風にゆれる かなしの花

第一幕 風にゆれる かなしの花 [06]

 あの日以来、カノン様の部屋には毎日アネモネが飾られるようになった。いつも赤ばかりではなくなったけれど、あの花が飾られることが私の胸を苛むことに変わりはない。
 それでも表向きはいつも通り変わらぬ態度でカノン様に仕え、レオンさんに従う。時折レオンさんは何か言いたげにこちらを見ていることがあったけれど、話しかけられたりすれば感情を抑えられなくなりそうで、二人きりになることのないようにアルやクラウス様の仕事を進んで手伝った。

 そうしてカノン様とのお忍び城外案内の日。
 いつもの騎士団の制服ではなく、地味な町娘らしい若草色のワンピースを身にまとって私はカノン様とともに宮城の裏門から外へ出た。もちろん、ワンピースの中には小剣を隠し持っている。愛用の双剣でないのは少々心許ないけれど、ちょっとした小悪党くらいなら問題なく対処できるだろう。
 カノン様に用意されたのは、私と同じく質素な臙脂のワンピース。カノン様の黒髪は目立つだろうからと、頭にはスカーフを巻かれていた。
「カノン様、決して私から離れないでくださいね」
「わかっています。でも、嬉しいわ。セラとお出かけなんて。どうせならレオンやアルヴィンやクラウスも一緒に来られれば良かったのに」
「そんな大人数じゃ目立ってしょうがないじゃないですか。それに、レオンさんやクラウス様は皇家の血を引いておられるのでかなりの有名人なんですよ。その上あの容姿なんですから、余計に人目を引くに決まっているでしょう」
 はしゃぐカノン様を嗜めながら、改めてレオンさんと私では釣り合わないことを実感する。
 レオンさんの亡くなられたお母様は、現聖帝ネイト様の奥方で聖妃であるライラ様の妹・ラティ様だった。ラティ様ご自身も先々代の聖帝陛下を祖父に持っているので、れっきとした皇女様である。
 ラティ様が降嫁されたので扱いは違うけれど、もしジェラルド様が婿入りされていたならレオンさんも皇家の一員となっていたはずなのだ。
 対して私の家柄は代々続く騎士の家系。遡っていけば初代のベルツ様にお仕えし、右腕とまで呼ばれた人がいるらしいけれど、それでもやっぱり『たかが騎士』でしかない。
 エスクァーヴ家もアクアス家も爵位は同じ伯爵位だけれど、血統としては大きな差があるのだった。
「ねえ、セラ」
 考え込んでしまっていた私に、カノン様が案じるような色を滲ませながら少し控えめに声を掛けてきた。その視線は相変わらず妹を気遣う姉のようで、息苦しさを感じる。
「何ですか?」
「レオンと喧嘩でもした?」
「……まさか」
 思いがけない問いに、息が詰まりそうになりながらも何とか笑顔で返した。けれど、カノン様はますます表情を曇らせてしまう。
 ――貴女が、そんな顔しないでよ。
 私とレオンさんのことなんて、カノン様には全く関係のないことなのに。それとも、レオンさんと私の仲を疑いでもしているのだろうか?
「でも、レオンが少し落ち込んでいたわ」
 ああ、なんだ。そういうことか。
 カノン様が心配しているのは私のことじゃない。レオンさんのことだ。レオンさんが落ち込んでいる姿を見たくないから、私と何かあったのなら仲直りをしてほしいと、そういうことなのだ。
「安心してください。喧嘩なんてしていないですし、そもそも喧嘩するほど親しくもないですから」
「セラ……」
 もうここまでくると、悲しいとか苦しいを通り越して笑えてくる。どこまでいっても私は『形だけ』。『親が勝手に決めただけ』の婚約者。その一方で、添い遂げられるかどうかはともかく、レオンさんはカノン様と両想いなのだ。
「カノン様、どのような場所を見てみたいですか? 危険な場所でなければ、どこにでもお連れしますよ」
「セラは? どこか行きたい場所はないの?」
 まだ私を気にするようなカノン様に、今度は苦笑が洩れた。本当にどこまでもお優しい方だ。レオンさんが惹かれるのも無理もない。
「……カノン様、私が行きたい場所に行ってどうするんですか」
「だって、まだこの世界のことはよくわかっていないし……」
「ならば……そうですね。少し入用のものもありますし、銀細工の店でも覗いてみますか?」
「銀細工? それは是非見てみたいわ」
 女性ならば装飾品の類は嫌いではないはずと提案すると、予想通りカノン様は満面の笑みで賛成してくれた。
 私としても、少し前にレオンさんに貸したネックレスのチェーンはまだ返してもらっていないし、いい加減外したままのトップの石を何とかしたかったのだ。
 そういえば、チェーンを直すにしろ新しく購入するにしろ、それほど時間がかかるものでもない。それなのにどうしてまだ返ってきていないのだろうか。律儀なレオンさんらしくないなと思ったけれど、よくよく考えれば私がレオンさんと二人にならないようにしていた所為だと気づいた。
 どうせ返されたとしても、私はそれを二度と身に着けたくはない。あの人が短い間でも身に着けていたものだと思うと、きっとどうしようもなくやるせなくなってしまうから。城に戻ったら、あのチェーンは捨ててくれて構わないと言っておこう。そうすれば、レオンさんの手を余計に煩わせることもないはずだ。
 行きつけの銀細工の店に入り、まずは店主に新しいチェーンを出してくれるようにお願いする。その間、カノン様は真っ黒な瞳をキラキラと輝かせて、繊細な銀細工たちを眺めていた。
「カノン様、何かお気に召したものはありますか?」
「どれも素敵で、見ているだけで目の保養になるわ」
「あまり高価なものでなければ、私がお贈りいたしますよ」
「それは悪いわ。いつもお世話になっているのは私の方だもの。むしろこちらがプレゼントしたいくらいなのに。ほら、これとかセラによく似合いそう」
 そう言ってカノン様が手にしたのは、小さな花の形のピアス。花芯の部分には翠色の小粒の石が嵌め込まれている。
「ですから、そういう可愛らしいものは私よりもカノン様の方がずっとお似合いですよ」
「あら、私の見立てが間違っているとでも言いたいの?」
 不満げに眉を顰めるカノン様は、歳よりもずっと幼く見えた。実際の年齢を聞いたところ、驚いたことに私よりも十以上も年上だったのだ。それなのに時折こんな風に可愛らしさを見せつけられると、本当にこの世は不公平なのだなと思わずにはいられない。
「そういうわけではないですけど」
「セラはもう少し自覚を持った方がいいと思うわ。知ってる? 騎士団の中には貴女に片想いしている男性が結構な数いるのよ?」
「まさか。そんな物好きはいませんよ」
 あまりにもありえない発言に、呆れ以外の感情が浮かばない。いくら私に自信をつけさせようと思っているからだとしても、もう少し信憑性のある嘘をつけばいいのに。男なんてみんな、カノン様のように可愛らしくて庇護欲をそそるタイプが好きなのだから。
 カノン様こそもう少し男心というものを勉強した方がいいんじゃないだろうか。
 そう、その神秘的な黒い瞳でじっと見つめられて、儚く微笑まれれば落ちない男なんていないだろうことをもう少し自覚すべきである。
 でないと……、レオンさんだって不安になるに決まっているのだから。
「……ああ、セラ。これならどう?」
 またも考え込んでいた私は、カノン様の声でハッと顔を上げる。指し示されていたのは、大きなものから小さなものまで様々なサイズのクワドラートだった。
「これ、お守りのようなものなのでしょう? セラは騎士だから、いつも危険と隣り合わせなのだしちょうどいいんじゃないかしら」
「確かにそうですけど、そうじゃなくて今はカノン様の――」
「それとも、もう大切な方から頂いたりしてる?」
 悪気なくにっこりと浮かべられた笑みと、どこか揶揄するような響きを持った言葉。
 こんなこと、カノン様にだけは訊かれたくなかった。
「……そんなものをくださる方は、私にはいません。カノン様とは違いますから」
「え?」
 何気なく放った言葉だった。けれど、カノン様は一瞬で顔を紅潮させ、それを隠すように視線を床に落とした。
 その反応に、わかりたくもない事実をつけられる。
 カノン様は、『誰か』から贈られたのだ。『大切』と思えるような相手から。そうでなければ「大切な人から頂いたり」なんて表現をするはずがない。
 そして、その『誰か』が誰かなんて、考えなくたってわりきっていた。
 赤いアネモネを選んだ人。いつも一番傍でカノン様を守ってきた人。

『母が亡くなった時に、父から渡された。いずれ大切な人ができたときに渡すようにと』

 彼にとっても、亡き母の形見である品を渡してもいいと思うくらい大切な人がカノン様なのだ。もしカノン様が元の世界に帰ってしまえば、完全に手元から失われてしまうというのに、それでもいいと思えるほどに。
 これほど完膚なきまでに叩きのめされたら、もう諦める以外の道なんてあるはずがない。同時に、悪足掻きのように二人の仲を邪魔するような真似もなけなしのプライドが許さなかった。
 もういい。形だけの婚約者だっていい。
 どんなに望もうとこちらに向くことのない視線ならば、そのまま真っ直ぐにカノン様だけを見つめてくれていればいい。だからもう、今までのような扱いはしなくていいのだと、戻ったらレオンさんにそうお願いしよう。気遣われる度に、私の心臓は軋むだけだから。
 ちょうど奥からチェーンを持ってきた店主に気づき、商品を確認して包んでもらう。そのまま支払いを済ませると、まだ頬に赤みを残したままのカノン様に振り返った。
「カノン様、そろそろ参りましょうか」
「え、ええ……」
 焦ったように手にしていたものをカノン様は元の場所に戻す。それは、中央に黒曜石の嵌まったクワドラートだった。
「それ、貸してください」
「それって……」
「その黒曜石のクワドラートですよ。カノン様も、大切な方にお渡ししたいんでしょう?」
「べ、別に、大切とかそういうわけではなくて……、お、お借りしているだけだから、代わりになればと……」
 せっかく落ち着いていたはずなのに、みるみるうちにカノン様の頬はまた赤く色づいていく。まるであの日のアネモネのようだ。可憐で、健気で、私ですら応援したくなる。
「ほら、貸してください」
「で、でも、セラにお金を払わせるだなんて……」
 カノン様が気に病まれるのも仕方がないだろう。今のカノン様の生活は、全て公費で賄われているのだ。それだけの価値が天の御使いにはあるのだと言われても、カノン様ご自身が受け入れるには抵抗があるに違いない。その上でさらに私個人に負担を掛けることを許せないのだろう。
「気にされるでしたら、もし今後私に何かあった時に、カノン様のお力で助けてくださいな。それでお釣りがくるくらいでしょう?」
 アルを見習って軽い口調でそう返した。そうすれば、きっとカノン様も笑ってくれるだろうと単純に思ったのだ。けれど、予想外にカノン様は少しだけ顔を顰めた。
「セラに何かあった時なんて想像したくないんだけど」
 ぽつりと零した呟きに、カノン様が表情を曇らせた理由を知る。そして自分の言葉の軽率さを知るのだ。騎士にとっての『何かあった時』なんて、身の危険に関わることがほとんどなのだから。
 本当にお優しい方だと実感すると同時に、この方にお仕えできて良かったと思う。そして、レオンさんの好きになった人がカノン様でよかったと。
 カノン様なら、太刀打ちできなくても当然だと素直に認めることができる。もし他の貴族のご令嬢が相手なら、そう簡単に納得はできなかったと思うから。
「カノン様は深く考えすぎですよ。何かって言っても別に身の危険とかそういうんじゃなくてですね。例えば、私が職務中にミスをしたら、こうるさい先輩方から庇っていただくとかでいいんです」
「こうるさいって……レオンのこと? それともアルヴィンのこと?」
「どっちもです。あ、本人たちには内緒ですよ?」
 口元に人差し指を立てて口止めすると、ようやくカノン様は屈託のない笑顔に戻った。ほっとして手を差し出すと、カノン様は先ほどまで手にしていたクワドラートをもう一度丁寧な手つきで摘み上げ、私の手の平の上にそっと置いた。
「喜んでくださるといいですね」
「ありがとう、セラ」
 はにかむカノン様に笑みだけで返し、店主に品を渡して精算を済ませる。店主から小さな革製の袋に入れられたそれを受け取ると、カノン様の手に再び戻した。カノン様は受け取った袋を大事そうに握り締める。まるで、祈りを籠めるかのように。
「せっかくの贈り物なんですから、帰るまでに落とさないように気を付けてくださいね」
「失礼ね。私がそんなに鈍臭いとでも言いたいの?」
「まあ……若干。ドレスの裾を踏んで転びそうになったところを、何度お助けしたことか」
「あ、あれは! 裾の長いドレスなんて着慣れてないからです!」
 今度は別の意味で顔を紅潮させながら抗議するカノン様を、笑ってかわして店の外へと促す。
 
 きっと、あのクワドラートはレオンさんに加護を与えてくれるだろう。何せ、御使いの心からの祈りが籠っているのだから。たとえカノン様がいなくなっても、変わらず守ってくださるはずだ。
 そして、その祈りを支えに、レオンさんはずっと一人で生きていくことになる。ならば私は、カノン様と過ごした日々を分かち合える同士になればいい。思い出は時とともに薄れゆくものだと知っている。
 だから私は、その思い出を繋ぎとめるための楔になろうと、心の中で密やかな誓いを立てた。

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