禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

伍 約束 [02]

 輝行と織月が中庭で話している頃、その二人の姿を二階の窓から見下ろしているものがあった。陸上部に所属する女子部員の一人だ。その少女は今大会の選手ではなく、サポートとして参加している部員だった。
 そして――。
(……何で、横木君があんな子と仲良くしてるのよ)
 少女は輝行と同学年であり、輝行に想いを寄せている一人でもあった。しかし、輝行は基本的に恋愛事に疎い。異性と付き合うどうこうよりも、男友達とわいわい騒いでいる方が好きだろうことは、周りの誰の目にも明らかだった。実際、告白してもフラれたという話が少女の耳にもいくつか届いていた。自然と輝行に片想いはするものの、告白はできないでいる女子生徒は多くなる。それは同時に輝行が特定の女生徒と仲良くなることはないとの安心感も与えていた。
 だが、今少女の目の前の光景ではそれが否定されているように見えた。湧き上がってくるのは、「どうして?」という疑問と、一緒にいる織月に対しての嫉妬心だ。
(よりによって、あんな地味で暗そうな子と仲良くしなくたっていいじゃない)
 ギリと奥歯を噛み締める。窓に押し当てている手に知らず力が籠もり、今にも怒りのままに殴りつけてしまいそうだった。
「あ、いたいた。河野ちゃーん」
 少し離れた廊下の先から名前を呼ばれ、少女は振り返る。そこにいたのは同学年の、そして輝行の親友である宮崎隼人だった。
 隼人は輝行と違い、男女問わず仲良く接するタイプではあるが、それでも普段そんなに話す方ではない。わざわざ自分を呼びに来ることに少女は疑問を感じた。
「宮崎君、どうしたの?」
「あのさ、みどりちゃんが探してたよ。何か話があるけど、部屋にいないからって。んで、俺もテル探してるついでに探しますよーってなったわけ」
 輝行の名に、少女は思わず眉を顰め、窓の外へと視線を戻してしまった。そこには、先ほどと変わらずに話し続けている輝行と織月の姿がある。
 少女の視線につられて、隼人も窓の方へと目を向けた。そこに親友の姿を見つけ、更には一緒にいる相手にニヤと笑みを浮かべる。
「あらー、テルってば、こんな時に逢引きなんてやるなぁー。こりゃあ後で詳しい事情を訊いとかないと……」
 からかうネタが出来たとばかりに喜ぶ隼人だったが、少女の方は強張った表情のまま。輝行たちに向けられた視線は暗い憎悪に彩られていた。
「ねえ、宮崎君」
「ん?」
「横木君って、各務さんと仲がいいの?」
「うーん、どうなんだろうなー? テルはその辺はっきりとは教えてくれないしさ。でも、明らかに意識はしてるよなー」
 「あのテルにもとうとう彼女が出来るのかー」と楽しげに語る隼人を後目に、少女は無言で窓際から離れ、歩き出す。
 それに慌てて、隼人は後ろから声を掛けた。
「あ、みどりちゃんはエレベーターホールのとこにいたからねー」
 みどりの居場所をそう教えたが、少女から返事は返らなかった。聞こえているのかが心配になったが、大丈夫だろうと判断し、隼人はもう一度窓の外、ライトアップされたチャペルの側へと視線を落とす。
 いつの間にか織月の姿はなく、今はただ静かに佇む輝行の姿しかなかった。輝行が試合前には一人でイメージトレーニングをすることは知っていたので、今もそれをしているのだろうとすぐに想像がつく。
「さてと、もうちょっと待ったらテルを迎えに行くか」
 今この状況で行けば、輝行の邪魔になることは目に見えている。それに、あの場から去った織月と鉢合わせしてしまうかもしれない。それはそれで隼人としては面白いのだが、輝行にあとで責められても困るので思い止まった。
「しっかし、テルばっか上手くいってズルイなー。おれも郁さんに会いたいぜ」
 自分の恋愛の上手くいかないことを嘆きつつ、隼人は今来たばかりの廊下をもう一度引き返していくのだった。



 静寂に満ちた中庭で、輝行はゆっくりと目を開いた。
 目の前には光に包まれた洒落た造りのチャペル。青々と広がる芝生に、一瞬自分がどこにいるのかを忘れてしまっていた。それほどに自分の内に集中していたのだ。
 しばらくぼんやりとした後、自分が宿泊先のホテルの中庭にいることを思い出す。どれくらいの時間が経ったのかと左腕の時計に目を遣ると、九時半をとうに過ぎていることがわかった。
「っと、さすがにそろそろ戻らないとな」
 もうじきここの照明も落とされ、真っ暗になってしまう。それに自分たちの消灯時間も丁度同じ十時であった。戻らなければ、間違いなくみどりのお説教をくらってしまう。
 もう躓かないようにと足元を気にしながら進み、建物内へと戻るガラスのドアを開けた。それと同時に、聞き慣れた声が自分の名を呼ぶ。隼人がこちらに向かって小走りに向かってきていた。
「あ、わりぃ。もしかして探してたか?」
「んー、まあな。でも、どうせ『いつもの』だろ?」
 わかっていると言わんばかりの隼人に、輝行の表情も綻ぶ。やはり隼人は自分のことを理解してくれるかけがえのない親友なのだと実感した。
(こんな隼人が、敵のはずないじゃないですか)
 心の中で、ここにはいない尊敬する先輩へと語りかけ、隼人と並んで部屋へと戻ろうと歩き出す。が、早く行かなければ消灯時間ぎりぎりになってしまうというのに、隼人の歩む足が遅い。見ると、何だか妙にそわそわとして落ち着きがなかった。
「どうしたんだ? 部屋に戻らないのか?」
「戻るけど、部屋に戻る前に訊いときたいことあってさ」
「何だよ?」
 輝行が促した途端、隼人の表情が妙に嬉しそうになり、好奇心を抑えきれないように瞳を輝かせた。
 その瞬間、ろくでもない質問が来るだろうと輝行は身構える。残念なことに今まで、その予感が外れたことはなかった。
「さっきさ、各務と一緒にいるところ見たんだけどー?」
「あ、あれは……!」
 隼人が期待しているようなことは何もないはずなのだが、そこで狼狽えてしまうのが輝行である。その態度に、隼人はますます表情をニヤけさせた。
「お? 何か進展あったわけ? 告白でもした? それともされた?」
「ちーがーうー! たまたまイメトレしようと思って行ったら各務がいただけだよ!」
「ホントかよー? てか、そんな大チャンスなのに、何もせずに戻ってきたのかー?」
「何もって何だよ! んなことしてる時じゃねえだろうが!」
 陸上馬鹿の輝行らしい言葉に、隼人は納得がいくものの、それでも不服そうだった。チッと舌打ちし、面白くない、と呟く。
「面白くないも何もないだろー? オレも各務も明日走るんだしさ。隼人はまだ本番先だから気楽だろうけど」
「先って言っても明後日だからな! おれだって多少は緊張してるぞ?」
「……それはわかるけど、その緊張ほぐす為にオレを使うなよ」
「あ、バレた?」
 隼人は悪戯が見つかった子供のように空笑いして誤魔化した。それに輝行は溜め息を零すしかできない。
「あ、それともう一個訊きたかったんだけどさ」
「今度は何だ?」
「テル、この間すっげぇ綺麗な子と歩いてただろ?」
「え?」
 次なる隼人の疑問には、咄嗟に反応ができなかった。少し考えて、それが六条院家から織月を送っていった時のことだと思い至る。それ以外に、「すっげぇ綺麗」に当てはまるような人物と出歩いた記憶は皆無なのだ。おそらく、駅から織月の家に着くまでの間をどこかで見られていたということだろう。
「あの子誰? まさか、彼女とかじゃないよな? 各務と二股かけようとか思ってたら、おれ本気で怒るぞー?」
「んなわけねぇだろうが。アイツは……親戚だよ、親戚!」
 彼女が織月と同一人物だと言うわけにもいかず、思いついたまま出まかせを口にした。織月は同じ戻士の血を引くわけだし、あながち間違ってもいないだろう。
 すると隼人はなるほどと納得したのか、しかめっ面をすぐにしまう。それどころか安心したようににこにこ笑顔だ。
「何だ、そっかー。そうだよな、テルに二股なんて器用な真似できるはずないもんな」
「それ以前に、オレと各務は何でもないっての」
「うーん、とりあえず今はそういうことにしといてやるよ。でも、進展したらちゃんと教えろよー?」
 人の話をまったく聞かない隼人に、もはや溜め息すら出てこなかった。
 とにかく、もうすぐ消灯時間が迫っている。部屋に戻ることが先決だと言わんばかりに輝行が足を速めると、隼人もそれに合わせてスピードを上げた。
「それにしてもさ、テルの親戚って本気で美人だったよなー。今度紹介してくれよ」
「郁さんはどうしたんだよ」
「郁さんは別腹!」
「仮にも先輩のお姉さんを食いもんみたいに言うなよ」
 あんまりな隼人の言い様に、輝行は大きく息をつくと、言葉を繋げた。
「だいたい、こんなこと言うのも何だけど、おまえ結構モテるだろ? オレが紹介なんてする必要ないだろうが」
 他の陸上部員などから聞いた話によると、隼人はそれなりに人気があるらしい。輝行から見ても、隼人の顔はそこそこ整っているし、明るく社交的な性格の為に男女問わず好かれやすいタイプだと思う。何度か女の子から呼びだされているのも目撃したことがあるので、告白だってされているはずだろう。
 けれど、何故か隼人は一向に誰かと付き合う気配はない。可愛い女の子がどうのと騒いでいるくせに、その辺りが矛盾しているように感じたのだ。
 そんな輝行の疑問にも、隼人は真面目に答えようとはせず、へらへらと締まりのない表情で笑う。
「いやいやー。輝行君ほどじゃないですよー」
「オレはモテないっての。てか、マジで何で? 誤魔化しても今までに何度もおまえが告白されてることくらい、知ってんだからな」
 ほんのりと怒ったような色を滲ませて問い詰めると、隼人はふっと珍しく穏やかな笑みを浮かべた。そこには何故か寂しげな気配も寄り添っている。
「……実はさ、おれ、昔すっげぇ好きな子がいてさ」
「え?」
 突然の隼人の恋愛話に、輝行は戸惑うばかりだった。普段はふざけて後輩やクラスの女子で誰が可愛いかなどを話したりはしているが、こうやって真面目に恋愛の話をしたことなど、一度もなかったのだ。
「かなりちっちゃい頃であんまり覚えてないんだけど、親父に連れて行ってもらった家にいた女の子でさ、すっげぇ可愛かったし良い子だったの。で、一目惚れしちゃった若き日の隼人君は、その女の子に『大きくなったらお嫁さんにしてあげる』って言ったわけ。そしたらさ、その女の子、『その時まで私が生きてたらね』って哀しそうに笑ったんだ」
 そこまで聞いて、輝行は続きを聞くことに抵抗を覚えてしまった。隼人の話がよくある可愛らしい初恋の話で終わらないことに、気付いてしまったからだ。
 けれど、隼人をとどめることも出来ずに、ただ黙っていることしかできない。
「その子に会ったのは、その一回きりだった。家に帰った後、親父に『今度あの子といつ会えるの?』って訊いたら、『またそのうちな』って言われた。おれしつこいからさ、毎日同じこと訊いてたけど、ある日親父が『そのうちな』って言わなくなってさ、ただ黙って笑ってるんだ。それで幼心に、『もう会えないんだ』って悟っちゃって……」
 笑顔のままで語り続ける隼人に、胸が塞がれるような思いを覚える。いつも馬鹿がつくほど明るい隼人に、そんな暗い恋愛の経験があるなどとは思いもしなかった。輝行自身にはほとんど恋愛経験というものがないので、その辛さが如何ほどのものかは測りかねるが、隼人が女好きのように装っているのはその幼い頃の経験の反動かもしれない。深く考えもせずに不用意な質問をしてしまった自分を叱りつけたい気分になった。
「……ワリぃ。変なこと――」
「なーんちゃって!」
「は?」
 それまでの悲哀に満ちた雰囲気をぶち壊す勢いの隼人の一声。隣を見ると、いつもと変わらぬニヤついた笑いを浮かべる隼人の顔があった。
「嘘だよーん。そんなマジ恋愛、おれがするわけないじゃーん! え? あれ? テル、マジに受けちゃった?」
「はーやーとー!」
 同情したのも束の間、隼人の悪ふざけだったらしく、輝行は心底目の前の親友を殴り倒したくなった。いや、むしろ殴りたいのは、隼人の性格を熟知しながらもあっさりと作り話を信じてしまった己自身かもしれない。
「テルってほんっと素直だよなー。ま、そういうところが女心をくすぐるんだろうけどさ」
「ふざけんな! マジで悪いこと訊いたって思ってたのに!」
「ごめんってー。でもさ、正直な話、おれなんかよりテルの方がモテるんだぞ」
 誤魔化し笑いで話題を変えようとする隼人を輝行はジトと睨みつける。しかしさほど効果はなく、少し上を向いて考え込むような素振りで、隼人は指折り数え始めた。
「おれが知ってるだけでも、……えーっと、四、五人はいるしー」
「……それ、絶対根拠ないだろ」
「あるって! あ、河野ちゃんは確実な。さっきテルと各務が一緒にいたの見て、怖い顔してたから」
「げっ! おまえ以外にも見られてたのかっ?」
 同じ部活内の女子部員の名前を挙げられたことに驚きはしたのだが、それよりも隼人の言葉の後半に輝行は反応した。
 誰が自分に想いを寄せているのかなどということよりも、ありもしない噂を立てられて、織月と気まずくなってしまう方が問題だった。
 しかし、輝行の事情など知りうるはずもない隼人は、案の定輝行の反応を自分に都合の良いように捉えてしまったようだ。
「え? 何、その反応。見られたら困るようなことでもしてたわけ?」
「違うっつーの! 勘違いされて言いふらされたりしたら嫌だし、各務も困るだろうが」
「やーだ、輝行君。やっぱり各務のことそれだけ大事なのねー!」
「だから、何ですぐそういう方向に持っていこうとするんだよ!」
「こら、そこのバカ二人」
 次第に声が大きくなる輝行と隼人の背後から、低く押し殺したような女性の声が投げかけられた。その聞き慣れた声に、二人は恐る恐る振り返る。
 予想通り、そこには般若の如き形相のみどりの姿があった。
「もう十時になってるんだけど。消灯時間がいつだったのか忘れちゃったのかなー?」
 片頬をひくつかせながら、それでも笑顔を浮かべようとするみどりに、二人は背筋を凍りつかせる。幸い、ホテルの廊下とあって大声で怒鳴られることはなさそうだが、その分表情に怒りが滲み出ていた。
「あ、えっと、はいっ。す、すみませんっ」
「今すぐ部屋に戻りまーっす」
 これ以上みどりを刺激しないようにと、簡潔に返事をし、二人はそそくさと自分達に割り当てられている部屋へと廊下を急ぐ。
 その少し前を一人の少女が歩いていた。タイミングがいいのか悪いのか、先程話題に上がっていた河野という女子部員だ。
「河野ちゃーん、早く部屋戻らないとみどりちゃんに怒られるぞー」
 自分たちのことは棚に上げ、隼人が冗談と本気が半々な口調で河野に声を掛ける。
 しかし、河野の反応は薄く、小さく頷いただけで輝行達のように急ぐ素振りもなかった。どことなく奇妙な反応ではあったが、彼女が輝行に対して恋心を抱いているという隼人からの情報が頭にちらついて気まずさを覚え、そのまま自分たちの部屋へと急ぐことを優先した。

 もしその時振り返っていれば、きっと気付くことができただろう。彼女が冥い光に彩られた視線で、輝行の背中を見つめていたことに――。

▼栞を挟む

page top