call,call,call

 外は嵐。ビュウともゴウともつかぬ風の音が間断なく続き、窓を揺らす音と重なる。物の少ない俺の部屋では、ことさらその音が大きく響くような気がした。その所為で、狭いはずのワンルームが妙な寒々しさを感じ、無駄に広くさえ感じる。
 仕事を終えて一人部屋に戻ると、いつもそんな風に感じはするのだが、今日のような天気だと寂しいようなその気分は三割増しだった。
 気を紛らわせるために、冷蔵庫の中から発泡酒を取り出す。ビールは高いから、ちょっとした節約だ。酒を辞めれば更に節約できるけれど、それでも辞められないのは、やっぱり一人でいる寂しさから、なんだろうか。
 プルタブを開けて、風音をBGMに酒を喉に流し込む。その瞬間、風と窓の鳴き声に、電子的な音がかぶさった。
 俺はテーブルの上に放ってあった携帯電話を手に取る。表示されている名前に、自然と口角が上がっていた。
「ほーい。どしたー?」
 浮き立つような気持ちのまま電話に出ると、それが相手――光にも伝わったのか、くすくすと笑う声が届いた。
「おーい、何が面白いんだよー」
『いやいや、相変わらず篤史らしいテンションだなと思って』
 なおも笑い続ける光に、つられるように俺も笑い出していた。
 何が楽しいわけじゃない。何が嬉しいわけじゃない。ただ、今、こんな風に話せることに心が躍っているのだ。
『そっち、どう? 台風直撃してるんじゃないの?』
「おー、すごいぞー。これ聞いてみ」
 電話を自分の耳から離すと、窓の方へと近づける。
 ガタ ガタタタ……。
 そんな音が、電話の向こう側にも聴こえているはずだった。
「すげぇだろー?」
『うん、窓壊れそう』
「いや、さすがにそこまでボロくないぞ、ウチのマンション」
 俺のツッコミに、あはははと明るい笑い声が返る。
 目蓋を閉じれば、携帯片手に顔をくしゃくしゃにして笑う光の顔が思い浮かんだ。
 見慣れていた笑顔。けれど、今は滅多に見ることができないのが、やっぱり寂しい。
「そっちは? さすがにもう治まった?」
『そうだね。まだ風は少し強いけど、今日は青空も覗いてたよ』
 だろうな、と相槌を打つと、少しの沈黙が横たわる。
 電話は、正直得意じゃない。こんな風に言葉に詰まった時、相手が何を考えているのかがわかりづらいから。姿が見えていたら、表情や仕草で少しは想像できるけれど、電話ではその声のトーンから窺うしかできないから。
 それでも切りたいとは思わないのは、相手が光だからだろう。
 簡単には会えない距離にいる光。
 高校生まではずっと一緒にいたのに、今では遠く離れ離れ。眺める景色も、空の色も高さも、空気や水の美しさも、まるで違う場所にいる。
『篤史さ、たまにはおばさんにも電話してやんなよ?』
「え?」
 唐突に少し詰るような言葉が寄越される。ああ、うん、と気のない返事を返すと、今度は大きな溜め息が聞こえた。
『もう。言うだけで行動しないクセに。おばさん、心配してたよー? こっちから連絡しないと、全然電話もしてこない、って』
「あー、まあ、そうだなー」
 事実なだけに誤魔化すように笑うしかなかった。が、ふと疑問が頭を過ぎる。
 今の会話からは、どう考えても光が自分の母親と会っているとしか思えない。けれど、そんな機会があるのだろうか?
「あのさ、おまえいつウチの母親に会ったの?」
『うん? 昨日、仕事帰りに見掛けたから、挨拶したんだけど?』
「あ、そういうことか。元気そうだったか?」
『あのねー。そういうこと訊くくらいなら――』
「あー、わかったわかった! ちゃんと電話しますって!」
 再度責めるような口調になる光の言葉を慌てて遮ると、「絶対だからね」と念を押されてしまった。「はいはい」と半ば投げやりに答えると、「『はい』は一回でいい」とまたも怒られてしまう。
 同じ年のはずなのに、これでは何だか俺が弟のような感じだ。といっても、それは今に始まったことじゃない。俺が地元を離れるずっと前から、光はしっかり者で、頑張り屋で、世話好きで。いつだって俺は世話になりっぱなしで、頭が上がらないのだ。
 けれど、そんな相手だからこそ、時々心配になる。
 今までに何度俺は「頑張り過ぎだ」と言ってきただろうか? きっと両手両足の指を使ったって足りないはずだ。
 それでも側にいられた頃は、無理やり遊びに連れ出したりして息抜きをさせていた。
 だが、今はどうだろう? ちゃんと息抜きをしているだろうか? 仕事でもプライベートでも、根を詰め過ぎていないだろうか?
 考え出せばきりがないほどに、心配が積み上がっていく。
「あのさ」
『何?』
「しんどくなったら……、じゃなくて、しんどくなる前にちゃんと言えよ?」
 電話の向こうで、息を呑むような気配。
 やっぱり、どこか無理をしていたんじゃないだろうか。心配が、また一つ上乗せされる。
 しばらく待つと、軽く息をつくのが聞こえた。
『大丈夫だよ。無理はしてない』
「嘘つけ。俺はおまえのその言葉だけは全面的に信用してないの」
『ひどいなぁ』
「酷くない。何の為に俺がいるのか、ちゃんと考えろよ」
 俺は頼りになる方じゃない。頭だって良い方じゃないし、要領だって良くはない。
 それでも、今電話の向こうにいる頑張り過ぎの相手の支えになりたいという気持ちだけは誰にも負けないと思う。
 が、向こうにはそれが伝わっているのかいないのか、また笑い混じりの声が返った。
『……すごく熱い愛の告白、ありがとう』
 茶化すなよと思ったけれど、自分自身の言った言葉を思い返すと気恥ずかしくて、何も言えない。もしかしたら、光も同じで、だからこそ冗談っぽくしか返せなかったのかもしれなかった。意外に俺たちはそんなところが似ていると思うから。
『でも、本当に大丈夫だよ。こうやってたまに篤史と長電話するだけで、全然違うから』
 それが心からの言葉かどうかは、やはりはっきりと判断はできない。それでも、それを信じるしか今の俺にはできないのも事実だった。
 もし、本当にこんな他愛もない会話ばかりの電話でも光の気持ちが楽になるのならば、幾らでも付き合ってやる。
 そう思うかたわら、本当は俺だって話したいから電話を心待ちにしているだけかもしれない。いや、間違いなくそうなのだ。でないと、苦手な電話でこんなに長く話したりできないのだから。
 そこでふと気付いた。
 いつも電話は俺からでなく光からだ。俺から掛けることもないことはないのだが、圧倒的に光からの方が多い。俺から掛けないのは、つい向こうの都合を気にして、電話を掛けそびれたりするのが原因だった。
 けれど、それは料金面で負担になっているのではないかと遅まきながら気付いたのだった。
「……ちょっと思ったんだけどさ、おまえの電話代、すごいことになってない?」
『あ、それも大丈夫。『指定通話定額』だっけ? 決まった電話番号だけ無料通話になるサービスあるでしょ? あれに篤史の番号指定してあるから』
 『だから気にせず長話できるよ』と、弾んだような声音。
 そういえばそんなサービスあったなと、携帯を買った時のことを思い出した。その時には使わないと思って聞き流していたが、今思うと損をしているような気分になる。せっかく同じ会社の携帯を使っているのだ。利用しない手はないだろう。
『その様子だと、そのサービスあること、すっかり忘れてたでしょ?』
「正解。何か今までの通話料返せって感じ」
『後からでも追加できるサービスだしさ、せっかくだし入っときなよ』
「うん、そうする」
『で、もっと電話してきてね。こっちの都合とか考えなくていいから。深夜でも早朝でも、篤史なら二十四時間受け付けてます』
 まるで通販のCMのように言う光。その言葉から俺が妙な気遣いをしていたこともバレバレだとわかってしまった。本当に、こういうところは光に敵わない。
「んじゃ毎日夜中の三時にかけてやるよ」
『うわー、それって一番嫌な時間。でもそれ、朝が苦手な篤史君の方がつらいんじゃないですかー?』
「うっ、確かにそうだ」
 がっくりとうなだれて認めると、楽しげな笑い声が耳元をくすぐった。それはまるで、すぐ隣に光がいるような錯覚を引き起こさせる。
 いや、きっと傍にいるのだ。空間的には離れているかもしれないけれど、同じ時間の流れに身を置いて、互いを想い合う気持ちがある。心は寄り添っているなんて言い方をしたらクサいけど、それくらい近い場所にいると思うのだ。
 ただ、それでもやっぱり寂しい時は寂しい。
 だから、これからも俺は光の電話を待つだろうし、俺からも掛けるだろう。
「なあ、光」
『うん?』
「俺、明日休み」
『知ってるよ。だから電話したんだし』
「さすが、できた嫁さんだなー」
『誰がいつ嫁になったのさ』
「今俺が決めたー」
『勝手に決めるな』
 迷惑そうに言う光だったが、俺の笑い声につられるように次第に柔らかく変化していく。
 それを聞きながら、次の話題を探り出す。
 さあ、今日は何を話そうか。話したいことなら山のように溜まっている。溜まり過ぎて、何から話せばいいのかわからないくらいだ。
 そして、それと同じくらい光の話も聞きたくて仕方がない。

 大丈夫。焦らなくても夜はまだまだ長いのだ。
 一つ一つ、イラストパズルを塗り潰していくように、ゆっくりと話そう。

call,call,call [fin.] テーマ楽曲:電話 レミオロメン


©Shinobu Kiyohisa