残して部屋を出ていく。
 叶うはずのない恋なのに、それでもアルヴィンを恋い慕う気持ちがそうさせるのか。
 どうすればいいのだろう。俺には彼女を笑わせることなどできない。彼女が心の底から笑えるようになるのは、きっとアルヴィンと添い遂げられたときだ。
 アルヴィンとの仲を応援してやればいいのだろうか。自らの気持ちを押し殺して、ただ彼女が幸せになれることだけを願って。
 だが、いくら俺が彼女を応援しようとも、アルヴィンにその気がなければ無意味なのだ。彼女はそれをわかっているから、あそこまで諦めきった顔で微笑うのだろう。
「ちょっと。その辛気臭い顔辞めてくれる?」
 こちらの心の傷などお構いなしに、カノン様は辛辣な台詞を吐いてくれる。いや、むしろ傷口に塩を塗り込もうとしているかのようだ。
「すみませんね、辛気臭い顔で」
「そんな開き直りは要らないわよ。セカオワ顔するくらいならもっと前向きに考えなさい」
「何ですか、セカオワ顔って」
「世界が終わったような顔」
「……初めて聞きましたよ、そんな言葉」
 呆れながらも、そこまで酷い顔をしていたのかと思うとさすがに自分の不甲斐なさが恥ずかしくなる。カノン様に叱咤されても仕方がないだろう。
「セラは片想いの上、半分以上諦めてるんでしょ。だったらレオンにとってはチャンスじゃない」
「そんな単純な話ではないでしょう」
「へえ? じゃあ諦めるの? 諦められるの? 諦められないからそうやっていつまでもぐじぐじ悩んでるんでしょ? だったらさっさと当たって砕けなさいよ。手を伸ばせば届く距離にいて、これから先だって望めば一緒にいられる可能性があるくせに。最初から望むだけ無駄な人間だって世の中にはいるのにね!」
「……カノン様?」
 からかうでも励ますでもない、感情のままに言葉を投げつけるカノン様に違和感を覚えた。訝し気に名を呼ばれたことで、カノン様は我に返り気まずそうに俺に背を向ける。
「ごめんなさい。今のはただの八つ当たりだったわ」
「いえ、構いません。それよりもカノン様もご無理をなさっているのではないですか?」
 堅苦しく窮屈な生活。本音を語ることもできないだろうお立場を、もっと思いやるべきだったのではと遅まきながら気づく。
 けれど、次に振り返ったカノン様は、いつも通りの笑顔に、からかいを含ませていた。
「なーに言ってるのよ。レオンはセラの心配してなさい。とりあえず、セラを笑わせるくらいできてから、大人の心配をするものよ」
 十年早いのよと笑い飛ばすカノン様に、苦笑を返すことしかできなかった。事実、俺ではカノン様の不安を軽減することなどできないだろう。子供扱いされるのも当然なほど、俺には余裕もなければ経験も知識も力も足りなかった。
「わかりました。精進します」
「よろしい」
 おどけた調子で頷くカノン様に、沈んでいた気持ちが随分と落ち着いていたことに気づく。カノン様の言う通り、まずは彼女に少しでも明るい気持ちになってもらおう。気持ちをそう切り替えて、そのうち赤い花とともに戻ってくるだろう彼女を待った。
 けれど、その後部屋に戻ってきたのは彼女でもアルヴィンでもなく、赤いアネモネの活けられた花瓶を持った女官だった。

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