風にゆれる かなしの花

第一幕 風にゆれる かなしの花 [05]

「城下に、ですか?」
「ああ。カノン様も宮城内に籠ってばかりだと息抜きすることもできないだろう。こちらの世界のことを知りたいとも仰っていたし、それに随分とセラのことを気に入っているようだしな」
 ジェラルド様の呼び出しというのは、お忍びでカノン様に城下を案内してほしいというものだった。
「あの、でもさすがに私一人では危険かと」
「もちろん、離れた場所から数人の護衛をつけるし、城下にも私服の者を配置する予定だ。レオンも心配するだろうしな」
 ぽろりとジェラルド様が零した本音が胸に突き刺さる。つまり、ジェラルド様にもレオンさんのカノン様に対する想いは明らかなものなのだ。
「カノン様には、セラと二人だけで出かけられることになったと伝えるつもりだ。その方が気兼ねしなくていいだろうからな。セラも周りが男ばかりでむさ苦しいだろう。たまには女性同士で楽しんできなさい」
「……ありがとうございます」
 ジェラルド様なりに、私にも気を遣ってくださったのだろう。けれどジェラルド様も心中複雑なはずだ。ジェラルド様の子どもはレオンさん一人だけ。その唯一の継嗣が恋をした相手は決して結ばれることのない女性なのだから。
「セラ」
「はい、何でしょうか」
「何かあったのか? あまり元気がないようだ」
 レオンさんどころか、関わりが多くはないジェラルド様にまで心配されてしまった。
 こんなに簡単に自分の心のうちを悟られてしまうだなんて未熟にもほどがあるだろう。気持ちを切り替え、改めてジェラルド様にしっかりとした笑顔を向けた。
「ご心配、ありがとうございます。けれど、特に何かあったというわけではありません。カノン様の護衛もしっかり務めますのでご安心ください」
「……そうか。私の気の所為ならいいんだ。しかし、もし何か不安を抱えているのならば、気兼ねせず私やレオンを頼りなさい」
「はい。わかっています」
 泣きたくなる気持ちを押し殺し、最後まで笑みを湛えて答え、執務室を後にする。
 わかっている。ジェラルド様やレオンさんが私を大切に扱ってくれていることくらい。それでも、ジェラルド様はともかくレオンさんにはもう頼れない。
 沈んでいくばかりの気持ちを呑みこんで、いつも通り騎士らしい毅然とした態度を身にまとった。カノン様の傍にはレオンさんとアルがいるから大丈夫だろう。私は先に部屋に戻ってカノン様のお戻りを待つことにした。
 陛下との謁見は気を遣われただろうから、戻られたらリラックスできるようにお茶でも用意しておいた方がいいかもしれない。いくら淑女としての嗜みが他の貴族の令嬢に比べて劣っているとしても、お茶くらいなら淹れられるし、母から仕込まれているからそれなりに自信もあった。
 部屋に戻りティーセットを用意していると、扉を開く音がする。カノン様がお戻りになったのだと思い出迎えようとすると、入ってきたのはアル一人だった。
「アル? カノン様は?」
 他に誰もいないとわかったから、いつも通りの砕けた口調に戻る。
「少し庭の花を見たいと言われてな。レオンがついてる」
「……そう。じゃあ、戻られるのはもう少し後になりそうね」
 温め始めていたティーポットのお湯を一旦捨てながら、声が震えそうになるのを何とか堪えた。
 カノン様とレオンさんが二人きりでいる。外の空気を吸いたかったのだろうけど、そこでどうしてわざわざアルだけ返すのだろう。
 ――もしかして、カノン様も……。
 見知らぬ世界に突然放り込まれ、たいそう不安だったとカノン様は以前洩らしていた。
 そんな中で常に傍で自分を守り優しく接してくれるレオンさんに惹かれたって別におかしくはない。しかも、レオンさんは誰が見ても認めるほど整った容姿と卓越した剣術を持っているのだから。
「セラ」
 背後から、珍しく案じるようなアルの声が届く。長い付き合いのアルのことだ。きっと私の気持ちなんか容易に見透かしているだろう。いつもみたいに茶化してくれればいいのに、こういうときに限ってアルは優しいから嫌になる。
「あんまり我慢すんな。おまえの悪い癖だ」
「アル……」
 くしゃりと髪を撫でられ、不覚にも涙が溢れそうになった。慌てて滲んだ涙を袖口で拭い、顔を上げる。
「……あとで、付き合って」
「わかった。おまえの好きなワイルドベリーのタルト用意しててやるよ」
「……この間口説いてたカノン様付きの女官に作らせるつもり?」
「お? よくわかったな。あの子、なかなかお菓子作るの上手いんだぜ」
「まったく……。今度はちゃんと長続きさせなさいよ?」
「さあ、それは向こう次第だしなぁ」
 最低、と呟きながらも、いつも通りのおちゃらけた様を演じてくれるアルに、ようやく自然に笑うことができるようになった。悔しいからありがとうだなんて言わないけれど、多分それすらもアルはわかっているだろう。
「どうせならそのタルト、今用意してもらえればよかったのに。カノン様にお茶淹れようと思っていたところだから」
「今からタルトは無理だろうなぁ。何か茶菓子がないか訊いてきてやるよ」
「そのまま戻ってこない、なんてことにならないでね」
 この男なら女性を口説いていて戻ってこないなんてこともありうるから、けっして冗談ではない。さらに言えば、口説く相手が先日と同じだとは限らないのがアルがアルたる所以だろう。友人として付き合う分にはいいけれど、絶対に恋愛や結婚はしたくないタイプだ。
 適当な返事を返しながらアルが部屋を出ようとする。しかしドアノブを握った瞬間、その扉が開いた。アルはそのまま手前に引っ張り出されるような少々間の抜けた格好になる。
「あ、ごめんなさい!」
「いえ、大丈夫ですよ」
 慌てて謝るカノン様に、アルはすぐさまにこやかに答えた。さすが、女性に対する変わり身は超一流だ。
「カノン様、お帰りなさいませ。……その花は?」
 レオンさんと一緒に戻ってきたカノン様の手の中には、赤いアネモネの花が数本握られていた。
「花を飾ると、それを見る人の気持ちも華やぐでしょう? だから、庭師の方にお願いして少し譲っていただいたの」
「そうですか。では花瓶を用意しないといけないですね」
 嬉しそうにアネモネを見つめるカノン様は本当に可憐だ。黒髪に花びらの深紅がよく映えて、そのまま肖像画にして飾りたいほどだった。
「なら、菓子を頼むついでに俺が頼んできますよ。花、貸してください」
「お願いします」
 アネモネをカノン様から受け取って、アルが部屋を出ていく。アルが引き受けてくれてよかった。あんな可愛らしい花、カノン様のように似合う方から渡されたら惨めで仕方がないから。
「では、私はお茶を準備いたしますね。カノン様はお疲れでしょうから、ごゆっくりなさっていてください」
「ありがとう、セラ」
 カノン様の微笑みを受け取ると、私はもう一度お茶の準備をやり直す。一通り準備を終えてティーセットを持って戻ると、レオンさんがこっそり盗み見るようにこちらを窺っていることに気づいた。その頬がほんのり赤くなっているように見える。
 もしかすると、何か私には聴かれたくないようなことをカノン様と話していたのかもしれない。そう思うだけでまたどす黒い感情がわき上がりそうになる。
 それを振り払うように、私はカップをセットしながら、カノン様に話しかけた。
「それにしても、どうして赤のアネモネばかり頂いてきたんですか? 確か白や紫も一緒に植えてあったかと思いますが」
「レオンが、赤は人を元気にする色だからって選んでくれたのよ」
 レオンさんが、選んだ。その言葉にカップを取り落としそうになる。何とかそんな失態を犯さずには済んだけれど、私は大きな失敗をしてしまったことを自覚した。
 迂闊だった。カノン様が持っていたから、当然カノン様自身が花を選んだものだと思ったのだ。けれど、その花を選んだのがレオンさんだったということには大きな意味が隠されている。
 赤いアネモネの花言葉は、『君を愛す』。
 レオンさんのカノン様に対する気持ちの表れでしかなかった。
 そんな花がこの部屋に飾られているのを、私は平気な顔で見ていられる自信がない。アルが帰ってくるまでに立ち去りたい気持ちでいっぱいになった。
「セラは、花は好き?」
「……そうですね。母が花好きなので、必然的に」
 無邪気に問いかけてくるカノン様に、視線は手元のカップとポットへと向けたまま返す。
 本当はさほど好きではないとはさすがに言えなかった。
「どんな花が好きなのかしら?」
「どんな……ですか。そうですね……。コリウスとか好きですね」
 ふと思い浮かんだのは、生家の庭のアネモネの奥に植えられていた葉の色が鮮やかな植物。花よりも葉の方が目立つコリウスは、葉の美しさを楽しむ植物だ。花自身はひっそりと目立たない、如何にも脇役な、私にはお似合いの花。
「セラって若いのに好みが渋いのね」
「そうですか? コリウスだって花は控えめですけど可愛いですよ。それに、アネモネみたいな可愛らしい花は、カノン様のような方にしか似合いませんからね」
「そんなことないわ。それにコリウスの花言葉って『かなわぬ恋』よ? そんな淋しい花はセラには不似合いじゃないかしら」
 ねえ、とカノン様はレオンさんに同意を求める。そこには悪意など欠片もなくて、それどころか本気でそう思っているのだとありありとわかった。
 レオンさんはそれに対してどう答えればいいのかわからないのか、視線をあちこちに彷徨わせている。
「なら、なおさら私にはぴったりだと思いますよ」
 もうどうしようもないことくらい自分でもわかっているのだ。だから、これくらいの嫌味を言ったって構わないだろう。性格の悪い女だと嫌われた方がいっそ楽なくらいだ。
 精一杯の強がりで笑ってみせると、レオンさんは一瞬ひどく傷ついたような表情をした。
 ――どうして貴方がそんな顔をするのよ。
 傷ついているのはこっちの方だ。そう詰ってやりたいけれど、そんなことレオンさんにしてみれば知ったことではないだろう。
 私は所詮、『親同士が勝手に決めただけの婚約者』でしかないんだから。
「アルヴィンさん、遅いですね。ちょっと様子を見てきます。どうせまた女性を口説いているに違いありませんから」
 お茶を淹れたカップをカノン様の前に置くと、アルを理由に部屋を出る。これ以上、カノン様とレオンさんのいる空間にいるのが耐えられなかった。
 けれど、少しでも時間を稼ぎたくてわざとゆっくり歩いていたのに、正面から綺麗に活けられたアネモネの花瓶を持ったアルが近づいてくる。
「セラ?」
「アルヴィンさん、遅いですよ。カノン様が待ちくたびれておられます」
 八つ当たりのように冷えた口調でそう告げると、アルはあからさまに顔を顰めた。そして答える代わりに私を片腕で引き寄せる。広い胸板に顔を押し付けられまともに話せないでいると、アルは近くを通りかかった女官を呼び止めた。
「済まないがこれをカノン様のお部屋に持って行ってくれないか? それとセラの具合が悪くなったから寄宿舎に戻らせると伝言も頼む」
「はい、わかりました」
「え、ちょっと、アル」
「いいから黙ってついて来い」
 強引に肩を抱くようにしてアルに連れて行かれる。すれ違う人たちが好奇の目を向けてくるけれど、アルはお構いなしだった。
 そのまま足早に離れから騎士の執務棟を抜け、寄宿舎の私の部屋に辿り着くと、アルはようやく私の体を放してくれた。
「アル、一体何なの? 私は別に具合悪くなんて――」
「今にも泣きそうな顔してるくせに何言ってんだ」
「……泣きそうに、なんて……」
 否定は、しきれなかった。泣きたくないとは思っていたけれど、今にも涙腺は決壊しそうだ。
「おまえ、最近変だぞ? レオンと何かあったのか?」
 アルの言葉に首を横に振る。
 レオンさんとは何も変わりはない。むしろ、何かあるほど親密な関係ですらないのだ。
 ただ単に私が勝手に想いを寄せて、勝手に失恋しただけの話なのだから。
「おまえさ、少しはレオンを頼ってやれよ。いずれは結婚するんだぞ? 今からそうやって無理して意地張ってたら、上手くいくもんもいかなくなるだろうが」
「……そっか、そうだね」
 アルの心配は伝わってきたけれど、私はますます暗い気分に塗り潰されていった。
 いずれは結婚する。そうかもしれない。カノン様はこちらの世界に留まることは許されないのだから、レオンさんは添い遂げることなんて叶わないだろう。
 けれど、カノン様が元の世界に帰ってしまうのはどれだけ先の話なのだろうか。
 天の御使いの中には、数か月で去った方もいれば、十数年滞在した方もいると言われてる。カノン様が後者になる可能性だって充分あるのだ。
 もし予定通りレオンさんと私が結婚することになったとして、カノン様が目の前にいる状態で彼に気持ちが断ち切れるとは思えなかった。
 ならば、私はカノン様を思い続けるレオンさんを一番近くで見続けなければならないのだ。何という拷問だろうか。考えるだけで胃の辺りがきりきりと痛んでくるようだ。
「セラ」
「ごめん、アル。ちょっと本当に気分悪い。休ませて」
「……わかった。けど、本当に近いうちにちゃんとレオンと話せよ。あいつ、かなり心配していたぞ」
 念押しして部屋を出ていくアルに、形ばかりの了承の言葉を返す。けれど、レオンさんと話す気なんて私には欠片もなかった。
 そんなことをして、平気でいられるわけがない。それ以前に、レオンさんとカノン様が一緒にいる場に居合わせるだけで、私の精神力はこれでもかと削られていくのだ。
 だから私はただ、どこまでも他人事の顔でいることに全精力を注ぐしかないと知っている。
 それだけが、唯一私にできる抵抗だった。

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