禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

肆 逆賊 [04]

「魔はな、より強い生物の身体を奪って同化することで自分の能力を強化すんねん。せやから、何の能力も持たん一般人よりも、特殊能力を持った人間を狙う。特に、戻士は狙われやすいんや。妖の場合は、そもそも実体がないから、実体を欲する。そして、コイツも同じくより高い能力を持つ方が都合いいらしい」
 その説明で、ふと思い出した。初めて魔に襲われた時の、あの台詞。
《ナカナカノ拾い物ダ》
 あのトカゲの獣魔は確かにそう言った。それは、器としての輝行自身の素質に気付いたということだろう。
 そして、もし輝行が器とされていたならば、今目の前にいる人間すべてから敵とみなされて排除されていたのだ。そう思うと、あの時助けてくれた織月に心から感謝したい気持ちだった。
「それで、だ」
 それまで黙っていた尚志が唐突に口を開いた。今まであまり彼の発言を耳にしなかった為に、輝行も思わず身構えて言葉を待つ。
「君には晄具の扱いを覚える、一人である程度戦えるようになる、妖の戻士としての能力を発揮できるようになるという三つの課題をこなしてもらわないといけない」
「はい」
「そして、その為の修行をする場所だけど、京都まで行ってもらう」
「きょ、京都ですか!?」
 六条院宗家の本邸は京都にあると聞いてはいたが、まさか自分自身が京都まで行かなければならないとは思いもしなかった。と言うよりも、修行といってもこちらで行うものだと思い込んでいたからだ。
「それと織月にも、新しい晄具の扱いを覚えてもらう。六辺香も月虹も接近戦には向かないし、送魂師が関わる以上は妖と相対することも増えるだろう。今のままでは戦力として数えるのは厳しい」
「はい。ですが、晄鍛冶師(コウカジシ)に新しい物を依頼している暇はないのでは……」
 織月がそう問い返した丁度その時、カタンと障子の桟が鳴った。静かな摩擦音が聴こえ、障子が開く。そこには席を外していた茉莉の姿があった。
「失礼いたします。姉様、兄様、」
 礼儀正しく正座して頭を下げる茉莉のすぐ隣には、江戸紫の布に包まれた二つの細長い物が置かれている。茉莉は頭を上げると、慎重な手つきでその包みを抱え上げ、郁と尚志の並んで座る隣まで移動して跪いた。
「『天魁(テンカイ)』と『開陽(カイヨウ)』、お持ちいたしました」
「ありがとう」
「お待ち下さい!」
 茉莉から包みを受け取り、礼を述べる郁に、織月は顔色を変えて叫んでいた。片手を前につき、今にも身を乗り出さんばかりの格好だ。
「それは……、郁様の『七星(シチショウ)』ではないのですか?」
「そうや。何か問題あるん?」
 焦るような表情の織月に対し、郁は不思議そうに首を傾げる。織月が気を揉む理由を理解していない様子だった。それに一瞬言葉に詰まった織月ではあったが、すぐに気を取り直して言葉を続けた。
「勿論です。『七星』は、歴代の嫦宮がお使いになられる為に奉納された由緒正しきもの。本来ならば、揺光も他人に貸し与えられるようなものではないはずです」
 織月の言葉に、輝行は常磐事務所で揺光を渡されたときの彼女の様子を思い出す。あのときも織月は累に対して何か言いたげだった。そして、累の「持ち主の了承は得ている」という一言に言葉を飲み込んだのだ。
 織月の言葉のとおりなら――そして、嫦宮が『生き神』として扱われているのならば、彼女が問題視するのも頷ける話だった。それに、輝行自身もそんな大層なものを貸し与えられることに少々躊躇いを覚える。
 しかし、それに答えた郁は全く意に介さない様子だ。
「んー。でも、使わんと置いとくんは宝の持ち腐れやろ? それに、天魁は前に基も使っとったし、茉莉にも『天権(テンケン)』を渡しとる」
「基様は郁様の弟君ですし、茉莉様もご身内同然ではないですか。しかし、私や横木先輩は違います」
「しーちゃん、真面目すぎやで。んなもん、誰も気にせえへんって」
「私は気にします」
 気楽に構えている郁に、きっぱりと織月は言い切った。頑として引こうとしない織月に、郁は珍しく困ったように溜め息をつき、頭を抱える。
「まあ、織月と響あたりは気にするとは思ってたけどな」
 郁と織月のやりとりを黙って見ていた尚志が、堪え切れないようにくくっと喉を鳴らして笑った。更に尚志につられるように笑う基と茉莉に、織月は真剣な表情で「笑いごとではありません」と不貞腐れている。
 滅多に見ない織月の感情豊かな顔を、輝行は少しばかり驚きを伴って見つめるばかりだった。
「織月が言いたいことはわかった。じゃあ、妥協案を出そう」
 まだ笑いの治まり切らないままで、尚志が口を開いた。
 織月は少しだけ安堵の色を浮かべて、尚志へと視線を向ける。だが、
「これを受け取らないならば、君達二人の身辺警護として郁を側につけるよ」
 尚志の新たな提案に、織月は先ほど以上に慌てることとなった。
「そんな……! 郁様のお手を煩わせるわけには参りません!」
「じゃあ基がいいか?」
「基様でも同じことです!」
「別にそれでもええやん。いっそ二人ともつける? 役に立つでー」
「郁様!」
 尚志の意図を理解した上で便乗し、さも楽しげに茶化す郁。織月は諫言しようとするが、それ以上言葉が続かなかった。
「じゃあ織月、これを受け取るか?」
「……何も七星でなくても良いのではないですか? 宗家ならば、他の晄具もあるはずでは――」
「残念ながら、今はない。あってもガラクタみたいなもんや」
 何とか回避できないものかと発した織月の言葉を、すっぱりと郁が一刀両断した。その途端に、織月は眉根を寄せて俯き、返す言葉もなくなってしまった。
 考えあぐねる織月に、郁は包みを手に取って歩み寄ると、その目の前でしゃがみこんだ。そのまま包みの一つを差し出す。
「それに、大事な命守る為のモンは質が良いに越したことはないやろ?」
「郁様」
「しょうもないことに捕われてる暇ないんとちゃうか? 静生君、取り戻すんやろ?」
 言葉の最後で、織月の顔が跳ね上がる。そこにあったのは、痛みと愁いの入り混じった表情だ。
 郁は優しさと厳しさを併せ持った微笑みで、織月を見つめ返しゆっくりと頷く。
 やがて、織月は深々と頭を下げると、差し出されている包みに手を伸ばした。
「有り難く、お借りいたします」
「うん。それでええ」
 郁はにっこりと満足げに笑うと、今度は輝行に向き直った。そして、同じくもう一つの包みを輝行に向け、
「今度は、ちゃんと使ってや」
 言外に揺光を使えなかったことを皮肉る。
 輝行は苦笑を浮かべるしかなかった。けれど同時に、今度は失敗しないという気持ちを込めて、それをしっかりと受け取り、握り締めた。
「頑張ります。各務に迷惑かけてばっかりじゃいられませんから」
「せやな。女の子に守られてばっかりもヘコむもんなぁ」
 からかうようにニヤと笑う郁に、全くその通りだと自分自身でも思った。確かに織月は自分よりもずっと強いのだろう。けれどやはり輝行から見れば年下で、女の子で、そして時折、ひどく儚げに映る。
 更に、あの合宿の日の出来事が、いつまで経っても頭から離れずにある。妖に対抗できる力がないにも関わらず、織月は輝行を守ろうと立ち向かい、傷を負ったあの時のことが。
 肩から流れ出た鮮血。整った容貌が苦痛に歪んでいた。宗家方の計画上のことだったとはいえ、もう少し基の登場が遅ければ織月の命はなかったかもしれない。それに自分に少しでも力があれば、もう少し違った結果が表れていただろう。基に言われた「織月の怪我はおまえの責任」という言葉が、時間が経つほどに胸を苛んでいた。
 だからこそ、もし自分に闘える能力があるのなら、そしてそれを引き出してもらえる機会があるのならば、精一杯それを身につけるべきなのだ。一人心の中で決意しながら、包みを自らの横にそっと置く。そして輝行は中途半端になっている話を元に戻すことにした。
「……あの、でも、一応未成年なんで、京都に行くとかって簡単にはいかないんですけど」
「ああ、それは照一朗さんに協力してもらおうと思っとるんやけど」
「照一朗?」
 一瞬誰のことかと思うが、妙に心に引っかかった。どこかで聞き覚えのある名前だったのだ。しかし、それをどこで聞いたのかを輝行は一向に思い出せない。
 気の所為でも何でもなく、絶対に知っているはずなのに、とやきもきした気持ちが頭の中に充満した。
「こらこら、横木君。自分のお祖父さんの名前くらいちゃんと覚えといたってや」
「って、うちのじいちゃんですかっ!?」
 呆れたように言い放たれた言葉に、輝行は素っ頓狂な声を上げた。
 そういえば、祖父の名前は横木照一朗だ。しかし、家族は名前で呼ぶこともないし、他の人でも名前で呼ぶ者は滅多にいない。その為、咄嗟に思いつかなかった。
「何で、郁さんがじいちゃんのこと……」
「ん? お友達やし」
「友達って」
 照一朗はもう還暦もとうに過ぎている。それなのに一体どこで郁と友人関係になったのかと疑問は深まるばかりだった。しかし、そんな輝行の疑問に答えてくれる親切心などないのだろう。郁はそのまま織月に話しかける。
「しーちゃんも予定ちゃんと空けといてな」
「わかりました。ですが、私も母が許してくれるとは思えないのですが」
「沙織ちゃんな。そっちの工作も大丈夫。なあ?」
 僅かに暗い表情を見せた織月に、郁は自信満々な様子で尚志に同意を求めた。それに尚志は無言の笑顔で応えるが、それでも織月の表情は晴れない。
 そんなに織月の家は厳しいのかと輝行は思ったのだが、どうやらそんな単純な理由ではなさそうだった。その証拠に、織月の表情はいつになく不安げだ。
(そういえば、さっきもちょっと様子がおかしかったよな)
 郁と尚志を呼びに行き、戻ってきた時の織月の様子は、今とはまた違った風に奇妙に感じた。上手く言い表せなかったが、どこか彼女らしくないと感じたのだ。
(って、大体各務『らしい』って言うほど知らねぇけどさ)
 ふとそう思い至り、自分はどれだけの織月のことを知っているのだろうかと疑問が浮かぶ。そうして改めて考えてみると、自分でも驚くほど織月のことを何も知らないことに気付いた。
 自分自身の知る『各務織月』とは、陸上部の後輩で、魔の戻士で、常磐事務所や宗家と繋がりがあって。
 しかし、他に何を知っているのだろうか。
 家族のことも知らなければ、陸上部や常磐事務所の面々と一緒にいる時以外ではどんな風なのかも知らない。そして、織月自身に付紋されている経緯も、まだ知らなかった。織月に守られるようになって、以前に比べて話す機会が圧倒的に増えたのに、彼女に関することの知識は何一つ増えてはいないのだ。
 何故なら、織月が教えてくれるのは彼女自身のことではなく、戻士や魔に関わるものばかりだからだ。確かにそれらの知識は今の輝行にとっては必要なもので、優先的に話すべき事柄ではあるのだろう。
 けれどそう考えると、何だか現在の関係が非常に事務的かつ淡泊に思えた。
 ただ、織月に今考えているようなことを言ったとしたら、「知る必要がありますか?」と逆に訊かれてしまいそうだ。
(確かに、知る必要がないと言われればそうかもしんねぇけどさ)
 それでも、気にはなる。隼人が言うような意味ではないけれど、輝行にとって織月は今一番気になる存在なのだ。
 何より、織月は自分に告白をしてきたという忘れ難い事実もある。織月本人にそんな素振りはまったく見えないのだが、あの告白が現実であるということは、変えようもなかった。
「心配せんでも大丈夫やって。尚志は悪知恵働くんやから」
「悪知恵じゃなくて、計略と言え」
「おんなじやん」
 考えに耽る輝行をよそに、織月を安心させようしているのか、郁と尚志が軽口を叩き合っている。
 織月は少し考えた後、わかりましたと呟いた。その表情にはまだ不安が隠しきれない様子が窺えたが、それでも郁や尚志に対する信頼が勝ったのだろう。覚悟を決めたように口を引き結んでいた。

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