第一幕 あるいは、絵空事 [05]

 けれど、わかってはいても苛立ちはなおも生まれ続け、心の奥底に燻ってしまう。
「それで、サクヤ殿はこれからどうするおつもりですか?」
 アルゼさんの寄越した質問が私の耳に穏やかに届く。
「とりあえずは俺が面倒を見る」
 口を開くよりも早くキースがきっぱりと言い切った。びっくりしたおかげでささくれ立っていた気持ちが綺麗さっぱり吹っ飛ぶ。
「あの、キースは迷惑じゃないの?」
「迷惑なら最初から助けてないぞ」
「でも、正直キースから見たら私って得体が知れないし、そんな人間側に置いてて大丈夫なのかなと……」
 キースやアルゼさんは異世界から来たことを一応認めてくれたけど、周りの人が必ずしも受け入れてくれるとは限らない。キースのところでお世話になるということは、キースの家族も当然いるだろう。その人たちに一体どう説明するつもりなのか、その辺も不安要素だった。
 けれど、私の心配をよそにキースとアルゼさんは顔を見合わせて小さく笑う。何だろう、この反応は。
「もしサクヤが俺に危害を加えようとしたって、簡単にやられるわけがないだろう?」
「あ……まあ、そう、だけど……」
 そういえば、キースはかなり屈強そうな男四人を一瞬で斬り伏せてたくらい強いんだった。
「それに、今は下手に一人でどうにかしようなんて思わない方が身の為です。大人しくキースの傍にいた方が安全ですよ」
 キースの言葉を後押しするように、アルゼさんが続けた言葉にハッとする。そうだ。ここは日本じゃないんだ。言葉は通じるけれど、お金もないし、そもそも常識も違う。日本と同じように考えていたら痛い目に遭う可能性が高いのだ。
 ならば、まずはこの国について知ることから始めないといけない。
「あの、ここって、そんなに治安が悪いんですか?」
 確かここは宮城――お城の中だ。ということは、国の中枢にいるということで、テイトは首都と同じ意味なんじゃないかと思う。首都の治安が悪いとなると、つまりは国自体もかなり荒れてる可能性があるんじゃなかろうか。
「元々悪い方ではないんだが、今はちょっとな……」
「今は?」
 私の疑問に、キースはどことなく歯切れが悪く答える。アルゼさんもそれに頷くだけだ。
「サクヤも、さっき危ない目に遭っただろ?」
「あ……、うん。あの人たち、何?」
「アイツらは、少し前から『革命軍』なんて名乗って、あちらこちらで反乱を起こしているんだ」
「最近、奴らの行動も活発化してきていますしね。とは言っても、帝都内は警備も厚いので、それほど心配しなくてもよいのですが」
 そうか。だから、あの男たちはキースを見て目つきが変わったんだ。言いかえれば、あの男たちはテロリストで、キースたち国を守る自衛官や警察官のようなものだ。
 けれど、そうやって私たちの世界の言葉に置き換えても、正直ぴんとこない。ニュースで外国のテロだとか暴動だとかの映像は見たことあるけれど、多分この世界のそれとはまた違うだろうということしか思い浮かばなかった。
 ただ、一つだけ確実にわかることがある。
 この世界は人の死が近い。
 キースもアルゼさんも騎士――つまりは軍人だ。何かあれば前線に出て戦い、場合によっては自らの手で他者の命を刈り取らなければならない。私を守るために、キースがあの男たちを斬り伏せたように。
『死にたくなくても死んでいくヤツは山ほどいるんだ。死ねば良かったなんて、軽々しく口にするな』
 キースが厳しい口調で叱りつけた理由が、今更ながらによくわかる。
 たくさん亡くしてきたのだろう。部下、同僚、上司。もしかしたら、親しい友人や家族までも。
 その積み重なってきた辛さを、計り知ることなどできなかった。
「そんな顔すんなよ。サクヤ一人くらい、俺が守ってやるから」
 私が反乱軍に対して恐怖を抱いていると勘違いしたのか、キースはお気楽とも言えるような口調で私の頭を撫でる。あまりにも軽い言い方だったので少し呆れたけれど、その反面、キースの芯の強さも感じた。
 いくつもの死を目の当たりにしてきただろうはずなのに、キースには荒んだ部分が見受けられない。それどころか、彼の笑顔には人を安心させるものがある。怯えていたわけではないけれど、妙にほっとしてしまった。
「で、住む場所はいいとして、問題は帰る方法だな。アルゼ、任せた」
「何故私に押しつける」
「おまえの方が知識は豊富だろ」
「調べるのは構わないが、私にも限界があるぞ」
 キースとアルゼさんは普段から仲がいいのだろう。会話からいい意味での馴れ合いが見えて、微笑ましくすらある。
 けれど、元に戻った話題に私は加われなかった。
 帰るべきなのはわかっている。私はこの世界の住人じゃないのだから。
 けれど、帰れば鏡吾のいない世界をより強く実感してしまうだろう。それが怖くて、逃げ出したくなるのだ。
「『アマビト』は記録自体が少ない上に、極秘事項が多いからな。書庫にある史料からわかることは限られているだろう」
「禁書扱い、か」
「そうだ。『アマビト』として限らないならば、転移の魔術の応用的なものがあるかもしれないが……」
「転移みたいな高位魔術、今のこの国にできる奴なんていないだろう。その応用となったら、あのグランディアでも数えるほどしかいないんじゃないのか?」
「そうだろうな。だが、最終的な手段としては考慮に入れておくべきだろう」
 真剣に話し合う二人の表情が、徐々に険しくなっていく。やっぱり、簡単に帰れるわけではないんだろう。
 そして、その方が今の私には好都合だった。
「そんなに一生懸命にならなくてもいいよ」
「サクヤ?」
「私、帰れなくてもいいから」
「何言ってんだ。いいわけないだろ」
「いいの。帰ったって……」
 その先に何が続くのか、言わなくてもキースはわかったようだった。そのまま、返す言葉もなく口を噤む。
 私は立ち上がり、アルゼさんに深々と頭を下げた。
「アルゼさん、色々と考えて下さってありがとうございます。でも、私のことは気にしないで下さい。こっちだろうが向こうだろうが、私には何の違いもないんです」
 そう、変わらない。鏡吾がいないという事実は。
「むしろ、こっちにいる方が気が楽なんです」
 鏡吾と過ごした場所。鏡吾と歩いた道。鏡吾と目指した、夢。
 向こうに帰ってしまえば、そんな思い出の欠片がいたるところに散らばっていて、その度に私の傷を抉ってしまう。そんな凶器だらけの世界に戻るくらいなら、何もないこの世界に留まっている方がいくらかマシだった。
 じゃあ、と短く付け加えると、私は真っ直ぐにドアに向かう。
「サクヤ!」
 すぐにキースがあとに続いてきたけど、私は振り向かずにドアノブを握った。
「キース、助けてくれてありがとう。でも、もう私のことは放っておいていいから」
「はいそうですか、って素直に聞けるわけないだろう」
「いいからほっといて!」
 伸ばされた手をするりとかわして、勢いよく廊下に飛び出した。城の構造なんてわからないから、闇雲に走り抜ける。運がいいのか、足を運ぶ先には人影もなく、行く手を阻まれることも咎めだてられることもなかった。が、キースに追い付かれるのも時間の問題だろう。
 そう思った途端、前方にキースと同じような服を着た男の姿が見えた。このままでは間違いなく捕まえられてしまう。
 目についたのは、開け放たれた窓だった。格子は入っていない。考える間もなく桟に手を掛け、その身を宙に踊らせた。
「サクヤ!」
 焦りと驚きの混じったキースの声を聞きながら、すぐ近くに植えられていた木の枝でワンクッション置いて着地の衝撃を和らげる。が、せっかく上手くいったのに、下りた先に人がいたのは計算外だった。
 飛び降りてきた私を見て、そこにいた男はあからさまに胡散臭そうな視線を向けてきた。仕方ない。いきなり上から降ってくる人間なんて、不審人物以外の何者でもないんだから。
「何だ貴様は」
 切り裂くような冷たさを持ったアイスブルーの瞳を真正面から受けて、私は声もなく立ち尽くす。目の前の男は、圧倒的な威圧感と存在感をまとっていた。
「誰を前にしていると思っている。礼を取ることもできんのか?」
 苛立った様子で男は吐き捨てると、次の瞬間、白銀の輝きが目の前に現れた。それは、ピタリと私の喉の辺りで静止する。
 私の息も、止まった。
「黙っていないで何とか言ったらどうだ」
 私が恐怖で固まっているのをわかっていて、男は馬鹿にするように嗤った。その態度が腹立たしくはあるけど、すぐ喉元に鋭い刃を突き付けられては、声を出せるはずがない。
「口がきけないわけでもあるまい。それとも、貴様の親は話し方すらろくに教えられないほど愚昧なのか?」
 鼻先で嗤われ、我慢ならなくて思い切り睨みつけた。唯我独尊な態度からしてかなりお偉いの立場の人なんだろうけど、そんなの知ったこっちゃない。
 私は自分の両親を尊敬しているし、誇りだと思っている。それを、こんな見ず知らずの相手に貶される覚えはなかった。生まれた腹立たしさは、容易に恐怖を押し退ける。
「……こそ」
「何だ?」
「そっちこそ何様のつもり? 初対面の人に対する口のきき方ってモンを知らないんじゃないの?」
 完全に自分のことは棚上げだ。けれど、こういう俺様なタイプははっきり言って大嫌いだし、人を見下すことに慣れている人間なんてロクな奴じゃないに決まってる。そんな相手に、引く道理はない。
「……正真正銘の馬鹿か」
 片頬をひきつらせるように男が口角を上げた。その瞳に、より一層残忍な光が宿る。柄を握る手に力が籠められ、僅かに動いた切っ先が私の皮膚に触れるか触れないかのギリギリの位置まで近づいた。チクリと痛みが伝わったと感じたのは、事実なのか気の所為なのか。
「お待ちください!」
 そのまま刺し殺されるかと思ったとき、制止を望む声と駆け寄ってくる足音が背後から響いた。キースが私を追ってきたのだ。
「おまえの連れか、キース。どういう素性かは知らんが、育ちが知れるな」
「申し訳ございません! この者は、数刻前に襲われていたところを助けたのです。今は少しばかり取り乱しているだけですので、どうかご容赦を……!」
 キースが私と俺様男の間に割って入り、跪いて許しを請う。男は剣をおろしたものの、表情は冷たいまま変わっていなかった。
 その二人の様子を他人事のように眺める私の脳裏に、不意にとある台詞が浮かぶ。

 ――夢から醒めるにはね、

 それは、かつて出演した芝居の台詞。私の台詞ではなかったし、今までの芝居人生の中ではそれほど思い入れが強い作品でもなかった。それなのに本当にふと、誰かが耳元で囁くかのように、

 ――その夢の中で……ばいいんだよ。

 その声は、再生された。

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©Shinobu Kiyohisa