風にゆれる かなしの花

第二幕 きみに捧ぐ かなしの花 [04]

 少しずつ少しずつ、か細い糸を手繰り寄せるかのように、俺と彼女の距離は近づいていた。当初彼女への想いを諦めるべきなのだと思っていたのが嘘のように、一緒に過ごせる時間は穏やかで心地いい。
 彼女は配属当初に比べて態度も表情も格段に柔らかくなった。よく笑ってくれるし、ときには軽口のようなものまで叩くこともある。同じ小隊の者から、今日も仲がいいなとからかい交じりの言葉を受けることすらあった。
 そういった言葉を投げかけられるたびに、恥ずかしさと嬉しさが混じり合い、表情が崩れそうになるのを精一杯堪える。彼女もそういう揶揄には慣れていないのか、少し頬を赤らめては困ったように笑っていた。
 そんな可愛らしい表情を見せられると、どうしようもなく気分が高揚する。だが、同時にまったく喜ばしくない事態にも陥っていた。
 当然と言えば当然すぎることなのだが、彼女のその魅力的な笑顔を目にしていたのは俺だけではなかったのだ。そうして今まで可愛げがないなどと言っていた者たちが、手の平を返したように彼女のことを褒め始める。
「そういえば、最近綺麗になったよな、あの子」
「ああ、セラ・アステートか?」
「そうそう。雰囲気柔らかくなったっていうかさ、笑うと意外に可愛いし」
「わかる!」
 そう、こんな会話が寄宿舎の食堂で耳に届いたりもするのだ。
 最近じゃなく元々彼女は綺麗だし可愛いのも意外でも何でもない、などと心の中で反論しながら、素知らぬふりで食事を口に運ぶ。正面に座るクラウスから視線を感じるがあえて無視をした。
 が、すぐに喉を鳴らすような忍び笑いが聴こえてくる。見ると、テーブルの上に置いた腕に顔を伏せるようにして小刻みに肩を震わせながら笑いを必死に堪えるクラウスの姿があった。
「何がおかしい」
「本当にレオンってわかりやすいよな」
「何の話だ」
 憮然として返すと、クラウスはますます笑みを深くする。
「だってセラちゃんの話題が出た途端に、あいつらを目線だけで殺しそうな顔してるとか可愛すぎるだろう」
「か、可愛いとか言うな! 気持ち悪い!」
 怒鳴りつけた声は、思っていたよりもずっと迫力がなかった。完全に隠しおおせていたつもりだったのに、笑われるほどあからさまだったのかと羞恥心が溢れ返る。
「まあまあ。でも、最初に比べて随分仲良くなったよな。これは婚約破棄する日も近いんじゃないか?」
 『婚約破棄』の一言に、ぴたりと食事の手が止まる。常に頭の片隅にあった婚約のことを改めて突きつけられ、やるせなさがこみ上げた。
 未だに俺とフィーナ嬢との婚約関係は継続されている。父にまだ申し出てはいないからだ。
 何故なら、俺には自信がない。クラウスが言うように以前よりもずっと距離が縮んでいるというのに、それでも彼女に俺の気持ちを受け入れてもらえる気がしないのだ。
 アルヴィンと話していた時の表情と、自分と話しているときの表情を、頭の中でいつも比べてしまっている。幼なじみという長年の積み重ねはそう簡単に覆りはしないと理屈ではわかっていても、どうしてもアルヴィンよりも信頼を得たいと思ってしまう。要は、彼女にとっての一番は俺なのだと確証を得てからでないと、婚約破棄どころか彼女に想いを告げることすら恐ろしいのだ。
「なあ、レオン」
「何だ?」
「おまえとの付き合いも長いから、おおよそ考えていることはわかるんだが、もう少し自信を持ってもいいと思うぞ?」
「自信、と言われてもな……」
 クラウスが俺の気持ちを理解したうえで応援してくれているのは嫌というほどわかる。けれど、何を根拠にと言わずにはいられなかった。
「大体おまえ、自分が良家のご令嬢方からどんな風に見られているのかわかってるのか」
「見た目がどうこういう話なら前にも聞いたぞ。それに、彼女はそんな上辺だけのものにつられるような軽い女性じゃない」
 今までにも散々いろんな人から外見に関して言われてきたのだ。自分ではもう少し精悍で男らしい顔つきであればよかったと思うが、異性からの受けはいいらしい。
 彼女がクラウスの言う『良家のご令嬢方』と同じ部類の女性だったなら、こんなに悩みはしなかっただろう。いや、そもそもそんな女性でないから、ここまで惹かれてやまないのだが。
「そりゃあ、まあ、そうなんだが……」
 納得しきれない様子のクラウスに、それにと言葉を繋ぐ。
 自信がない以上に、俺があと一歩を踏み出せない理由がもう一つあった。
「俺と同じように、彼女に婚約者がいたとしてもおかしくはないだろう」
「……そうか、その可能性もあるのか」
 彼女の素性は相変わらずわからないけれど、身分は決して低くはないはずだ。それは近しく接するようになってますます実感することとなっていた。
 例えば、食事のときに食べ物を口へと運ぶ仕草。例えば、休憩の際にお茶を準備してくれるなどの心遣い。ところどころで自然に見せられる育ちと品の良さは、しっかりと身につけられた淑女としての礼儀作法からくるものだろう。となると、彼女にもそういう相手がいるからだと考える方が自然だった。
「訊かないのか?」
「訊けるわけないだろう。そんな個人的なことを」
「そりゃそうだな。……なら、アルヴィンは?」
「アルヴィン?」
 その名前に反射的に顔を顰めると、クラウスは苦笑を洩らしながらそんな顔するなよと窘める。
「アイツはそんなに悪い奴じゃないって。それに、セラちゃんの幼なじみなら、婚約者がいるかどうかくらい知ってるんじゃないか?」
「は? セラの婚約者?」
 突如頭上から降ってきた声に、ぎくりと体が強張った。場所を変えて話していればよかったと思うがもう遅い。どうせまたニヤニヤと嫌な笑みを浮かべているのだろうと思いながら窺うと、予想とは違ったひどく驚いたような表情のアルヴィンがいた。
「立ち聞きとは趣味が悪いぞ、アルヴィン」
 どう反応すればいいのかわからずにいた俺の代わりに、クラウスがアルヴィンに話しかける。アルヴィンはすぐにいつものようなヘラヘラと締まりのない表情に戻っていた。
「そんなら食堂なんかで話すなよぉ。俺の名前が聴こえた気がしたから、気になってこっち来たんだからな」
「それは悪かったな」
「で、レオンはセラの婚約者のことが気になってるってことか」
 あんなにもはっきりと聴かれてしまっては誤魔化すことも難しいが、素直に肯定することもできない。どう答えたものかと思案していると先にアルヴィンが口を開いた。
「そんなに気にしなくてもいいだろ。どうせ親が決めた婚約者なんだし」

 ――親が決めた婚約者?

「なら、彼女にはやはり婚約者がいるのか?」
「まあ一応な」
 軽い口調で返すアルヴィンに、絶望的な気分に陥りながらも改めて確認せずにはいられなかった。
「……どんな、相手なんだ?」
「そうだなぁ。容姿も頭も家柄も剣の腕も、何から何まで揃った奴、だな。もう存在だけで嫌味だろ? それで性格でも悪けりゃ少しはバランスもとれるだろうに、中身も真面目で女遊びとかができるような性格でもないとかさぁ。非の打ち所がないってのはこういう奴のことを言うんだろうよ」
「そう……か……」
 つけいる隙など一欠片もない、彼女には申し分のない相手だった。もし、唯一俺が敵うところがあるとしたら、それはきっと彼女に対する想いだけだ。俺と同じように親同士が決めた婚約ならば、彼女に対して好意を抱いているかどうかはわからないのだから。
 いや、それもどうだろう。そんなにできた人物ならば、彼女の内面から溢れる美しさにも気づくかもしれない。ならば――。
「てか、レオンこそ婚約者いるんだろ? メレディス様んところのご令嬢」
 鋭いナイフのような言葉に考えを断ち切られ息を呑む。
「どうして、それを……」
「ちゃんと釣り書きとか肖像画くらい見てやれよ? 最低限の礼儀だと思うぜ?」
 そう言われてようやく俺は気付いた。
 アルヴィンは釘を刺しに来たのだ。自分の大切な幼なじみを婚約者のいる男になど任せられないと。もし本気で彼女を望むならば、それ相応の誠意を見せろということなのだろう。
 じゃあなと踵を返すアルヴィンに、何も返せる言葉がなかった。
 俺は卑怯で臆病で、彼女の隣に相応しくなどないのだとつくづく思い知らされる。
 やはり、大人しく諦めてただの先輩に徹するべきなのだ。そうすれば、気持ちは通じなくとも傍にいることはできる。たとえ向けられる感情が尊敬だけでしかなくても、嫌悪感を持たれるよりはずっといい。
 そうしてただ傍で見守りつづけ、いずれ非の打ち所のない婚約者の隣で幸せそうに微笑む彼女の花嫁姿を……。
「おい、レオン?」
 想像しただけでも吐き気がして、食べかけの食事も心配声のクラウスもそのままに食堂を後にした。
 自室に戻ると明かりも灯さず、崩れ落ちるようにベッドに腰を下ろす。
「セラに、婚約者……」
 以前から何度か考えていたことではあったのに、実際にその事実を突きつけられてしまうと予想以上の衝撃だった。しかも、あのアルヴィンが皮肉混じりながらもあそこまで褒めたのだ。好悪の感情は別として、それだけその婚約者のことを認めているということだろう。そんな相手に俺なんかが張り合えるはずがない。
 それでも、諦めの悪い俺はなけなしの期待を捨てられなかった。彼女が婚約者に特別な感情を抱いていないのではないかと。完璧と称される婚約者であっても、必ずしも愛情を抱けるわけではないのだからと。
 そうして明日もまた、彼女の良き先輩を演じるのだ。打ち解けて始めている彼女に、少しでも気に入られるように。
 そんな悪足掻きをすることでしか、彼女の目に留まることなどできないのだった。

 けれど、悪足掻きは結局、悪足掻き以上にはなりえなかった。
 懸命に手繰り寄せたと思っていた糸は、もともと彼女に繋がってなどいなかったのかもしれない。そう思わずにはいられないほど、唐突に彼女の態度が変化したのだ。
 配属当初のような嫌悪感が滲んだ態度というわけではない。周りから見れば、何も変わっていないと言われるだろう。
 それでも、明らかに違うと俺はわかる。
 少しずつ頼られていると実感し始めたばかりだったのに、新しい任務に就いてからというもの彼女は俺を頼ろうとしなくなった。
 壁がある、とも言えるだろう。少し前なら聴けた軽口も、今では全くと言っていいほどない。
 それだけではない。
 向けられる笑顔に今までにはなかった陰りがちらつく。ふとした瞬間に愁いの混じった表情が浮かぶ。それと同時に、思わず抱き締めたくなるほど危うい色香が漂うのだ。
 何度その衝動を堪えただろう。触れることなど許されはしないのに、彼女の愁いを俺が拭い去ってやりたいと思わずにはいられない。
 けれど、彼女にそんな表情をさせているのは、きっと優秀な婚約者なのだということくらいの察しはついた。婚約者との間に何かあったのだ。それが俺にとって喜ばしいことなのか、嘆くべきことなのかもわからないが、俺を避けるような素振りがあることから、前者の可能性は低いだろう。
 何があったのか気になって仕方がないが、ただの先輩の俺がそこまで踏み込んだ話を訊けるはずもない。欝々とした気持ちを抱えながらもいつも通り彼女に接し、与えられた仕事をそつなくこなすしかなかった。
「ねえ、レオンはセラのことが好きなんでしょう?」
 そんな俺の心の中を見透かしたような問いを寄越したのは、つい先日遺跡調査の際に保護した女性だった。
 その女性――天の御使いであり、今現在の護衛対象であるカノン様は、人の悪い笑みを浮かべている。見た目の儚げな印象とは大違いの、どこか腹黒さを感じる人相だ。
 それはたまたま俺以外の護衛騎士が皆、所用で席を外しているときだった。
「何を突然仰るんですか」
 精一杯の冷静さで返す。自分を隠す術ならそれなりに身についているはずだった。
 しかし、長い付き合いのクラウスはともかく、出逢って間もないカノン様にまで全く通用していなかったらしい。ぷっと小さく噴き出し、肩を震わせていた。
「だって、普段はめちゃくちゃ不愛想なくせに、セラを見るときだけ大切でしょうがないって顔してるもの。あと、他の男の人がセラに親し気に接してるとものすっごく不機嫌。そんなにわかりやすいのに、バレないとでも思ったの?」
 まるで珍しい玩具を見つけた子供のように、カノン様はくすくすと無邪気な笑いを零す。ただし、やや茶化すような色も含ませて。
 当然俺は面白くはないし、素直に話に乗るつもりもなかった。
「職務に私情を挟むつもりはありません。以後気を付けます」
「そういうこと言ってるんじゃなくてね。セラみたいな可愛い子ほっといたら、すぐに変な虫ついちゃうわよ」
 話をさっさと終わらせようとした俺に、カノン様は先ほどまでとは違う窘めるような表情に変わっていた。
「変な虫って……」
「セラの可愛さに気づいてるのが自分だけとか思ってる? あの子自身は多分気づいてないけど、セラに気のある人って結構いるわよ」
「……それくらい、言われなくてもわかっています」
 食堂でも噂されていたくらいだ。他にも口に出さずとも彼女に好意を寄せる男など腐るほどいるだろう。そういった男どもはそれとなく遠ざけてきたが、そんなことをカノン様に教える義理もない。
 ――何より、それ以前に彼女には婚約者がいる。
 ぶり返した痛みを飲み込むと、はぁと呆れたようなわざとらしい溜息が聴こえた。
「セラも満更でもなさそうなんだから、もっと積極的に頑張ればいいのに」
 ぽつりと呟かれたカノン様の言葉に耳を疑う。
 満更でもない? 彼女が?
 あんなにも、距離を置こうとしているのに?
 もしカノン様の言う通りなら、どれほど嬉しいだろう。けれど、数日前ならば信じられただろう言葉も、今は慰めにすらならなかった。
「彼女の気持ちはともかく、どうしてカノン様は私を応援するようなことを仰るんですか?」
「レオンって年下の幼なじみにちょっと似てるのよ。まあ、あの子は貴方みたいなハイスペックじゃないけど。恋愛ベタなところがそっくり」
 祖国を懐かしむようなカノン様に、そういえばこの人は身一つで見知らぬ地に召喚されたのだと今更ながらに思い出す。
 もしかしなくても、俺をからかうことで心細さを紛らわせていたのかもしれない。そう思うと、無下に話を終わらせるのも申し訳ない気がしてきた。
「恋愛ベタとはあんまりですね」
「どうみてもそうじゃない。もっと女の子の扱いをちゃんと覚えなさいよ」
 まるで母が出来の悪い息子を叱るかのような口調――いや、さすがにそれは年齢的に失礼だ。年の離れた姉が弟を、と言った方が適切だろうか。どちらにしろ、カノン様は彼女にはやたら甘い癖に俺を甘やかす気は毛頭ないらしい。
 そこにわずかな懐かしさを感じ、少しだけ素直な気持ちが顔を出す。
「……以前、彼女に女扱いするなと怒られましたから」
「そうなの?」
「騎士として扱ってほしいと言われました」
「ふぅん。なるほどね。よし、じゃあもう少し対策考えないとね」
 何がカノン様に火を付けたのだろうか。この後妙にやる気を出したカノン様に、俺は根掘り葉掘りと彼女のことを質問された。
 けれど悔しいことに、カノン様にされた質問のほとんどに俺は答えられなかった。
 それなりの期間、俺は彼女と一緒に過ごしてきた。恐らく白騎士団の中ではアルヴィンを除けば最も傍にいる時間が長いはずだ。
 けれど、彼女について知っている情報は恐ろしく少ない。未だに彼女の生家や家族構成についてもわからないし、食べ物や書物の好みすら把握していなかった。
「レオン、せめてもうちょっとセラのこと調べなさいよ。情報収集は女の子落とすためには必須作業よ? 今まではその嫌味なくらい整った顔でいくらでも女の子寄ってきたかもしれないけど、セラは見た目で判断するような頭の軽い子じゃないことくらいわかってるんでしょ?」
 情けないと言わんばかりにカノン様が滔々とお説教を垂れ流す。確かに俺は彼女のことを知らなさ過ぎだが、それにしてもあまりな言われような気がした。
「……カノン様、彼女の前と態度が違いすぎませんか?」
「だって、セラの中の私のイメージを崩したくないんだもの」
 セラにとって素敵なお姉さんでいたいのよね、などとさも当然のように言い放つカノン様は、とても天の御使いなどというやんごとなき立場の方だとは思えない。お陰で彼女のよそよそしい態度に沈んだ気分を少しだけ紛らわすことができた。
「まあいいわ。その辺はヘタレで不器用なレオンには荷が重すぎる気もするし、私が何とかしてあげる。感謝しなさい」
 自信満々に請け負うカノン様に一抹どころでない不安を覚えたものの、今はこの方が自分の仕えるべき主。その事実がカノン様の申し出を退けることを許してはくれなかった。

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