風にゆれる かなしの花

第一幕 風にゆれる かなしの花 [08]

 遠くで何度も名前を呼ばれた気がした。
 その声はとても必死で、悲痛で、聴いているこちらの胸まで痛くなるほど切羽詰まった響きを持っていた。
 声に聞き覚えがある気がするのに、その持ち主が誰なのかが判然としない。頭に霞みがかかったようにまったく働かず、やがて深い眠りに落ちていく。
 
 浅い眠りと深い眠りを繰り返し、ようやく意識が確かなものになった。
 どれくらい眠っていたのだろうかと、ぼんやりとした頭のままでしばらく考える。
 視界を巡らせると、ここは宮城内の医務室にある個室だとわかった。
 個室には通常、重傷を負った者が運び込まれるはずと思い至り、ようやく私は自分の身に何が起こったのかを思い出した。
 カノン様の護衛中、賊――と言うべきなのか迷うが――に襲われ倒れたのだ。
 あの時、間違いなく自分は死んだと思った。それくらい酷い傷を負っていたし、それ以前にほぼ自分の力を使い切っていたからだ。
 それなのに無事であることに不思議な気持ちを覚えながら、刺されたと思しき腹の辺りに手を滑らせる。そこには包帯がしっかりと巻かれ、あの出来事が夢ではなかったのだと教えてくれた。
「……案外しぶといのかな、私」
 ぽつりと呟いた言葉には、苦味が混ざっていた。カノン様を守り切れずにこの体たらくでは、レオンさんにもジェラルド様にも合わせる顔がない。父の顔にも泥を塗ってしまったことだろう。
「そういえば、カノン様は……」
 私が生きているということは、誰かがあの場に現れて私とカノン様を助けてくださったということだ。白騎士団の誰かが駆けつけたのだろうか? けれど、相手はあの赤騎士団長のヒューイ様で、生半可な相手では到底敵うはずがない。腐っても赤騎士団長。剣の腕は確かなのだ。
 まだ回転の悪い頭を必死に働かせていると、個室のドアが静かに開いた。ひょこりと何だか懐かしさすら覚える幼なじみが顔を覗かせる。
「セラ! 目が覚めたのか! まったくおまえは無茶しやがって……!」
「アル、カノン様は? それから……ヒューイ様はどうなったの?」
 思うように動かない体を無理やり起こし、ベッド脇にきたアルの腕を掴まえた。途端に走った痛みに崩れそうになった体をアルが支えてくれる。
「落ち着け。カノン様は足を捻った以外は無事だ。あと、赤騎士団の件については、ジェラルド様が直接教えてくださることになってる。セラが起きたと知らせてくるから、ちょっと待ってろ」
 少し強引にベッドに戻され、アルは大人しくしていろと念押ししてからまた部屋を出ていった。その後姿を見送って、少しだけホッとする。
 カノン様に手出しはされなかった。それだけでも、私が傍にいた意味はあったと思いたい。
 安堵の息を大きく漏らすと、今アルが出ていったばかりの扉がまた開くのに気付いた。アルが戻ってきたにしては早いなと視線を向けると、そこにいたのは冷え冷えとした表情をしたレオンさんだった。私の横になっているベッドの横まで来ると、肩の傷に目を向け、無言のまま顔を顰める。
「レオンさん……。すみませんでした」
 大きな怪我はなかったとはいえ、カノン様を危険な目に遭わせた事実は覆らない。不甲斐ない後輩だとさぞ腹立たしいことだろう。申し訳なさから謝罪すると、レオンさんの眉間の皺がより一層深くなった。
「君が謝る必要はない」
「ですが、私は最後までカノン様をお守りすることができませんでした。これではカノン様のお傍に仕えるに相応しくないですね」
 この状態では、しばらく剣を握るどころか歩くのも一苦労だろう。いずれにしろ、失態を犯した私はカノン様の警護を外されて当然だった。
「そんなことは誰も思っていない。君は充分にカノン様を守ったし、君以外ならもっと悲惨な結果になっていた可能性の方が高い」
 カノン様に施した防御魔術のことを言ってくれているのだろう。確かにあれは、他の騎士にはなかなか使うことができないものだ。けれど、言葉とは裏腹にレオンさんの声にはずっと怒りが滲んでいた。理性ではわかっていても、私の不甲斐なさが許せない、といったところかもしれない。
「だが……、どうしてあんな無茶をした。最高位の防御魔術を使いながら、傷を負った状態で炎と風の合成魔術を使うなど、考えなくとも命を失いかねないとわかるだろう」
「それ以外に、カノン様を守る術を私は持っていませんでしたから」
「そういう問題じゃない!」
 滅多に荒げることのないレオンさんの怒声に、唖然として固まってしまった。
 そういう問題じゃない? ならば、どういう問題なのだろうか。魔術の使いすぎで体が動かなくなるなど、騎士として言語道断だということ、なのか。ならば、私はあの時、どうすればよかったのだろう。
 正解を導き出す手がかりすら見つけられずにいると、レオンさんは苦しそうに何かを小さく呟いた。あまりにも弱々しいそれは、何と言ったのか全く聴き取れない。
 いたたまれなくなって、私はアルの言いつけを破り、ベッドから体を起こした。
「レオンさん、本当にすみませんでした。私にもっと力があれば――」
 慎重に体を起こしたつもりだったけれど、謝罪の途中ですっと血の気の引く感覚に襲われた。体を支えようとする前に、レオンさんの腕が私の体をすくい上げるように抱き留める。
「す、すみません」
 一瞬で縮んだ距離に、焦って身を引こうと逞しい胸を押した。けれど、背中に回ったレオンさんの手にぐっと力が籠められ、離れることができない。まるで抱き締められるような姿勢に、何がどうなっているのかがわからなくなる。
「あの、レオンさん?」
 私の声に、レオンさんはハッと我に返り、すかさず体を離して背を向けた。そして、すまないと短く告げると、足早に部屋を出ていってしまう。
「何、今の……」
 わからないことだらけだ。どうして抱き締められたのか、どうして謝られたのか、そして、あれほど怒っていた理由が何なのかも。いくら考えても答えが見つからない。
 けれど、ほんの少しの間とはいえ抱き締められた感触が、ぬくもりが、まだ残っている。
「……やめてよ、もう……。せっかく、諦めようって決めたんだから……」
 私の入り込む隙間などないのだと痛感したからこそ、私は二人の幸せを祈ることにしたのだ。たとえ添い遂げることが叶わなくても、二人の時間が満たされるものになるように。
 その決死の覚悟を崩さないでほしい。私に気持ちが向けられることなどないとわかっていても、あんな風に触れられたら有り得ない期待を抱いてしまうから。
 こんこんと、扉がノックされる。アルが呼びに行ったジェラルド様だろう。
 滲んでいた涙を拭い、はいと返事をすると、予想通りジェラルド様がアルを連れて部屋に入ってきた。
「セラ、ちゃんと寝てろって言っただろ」
「ごめん」
 体を起こしたままだった私を叱りながらも、アルは横になるのを手伝ってくれる。私がベッドに逆戻りすると、ジェラルド様はすぐ側に置かれていた椅子に腰掛け、案じるように顔を覗き込んだ。
「すまなかったな、セラ」
「いえ。こんな不甲斐ない姿を見せてしまい、申し訳ありません。カノン様も危険に晒してしまって……」
「それは違う。全ては私の責任なのだ」
 精悍な顔に苦痛を滲ませて、ジェラルド様は再度すまなかったと頭を下げる。慌ててやめてくださいと言ってもジェラルド様はお構いなしにさらに謝罪を重ねた。そんなに謝られては居心地が悪くて仕方がなかったが、いくらお願いしてもジェラルド様はなかなか顔を上げてくれない。
 ようやく顔を上げてくださったジェラルド様は、軽く息をつくと決心したように口を開いた。
「ヒューイ殿がカノン様を狙っていることは、薄々気づいていたのだ」
「え?」
「メレディスが……メルが、赤騎士団の一部に不審な動きをしている者がいると教えてくれた。私が直接白騎士団を動かすわけにはいかなかったから、メルと陛下に青騎士団と近衛騎士団で探ってほしいとお願いし、確実な謀反の証拠を掴むためにカノン様の外出を計画したのだ。セラを護衛に選んだのは、ヒューイ殿を油断させるためと、いざとなればセラの防御魔術があると踏んだからだった。だが……」
 そこまで一気に話すと、ジェラルド様は苦しそうに眉根を寄せて、ベッドの上に置かれたままだった私の手をぎゅっと握る。すまなかったともう一度謝罪が零れた。
「私の見込みが甘かったのだ。レオンにも、セラたちを囮にするなんてと叱られた」
「レオンさんなら怒っても仕方ないですね」
 ジェラルド様の言葉に、ようやくレオンさんが纏っていた怒りの正体を理解した。
 レオンさんは、ジェラルド様の計画に憤っていたのだ。それが一番の方法だとわかっていても、自分の大切な人が危険に晒されることを喜ぶ人間はいないだろう。
 そして、そんな方法を採らねばならない自分の無力さを呪ったに違いない。怒りの矛先が他人よりも自分に向かう人だから。
「今回の件に絡んでいる者は、ヒューイ殿を含めて全て厳重に処罰されることがもう決まっている。セラは充分すぎるほど務めを果たしてくれた。あと数日ここで様子を見て大丈夫そうなら、一旦家に戻って完治するまで静養すればいい」
「わかりました。ありがとうございます」
 いい機会だと思い、素直に礼を述べた。
 実家に戻ればレオンさんと顔を合わせなくて済む。離れていれば、余計なことに心を乱されることもなくなるし、もしかするとレオンさんに対する気持ちも薄らぐかもしれない。
 一通り話すべきことを話し終えたのか、ジェラルド様は早々に部屋から出ていった。
 赤騎士団長の反逆罪という緊急事態のおかげで、仕事は山積みなのだろう。きっとジェラルド様だけでなく父も走り回らざるを得ない状況になっているに違いない。
 状況の理解といくつかの疑問が解消された所為か、唐突に眠気に襲われる。まだレオンさんの行動の意味だけはわかりかねたけれど、考えるとともに思い出される温もりの煩わしさを消したくて、そのまま誘われるように眠りに落ちていった。



 目覚めた日から三日ほど宮城内で過ごした私は、何とか自力で歩ける程度には回復していた。あれほどの大怪我を負っていたのにと自分でも不思議だったが、アルからカノン様の御使いの力のおかげだろうと教えられた。
 曰く、瀕死の私にカノン様が触れた瞬間に眩い光が突如生まれ、みるみるうちに出血は止まり目に見える傷口は全て塞がったそうだ。私は意識がなかったからまったく実感はないけれど、目の当たりにしたアルたちは奇跡は存在するのだと思い知らされたらしい。
 結局私は、カノン様を助けたつもりで、逆に助けられていたのだ。情けなさに唇を噛んでみてもその現実は変えられない。明日には一時帰宅することだし、帰る前に一度カノン様にお会いして、お礼を述べなければいけなかった。
 まだ怠さの残る体を何とか起こし、アルに頼んで持ってきてもらっていた騎士団の制服を身に着ける。数日ぶりに歩く宮城内は相変わらず慌ただしく、それがひどく懐かしかった。
 通い慣れた道順でカノン様の部屋に辿り着く。重厚な扉をノックし名を名乗ると、返事より先に勢いよく扉が開いた。開くと同時に飛び出してきたカノン様に、力いっぱい抱き締められる。
 部屋の中には驚き顔のクラウス様が一人。どうやらレオンさんもアルも席を外しているようだった。
「セラ! ごめんなさい!」
「カノン様、謝るのは私の方ですから。とりあえず、お部屋に入れていただいても大丈夫ですか?」
「ええ、もちろんよ! 傷はまだ完全に癒えてはいないのでしょう? こちらに座って。お茶を用意してもらうわ」
 甲斐甲斐しく私の世話を焼こうとするカノン様に困惑と呆れと喜びの入り混じった笑みが零れた。こんな風に心配され、大切にされていたのだと思うとくすぐったいのだが、それと同じくらいに主に世話を焼かせることに抵抗を感じるのだ。どうしようか迷っていると、成り行きを見守っていたクラウス様が助け船を出してくれた。
「カノン様、セラと久しぶりに会えるのが嬉しいのはわかりますが、もう少し落ち着かれてください。セラも長居をするつもりはないのだろう?」
「はい。カノン様、私は明日には自宅に戻ることになっております。こんな形でお傍を離れることになって申し訳ございません。それから、カノン様のお力で私の傷を癒していただいたこともアルから聞きました。本当にありがとうございます」
 深々と頭を下げると、カノン様は目に見えて愁い顔になった。そんな言葉など聞きたくないと言わんばかりに頭を振る。
「私は何もしてないわ。セラを助けたいと思ったら勝手に力が発動しただけ。自分の意思で使ったわけじゃないもの」
「それでも、私が今こうして生きていられるのはカノン様のおかげです。もうお傍で仕えることは叶わないかもしれませんが、例えそうなったとしても私はこれからもずっとカノン様をお守りすることを誓います」
 カノン様の目の前に跪き、騎士の忠誠の礼を示した。すると今度は大きな黒い瞳にいっぱいの涙を溜めて、カノン様は私の目の前に膝をつく。そうして私の体をもう一度抱き寄せた。
「そんなこと、言わないで。怪我が治ったら、またここに戻ってきてちょうだい。私は、セラに傍にいてほしいわ。レオンたちと、待っているから……」
 レオンたちと。その一言に抉られる傷があるけれど、それに気づかないふりで笑みを浮かべる。気づかれてしまえば、きっと優しいカノン様は悩み傷つくはずだ。
「……では、ジェラルド様にカノン様からお願いしておいてください」
 綺麗な涙をいくつも零す頬を指先で拭い、抱きかかえるようにしてカノン様を立ち上がらせた。涙で言葉に詰まったカノン様は、ただ何度も頷く。十以上も年上なのに、こういうところはまるで少女のようだった。
「それでは、私はこれからジェラルド様にもご挨拶しないといけないので、失礼いたします」
「ゆっくり体を休めてね。多少元気になったからって、すぐに剣を持っちゃ駄目よ?」
「……わかりました。善処します」
 存外私の性格を理解しているらしく、しっかりと釘を刺してくるカノン様に感心しながら笑みを返す。一礼をしてから退室すると、今度はジェラルド様の執務室へと向かった。
 ジェラルド様は現在多忙を極めておられるから、もしかしたら簡単には掴まらないかもしれない。そうなればまた出直さねばと考えながら歩みを進めていると、視界の端に白いものを捉えた。
 後宮の別室から騎士団員が普段過ごしている棟へと移動するその途中の渡り廊下から、中庭の端に探していた人物の後ろ姿が見えた。隣には、幸か不幸か父もいる。
 ちょうどいいと声を掛けようとした瞬間、思いもよらぬ言葉が聞こえてきた。
「レオンが?」
 婚約者の名を口にしたのは父だ。父の問いかけに、ジェラルド様は神妙に頷くと、大きな溜息をつく。
「ああ。随分と思い詰めた顔で会いに来たかと思えば、『婚約を白紙に戻してほしい』と言い出してな」
 ――婚約を、白紙?
 ジェラルド様の言葉に、全身が震え出すのがわかった。
「どうして突然そんなことを……」
「わからない。俺が問い質しても、レオンは『不誠実なことはしたくない』としか言わなくてな」
 目の前が真っ暗になり、全ての音が消えたかのような錯覚すら覚える。
 レオンさんが、私との婚約をなかったことにしたがっている。どうしてと父もジェラルド様もわからない風だったが、答えは簡単だ。
 私が、カノン様を守れなかったからだ。仕方がなかったとわかってはいても、私が許せないからだ。
 そして、カノン様を想っているから、形だけとはいえ他の女を妻になんてしたくはなかったのだ。それは、カノン様に対しても私に対しても『不誠実』になってしまうから。
 どこまであの人は馬鹿正直なのだろう。そして、どこまで優しくて残酷なのだろう。
 私はただ、気持ちなどなくても傍にいられれば良かったのに。
 くるりと踵を返し、別のルートを通って寄宿舎の自室に駆け込む。慣れ親しんだ自室に戻ると、ベッドに倒れ込み、そのまま必死に零れ出る嗚咽を殺した。
 傍にいることさえも許されなかった。見守ることすら、させてもらえなかった。
 私がささやかだと思っていた望みは、本当は贅沢でしかなかったのだと徹底的に思い知らされたのだった。

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