風にゆれる かなしの花

第一幕 風にゆれる かなしの花 [03]

 レオン様の腫れ物に触るような態度は相変わらずなまま、そのストレスと戦いながら過ごす日々が続いた。
 けれど、配属されて十日ほど経った頃、とうとう私には堪えきれない出来事が起こった。
 城下の巡回中、柄の悪い連中に襲われている商人を見つけて私たちは助けに入った。その際に、賊の振るった刃から私を庇い、レオン様は負傷したのだ。
 彼の傷はほんのかすり傷で、大袈裟に騒ぐほどのものでもなかった。けれど、私はそれ以上に自分のプライドが傷ついた。
 私は騎士だ。守られる側ではなく、守る側なのだ。それに、あの時の剣筋ならば多少傷は負ったとしても致命傷は確実に避けられた。それこそ、レオン様の負傷と大差ない程度で終わるはずだった。
 それなのに、彼は私を庇ったのだ。私を、『守られるべきお嬢様』のように扱った。
 我慢できなくなった私は、城に戻り報告書を提出したレオン様を人気のない裏庭まで呼び出した。
「いい加減、馬鹿にするのはやめていただけませんか?」
 いつもは何とか取り繕っていた態度は全部放棄し、全身で嫌悪感を露わにする。それにレオン様は戸惑ってはいるが、私の怒りの原因はさっぱり思い当たらないようだった。
「どういう意味だ? 私は君を馬鹿にした覚えなどないが」
 綺麗な顔は多少顰めても綺麗なものに変わりはないらしい。それがまた癪に障る。
「いくら新人とはいえ、士官学校を首席で卒業した程度に剣術の嗜みはあるつもりです。それなのにあの状況で私を庇うなんて、馬鹿にしているのでなければ何なんですか?」
「そ、それは……」
 明らかに動揺しているレオン様に、図星だったのだと確信する。やっぱり私のことを見下していたのだと思うと、どす黒い気持ちが一気に噴き出した。
「レオン様から見れば、私の剣術など児戯に等しいということですか?」
 嫌味たっぷりにそう嗤うと、予想外にレオン様は慌てて否定の言葉を発した。
「違う! そんなことは思っていない! 君の剣術の腕前はその辺の男よりもよほど上だとわかっている!」
「ならどうし――」
「すまない!」
 私の問いを遮って、レオン様は頭を下げる。そうして顔を上げると、今度は視線をそらしながら言いにくそうに口を開いた。
「その……、女性の扱いがよくわからないんだ」
「は?」
 思ってもみなかった言葉に、間抜けな疑問の声が零れる。よくよく見ると、レオン様の頬が何故かうっすらと赤くなっていた。
 えっと、これはその、もしかして照れている、のだろうか?
「だから……、その、身内や親しい親類に同年代の女性はいないし、士官学校だって女性がほとんどいないことは君も知っているだろう。だから、どう接すればいいのかわからなくて、だな……」
 つまりは、女慣れしていないから、できる限り優しく扱わないといけないと思ったと?
 確かに、ジェラルド様なら女性には優しくするものだなんて教育してそうだし、アル曰く堅物らしい彼が素直にそれを実践しようとしてもおかしくはない。
 だが、私はその辺のか弱いお嬢様とは違うのだ。それを彼は理解していない。
「別に女扱いしていただく必要はないんですけど。他の新人騎士と同じようにしてくだされば」
 私が多くを望んでいるとは思わない。とりあえず『お嬢様』でなく『騎士』として接してほしいというだけなのだから。
 けれど――。
「他と同じなんてできるわけがないだろう。他の奴らは君みたいに華奢でもないし、綺麗でもない」
「き……な、何を仰っているんですか!」
 突然飛び出した褒め言葉に、頭の中が真っ白になった。
 『綺麗』? 誰が? ……私が!? 何を真顔でこの人は言っているの!? 目が節穴なんじゃない!?
「と、とにかく、俺は君の能力に疑問を持っているわけではない。他の新人と同じように扱えと言うならばそうできるように努力はする。だが、慣れるまでもう少し時間をくれ」
 レオン様も自分自身の発言に恥ずかしくなったのか、先ほど以上に真っ赤になって早口でまくしたて、こちらに背を向けてしまう。
 いや、そんな態度を取られるとこっちも恥ずかしいんですけど! あのクールなレオン様はどこにいったんですか!
 そう問い詰めたい衝動に駆られていると、そのままレオン様は立ち去ろうとする。
「え、あの! レオン様!」
 思わず呼び止めてしまうと、レオン様は少し困ったような表情で振り返った。
「……それと、その様づけはやめてくれないか。俺もまだ騎士としては二年目で、君と変わらない下っ端だ」
 少しだけ苦味を伴った笑みを浮かべる彼に驚きつつ、少し考えて返事を返す。
「わかりました、レオンさん」
 さすがに目上の人に呼び捨てなどはできない。一番無難だろうと思って選んだ呼び方に、ふわりと彼の表情が綻んだ。今までに一度も見たことがない柔らかな微笑み。
 思わず目を奪われ、鼓動が速くなるのを自覚した。
 レオン様改めレオンさんはまだ少し紅潮した頬のまま、足早にその場を後にする。
 残された私はその場で顔を覆ってしゃがみこんでしまった。レオンさんのがうつったかのように、触れた頬は火照っている。
「やめてよもう……。調子狂うじゃない……」
 あんな笑顔は卑怯だ。ただでさえとてつもない美形でこちらは手も足も出ないのに、それをわかった上でのあの笑みなら狡いにもほどがある。
「……これだから、美形なんて嫌いよ」
 そんな風に悪態をついてみても、私の鼓動はなかなかいつも通りのテンポには戻ってくれなかった。

 そんなこともあり、その日からレオンさんは以前ほど過剰に私を守ろうとするようなことはなくなった。
 指導が親切なことに変わりはないけれど、もともと生真面目で案外面倒見のいい性格らしい。他の新人騎士たちへの接し方を見ていて自然とそう理解した。アルが悪い奴じゃないと言っていたのも間違いではなかったらしい。
 青騎士団長メレディス・エスクァーヴの娘。私はその事実の所為で色眼鏡で見られることを嫌っていたのに、そんな私自身が彼を色眼鏡で見ていたのだ。
 ジェラルド様の息子なのだから、優しく穏やかであってほしい。けれど、母を亡くしたときですら泣かなかった彼は、家族の情すら薄い冷血な人なのだと。
 おそらく、レオンさん自身も騎士団長と元皇女の息子というだけで勝手なことばかり言われてきたのだろう。それこそ、七光りだなんだと。冷酷だなどという噂も、彼の能力を妬んだものが流したのかもしれない。
 けれど、彼は私のように素性を隠したりもせず、真正面からそれを受け止めた。そうして誰にも文句を言われないように自分自身を磨き続けたからこそ、あれほどの剣技を身につけ、史上稀に見る逸材として騎士団入りすることになったのだ。きっと、私とあの人の強さの違いはそこなのだろう。
 そんな風に努力を重ねてきた人に、勝手なイメージを抱いて嫌っていた自分が恥ずかしい。いくら勝手に決められた婚約に不満を感じていたとはいえ、それはレオンさんだって同じことなのだ。むしろ、私みたいなじゃじゃ馬娘を押し付けられている彼の方が文句を言っていいくらいだ。
「あの、レオンさん」
「何だ?」
「その、今まですみませんでした」
 城下の見回りで二人になった時、思い切って私は切り出した。
 これまでの私の態度は決して良いとは思えなかったからだ。表面的には従順な後輩として振る舞ってはいたけれど、隠し持っていた嫌悪感に気づかないほど鈍感な人ではないだろう。今まで悪意に晒されてきた人ならなおのこと。
 けれど予想通りと言うべきか、レオンさんはどこか気まずそうに眉尻を下げて微笑んだ。
「気にしなくていい。女性は守られるべきだなどと思い込んでいた俺にも非はあるのだし」
 良くも悪くも、この人は素直なのだろう。そして、思っていたよりもずっと懐が広い。目下でしかも女の私にも、何の抵抗もなく頭を下げられるし、自分の非をすんなりと認められる。
 ああ、やっぱりジェラルド様の息子なのだと納得してしまった。そんな風に言われることを、もしかしたら彼は望まないのかもしれないけれど。
「まあ、『守られるべき』くらいならマシな方ですよ。『女は大人しく着飾って笑っていればいい』なんて面と向かって言われたこともありますから」
 あまりレオンさんに気にしてほしくなくて、そんな風に過去の嫌な思い出を冗談めかして話す。
 士官学校に入ってすぐの頃、同期入学の貴族の馬鹿子息にそんな風に言われたことがあった。あろうことかそのご子息は将来自分は騎士団長になる器だとまで宣っていた。隠していたとはいえ、騎士団長の実の娘の目の前で。顔もろくに覚えていないけれど、とりあえず周りに似たような貴族出身の取り巻きを従えていて、不愉快極まりなかったことはしっかりと記憶している。
「……すまない。不快なことを思い出させたようだな」
「え? あの、レオンさんが謝らないでください。レオンさんは別に女だからと見下していたわけじゃないんでしょう? それに、そんなつまらない男は剣術の実技のときに徹底的に潰して憂さ晴らししましたから」
 私の言葉に、一瞬きょとんとしてから、レオンさんはプッと噴き出した。何だ、この人でもこんな風に笑うこともあるんだ。
「……怖いな。俺も憂さ晴らしされないように気を付けることにしよう」
「何言ってるんですか。レオンさん相手になんてしたら、憂さ晴らすどころか勝てなくてイライラ溜まるだけですよ」
「純粋に剣術だけならそうかもしれないが、魔術を使われたらさすがに俺でも敵わないだろう」
「え? 知ってたんですか?」
「訊いてもいないのに、アルヴィンが教えてくれたぞ」
「……ああ、なるほど」
 アルの名前にようやく納得した。
 私はベルティリアでは珍しく、生まれつきかなり魔術の適性が高かった。だから契約している精霊も、風と炎の二属性ある。しかも風の精霊は気紛れ、炎の精霊は気性が激しく、どちらも契約が難しいことで有名だった。二属性持ちだけでも珍しいのに、それが風と炎というだけでも相当稀なのだ。
 だが、それはあまり表立っては知られていない。公に知られない方がいいと判断したのは父だった。強すぎる力は、時に災厄を呼びかねないからと。
「アルヴィンとは、随分仲がいいんだな」
「まあ、アルは幼なじみですから」
 素性を知っているレオンさんに隠す必要はないことだし、素直にそう答える。というか、むしろレオンさんの方が意外にもアルと仲がいいんじゃないだろうか。レオンさんから他の人の名前が出ることなんて滅多にないのだから。
「レオンさんこそ、アルと仲良かったんですね。あんなチャラチャラした男とは合わないかと思ってましたけど」
「……別に、仲がいいわけじゃない。アイツが勝手に構ってくるだけだ」
 返ってきた言葉が、思っていたよりもずっと冷やかな響きを持っていることに驚かされる。もしかして、レオンさんってアルのこと嫌いなんだろうか?
 だとすると、いくら形ばかりとはいえ婚約者の私がアルと仲がいいなんてあまり面白くないのかもしれない。かといって今更幼なじみという関係をなしにすることもできないわけで、上手く言葉を返すことができなかった。
 何となく気まずくなって言葉少なになっているうちに予定されていた巡回経路を一通り回ってしまった。あとは城に戻り、巡回結果の書類を提出しなければならない。
 巡回結果について確認しようとした瞬間、レオンさんが突然足を止めた。
「レオンさん?」
「すまない。ちょっと待ってくれ」
 何故か謝られると、レオンさんはおもむろに自分の襟元少し寛げ、中から何かを手繰り寄せた。その指先に摘ままれていたのは、銀のチェーンのついたクワドラートというお守りだ。そのチェーンが留め具とは違う場所でぷつりと切れていて、クワドラートがかろうじて留め具のところで引っかかっている。
「切れちゃったんですか」
「古いものだからな。気づかずに落とさなくてよかった」
 後半は少し控えめな声で呟く彼の、クワドラートを見つめる視線はどこか切なさに満ちていた。
 よく見ると、繊細な細工が施され、中央には小さいけれど上質な翡翠が嵌められている。既製品ではなく、かなりの腕前を持つ職人にオーダーして作られたものだろう。それこそ、皇家や最上級の貴族にしか許されないほどのものだ。
「もしかして、お母様の形見、ですか?」
「ああ。母が亡くなった時に、父から渡された。いずれ大切な人ができたときに渡すようにと」
 レオンさんは大事そうに形見の品を握り締め、しばらく悩むような素振りをしてから、その手をポケットに入れようとする。私は慌てて「待ってください」とそれを制した。
 レオンさんは少し不思議そうな顔をしながらも言われた通りに動きを止める。私は急いで自分のつけていたネックレスを外し、トップにつけられていた石をポケットに滑り込ませた。そうしてチェーンだけになったものをレオンさんに差し出す。
「これ、使ってください。そのままポケットに入れたりしたら、失くす可能性もありますから」
「だが、君がつけていた石だって……」
「大丈夫です。あれはレオンさんのクワドラートと違って失くしても痛くもかゆくもないものですから。新しいチェーンが手に入れば、返してくださればいいですし」
 断ろうとするレオンさんの手に半ば強引にチェーンを握り込ませ、手を開かせないように上からぎゅっと握った。
「大事なものなんですから。ね?」
「わ、わかった。ありがたく借りるから、その……て、手を……放してくれ……」
 それまでの愁い顔から一転して、レオンさんは真っ赤になり慌てたように視線をそらす。私も遅れて現状を理解し、焦ったようにその手を離した。
「す、すみません」
「い、いや、ありが、とう……」
 紅潮した顔のまま、レオンさんは私の渡したチェーンにクワドラートを通し、もう一度自分の首につける。それを襟元から滑り込ませると、服の上から確かめるようにそれを撫でた。同時に安堵したような柔らかな笑みが浮かぶ。
 それだけのことなのに、妙に気恥ずかしくなり、鼓動が速くなるのがわかった。そんな私の動揺を悟られたくなくて、必死に静めようと思うけれど、胸の高鳴りは言うことをきいてはくれない。
 レオンさんに対して抱いていた嫌悪感や劣等感が消えたのはいいことだとは思う。けれど、代わりに私の中に芽生えたのは、少々厄介な感情。
 そう。私はこのぱっと見はクールで冷血そうな、しかし本当は優しくて少々不器用で純情な婚約者に、特別な好意を持ってしまったのだった。

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