風にゆれる かなしの花

第二幕 きみに捧ぐ かなしの花 [01]

 その日は一日、柔らかな春の陽射しが降り注ぎ、ともすれば転寝をしたくなるほどの陽気だった。けれど今は、そのうららかな晴天すら煩わしいとさえ思う。
 その原因を思い出して、本日何度目かもわからない溜息を零した。
「おいおい、レオン。そこまで悲壮な顔するほどのことか?」
 隣を歩くクラウスが呆れたような笑みを零すのに、また溜息が一つ。その日の職務を全うし、寄宿舎へと戻る足取りまでもがやや重かった。
「クラウス、おまえだって俺が女が苦手なことくらい知っているだろう。まったく、騎士団長は何を考えているのか……」
 ぼやいてからまた出そうになった溜息を何とか飲み下す。俺の溜息の原因は、本日発表された新配属の騎士の指導係の割り振りについてだった。
 俺の所属する白騎士団では、新人騎士の指導は入団二年目の者が行うことになっている。去年配属され、今年で二年目となる俺たちの役割だ。その制度自体に不満は全くないし、新人に教えることで自分自身の勉強にもなると思っている。
 問題は、俺が担当することになった新人騎士で。
 セラ・アステート。今期、士官学校を首席で卒業した優等生。そして、士官学校史上初の女性の首席なのだ。
 先ほどクラウスに愚痴を零したように、俺は女性に対して良い感情を持ったことがない。
 父が騎士団長、母が元皇女ということもあり、社交の場に何度か出たことがあるが、その度に不愉快な思いばかりしてきた所為だ。
 アクアス家は伯爵位で家格としては中位にあたるが、母が皇家の血を引くということが大きかったのだろう。今まで出会ってきた貴族のご令嬢方は、揃いも揃って俺に対して媚びを売ってきた。それと同時に見え隠れする、父への蔑み。
 父の家筋は元々最下位の男爵だったが、母が降嫁する少し前に伯爵位を与えられた。それは父が騎士として数々の武勲を上げ、当時最年少と言われる年齢で騎士団長へと任命された褒章からだった。だが、多くの貴族はそう捉えはしなかった。
 『皇女を誑かし、その力でより高い地位を得た成り上がり者』
 当たり前のようにそんな言葉が宮城内で囁かれていたらしい。そして、未だにそれを引きずっている貴族達がいるのだ。
 そういった貴族の娘たちは皆、見事に親達の抱いた感情を受け継いでいる。俺に媚びながらも扇で隠したその口元を嘲笑で歪めていた。
 当然そんなご令嬢方の相手をするのが楽しいはずもなく、いつしか俺は社交の場に出ることを拒むようになった。父の跡を継ぐ立場なのだから慣れなくてはいけないとは理解しているが、それでも今の自分に必要だとは思えなかったからだ。
 そういった女性に対する苦手意識があることを知っているはずなのに、いや、だからこそなのか。白騎士団長である父に俺は白騎士団へ新たに配属されてきた新人の中で唯一の女性であるセラ・アステートの指導係へと任命されてしまったのだった。
「アルヴィン辺りに任せたら、喜んで指導するだろうにな」
 他人事のクラウスは、面白がるような口調で同期一、いや白騎士団一と言っていいだろう女好きの名を挙げる。聴いた瞬間、それまでとは別の理由で表情が渋くなるのを自覚した。
「それはそれで問題を起こしかねないだろう。彼女の出自は知らないが、士官学校に通えるくらいなら爵位持ちか騎士の家柄だろうし」
 基本的に騎士になるためには士官学校を卒業しなければならない。どんな家柄の者でもだ。
 だが、士官学校に入学するには相応の金額が必要で、そうなると代々騎士を務めてきた家系や貴族階級のものがほとんどだ。
 そんな家柄の女性に女と見ればすぐに口説くような男を近づけさせるのはよろしくない。父もきっとその辺りは理解しているはずだ。
 もしかすると、俺ならば絶対に間違いなど起こりえないと思ったからかもしれないと考え直した。
「おまえ、相変わらずアルヴィンのこと苦手なんだな」
「あいつは言葉が軽いし、馴れ馴れしいし、信用できない」
 根本的に、アルヴィン・トレーノイトという男とは合わないし、合わせようとも思わない。だからといって職務に差し障りのあるような態度だけは取らないように心掛けているつもりだった。
「それは否定はしないが……。しかし、よくよく考えると、本当にまずい事態な気がしてきたぞ」
「どういう意味だ? さっきまではそんな悲壮な顔をするほどのことかなんて言っていたくせに」
 他人事だと気楽な顔で笑っていたクラウスが、心底同情するような表情に変わっている。
 訝しく思いながらもちょうど辿り着いた寄宿舎の自室の鍵を開けると、強引に抱え込まれるような形で室内に押し込まれた。
「おい、クラウス」
「レオン、新人指導とはいえ女性と一緒にいるところをレイフォード様に見られたりしたら、嫌味どころじゃすまないかもしれないと思わないか?」
 クラウスが声を潜めてそう耳元で囁く。言われた途端に今まで以上に暗鬱な気持ちに襲われた。
「……やめてくれ。想像もしたくない」
 一日の疲れ以上のものがどっと押し寄せる。
 レイフォード様というのは、青騎士団長メレディス様の嫡男だ。俺よりも四つ年上で、すでにメレディス様の補佐として頭角を現し、次期青騎士団長になるだろうと噂されている優秀な人物である。
 だが、俺はこの人物がかなり苦手だった。先ほど苦手だと話していたアルヴィンと違い、真面目で人望もある方なのだが、ある意味アルヴィン以上に関わりたくない。
 その原因は、ちょうど一年ほど前のこと。

 士官学校を無事卒業し、白騎士団へと配属された初日。今日のようなうららかな陽光が降り注ぐ午後の休憩時間に、彼はわざわざ俺に会いに来た。
「君がレオン・アクアスか」
「そうですが、私が何か?」
 極上の金糸のような長い髪を緩く後ろでまとめた、子供向けのおとぎ話に出てくる王子のような容姿を持つレイフォード様に突然声をかけられ、戸惑ったことを今でも覚えている。
 そんな俺に対して、彼は一見おっとりとした微笑みを浮かべた。たまたま近くにいた女官たちが途端に頬を赤く染める。
 けれど、その瞳にはどこか剣呑なものが隠されていて、俺に対してあまり好意的でないことにすぐに気づかされた。
「僕はレイフォード・エスクァーヴ。エスクァーヴ家の嫡男で、将来君の兄になる者だ」
 エスクァーヴの姓でようやく彼が自分の婚約者の兄だということを理解する。そして、彼が俺のことを気に食わない理由も何となく察してしまった。
「メレディス様の……」
「今期の首席卒業らしいね。まあ、誰よりも美しくて聡明なフィーナの夫になるからには、それくらいの成績を出してもらって当然だけど」
 声音や表情は至って穏やかなのに、その言葉の端々には棘が含まれていた。そんなレイフォード様に、怒りや呆れを覚えるよりも少々呆気に取られてしまう。
 青騎士団長であるメレディス様は、父と同期であり親友同士だ。騎士団長となった今でも仲が良く、父の口からメレディス様の名前が出ることは多い。
 そのおかげで、俺はメレディス様の娘でレイフォード様の妹のフィーナ嬢――というらしい。申し訳ないがこの時初めて知った――と幼い頃から婚約させられていた。
 『婚約させられていた』などという言い方をすると嫌々受け入れているように思われるが、実際はそれほどでもない。
 俺は女性が得意ではないし、恋愛にも興味がない。ただ、将来的には家を継がなければならない身で、その為に結婚は必要だと理解はしている。その相手が尊敬するメレディス様のご息女だというのならば、好意を持つには至らなくても俺や父を蔑むような他の貴族の娘よりよほどマシだと思っていた。
 けれど、フィーナ嬢自身よりも、どうやらこの兄君の方が厄介そうだ。どう考えても、妹に対する想いが強すぎる。
「フィーナに相応しい男かどうか、しっかりと見極めさせてもらうよ」
 最後には周りの女性が見れば黄色い声を上げそうな渾身の笑顔を残し、レイフォード様はそう言い残して去っていったのだった。

 そんなレイフォード様に新人の女性騎士と一緒にいるところを見られでもしたら、必要以上の嫌味をつらつらと並べ立てられるのは必至だろう。挙句の果てには婚約を破棄しろとまで言われてしまうかもしれない。
 フィーナ嬢との婚約を強く望んでいるわけではないけれど、不満があるわけでもない。それに父やメレディス様は、俺とフィーナ嬢との婚約がそのまま纏まることを望んでいるのだ。俺自身も『婚約者がいる』という事実は何かと便利な事実でもあった。だから、できれば余計な波風は立てたくない。
「とにかく、必要以上に優しくとかするなよ。他の新人の男どもと同じようにな」
「わかっている。そもそも、首席になるほどの実力があるなら、甘やかす必要などないだろう」
 改めて考えると、セラ・アステートという女性は首席卒業者なのだ。女性と言われるとついつい貴族のご令嬢方と同じようなイメージを描いてしまうが、俺たちが想像しているよりもずっと逞しい体躯で男と大差ないような人物だとしてもおかしくはない。
 つまり、レイフォード様に余計な勘繰りをされるような相手ではない可能性も充分にあった。それにクラウスも気づいたのか、それもそうだなと同意が返る。
「さて、そうと決まればさっさと飯食って明日に備えようぜ」
 あまり上品とは言い難い言葉遣いに呆れが溜息に変換されて零れた。いくら正式な皇家の人間でないとはいえ、現聖帝陛下の甥にあたる人物とは思えない。
「クラウス、おまえも一応は皇家の血を引いているんだから、もう少し言葉遣いを気にした方がいいんじゃないか?」
「心配しなくても、外じゃもう少しマシに振る舞ってるさ」
 任せろと言わんばかりに片目を瞑ってみせるクラウスの姿に、もう一度小さく息をついた。
「食堂に行くならおまえもさっさと着替えてこい」
 騎士団に支給されている制服の上着を脱ぎ、私服の白いシャツに袖を通しながらそう告げるとクラウスは気のない返事を返して部屋を出ていく。
 少々マイペースすぎるところが玉に瑕だが、それでもクラウスは俺にとって唯一と言っていい友人だ。母親が元皇女で、父親は近衛騎士という俺と似た境遇だからだろう。気を張ることなく付き合える存在だった。
 それに何だかんだと面白がっているように見えて、実のところ俺を心配してくれていることは充分過ぎるほどよくわかっている。人のことを心配性だなんて言うくせに、クラウスの方がよほど心配性なのだ。
 手早く着替えを済ませると、クラウスの部屋へと向かう。ドアをノックすると、少し待てという声とバサバサと乱暴な衣擦れの音が聴こえた。これは絶対に、制服をベッドの上にでも適当に放り投げているのだろう。仕事はきっちりとするくせに、こういうところが大雑把なのは騎士団に入っても変わらなかった。
 ややあって部屋から出てきたクラウスに、制服の扱いについて軽く小言を口にしながら食堂へと向かう。
 食事を受け取り空いていた席につくと、それとほぼ同時に俺の隣にどかりと腰を下ろすものがいた。
「よう、レオン」
「……何か用か?」
 思わず声が低くなる。隣に腰を掛けた人物は何が楽しいのか喉を鳴らすように笑った。
「相変わらずつれないねぇ。あんまりつんけんしてると、新人ちゃんに嫌われるぞぉ?」
「新人相手にきつい態度をとるほど大人げなくはない」
「まーそうだよなぁ。レオンは唯一女の子相手だもんなぁ」
「代わってほしいなら、騎士団長に直訴してくればいいだろう、アルヴィン」
 このアルヴィン・トレーノイトという男は、本当に馴れ馴れしい。そして、いつも弧を描いているアメジストの瞳が、小馬鹿にされているようで癇に障るのだ。
 何より腹立たしいのは、真面目にやれば首席くらい余裕で取れるだろう実力があるくせに、それをなかなか発揮しようとしないところだった。
「えー? レオンはそれでいいのー? 新人ちゃん、レオン好みの子かもしんないでしょ?」
「アルヴィン、職務に余計な感情を差し挟むな」
 ぴしりと叩き切るように告げると、アルヴィンはへいへいと気持ちの全くこもっていない言葉を返す。
「けどよーレオン、おまえちゃんとオンナノコの扱いわかるのか? どうせ手も握ったこともないんだろ?」
「うるさい。そもそも後輩に指導するのに手を握る必要性などないだろう」
「えー? せっかくのチャンスなのに、みすみす逃す気なのー? まったく、これだから女受けのいい奴ってのは嫌だねー」
「何がチャンスだ。頼むから余計な手出しをして厄介事を起こすなよ」
「心配すんなって。それだけは絶対にねぇよ。んじゃな、セラのことよろしく頼むぜー」
 そう言い残して立ち上がると、アルヴィンはひらりと手を振って食堂から出ていった。
「……あいつ、知り合いなのか?」
 どこか親し気に名を呼んだアルヴィンに、思わずクラウスに向かって確認する。クラウスも驚いたのか、茫然とアルヴィンの去った食堂の入口の方を見つめていた。
「みたいだな。結構可愛いところあるじゃないか」
「可愛い?」
 明らかにアルヴィンには不似合いな形容詞を紡ぐクラウスに、ついつい眉を顰めてしまう。それに気づいたクラウスは、小さく笑って続けた。
「どういう関係か知らないが、知り合いである新人騎士が心配だったんだろう? ああ見えて世話焼きなんだな、アルヴィンは」
「……ああ、そういう見方もあるのか」
 正直アルヴィンは好きではないし、今だって俺をからかいに来ただけだと思っていた。
 けれど、クラウスの言葉通り、アルヴィンはアルヴィンなりに知人を心配したのだろう。普段のいい加減さからは想像できなかったが、いい意味で裏切られた感覚だった。
「ってことは、もしかしてアルヴィンの言う通りにレオン好みの子だったりして……」
「何を馬鹿げたことを言っているんだ。大体、アルヴィンが俺の女性の好みなど知っているわけがないだろうが」
 それ以前に、俺が女性を苦手だという前提をクラウスは忘れている。
 たとえどれほどの美人で気立てが良かろうと、俺が女性に特別な好意を抱くことなど有り得ない。
 この時までは、確かにそう思っていたのだ。

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