風にゆれる かなしの花

第一幕 風にゆれる かなしの花 [07]

 銀細工の店を出てからは大通りに沿って歩き市場に向かう。人の多い場所の方が賊に狙われる可能性も低いからと、あらかじめジェラルド様からの指示にあった。
 活気あふれる市場の中には、あちらこちらに私服に身を包んだ白騎士団のメンバーが紛れ込み、極力カノン様に気づかれないように様子を窺っている。時折見知った顔とすれ違っては、周りに仲間がいてくれることに密かな安堵を感じていた。
 他愛もない会話をしながら、カノン様が気になると言った露店を覗く。こうしていると、本当に自分に姉ができたような気分になってくるから不思議なものだ。
 お茶や茶器などいくつかの品を購入して市場を抜けると、それまで抜けるような青さを見せていた空に、鈍色の雲が広がり始めていた。湿った風に土と樹々の匂いが混じる。雨が、近い。
「カノン様、少し早いですが宮城に戻った方がよさそうですね」
「そうね。今にも雨が降りそうだわ」
 カノン様が空を見上げた瞬間、ポツリ、と頬に水滴が落ちた。これは悠長にしていられないと、荷物片手にカノン様の手を引く。
「急ぎましょう」
「はい」
 ひとつふたつと落ち始めた雨粒は、すぐさま驟雨へと変化した。
 できる限り脚を急がせるけれど、カノン様と一緒ということもありなかなか速度を上げられない。濡れて滑る手を何度も握り直し、まとわりつくスカートの裾を煩わしく思いながらも、駆ける脚は止めない。
 けれど、もう宮城の裏門までもうすぐというところで、カノン様がぬかるみに足を取られた。咄嗟に支えが間に合ったため、泥まみれになることがなかったのは幸いだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ。ごめんなさい。日頃の運動不足が祟ったわ」
 冗談めかしながら私を支えに体勢を直し、もう一度宮城に向かおうとする。が、一歩踏み出した途端にカノン様は顔を顰めた。
「カノン様?」
「ごめんなさい、セラ。少し足を捻ったみたい」
 申し訳なさそうに告げるカノン様を安心させるように笑みを返す。
「これ、持っていただけますか?」
「え? ええ。はい」
 何をするのだろうと不思議顔のカノン様に荷物を預けると、失礼しますと声をかけ、そのまま横抱きに抱き上げた。
「ええっ!? せ、セラ! 重いからおろして!」
「何言ってるんですか、軽いですよ。それに、カノン様がお怪我なさったのは私の落ち度ですから。早速先ほどの約束を果たしていただけますね」
「普通にセラの責任じゃなくて私が鈍臭いだけだけど」
 恥ずかしそうに呟くカノン様に小さく笑みを零すと、早足で裏門へと向かい始める。
 けれど、私はすぐに脚を止めた。
 雨で悪化した視界の先、立ちはだかるような人影がいくつか現れていた。はっきりとは判別できないが、少なくとも十人近くはいそうだ。揃って顔を隠すように布を巻いている。
「まさか、目と鼻の先で狙ってくるとはね」
「セラ……」
 宮城のすぐ傍とはいえ、裏門側は人気が少ない。更にこの雨で、通りかかる人間は皆無だろう。雨が計算に入っていたかどうかはわからないけれど、計画的にここを選んだだろうことは窺えた。
 不安そうにしがみつくカノン様の背中をそっと撫でる。私が弱気になってしまっては意味がないのだ。
「大丈夫ですよ。カノン様は絶対に守りますから」
 力強く請け負うけれど、状況はけっして芳しくはない。足を痛めているカノン様は走れないし、真っ向から迎え撃つとしても多勢に無勢だ。それに、相手がどの程度の実力を有しているのかもわからない。
 考えている間にもじりじりと窺うように近づいてきている奴らに、牽制しながらも背後の様子を窺った。
 白騎士団の面々も無能なわけじゃない。誰かが気づいて援護に来てくれれることも充分に期待できる。
 時間を稼ぐため、そして後方から追跡してきてくれているはずの白騎士団員と合流するために、カノン様を抱き上げたまま素早く踵を返した。が、振り返ったその先にも、正面にいる者たちと同じような布で顔を隠した奴らが姿を現していた。
 おかしい。いくら何でも、他の白騎士団員たちがこんな怪しい連中を放っておくわけがない。未だに駆けつけてくる様子が微塵も感じられないのも変だ。つまり、こちらの想定の範囲を大きく逸脱している状況になっているに違いなかった。
「……カノン様、この場で動かないでくださいね」
 覚悟を決め、カノン様をその場に下ろす。
 隠し持っていた小剣を鞘から引き抜くと、指先を軽く撫でて小さな傷を作った。零れ出た赤い雫を一粒、カノン様の目の前に落とすと、それを媒介に通常よりも強固な風の防御壁を張る詠唱を素早く行う。目に見えない空気の層がカノン様を包み、物理攻撃を一定時間無効化できる壁の出来上がりだ。
 そうして今度は小剣を逆手に持ち直し、濡れて深緑に変わったワンピースの裾を膝上程度で切り裂いた。
 まったく、女のような格好なんてするもんじゃないとつくづく思ってしまう。
「セラ、何を……」
「やれるだけやります。大丈夫。すぐにレオンさんたちも来てくださるに決まってますから」
 他の騎士団員たちがどうなっているのかはわからないけれど、今は自分の最大限の能力でカノン様を守るしかない。
 小剣の柄を握り締め、まずは人数の少ない後方に向かって思い切り地を蹴った。
 突然の攻撃態勢に、賊たちは一瞬面食らうが、すぐに我に返ってそれぞれ得物を振るい始める。
 動きが遅れていた一人の懐に入り込み、腹を薙ぐ。痛みで零れ落ちた細剣をついでに拝借すると、背後からの剣戟をそれと小剣で受け止めた。使い慣れた双剣には劣るが、それでも二本の武器が手に入るとかなり助かる。
 賊の攻撃をぎりぎりで避けながらカノン様の方を見ると、前方にいた奴らが取り囲んでいるのが見えた。が、彼らに為す術があるはずがない。カノン様に施した防御壁の魔術は、風の精霊の防御魔術の中でも最高峰のものだからだ。あれを解除するには、同レベルの炎の攻撃魔法か術士である私を殺すしかない。
 しかし、それでも不利な状況は変わらなかった。賊の剣術は、思った以上に卓越している。無駄がないし、的確にこちらの急所を突こうとしていた。明らかに訓練された動きだ。
「つっ! ……フラム!」
 足場の悪さに体勢を崩したところを狙われ、咄嗟に炎の精霊名を叫ぶ。詠唱を省略した術は、効果が弱くとも相手の隙を作ることくらいならできた。現れた火球が切りかかろうとしていた男めがけて飛んでいき、顔を覆っている布に移った。炎に襲われた男は慌てて布を外して放り投げる。
 その、わずかに火傷を負った顔に、息を呑んだ。
「……貴方は……赤きっ……くっ!」
 皆まで言う前に、別の方向から攻撃を受け、身を翻すも左肩に熱い痛みを覚える。取り落としそうになった小剣を何とか握ったまま、大きく跳んで賊から距離を取った。
「どういう……ことですか……」
 信じられない思いに、声が震える。
 顔を晒した男を、私は知っていた。いや、知っていると言っても親しい間柄と言うわけではない。けれど、何度も宮城内で顔を合わせていたし、まさかこんなことに手を貸すような人物だとは微塵も思っていなかった。
 男は、赤騎士団に所属する騎士の一人だったのだ。
 こんな馬鹿げたことをするために、この人は血の滲むような努力を積み、騎士になったというのだろうか。
「これは、誰の命令ですか!? ヒューイ様がこんなことを許されると――!」
「もちろん、許すに決まっているだろう」
 怒りと情けなさに上擦った叫びは、やけに嬉しそうな声に打ち消された。
 声の方に振り返ると、そこには他の男たちと変わりのない、地味で質素な服をまとった中年男性が一人。しかし、そんななりでも騎士として最上の位を持つその人の威厳はいささかも失われてはいなかった。
 余裕のある手つきで、顔を隠す布が外される。
「ヒューイ、様……? どうして、貴方がこんな……」
「気に食わないからだ、メレディスの娘よ」
 思いがけず父の名を出され、息が詰まる。私がエスクァーヴ家の娘だと、とっくに調べがついていた?
「……父が気に食わないことと、カノン様を害そうとされることは関係ないのでは?」
「メレディスだけではない。ジェラルドも、儂を差し置いて御使いの守護を受けるなど……」
「御使いの、守護?」
 何の話かよくわからないけれど、恐らくカノン様が白騎士団に預けられた理由はそこにあるだろうことは私にもわかった。そして、それがヒューイ様にとっては非常に面白くなかったことも。
「それに、儂は御使いを害そうなどという気はないぞ? ただ、儂がジェラルドの代わりに守護してやろうと思っておるだけだ。ついでに、メレディスの溺愛している娘を傷物にできれば万々歳というところだな」
「……騎士団長にもなられる方なら、もっと器が大きいと思っていましたけど」
 つまらない嫉妬。つまらない功名心。今のヒューイ様の中にはそんな醜いものばかりしかないようだった。立場ある方なだけに嘆かわしい。
 揶揄するように嗤った私に、ヒューイ様が片眉を上げ、口元を嫌らしく歪める。
「父親に似て口が減らないようだな」
「ええ。それと、父と同じく騎士の品位を落とすような真似だけはいたしません。貴方とは違って」
「小娘が!」
 ヒューイ様の怒声と同時に、それまで私たちのやりとりを黙って見ていた赤騎士団員たちが一斉に動き始めた。
 もう無理かと思ったその時、左肩から流れた鮮血が雨に溶けて地面に広がっていくのを目にする。直後閃いた私は最後の賭けに出た。
「ストラムの舞、フラムの歌。縒りて合わさり、天に届かん!」
 その詠唱は、普段は絶対に使うことのない風と炎の合成魔術。雨の所為で火力は多少落ちるものの、この場にいる魔術耐性の低い騎士を一掃するには充分な威力があるものだった。
 ごうと唸りを上げて炎をはらんだ嵐が巻き起こる。苛烈な炎嵐は予想通りほとんどの騎士たちを薙ぎ倒し、焼いていった。
 がくんと、地面に膝が落ちる。合成魔術は、通常の魔術とは比べものにならないほど精神力と体力を奪っていくもの。だから、本当にどうしようもないとき以外には使うなと魔術の師からも言われていた。今まさしくそれを実感する。
「カノン様……」
 視界が霞みそうになりながらもカノン様を見やると、防御壁の向こうで今にも泣きそうな顔でこちらを見ているのがわかった。
 いつも通り、安心させるように笑みを作る。
「……今、そちらに行きますから」
「行くのは御使いの元ではなくあの世だ、小娘」
 呪詛にも似た低い声が降ってきたかと思うと、背中から腹にかけて灼熱が襲った。
「うあああっ!」
 口から迸る悲鳴を、どこか他人事のように聴く。乱暴に剣を引き抜かれ、傷がさらに広がった。
「合成魔術まで使えるとはな。あの方から頂いた防魔の腕輪がなければ危なかったぞ」
 防魔の腕輪? まさか、ヒューイ様がそんなものまで周到に用意しているとは思いもしなかった。完全な私の失策だ。
 それでも、私はカノン様を守らなくてはいけない。何としてでも、カノン様だけは。
 そう思うのに、痛みで体が全くいうことをきいてくれない。指一本動かすことすら叶わなかった。
「このまま放っておいてもいいのだが、苦しませるのも可哀想だ。すぐに楽にしてやる。メレディスの顔が今から見物だな」
 ひゅっと剣が空を切る音が聴こえる。わざと聴こえるように勢いよく振り上げたのだろう。どこまでも陰湿な性格をしているものだと感心するほどだった。
「安心しろ。そのうちすぐにメレディスやジェラルドも送ってやる。ああ、婚約者だというジェラルドの息子も一緒にな」
 レオンさんのことを持ち出され、頭の中に難しそうな表情をした彼が思い浮かぶ。
 レオンさんは、少しくらいは悲しんでくれるだろうか。それとも、カノン様を守り切れない私に怒りを覚えるだろうか。
 きっと、怒りを覚えながらも多少は悲しんでくれるだろう。あの人は優しい人だから。
 そう思うと、少し救われる気がして、こんなときなのに微かな笑みが浮かぶ。
 そうして私は、もう一度空気を裂く剣の音を聴くこともなく意識を手放した。

▼栞を挟む

page top