風にゆれる かなしの花

第二幕 きみに捧ぐ かなしの花 [03]

 寄宿舎の陰で隠れるようにして会っていた彼女とアルヴィンを目撃して以来、どうしようもなく二人の動向が気になるようになってしまった。
 けれど、予想に反して彼女もアルヴィンも二人で行動するようなことは全くなかった。
 そもそも彼女の指導係は俺だし、アルヴィンはアルヴィンで違う新人の指導係を任されている。割り振られている班も小隊も違うので当然のことだった。
 だからといって、俺と彼女の関係に何か良い影響があるわけではない。相変わらず彼女は俺に対して淡々と接するし、いつもどこか壁があった。
 きっとこれからもこんな風に一線を引かれたままこの恋は終わるのだろう。
 そんな風に思いながら日々を過ごしていたのに、突然の転機が訪れた。

 城下の見回りを終えて宮城に戻り、小隊長へ報告書を提出する。少しの休憩を挟んで次は修練場で新人たちに指導を行うことになっていたのだが、その休憩時間にいつになく不機嫌そうな彼女に声をかけられた。人目のないところで話をしたいと言われ、少し考えて厩舎の裏手へと回る。
 ここなら大丈夫かと確認をとると、肯定よりも先に大きな溜息が返された。
「いい加減、馬鹿にするのはやめていただけませんか?」
 心底うんざりしている。声も表情も放つ雰囲気も、何もかもを総動員してそう主張していた。
 けれど全く腑に落ちない。俺は好意とは別問題で彼女の能力を高く評価していたし、見習うべきことも多いと思いこそすれ侮るような態度は一度も示したことがなかった。
「どういう意味だ? 私は君を馬鹿にした覚えなどないが」
「いくら新人とはいえ、士官学校を首席で卒業した程度に剣術の嗜みはあるつもりです。それなのにあの状況で私を庇うなんて、馬鹿にしているのでなければなんなんですか」
 彼女の言葉が何を差しているのかようやく理解した。先ほどの巡回の際に俺は彼女を庇い軽い怪我を負っていた。大した傷ではないし、恐らく俺が庇わなくても彼女も同程度の負傷しかしなかっただろうことはわかった。彼女の言う通り、俺がわざわざ庇うほどの場面ではなかったのだ。
 だが、頭ではわかっていても、体が勝手に動いていた。彼女の体に傷をつけさせたくないと、理性より先に本能が動いたのだ。
 それが、彼女の矜持を傷つけたのだろう。
 誤解だと言いたかった。しかし、本当のことなど話せるはずがない。何とか上手い言い訳をしたいのだが、妙案は浮かばず意味のない言葉だけが零れる。
「レオン様から見れば、私の剣術など児戯に等しいということですか?」
 絶対零度の声音に、慌てて否定の声を上げた。
「違う! そんなことは思っていない! 君の剣術の腕前はその辺の男よりもよほど上だとわかっている!」
「ならどうし――」
「すまない!」
 彼女がさらに問いを重ねようとするのを遮って、勢いよく頭を下げた。
 馬鹿になどしていない。自分はいつも彼女が剣を振るう姿に見惚れていたのだから。
 それを伝えるのはさすがに恥ずかしすぎる。けれど、このまま彼女に誤解されたままでいるのは耐えられない。
 それならばと、今持てる最大限の覚悟を以て口を開いた。
「その……、女性の扱いがよくわからないんだ」
「は?」
「だから……、その、身内や親しい親類に同年代の女性はいないし、士官学校だって女性がほとんどいないことは君も知っているだろう。だから、どう接すればいいのかわからなくて、だな……」
 嘘はついていない。実際に女性は苦手だし、興味のない相手を冷たくあしらうことはできても、気になる人にどうすれば好感を与えられるかなどさっぱり見当もつかなかった。だからこそ、こんな風に彼女に不快な思いをさせてしまったのだろう。
 たかが一歳の差とはいえ、年上の癖に情けない。きっと呆れられているだろうと思いつつもそっと窺うと、予想を外して彼女は驚きに満ちた表情をしていた。しかも、それまで常に向けられていたはずの冷ややかさが今はない。
「別に女扱いしていただく必要はないんですけど。他の新人騎士と同じようにしてくだされば」
 どこか戸惑いを含ませて、けれど気を取り直したように淡々と返される。常とは変わらぬ口調であるはずなのに、棘も壁もない素直な言葉のように思えた。
 それだけで、抱えていた気持ちが一変する。
「他と同じなんてできるわけがないだろう。他の奴らは君みたいに華奢でもないし、綺麗でもない」
「きっ……な、何を仰っているんですか!」
 彼女の態度の些細な変化だけで浮かれてしまった俺は、深く考えずに思っていたことを口にしてしまっていた。途端に強い批難が投げつけられ、失敗したと気づいて新たな言い訳をしようとする。
 が、怒っていると思った彼女は顔を耳まで真っ赤にしていた。続く言葉もなく、完全に動揺しているのがわかる。こんな風に取り乱す彼女を見るのは初めてだ。
 思わず緩みそうになった口元を慌てて手の平で隠す。素に近い彼女を見せてもらえたのだ。嬉しくないはずがない。
 けれど、何がそこまで彼女を動揺させてしまったのだろうかと考えて、自分の発言がとんでもないものだったことに思い至った。
 綺麗だなどと、面と向かって言ってしまった。事実を言ったまでなのだが、ただの先輩としか思っていない相手からそんな言葉を言われるなんて彼女は考えもしなかったのだろう。だからこれほど動揺したのだ。
 いや、それだけならまだいい。
 女性に対して綺麗だなどと評するということは、好意の表れでしかない。もしかして、彼女への想いまで悟られてしまったのでは……。
 思考の着地点が定まった瞬間、俺はまくしたてるように口を開いていた。
「と、とにかく、俺は君の能力に疑問を持っているわけではない。他の新人と同じように扱えと言うならばそうできるように努力はする。だが、もう少し慣れるまで時間をくれ」
「え、あの! レオン様!」
 とにかくこの場から逃げだしたくて踵を返すと、慌てたように呼び止められ、半身だけ振り返る。
 ――レオン『様』、か。
 言葉から冷淡さは消えたけれど、俺と彼女の間にはまだ強固な壁が残っていた。
 彼女はアルヴィンのことを『アル』と愛称で呼ぶ。人前で話すときは『アルヴィンさん』と呼んではいるが、それでも『さん』付けだ。
 アルヴィンも俺も、彼女にとっては同じ先輩のはずなのに。
「……それと、その様づけはやめてくれないか。俺もまだ騎士としては二年目で、君と変わらない下っ端だ」
 俺自身、彼女に対して気取り過ぎていた自覚もあった。それがなおさら彼女に格下に見られていると思わせていたのかもしれないと気づき、少し言葉を崩して望みを口にする。
 本音を言えば呼び捨てにしてほしい。だがそれは高望みでしかないと知っている。だからせめて――。
「わかりました、レオンさん」
 しばしの沈黙の後に、俺の望んだ答えを彼女がもたらしてくれた。途端に顔が綻ぶのを抑えられない。些細なことでしかないとわかっているのだが、嬉しいものは嬉しいのだ。
 自分でも馬鹿みたいだと思う。彼女はおそらく、先輩からの頼みを断れなかっただけのことなのに。
 このまま彼女の前にいると、浮かれてまた失態を犯してしまいそうだった。話はもう一区切りついていることだし、もう一度前を向き直ると足を進める。彼女ももう俺を呼び止めたりはしなかった。
 気を抜くとにやけてしまいそうな顔を引き締めながら、彼女と先ほどまでに交わした会話を反芻する。
 騎士として扱ってほしいと、彼女は言った。
 当然だろう。彼女は騎士になるために自分を磨き続けてきた人だ。女性の身で首席になれるほどの実力を持っているのは、天賦の才だけで説明できるものでもないだろう。
 当然、女性だからと不当な評価をする輩だっていたはずだ。侮られることなど当たり前で、だからこそ俺の行動もそう捉えられてしまったのだ。
 女性は弱い。守るべきだ。確かにそんな考えが微塵もなかったと言えば嘘になる。父にも幼い頃から女性には優しくあるようにと教えられた。だが、優しくあることと相手の気持ちを顧みずに無条件で守ることは違うのだ。
 彼女はか弱く守られるだけの貴族のご令嬢とは違う。俺と同じ場所に立ち、守る側の人間。同じ目線で話すこのとできる稀有な人なのだから。
 そうと気づけば、今までよりもずっと彼女に接しやすいのではないかと思い始めた。
 職務中は騎士として扱えばいい。彼女は並の男よりもずっと強いのだから。
 そうしていずれは、互いの背中を預け合えるような関係になれれば……。
「よう、レオン。随分機嫌が良さそうだな」
 言われ通りだったが、明らかに面白がっている様子のその人物に一気に気分が醒める。
 もちろん、その相手が気に入らないのはその態度だけが原因ではないと自分でもわかっていたけれど。
「別に、いつもと変わりはない。何か用か?」
「いんやぁ? ただ、こそこそセラと逢引きしてるっぽかったから、やーらしいなぁと思ってさー」
 ニヤリと口の端を上げるアルヴィンだったが、ふざけた態度よりも聞き捨てならない発言に顔が紅潮するのを止められなかった。
「お、おまえと一緒にするな! ただ、彼女から話があると言われただけで……!」
「話、ねぇ? アイツに文句でも言われたぁ?」
 問いかけの形は取っていたけれど、アルヴィンからは明らかな確信が見てとれた。彼女とアルヴィンの仲を考えれば、俺に感じていた不満を洩らしていたとしてもおかしくはない。その事実がまた面白くない。
「その顔は図星だな。ま、可愛げないし気も強いけど、剣と魔術の腕だけは確かだからさ。あんまり甘やかさないでやってくれよ」
「魔術?」
「うん? あ、そっか。まぁいいや。アイツ、二属性持ちなんだよ。しかも火と風の」
 軽い口調で語られた事実に、驚きを隠せなかった。俺はかつて魔術の素養がほとんどないと判断され、下級の精霊と契約することもできなかった身だ。もともと素養のある人物は少ないが、彼女はその中でもさらに稀な逸材なのだろう。
 だが同時に、二属性持ちはその能力の高さゆえに忌避されることもある。そんな大切なことを、俺などに簡単に話してしまうアルヴィンに腹立たしさを覚えた。
「アルヴィン、それは軽々しく口にしていい類の話ではないだろう。しかも本人のいないところで」
「ん? でもレオンはわざわざ誰かに言いふらしたりとかしねぇだろ?」
「それは……当たり前だ。だが」
「だったら問題ねぇじゃん。俺だって、ちゃんと相手見て言ってるっつーの」
 いつもの人を食ったようなものではない、穏やかさを含んだ笑みに、意外なものを見た気分になった。そういえば、彼女の配属前にわざわざ声をかけてきたこともあるくらいだ。案外俺はアルヴィンから信頼されているのかもしれない。
「てか、セラのことでそんだけ怒るってことは、やっぱりだな」
 見直しかけたアルヴィンが、左側の口角だけ引き上げてニヤリと笑う。本当に癇に障る表情だ。
「やっぱり? 何の話だ?」
「セラに惚れてんだろ?」
「なっ……!」
「隠すな隠すなー。いいじゃねぇか。おまえらお似合いだぜ?」
 絶句する俺の肩を励ますようにアルヴィンが叩く。反論も否定もすることができず、俺はただアルヴィンの手を強引に振り払い、その場を足早に去ることしかできなかった。



 彼女から不満を聴いて以来、俺は今までの態度を少しずつだが改めていった。それに比例するように、彼女の態度も軟化していくのがわかる。表面的には相変わらず淡々としているのだが、以前に比べて格段に柔らかい。城下に見回りに出た際に二人きりになった時には、わざわざ今までの態度を謝罪までしてくれた。
 それどころか、彼女自身の口から彼女の話を聴かせてくれた。
 士官学校時代のことやアルヴィンとのこと。後者は正直アルヴィンへの嫉妬をより一層強くするものではあったけれど、アルヴィンとは幼なじみ同士なのだと知って少しだけ安堵した。もしかすると恋人や婚約者なのではと思っていたからだ。
 それでも二人が親しいことに変わりはないが、少しずつ歩み寄ろうとしてくれている彼女にどうしても期待してしまう。
 その期待をますます強いものにしてしまう原因がもう一つあった。
 月明かりだけが差し込む部屋で、俺はベッドに横になったまま服の下に隠されていたクワドラートのチェーンを手繰る。
 ほのかな月光に反射する翡翠の嵌まったクワドラートは俺が肌身離さずつけているものだ。だが、そのチェーンだけは俺の持ち物ではない。たまたま切れてしまったものの代わりに、わざわざ彼女が自分がつけていたものを外して貸してくれたのだ。
 大事なものなのだから、失くしてはいけないと。
 幼い頃に他界した母の形見。両親が結婚する前に揃いで作らせたもので、母が亡くなった後に父からいずれ大切な人に渡せと譲られた。
 彼女からすれば、ただの親切心でしかないとわかっている。けれどそんな風に俺を気遣ってくれることなど以前では考えられなかった。舞い上がるなと言うほうが無理な話だ。
 強引に渡されたときに握られた手の感触を思い出しては、一人で顔を赤くしてしまう。剣だこのできた手は、あまり女性らしくはないけれど、それでも男のものとは違う柔らかさがあった。指も思っていたよりずっと細い。彼女にはどんな指輪が似合うだろうかなどと考えて、慌てて自分の考えを打ち消した。
「……セラ」
 零れ落ちたのは、まだ一度も面と向かって呼んだことのない名前。別に名を呼ぶことは不自然ではないし、躊躇う必要などどこにもない。
 本当は呼びたいのだ。アルヴィンのように気安く。
 けれど、呼べない。たかが名前を呼ぶだけなのに、その二文字に愛おしさが滲んでしまいそうだった。そうなれば、彼女は俺の想いに気づいてしまうだろう。そして、せっかく近づいた距離がまた離れてしまうかもしれない。
 だから、あともう少し。今はまだ、少しでも彼女に想いを気づかれないようにしながら、彼女の信頼を得なければいけないのだった。

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