禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

伍 約束 [04]

「さてと、どうしたもんか……」
 出掛けざるを得なくなったのは、仕方がないと割り切れるのだが、危険を承知で一人外出するわけにはいかない。織月からは、どうしてもそういった状況を回避できない場合には、あらかじめ連絡を寄越すようにと言われていた。今回の場合も、そうするのが一番良いのだろう。
 しかし――。
「各務に、何て言えばいいんだよ」
 「今から告白されに行くのでついてきてほしい」などとは口が裂けても言えない。かといって、適当な嘘をついたとしても、状況を見ればすぐにバレることだった。
 もちろん、素直に言ったとしても織月は気にしない可能性だって充分にあるのだが、やはりかつて織月が輝行に告白をしたという事実がひっかかってしまう。
 そう考えている間にも、待ち合わせの時間は刻々と迫ってきている。このままでは埒が明かないと思い、覚悟を決めて携帯電話をもう一度開いた。電話帳を呼び出し、『各務織月』の名前を選択しようとして、ふと思い出したようにそのまま画面を下方にスクロールする。
 辿り着いたのは、『六条院基』の名前。基ならば、もしもの場合にも充分に対処してくれるだろうし、輝行の状況も理解してくれるかもしれない。からかわれる可能性も考えられるが、織月と気まずくなることに比べたら明らかにマシな選択と思えた。
 何とか無難な方法が見つかったと安心しながら電話を掛ける。数回のコール音の後、『どうした?』と案じるような声が聞こえてきた。
 小さく安堵の息を洩らすと、輝行は用件を切り出す。
「あの、ちょっと困ったことになりまして」
『何かあったのか?』
「さっき、電話で呼び出されて、今から出掛けないといけなくなったんです」
『織月には?』
 予想通りの基の質問に、簡潔に「言ってません」とだけ伝えた。しかし、それだけで基は織月に連絡できないような理由があるのだと察してくれたらしい。ふーんと、何か含みのある笑み声が返った。
『織月には言いにくい用事か。ってことは、告白でもされるってところだな』
「うっ……。ま、まだ、そうと決まったわけじゃないですけど」
『でも、相手は女の子なんだろ? いやー、モテるなー、横木は』
「オレより明らかにモテる基先輩には言われたくないですよ」
 楽しげに茶化す基に、輝行は不機嫌な声で答える。しかし、それでも手助けを頼むわけなのだから、あまり強くも言えなかった。
『オレはそんなにモテないって。それより場所は? それから、今からすぐなのか?』
「えーっと、まあ、すぐと言えばすぐですね。あと二十分ほどなんで。場所は近所の樫の木公園ってところなんですけど」
『わかった。十分後くらいにはそっち着けるだろうから、それくらいに家出ろよ。辺りに俺の姿なくても、影から尾行しとくから気にせず行け。相手には誰かと一緒だって知られない方がいいだろ?』
 さすがに基も時間があまりないことを理解したのだろう。それ以上輝行をからかうこともなく、更に状況を考慮した計画を手早く提案した。
 輝行は相槌を打ちながら、相談相手に基を選んだことは正解だったと、自分を褒めたい気分になる。
「ありがとうございます、基先輩。助かりました」
『気にすんな。今の横木に何かあったら、あとあと面倒なのはオレたちの方だし』
「じゃあ、また後で」
『おう。ま、頑張れよ』
 基の応援が何に対するものか一瞬わかりかねるが、それが告白に対する対応についてだと気付き、遅ればせながら反論しようとする。が、既に通話は途切れており、無機質な電子音が繰り返されるだけになっていた。
「……ったく、ああいうところがなければ、申し分なくいい先輩なんだけどなー」
 携帯を閉じると、一応部屋着を着替えることにする。いくら急な呼び出しとはいえ、流石に同級生の異性に会うのにくたびれた服装で行くのも気が引けた。あまりおしゃれに頓着しない輝行ではあるが、それでも年相応に身嗜みなどは気になるものなのだ。
 タンスからTシャツとジーンズを取り出し身につけると、ポケットに財布と携帯だけを押し込んで部屋を出る。そのまま台所で夕飯の後片付けをしている母親に声を掛けた。
「ちょっと出てくるから」
「あら、こんな時間にどこ行くの?」
「さっき陸上部のヤツから電話があってさ。忘れ物してたみたいで、近くまで持ってきてくれるって言うから、取りに行ってくる」
 半分は本当で半分は嘘だったが、それなりに説得力のある言い訳ができたと思っていた。
 ところが、亜紀子は少し訝しむような視線を輝行に向けてくる。居間でテレビを見ていた妹もどこか好奇心に満ちた瞳を笑みの形に歪めていた。
「お兄ちゃん、もしかして彼女に会いに行くのー?」
「はぁ? 陸上部のヤツだって言っただろ?」
「じゃあ、なーんでいちいち着替えてるのー? 男友達だったら、気にせず部屋着で出てるよねー?」
 思わぬ鋭い指摘に、輝行は一瞬言葉に詰まってしまった。確かに相手が男友達ならば、部屋着でも構わず外に出ていただろう。相手が異性だと思ったから着替えたわけだから、陽菜の指摘は的確過ぎたものだった。
「あー、やっぱり彼女に会うんだー!」
「違うって! 彼女なんかいねぇっての!」
「でも、女の子だよねー? 告白とかされちゃったりしてー」
「陽菜、いい加減にしときなさい」
 キャッキャとはしゃぐ陽菜に辟易していると、意外にも怪訝な表情をしていた亜紀子が助け船を出してくれた。そのまま安堵する輝行に優しい笑みを浮かべる。
「輝行、会う子が本当に女の子だったら、ちゃんと家まで送ってあげなさいよ。こんな時間に一人で帰したら危ないんだから」
「……わかってるよ」
 その言葉は相手が女であると肯定してしまうものだったが、もう既に隠すことは無理に等しいので素直に亜紀子の言葉に頷いた。
 それに、送っていったことにすれば、もし何かあった場合――つまり魔や妖に襲撃された時に帰りが遅くなったとしても、誤魔化しがきく。陽菜にからかわれたのは少し余計だったが、結果オーライだった。
 「じゃあ、行ってくる」と言い残して玄関に向かうと、まだからかい足りないのか陽菜が後についてくる。
「何だよ、陽菜」
「ね、ね、本当に彼女じゃないの?」
「違うって」
 しつこい質問にうんざりとした口調で答えると、陽菜はあからさまにがっかりとした表情を見せた。
「なーんだ。なっちゃんが『お姉ちゃんに彼氏ができた』って言ってたから、私も『お兄ちゃんにも彼女できたよー』って言いたかったのに」
「……それ、何か自慢にでもなるのか?」
 自分自身に彼氏彼女ができたと言うのなら自慢するのもわかるが、兄弟に彼氏彼女ができても何の自慢にもならない気がする。
 しかし、どうやら陽菜にとってはそうではないらしく、何故か怒ったように頬を膨らませた。
「だって、なっちゃんのお姉さんの彼氏、すっごいかっこ良かったってなっちゃん言ってたんだもん。なっちゃんのお姉さんもモデルさんみたいでめちゃくちゃ美人だしさ。だからお兄ちゃんにも彼女がいて、その彼女がすっごく綺麗な人だったら対抗できるじゃない」
 輝行にはかなり理解しづらい対抗意識が働いているらしく、説明する陽菜の表情は真剣そのものだった。内心、呆れ返ってはいたのだが、それを表に出すとまた陽菜が怒り出すのは目に見えているので、とりあえず宥めるように頭を撫でてやる。
「はいはい。残念ながらオレには彼女はいないし、今から会う子もごく普通の子だよ。ついでに言うと、ただの同級生で絶対に彼女とかにもならないし」
「むー。じゃあさ、もしお兄ちゃんに彼女出来たら、ちゃんと私にも教えてくれる?」
「別にいいよ。どうせオレに彼女なんてそうそうできないしな。んじゃ、いい加減出ないと間に合わないから行くぞ」
 予定外に陽菜と話してしまった為、少し家を出る時間が遅れてしまっていた。適当に会話を切り上げると、輝行はスニーカーの踵を踏んだまま、陽菜に見送られて家を出る。
 外は蒸し暑い空気に満たされ、風もどこか澱んでいるようだった。
 辺りを窺うが、人影は見えない。それでも、基が約束してくれたからには、どこかから様子を見てくれているだろうと思うと自然と安心できた。そのまま、ゆっくりと公園に向けて歩き出す。
 目的である樫の木公園には、途中急ぎ足にした所為か約束通りの時間に辿り着くことができた。
 小さな児童公園で、さほど敷地面積の広くないこの公園は、昼間は近所の子供たちで賑わっているが、陽が暮れると途端に静けさを呼び寄せる。予想していた通り、今もまったく人気はなかった。古びた外灯が一本立っているだけなので、全体的に薄暗く淋しい雰囲気だ。
 入口から右手には滑り台とジャングルジム、左手には砂場とブランコが設置されていて、ブランコの一つに腰掛ける人影が見えた。暗くて顔はよくわからないが、多分輝行を呼び出した張本人・河野だろう。
 姿を確認すると、妙に緊張が増してきた。思わずゴクリと生唾を飲み込むと、輝行は慎重に一歩を踏み出す。近付いていくにつれ、その姿がはっきりとわかり、河野本人だと認識できるようになる。
 少し俯きがちに待つ河野に、三メートルほど離れた位置から呼び掛けた。声に応じて、河野はゆるりと顔を上げる。
「横木君、来てくれてありがとう」
「いや、それで、話したいことって?」
 できれば告白はされたくないのだが、本題が終わらないといつまで経っても家には帰れない。申し訳ないと思いながらも、輝行はさっさと話を終わらせてしまいたかった。
 河野は、ブランコから立ち上がり、輝行の前へと移動する。恥ずかしさからか、一度は上げた顔をまた伏せてしまっていた。そのまま、なかなか話そうとはしない。
「河野?」
 しばらく我慢強く待っていた輝行だったが、痺れを切らして呼び掛けた。その瞬間、河野の体が揺らぐように前のめりになる。思わず支えようと手を差し出すと、河野の腕がぐいと輝行の首に絡められた。
「え、ちょ、こ、河野!?」
 予想外に思い切り抱きつかれる形になった輝行は、差し出した手をどうすればいいのか分からずにじたばたと上下させるしかできない。
「横木君のことが、ずっと前から好きなの」
 告白の言葉が、吐息ととも首筋ににかかる。ここまで大胆な告白を受けたことのない輝行は、動揺を隠せなかった。
「あ、のさ……、その、オレは今、彼女とか恋愛とか考えられなくって……」
 いつもと同じような断り文句を告げようとするが、なかなか言葉にならない。
「だから、えっと、河野のことは嫌いじゃないんだけど、付き合うとかできないし……」
 それでも何とか自分の意思を伝えると、河野の両肩をぐいと押しやって強引に体を離した。
「だから、ゴメン!」
 そのまま勢いよく頭を下げる。しばらく、沈黙が続いた。河野の反応がわからない輝行は、やがてそろそろと顔を上げて様子を窺う。
 河野は俯いた姿勢で、怒っているのか泣いているのかさっぱりわからなかった。

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